成分表89
一つ目
上田信治
(里2017年11月号掲載・改稿)
人間、目が二つあるのが普通で、三つは一つ多い。
三つ目のキャラクターと言えば、手塚治虫の「三つ目が通る」の主人公とか「ドラゴンボール」の天津飯とか、「幽遊白書」の飛影などが思い浮かぶ。いずれも賢げでシュッとしたメンバーだ。
修行をすると額に第三の目が開くとかいう話もあって、つまりそれは、イレギュラーな知恵とか能力の象徴なのだろう。
四つ目となると、あまりなじみがないけれど、追儺の行事で、鬼を払う方相氏がかぶる面が四ツ目だし「黄金バット」の敵役ナゾーも四ツ目で、こちらは悪の天才科学者という設定だった。
目は、四つぐらいまでなら、多いほど賢い感じがするものらしい。
○
日常、接していて、頭がいいなあと思うのは、話に思わぬ角度のついた発言を放り込んでくる人だ。
走りながらそのフィールドを俯瞰しているようなサッカー選手とか、水槽の外から魚に餌をくれるようにして話題を変えていく司会者とか。そういう人は、ちょっと「外」からものが見えていて、考えるより早く、それに反応している。
そういう運動神経にも似た知性は、人より目が一つ多くある状態、つまり、第三の目にたとえることができる。
○
逆に、というか、数の問題ではないかもしれないけれど、一つ目は賢そうに見えない。
怪談映画の一つ目小僧も、ルドンの絵の山のむこうから顔を出すキュプロクスも、意思疎通の出来なそうさでいうと、かたつむりとか、そのレベルの生きものに見える。
○
怪物を産み出す想像力は、この世の外にいるものをキャラ化する。
キャラ化とは「イデア以前」の何ものかを、対象化し、呼び名をつけ、物語化し、図像化し「知ってるアレ」にする働きだ。
一つ目は、おそらく、人間以前という領域をキャラ化して生まれた怪物なのだろう 。
見つめられたらどっちが怖いかといえば、三つ目より一つ目が圧倒的に怖い。
一つ目は、二つある目が一つ減ったのではなく(それだと普通に片目なので)のっぺらぼうに一つだけ目が開いたというキャラなわけで。
「虚無」とか「あの世」に目が開いて、こっちを見ていたら、それは怖い。
○
一つ目のような人はわりとイメージしにくいけれど、たまにある尋常でないほどすごい芸術には、一つ目の怪物と共通の何かを感じる。
言葉とか感情では説明不能な作品の凄みを「世界に目が開いてこっちを見ているような」と形容してみると、たいへんしっくり来る。
秋風や模様のちがふ皿二つ 原石鼎
皿は揃いで買うものなので、模様の違う皿でとる食事が落魄の象徴になっていることは、わかる。
しかし、宗教画が、後世その隠喩や文脈が脱落したあとでも、訴える力を失わないように、この句の「空っぽさ」と「味気なさ」と、それでも迫ってくる「美」の力は、理路をこえてただ凄まじい。
こういう句を書く人は、たとえて言えば、自分の顔のまん中に一つ目が開く感じを、知っていたのではないか。
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