2025-07-20

鈴木茂雄【野間幸恵の一句】世界が再び

【野間幸恵の一句】
世界が再び

鈴木茂雄


昆虫の仕組み夜明けの音がする  野間幸恵

この句は、宇宙と生命の交差する静かな時間が織りなす一瞬をとらえた、深い余韻を残す作品である。朝霧に包まれた野辺に佇み、耳を澄ませば、夜がうすれていく音が微かに響く。そこには、昆虫の細やかな仕組みが、まるで宇宙の秘密を語るかのように、朝の光とともに息づいている。本句は、単なる自然の観察を超え、生命の神秘と時間の流れを詩的に凝縮したものである。

まず、「昆虫の仕組み」という言葉が目に浮かぶ。蜘蛛の糸が朝露に濡れて光を反射する姿、蟻が土を掘り進む微かな音、カブトムシが葉を噛むささやかな響き——これらは人間の耳には届きにくい、しかし確かに存在する世界である。野間はそこに目を向け、心を開いた。昆虫の身体は、複眼や羽、細長い脚といった精密な構造でできており、その一つ一つが自然の設計図の一部だ。朝の静寂の中でその仕組みが動き出す瞬間は、まるで世界が再び生まれ直す儀式のようだ。

そして「夜明けの音がする」のだ。言葉の響き自体が、柔らかく、どこかはかない。鳥のさえずりが遠くで始まり、風が草を揺らす音、露が葉から落ちる微かな水音——これらが重なり合い、夜が朝へと移行する境界を彩る。音は見えないが、確かにそこにある。野間はこの音を聴きとる感性を持っていたのだろう。夜明けは視覚的な美しさだけでなく、聴覚を通じて心に染み込む。静寂の中にある生命の鼓動が、詩の核として静かに脈打つ。

この句の美しさは、具体と抽象のバランスにある。「昆虫の仕組み」は具体的なイメージを呼び起こし、その背後にある「仕組み」という言葉が哲学的な思索を誘う。一方、「夜明けの音がする」は抽象的で、読む者に想像の余地を与える。野間は、過剰に説明せず、言葉の間にある空白に詩の深みを宿す。俳句は五・七・五の短い形式でありながら、その制約の中で無限の広がりを見せる。この句もまた、読むたびに新しい風景や音が心に浮かび、静かな感動を呼び起こす。

朝の野辺を想像してみよう。東の空が茜色に染まり、草の上に朝露が宝石のように輝く。その中に、蜘蛛が糸を張り、蟻が忙しなく動き回る。遠くで小鳥が目を覚まし、その声が霧の中を漂う。こうした情景は、野間の句が描く世界そのものだ。昆虫の存在は、人の日常から見れば些細なものかもしれない。しかし、夜明けという特別な時間に、その「仕組み」が音となって現れるとき、それは宇宙の調和の一部として尊いものに変わる。

野間幸恵のこの句は、静謐な自然の中で人間が忘れがちなものを思い起こさせる。現代の喧騒に慣れた耳には、夜明けの音は聞こえにくいかもしれない。それでも、野間の言葉は私たちを誘い、静かに目を閉じて耳を澄ますことを促す。昆虫の仕組みは、生命の根源的な美しさであり、夜明けの音は時間そのものの流れを象徴する。この句は、読む者の心にそっと触れ、自然と自分自身とのつながりを再発見させる詩的な贈り物だ。

さらに、この句には季節感も感じられる。朝露や夜明けは秋や春の情景を連想させるが、昆虫の活動が活発な夏の気配も漂う。野間は季節を明示しないことで、読者に自由な解釈を委ねる。こうした曖昧さが、俳句の魅力であり、野間の繊細な感性を示している。言葉は少なくとも、その背後には豊かなイメージが広がり、読むたびに新たな発見がある。

最後に、この句は静けさと動きの対比に宿る詩情が素晴らしい。昆虫の仕組みは動き、夜明けの音は静寂を破る。それらが調和し、一つの世界を築く。野間の眼差しは、細部に宿る美を見逃さず、それを言葉で丁寧に紡ぐ。読者はこの句を通じて、朝の野辺に立ち、昆虫のささやかな命と夜明けの音に耳を傾けることができる。野間幸恵の俳句は、静かな祈りのように、心の奥深くに響き続ける。

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