2021-06-27

若林哲哉 『光聴』選句譚 〔岡田一実『光聴』特集〕

〔岡田一実『光聴』特集〕
『光聴』選句譚

若林哲哉


「新しく句集を出すので、選句をお手伝い頂けませんか」というメッセージが一実さんから届いたのは、昨年9月の終わり頃だった。一実さんとは、かねてから連作を見せ合ったり、句座を囲んだりしており、その度に、言葉の微妙なニュアンスに拘る僕のことを、「言葉というものに繊細」と称して下さっていた。そうした視点から意見が欲しいとのことで、お声掛けを頂いたのである。当時の僕はと言えば、大学4年生で、丁度教育実習が終わり、これから卒論に本腰を入れようかという時。そのことは一実さんもご存知だったので、「忙しければ断って下さい」と頻りに言われたのだが、断ればきっと後悔すると思い、殆ど二つ返事でお引き受けした。

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それからすぐに、一実さんから、句集を編むにあたっての問題意識を伺った。一言で言えば、「『報告』の可能性を問い直す」こと。言い換えれば、「写生を基本としながら、『単なる報告』を超える」ことだ。COVID-19 を挟んだ期間の句を纏める上で、「記録の報告」という面を削ぐことなく、「表現」として俳句を見せたい、そして、原石鼎に代表される大正主観写生と、その流れを汲む客観写生を踏まえつつ、些末を恐れずに理想化前の事物を書き留めることが、その方法になるのではないか――このお話を伺った次の週に、一実さんからお送り頂いたのが、山口誓子の『遠星』。誓子が伊勢湾の近くで療養していた時期の句を纏めた『遠星』には、〈海に出て木枯し帰るところなし〉のような有名句の一方で、読んでいて手を止めないような句も多数収録されている。思い返せば、些末だと吐き捨てられるかも知れないが、それでも俳句として面白い俳句の追究が、『光聴』という句集だったのだと思う。

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選句の話し合いは、主に zoom を使用して行った。選句前の段階で、候補となる句が3000句ほどあり、選句をしながらも新作が増えていったので、母数は全部で4000句ほどだろうか。昼の13時から始めて、夜まで続く話し合いを何度も重ねた。収録するか否かは勿論、推敲もした。上手く言葉になれば絶対に面白くなると言って、一句の推敲に2時間ほど掛けたこともある。そういうときには一実さんも僕も疲労困憊だが、「選句が終わったらオンライン飲み会をしましょう」と励まし合って、一句ずつじっくり進めていった。また、一実さんが岸本尚毅さんに私淑されていることもあって、どうしても迷った時には、「心の中の全き岸本尚毅」に語りかけ、岸本さんだったらどう書かれるだろうかと頭を捻った。

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句稿が纏まってきた頃に、句集のタイトルについて話し合った。初案は「聴光」で、僕も賛成したのだが、書いた時の見た目や、口にした時の響きを考えて、最終的に「光聴」に決まった。悩ましかったのは熟語としての構成で、「光を聴く」と読み下すならば、目的語にあたる「光」は二文字目に配するのが一般的である。しかし、敢えて「光聴」とすることで、解釈の余白を多く残すことにしたのだ。そのまま「光を聴く」と読んでも良いし、「光が聴こえる」などと読んでも良いかも知れない。何にせよ、共感覚を喚起するようなこのタイトルが、一実さんと一実さんの俳句の魅力を伝えてくれるような気がして、これから完成する句集のことが、もっと大好きになった。そうして、12月の初め頃に、句稿が纏まった。

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句稿を纏めて一安心と言いたいところだが、句稿を纏めた後の方が、一実さんは悩まれていた。何事も、生み出す時には苦しみを伴うものだが、僕は『光聴』の最初の読者として、一実さんと一緒に悩み、励ますつもりでいた。とはいえ、悩みは尽きないものだ。

第一に、何度も何度も読んで、本当に句が面白いのか分からなくなる。僕でも少なからずそう感じたのだから、作者である一実さんは、尚のことそう思われたに違いない。

第二に、折しも刊行された鴇田智哉さんの『エレメンツ』が面白い句集で、一実さんが自信を失くされたことがあった。「やりたいことをロードローラーで均されてしまった気分」と仰る一実さんを、「鴇田さんは抽象画で一実さんは具象画、どっちも面白いです」、「一実さんは一実さんの俳句の山を登ってください」と励ました。

第三に、読者がどのような反応をするか悩んだ。例えば、〈紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉などは、恐らくヘテロセクシャルの女性と思われる作中主体が、男性の連れ合いを描いた句である。また、〈句を残すため中断の姫始〉は女性の性的主体性を描いた句である。これらの句を、例えばヘテロセクシャルではないセクシャリティに属する読者が読んだ時、あるいは、フェミニズムの視座から読まれた時、どのような反応が返ってくるだろうかと、一実さんは特に深く悩まれていた――実に悩ましいが、僕自身は、これは答えがすぐに出せるものではなく、何度も問い直して、考えを高めていくべきものだと思っている。

悩みながらも、「心の中の全き岸本尚毅」ではなく、本物の岸本尚毅さんに総合的な御意見を伺うと、「俳句がちゃんとわかっている人にはきっと注目される」との御返事があり、また、岸本さんがお書きになった帯文を読んで、良い句集になったと確信した。

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句集を出したことのない人間が、選句のお手伝いをするということで、どれほどお力になれるだろうかという不安もあったが、今、一実さんの元に届く反響の一つひとつが、自分のことであるかのように嬉しい。まだ『光聴』をお読みでない方は、是非お手に取っていただければ幸いである。

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