2024-03-10

中矢温・郡司和斗 「ブラジル俳句留学記」振り返り03 修論の展望

「ブラジル俳句留学記」振り返り03
修論の展望

中矢温・郡司和斗


郡司●今回の留学は修論を進めるのが最大の目的だったかと思うのだけれど、どこら辺が一番進みましたか。

中矢●うーん、一番は資料収集ですかねえ。あくまでも収集であって、読んだとは言えないのが情けないところです……。

郡司●どんな資料を集められたんですか。ポルトガル語で書かれた俳句集とか?

中矢●そうですね、そういう俳句集も入手しました。私は結局一人のブラジル人の風刺作家に着目することにしたんですよ。彼が当時ブラジルでベストセラーの週刊雑誌に「ハイカイ」というシリーズ名で連載をしていて、その事実が凄く面白いなと思って。売れっ子作家で、毎週見開き二ページ絶対原稿を落とせないとなったときに、「ハイカイ」というシリーズでイラストと三行詩を添えて連載しようと普通は思わないよなって。だから彼がどういう書物や経路で俳句を知ったのかとか、何で「ハイカイ」シリーズを書こうと思ったのかとかを解明できたらいいなと思います。前提知識や背景も丁寧に書きながら。

郡司●なるほど。

中矢●そのシリーズの作品の意味内容は「野良犬は水たまりの月を舐める」とか、「知識人は知識をひけらかすのに夢中で熱々のコーヒーも冷めるまで放っておく」とか、「VIPは空港で自分を見送るおべっかたちが悪口を言っているのに気が付いていない」とか、凡そ俳句っぽくはないかもしれませんが、面白いよなと。でも色んな意味でこれまで評価されてこなかったんですよね。まずは掲載媒体が雑誌だったので、単行本より刹那的というか消費物として流れて行ってしまった感がある。あとは季語とか日本の「伝統」を作品内で則る傾向が稀薄だったので、ブラジルの日本文学研究者からも重視されてこなかった感があります。最後に彼は風刺作家として著名なので、何というか俳句作家としての側面はあくまでも彼の天才性を示す一つでしかないということですかね。俳句を書いていたことにこそ言及はされても、内容まで鑑賞や引用するような研究はほとんど……。で、まあ留学中にその人の膨大な作品のアクセス先の特定や、あるいは複写とか、そういうことだけで結構時間を取られましたね。良くも悪くも。

郡司●作品論で行くのかと思ったけれど、その前段階としてブラジルの俳句受容史も書くんですね。

中矢●そうですね、やっぱり珍しいテーマだからこそ丁寧に書きたい感じはありますね。

郡司●修論を本にしたりとか、別の場所で書いたりするときにも、前段階の説明は大切になってきますよね。

中矢●ああ、本にしたり連載したりはあんまり考えたことがなかったですね。修士課程を出たら就職するということに対して、研究者としての未熟性が引け目にあるのかも。まあそれは置いておくとして、私が悩んだのは、日本人移民の日本語俳句を書くのもかなりいいテーマなんだよなということです。実は書きたい移民作家もあちらで出会えましたし、インタビューもさせていただいたし、章立てもざっくり考えたんですよ。でもこれは自分ひとりでもするなと思って、未来の私の楽しみに残しておいてあげることにしました。

郡司●え、インタビューということはご存命の俳人なのね。

中矢●ですです。本当に貴重で、感謝に堪えません。現地の日本語の句会で出会えた俳人ですね。

郡司●そう、私が連載のなかで驚いたのは、ブラジルにも日本語の句会があるということでした。中矢さんはブラジルで句作することはあっても、俳句の集まりで見せるような機会はないと思っていたんだけれど、句会があるんだなと。私は日本にいるけれど、ここ新潟の方がむしろ詩歌へのアクセスに乏しいと思います。

中矢●ふふ、そうなんですね。移民俳人の皆さんは高齢化やコロナによる中止によって、どんどんなくなっていることを嘆いていたのですが、私は東京でもブラジルでも詩歌に恵まれた珍しい環境に身を置いていたのかもしれません。

郡司●結構俳人の方もいらっしゃるんだなあと。

中矢●そうですね、恐らく1960~70年代頃が移民俳句の全盛期だったかと思うのですが、そこらへんだと、ブラジルの新聞俳壇に投稿する、更にブラジルの結社誌にも所属する、加えて日本の結社誌にも所属し投句する、はたまた日本の俳句の賞にも応募するとか色々な熱の入れ方が、各人・各グループであったように思います。

郡司●ブラジルで日本語の新聞が発刊されていて、かつ俳句投稿欄があるということもまた素朴に驚きました。

中矢●確かにそうですよね。……ブラジルで移民俳人の方に伺った話で特に印象に残っているのは「移民しなかったら俳句はしていなかっただろう」という言葉なんですよね。移民して日本との繋がりとかを考えるなかで俳句に打ち込んだという……。

郡司●日本との繋がりを思ったときに、俳句が選択肢として出て来るんですね。

中矢●そう、それを伺って、収録冒頭で言及した「書くことの楽しさ」100%ではないんだなと、そうやって俳句の効能に対して素朴に喜んだり肯定したりは少ししづらいなと思いました。寧ろそうしてしまうと、暴力的な議論になるなと。

郡司●その方が日本に抱いているナショナルアイデンティティとかの話にも繋がりますよね。

中矢●そう、例えば私がお世話になった俳人のお一人である西谷律子さんの代表句に、〈吾子の国父母眠る国サビア鳴く〉という句があります。ブラジルという国は、我が子にとっては母国だし、父母が永眠した国であり、そこにブラジルを代表する身近な鳥であるサビアが鳴くよという句なんですが、移民俳句特有の重みがあるなあと。そういうことを無視して、「移民俳人の皆さんは俳句が大好きなんです!」みたいなピュアなことは簡単には言えないなと思いました。修論として書こうと思ったとき、私には背負いきれないものの大きさに少し怯んでしまったところはあるかと思います。

郡司●なるほど。

中矢●勿論俳句が好きという思いがないと、何十年も俳句を続けられはしないと思うんですが、そのきっかけが、「日本に帰りたいけど帰れなくて、それでも日本と繋がっていたくて」という気持ちだったとか聞いてしまうと、24歳の若造である私が、からっとさらっと書けるものではないなと。

郡司●なんだか切ないですね。ぬめっとどろっとしたやりきれないものがありそうです。

中矢●最後に纏めのようなことを言いますが、でもその移民俳句の一端を知れたことは確実にプラスだったし、他にも色々な機会にも恵まれたし、幸福な六か月間でした。この半年間の経験をね、私の残りの人生を賭けてどう引き受けられるかな、何かプロジェクトや企画として発展させられるのかなと苦しいくらい悩んでいますね。頑張りたいです。私が生きるうえでの個人的な支えとして追憶するには、余りに良い経験をさせてもらったと思います。

郡司●そう言いたくなるくらい良い留学経験だったんですね。私もその留学経験を少しおすそわけしていただけてありがたかったです。今回の振り返り記事のなかではカットされるとのことですが、マルコス(猫)の記事や観光地に旅行に行く記事なども楽しませてもらいました。留学も連載もお疲れさまでした。

中矢●こちらこそ本日はありがとうございました。一人で振り返るよりずっと楽しかったです。この約半年間楽しく連載できて、本当によかったと思いました。今回のスピンオフを含め読んでくださった『週刊俳句』の読者の皆さまにも深く感謝申しあげます。

郡司●ありがとうございました。(完)




0 comments: