【空へゆく階段】№43 解題
対中いずみ
≫田中裕明 俳句探訪:詩と散文の違い
「青」第361号(1984年10月号)に掲載された、詩と散文の違いについての考察である。
文中に引用されている「それは音がない世界だった」にはじまる一文は、主人公の内山という名が見えるのでおそらく吉田健一の『金沢』からの引用であろう。
また、「詩の最初の一行は天上から与えられると言ったのが誰だったか」という一文は、裕明が愛した詩人・田村隆一が「最初の一行は神が書き、二行目からは詩人が書く―こういう意味のことを、フランスの詩人が云っていたのを、僕は少年の時、どこかで読んだ記憶がある。(中略)むしろ、ぼくの場合は、ひたすら、最初の一行を発見するために、詩を書くと云っても、けっして過言ではない。一遍の詩を読みおわって、冒頭の一行にもどる瞬間、その詩行が屹立し、全体の意味が鮮烈に問いなおされるような場合、ぼくはためらうことなく、それを「詩的経験」と呼ぶ。」と書いている。
また、「符合の効率(η)として(1-η)で定義されるもの」とあるのは数学でイータ関数と言われるもののようだ。
これらは裕明にとっては当然の教養の範囲だったのだろうが、その教養外の者たちへの配慮は全くみられず、遠慮会釈なく書き進んでいる。裕明は後年、話しことばそのままのようなたいへんわかりやすい文章を書くようになったが、執筆当時25歳の哲学的思弁に「青」の連衆は若干引き気味であったかもしれない。
この号には「新涼」6句を投じている。
新涼や本をさがして市の空
蓼の花御寺へあそびながらゆく
月出でてよりの数刻施餓鬼棚
山川に人の入りゆく施餓鬼かな
お施餓鬼のほとりになんの狂ひ花
淋しさを花火あかるきときに云ふ
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