【週俳12月の俳句を読む】
身も蓋もない
近恵
それを持っていると、なんだか少しだけ大人になった気がするモノの一つに万年筆と単語帳。私も持ち歩いていた時期があったなあ、英単語帳。中学生の頃か。初めての英語の授業で、英語教師は地元訛りのイントネーション丸出しで「ジスイズアペーン」なんて言い、ネイティブの英会話など聞いたことがなかった私は毎朝ラジオの基礎英語のオープニングの音楽を聴きながらウトウトし、終わりの音楽ではっと目が覚め、結局英語が得意科目になる事はその後なかった訳ですが。
百単語つらぬくリング神渡 川田果樹
句には形状が書かれている訳ではないけれど、そして百枚綴りかどうかもよく解らないけれど、とにかく沢山の単語(を書いたカード)をリングがつらぬいている。カードは捲るたびに後ろに回り、ぐるぐると永遠にめくり続けることができる。
一方微妙なのが「神渡」だ。季語の「神渡し」は陰暦十月の頃の西風をいう。 神々が出雲に参集する祭、神々を送 るために吹く風。すなわち秋の季語である。しかしこの10句は冬の句群でここにいきなり秋の季語が入り込むのは不自然。では「御神渡(もしくは御渡)」ならば冬の季語であるがこの句には「御」がない訳で、もしこれを敢えて外しているとしたら、この「御神渡」に有難みを感じていないとかあがめる対象としての神の仕業であるという言い伝えを単に自然現象として捉えているとも読める。
でもまあ意地悪な事は言わず「御神渡」としてこの句を読めば、ぐるぐると終わりのない単語帳のリングに対し、いずれ解けて無くなってしまう諏訪湖を貫く氷の亀裂の一本道の対比は、いつかこのリングもほどけて終わりが来ることを望んでいるのかもしれないという願望とも読めるのだ。
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竹岡一郎の『敬虔の乳』の42句、学の浅い私には読めない漢字が多く、更には聖書とか神話とか怪談とかそういうものがベースにあるようで、そのあたりの背景を読み取りつつの鑑賞も儘ならないという無学ぶり。結局自分に読み取れる言葉で作られている作品しか鑑賞できない。ああ我が知識のなんとうすっぺらなことか、、、まあ気を取り直して。
骨の手の忽と銭置く夜鷹蕎麦 竹岡一郎
夜中に市中を流している夜鷹蕎麦の屋台。その屋台へ骨の手が忽と蕎麦代の十文を置く。十文銭なので当然じゃらりではなくコツである。骸骨が恍惚で夜鷹蕎麦なんである。死んで人知れず朽ち果てた夜鷹の成れの果てやもしれぬ。なんて書きながら蕎麦屋で昼酒一杯やって、今まさに打ち立て韃靼そばに取り掛かろうしている私なのだ。蛇足ではあるが「韃靼」という言葉に反応した人の中には少なからず「ガラスの仮面」ファンがいると断言する。
雪兎月は和毛を与へたし 竹岡一郎
雪兎は手のひらでぎゅうぎゅうと押し固めて作られている。夜中ともなれば凍っているかもしれぬ。その雪兎に月が和毛を与えたいと思っている。雪の夜よりも冷たい月夜である。でも、よーくよく見れば表面に氷の結晶が小さく手を出していて、その集合体はあたかも赤ん坊の頬の和毛のよう。それは既に与えられているのだ。
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煙突のてつぺん点滅して寒し 村田篠
ゴミ焼却場とか焼場の煙突だろう。往々にして先端は寒いものだが、さらに点滅していると尚更だ。これは高層ビルのてっぺんでななく、やはり煙突のてっぺんなのだ。俳句らしい目の付け所だと思う。
黄色くてあたたかコインランドリー 上田信治
この句も俳句ならではの目の付け所。コインランドリーは乾燥機があるので大概あたたかいものだと思うが、更に黄色い。黄色と言われるとなんだか小さくて可愛いコインランドリーを想像してしまう。黄色効果。
亀固く蛇やはらかに冬眠す 岡田由季
亀は年中固い気がするが、それは甲羅のせいだろう。蛇はほぼ全身筋肉な訳だが、冬眠中に柔らかいのかというと調べてみたがよく分からない。でもきっとそうなんだろうな。冬眠中は余分なエネルギーは使わない訳だし。人間ももし冬眠システムが体内に備わっていたら、冬眠中はぐにゃんぐにゃんなんだろうな。
偽の木に金の林檎を吊る冬至 福田若之
ああもう身も蓋もない事を、、、。
■川田果樹 ペリカン 10句 ≫読む 第868号 2023年12月10日
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