2024-01-28

ブラジル俳句留学記〔25〕砂丘句会 中矢温

ブラジル俳句留学記〔25〕
砂丘句会

中矢温


日本人移民による日本語の俳句会のひとつである「砂丘句会」に11月~1月の三回(12月は体調不良により欠席投句)お邪魔した。サンパウロ市内のサウデ駅から歩いてすぐの鳥取県人会の建物にて、毎月第一月曜日の13時から開催されている句会で、約40年の歴史があるという。移民俳句界における第一人者の佐藤念腹(さとう・ねんぷく)がブラジルで立ち上げた俳句結社が「木蔭」であった。その同人であった星野瞳(「子雷」主宰)が指導されてきた句会が砂丘句会で、星野氏亡き後、現在は小斎棹子先生と、コロナ禍以降広瀬芳山先生が指導されている。

『ブラジル日報』(2022年3月18日)にも砂丘句会についての記事があった。

私が砂丘句会に出席できたのは、この「ブラジル俳句留学記」の第七回で紹介した第14回全伯俳句大会(2023年8月20日開催(2023年8月20日開催)に参加した際に、砂丘句会のベテラン会員の児玉和代さんに声をかけていただいたことであった。私はとにかく若いという一点において大会にて目立っており、それが功を奏したと言える。

11月砂丘句会(2023年11月6日(月)の13~16時)

兼題「灯涼し」、「夏の蝶」、「羅」を含め当季雑詠8句出し。
参加者10名、欠席投句2名。参加費20レアル(≒600円)。
おやつ:チーズ味のポルヴィーリョ(マンジョッカ粉という芋でできたサクサクの麩菓子)三つ、おはぎ一つ、月餅一つ、コシーニャ(≒コロッケ)一つ、クッキー一つ、珈琲とお茶。(参加費とは別で、参加者のおば様たちが持ち寄りで準備くださっているとのこと。)

補足:11月3日の夜の暴風雨によりサンパウロ市内の木が多数倒壊し、電線が断ち切れ、停電が発生した。鳥取県人会は引き続き停電中だったが、天気に恵まれたため、会館の日本庭園脇での青空句会となった。

句会の流れ:出句から清記まで行なったあと、選句用紙に書いて、担当者に渡す形式。8句出し全96句で、10句選(特選1句並選9句)だった。選句を読み上げられると都度名乗りを行なう。披講が終わると、参加者は特選の弁のみ順に述べていく。各句に対する点盛は行わないが、担当者が参加者の名前を紙に書いて、下に正の字で取られた数を記録しており、最後にその点数により上位数名が発表された。

当日の句の紹介
足弱き夫に墓地は広すぎぬ  西森ゆりえ
花種や蒔く土持たず悲しめり  西森ゆりえ
水底に似たる茶房を出て炎暑  武田知子
羅の下に刺青朱の冴へて  広瀬芳山
地球より戦火は消えず夏寒し  小斎棹子

こぼれ話:短冊と清記用紙と選句用紙に加え、砂丘句会では『ブラジル日報』(ブラジルで発行されている最後の邦字新聞)の「ぶらじる俳壇」への投句用紙が配られた。砂丘句会を指導している小斎先生は「ぶらじる俳壇」の選者をされているため、句会の参加者は句会後に出句の中から選りすぐりを転記し、そのまま選者に手渡ししていた。皆さんに倣ってせっせと準備する私に、会計の太田英夫さんは「因みに新聞に掲載されても賞金も賞品もないんですよ(笑)」と冗談めいて耳打ちをした。すると児玉さんが、「我々は活字化されるだけで嬉しいんですよ、ね?」とにっこり笑った。「活字化の喜び」という言葉が私の心に響いた。それと同時に、もう日本人移民の俳句会に定期刊行本を発行する体力は、ほぼない といって差し支えないのかなという実感を得た。ポジティブにいえば『ブラジル日報』を見れば移民俳人の動向を垣間見ることができるともいえる。私たちの投句した句は約2週間後の、11月17日付の「ぶらじる俳壇」で掲載された。


12月砂丘句会(2023年12月4日(月)の11時~。
兼題「ナタ(ー)ル」(クリスマスのこと)、「端居」、「セルベージャ」(ビールのこと)を含め当季雑詠8句出し。
しかし前日に新型コロナウイルスの陽性となり、止む無く欠席となり、投句のみ失礼した。親切にも児玉さんが私の投句の結果を知らせてくださった。

体調は如何ですか?本当に残念でした、句会の結果をお知らせします。[中略]
伐採の予定の枝のリボンかな(2点)[中略]
以上入選しましたおめでとうございます。芳山先生より「佳句だが季語が不在」との指摘がありました。私たちの派は無季は許されないので、「夏伐採予定の枝のリボンかな」と添削し、「ぶらじる俳壇」に私の代筆で投句させていただきました。とても佳いお句です。体調にお気を付けられて一日も早く回復なさりブラジルの日々を楽しまれます様お祈り致しております。

「無季は許されない」とはなかなか強い言葉である。児玉さんからのご連絡の通り、私の句は「夏伐採予定の枝のリボンかな」として、12月9日付の「ぶらじる俳壇」で掲載された。そもそも投句時点であまり気に入らないまま出句したのだが、失礼を承知で正直にいうと、添削後の句もあまり個人的には好きだとは言い難かった。いつかどこかで読んだ結社誌である主宰が嘆いていたのを思い出す。選者による添削は俳句の「商慣習」の一つであるため、氏は選の一環として、会員からの投句に添削をして掲載することがあるのだが、その添削が「誤植」だとして、作者から編集部に連絡が時折来るとのこと。今回私自身恐らく初めての添削を経験したのだが、投句者の気持ちも、選者の気持ちも、何だかよく分かるようになった気がする。


1月砂丘句会(2024年1月8日(月)の13時~。
兼題「初笑」、「初鏡」、「去年今年」を含め当季雑詠8句出し。
参加者13名、欠席投句2名。参加費30レアル(≒900円)。
おやつ:太巻き二つ、かんぴょう巻き二つ、稲荷一つ、饅頭一つ、胡麻煎餅一袋、珈琲と緑茶(冷・温)。

当日の句の紹介
お降りやインカ遺跡にふりそそぐ  西谷律子
ソバと餅かかえて旅や去年今年  西谷律子
擬きなれどそばお節等去年今年  大塩佳子
樹は揺れて魚が応へる年新た  久保一光
陸奥の亡夫の里より賀状来る  小斎棹子

こぼれ話:一般に「コロニア語」と呼ばれる、移民一世の母語である日本語と、ブラジル現地でのポルトガル語とが接触・混交して生まれた言語がある。例えば11月句会で私が特選にいただいた「売り急ぐマンガ一山十レアウ」(太田英夫)はこのコロニア語の俳句と言えよう。マンガとはmanga(マンゴー)のことで、レアウとはreal(ブラジルの通貨)のことで、これらのポルトガル語の単語を片仮名発音に直して、それを日本語のモーラで数えて、五七五の定型に収めている。つまるところ、青空市場の終わりの時間になって、店側が急いでマンゴーを売っていて、それが一山で十レアル(≒300円)くらいというお値打ち価格になっていることを、俳句の定型に乗せて詠んだ楽しい句である。

実はブラジルに来るまで、私はこのコロニア語の俳句は、移民俳人たちは日本国内の俳人の詠む俳句との差異や独自性を考えるなかで、このような言葉の斡旋をしているものだとばかり思っていた。いわば戦略的な俳句だろうという仮説が自分のなかにあった。しかし実際には意図などなく、自然と生活に馴染んだ言葉であるのだ。砂丘句会にてある方が私に「そこのメーザ掛けを取ってくださる?」と話した。私は咄嗟にその場の状況からメーザ=mesa=机と分かり、机掛け=テーブルクロスと判断してお渡しした。するとその方は笑いながら、「あら、変な日本語を使っちゃってごめんなさいね、恥ずかしい……。ポルトゲース(注:ポルトガル語のこと)も全然話せないけれど、満足に日本語も話せなくって……。でもね、私たちは皆これでわかっちゃうの、不思議でしょう?」と悲しそうな、どこか誇らしげな顔をした。胸がきゅっとなった。

コロニア語の俳句の面白さだけでなく悲しいところも挙げるとすれば、まず一つに日本国内に在住の選者には分からないことが多いことである。二つ目にコロニア語俳句はポルトガル語を使っているものの、片仮名表記に直した日本語で書かれているので、ポルトガル語ネイティブのブラジル人が理解できる訳でもないことである。ブラジル日系社会のアウトサイダーでコロニア語俳句を楽しめるのは、日本語とポルトガル語の両方をある程度解する俳人に限られる。特に草花の句なら実際に咲いているところを見たことがあった方がいいだろうし、行事の句なら参加したことがある方がいいなどと更に注文をつけたくなってしまう。またなんでもかんでもポルトガル語に翻訳すればいいものでも、できるものでもないし、コロニア語俳句に対してこてこての注釈を都度付すのも少し違うのだろうなとも思ってしまう。なんとも難しい。

例として一句をコロニア語俳句として例に出したが、日本国内でこれまで参加してきた句会との差異を見つける方が難しいくらいで、私はブラジルにいることを時折忘れながら、ただただ句座を囲む時間を楽しんだ。砂丘句会の皆さん、ありがとうございました。

補記:
サンパウロ州の日本図書館(Biblioteca Japonesa)のあるサン・ミゲル・アルカンジョ(São Miguel Arcanjo)という地区でも、日本語による句会が毎月あるという情報を入手した。サンパウロ大学内の一つの図書館で司書さんと立ち話をしていたところ、自身がサン・ミゲル・アルカンジョ近くの出身で、また兄弟の妻が日系ということもあり、俳句を含め日本文化への興味関心をお持ちとのこと。早速連絡をしていただいたが、1月の句会はもう終了してしまったとの返答で残念だった。





O resumo em português

Em novembro e dezembro de 2023, participei da reunião de haiku escrito em japonês pelos descendentes ou imigrantes japoneses. Esta comunidade de haiku é chamada “Sakyû-Kukai”, Sakyû é dunas de areia e é o lugar popular na Provincia de Tottori no Japão. Todas as pessoas podem participar da esta reunião, mas o origem é poeta de haiku na comunidade de Provincia de Tottori. O lugar da reunião é também Associação Cultural Tottori Kenjin do Brasil. 

O procedimento da reunião de haiku no Brasil é igual dele no Japão. Antes da reunião, os temas de estação foram anunciados. Por exemplo, na reunião de novembro, participantes compõem haikus com temas “borboleta verão”. Cada pessoa leva oito haikus e escrita cada haiku no papelzinho sem nome do autor. Depois de misturar todos papelzinhos, a situação protege a anônimos e prepara para comentar aos e outros sem hesitação. Depois do tempo de selecionar favoritos e dar comentários, em fim os nomes de autores são publicados. 

Aqui no Brasil os poetas do haiku escrevendo em japonês é diminuindo por causa de envelhecimento da comunidade japonese. Mas este tempo é brilhando para vida alegria com identidade como um poeta. Esta reunião me deu a energia.

0 comments: