【句集を読む】
牛乳と夏蝶
遠藤由樹子『寝息と梟』の2句
西原天気
牛乳にまつわる有名なエピソード、あの、コップを満たす牛乳の中に豆電球を仕込んで白さを際立たせたヒッチコックのエピソードを思い出すたびに、牛乳=白、という等式がアタマの中で補強されるので、
冬の薔薇牛乳よりも静かなる 遠藤由樹子
という、一読明瞭というわけではない、つまり難解さを含んだ句を読むとき、比較の片っぽうの牛乳は、まず何よりも〈白さ〉をまとった存在として、冬の薔薇に対照される。これは私個人の事情に過ぎないというわけでもないだろう。この句における牛乳の〈白さ〉はかなり強烈だ。だって、飲むわけでも注ぐわけでもないのだし。
かといって、この薔薇が白いと決まったわけでもない。一輪にせよ一叢にせよ、白と限らないさまざまな色を、イメージとして含有している。当然ながら、薔薇が牛乳よりも白いと言っているわけではないのだから。ここでは、音、あるいは佇まいが比較されている。
(いくつかの読みが可能で、《冬の薔薇/牛乳よりも静かなる》と切れを読む人は、「いや、比較などではない」と私の「誤読」を指摘するかもしれないが、《静かなる》ものが空白のまま、《冬の薔薇》を背景のような季語として扱う読みはしない、というが私の見解。倒置を含む一句一章と読んだ。すなわち〈牛乳よりも静かなる冬の薔薇〉と連体形を重視)
閑話休題。色から音へ。静けさを詠むのに、あえて聴覚的要素の希薄な《牛乳》が置かれる。気持ちのよい距離感、心地よい比較。
さて、この句集には、もう一句、静けさを詠んだ句がある。
夏蝶がぶつかつてくるほど静か 同
夏の蝶が飛び、さらにはぶつかってくるという動的な景と、無音とを、ひとつづきの叙述、同じ空間に置いた。前掲の句と同じく、通り一遍の比喩や描写とは一線を画する表現と言っていいと思います。
《ほど》と言われても、すぐに腑に落ちるわけでない。わけではないが、次の一瞬には、深く納得する読者=私がいる。「これが白昼ってもんだよなあ」と、露光過多のなか、音が光の中に消えてしまったような「静か」を感じるのでした。
というわけで、集中、離れた場所にある(p8とp118)2つの〈静か〉句をアタマの中で並べて愉しんだわけです。
遠藤由樹子『寝息と梟』2021年5月/朔出版
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