成分表94
なつかしい
上田信治
昔のテレビは、子供向けスポンサーによる子供向け番組にあふれていたから、自分たちの世代はお菓子のCMソングをいつまでもおぼえている。
「キャン、キャン、キャンロップ♪」とか「ライオネスコーヒーキャンディー♪」とか。
五十代以上の方、ガラスのように透き通った、中にチョコのペーストが入った飴の名前をおぼえていますか? そう、あれは「チャオ」です。細かく割れた飴の破片で舌が痛くなるヤツ。
CMソングは「チャオ、チャオっと食べちゃお♪」。
どうでしょうか、なつかしいでしょうか。
「なつかしい」は、カップとボールの手品のように、目の前を消えたり出たりするものにまつわる感情だ。
かつてあったのに、今もうないものは「なつかしい」。もうないと思っていたそれが、再び目の前にあらわれたら「なつかしい」。
つまり「なつかしい」は、忘れていたものを思い出したときに起こる。
しかし、名前の出てこないあの俳優の名前が思い出せたとしても、また君かと思うばかりでなつかしくはない。
してみると、それは、形式と内容で言えば、より多く内容によってもたらされる感情であるらしい。
行くか帰るか春風の
空に吹くまで懐かしや (謡曲「羽衣」)
英語には「なつかしい」に一語で対応する言葉がないと言うけれど「さびしい」と訳されることの多い「I miss…」(私はそれを失くした)は「なつかしい」に近いと思う。
自分はそれを失くしていた、と気づくことの、かすかな痛みとそれに伴う甘美な感情を、日本人は至上の美味として愛好する。
なつかしい痛みだわ
ずっと前に忘れていた
(「SWEET MEMORIES 甘い記憶」作詞・松本隆)
「なつかしい」ものは、すぐまた消えることを前提にあらわれる。それらに触れるとき、人は、自分たちがいかに多くのものを失いつつ生きているかを思い出している。
だから大人は、小学生が幼稚園をなつかしがると笑うのだ。あなたたちは、まだ人生増える一方でしょう、と。
ところで小学四年生のとき眼鏡をかけるようになって、度が進まないように一日一回は遠くを見なさいと言われたけれど、人がはるけきものを思うとき、両目の視線は平行に近くなり、それは意識にとって現在にピントを合わせることからの解放となる。
緊張を解かれた心に流れ込んでくるのは、そのはるけき過去のすべてが失われた、という認識とも感情ともつかないもので、それは現在の自身の生命に対する愛惜というかたちを取る。
「なつかしい」とは、それではないか。
使い減りして可愛いいのち養花天 池田澄子
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