2021-08-29

【句集を読む】人間の暗がりから世界を見る 照井翠『泥天使』を読む 小野裕三

 【句集を読む】

人間の暗がりから世界を見る
照井翠句集『泥天使』を読む

小野裕三


2018年秋から二年間、英国の美術大学に私は滞在した。渡英前から、311へ注がれる英国や欧米の視線はどんなものかが密かに気になっていた。それで言うと実は、滞英中に繰り返し目にしたひとつのアート作品があった。フランス人の現代アート作家、ピエール・ユイグ氏による映像作品「ヒューマン・マスク」は、311が生み出した現実をグロテスクなほど諷刺的に抉りだすもので、日本における311への視線とはかなり異質のその作品が広く英国で注目されていた事実はカルチャーショックでもあった。

福島原発事故後の荒廃した町にある、無人化した飲食店がその作品の舞台だ。そこにいる人間の仮面を被った猿は、調教されていたようで、廃れた店内を行き来し、酒瓶を取り出して座敷の無人のテーブルに置いたりする。無人の店での、人間の仮面をした猿の、人間めいたその行動は、311に重くのしかかる強烈な問いを見る人の心に突きつける。

もちろん、一括りで311と語るのはかなりミスリーディングで、地震・津波という天災と原発事故という人災、という異質な側面がそこには混在するし、その二面性が311をめぐる言説を複実なものにする。そして少なくとも、ピエール・ユイグという現代アート作家の眼はもっぱらその後者に向けられた。

照井翠氏の俳句は、その対比で言うなら、もっぱら天災の方に向けられるし、その意味でユイグ氏の作品とは方向性が違う。だが、私はなぜだか、ユイグ氏と照井氏の作品世界に、同質な何かを感じる。それは言ってみれば、「人間の暗がりから世界を見る」ような感覚である。

 紫陽花やあの人のゐる青世界

人間という存在がどうしようもなく抱える「闇」があって、それはできることなら気づかぬまま一生を終えてしまいたいようなものだ。だが、ユイグ氏も照井氏も、目を背けずにその闇を直視する。それは人々の中にあり、かつ自分の内にも潜む闇でもある。勇気を出してその闇に降り立つことで、初めて見えてくる世界がある。その感覚を、この二人の作品は共有している。

この句集は、311から時間が経って作られた句や、より日常的な旅先の句なども含む。だが、いったんあの「人間の暗がり」へと降り立ったからだろうか、あの日以降の照井氏の句にはどれも不思議な迫力が宿る。

 地の影も染みも人間原爆忌

この十年間に日本で詠まれた多くの震災詠と照井氏の句群はどこか異質だ、と感じてきたが、そんなことも理由かも知れない。あの日以後彼女が探り続けた俳句群は、フランスの現代アート作家が鮮烈なグロテスクさを持って世に問うた311と同じ地平に立つ。

 かつてここに人類ありき犬ふぐり


(『現代俳句2021年6月号』より転載)




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