2021-11-21

【句集を読む】花爛漫、ばさら爛漫 甲斐いちびん句集『ばさら』の一句から 岡村知昭

【句集を読む】
花爛漫、ばさら爛漫
甲斐いちびん句集『ばさら』の一句から

岡村知昭


大いなる物語消しなされ桜植えなされ  甲斐いちびん(以下同)

「大いなる物語」とは、一句の冒頭からなんとも大きく出たものである。よく言えば大胆不敵、厳しく言えば大雑把。句会に出されたら「『大いなる物語』とは何のことですか?」との質問が出席者から続出するのは間違いなく、そのわからなさゆえに互選の際には避けてしまって無点に終わる、との結果となってしまう可能性は高い。だが作者は句会での結果にはあまり頓着しないで「さあいったい何のことでしょうねえ」と満面の笑みを浮かべながら、出席者からの疑問をはぐらかしてしまいそうなのだから悩ましい。

改めてこの一句と向き合ってみる。「大いなる物語」を読み解く手掛かりとなりそうなのは「消しなされ」だろう。大いなるも何もない、こんな物語など消えてなくなってしまえ、との叫びからは、世にあふれる災厄のたぐいに対しての怒りや悲しみの感情がうかがえる。新型コロナウイルスによるパンデミックはまさに現在進行形で世界を揺るがす「大いなる物語」であるし(「涅槃西風はやくコロナを飛ばしてくれ」と悲鳴をそのまま一句にするぐらいに)、地球温暖化をはじめとする世界規模の環境破壊もまた現在進行形の「大いなる物語」だろう(「三月の海ゆく箱のおびただし」は東日本大震災による大津波がモチーフだろうが、海を埋め尽くさんばかりの膨大なプラスチックごみも想起させる)。

自分と世界に襲い掛かってくる現在進行形の「大いなる物語」の数々に対して、いったいどのように向き合っていかなくてはならないのか。この一句ではその問いへの答えとして「桜植えなされ」が提示される。絶望に震えず、希望に頼らず、まずは桜の苗木を植えることからはじめようではないか、と呼びかけるのだ。ここには「それでもリンゴの木を植える」というどこかの国の格言のような強い決意と諦念がここにはある。そう、花が咲き誇るためには、木がなくてはならない。桜を愛でるだけではない、爛漫の桜をもって「大いなる物語」と対峙するべく、まずは桜の木を植えようではないか。十七音を通じての呼びかけは、切実だ。

冬木の芽ばさらさらばと目をさます

夕桜ばさらばさらと暮れてゆく

植えられた桜の木は少しずつ育ち、いつか大樹となるであろう。春夏秋冬を何年、何十年、ときには何百年と過ごし、冬木の芽の頃に力を蓄え、春本番に、花爛漫のときを迎える。だがそのころには、桜の木を植えた本人は、この世からはとっくにおさらばしているだろう。もちろん、自らが植えた桜が花爛漫のときを迎えている様をこの眼で見届けられないのは、百も承知での「桜植えなされ」なのだ。「ばさらばさら」と咲き誇る夕桜を想いつつ「ばさらさらば」とこの世を去るとき、その顔には満面の笑みが広がっているのだろう。わが人生、不条理極まる「大いなる物語」の数々には、決して負けはしなかったぞ、との確信とともに。


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