【空へゆく階段】№61
遺句集ふたつほか 光茫七句
田中裕明
「晨」第70号(1995年11月)
水澄むや紺地を縫ふに紅き糸 吉本伊知朗
句集『壺折』(本阿弥書店)より。
妻の死前後と前書のある十句のうちの最後の一句。「涼みけり遺品を焼きしところにて」という淡々とした悼みの作もあるが、頭書の句はさらに清澄。まるで現実の世界ではない風景がひろがっているのだが、それが目にしみる。人間について、それも人間一般についてではなく、普遍なる本質に思いを促す。こういう句が生れることが恐ろしい。一連の作のうちに季節がうつるところがかなしい。
伊知朗俳句がこの第四句集にて大きな花をひらいたことはまちがいない。ただそれは人生の大事に直面してというよりも、もっと内面的なものである。近作に触れて漠然と感じていたことが、句集を読んではっきりと判った。
急襲といふものに死と木の葉雨 近藤潤一
句集『楡の枝』(角川書店)より。
遺句集を読んで、いまさらながらに作品の精神のありように、この世からなくなったものの大きさを知る。
俳句は死をうたうのにふさわしい詩型なのかどうか。しかし親しい人の死に際して、わたしたちはほかに悼むすべを知らない。「巨いなる死を頒ちをり炎天下」「沙羅残花われには無二の人なりし」ほかにも逝去を詠んだ作品がある。言葉が純粋なものになる。無二という言葉が美しい。頭書の句も、死を前にしてただ茫然としている、なまの人間がいる。
自身の死を遠くまた近く予感している句集である。
はるかなる天動説や畑を打つ 坂本宮尾
句集『天動説』(花神社)より。
作品は英文学者で学生のころ山口青邨に師事。あとがきに「出会ったばかりの俳句という簡潔で力強い詩型にたちまち魅了されました。可能なかぎり多くのもの、とくに俳句の素材とはされてこなかったものを無理に小さな詩に詰め込もうとしたものです。」とある。
掲出の句は句集の掉尾のもの。ならば俳句にたいする思いも、十数年間の中断を越えて貫通していよう。オーウェルは詩人の条件として二つ以上の言語を自由に操ることをあげていた。日本語という風変わりな言葉の、しかも短い定型詩にかかずらう者にも必要かどうかはわからない。しかしこの天動説の句の自由さにはそういうことも感じられる。ほかに「いつの世も暴君のあり龍の玉」なども。
なまぬるき西瓜提灯抱き戻る 後藤綾子
句集『一痕』(角川書店)より。
もう作者はこの世にいないのだが句集の頁を繰ると、大阪ことばの肉声が聞こえてくる。「とくとくの真清水化けるまで生きな」など作者自身の言葉と古典とが良い整合を見せている。二つ以上の言語が詩人の条件、と言っても、古典のことばと現代の関西弁というのだってかまわない。
掲出の作者は「なまぬるき」が微妙。
これだって作者の老いにたいする意識だと取れないこともない。西瓜を食べたあと上手に刳貫いて提灯とすると言っても、子どものすることではなく、一人の晩年をあらわしている。
百千鳥いづこの水も濁りたる 黛 執
句集『朴ひらくころ』(角川書店)より。
黛氏の農のくらし、村のくらしを詠んだ作品にはゆったりとした抱擁力がある。それもこの第三句集に至ってずいぶんと自在さを加えてきた。たとえば「子が駈けて転んで春がすぐそこに」の楽しさは現在の俳句の世界では目を引こう。
掲出の句は季語のもつ風趣を拡大することで、宇宙をひろくしている。いづこの水という無限定の限定がみずみずしい生気をもたらした。
永作火童先生逝去と前書のある二句のうち一句、「さなきだに朧の深き夜なりけり」は絶唱。しかも俳句作品として読者にしみじみと浸透する力に満ちている。
老鶯のこゑ撥ね返し岩畳 鷹羽狩行
句集『十一面』(立風書房)より。
集名は、これが作者の十一番目の句集であることにちなんでいる。あらためて第一句集『誕生』以来の多くの作者群を思わずにはいられない。正直言って、数年前まで狩行俳句の良い読者ではなかったが、いまはその作品に現代俳句の典型を見ている。
掲出の句のおもしろさ。
あまり複雑なことは言わずに季語の本意を表出している。
自人わが死を想定す蓬摘み 永田耕衣
句集『自人』(湯川書房)より。
集名について、「『自人』、おそらくコレもワガ悪癖の造語に違いない。ミズカラが人(ジン)であり、オノズカラ人であることの恐ろしさ。その嬉しさを原始的に如何に言い開くか。」とある。永田耕衣においては葱が置かれてあること、白梅の咲くことがすなわち「生死」の世界である。また自らの死もそれらと異同はない。
巻末に近い、神戸の震災直後の「親切品」と題された一連の作も「白梅や天没地没虚空没」など平気(・・)の作品である。読者に与える感興を言葉にすることがむずかしい。いっそ宗教に近い何かと言えばよいのかもしれない。
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