2021-02-28

「あとがき」のかわりに 藤田哲史

「あとがき」のかわりに

藤田哲史


初出:短詩系マガジン[グーカ] guca PAPER 2019
『楡の茂る頃とその前後』刊行記念エッセイ

 

十一月、私の句集『楡の茂る頃とその前後』が刊行される。

今年四月、私も入集している俳句アンソロジー『天の川銀河発電所Born after 1968 現代俳句ガイドブック』の版元である左右社から俳人の鴇田智哉さん経由で打診があり、刊行に向けて作業がはじまった。

今、ちょうど刊行のための作業をひととおり終えたところでもあるので、ここで私が句集刊行にあたって考えたことを、あとがきのかわりに記してみようと思う。

  

作業をはじめるにあたって、私は、「“仕事”はするが、なるべく“仕掛け”を施さない」という方針を立てた。

ここでいう“仕事”とは、鮨でいう「仕事」のニュアンスで、鮨の種がもっともおいしくなるよう手を加えるように、違和感なく俳句が読まれるために不可欠な作業をいい、“仕掛け”とは、内容よりも演出で驚きを与えようとしてしまう賢しらのことをいう。

とにかく、なるべく読み手が自然に没入してゆける編集を心がけたいと思った。

  

編集においてまず頭を悩ませたのは、編年体を採るかどうかという点である。

一般的に、句集(特に第一句集)には、編年体を採る場合が少なくない。これは、作家として確立していく過程を見せていくという点では、とても理に適った編集方法といえる。

私の場合は、当初歴史仮名遣いで文語調の文体を採っていたのだけれど、切字を使わない文体を参照・模索するうち、現代仮名遣いを採用しはじめ、さまざまな文体と仮名遣いを同時並行で作ってきたため、編年体という編集方法が見合わなかった。

擬古典派とされる作家の文語表現にも、口語的表現や現代語と親和性のある文語表現は少なからずあってひとくちに歴史的仮名遣いといっても現代語と親和性が高いものや、口語らしさを引き出したものはある。

一方、現代仮名遣いの作といっても、歴史仮名遣いの俳句と比べて違和感のないものから、現代語らしさを際立たせたものまであり、これまたさまざまだ。

このように、実際に文体というものには多くの可能性があるわけで、私の場合、実にさまざまなレベルで使い分けをしてしまっていたわけである。

結果としては、この句集の場合、編年体を採らず、文体や内容を踏まえて、一つの章を三十句ほど、合わせて八章となるよう構成し、それぞれの章に異なる作中主体が立ち上がるようなものとした。

特にⅥ章では、「です」終わりの文体の百句をまとめて第五回芝不器男俳句新人賞に応募したものをベースに、応募後も作り溜めたものも含めて再構成した。

この文体は、切字の多用による音韻の反復の快感(たとえば、飯田蛇笏の『霊芝』、水原秋桜子の『葛飾』、岸本尚毅の『健啖』とか)を、切字を使わない文体で実現しようとした試みで、この句集に連作としてぜひ収録してみたいものの一つだった。

もちろん、連作として読めるといった点では、新興俳句の作家の影響が強い。なかでも山口誓子の『凍港』、富澤赤黄男の『天の狼』の構成は、今なお先進的に感じられるものだと思う。

ちなみに、収録句でもっとも古いものは、

冬鷗何の忘却も快く


で高校二年生の作になる。

  

いったん、過剰な演出を避けるという編集方針と、各章の構成をかためてからの作業は、比較的すんなりと進んだように思う。

表題のもととなったのは、収録句の

夏にして楡静謐や三十歳

で、文体にしても内容にしても二十代らしさが感じられて、この作品集全体のイメージとして良いと思った。この句は、近いところでは石田波郷の≪初蝶やわが三十の袖袂≫から、遠いところでは堀辰雄の小説『楡の家』から着想を得ている。

複数の事象が時系列順に並べられ、一つの世界を立ち上げている構成をほのめかすものとして「とその前後」という語句も悪くないと思っている。

  

栞の執筆は、鴇田さんのほか、生駒大祐にお願いした。

生駒大祐は、私の旧くからの友人であり、現在最も注目を集めている俳句作家の一人でもある。

彼は高校生の頃からすでに鋭い感覚の俳句をいくつも物にしていて、常に賞とは無縁の私の傍で、いくつも賞を攫っていた記憶がある。私の作家性の確立という点で彼の存在は計り知れない。

ちなみに、この句集の巻尾の一句

眩しさはわつと散らばる冬鷗

のうち「わつと」の部分は、生駒大祐の

大寒やマカロニわつと茹で上がる

から拝借したものだ。

正直に言えば、私は擬態語が得意でない。

たとえば、相子智恵の≪キャベツのしのし積むやスーパーマーケット≫などは、副詞の「のしのし」を通常の使用例からずらして擬態語として用いているわけだけれど、こういった表現を発明するには、直感や閃き、つまりセンスが要求されるもので、いつか私も独創的な擬態語が編み出せれば、と思っている。

  

以上のように、この句集刊行についていくつかのことを書いてみたがどうだったろうか。

筆者としては、ほんとうはこの“あとがき”より先にじっくりと句集を読んでもらいたいのだが、舞台裏とでもいうべき部分も含めて句集を読む愉しみとなることもあるので、あとがきのないこの句集のために、ここで披露しておくことにする。


 

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