成分表96
脱ぎかけ
上田信治
(「里」2024年4月号より転載)
『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之が「脱ぎかけ靴下はキモチイイ」ということを書いていた。
それは、彼の原作の別の漫画で、部屋に一人でいる主人公が、脈絡なくそうつぶやくのだけれど「そういえば!」と、試してみると、たしかな気持ちよさがある。
きっと読まれている方は、状況が許せば、もう靴下をはんぶん脱いでいると思いますが、どうでしょう、気持ちよくないですか?
さらにもう半分ずり下ろしていただいて、赤塚漫画のイヤミの「シェー」のような、足に靴下がかろうじて引っかかっている状態にしてもらったほうが、分かりやすいかも知れない。
自分も今また、確認のため、靴下を四分の三まで脱いだけれど、やはりキモチがいい。
人間、こんなところに、まだ未開発の「開く扉」があったとは。
たとえば外国の人に教えてあげたら、日本発のライフハックとして喜ばれるのではないだろうか。それくらい、これは「発見」だと思う。
そういえば、思ったより暑くなった日に、着ているシャツや上着をがばっと肌脱ぎにして、その状態で歩くのも、似たキモチよさがある。
人間、どうやら、そのあたりに一段ゆるむ余地があるらしく、脱ぎかけ靴下や上着の肌脱ぎは、人を不意打ちでゆるませる。
不意打ちというのは、説明がつかないということで、それは、生命とかタマシイのレベルで、ということだ。
じゃあと言って、パンツまで脱いで裸になってみると、ワクワクはするけれど、キモチイイとは違うので、脱げば解放されるという単純な話でない。
靴下の脱ぎかけは「着ている」から「着ていない」という移行の状態の一時的な宙吊りであり、その感覚の「引き延ばし」でもある。
脱いでしまえば、それは単なる裸足だけれど「あ、あ、脱げる」という、途中の状態をサスペンドすることは、生物としては例外的な事態であり、そこに、言葉が追いつきにくいほどの情報量が生じる。
そのような、固定されない「あわい」の状態が、いちばん豊かだと思うので、自分は自分の俳句を、いつもふわふわと仮止めしたような状態で書きたいと思う。
くつしたのくたくたの月明りかな 上田信治
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