成分表95
装飾
上田信治
(「里」2013年9月号より改稿転載)
新しいかんじがする建てものは、見た目が軽い。
世界の新興都市に建つぐねぐねした形の高層ビルは、人をして「資本主義ってすごい」と思わせるけれど、あのでたらめな形象のビルの見た目の軽さは、重力と二十世紀的な都市景観、両方からの離陸をメッセージしている。
彼らはきっと、いつまでもニューヨークが世界の中心ではないと言いたいのだ。
あるいは小さな店舗などの、よくデザインされたドアや窓を軽く感じるのは、それを作るために引かれた線に自由さを感じるからだ。
才能のある人が楽しく引いた線は、都合とか常識の重力を振り切って軽い。
いっぽう、町に建つ住宅は、装飾過剰に見えるものが多い。
外壁の色や素材が途中で切り替わっていたり、鉄製の柵が植物的な曲線を描いていたり。それらは総じて「ファンシー」という印象を与える。つまり夢見がちで子供っぽい。
もっとずぼっとした箱のような外見にすればよいのに、と思うけれど、たまに見かけるほんとうに「箱のような家」は、だいたいひどく鈍重で、家というより、トーチカか電気設備のように見える。
その装飾は、建物の何トンもの質量を、ふわっと覆い隠していたのだ。
○
ファンシーといえば、昔よく見た炊飯器や魔法瓶の花柄も、あの頃の台所家電の無骨さとか安っぽさを、ふわっと覆い隠していたのだと思う。
あの花柄は昭和の遺風で、その低趣味をよく揶揄されたものだけれど、住宅も家電も大量販売される商品であり、市場の選好によってそうなっている。つまり、そのファンシーさは、ひとびとの無意識の正確きわまりない反映だったはずだ。
いつの間にか家電売場から花柄はなくなった。けれど、今日的なシンプルで美しい家電には、より厳密な引き算のデザインが施されている。
趣味の高低に関わらず、人はみな装飾されたものを好むのだ。
○
では、なぜ人は装飾を必要とするのだろう。
それはきっと、装飾は「文明」だからだ。
○
ヒトの装飾の歴史は、旧石器時代あるいはネアンデルタール人まで、さかのぼることができるらしい。
彼らは道具を使い、死体を花とともに埋葬し、道具や身体に装飾をほどこした。そしてそこから何万年もかけて、テクノロジーとファンタジーの人間的領域がじょじょに拡張し、ヒトは人間になっていった。
たとえば平安時代のお貴族さまが辺境の地にあらわれたら、下人としての自分は、訳もわからずありがたいと思っただろう。
その姿は、光輝あふれる「文明」の顕現であり、自分たちの悲惨な生の対極にある。
その光に近づくことは、動物のようにではなく人として生きるため、絶対的にいいことなのだ。
若者が好む(というのも雑すぎる言い方だけど)雑貨やカフェは、その価値の大半をデザインが担っている。
あのお洒落さや可愛さもまた「文明」の光であり、人生を未決定の状態に置かれる若者は、その光の方向に引き寄せられ、救われたいと強く願う。
炊飯器の花柄は縄文土器の火炎模様の延長にあり、都市文化の象徴である高層ビルも小洒落たカフェも、さらには、すっと背筋の伸びた人が美しく感じられることや、誕生日のケーキにろうそくを灯すことにまで、装飾を求める人の心はつながっている。
○
いっぽう、芝浦あたりの、港湾近く倉庫が並ぶエリアに行くと、自分は無意識に緊張が高まりどっと疲れる。
豊洲市場の外観が、どこか荒涼としているのは、あの建物が「親しみ」をもたれることを、根本的なところで諦めてしまっているからだし、倉庫の思想で建てられた仮設住宅は、収容所にしか見えないものになる。
それらは皆、経済とテクノロジーだけがあって、ファンタジーが締め出された環境である。
それは「文明」の対義語である「野蛮」というものだ。
だから私たちは、それに模様をつけたり、ちょっと感じ良く整えたりして、自分たちの環境を、夢見がちな心の延長にするのだ。
向う家にかゞやき入りぬ石鹸玉 芝不器男
窓あけば家よろこびぬ秋の雲 小澤 實
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