ブラジル俳句留学記
〔7〕第14回全伯俳句大会
中矢温
去る8月20日、私は文協主催第14回全伯俳句大会に参加した。大会会場の雰囲気と各選者の特選は、後援の『ブラジル日報』の記事をご確認いただきたい。
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「第14回全伯俳句大会開催=席題総合1位が小斎棹子さん=「敗戦忌遠い記憶の鮮やかに」」(『ブラジル日報』、2023年8月25日、WEB版)(2023年9月5日最終アクセス)
今回は研究者の卵としてではなく、一人の俳句実作者としてうかがった。受付開始の8時ぴったりに会場に向かうと、もうちらほらと人が。ひとまず端の方に座っていると、「もっとこっちに来なさいな、清記用紙が回しづらいでしょう!」と参加者の方に声を掛けていただいた。「あなた随分若いわね、移民三世の方?」、「サンドイッチ作ってきたのだけれど、お腹空いていない?」、「黒糖飴は好きかしら?」と周囲の参加者の方々から質問や食べものをいただきながら、自己紹介が始まった。私以外の参加者は当然全員互いに見知っているのかと思いきや、本大会は「全伯」(=ブラジル全体)であって、普段句会が一緒でない方同士では、初めて会うという場合もあったようだ。かつコロナ禍で四年ぶりの開催とあっては、顔ぶれも変わっていよう。かつてはブラジルにも定期的に同人誌・結社誌を発行する俳句結社が多数あったが、現在は句会という形に変化しているように感じた(要調査)。当日は約四十名の参加者があった。物故者追悼の黙祷から句会は始まり、体調不良で欠席の方も数名いたと聞いた。二十四歳の私は最年少参加者であった。
句会場は温かな空気に満ちており、楽しい時間を過ごさせていただいた。
久しぶりに会う人、『ブラジル日報の』俳壇では見知っていた人々、亡くなった友人を詠んだ人、母の記憶を詠んだ人、AIについて詠んだ人、耳が少し遠い人、足が少し悪い人、お喋りが好きな人、娘が巣立ってしまった人、日本旅行をしたときの写真を見せてくたる人、字がきれいな人、出句の漢字を間違えてしまった人。この誤字を見つけたとき、思わず佐藤念腹の句が頭を過った。
誤字多き移民の投句瓢骨忌 佐藤念腹
この句と出会った2020年の読書メモによると、私はこの句を「念腹が上塚瓢骨(1908年の第一回移民船に同船)を偲びながら、かつ日本の俳壇を意識しながら、自分たち[ブラジル移民]のことを謙遜・自虐・卑下してみせるポーズ」と解釈していたようだが、今思うと無礼な読みだった。こちらブラジルに来てから改めて読んでみると、念腹は誤字を託ちながらもにこにこしながら句を選んでいるように思う。
会の進行上、選者以外の参加者が選評をする余裕はなかったので、ここで私のいただいた句に対して選評を述べたい。(各作者から『週刊俳句』上での掲載については許可をいただいたが、この記事のリンクをお送りする際の連絡先を伺うのを失念してしまったので、どなたか繋いでいただければ幸いである。)
野火猛る少年初の火消し役 広瀬芳山
「野火」とは畑や山を焼いて土を肥やすことである。農業移民として働いたブラジル移民の記憶に深く刻まれた季語だろう。ただし「野火」は一歩間違うと風に乗って煙や灰をかぶってしまったり、家屋まで延焼してしまったりと、危険を伴う農作業である。口を真一文字にきっと結んで、初抜擢に応えようとする「少年」の横顔が浮かんだ。(こちら芳山さんは先述した広瀬さんの俳号である。)
チューリップやさしき友の誕生日 田中美智子
この句もまた「やさしい」と思った。作中主体が「友」に抱くイメージや、「誕生日」に目に留まった花が「チューリップ」だったのだろう。しかしこの句は誕生をメモしたカレンダーを見ながら詠んだ句のようで、「友」に直接お祝いを言えていない感じを受ける。「やさしい」言葉しか並んでいないはずなのに、どこか少し寂しい。
征きし子は還らず母の終戦忌 吉岡しのぶ
「母」の「子」は、作中主体の兄弟であり、少し複雑なことを詠もうとしているように思えて目に留まった。「子」が「還ら」ないことによって、「母」の心のどこかではいつまでも戦争が終わっていないままなのではなかろうか。あるいは、「母の終戦忌」は八月十五日ではなく、戦死の訃報を知った日なのではないだろうか。選者の白石佳和先生が大会講評で述べられたことと重なるが、ブラジルでは「終戦忌」が春の季語になることに新鮮な驚きがあった。頭では分かっていても、やはりここは日本の裏側だと思わされた。吉岡先生は本大会の選者のおひとりであった。
生涯をめとる気もなく目刺焼く 吉岡しのぶ
この句の選句用紙を読んでいた一角では、「どのsoltero(独身)さんかしら?笑」との声が上がっていた。その「気」がないから娶らないだけだという詠みぶりには、柳のように飄々とした強さがある。このあとこんがり焼けた「目刺」を丈夫な歯でかみ砕く作中主体まで見えてきた。「め」の韻も心地よい。
以上四句をいただきました。悩みに悩んでいただいた四句でした。
皆さま本当にありがとうございました!
大会プログラム
昼食のお弁当。大変美味しかったです
[ポルトガル語版超要約]
Participei o concurso XIV de haiku do japonês no Bunkyo no Liberdade. Você pode ler introdução do artigo do Diário Brasil Nippou e uma foto no concurso.
https://www.brasilnippou.com/2023/230825-21colonia.html
(último acesso seis de setembro)
Meu visito foi não como ovo de pesquisador, mas como um poeta. Sou a mais nova entre 40 participantes. Todos me receberam com comidas, chá quente, café e obras de haikus muito interessantes.
No concurso, cada participante tem o direto de votar haikus dos outros.
Eu escolhi estes quatros haikus. Minha habilidade como tradutora é muito ruim mas gostaria de mostrar cada atração do poema curto.
野火猛る少年初の火消し役 広瀬芳山
Nobi Takeru
Syônen Hatsu no
Hikeshi Yaku
Fogo no campo para nutrir o solo
O menino como um bombeiro
Pela primeira vez
Autor: Hôsan Hirose (Traduzido por Nodoka Nakaya)
チューリップやさしき友の誕生日 田中美智子
Chûrippu
Yasahiki Tomo no
Tanjôbi
Tulipa:
Hoje é o aniversário
da amiga simpática
Autor: Michiko Tanaka (Traduzido por Nodoka Nakaya)
征きし子は還らず母の終戦忌 吉岡しのぶ
Yukishi Ko há
Kaerazu Haha no
Syûsenki
No campo de segunda guerra
A criança morreu
O fim de guerra de minha mãe
Autor: Shinobu Yoshioka (Traduzido por Nodoka Nakaya)
生涯をめとる気もなく目刺焼く 吉岡しのぶ
Shôgai wo
Metoru Ki mo Naku
Mezashi Yaku
Não tenho a pensa
Do Casar toda na vida
Grelhando peixe pequeno
Autor: Shinobu Yoshioka (Traduzido por Nodoka Nakaya)
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