【週俳2月7月の俳句を読む】
季語との響き合いの中で
小西瞬夏
◆きりばらい 愛日
声優と同じインフルエンザかな きりばらい
憧れの声優なのか、魅力的な声のもち主である声のプロの人と、声を仕事にはしていない自分と、同じウイルスのためにがらがら声になっている現状。「違い」のなかに、「同じ」を抽出し、ゆるやかなつながりを見つけていく。「かな」という切字に、そのような感慨が書き留められている。
試食品乾き続ける成人日 同
成人式の会場での屋台か、近くのお店か、たくさんの人の中に商品を試してもらおうと食品が並べられている。それを手に取る人もいるが、たくさんの中の一部は外気に触れてどんどんと乾いていく、それが続いていくとまで言い留めた。「続ける」で軽い切れを置くとすると、大人になるということは、そういう乾きをも受け入れていくこと、という風にも読めるだろうか。
無視すると決めた歯痛に春隣 同
毎日が一点の曇りもなく、ポジティブな気分でいられたらどんなにいいか。ただ、事実は変わらなくとも、自分の気持ちをどのように配分するかで多少の曇りは晴れてゆく。なるようになる、変えられることは努力すればいいが、変えられないことは天にゆだねる、そんな心の中の葛藤。「に」という助詞がやや説明的ではあるが。
被告人は人狼でした日脚伸ぶ 同
「人狼」はゲームの中のものと考えるのか? 「日脚伸ぶ」という季語の斡旋により、だんだん暖かくなり、日が長くなっていくなか、たわいないゲームをしているんだろうと思わせるが、弁護していた人が、実は自分を殺めるかもしれない人である、というような理不尽な日常が「でした」と軽く描写されているところが怖い。
春の水跳ね肛門に滲み入る 同
「春の水」と「肛門」の出会いにも驚くが、「滲み入る」という動詞にも驚いた。ただ「滲む」ではなく「滲み入る」となると、水が内部へまでじわじわと浸透していくような様を思わせる。それが、普通は出口である「肛門に」である。雪解けの大地と、人間の身体が相似形ということだろうか。この句はこれ以上読み切れなかった。
これまでの俳句に馴染みのない言葉を、意外な季語と取り合わせることにより、日常の中にありながら、その隙間にちらりと覗く異世界に引き込まれるような作品群であった。
◆依光陽子 同一
日の闌けて花びら怠き菖蒲かな 依光陽子
日の盛りの菖蒲の花びらを「怠き」と捉えた。あのぼってりと大きな花びらが開ききったときの様は確かにだらりとして見え、そこに作者の心情も重なっての「怠き」なのだろう。
見ることは読むこと夏至の日の蝶よ 同
「見ることは読むこと」というやや観念的なフレーズ。それに「夏至の日の蝶」が取り合わされ、さらに呼びかけられている。一番昼が長い一日、太陽のエネルギーを一杯に受けた蝶は、どこを目指しているのであろうか。それに呼びかける作者も、何かと戦っている違いない。
夏雲雀四つ葉を探す目で空を 同
「四つ葉を探す目」という視線の切り取り方が新鮮。四つ葉を見つけると幸せなことがある、そんな言い伝えを思いながら、空を見上げているのは夏雲雀でもあり、作者でもあるのだろう。「を」という助詞で終わることで、そのあとの省略された動詞を想像させられ、それが余韻として広がる。
夏の雨きのふの声の未だある 同
「きのふの声」は誰が何を言っているものか、内容はわからないが、人間の脳というのは、そのことを繰り返し思い出しては、いろいろと考えてしまう。「夏の雨」と取り合わされることで、それは急なにわか雨のような、ちょっとした違和感のようなもののように思える。考えてもしょうがないことを考えてしまう性。
巧みな「助詞」の使い方、散文的な書きぶりでありながら文語歴史的仮名遣いなどにより、観念的な内容でありながらも観念に流されない描写の力を感じた。
◆百瀬一兎 Stargazer
バンガロー初めて話すことありぬ 百瀬一兎
いつもと違う、非日常の空間。毎日のルーティーンから解放され、ちょっと手持無沙汰でもある時間、ふと口からいままであえて言葉にしていなかったような思いがぽろりと零れてくる。「~初めて話すこと」と体言で終わる方法もあると思うが、「ありぬ」まで言いたいほどの、大切なことだったのだろう。
籐椅子の籐の突き出て旅の夜 同
籐の自然素材のなめらかな肌感覚ではなく、その一部が突き出ている違和感を言い留める。小さな痛みに敏感になっているのは、旅の夜だからか。ひとりでどこへ旅に出ているのか、なぜ旅に出ようと思ったのか、そんなことを想像させられる。今までの「籐椅子」の例句を越えてくるような一句。
御守りの紐の長すぎ黒ビール 同
「お守りの紐が長すぎ」とわざわざ言うシチュエーションを想像してみた。何かに結んでそれがどうも邪魔になっているのか。それよりも、そこに「黒ビール」を取り合わせたことの不思議さ。他にも次の句、
爪切りにあてがふ指や旱星 同
この「旱星」の季語の斡旋も、理屈ではないところで響き合っている。状況の整合性や、因果関係に縛られず、無意識の領域に潜む、本人にもとらえきれないようなものを、季語との響き合いの中で摑もうとしているように感じられた。
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