新 成分表 3
アボカド
上田信治
アボカドは、美味しいけれど、そうとう変なものだ。
日本人である私たちも、あれの味にはもう慣れたけれど、あれが、変なものだということは、忘れずにいたい。
アボカドは、植物の実だ。
植物の実は、動物に食べてもらって、種を拡散するためにある。
ところが、アボカドは、ヒト以外のほとんどの動物にとって、猛毒なのだそうだ。
あかんやん、と思うわけだけれど、むかし南米にいた巨大ナマケモノにとっては、アボカドは毒ではなく、食べてもらって、いい関係を築いていたらしい。
巨大ナマケモノは、体長5〜6メートル、体重3〜5トン。
人間が地球の支配種になるすこし前に栄えた動物で、とっくに滅びている。ヒトはいちおう時期がダブっている、というか、ヒトが巨大ナマケモノを狩でほろぼした。
アボカド的には、食べてくれる動物がリレーされて、ぎりぎりセーフであったらしい。
○
劇作家の別役実が、スパイは「神さまのおぼしめしにない」人間だと言っていた。
彼の戯曲「スパイものがたり」は、うわさのスパイが町にあらわれる話で、劇中曲として、小室等の歌った「雨が空から降れば」もあるので「神さまのおぼしめしにない」とは、きっと「町」に属さない人間の「さびしさ」について言ったのだろう。
しょうがない「雨が空から降れば」詞:別役実
雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとり
おさかなをつれば
おさかなもまた
雨のなか
別役実は、スパイを「考えられ得る最も自由なたましひ」とも書いていて、そのとき「神さま」は、人のたましひを所属させるもの、たとえば町の総体として想定されている。
そして劇作家は、なにものにも属さない「たましひ」に何かの望みを託している。
アボカドも、その「おぼしめしにない」何ものか、なのかもしれない。
○
ある大きな神社の宮司さんが、オーストラリア旅行をしたそうだ。
そして土産話として「あの土地の植物はねえ、あれは緑のウンコですよ」と言ったのだそうだ。
海を隔てて遠くにある大陸なので、遺伝的に系統のちがう、見慣れないすがたの植物が多いわけで、それを「緑のウンコ」と言ってしまうというのは、無邪気がすぎる。
それは「差別」に、まっすぐにつながる心性だけれど、神道の神さまに奉ずることが人生であったような人が、それを言うことは、理解できないことではない。
彼は、それを、見慣れない神さまが「ひり出した」何ものかだと感じた。
そして、別の神さまの存在を感じたとき、彼は、無意識にそれを下に位置づけて、見下してしまったのだ。
○
アボカドの、あのデカい種は、巨大ナマケモノが、丸ごと食べて肛門から出すのにちょうどいいサイズらしい。
人間は、アボカドを食べることはできるけれど、肛門から出すことができない。
だとすれば、それを創った神さまは、どう考えても巨大ナマケモノの神さまだろう。
アボカドのあるこの世界は、最適解が一通りではない、わりと自由なふざけた場としてある。
つまり、いろんな神さまがいるわけじゃん、という。
ざんねんな生きものの図鑑が子供に人気なのも、そういう希望が、そこに見えるからだろう。
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