2022-01-30

【空へゆく階段】№57 読書室:日本語を教えよう 大野晋・丸谷才一・大岡信・井上ひさし著『日本語相談一・二・三・四』(朝日新聞社刊) 田中裕明

【空へゆく階段】№57
読書室:日本語を教えよう
大野晋・丸谷才一・大岡信・井上ひさし著『日本語相談一・二・三・四』(朝日新聞社刊)

田中裕明
「晨」第45号 1991年9月

国語算数理科社会という。国語とは日本語のことだ。それでいて日本語と国語とは違うもののような印象がある。学校で習ったのは国語であって、日本語ではなかったような気がする。イギリス、フランスでは寡黙に国語というのはなくて英語、フランス語があるだろう。ちょっとしたことだが、大切なことのように思える。世界の何百とある言語の名の一つとして日本語を考えることだ。

日常生活の中で言葉を使っていて、日本語を使っているという明確な意識は持っていなのが普通だろう。たとえ俳句をつくる場合でも、いま日本語を使って俳句を作っているという意識は希薄であることが多い。水や空気のように身近にある日本語だが、この日本語について何か疑問を持つと、それが基本的であればあるほどその答えは見つからない。自然科学でも問いが本質的であればあるほど答えにくいのと同じように。

そんなときにうってつけの本がある。これは当代の言葉の達人が一問一答形式で日本語に関する疑問に答えた本である。たとえば、

問 「虫」のつく用語はたくさんあります。「泣き虫」「弱虫」などとか。また「虫がいい」「虫が知らす」とか、「水虫」「田虫」などなど、どういう意味があって使われているのでしょうか。ちなみにわが家には「甘え虫」「くっつき虫」がいます。

という質問に対して丸谷才一さんが、「中国の道教では、人の体内に三匹の虫が住んでゐると考へました。」と説きだして答えている。「そして庚申の日の夜には眠つてゐる人の体から抜け出して、その人の犯した罪を天帝に告げる。そんなことをされてはたまらないので、庚申の夜はみんなが集まつて、夜どほし眠らないで遊んだ。平安時代の人々はこれを庚申待と言ひました。」庚申信仰と虫の知らせが係わりがあったなんて知らなかったなぁ。「虫が好く」「虫が嫌う」という言いまわしも同じで心をつかさどる虫のせいにしたのだという。

こういう、いままで少しは疑問に思ったことのあるような事柄で、それでいて真剣には考えなかったようなことにたいして明解に回答が与えられているのを読むのはたいへん気持ちのよいことだ。

それに回答者となっている四人がまことにふさわしい人達である。国語学者(日本語学者?)、小説家、詩人という顔触れも現在考えうる最高の取合わせだろう。この本は週刊朝日に連載されているコラムを収録したものだが、この欄を企画した人は編集者としてたいへんな才能がある。単行本にして四巻、さらに連載が続いているというのがその証左である。読者にも受け入れられているのだ。

ただ小説家だからといって、また詩人だからといって、ひろく日本語に関する疑問に答えられるわけではない。いつも自分が使っている日本語に対して意識的であることが大切だろう。丸谷さんや大岡さんが批評家としても名が高いことも、このことと無縁ではないように思える。

またこれはしごく当然なことのようにも思えるし、僥倖のようにも思えるが、この日本語相談に寄せられた質問はかなり質が高いのである。たとえば、

問 文語文と現代文とで、形は同じようで意味が大きく変わっている言葉は「うつくし」「をかし」「あはれ」など、形容詞(形容動詞も含めて)に多いように思われます。これは何か必然的なわけがあるのでしょうか。考えてみると、今の若い人達の言葉でもっともわからない(ついていけない)ものも形容詞のようです。

これなどはなるほどと思わず膝を打ちたくなるような疑問である。回答者の大野晋さんもまずはじめに「質問をお寄せの方は、なかなか言葉の感覚が鋭いとお見うけします。」と書いている。

言葉にも変化の早い種類、遅い種類があって、一番安定していると見られるのは動詞である。人間の動作そのものが変わらないので、それを表す言葉も古来同じなのだ。次に安定しているのは名詞である。ただし名詞は新しいものの誕生によって増えたり、古いものは消えたりする。その次にあまり変わらないのは物の状態を表す形容詞、つまりク活用の形容詞である。長い、広いなどがそれ。同じ形容詞でもシク活用の形容になると比較的変化が速い。シク活用の形容詞はうれしい、さびしいなど、情意を表すものが中心だから、主観的な言葉で、言葉と客観的な対象との結びつきがゆるくなる。それだけ意味のずれが生じやすいというのが大野さんの答えである。これに合わせて以前古典語の単語で現代も同じ意味で使われる言葉がどれだけあるか調査したデータが載せられている。周到とも言えよう。

このク活用の形容詞が物の状態を表し、シク活用の形容詞が情意を表すというのも初耳だが、これについては別の質問の解答でやはり大野さんが書いていた。大野さんの研究室の学生が発見した事柄だそうだ。ク活用とシク活用の形容詞を分類してそれに共通する特徴は何かと考えた成果である。その学生は若くして病気でなくなったそうだが、このエピソードからも知られるように、わりあい基本的な知見もまだ学説としては新しい事柄に属するようだ。そういうことも日本語を取巻く知識として興味深い。

この本についてしいて不満を述べれば著者の中に関西出身の方がいないことか。何となく関西の言葉にたいする同情が少ないような気がする。もちろん著者たちに地方の言葉にたいする偏見などはまったくないのだが。

巻末に揚げられた四人の著者による座談会も面白い。ワープロが日本語に与えた影響や、大きい字引の引き方、あるいは日本語相談の失敗談など興味は尽きない。

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