龍太はなぜ、それを言ってくれないのか
上田信治
(「ku+ 1号」より改稿転載)
芭蕉の〈此秋は何で年よる雲に鳥〉は、飯田龍太がその俳論にもっとも多く引用した句だろう。
角川書店『飯田龍太全集』(全十巻)収録文中、引用はじつに十三回。〔1〕尋常ではない傾倒ぶりだ。
しかし、それだけの引用をしながら、彼は決して〈此秋は〉の句の良さを具体的に書かない。一回をのぞく全ての文章で、その良さは説明できないということを繰り返している。
彼はこの句を「それは言えない」と言うために引用しているらしい。
一方、龍太の(おそらく、もっとも有名な)殺し文句に「詩は無名がいい」がある〔2〕。
名句を説明しないことと「無名」を価値とすることは、彼の中で絡まりあって一つの俳句観を成しているように思われる。〔3〕
まずは、その理路を追ってみよう。
龍太においてすら、名句がいつも説明を拒否するわけではない。彼はその、ただ一回だけ〈此秋は〉の機微にふれた文章で次のように書いている。
むろん季節は秋季と解すべきだろう。(…)しかし、下句の調べにはこころの大きな屈折が見える。(…)その茫洋たる様にふるさとを求める一抹の甘美さを感ずる。このことはあるいは私の念頭から、春の季語としての「鳥雲に入る」という言葉がこの句を見るたびに思い浮んで、それを拭い去ることがどうしてもできないためかもしれない。(…)旅の秋空に故郷の暮春を思う。あり得ることではないか。(「悲愁の中の明るさ」昭和四五年)。〔4〕掲句の秘密に迫るすばらしい読解だ。
しかし彼はその直後「だが実のところ、私には句解の正否などどちらでもいいのである。解釈の深浅によって作品の高下など考えてもみない」と続け、その読みを取り下げてしまう。
「考えてもみない」とは、そうは思ったが認めたくないということだろう。この身ぶりは多くのことを語っている。
そもそも、高次元の了解を必要とする言葉が、作品の価値の源泉であって何がいけないのだろう。
あるいは、彼はなぜ「それ」を言ってくれないのか。
龍太は、名句とは、俳人に限らず「誰もが理解し得て誰のこころにも感銘共感を与える作品である」ということを繰り返し〔5〕述べ、それは「無意識に記憶を強いる」〔6〕ものであり、また「時を経れば、誰の目にも秀句は秀句として見える」〔7〕と断言する。
彼が挙げる名句の条件は、多くの人に記憶され、時間の経過に堪えること、さらに、そのために読者が一読、作品の感懐を自分の感懐にできることだ〔8〕。
それは、ひとことで言って愛誦性である〔9〕。
「愛誦」という概念は、たしかに、作者を必要とせず読み手を限定しない。
最高の読み手にも批評が不可能であるような句が、万人に理解され愛されること。そこに龍太は、文学の高踏性を拒む俳句の理想を見る。
しかし、それをすべての俳句の標準とすることは、芸術や技芸の世界の常識に反する。
スポーツを例にとれば、大衆に理解できるのは勝ち負けどまり、選手がしのぎを削るレベルの内実が分かるわけではない。
俳句も同様、大多数の判断基準は好きか嫌いかでしかなく、誰にでも良さが分かるのは例外的な大「名句」に限ってのことだ。
「解釈の深浅」によって、受容される価値は大きく異なる、それは龍太は百も承知のはずだ。
しかし彼が再三、名句は誰にでも分かると言い、かつその深奥を言語化することを拒むこと、あるいは俳句に個性は不要だと取れる発言を繰り返すこと〔10〕、「普段着の文芸」「日用の雑器」「日常心の所産」「木綿の肌着」といったフレーズ。
それらすべてにおいて、龍太は、俳句の価値判断一般が大衆的な基盤を持つ「べき」であると、誤読させる(そういうムードを醸成する)。
そして、どういうわけか、彼は、その俳句観を、ひっくるめて「無名」と呼ぶ。
彼が「無名」の呼び名の元に価値を称揚する句は、ほぼ、虚子、子規、芭蕉らの大有名句ばかりなので、その名づけは、ほとんど彼の、祈りとか願望であったようにしか見えない。
人の思想の根拠を伝記的事実に求めることには、パッとしない展開ではあるが、周知のとおり龍太には父・蛇笏と二代にわたる境涯上の挫折がある。彼らは、文学者として中央で名を上げることを望み、果たせなかった。
無名の価値をもって俳句の特殊性を強調することは、近代芸術のエリート主義(個性主義とも有名主義とも言える)を斥けることでもある。
彼の俳句観がその境涯に胚胎したという可能性に、留意する必要はあるだろう。
若い時に、名聞無用ということと同時に、耐える文芸として、俳句を自分の生涯の命の綱として考えるということが、私は、最近になってなるほどな、というある共感が生まれるんです。(「飯田蛇笏について」平成四年スピーチ)。〔11〕
俳諧とは(あるいは俳句は)本来布衣の文芸。今様に言うなら、肩書きを持たぬ庶民の詩。庶民とは名もなく、またそれを求めて得られない人々の意であると同時に、そこに充足のおもいを持った姿ではないか。(「詩は無名がいい」昭和四六年)。〔12〕
周知の通り、芭蕉も龍太も、とんでもない言葉遣いによって幻影を生む俳人だった。
〈此秋は〉の句には、ただ今と、全人生と、永遠の、三つの時間が一つの場面に描き込まれている。〔13〕
〈手が見えて父が落葉の山歩く〉は、自解によると実景だそうだが、こんな自分勝手な句が、個に執することなしに書けるわけがない。
以前、伝統系の若手俳人(複数)から「俳句に個性はいらない」という発言を聞いた。
また「いい俳句」とは何かを言挙げすることには、多くの俳人が、強い抵抗を感じるらしい。
そこに間接的にでも龍太の影響があるなら、そこには、なにか罪作りな誤解がある。
「いい俳句」とは何か。飯田龍太にそう聞けば、間違いなく適当にはぐらかされるだろう。
それが「俳句は自得の文芸」ということなのかもしれないが、今日、それを言わないこと、それを秘教化することは、長く続く俳句の無方向的(アノミー)状況の追認であり、それは逆に偏狭なエリート主義ですらある。
野暮は承知。真のエリート主義かつ大衆路線とはこういうことだろうと、本誌(※「ku+」)は今回の質問を広く俳人諸家に投げかけた(※本稿は「ku+ 1号」特集「いい俳句」の解題として書かれた)その問いと答が、諸家並びに読者諸氏の元にさらなる波紋を生むことを期待する。
注 巻数頁数は『飯田龍太全集』(全十巻 角川書店)よりの引用元。
〔1〕5巻 14・22・329頁 7巻 112・145・156・180・182・188・245・303頁 8巻 156頁 9巻 159頁
〔2〕のちに彼自身「(この言葉は)一人歩きをして、私の考えとは、いささか違った意味合いでしばしば引用される」と書くことになる。
〔3〕「むろん、俳句は言葉である。だが、ほんとうにいい作品は、作品が言葉から解放されている。同時に作者からも離れて自在に飛翔する」(「好尚一句」昭和四八年 7巻113頁)
〔4〕7巻 303頁
〔5〕7巻 237・255・249頁他
〔6〕5巻 258頁
〔7〕5巻 243頁
〔8〕5巻 21頁・7巻 105・197頁他
〔9〕「作品が愛誦されたら、もう作者は誰でもいい」(「詩は無名がいい」昭和四六年 7巻 106頁)
〔10〕5巻 207頁 7巻 112・236頁他
〔11〕7巻 327頁
〔12〕7巻 105頁
〔13〕頭上の雲と二重写しに、年が波のように「寄る」ことが見え、鳥は、下五の凝縮された語法によって現在に嵌めこまれ、永遠に静止している。(上田)
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