2022-06-12

小西瞬夏【週俳2月5月の俳句を読む】 ただ茫然と

【週俳2月5月の俳句を読む】
ただ茫然と

小西瞬夏



橙は黒ずむ傷の硬さかな   工藤吹

色が効果的に使われている。橙のはっとするようなオレンジ。それが黒ずむという印象的な映像。太陽の黒点のようなものがイメージされる。果実のエネルギーとその傷が侵食していくエネルギーとのの相克。そして、その傷を「硬さ」と捉える感覚。橙から黒へ、弾力のあるものから硬いものへ、橙だけでなく、自分自身の中の核のようなものが変容していく様を思わせる。


春の日の枝にかかりて傾ける  阪西敦子

簡単でシンプルな言葉でありながら、その内容は簡単ではない。春になってぽかぽかと明るい陽射しの中、なにかの木の枝によりかかって傾いている。木に預けて緩むからだ、からだが傾くと同時に、からだ以外にも傾くものを思わせる。かたくなだった自分自身の思い込み、小さいころからもっていた信条のようなもの、からだにまとわりつくようなそんなしがらみが傾き、あれ、ほんとうにそうだろうか、と揺らぎだす。そしてすこしだけ緩んで自由になってゆく感覚。


おぼつかなくて虻の腹眼にばらける  福田若之

散文的な書き方に、作者の独特の韻律がある。「ばらける」という終止形が、ある意味切字になって、しっかりと着地する。「おぼつかなくて」という心理描写。ストレートに言ってしまうと、それが言いたいことの出口(答え)になってしまいがちであるが、この句の場合では「おぼつかなくて」という上五が、読者をこの世界に連れてくる入り口として機能している。そしてそこから、「虻の腹眼にばらける」という展開の仕方。「眼に」をあえて言葉にし、そこからきっとだれも思いつかないだろう「ばらける」という描写。あの縞々の黒と黄色が何度も分解され、また再統合される映像が、実写とも心象とも言える。


夜が手を見せて戦場から電話  山口優夢

「夜が手を見せて」という詩的表現。「夜」という時間帯には、不可能なことも可能になってしまうような全能感を覚えてしまう瞬間がある。だからこの「手」は、なんでも望みをかなえてくれる、そして、惨いことでもできてしまう手である。戦場とあると、今はウクライナのことを思うが、この世界で決して無くならないすべての争いが行われている場所である。そして直接は言えないことを「電話」で伝えてくるのだ。それを受けたとき、自分はどのように答えればよいのか、ということが突き付けられる。


服を着て佇てり〈準備中〉の檻の前  山田耕司

人間とは何だ。檻の中にいる動物との違いは、服を着ていることだけではないのか。〈準備中〉とは何の準備をしているのか。人間になる準備か。自分の中にある動物的本能と、人間的理性、その両方の割合が、その都度変化している日常をふと感じて、そんなときはただ茫然と佇むしかない。


工藤 吹 大炬燵 10句 ≫読む

第773号 2022年2月13日

阪西敦子 あとの音 10句 ≫読む  

第784号 2022年5月1日

福田若之 面白 10句 ≫読む

第785号 2022年5月8日

山口優夢 戦場から電話 10句 ≫読む

第788号 2022年5月29日

山田耕司 桐生が岡動物園にて 10句 ≫読む

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