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2026-08-16

小西瞬夏【週俳2月7月の俳句を読む】季語との響き合いの中で

【週俳2月7月の俳句を読む】
季語との響き合いの中で

小西瞬夏


◆きりばらい 愛日

声優と同じインフルエンザかな  きりばらい

憧れの声優なのか、魅力的な声のもち主である声のプロの人と、声を仕事にはしていない自分と、同じウイルスのためにがらがら声になっている現状。「違い」のなかに、「同じ」を抽出し、ゆるやかなつながりを見つけていく。「かな」という切字に、そのような感慨が書き留められている。

試食品乾き続ける成人日  同

成人式の会場での屋台か、近くのお店か、たくさんの人の中に商品を試してもらおうと食品が並べられている。それを手に取る人もいるが、たくさんの中の一部は外気に触れてどんどんと乾いていく、それが続いていくとまで言い留めた。「続ける」で軽い切れを置くとすると、大人になるということは、そういう乾きをも受け入れていくこと、という風にも読めるだろうか。

無視すると決めた歯痛に春隣  同

毎日が一点の曇りもなく、ポジティブな気分でいられたらどんなにいいか。ただ、事実は変わらなくとも、自分の気持ちをどのように配分するかで多少の曇りは晴れてゆく。なるようになる、変えられることは努力すればいいが、変えられないことは天にゆだねる、そんな心の中の葛藤。「に」という助詞がやや説明的ではあるが。

被告人は人狼でした日脚伸ぶ  同

「人狼」はゲームの中のものと考えるのか? 「日脚伸ぶ」という季語の斡旋により、だんだん暖かくなり、日が長くなっていくなか、たわいないゲームをしているんだろうと思わせるが、弁護していた人が、実は自分を殺めるかもしれない人である、というような理不尽な日常が「でした」と軽く描写されているところが怖い。

春の水跳ね肛門に滲み入る  同

「春の水」と「肛門」の出会いにも驚くが、「滲み入る」という動詞にも驚いた。ただ「滲む」ではなく「滲み入る」となると、水が内部へまでじわじわと浸透していくような様を思わせる。それが、普通は出口である「肛門に」である。雪解けの大地と、人間の身体が相似形ということだろうか。この句はこれ以上読み切れなかった。

これまでの俳句に馴染みのない言葉を、意外な季語と取り合わせることにより、日常の中にありながら、その隙間にちらりと覗く異世界に引き込まれるような作品群であった。


◆依光陽子 同一

日の闌けて花びら怠き菖蒲かな  依光陽子

日の盛りの菖蒲の花びらを「怠き」と捉えた。あのぼってりと大きな花びらが開ききったときの様は確かにだらりとして見え、そこに作者の心情も重なっての「怠き」なのだろう。

見ることは読むこと夏至の日の蝶よ  同

「見ることは読むこと」というやや観念的なフレーズ。それに「夏至の日の蝶」が取り合わされ、さらに呼びかけられている。一番昼が長い一日、太陽のエネルギーを一杯に受けた蝶は、どこを目指しているのであろうか。それに呼びかける作者も、何かと戦っている違いない。

夏雲雀四つ葉を探す目で空を  同

「四つ葉を探す目」という視線の切り取り方が新鮮。四つ葉を見つけると幸せなことがある、そんな言い伝えを思いながら、空を見上げているのは夏雲雀でもあり、作者でもあるのだろう。「を」という助詞で終わることで、そのあとの省略された動詞を想像させられ、それが余韻として広がる。

夏の雨きのふの声の未だある  同

「きのふの声」は誰が何を言っているものか、内容はわからないが、人間の脳というのは、そのことを繰り返し思い出しては、いろいろと考えてしまう。「夏の雨」と取り合わされることで、それは急なにわか雨のような、ちょっとした違和感のようなもののように思える。考えてもしょうがないことを考えてしまう性。

巧みな「助詞」の使い方、散文的な書きぶりでありながら文語歴史的仮名遣いなどにより、観念的な内容でありながらも観念に流されない描写の力を感じた。


◆百瀬一兎 Stargazer

バンガロー初めて話すことありぬ  百瀬一兎

いつもと違う、非日常の空間。毎日のルーティーンから解放され、ちょっと手持無沙汰でもある時間、ふと口からいままであえて言葉にしていなかったような思いがぽろりと零れてくる。「~初めて話すこと」と体言で終わる方法もあると思うが、「ありぬ」まで言いたいほどの、大切なことだったのだろう。

籐椅子の籐の突き出て旅の夜  同

籐の自然素材のなめらかな肌感覚ではなく、その一部が突き出ている違和感を言い留める。小さな痛みに敏感になっているのは、旅の夜だからか。ひとりでどこへ旅に出ているのか、なぜ旅に出ようと思ったのか、そんなことを想像させられる。今までの「籐椅子」の例句を越えてくるような一句。

御守りの紐の長すぎ黒ビール  同

「お守りの紐が長すぎ」とわざわざ言うシチュエーションを想像してみた。何かに結んでそれがどうも邪魔になっているのか。それよりも、そこに「黒ビール」を取り合わせたことの不思議さ。他にも次の句、

爪切りにあてがふ指や旱星  同

この「旱星」の季語の斡旋も、理屈ではないところで響き合っている。状況の整合性や、因果関係に縛られず、無意識の領域に潜む、本人にもとらえきれないようなものを、季語との響き合いの中で摑もうとしているように感じられた。


■きりばらい 愛日 10句 ≫読む

 第983号・2026-02-22

■依光陽子 同一 10句 ≫読む

 第1003号 2026年7月12日 

■百瀬一兎 Stargazer 10句 ≫読む

 第1005号 2026年7月26日


2022-11-06

【2021落選展を読む 2】 11. 小西瞬夏 13. 青島玄武 14. 薮内小鈴 15. 仙保恭子 16. 綱長井ハツオ 19. クズウジュンイチ 20./21 ハードエッジ (&拾遺) ■俳句の外がわ ……上田信治

【2021落選展を読む 2(了)】

11. 小西瞬夏  13. 青島玄武 14. 薮内小鈴 15. 仙保恭子  16. 綱長井ハツオ 19. クズウジュンイチ 20./21 ハードエッジ (&拾遺)
句の「外側」が書かれている

……上田信治 


 ≫2021角川俳句賞「落選展」

 ≫【2021落選展を読む 1】

 

以前「成分表」にこんなことを書きました。

〈ぺたぺたと地を打つ鱏の尾鰭かな 岡田耿陽〉(昭和4年)この句はすごくよく書けていて、ぺたぺたする「尾鰭」のことしか言っていないことで、かえって本体である「鱏」がただそこに平たくあるというばかばかしさに届いている。俳句は、そこに書いていない何ごとかに届けば、ひとまず「書けた」と言える。 
そこに書かれていない何ごとか、すなわち「外側」があるかどうか──。

俳句の、数ある判断と受容の指標の一つですが「言いおおせて何かある」とはよく言ったモノで、自分は、たとえばそんなことを頼りに俳句を読んでいます。

 

(*)は一次予選通過作


11. 小西瞬夏 鳥慰(*) ≫読む

炎帝やうしろの蛇口あけつぱなし

「炎帝」は全空間を支配しているけれど、自分のうしろには、開けっぱなしの蛇口がある(え、まさか「炎帝」の「うしろ」なのだろうか?それはそれでおかしい、鬼コーチみたいで)「炎帝」はその季語じたいが擬人化だから、句を甘く観念的に傾けるけれど「うしろ」という語をもってきたことで、「炎帝」=全空間との位置関係というナンセンスを発生させた。これは、発明と言っていいのでは(そして無意識かも知れないけれど、沢木欣一の〈塩田に百日筋目つけ通し〉が響いている)。

青空は穴石鹸玉しやぼんだま

このような理知や観念にも「外側」はあって、たとえば「青空は穴」というワンアイディアの余白を、季語をリフレインして何も述べずに乗り切って「そう思ってしまった自分(がここにいる)」という景を立ち上げることに成功、理に落ちていない。これもまた一つの発明。

鳥籠のすみずみ冷ゆる真昼かな
白魚のからだからまたからだかな
鳥交る伎芸天女のぼんのくぼ
一語一語泡立つやうに豆の花


13. 青島玄武 紫陽花の門 ≫読む

荒梅雨やときどき壁を作る人

「壁を作る」はもちろん心理的な「壁」ととるべきなんだろうけれど「荒」の一文字があるために、いやおうなくざらっとした壁が想像され、結果、ときどき「荒壁」を塗り上げる困った人が発生する。「親子酒」のマクラを連想する人もいるだろう。

紫陽花の門に二人の巡査かな
十時から十九時までの作り滝

「巡査」の紺の制服も「作り滝」の稼働時間も景物となっている。この人の世界はバカバカしく楽しい場所だ。


14.  薮内小鈴 遊覧船 ≫読む

立雛に影さす棕櫚の戦ぎける

棕櫚という異国風の植物と立雛の取り合わせ、モダンな金屏風のような絵柄で、さらに「戦」の一字があることで、安土桃山?とかそんなことを楽しく連想。

アイディアを押し込むようにして書くことで、内容と形式が摩擦して詩が発生することに賭ける、そういう書き手だと思っていたのだけれど、アイディアの充満振りはそのままに、それを俳句的美意識の範囲に押し込むことに成功しつつあると見受けた。

猫柳しづくは枝を行き渡り
さへづりの向かふ方角崖近し
天井の光りは反射目借時
竹落葉今来し人と入れ違ひ
蟻速し雲はいづこか穴が開き
坂道を芋虫よぎるずれながら
逆さまに八手の花を池の水
万国旗あふぐ冬帽もう一つ
ゆつくりと魚のほかも煮凝りぬ


15. 仙保恭子 感光(*)  ≫読む

これといふ竿を振り出す秋日かな         

何を言い出すのかという切り出し方、もったいぶり方が、ひょういっとはずみをつけて仕掛けを飛ばす、魚釣り竿の運動を思わせ、さらに「秋日」でカメラを引いて、釣り人のシルエットを見せるという、ずいぶんと技の効いた句。万太郎みたい。

〈新宿のビルの紙めく春の雨〉〈釣銭もやさしく貰ふ帰省かな〉〈落ち着かぬ風に花火の打ち上がり〉のあたり、やや常識的とはいえ、気分のよさはある。

門口のへうたんのこと話したき
秋光やとろけるやうに砂を盛り


しかしこういう、モチーフを「言う」ことにやや失敗しているような「この人は何を言っているんだろう」と思わされる句に、自分は「外側」を、俳句の味な部分を感じる。


16. 綱長井ハツオ 溢るる泥 ≫読む

農具市棒と呼ぶには太きもの
三月の鞄なんでも入りさう
冷房やリモコンに部品の継ぎ目
腰の下まで手を垂れて夏の果


俳句のぶっきらぼうなナンセンスは、創作意識のコントロールの「外」に現実がある、ということをメッセージしているから尊い(青島さんの句にも感じたことだ)。

「三月の鞄」というポエミーなモチーフに対する感想がそれ? 人間、手を垂れると「腰の下」までくるのはふつう!しかし「それ」を言うことは「意識の果て」とでも呼ぶべき、ぎりぎりの外側につながっているのだ。


19. クズウジュンイチ 泥鰌鍋(*) ≫読む 

荷車に春と箒を載せて曳く

「春」を「曳く」という修辞はロマンチシズム過剰なのだけれど「荷車」と「箒」という道具立てで、その感傷を、書く自分ではなく、荷車を曳く人の内面に押し込めた。手ぬぐいでほっかむりもするといいと思う。

たまに来て軽き列車や葛の花

「たまに」というのは、1時間に一本くらいか。その列車を待っていたわけではなさそうなので、この人は駅ではなく、野山か里のどこかにいるのだろう。その列車が「軽い」のは、きっとそこに乗客の人影がまばらであることを、この人が知っているからで、つまりその列車のこの世のものとしての存在が軽いのだ。

人を拒む荒廃のイメージのある葛という植物に花が咲くことで非現実味が加わる(飯島晴子や永田耕衣、あるいは下村槐太の「葛の花」の句を参照されたい)。からからと軽い音を立ててやってくる鉄道車両の、存在のさびしさとかわゆさが、それに照応している。

海荒れて栄螺の奥がふかみどり
日跨ぎの鍋に火を入る花椿
出来合ひのサラダを提げて花の雨
台風は速く間違ひ電話かな
豆苗の根が張る月の台所
行く秋やしなだれ折れてピザの先
ひさびさに会つて白葱焦げてゐる


昨年の「静かな野球」の俳句の言葉じたいを攻める書きぶり(これも強く外側を意識させること)からすると、だいぶ分かりやすいという気もするけれど、その分、ヒューマンな手ざわりがある。



20.21.  ハードエッジ プランA「御国の宝」≫読む プランB「汗の笑顔」≫読む

ざあざあと夏も近づくマンホール「プランA」
横にして傘をバサバサ梅雨の日々「プランB」

この擬音を交えた二句の「雑さ」に注目。「夏も近づく」の唱歌の歌詞の放り込み、梅雨の「日々」と急に意識の幅を広げる展開という、はっきり読みどころのできている句を、このように早い(速い)文体で書くことには、たぶん可能性がある。

梅雨明けの小学校が乾くなり
焼そばの人と相席掻き氷
捕虫網幼き兄を先頭に
地球儀と西日の部屋の全てかな



以下、拾遺です。選ばせていただきました。ご応募ありがとうございました。


5. 片岡義順 舞うて舞うてなんの微熱や蝶の夢 ≫読む

目刺し手にテレビと喧嘩するおとこ
 

6. 松尾和希 メキメキポッ ≫読む 

春さむし目ぐすりのキャップであそぶ


7. んん田ああ 死後に聴く落語の落ち ≫読む

嚙みあとに続く苺の後半部
ばけもののようでたてもの秋の暮
 

8.  恩田富太 さみどり ≫読む

半月や宿の蛇口の「をん」と鳴り
紫で輪郭を描くざくろの実

9. 伊藤波 ひかる ≫読む

春の長雨オルガンに木のこころ
蜂がきて手紙に蜂をかき添へる

10. 加藤絵里子  ちぎり絵 ≫読む

春の雨卵白ねむる冷蔵庫

12. 川島由紀子 間取り図 ≫読む 

キッチンの窓に星来て木の芽和え
水仙の咲いた日空が好きと母

17. 夜月雨 呼吸器不全 ≫読む 

天才と馬鹿の間で蜆汁
ひとりずつ消えていったら夏の宵
 

18. 垂水文弥 去ル・ド・死ネマ ≫読む

はんざきを見た晴なのに晴だから
こんなにも父は糸瓜を死後のため
石榴打ち落とせば西の見えにけり
綿虫のひいふう数へ切れぬかな

2022-06-12

小西瞬夏【週俳2月5月の俳句を読む】 ただ茫然と

【週俳2月5月の俳句を読む】
ただ茫然と

小西瞬夏



橙は黒ずむ傷の硬さかな   工藤吹

色が効果的に使われている。橙のはっとするようなオレンジ。それが黒ずむという印象的な映像。太陽の黒点のようなものがイメージされる。果実のエネルギーとその傷が侵食していくエネルギーとのの相克。そして、その傷を「硬さ」と捉える感覚。橙から黒へ、弾力のあるものから硬いものへ、橙だけでなく、自分自身の中の核のようなものが変容していく様を思わせる。


春の日の枝にかかりて傾ける  阪西敦子

簡単でシンプルな言葉でありながら、その内容は簡単ではない。春になってぽかぽかと明るい陽射しの中、なにかの木の枝によりかかって傾いている。木に預けて緩むからだ、からだが傾くと同時に、からだ以外にも傾くものを思わせる。かたくなだった自分自身の思い込み、小さいころからもっていた信条のようなもの、からだにまとわりつくようなそんなしがらみが傾き、あれ、ほんとうにそうだろうか、と揺らぎだす。そしてすこしだけ緩んで自由になってゆく感覚。


おぼつかなくて虻の腹眼にばらける  福田若之

散文的な書き方に、作者の独特の韻律がある。「ばらける」という終止形が、ある意味切字になって、しっかりと着地する。「おぼつかなくて」という心理描写。ストレートに言ってしまうと、それが言いたいことの出口(答え)になってしまいがちであるが、この句の場合では「おぼつかなくて」という上五が、読者をこの世界に連れてくる入り口として機能している。そしてそこから、「虻の腹眼にばらける」という展開の仕方。「眼に」をあえて言葉にし、そこからきっとだれも思いつかないだろう「ばらける」という描写。あの縞々の黒と黄色が何度も分解され、また再統合される映像が、実写とも心象とも言える。


夜が手を見せて戦場から電話  山口優夢

「夜が手を見せて」という詩的表現。「夜」という時間帯には、不可能なことも可能になってしまうような全能感を覚えてしまう瞬間がある。だからこの「手」は、なんでも望みをかなえてくれる、そして、惨いことでもできてしまう手である。戦場とあると、今はウクライナのことを思うが、この世界で決して無くならないすべての争いが行われている場所である。そして直接は言えないことを「電話」で伝えてくるのだ。それを受けたとき、自分はどのように答えればよいのか、ということが突き付けられる。


服を着て佇てり〈準備中〉の檻の前  山田耕司

人間とは何だ。檻の中にいる動物との違いは、服を着ていることだけではないのか。〈準備中〉とは何の準備をしているのか。人間になる準備か。自分の中にある動物的本能と、人間的理性、その両方の割合が、その都度変化している日常をふと感じて、そんなときはただ茫然と佇むしかない。


■工藤 吹 大炬燵 10句 ≫読む

第773号 2022年2月13日

■阪西敦子 あとの音 10句 ≫読む  

第784号 2022年5月1日

■福田若之 面白 10句 ≫読む

第785号 2022年5月8日

■山口優夢 戦場から電話 10句 ≫読む

第788号 2022年5月29日

■山田耕司 桐生が岡動物園にて 10句 ≫読む

2021-11-06

11. 鳥慰 小西瞬夏 






11. 鳥慰 小西瞬夏 


立膝の少年とゐる冬の鳥

遠くより頭痛水鳥のこゑ乾き

水鳥の列先頭におとうとよ

街聖夜硝子器触るる音止んで

一本の足凍蝶を跨ぎけり

海鳴りや寝返りのたび母の冷え

寒北斗尖りしものをとがらせて

刺繍針引き返しをり冬野中

鳥籠のすみずみ冷ゆる真昼かな

薄氷や折鶴の反りはじまれり

折りたたむ言葉磯巾着と揺れ

うすばかげろう少年の血のあをくあり

夜の底ひ母の角巻畳まれて

青き僧より春の水零れをり

塩舐めて舌の尖りし三鬼の忌

鞦韆のてのひら錆臭き生家

口中に舌の広さや春の水

風光る母のてのひら羽ばたけば

葉脈の凸凹花虻すれちがひ

黒猫の尻尾おとろふ花の昼

落書きの荒しシャッター街早春

白魚のからだからまたからだかな

少年の留守鳥の巣に鳥がゐて

春空の包んでゐたる造船所

銃眼の奥のまなざし春疾風

白茶しろ黒くろ焦げ茶猫の恋

鳥交る伎芸天女のぼんのくぼ

春浅し耳朶をまどろみの芯

真つ白き頁めくれば亀鳴けり

阿と開きしままのくちびる花の奥

仮設けぶる真白き蝶に連れられて

青空は穴石鹸玉しやぼんだま

蝶落ちてインク広ごる紙の束

一語一語泡立つやうに豆の花

蝶の昼秒針赤くまたたけり

文机の塵の増えゆく朧の夜

春眠の終はりし人体解剖図

耳朶に息のかかりし蛍籠

星蝕やひかがみしづかなる初夏

透明な壁の林立パセリ噛む

階段の裏の茫々雷兆す

炎帝やうしろの蛇口あけつぱなし

トルソーの薄き埃や夏の果

箱庭のちひさな母につきあたる

青い目の人形八月の姉妹

短夜の睫毛にみづのあつまれり

水馬とび一日の薄まりぬ

戦ひの近づいてゐる蝉の穴

標本箱騒がし八月十五日

花火果つひとさし指の重さかな


小西瞬夏(こにし・しゅんか)1962年生まれ。岡山市在住。『海原』同人。

2020-02-09

【週俳2020年新年詠の一句】火のシーン 小西瞬夏

【週俳2020年新年詠の一句】
火のシーン

小西瞬夏


新年の(火を貸してください)枯野  高梨 章

一読、フォークナーの『Barn Burning』、村上春樹の『納屋を焼く』、そして、韓国映画『バーニング』を思った。火のシーンがとても美しかった。焼かれるのを待っているような小屋、そしてそれを焼くという行為が、どんな意味を持つかわからないのに、そうせざるを得ないことの象徴としてある。かっこ書きを使い(火を貸してください)という心のつぶやきのような中七下五の句跨りの切羽詰まった感じは、やかれるのを待っている枯野の声でもあり、燃やさずにはいられない作者の声でもある。また、読者の声でも。ただ「新年」ということで、この「火」はなにか、希望のようなものとして読むことも許されている。


≫2020年新年詠

2019-09-08

【週俳8月の俳句を読む】言葉にすると消えてしまう、この世界のリアル 小西瞬夏

【週俳8月の俳句を読む】
言葉にすると消えてしまう、この世界のリアル

小西瞬夏


夏蝶をカフカの残骸と思う  菅原はなめ

カフカと言えば『変身』を頭に浮かべる。ある朝目覚めると巨大な虫になっていた男と、その家族の顛末を描く物語。その虫は、醜い毒虫ということになっているが、ドイツ語の原文は Ungeziefer となっており、これは鳥や小動物なども含む有害生物全般を意味する単語であるらしい。カフカは出版の際、「昆虫そのものを描いてはいけない」「遠くからでも姿を見せてはいけない」と注文をつけていたそうだ。カフカにとってこの「虫」は「虫」であって実際の「虫」ではない。富澤赤黄男が「蝶はまさに『蝶』であるが、『その蝶』ではない」と言ったように。この作者にとってのカフカの「虫」、自分という存在、そのなかでも醜い部分、人に見られたくない部分は、夏蝶のような存在なのだ。色がはっきりとしていて少し大きく存在感のある夏蝶。妖艶な姿でもあるけれど、建設的な生命力、自己肯定感を漂わせる。

「残骸」という措辞はやや直接的で観念的ではあるが、混沌とした内的世界を表現する。「~を~と思う」という散文的で、ふっと口にした心のつぶやきのような口語表現は、この内容に即している。

カフカの小説が下敷きになっていることで、実存主義の匂いを感じながら、同時に現代を生きる一人の人間の独り言を聞いてしまったようで、心がざわついた。


こほろぎの仮死を見てゐるペトリ皿  倉田有希

夏が過ぎ涼しくなってくると、なんとなく何かを眺めてぼんやりと物思いに耽ることが増えてくる。その「何か」というのは、山だったり、海だったり、空だったり、森の緑だったり、人や動物ということもあるだろう。今、時間を共にするそれらの生命をリアルに感じることで、自分の生を確かめようとしているのか。

この作者のその「何か」は「こおろぎ」である。そして、その「仮死」である。死んでしまっているのではなく、今だけ仮に死んでいる、しかし生き返り、そのあとは生きていかなければならないのだ。それでもたった今、目の前のこおろぎは死んでいる。からだを縮こまらせてじっとしている。そして舞台は草原や裏庭、またはてのひらのような場所ではなく「ペトリ皿」なのである。このこおろぎの命は、何かの実験として観察されている。そして瀕死の状態なのである。

それをただ見ている、ということを俳句に言いとめただけのこの作品からは、言葉では説明しきれないものが漂ってくる。それは、言葉にしてしまうと、きっと消えてしまうのであろう。


裁判所左右対称アイスティー  玉貴らら

私の住む町にも、近くに大きな裁判所がある。このなかで繰り広げられているであろう、人間と人間の争い。夫婦の軋轢であったり、交通事故の処理であったり、相続の争いであったり…人間という生き物の弱さや、目をそむけたくなるような醜い部分が渦巻いている場所でもある。そんな中の様子とは裏腹に、裁判所の外観は整然としていて破たんがない。そんなことが、中の混沌を余計に際立たせるようでもある。それに取り合わされたのは「アイスティー」だ。癖のない、すっきりとしたその飲み物を、近くのカフェで飲んでいるのだろうか。そこから見える裁判所を何気なく見ている。ただ、「見る」などの動詞は何もないので、そのような景を押し付けられることはない。そこには裁判所とアイスティーがあるだけで、唯一の作者の感覚として「左右対称」が置かれてあるだけだ。それらの言葉が不思議に響きあい、この世界のあるリアリティを切り取っている。


■菅原はなめ しなやかぱちん 10句 ≫読む
第642号 2019年8月11日
■倉田有希 単焦点レンズ 10句 ≫読む
■玉貴らら 断層 10句 ≫読む

2019-01-20

10句作品 小西瞬夏 手ぶら

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小西瞬夏 手ぶら

黒人霊歌諸手で掴む冬の空

兎追ふ昼の底ひの白むなり

叡山の奥処へ椿放らなむ

はうれん草卵で綴じるやうな夜

蛇口より漏るる光やラガー黙

海しづか鯨が夜を噴き上げて

冬暖か髭の猟師の手ぶらなり

たましひの凍てて濃き墨あはき墨

毒消買ひ寒紅を買ひ桂川

冬薔薇束ね冬薔薇に紛れ