2023-02-26

小笠原鳥類 極端な宇宙の妖怪 宗左近『宗左近詩集成』を読む

極端な宇宙の妖怪
宗左近『宗左近詩集成』を読む

小笠原鳥類


宗左近『宗左近詩集成』(北溟社、2005)は、この詩人の全部の詩ではない「自選」詩集(784ページ)。たぶん有名だった「ゆんゆん」「よんよん」「やんやん」の「宇宙の奥の宇宙まで」もあるのだが、しかし、ネットで読めるものと、この本に入っているものは形が違う。後者では、繰り返されていた「発信」「受信」「交信」という語が減らされ(残念?)、「ゆんゆんゆんゆんゆん」と長くつなげている……。「ああ 何のために地球はあるのか」。この本の最後の章「中句集」(俳句? 詩? その中間?)から、いくつかを引用して、思ったことを書いていく(詩の雑誌「歴程」No.535、2006・9号「宗左近追悼特集」に、短い文章「極端な宇宙の詩人」を書いています)。

河童かもしれない 自分がおそろしくなる小学三年生

魚の図鑑が鳥の図鑑になろうとする虫と、ハトと、壁の宇宙の星(ポスターと、クジラ)くらげ。ウニの科学が、カエルたちであるイモリと、サメが図形である線。そこであるスポーツ。いつも水泳とは、自転車だっただろう軟骨の思い出と、歯(とサバ、という魚。絵の具で洗っていた)干物……パンを見ているイカが、つばくらめだろう

飢えていない 金魚を天麩羅にして食べている

虎は、虫になっている朝の、テニスボールのような泡であるだろう貝。透明な、人間が、ハトを持っているから、帽子はウサギである象。映画は、ああ、イワシの群れと建物だ。いくつかの虫がある脚で、そこにシギがいるだろうと思えていると、お化けが、(わりあい)そのようであったと思う。エビがこちらを見て、テレビになりなさい

地球二つある夢を見てから 朧月

コンニャクが、クラゲである空気と、トコロテンと、クリーム(ドロドロの)、電気を出す。イグアナだろうペンギンが、縦になっている、紙だ。なぜだろう。鶴を次々に花と一緒に作っていたから、畳はテーブルであるだろうケーキ。お茶が、仮面である。小さいガラスを見ていた青。この虫をあげますよ、と金属に言われている自分が田

祈るとは地球から出してと唱うこと 大満月

あまり、イルカはスプーンであるタラではないだろう(ひよこも、ハトになるだろう小屋)。爬虫類の映画は、粘土なのだ恐竜と瓶と、バウムクーヘン。そのような白鳥や、ワニ(と、アンコウ)。このゴムでできた消しゴムが、クレヨンとプラスティックではないトマト。そこにゼリーはたくさんあるだろうヒトデ。土が見ているのは、木

雲 目をあけ 鰭そよがせて 春

ドジョウをガラスに入って見ているボーリングの球とは、長い銀色じゃないだろうかと水面を思って見ていると、これは木の葉だと思って小さい虫(泳いでいる)を食べているゲンゴロウのようなものだ、でもヤゴではない。窓となっているシーラカンスと、骨がありそうな人形が、木の棚のなかで、民(たみ)であるだろう。作曲家と南極

深海魚いるからには深空鳥 月の裏

鹿がレコード(ヴァイオリンとシール、紙)と、銀色と赤や青と、それから、コンパクト・ディスクとキャラメルになりたいな、箱に入っているバッタのような蝶だ。乾いているセミ。ポスターにいろいろな化けものが描かれるゴジラの絵の具。ドロドロなものを見ていれば、絵を描かなくても、ハーモニカだ。楽器は傾ければ、砂が、動く

浜九十九里 鴉九十八羽 きみ一羽

ニワトリがハトになりながらウルトラマンを見ていたテレビの数十分間、アメーバと巣も怪獣になる日だろう。そのような、カラーだった。カラスがたくさんいれば、カモメがたくさんいて、そして、チョウザメの池がサカサナマズだ……いろいろなペンギンの犬の映画がある氷の上で、金属のスキーの板が、テニスになり、トカゲは快適だ

いま鏡の裏からゆらめき昇る透明体

飲むと透明人間になれる薬があるなら、その錠剤が最初に透明であるべきだろう。そのことだけを、トラと呼ばれながらシラサギを見ていたツバメといる猫は言いたかったのだ(コウモリはそう言う)。この近くで、パンダガモ(ミコアイサ)と、スポーツをたしなんでいるクッキー(ビスケット)。乾燥しているナマコのスープは、ホヤだ

宇宙生誕百二十八億三千年 おめでとう

スズメがたくさんいる月と、お菓子。クルミを割って食べる屋根だろう、その口。その隣にあるバケツには、たくさんの塩と、たくさんのペンキが入っていた(ペリカン)。カワウソが、意外な生きものだ。チョコレート? そして、顔を塗っているから、いつでも動物と卓球(硬いテーブル、緑色)と、油をなめる妖怪が、サケビドリ科。

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