2021-04-25

美味しさと明るさについて〜岡田一実『光聴』読書会へのお誘い〜  松本てふこ

 美味しさと明るさについて
〜岡田一実『光聴』読書会へのお誘い〜

松本てふこ

 

  梅に東風うどんに軽き器かな

岡田一実の第四句集『光聴』で、私が一番愛着を感じる句である。うどんが本当に本当に美味しそうに詠まれているだからだ。

この句を読むと私はいつも、柔らかく白く太い九州のうどんを思い浮かべる。句に描かれているのは花の梅だが、大きな梅干しをしっかりしたとろろ昆布が囲んでいるうどんのイメージだ。以前、友人を訪ねて福岡を旅した際、安くて美味しいうどん店の多さに感動したことも思い出される。

今年の一月に私の第一句集『汗の果実』の読書会を開いていただいた際、中山奈々氏が私の句に登場する食べ物がどれも美味しくなさそう、という発言をされて、会の参加者からかなり支持を集めていたが、作者としては驚き、今後の作句に関わるレベルで衝撃を受けた。

食いしん坊であらゆる食べ物は美味しく食べたいと思っているし、師匠の辻桃子も俳句で食べ物を詠む時は美味しそうに描かなければダメよ、と言っている。美味しく食べている人間は都度書いてきたつもりだが、この「つもり」がほぼ否定された形になった。どうすればいいのか。私はこの三ヶ月、この件に関して常に心のどこかで途方に暮れている。

この句に話を戻そう。

このうどんが美味しそうに見えるのはなぜか。うどんの味や量などには全く触れず、肌寒さと春の訪れを同等に感じさせる上五と、うどんの器の軽さだけを伝えた中七下五、この余裕ではないだろうか。うどんの軽い器と言われたらマルちゃんの「赤いきつね」の容器だって軽いし、プラスチックでできた器を使っていても軽いだろう。

そういうチープな方向性に解釈しても愛おしい句である、でもうどんが一番美味しそうに読める解釈を取るならば、最新の技術で軽さを追求したお洒落な陶磁器でいただいている、と読みたい。この「器に凝ってます」感が出せれば美味しそうに見えるのだろうか。

いや、そんな浅い見解ではダメだ。もっと、もっと本質的な学ぶべき何かがこの句にあるような気がする。今はまだ、言葉にできない。

この文章は、そもそも岡田一実の第四句集『光聴』読書会の宣伝のつもりで書き始めた。

自分の文章で読書会の参加人数が増えるかは正直疑わしいのだが、自分がやれることをやろうと思い筆を執った、はずだった。気がつくと自分のことばかり書いていた。

ついでにもう少し自分の話をする。二年半前、彼女の前の句集である『記憶における沼とその他の在処』略して『記憶沼』の出版記念パーテイーが松山で行われた際、恐縮なことにお招きいただいた。アットホームで楽しい会で、彼女が松山の俳句仲間に支えられていることが伝わり、こちらも明るい気持ちになった。

その席で、私は失言をした。挨拶を求められた際に、彼女の句を「明るい」と評してしまったのだ。なぜ私がそこまで自らの発言を責めているかというと、私の挨拶の後も様々な人が挨拶をしたのだが、うろ覚えで恐縮だがその合間に彼女が「明るくなくたっていいじゃないと思っている」とぽろりと漏らしていたからだ。

自分の句が意にそぐわない読み方をされて失望しているのではないか?私は怯えた。第一句集や第二句集の頃の軽やかな詠みぶりから印象をアップデートしていない怠惰な読み手と思われたかもしれない。

私は人にがっかりされることが何よりも怖い。「がっかり」は人の間に溝を生む。とんちんかんな読み手として彼女に見られている可能性に、私は現在進行形で冷や汗をかきながら彼女と接している。

だがしかし同時に、自分の読みが間違っているわけではない、とも思っている。彼女が厭っているであろう「明るさ」と私が彼女の句に感じる「明るさ」は違う、と改めてここで主張したい。

彼女が厭う「明るさ」は闇雲なポジティブさ、鈍感さとイコールかと思われるが、私が彼女の句に感じる「明るさ」とはもっと多面的で流動的なものだ。ポジティブ/ネガティブを超えた強さ、柔軟さ、強いこだわり、そしてそのこだわりを深く慈しむ優しさ。今まで上手く言語化できなかったが、『光聴』を読んで気づき、そしてようやく人に伝えられるようになった。

  白藤や此の世を続く水の音 『記憶における沼とその他の在処』  
  一切のせせらぎが夜や冷まじく  『光聴』

『記憶沼』でも『光聴』でも、句集を締めくくったのは水にまつわる句だった。水という深いやすらぎへ還り、今後更なる進化を遂げるであろう彼女の句の世界。

豪華パネリスト陣と共に彼女の句の世界に大いに耽溺する『光聴』読書会、ご興味を持たれた方はぜひ下記にアクセスし、お申し込みいただければと思う。

ゴールデンウィーク中の5月2日に開催される。参加申し込みの締め切りは2021年4月25日いっぱい。すなわち、この記事が公開される今日である。

どんだけギリギリでこれ書いてるんだよという感じだが、ひとりでも多くの人に最後のお願いが届けばいいなと思う。

『光聴』読書会の詳細 >>
https://twitter.com/kocho_read/status/1375016065462198279



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