2021-02-28

三冊の句集のこと Ⅰ. 藤田哲史句集『楡の茂る頃とその前後』を読む 上田信治

【句集を読む】
三冊の句集のこと
Ⅰ. 藤田哲史句集『楡の茂る頃とその前後』を読む

上田信治

 

藤田哲史『楡の茂る頃とその前後』と、安里琉太『式日』を読み、その二冊に生駒大祐『水界園丁』を加え、彼らが俳句表現の現在の、どこにどう位置しているかということを、考えていきたいと思っています。今週は、まず藤田哲史句集から。

Ⅰ. 藤田哲史句集『楡の茂る頃とその前後』

句集を手にしたとき、彼の「野心」の向かった先を確かめたいという気持ちが先に立った。

あの藤田哲史が、句集を出したのだから、いい句がいくらでも拾えることは分かっていたからだ。

ただ、彼の志向するところが、なかなかわかりにくい。

2017年までの近作を収録したアンソロジー『天の川銀河発電所』に、それは、既にあらわれていたはずだけれど、自分には、十分につかみ切れなかった。

もともと、ちょっとこわいくらいに頭のいい彼のことなので、韜晦気味に簡単には狙いを分からせないようにしているのか、と思ったり。『澤』のころの自作に義理立てし過ぎなのだろうか、と思ったり。

しかし、微妙にそういうことではない、と分かってきたので、彼の書く句の、繊細きわまる面白さを確かめながら、彼が「どういう何を」しようとしているのかを、考えていきたい。


昭和三十年世代的なもの

水面の凹み凹みは白雨かな    [ Ⅰ ]
明け渡る世界のあをきちちろかな [ Ⅰ ]

「Ⅰ ルーペ」より。同じ章に〈てのひらを揺れたたせたる泉かな〉もある。

明け渡る〉は〈手をつけて海のつめたき桜かな 岸本尚毅〉を、「型をふまえた」では言い足りないほど、巧みにトレースしている。「」の唐突な広がりと奇妙な構えの大きさを「世界」で受け、「つめたき桜」という言語上のキメラには「あをきちちろ」を対置させている。

明け渡る〉の句の美しさは、岸本の句の延長にありつつ、その句にもともとあった虚構(コシラエゴト)性を、押し進めたものだと言える。

水面の〉の句の「は〜かな」は、あまり作例の多くないかたちで(大名句〈住吉にすみなす空は花火かな 阿波野青畝〉はあれど)なぜかというと、この型をとると、発見≒種明かしという趣向に全体が収まってしまって、句柄が小さくなる(〈吹かれ来て歩める虫は蛍かな 岸本尚毅〉も、虫の動作の意外性はあるとはいえ、その弊はまぬがれていない)。

ただ、この〈水面〉の句は末尾を「です」に換えると典型的なⅥ章の句になる。日常レベルでも理屈の通った言明が、俳句になろうとして不思議なポーズをとる、という形になる…そういう「は」であるからこそ、あえて「かな」にしたという二重性が生じている。

青畝句は「」を「花火」と受けたところで統辞が崩壊しかけて、そこから大空間に広がっていくという類のない朗誦性があるけれど、藤田句の「」は「凹み凹み」という措辞のイケてなさがあいまって、日常語へ転落するというスレスレを、切字がむりやり救いあげている、という浮遊感(「」が浮いてくる)を生んでいる。

……やっかいでしょう(笑)自分としては「あ、おもしろい」と感じた瞬間に、頭の中で働いたメカニズムの説明をしているだけなのだけれど。

作者の「『あとがき』のかわりに」(「guca paper 2019」)によれば、この句集の構成は「編年体を採らず、文体や内容を踏まえて、一つの章を三十句ほど、合わせて八章となるよう構成し、それぞれの章に異なる作中主体が立ち上がるようなものとした」そうだ。

「Ⅰ ルーペ」は同じ章に、田中裕明そのまんまの〈或る人の今は生前龍の玉〉のような句もあるし、〈置きしのち榠櫨が傾ぐ自ら〉も裕明の〈橙が壁へころがりゆきとまる〉を連想させる。

ここでの藤田は、「ホトトギス」から昭和三十年世代(田中・小澤・岸本・小川ら)に継承された、伝統「的」俳句の言語操作のあざやかさ、具体世界を通じての虚構性・幻想性といった要素を押し進めている、と言えるかもしれない。


人称と物語性

「Ⅱ」以降の句には、しばしば」「」と人称で呼ばれる誰かが登場する。それは同時に、誰かをそう呼ぶ作中主体を、句中に登場させることでもある。

三橋敏雄の〈俳諧は四季に雑さて年新た〉を受けて「恋」の句の可能性を探っているようにも見えるし、榮猿丸や佐藤文香とは相互に影響もあっただろう(〈ジャケットに寝て運転は君に任す〉〈セーターを脱ぎざまベッドに彼は倒る〉etc.)。言うのも野暮な話だけれど、恋のような友情の物語を書くという遠大な遊びをしていたのかもしれない(『水界園丁』にもあったから、二人で遊んでいたのかもしれない)。
彼女は読み手のために何度も「わたくし」を提示しなおす必要にせまられる。たとえば、彼女は一つの対応策として、あらかじめ意識が介入する範囲をかぎられた幅で設定しておき、そこから外界を「垣間見る」ことで「わたくし」の設定を解決しようとした。そして、その「垣間見る」行為において、はじめて自己を相対的に表出する。無名性から抗うように見せていながら、実は「垣間見」る程度に視界の大きさを限ることで私をはじめて担保できるくらいの淡さの私しか持ち合わせない作家でもある。

セレクション俳人」を読む17 『正木ゆう子集』
拡散してゆくわたし 

(-俳句空間-豈weekly 2010.6.26)
 
http://haiku-space-ani.blogspot.com/2010/06/17.html 

以上は、藤田が、正木ゆう子を評した言葉だ。

書き手が他の作家を評するときは、しばしば、自身のことを語っているものだが。

彼自身も、また、自分の素質になんらかの物足りなさ意識していて、ごく初期のころに得てしまった一つの完成に、たとえば主体を書き込む試みをもって、何かをつけ加えようとしていたのかもしれない。

秋風や汝の臍に何植ゑん [ Ⅳ ]
我も汝も秋冷のもの汝を抱く [ Ⅳ ]

どちらの句も、私たちの時代の恋(それも性愛)の名句として残るだろう(〈秋風や〉は〈木の実のごとき臍持ちき死なしめき 森澄雄〉を踏まえている)。この人は、つくづく始めから典型が作れてしまう書き手だった。掲句はともに『新撰21』所収なので、誰かに呼びかけつつ「主体」を書くという試みは、最初期から継続されていることになる。

レコード店勤めの彼のマスク見つ [ Ⅱ ]
柊や彼と諍ふ昨日あり     [ Ⅱ ]
凩や帰郷の彼に車貸す     [ Ⅱ ]

菊白し彼が貸し出す去来抄
   [ Ⅳ ]
きりぎりす次の休暇を彼は問う [ Ⅴ ]
卒業の彼が残したラッシュです [ Ⅵ ]

作者は「読者に句の外の物語を想像させること」を、楽しんでいるように見える(短歌の受容のされ方との差を、マジで憂えていたのかもしれない)。

しかし、自分には、句の外の物語のために働く言葉は、かえって句の情報量を少なくするようにも思えた。つまり「彼と諍ふ」「次の休暇」は、それぞれ面白そうなお話を伝えているけれど、この句の中で、それ自体面白い言葉として働いていないのではないか。

ただ、人称のあらわれる句において、男性である藤田が「彼」と書き、そこに相聞の気配を匂わせることは、ストレートに作者と作中主体を一致させて読むことをためらわせる、二重性を作っていて面白いと思う。

汀から靴抛られし水の秋   [ Ⅱ ]
忘れまた深く眠りぬ龍の玉  [ Ⅱ ] 

汀から〉「」と「水の秋」という二つのきらきらしい言葉の反照の間に、ハレーションを起こしたように見えない誰かがいて、こちらに靴を抛ってくる。美しい人がそこにいたという、鮮烈な印象(これも恋の句だ)。

忘れまた〉「Ⅰ ルーペ」には〈冬鷗何の忘却も快く〉の句があって(高校二年の作だそうだ)、この人は「忘れる」に目的語をとらせず自動詞的にあつかう不思議なくせがある。目的語をとらない「忘れる」には(古語には用例もあるようだけれど)なにか片意地な、ぶつ切りの思いの吐露を感じる。

一句の「外」に物語があるのではなく、書かれた言葉の交響がその「内包」として物語性の感情を指し示しているような句が強く印象に残った。

むやみと面白い

音信不通以後の鯖雲はためくシーツ[ Ⅲ ]
思考停止(エポケー)の白雲があり冬と知る[ Ⅲ ] 
くちびるにスパムのあぶら花のころ[ Ⅲ ]

世阿弥の忌湯に腸詰の揺れてをり [ Ⅳ ] 
ボブスレーひよいと飛び乗り身を収む[ Ⅳ ]
鋤焼や花魁言葉ありんすをりんす [ Ⅳ ]

「Ⅲ 音信不通」「Ⅳ 瑠璃子」より。この二章の句は、藤田がエンターテナーしている。

この面白さには、小澤實の影響があると思う。

小澤實にはその資質のコアな部分に「面白さ」があり、そう考えると希有な作家で、たとえば西東三鬼、中原道夫といった人の素地と重なる部分がある。

ディレッタントという言葉が浮かんだ。

ディレッタントには非専門家のニュアンスがあり、いい意味に使われないことも多いけれど、もともとは「よろこびを見出す人」というイタリア語に語源がある言葉だそうだ。

それぞれにプロ俳人であるこの三人には、「文学」的なシリアスさに(必ずしも)重きを置かない、きらびやかで素早い機知を生み出す言語的才能に恵まれている、実生活においてはエピキュリアンとして知られている、などの共通点がある。「ディレッタント」=「遊び手」と訳すと、ビンゴという感じがする。

藤田は『澤』の新人賞と『新撰21』(2009)が、22才。『新撰』の合評で高山れおなに「あんまり達者なので驚いた」「早熟という意味では、髙柳氏や佐藤さんよりも早熟」と言わせている。

この頃の代表句が〈汝が臍〉や〈花過の海老の素揚にさつとしほ〉だ。上にあげた中では〈ボブスレー〉〈鋤焼や〉が『新撰』所収の句。映像で見たであろう「ボブスレー」を、写生のことばで言い止める技術と遊戯性や、ここで「花魁言葉」が出てくる趣味性は、小澤實的と言っていいもので、彼の初期の句の多くは、その傾向にある。〈落葉して猫太りしか抱いてみん〉〈水涸れて彼らはこはいもの知らず薄給やさざんくわ積める芝のうへ御所の警備かつては弓や猫じやらしサンダル裏すりへりたるや層見ゆる(細字は本句集には収録されていない句)。

藤田の面白さは、その後の作においても、多様な展開を見せる。間違いなくサービス精神の人なのだろう。

音信不通〉は上句が七音にはみだし、その余勢で下句も七音になり、上五の「オンシンフツー」から「ハタメクシーツ」と音も楽しく展開する。〈土佐脱藩以後いくつめの焼芋ぞ 高山れおな〉を思いだしてもいい。

思考停止〉はルビと「白雲」のモチーフから関悦史を連想してもいいし、本人の文章(後掲)の言及する〈白雲と冬木と終にかかはらず 高浜虚子〉を思ってもいいのだけれど、なによりも「エポケー」の中に「ポケー」があることを、宙に浮かぶによって形象する、手さばきが見どころだろう。

この二句の「はためくシーツ」「冬と知る」という収めかた、初読時はモチーフに寄りすぎという印象を受けたが、それは承知の上らしい(後掲「評論で探る新しい俳句のかたち」)。

世阿弥の忌湯に腸詰の揺れてをり

腸詰」は、はらわたであり、性愛の連想もはたらく。「美」の人であり「思想家」でもあった人に潜勢する、熱い、ゆれうごくもの。〈空海忌念珠貫く赤き紐 小澤實〉〈ぬばたまの黒飴さはに良寛忌 能村登四郎〉とならべても見劣りしない、忌日俳句の佳品と言っていいとおもう。

ただね。

二十歳そこそこと言っていい年齢で、俳句に人生のいくぶんかを賭ける決心があり(彼を知る人には皆そう見えたはず)、俳句に対してそれなり以上の貢献をなしうるという自恃があったに違いない作者の目には、自分の書くものの趣味性は、乗り越えるべき始めのハードルとして、あるいは限界として映っていたのではないか──と、想像してしまったりはするよね(それは、かつての小澤實の課題でもあったはずだし)。

くちびるに〉は、ピンク色のものを三つ並べて、睦み合う「くちびる」と「スパム」が、そこにない「」へ向けて肉のイメージを投射するという、なんとも構成が美しい句。

 その句と同ページに並べて

舗装の隙に列なす杉菜自嘲せる〉という、なんとも収まりの悪い苦しげな句が置かれていることに、大げさに言えば、彼の苦闘はあったのかもしれない。


二つの新しさ

そして木が榠櫨を容るころ  [ Ⅴ ]
月は日に時を渡して冷やかに [ Ⅴ ]
日々路に落葉した欅も今は  [ Ⅴ ]
白白と思量に比例して雪は  [ Ⅴ ]
花降る日日当たりにある懐かしみ [ Ⅴ ]

セーターから首出すときの真顔です
 [ Ⅵ ]
ラガーの挫折をめぐるショートフィルムの企画です [ Ⅵ ]
蔦の這う煉瓦のビルが住所です [ Ⅵ ]
夜明けまであとひとときの櫓です[ Ⅵ ]

「Ⅴ 言う」と「Ⅵ ラッシュ」から。

「Ⅴ」は章題に示されるとおり、新かなで書かれているのだけれど、それは文体や素材の、より大きな変化の一部だ。
構造という視点から俳句を見ると、現在よく言われる俳句の「切れ」は構造の不連続性と言い換えられること、そして、その構造は俳句表現においては「切れ字」を含む構文によってはっきりと示されることがわかった。

このような俳句用語の捉えなおしによって、
 現代語を用いて俳句を再構築することは可能か
という命題は
 現代語による新しい俳句構文はありえるか
という命題と同値になった。

この点を明らかにしておけば、もう現在の俳句から<新しい俳句のかたち>までの距離はごくわずかだ。

私たちは「伝統」や「前衛」に対しての精査という作業を通らずに新しい俳句表現に肉薄することができるだろう。

そして、この現代語による新しい構文のヒントは、「口語」よりも「文語」らしく見える俳句の間に埋もれている。省略の効いた俳句語法の緊密さを保ちつつ、現代語の感覚を持った俳句に。

何よりも、俳句の文体にとって、実際に大事なのは、文語であれ口語であれ、その文体がどこまで現代語の感覚と隔たっているか、といった、あいまいだけれどしかし読者にとって根本的な要素でないかという直感があるからだ。


評論で探る新しい俳句のかたち(15)」(「週刊俳句」2017.3)

https://bit.ly/37RMM25


俳句の文体にとって、実際に大事なのは「その文体がどこまで現代語の感覚と隔たっているか」だという認識は、ひじょうにおもしろい。

藤田は、切字、文語、取り合わせを使わずに、 現代(日常)語と「感覚の隔たった」日本語の十七音を作り、それを、近現代の俳句の残した可能性を受けとる「器」にしようとしているのだ。

これまで、そういうものは、各作者による偶然の成功句としてしかなかった。

そして木が榠櫨を容るころ

※「容」に「かたちづく」とルビ

ものすごく少しのことしか(しかも、それ以外のことはいっさい)言っていない。

そして」と語り始めた句が「ころ」と終わることの、極微量な不達感(文末が終わるのか続くのかはっきりしない)、前もうしろも軽く開いてしまっているかんじ。そのふしぎさと見合う、認識の非現実性、誰がそんなことを思うだろうwという。(内容は、岡井隆の「ずるいなあ」から、もらっているかも)


なにより、この「木が」という切り出しに、自分はありえなさを感じる。「木が」って言わないよなあ、このへん分かってもらいにくいところだと思うけれど。

どこをとっても現代語(というか日常語)からかけ離れていて、しかも、ふつうに造化に和するポエジーがある。

内容がないよう、なので評価を難しくしてしまっているかもしれないけれど、この一句は、この句集の達成と言えると思う。

日々路に落葉した欅も今は

日々」と書き始められた語句が「落葉した」と過去形で受けられるとき発生する、これも極微量の不安定さ(句末で回収されるとはいえ)それは、今がどんどん過去になっていく感触を生む。

この句のリズムは「ヒビ2・ミチニ3/オチ2・バシタ3/ケヤ2・キモ2/イマハ3」と「2・3」の反復でできている(なんで「オチバ3・シタ2」ではなく「オチ2・バシタ3」と読みたくなるんだろう)。

この細かい音の分節は、五七五をゆり立たせ、俳句を韻律の詩として再び目醒めさせる試みで、佐藤文香、青本瑞季、青本柚紀らの試行とつながっている。

白白と〉〈花降る日〉の、何も言ってなさ、そして韻律は、ほんとうに美しい。

「何も言わない」ことは、たとえば今井杏太郎の方法だけれど、決まり文句の空辞(にけり、ことよ、etc.)を使わず、爽波のような非意味の「ただごと」でもなく、言葉も思いも充実しているのに、何も言っていないという書き方が、このように集中的に試されることは、先例がないと思う(細見綾子にすこしあるか)。

原型的な、素のポエジーだけで書かれたようなこれらの句は、書き手の成熟した境位を示すものだ。それは、彼の、方法の探求が可能にした。

「Ⅵ ラッシュ」は、句末の切字として「です」を展開する一章。

もし「や」の代わりになる新しい構文を、しかも現代語となじむように作ることができたら、それはものすごい発明だ。

今となっては俳句に欠かせない「や」を現代語の感覚で書き換えている、ということは、単なる意味上の翻訳だけではない。

格調・省略というような「切れ字」が担った副次的な機能も合わせてその構文が引き受けているということだ。

しかも、その構文は1つの作品でなくいくつもの作品で反復して用いられるような、ゆるぎない形をしている必要がある。新しい構文とは、新しい定番のことだからだ。

果たしてそんな構文がありえるのか、どうか。

あると仮定して試してみたらどうか、と今の私は思っている。


「評論で探る新しい俳句のかたち」(11)より (同2017.2.12)



https://bit.ly/37RMM25

 第4回芝不器男俳句新人賞の候補作として、彼の「です」連作に出会ったとき、自分はよくその真価がわからなかった。機械的に「かな」を「です」に置き換えた実験と見えてしまったからだ。

再読して〈蔦の這う〉〈夜明けまで〉のような「かな」に置き換えられそうで置き換えられない15音を、呼び出すことに成功している句を、面白いと思った。これらの句は「です」が「かな」でもありうるという二重性を、ぎりぎりで裏切ることで、言葉を運動させている。

この句集は、このようにして、明確に二つ、方法的新しさを示してみせたと思う(他にもたくさんのたくらみと試みがあるだろうけれど)。

です」が外形的にあからさまに新しいので、もう一つのほうが、すこし気づかれにくいのではと思う。いつも、いろいろ出来てしまう書き手だから、ということもある。

「第十一回田中裕明賞」の選考座談会において「現時点でこれぞという成功作を見せてもらえなかったなというもどかしさはありました」(髙柳克弘)と評されたことは残念であったけれど(だからやってること分かりにくいんだって)、同じ座談会の「一句一句、こういう精妙な技が効いていてそれで全体の静謐感になっている」「表す技の精妙さと多彩さ」「情感として伝わりやすい当たり前の等身大のモチーフこそ、実験的な要素はいるんじゃないか」(関悦史)の評には、心から同意する。

さて。

ここまで来たら、あとは、世界と形式と自分の和解というか、親密さを取り戻したところを示し、その親和がもたらすカラフルな可能性を示して終わりたいところだ(自分ならそうする)。

カラフル

型を出て食パン四角花のころ  [ Ⅶ ]
カリフラワー上から胡椒挽かれをり[ Ⅶ ] 
花過の海老の素揚にさつとしほ [ Ⅶ ]
湖や彼ら服着て泳ぎをり    [ Ⅶ ]
さうめんのふやけて残る世界かな[ Ⅶ ]
片時雨鳩サブレーにぽつんと目 [ Ⅶ ]
竹馬を立てかけてあり近所の木 [ Ⅶ ]

雪催緩いカーブをなす湾の
  [ Ⅷ ]
豆皿に塩豆二月二十日雨   [ Ⅷ ]
六月は眼下仮泊の川艀    [ Ⅷ ]
いつかある時の終りの冷ややかに[ Ⅷ ]
眩しさはわつと散らばる冬鷗 [ Ⅷ ]

句集を通読すると、ここで世界に文物が「帰ってきた」ように、感じられる。それはもちろん錯覚で、この人は、はじめから、いろいろな書き方を並行して試していくタイプの書き手だった。

しかし、Ⅶ章に〈海老の素揚にさつとしほ〉があることは、どうしても「帰還」という印象を与える。

この場所に帰ってくることは、彼にとって、約束されたことだったように思う。

そういえばこの句集には〈きつつきや缶のかたちのコンビーフ〉がなくて、代わりに(ではないか)〈型を出て食パン四角花のころ〉がある。「花のころ」二句めだしね、変わってるよなあ。

片時雨」が「鳩サブレー」と踏んでいて「片しぐれー」になりかかっていることはともかく。

雨の一スジがサブレーの目の穴をうがったようであることは、Ⅰ章の〈啓蟄や光が示す宙の雨〉の光線となった雨のスジが、啓蟄に開く多くの虫の穴を連想させることと相同性があり、それをいえば〈いつかある〉と〈月は日に〉がどちらも「冷やかに」なのは、すごいなと思ったり(この人は全ての句を二句づつ書くのか)。

湖や」「世界かな」の打ち出しは面白く、しかも「」は彼らの束の間の解放の限定性をいとおしく見せているし、「世界」にそうめんを一本浮かべてみせた機知も楽しい。

近所の木」「二月二十日雨」という言葉の「言わなさ」。つまり、言いそうで言わない言葉を作ってみせることで「現代日常語」から遊離し、段差をつくる。それは、文語、旧かな、切字、季語などが作っていた、十七音の構造の複雑さを担保する要素を、セルフメイドで確保していくことだ。

雪を待つ「」の形を言って、視点を引き上げ、またその雪景色はどう映るのかと想像させる時間性の折り込みの巧みさ。

見どころばかりなのだけれど。

六月は眼下仮泊の川艀

「ガ→ガ カ→カ ハ→ハ ワ→ワ カ→ク→ケ」と、しりとり式に、この句は音で出来ている。

艀というのは、気になりだすと、どこにでもあるもので、ふと見下ろした川に、あんなところに留めちゃってという不安定なありかたで、小さな見栄えのしない船があったのだろう。視点となる自分も、橋か、道かわからないけれど、移動中で、視線も浮遊しがちということが、句全体の語法で示されている。視線も不安定、船も不安定。
六月「」というからには(季節が川艀と相同性を持つとすれば)いまはまだ初夏だけれど、これから梅雨になる不安定をはらんだ明るさと、とらえてもいい。

すごくいい句。

ここ数年、若い書き手による画期的な句集が出続けるという俳句の情勢だったわけだけれど、藤田哲史はそこに一冊を加えた。

それは、彼が、俳句の方法に新しいものをつけ加えることを、長く深く、本質的に、考え続けたことの果実だ。

それは、彼の初心のころからの、心からの望みであったはずだ。

すばらしい第一句集の出版を、祝いたい。

(つづく)




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