2023-09-17

竹岡一郎 私とは地獄

私とは地獄


竹岡一郎


世は地獄よし原すゞめほとゝぎす  原石鼎

何処までも続く此の世を、果てしなく飛んでゆく不如帰には、いつまで追いかけても見失わないだけの地平が広がっていなくてはならない。地平の果てに、いつも黒雲がある。彼方では、既に驟雨が降っている。雨の匂いが、こちらまで漂ってくる。それとも鉄錆の匂いなのか。吐く血で虚空を染めながら、不如帰が今、驟雨の下へ突入した。

てっぺんかけたか、と鳴く時、私の天辺である首は落ち続ける。その度に身を屈め、首を拾ってはまた駆ける。

何もない地平を駆ける間は、飛ぶ影を見失う事がない。不如帰の叫びが人声に聞こえるのは、私の思考を叫んでいるせいだ。追わねばならぬのは、叫びを阻む為か、聞き続ける為か。私のものでない言葉が、私の思考として降り続いているなら、思考をまとめる余裕なく駆けている今の私は、帰らざるが如き声の断片か。糸紡ぐように巡る息の、持ち重る怨霊の集積。

血とは魂、言葉とは思考。不如帰が叫ぶ言葉は血によって枝分かれる。血は雨に、一旦切れてはまた繋がる。血泥の地平と地獄の地平が繋がってはまた切れる。その度に不如帰と私は重なり離れる。降り継ぐ言葉と私の思考とが、咎の響きに似て、重なっては離れる。

この雨は果たして白雨か、或いは紅の雨、血の雨、魂が降る結果としての雨か。雨は地を囃し、葭原の広がりを煽る。嬌声と、喘ぎと、喀血と腫物のほむら渦巻く廓を望んで、葭はあかあかと茂り揺らぎ、葭原雀を産み継ぐ。地を蹴っては虚空に散らばり、声を刃と降らせる嘴達。

初めは彼方に、今は真上に在る黒雲が、葭原雀の犇く影だ。その雨音は、魂が地平を抉って発する音であり、私の思考が言葉として鬱血した証、かくり世からうつし世まで尾を引いて泡立つ航跡でもある。

意味を為さない嬌声と喘ぎが、その真下を突っ切る不如帰の言葉に濾されて紅く降り注ぎ、私の肉を鋭く削ってゆく。それを雨と呼ぶのを肯う。

雨が血が声が、まだ死なぬ、まだ死なぬと、その程度に繰り返し薄く削いでゆく半世紀。

私が削がれるのを愉しむ観客とは、私自身が細かく砕いた鏡、魂の気泡の極小までに砕き切った鏡の断片が抱く映像、即ち私の分霊の数だけの地団駄だ。雨とは足裏に砕け続ける鏡。観客即ち、ひとりひとりのお前である私。

摺足で進み出て、殺された事を告げるシテである私。「痩男」の面を外そうとして躊躇う。この妄執を、殺され続けた無念と観れば、絶息の回数ほどには痩せ、露わに突き出る骨は捩じれゆく錐の形に、お前の眼を耳を舌を貫こうと震え出す。

お前に残るのは鼻腔一杯の血の匂いだけとなれば、骨は取り敢えず満ち足りた振りをして、此処である地獄以外の何処かへ、よろよろと向かうだろう。

だから錐が悪を為す前に、その先端からあまねく錆びさせ、自壊させ、骨を足止めせねばならぬ。

面を外した私の顔は、虚ろ貝だ。既にこの世の女陰としての肉は落ち、だが殻の内なる曲面は鏡ではないから、お前たち全ての顔は一旦消そう。雲間から注ぐ光に対して殻は虹を産むだろうが、今は血の雨、凝れば充血した陰として、銀色の虚ろに蠢く。

地獄を産む陰から剥がれ落ちるのは、帰らざるが如き私。紅く鋭い嬌声に囲まれ、とめどなく血を吐く。

蟬生まれ石ある方へ這ひにけり  原石鼎

ところどころ露わになった骨を観ていて、蟬が鳴く事に初めて納得がいった。大陸には「含蟬」なる副葬品がある。軟玉を蟬の形に彫り、屍の口に含ませる。ヒトのまま黄泉還るのを願うのではなく、ヒトよりも高く羽化する事を願う。だからこそ蟬は「痩男」の復活のあわれだ。

白い骨を彩る黝さ、それは無念の全貌を一息に示そうとする色だ。その骨は何を求めて、無間に皮膚を偽りつつ蟬の幼虫と化し、暁に染まる穴を這い出るのか。なぜ緑匂い立つ樹ではなく、眼前に在りながらも遙かに遠い石を目指すのか。

磐座でもない只の石に取りつき、斜めに身を起こそうとする。羽化の捩れる危険を冒してまで、己が背丈にも足らざるほどの石にしがみつく。地獄から隆起したままに凝り切った血の姿勢。

蟬の構造は外骨格であり、堅く黒い体は殆ど骨、蟬を輪切りにすれば中身は空だ。その洞を、翅に共鳴させて歌う為に、蟬とは閉じられた虚ろ舟だ。

肉削がれ白い骨となった体が、無念が、今や反転する。生ある時は内奥に閉ざされていた骨は、蟬としての復活に際して、その色を白から黒へと反転し、その位置を陽と風に曝される表面へと移す。そのようにして骨は、自らを無間から汲み上げる。陽の七色、あらゆる希望を混ぜた黒い骨。

ひとえに歌う為の反転だ。無造作に虚ろへ放り込まれたように、呆けたように、無念を告げんとする意志が廻天し、言葉を超え、羽搏きと囀りの空白を歌う。

蟬は地獄の鏡像なのか。削がれ切った最果ての、陽に灼かれ続ける硬い復活を、歌う事にのみ捧げるのか。陽が蟬を、更に炭の如く崩すにつれ、蟬の歌は、漆黒を翻した白の柔らかさ、ついに風の無色を求め、罅割れる。

顧みれば、私は地獄の領域。膚は地獄の国境、肉は地獄の獄卒、骨は地獄の城、神経は地獄の迷路、血は地獄の亡者。血は無数の無念の滾り。何処に長嘯なす余地があろう。

では、破地獄とは何か。地獄が、その形状はそのままに浄土と化すのが、我が解体か。私という地獄の領域が隅々まで光と化す時、蟬の抱く石もまた光と化す。

積まれては崩される石達の韻く磧も、幻の川を渇望する葭原も、川面にのみ映る巨大な廓も、地平の果ての黒雲までもが、ことごとく豊饒の稲妻を抱く。ようやく歪な羽化が始まる。蟬の咒が陽を裂くまで、待とう。

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