【空へゆく階段】№45
瀧のメカニズム 季語探求・瀧
田中裕明
瀧のメカニズム 季語探求・瀧
田中裕明
「晨」第50号・1992年7月
み吉野の瀧の白波知らねども語りし継げばいにしへ思ほゆ 土理宣令
さざれ波磯越道(いそこしぢ)なる能登湍(のとせ)河音のさやけき激(たぎ)つ瀬ごとに 波多朝臣小足
水が激つというのと瀧という言葉は当然同じところから来ていて、万葉びとは瀧を「たぎ」と読み、水が急湍をなしたところを意味した。現在の我々が言うところの瀧は当時は垂水と言ったらしい。
石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも 志貴皇子
などは春の雑歌とされているが瀧の歌を代表とするにふさわしいものだ。
このように瀧という言葉あるいは瀧そのものは古代からあるけれども、夏の季節を表わす言葉となったのはずっと後世のことである。近世の俳諧ではまだ「夏の瀧」などとわざわざ言うことが多かった。
瀧をのぞく背をはなれゐる命かな 石鼎
滝の上に水現れて落ちにけり 夜半
など、瀧という季節について我々がまず思い出す句にしても、瀧が夏の季節として認知せられてから長い時間が経っての作というわけではない。逆にこういう作品が、瀧の季語としての魅力を定着していったと考えるべきでしょう。
瀧は信仰の対象として、たとえば熊野や吉野のそれはあがめられてきた。石鼎の作品の背をはなれゐる命にはそういう気配もある。とくに山深い人気のない瀧なれば、古代の神々に向かうような畏怖もしぜんな感情であろう。
夜半のあまりにも著名な瀧の句は、瀧という季語を俳句という文藝のなかに安定した相のもとに現在させたと言える。それだけにこの句を意識せずに瀧の句を作るのは困難だ。また俳句の方法の特徴的なひとつが、ある瞬間を切りとってさし出すことであることをあらためて教えてくれるのも、この句のはたらきである。
いま、瀧という季語が日本の文藝のなかでどのように変貌し、俳句の季語として我々が引継ぐまでになったかを一筆書にしてみた。
次にはひとりの俳人が瀧という季語と取組んだかを、波多野爽波という作家を例にとって見てみたい。
瀧茶屋の鏡に岩の映りをる (昭18)
瀧殿と言えば瀧を見るための建物で、寝殿造などでも泉殿に類するそれがあったと聞くが、この句は瀧茶屋である。瀧を見ずに瀧茶屋の鏡を覗くところなど、作者の方法のうちのひとつを示している。ただ、戦前の瀧茶屋であるし、現在の俗化したものと同じに想像すべきでないかもしれない。
瀧見えて瀧見る人も見えてきし (昭21)
大瀧に至り著きけり紅葉狩 (昭21)
こまごまと落葉してをり瀧の石 (昭21)
一句目は一見言葉のおもしろさで成立しているようだ。見ると見えるの言葉の違いを考えさせるようなおもしろさ。しかし一句の本意は瀧道と瀧のありようを単純化して描いたところにある。瀧見る人達より先に瀧が見えたというのは瀧の高さなり、瀧道の屈曲なりを意味していようが、それを目に入ってくるものだけを叙して描出した。
二句目の瀧は季語ではない。この句については作者の自解がある。虚子出席の句会で虚子と共に箕面の瀧まで歩き、句会の後、講評などをしない虚子としてはめずらしくこの句を誉めたのが思い出ぶかい。それによって写生というのは自然随順であるという教えを受けたというのがその自解のあらましだが、たしかに穏やかな晩秋の日和の感じられる大らかな詠いぶりである。
三句目の落葉は冬の季語ではあるが、実は句集ではこの三句が連続して配列されている。同じ瀧(あるいは同日の)が夏秋冬の三態で表現されているようで楽しい。
涸瀧を下りくれば禰宜坐りをり (昭52)
瀧を見て戻りの道の冬に入る (昭54)
第一句集の後、昭和三十年、四十年代は句集に瀧の句は見られない。この時期、飯島晴子の言う「爽波の放蕩」とも重なり、前衛に傾いていたと称せられる年代に瀧を詠んだ作品の少ないことは象徴的である。ここに揚げたのはいずれも冬の句であるが、冬の瀧の荒寥とした風景があざやかで、しかも二句ともにそれが眼前の景ではなく、いわばまなうらの風景であるところに興があろう。
爽波と京都というまちは特別な関係があって、嵐山の奥の清瀧へも幾度か訪れている。
清瀧や朝寝男の大聲に (昭56)
清瀧の雨にさまよひ黄蜀葵 (昭59)
清瀧に花札ひいてはたた神 (昭60)
清瀧はもちろん季語ではないが、芭蕉の句を持出すまでもなく、イメージの喚起力の強い地名である。この清瀧という世界の中で、多彩な運動を引起していることに驚かされる。連句の付合を一句で成立させたような面白さが、特に三句目にはある。
この瀧に水戻りたる子規忌かな (昭62)
作り瀧なれど雉鳩來るならひ (昭63)
はじめに見た瀧茶屋の句が作者二十歳の作であるのに対して、こちらは六十五歳の作。こうして見てくると、瀧の句についてはかなり調和した時空が感じられる。旱が続いても子規忌のころには水が戻るし、庭園の人工の瀧には雉鳩という自然からの使者がやってくる。いずれも円環がつながった気息を伝える作品である。その中で瀧はひとつのメカニズムとして軸のようなはたらきをしている。
爽波は「季語のかみくだき」と言って、本意を探ることを大切にしたが、必ずしも歴史をさかのぼってゆくというアプローチをとらなかった。この瀧には石鼎のような畏怖はないだろう。また、夜半のような瞬間的な剛刃はないだろう。しかし穏やかでしかも近代的な味わいがある。
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