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2020-04-19

僕の愛する俳人・第4回  笑う瓜人 西村麒麟

僕の愛する俳人・第4回
笑う瓜人

西村麒麟

初出:「ににん」第76号

1. 瓜人さん

通好みと言えば褒めている印象も多少はありますが、俳句の、あるいは文学においての通好みとなるとどうでしょうか。知る人ぞ知るところの、と言えばなんだか格好良いですが、嫌な言い方をすれば、大衆的作家では無い、はっきり言えばあまり読まれていない作家とも言えます。

こんな出だしから始まりましたが、今回は相生垣(あいおいがき)瓜人(かじん)さんを紹介させて下さい。簡単な略歴を書いておくと瓜人さんは以下のような方です。

明治三十一(一八九八)年に兵庫の高砂に生まれる。波郷や窓秋達と共に「馬酔木」の自選同人として活躍。浜松にて「あやめ」を創刊(後の「海坂」)。昭和六十(一九八五)年に八十六歳で亡くなるまで三冊の句集があり、第二句集『明治草』にて蛇笏賞を受賞(七十八歳時)。

孤高、風流、隠者、仙境などの呼名がこれほど似合う俳人もなかなかいないのではないでしょうか。追悼座談会(「海坂」昭和六十年五月号)によると、春子夫人が庭の落葉を掃除すると、紙屑と違って落葉が散らばっているのは汚くないと軽く窘められる話が出てきます。瓜人らしい風流なエピソードです。名を求める事を良しとせず、ひたすら清らかに、自分の美意識を頑なに固守した人と言えます。蛇笏賞の授賞式当日の朝まで行きたくないと周囲に訴えた話も残っています。隠者の中の隠者ですね。

さらに書画骨董、漢籍をはじめとする古典の教養の深さは当代随一との評判です。そんな事ばかり書くと親しみがわかないかもしれませんので書き足しておくと、珈琲とバッハとチーズケーキがお好きだったみたいです。

2. 難解

そんな相生垣瓜人ですが、その作品をどれぐらい目にした事があるでしょうか。
歳時記にも掲載される事の多い、最も有名な作品は次の一句かと思います。

荒海の秋刀魚を焼けば火も荒ぶ

次にこれらの句にも見覚えのある方は多いかもしれません。

秋声を聞けり古曲に似たりけり
夕時雨白磁の姿くづれそむ
家にゐても見ゆる冬田を見に出づる

愛読者にはまだまだ浮かぶかと思いますが、一般的に知られている句は今挙げた作品ぐらいではないでしょうか。瓜人は大抵のアンソロジーには入集しませんし、全句集は古本でしか入手出来ないばかりか、なかなかの高値で取引されています。多くは出回っていないけれど、ファンにとっては高値でも是非手に入れたいという、まさに通好みの作家です。
さらに瓜人を通好みにしているもう一つの原因は、その作品の難解さにあるかもしれません。恥ずかしながら僕の知識では、辞書を引きながらでないとなかなか読み進められません。正確に言えば句自体はそれほど難しくないのですが、ある程度の古典の教養がないと瓜人の作品を面白がる事が難しいのかもしれません。
3. 瓜人クイズ

やや難解と思うタイプの瓜人俳句をいくつか挙げてみます。辞書無しで、即座にいくつ理解出来るでしょうか。瓜人さんにはクイズのような下品な事はおやめなさいと叱られてしまいそうですが……。

高弁は如何に牡丹を見たりけむ
まじまじと月見る愚をば敢てせり
さる帝蜜柑の数珠を持されけり
年忘れ麹(きく)先生を懼れつつ
石龍子龍挐の状を現じけり
新涼の潺湲として来りけり
人の世に木賊も蘆も刈らで老ゆ

一句目、高弁とは高山寺の明恵上人の事です。木の上にいる明恵上人像や白洲正子の作品等でよく知られていますね。明恵はわかりますが、高弁で即座にわかるかどうか。

二句目、これはわかりやすいですね、『徒然草』の有名な「月は隈なきをのみ見るものかは」を意識して、敢えて私は月を見るぞと詠んだ句。

三句目、これは花山天皇の奇行のこと。手がかゆくなってしまいそうですが……。

四句目、麹先生とは酒の別名。そう言われてみればなるほどと。

五句目、石龍子(せきりょうし)はトカゲ、龍挐(りょうだ)は龍がものを掴む様。つまりトカゲが何か餌になる虫でも捕らえたという句です。内容は何でもないんですが…。

六句目、潺湲(せんかん)は水が流れる様子で、白居易の詩から来ています。潺湲という言葉は谷崎潤一郎ファンには京都の潺湲亭があることからご存知かもしれませんね。

七句目は少し考えてみたいと思います。瓜人本人の自註によると、「折角人の世に生れ来ており乍ら木賊刈も芦刈も経験せずして終ろうとするのが惜しまれるのである。これでは物のあはれを言う資格は無いのである。」とあります。

しかし、これはおそらく能の「木賊」と「蘆刈」を意識した句ですね。それぞれがどんな物語かを知ってからこの句を読むと、大きな哀しみもなく、なんとか今日までやってこれました、ぐらいの句意になるでしょうか。

先程挙げた句、ほとんどわからなかったと言う方、安心して下さい、僕もそうですから。東京美術刊行の『言はでもの事』や俳人協会の自註、橋本榮治氏の力作、相生垣瓜人論「机前の人」には随分助けていただきました。僕の乏しい知識だけではまだまだ瓜人の作品には太刀打ち出来ません。さらに深く読んでみたいと思う方は、昭和五十一年四月「馬酔木」、昭和五十一年七月「馬酔木」、昭和六十年四月「俳句」、昭和六十年四月「海坂」、昭和六十年五月「海坂」、昭和六十一年三月「海坂」あたりを読めばより作品に親しめるかと思います。ただ、いきなり解答付きを見るようでは楽しみが半減ですから、出来れば最初の一回目は瓜人全句集を自力で読む事をお勧めします。

僕は自分が俳句を作る時には、出来るだけシンプルな言葉を使う事を心掛けています。なので、僕は瓜人俳句を愛していますが、僕とは俳句の作り方が大きく異なります。その事からただ難しい句と、難しいけれど面白い句の違いを時々考える事があります。おそらく、辞書を引いてみたくなるかどうかではないでしょうか。だから瓜人さんの俳句は時間をかけてでも読みたいと思う作品なんだと思います。

4. ユーモア

瓜人俳句は教養が無いと読めないんでしょ、難しいからやめておこう、と言う人がいたらもうちょっとだけ待って下さい。違うんだと、瓜人俳句はすごく面白いし、時には可愛らしい俳句もたくさんあるんだと強く主張したい。次に挙げる作品はどうでしょうか。

春来る童子の群れて来る如く
怖るるに足らざる我を蟹怖る
勝つ事は勝てり蜈蚣(むかで)と闘ひて
蟷螂が怒りに燃えて立ち上がる

一句目、この童子達は春の精霊のようですね。めでたさと可愛らしさと。

二句目は、私(人間)の姿を見てさっと隠れた蟹。危害を加えるような乱暴ものではないのにと、ちょっと寂しく感じている句。

三句目、ぜえぜえ息を切らしながら、必死に蜈蚣を撃退したのでしょうか。お写真やその人柄のエピソードを拝見した限り、争い事には全く向いてなさそうな方ですから、どれほどの死闘だったかを想像してしまいます。ちなみに〈わが胸を歩みし蜈蚣さへありき〉〈ずたずたにすべき蜈蚣や先づはせし〉の句もあります。笑い事ではないのですが、俳句にすると滑稽な感じもあります。

四句目、ボクサーのようにファイティングポーズをとって立ち上がりくる蟷螂。さて蜈蚣にはなんとか勝てましたが、今回はどうでしょうか。

人間と他の小さな虫さえも、命において対等だと、相手を尊重しているところが瓜人俳句のポイントの一つです。ですから蜈蚣や蟷螂、ごきぶりと喧嘩して、必ずしも人間が勝つとは限りません。どんな相手でも真面目に慈しみ、真面目に喧嘩をする、人間だから偉い、強いなんてことは無いんだという意識が美しいと思います。以下にもそんな句を挙げておきます。

鴨引くや猫悉く屋上に
ががんぼが襲ふが如きことをせし
蟹はしづかに蛙の前を立去れり
生きてゐし蟇より蝶のたちゆけり
蜈蚣死す数多の足も次いで死す
藪蚊には頻にぐさと刺されけり
蚊に食はれ藪蚊に食はれ血が減りぬ
ごきぶりに飛びつかれむとしたりけり

5. 新しい魅力

全句集約三千句ほどを読み通すと、次のような人間臭い主張がたくさんあることに気が付きます。暑い暑い、梅雨が鬱陶しい、冬が寒くて嫌だ。他には老いてきて辛い等の生活のぼやきのような句をたくさん目にします。例えば以下のような句。

梅雨来ると烈しく頭洗ひをり
邪悪なる梅雨に順ひをれるなり
雪も亦怒りに任せ降るらしも
炎帝に追ひ返されし散歩かな
風邪の神馴々しげに寄り来る
空風に打擲されて我慢せり
狂乱す冬将軍もその部下も
老人を一掃すべく寒の来し
大安も佛滅も他も皆暑し
無謀にも米寿の春を迎へけり

体が頑丈ではなかった瓜人さんは、本当に暑さ寒さが辛かったのだと思います。俳句は辛い、悲しい等の残念な事柄を笑いに転換するのに優れた文芸であることを、よく知っている人の作品のように思います。ぼやきがことごとく句になったら、少しは心軽やかに生きていけそうではありませんか。ちょっと辛いな、生き辛いなと思っている人にも瓜人俳句をぜひ読んでみて欲しいです。こういう句は真面目に詠んでこそ面白いから不思議です。

6. 僕の愛する瓜人

今までに挙げなかった句の中で、僕の愛する瓜人の俳句をいくつか紹介します。渋い句、綺麗な句、不思議だったり一癖ある句、素直で可愛い句、瓜人さんの俳句の幅は広いので、きっとたくさん読めばそれぞれが好きな句が見つかるかと思います。

僕が特に好きな瓜人さんの俳句は、〈形代をつくづく見たり裏も見る〉や〈秋晴の日記も簡を極めけり〉のような、わざわざ敢えて言いました、わざわざそんな事も俳句にしました、というタイプの「わざわざ俳句」が多いかもしれません。瓜人さんの文集のタイトルが『言はでもの事』であるのも面白いですね。真のユーモアは真面目から来るものかもしれません。

形代をつくづく見たり裏も見る
ありとある隙を占めをる隙間風
秋晴の日記も簡を極めけり
そこはかとなく昼寝すと人の云ふ
校庭を熊が眺めてゐたりちふ
明日食べむ瓜あり既に今日楽し
利休居士笑を湛へて果てたる日
白扇に描きし瓜やじぐざぐす
耳の日や耳大いなる佛達
幻の鷹も現の鷹も見し
反返る人丸像や人丸忌
天高し其他の物は皆低し
つひにゆくみちのほとりのひなたぼこ
諸々の女の中の雪女

7. 誕生日

瓜人さんの誕生日は八月十四日、翌日の十五日はナポレオンの誕生日です。瓜人さんは文集の中で、英雄なんかと一緒でなくて良かったと記しています。そういうところも、魅力的な人ですね。

そう言えば、八月十四日は僕の誕生日でもあります。ナポレオンじゃなくて、瓜人さんと一緒なのが僕の秘かな自慢です。蛇足ですが、実はこの文章はまさにその八月十四日に書いています。誕生日おめでとうございます、瓜人さん、僕、あと天国の桂歌丸師匠。誕生日に関するエッセイを最後に少々。

老衰の募つた此頃では折角の誕生日が来ても気勢は一向に上がらない。「言はでもの事」。

このように書きつつ、さらに瓜人さんはぼやく。最近はメロンが喜ばれるようになり、好きな真桑瓜が影を潜めて行ったと。そして一句。

真桑瓜の影さへも無き誕生日  瓜人

八月十四日は、チーズケーキでも食べよう。

2020-04-12

僕の愛する俳人・第3回 木枯ワールド 西村麒麟

僕の愛する俳人・第3回
木枯ワールド

西村麒麟

初出:「ににん」第75号

1八田木枯

今さらながら八田木枯の紹介をごく簡単にさせていただきます。初めは長谷川素逝、橋本鶏二に師事し、後に山口誓子の「天狼」に参加。その年に厳選の遠星集でいきなり巻頭を取り(三度目の投句)周囲を驚かせる。誓子にその才能を愛されつつも家業に専念するため、昭和三十六年からい十六年の活動停止(木枯三十六歳時)。昭和五十二年にうさみとしおと二人誌「晩紅」を創刊し俳壇復帰(木枯五十二歳)、その後は独特な魅力を持つ俳人として活躍。「洗ひ髪身におぼえなき光ばかり」が塚本邦雄の『百句燦燦』で取り上げられたことも有名です。

よく知られた句をいくつか挙げます。どれも憧れの句ばかりです。

汗の馬なほ汗をかくしづかなり

春を待つこころに鳥がゐてうごく

むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ

冬ふかし柱が柱よびあふも

2僕と木枯さんと鶉

友人の太田うさぎさんが、四谷で開かれていた木枯さんを中心とした超結社句会に誘って下さったおかげで、句座をご一緒する事が出来ました。僕が初めてお目にかかってから、亡くなるまで(二〇一二年三月十九日)約一年ほどの短い期間でしたが、大事な事をたくさん教えていただきました。

唐突ですが、僕が二〇一三年に出した第一句集『鶉』の句を並べます。ちょっと多いですが我慢して見ていただけたら助かります。

へうたんの中より手紙届きけり
へうたんの中に見事な山河あり
へうたんの中へ再び帰らんと
すぐそこが見えざる夜や下り鮎
落鮎や大きな月を感じつつ
お見合ひの真つ最中や松手入
よろよろや松の手入に口出して
すぐ乾く母の怒りや大根干す
父親に力ありけり蓮根掘る
凩やうどんがぽんと明るくて
人知れず冬の淡海を飲み干さん
玉子酒持つて廊下が細長し
仏壇の大きく黒し狩の宿
鎌倉に来て不確かな夜着の中
手をついて針よと探す冬至かな
冬至の日墨で描かれし人動く
墨汁が大河のごとし蕪村の忌
ぜんざいやふくら雀がすぐそこに
草城忌水玉もまた男傘
佐保姫が寄席に入つて来たりしよ
うつかりや鶯笛を忘れたる
紙箱に鶯餅やちよんちよんと
花石榴父のお客はみな怖し
かたつむり大きくなつてゆく嘘よ
玉葱を疑つてゐる赤ん坊

二十代(当時)の句にしては、少々季語や言葉の選択(瓢箪や墨、仏壇等)が渋いとは思いませんか?実際、若いのに老人のふりをしていると言うような意見も多少は言われました。僕自身はどれも気に入っている句ばかりですが、若々しいフレッシュな句集であるという、若手の句集にありがちな感想は少なかったように思います。

実は、先ほどの僕の句は全て八田木枯さんの入選句です。僕自身が大人びていたわけでも老成していたわけでもなく、木枯さんに強く惹かれていたため、ちょっと背伸びしたような渋い季語選びや、奇想幻想に憧れたような詠み方をしていたのかもしれません。僕の句の出来というよりも、最晩年の八田木枯の選として、木枯さんの好みを探る手掛かりになればと思い、思いきってここに載せました。

3宿題

幸運な事に、句会に参加していた数人が木枯さんにファックスで句を見ていただけるようになりました。これは僕らの間では「宿題」と呼んでいました。その内容は、木枯さんがいくつか季語を選び、期日までにその季語で三句づつ作り、木枯さんへファックスで送る。しばらくすると、句の上に棒(入選)や丸棒(特選)が付き、コメントが書き足された状態で返送されるというもので、その返事が楽しみで、毎月そわそわしながらファックスを待っていました。

よく覚えているのがその宿題の一回目(確か句会の二次会)の話。木枯さんが宿題の季語を選ぶため、近くに座っていた僕が歳時記をお貸しすると、パラパラっとめくったあとに困ったようなお顔で、うーん、季語がないなぁと。いやいや、季語しか載ってないですからと思い、大変驚きました。しかもその時の歳時記は平井照敏編の割合詳しいものでした。それを季語がないって…。それから数ヶ月の間に、木枯さんが出してくれた季語が以下のものです。

冬至 空つ風 大根干す 達磨忌 冬眠 夜着 ラグビー 枯蟷螂 蕪村忌 秋湿り 冬ざれ 狩 玉子酒 石榴 夜長 松手入 落鮎 草城忌

難しいなぁと悩みながらも、珍しい季語を使う分、いつもとは違う俳句を作る事が出来、とても楽しい時間でした。僕の句集『鶉』に入れた、冬至、大根干す、夜着 、蕪村忌 、狩 、玉子酒 、石榴 、松手入 、落鮎 、草城忌は、この宿題によって出来た句でした。僕の第一句集の季語選びが渋いのはこういうわけです。あの夢のような宿題の時間は、大切な思い出です。亡くなる約三ヶ月前にいただいた年賀状には次のように書かれていました。
題詠続けられる限り、私の力の尽きるまで。
4木枯さんの句評から

木枯さんが書き込んでくれた短い句評が、実に八田木枯らしい感じがしますので、ほんの一部だけ紹介させていただきます。

以下は木枯さんの句評です。
厄介な事です。面白く拝見。ありきたり。この発想は気に入りました。どの句も今一つイメージが広がらない。理が入っているのが気になる。もう少し煮詰める。ちょっと遊び過ぎかも。もう少し巧く言えればよくなります。下句の不安定が効いている。季語平易。発想は面白い。この句、面白し。堂々とした句になりました。さり気なく。
厄介、理、遊び過ぎ、不安定が効いている、発想は良い。堂々とした句、等のコメントは短いながらも特に木枯さんらしいと感じます。

5執着

僕が木枯さんから学んだのは、言葉や題材を偏愛、執着し、自分の世界に深く潜るという事かも知れません。木枯さんが好む題材や言い回しを、密かに「木枯好み」と呼んでいます。阿波野青畝の季語別全句集を開くと、季語の選択の広さに驚かされます、青畝一人の全句集で、十分歳時記として成り立つはずです。木枯さんの場合はその逆で、好きな題材や季語を繰り返し使用するところに特徴があります。言葉や題材を絞る事で、全句集からは木枯という作家の個性が強烈に匂ってきます、とてもディープな。

6好みの季語

全句集一九八五句のうちいくつか木枯さんの好んだ季語を挙げてみます。

「踊」は十三句あります。よく知られている通り、佃の念仏踊を特に好みました。盆踊りからは、死、老い、闇というイメージを貰っていたのではないかと思います。佃の盆踊りはそれに加えて、海、波、佃、念仏踊り、舟唄という要素が加わるところがお気に入りだったのかも知れません。

盆踊佃はいまも水まみれ

盆唄は舟唄にして嗄れし

生者死者入りまじりたる踊かな

「月」は三十五句、美しい、怖ろしいような光、太古から変わらぬ姿、眩しさ、月光が走る、冷えた闇、というイメージでしょうか。

とことはに月ぶらさがる物ならむ

おほぞらがひろくて月を古びさす

月光はすばやし刃物探しあて

誰もが思い付く、木枯さんが一番好んだ題材は「鶴」です。「鶴」二十八句、「鶴渡る」五句、「引鶴」八句があります。美、愛するもの、幻想、憧れ、木枯さんは鶴を様々な象徴で詠み続けました。木枯ファンにとっては、鶴と言えば木枯というような、最も執着した題材です。

滅ぶるかわが旅鶴の手をひいて

鶴の手をひいてよこぎる奥座敷

逢坂や微熱の鶴は夜遊びに

鶴わたるみ空に合せ鏡して

変わったところだと「六月」は二十五句もあります。これは割合としてはかなり多いのではないでしょうか。そしてその二十五句全ての句は「ろくぐわつ」との表記になっています。読み方はもちろん「ろくがつ」ですが、「ろくぐわつ」の表記が生き物のように目に飛び込んできます。なぜ、「ろくぐわつ」だったのですか、と聞いておけば良かったです。

ろくぐわつや古典さながら帆を上げて

あはあはとろくぐわつがある皿小鉢

ろくぐわつのうすきてのひら素甘食べ

今回調べて驚いたのは、全句集に収録されている季語の中で最も使用されているのは「雪」であるという事です。その数は七十二句にもなります。

花は雪におよばざるもの老いにけり

夜に降る雪こそ雪と思はるる

誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ

昼に降る綺麗な雪、というよりも、暗い空、凍りつきそうな冷たさ、死等のイメージがあるのかもしれません。雪ではありませんが次のような句もあります。

貫く光さまよふ光凍死体

他にはあやめ、梅、牡丹、母、障子、鏡、光、死、戦争、手毬うた、歌留多、チンドン屋など好んだ題材がたくさんあります。光と闇、幻や淡いもの、もしくはどろりとしたもの、この世ならざるものに強く詩心が湧くように見えました。

7晩年の句から

毒消しゃあいらんかねぇと素通りす

水の上に水ちらかして鯰捕

寒中の蛇屋は壜をかがやかす

雁わたし落款滲みたるままに

どれも晩年の作品。いくつかは句会で拝見したものもあります。さすがに毒消売りはもう歩いていなかったとは思いますが、きっと題材としてお好きだったんだと思います。古い時代を思い出すという懐古趣味というよりは、その題材が「木枯好み」に合うかどうかを大事にされていたように思います。思い出、またはフィクションというよりは、木枯ワールドの中では、毒消売も歩いているし、蛇屋や鯰取もその辺で見かけるような身近な存在なのでしょう。

雁わたし落款滲みたるままに

この句は僕が特選にいただきましたが、今よりもさらに未熟だった当時の僕は、句評が大変下手でした。えー、雁わたしがよく合っていて、美しいような…、とか何とかその場を誤魔化したように思います。木枯さんは確か「この句なんかは皆の共感を得られるのではないかと」というような事を仰って、あ、この句は自信句だったんだなと強く印象に残っています。

8新年

亡くなる数ヶ月前、四谷ルノアールでの句会の話です。体調が辛そうな木枯さんが急に僕の方を向き、次のように仰いました。
君らの時代では、たとえば新年、正月の感じなんかは大分違うのだろうけれど…。
言葉はここでふっと止まりました。長く話すことは体力的辛かったのだと思います。

正月がすとんと冥し皿小鉢

ひとりでにひらくことあり歌留多函

木偶回しいまはのきはもやつてみせ

とこしへに数を捨てゆく手毬うた

木枯さんの新年の句は、おめでたいというよりは少し妖しい。古くて、美しくて妖しい、そんな楽しい世界を教えてくれようとしたのでしょうか。

9『鏡騒』以降

句会で次のように仰った事があります。
私の句なんかも、もう少し変わりそうな気がして…。
その時に、あ、木枯さんはもう『鏡騒』(第六句集)の次を考えているんだと思いました。八十六歳(当時)で作風を変化させようとしている姿は、感動的でした。

以下は『鏡騒』以降の句です。

ややこしく作つてありぬ雀の巣

酢牡蠣たべ嘘をほんまにしてしまふ

インバネス戀のていをんやけどかな

そして僕の手元にある晩年の句会報には

恋猫は夜のどん底を知りつくす

鉦を打ちそこねて空也上人忌

十二月八日パチンコ総攻撃

等があります。最後の三句は全句集未収録の句。『鏡騒』の次の句集は想像するしかないけれど、きっとさらなる変化があったはずです。木枯さんは三月一九日に亡くなりました。僕がそれを知ったのは数日経ってからで、木枯さんに見てもらうのを楽しみにして、確か鶯笛の句をたくさん作っていた頃でした。見ていただけたなら、丸に棒(特選の印)は貰えたか、やっぱり駄目だったか、もう自分で考えるしかありません。

木枯忌の前後は、毎年鶴に乗った木枯さんの事を想像します。「鶴帰る」の宿題はなかなか厄介です。

天国にもファックスはあるだろうか。

2020-04-05

僕の愛する俳人・第2回 不思議な龍太 西村麒麟

僕の愛する俳人・第2回
不思議な龍太

西村麒麟

初出:「ににん」第74号

1. 龍太について

数年前に親しい方から角川書店刊行の飯田龍太全集(全十冊)を譲っていただきました。どの巻にも教科書のように赤鉛筆で線が引いてあり、さらに読み終わった日付が巻末に記されていて、大切に扱われてきた事が伝わってきます。

龍太の世界を深く覗きこもうと思うならば、全句を繰り返し読む事よりも、十冊の全集を読む方が近道かもしれません。龍太の大切にしている美意識は、釣りや石垣などの一見なんでもないようなエッセイにたっぷりと詰め込まれています。龍太が楽しそうに残した、さりげない、なんでもないような話にこそ、大きなヒントを感じます。

2. 俳句の技術とは

龍太には明朗な句が多く、読者を良い気持ちにさせてくれます。確かな技術を感じさせる句もたくさんありますが、その全句を通して読むと、技巧派というイメージは湧きません。もっとほのぼのとした、暖かな印象があります。後ほどまた龍太の俳論に触れますが、次のような言葉があります。
格別、芸などと考え、術と意識することなく、ただただ表現の妙をたのしむことに専心したのではないか。(「月並礼讃」より)
龍太は俳句の技量のようなものが作品の前面に押し出す事を照れ臭いような、嫌味な感じがすると考えていたのではないでしょうか。もしくはそんなものは真の技量ではないとも。

それでも「龍太時代」とまで表現された人ですから、その生涯で飽き飽きするほど「名人」のような呼ばれ方をしてきた事とは想像できます。しかし、どうも全集を読んだ印象では、「巧い」なんて評価に喜ぶ人ではないように思いました。全句集にはやや妙な句や不思議な句がたくさん収録されており、それらの句には上手く説明が出来ないような魅力があります。代表句〈一月の川一月の谷の中〉もそのような一句ではないでしょうか。

そもそも、実作における俳句の技術(巧さ)とは一体どういう事を指すのでしょうか。回答者の数だけ答えがあるような問いですが、僕は例えば次のように考えます。

詠みたい内容を的確に表現する事が出来る。

感動を定型(あるいは破調でも)に上手く嵌め込む能力と言っても良いかもしれません。その能力で言えば龍太は十分上手い作家であると言えます。三十四歳で刊行した第一句集『百戸の谿』の句をいくつか見ていきます。

夏富士のひえびえとして夜をながす  『百戸の谿』

強霜の富士や力を裾までも

露草も露のちからの花ひらく

鰯雲日かげは水の音迅く

代表句の一つ〈春の鳶寄りわかれては高みつつ〉は二十六歳時の作品です。上記の句はどれも詩情と明快さを合わせ持った作品です。当たり前の事を言っても大して面白くはありませんが、青年時代から龍太は高い技術を持った作家聞こえるでしょう。

しかし龍太の魅力はどうも別の部分にあるような気がします。今回はそんな「不思議な龍太」の紹介が出来れば嬉しく思います。

3. 『童眸』

第二句集『童眸』の有名句と言えば

大寒の一戸もかくれなき故郷

雪の峯しづかに春ののぼりゆく

晩年の父母あかつきの山ざくら

等でしょうか、どの句もよく知られている句です。では次にこれらの句はご存知でしょうか?

子の声と翡翠のゆくへ澱みなし

鍬の影するどくあそぶ土の熱

雀歩くたのしさ霜のトタン屋根

豪華な愚かさ夏富士のいただきまで

百姓のおどけ走りに雪嶺湧く

有名句の例として挙げた句と比べると、乱暴な言い方をすればどこか素人らしい句にも見えないでしょうか?結社の句会やカルチャー教室では省略をもっと効かすように、と添削されてしまうかもしれません。例えば「するどくあそぶ」「たのしさ」「豪華な愚かさ」「おどけ」は過剰表現(言い過ぎ)と判断され、よりスマートな形に添削されてしまう可能性がある言葉です。しかし無駄にも見えるその部分こそ必要な表現だったはずです。

4. 『麓の人』から『涼夜』まで

省略が出来そうな表現、詩になるのかあやしい題材などはますます増えていく傾向にあります。細かく拾ってはきりがないのでいくつかご紹介します。

春の湖山脈西をたのしくす 『麓の人』

灼熱の炉の奥やさし雪の夜は

冬の灯の消されてきえる児童の絵 『忘音』

種蒔くひと居ても消えても秋の昼 『春の道』

返り花風吹くたびに夕日澄み 『山の木』

妹の籠のトマトをひとつ食ふ 『涼夜』

呆然としてさはやかに夏の富士 『今昔』

もちろんこの期間にも誰もが知っている名句は詠まれています。〈一月の瀧いんいんと白馬飼ふ〉〈どの子にも涼しく風の吹く日かな〉〈一月の川一月の谷の中〉〈吊鐘のなかの月日も柿の秋〉〈かたつむり甲斐も信濃も雨の中〉等は季節ごとに誰もが思い出す有名句作品です。

それらの名句と上に挙げた句を同時に発表した真意は何でしょうか。古典となり得るような有名句がいくつもある中で、まるで子どもが詠んだような句も収録されています。龍太の句は何度も通して読んでいますが、時々どんな句を詠めば良いのかがわからなくなり事さえがあります。

5. 龍太俳論より

実作の美意識が読み取れるような龍太の文章をいくつかご紹介します。ほんの一部から切り取って引用しますので、気になった方はぜひ全集から全文を読んでいただけたら幸いです。
どうも私には感覚だの個性だのと言ったものは、それだけでは格別な俳句として上等なものとは思われない。そのひとでないと作れまいと思われるうちは、まだ最上級の名作とはなるまい。(「好尚一句」より)
名句は俳人だけの評価で定まるものではない。真の名句とは、俳人以外の人々のこころに響いて共感を得た場合に生まれる。(「俳句の隆盛」)
特に高浜虚子の句を語る文章(「表現としての俳句の面白さ 虚子『五百句』について」)には興味深いものが残っています。多くの虚子の作品を褒めながらも、以下の有名な虚子の句に対しては低評価です。例を挙げてみます。

白牡丹といふといへども紅ほのか

凍蝶の己が魂追うて飛ぶ

爛々と昼の星見え菌生え

一句目、発見に興じ、表現に過信が見える。二句目、表現に重くれがある。三句目、知恵が入っている。というのが評価しない理由です。一般的には指摘された箇所が句の要点ですから龍太の考えは興味深いものです。これらの龍太俳論を踏まえた上で最後の句集『遅速』に注目してみたいと思います。

6. 『遅速』について

飯田龍太の句集は生涯で全十冊。その最後の句集が『遅速』です。この句集の大きなポイントは、自選である事です。つまり最後の句集ではあるけれど、遺句集ではないという点が重要です。他者の目ではなく、龍太自身の選によって編まれた最後の句集となります。『遅速』は六年間の作品の中から二三六句(龍太の句集では三番目に少ない収録数)。捨てた句は八四九句と中々の厳選です。この句集には、技術的な上手さ(巧さ)に重きを置かない龍太の美意識が最も強く表れています。

満月に浮かれ出でしは山ざくら

おのがこゑに溺れてのぼる春の鳥

それぞれの中七は言い過ぎかもしれません。しかし、龍太の詩魂が山桜に、春の鳥になりきっているように見えるところが、これらの句の魅力です。そのやうに考えると、やはり削れない表現なのでしょう。今までの句集は自然と近い距離を感じさせるものでしたが、『遅速』は作者が自然そのものになりきっているような句が特徴的です。

二三匹菜虫をつまみ文化の日

巫女(かんなぎ)のひとりは八重歯菊日和

兼好忌おたまじやくしは蛙の子

座布団のいろのさまざま春隣り

俳句は最短の詩形ですから、省略を利かし完璧な姿を求めがちです。まるでより完璧な刀を造ろうとする刀工のようです。龍太が最後の句集で示した俳句は、完璧な刀とは程遠い作品です。それどころか、木刀のような、生の素材を感じさせるものです。龍太はおそらく、「完璧な刀」が纏う冷たさのようなものを嫌ったのではないでしょうか。俳句は表面的な技術を追求し過ぎると、作品が大理石の彫刻のような冷ややかな印象を纏います。しかし読者の共感の方を重視すると、多くの賛同を得る代わりに表現は「月並」になってしまいます。現代の俳人の多くは「月並」を嫌い、技術面を優遇しがちではないでしょうか。どちらかが俳句の作り方として正しいわけではありません。実に厄介な事ですが、どちらも手放してはならないものなのでしょう。

僕の好きな『遅速』の句をもう少し紹介します。圧倒的に有名なのは〈涼風の一塊として男来る〉ですが、今回は『遅速』ならではと思う句を。

新涼の離れて睦む山と雲

鶏鳴に露のあつまる虚空かな

眠り覚めたる悪相の山ひとつ

露の夜は山が隣家のごとくあり

ひたすらに桃食べてゐる巫女と稚児

耳聡き墓もあるべし鶫鳴く

龍太の句が特に人から愛される理由は、技術と共感のどちらの要素も一句の中に多量に含まれているからではないでしょうか。だから龍太の句はどこか陽だまりのようにあたたかい。〈どの子にも涼しく風の吹く日かな〉という代表句はその事がよく表れている代表句です。

7. 不思議な龍太

僕が愛唱しているちょっと変わった龍太の作品をいくつか紹介させていただきます。龍太は全句集こそ面白い。

肉鍋に男の指も器用な夏 『童眸』

雪光の中に風呂焚く豪華な音 『童眸』

餅搗のこころ浮遊す石だたみ 『麓の人』

ころころと畳に死蛾を掃く少女 『忘音』

鉦叩元関取も老後にて 『山の木』

涼しくてときに羆の話など 『涼夜』

あかつきの湯町を帰る鰻捕り 『今昔』

涼新た傘巻きながら見る山は 『山の影』

精選句集ではちょっと入集しにくいこれらの作品にこそ、龍太の作家としての面白さが惜しみなく出ています。俳句とはこういうものだ、という考えから自由になる事は、熟練の俳人ほど難しくなってきます。龍太のすごさは俳人としての自由度を最後まで失わなかったところではないでしょうか。

8. 最後に

今年の一月、どうしても一月の狐川が見たくなり、山廬を見学させていただきました(もちろん事前に許可をいただいて)。現在の当主の秀實さんが敷地内の丘に案内していただいた日は、目を開けていられないほどの強い風が吹いていました。秀實さんはいきいきとした表情で「これほどの八ヶ岳颪はめったにない、良い時に来たね」と心底面白がっている様子でした。

龍太に対して上手いなんて表現はつまらない、そうじゃない。大きいだとか、新鮮だとかそんな呼び方の方が似合っている。猛烈に吹く八ヶ岳颪を浴びながらそんな事を考えていました。最後に〈一月の川一月の谷の中〉における龍太自身の文章を引用します。
幼児から馴染んだ川に対して、自分の力量をこえた何かが宿し得たように直感したためである。それ以外に作者としては説明しようがない句だ。(『現代俳句全集』第一巻より)
龍太は大きい、その俳句も。

2020-03-29

僕の愛する俳人・第1回  愛しの夜半 西村麒麟

僕の愛する俳人・第1回
愛しの夜半

西村麒麟

初出:「ににん」第73号

1. 夜半の評価

僕の愛する俳人や俳句をひたすら紹介していく、という連載を書かせていただくことになりました、よろしくお願いします。俳論と言うよりは、俳人や俳句そのものが主人公であるように鑑賞よりも紹介を目的に書き進めるつもりです。一句でも多く、その魅力を紹介出来れば幸いです。

僕が最も繰り返し読み続けた俳句の本を一冊挙げるとすれば講談社学術文庫の 平井照敏編『現代の俳句』です。虚子から始まり107人の俳句作品が20~100句程度掲載されている俳句アンソロジーです。すでに表紙は破れて無くなり、あちこちが手垢で黒くなってしまっていて、ボロボロの一冊にブックカバーを着けては大切に読み続けています。今でもここ数十年の俳句の本の中では最良の一冊の一つだと感じています。その僕の愛する『現代の俳句』ですが、愛読しているが故に不満を感じる部分も多少はあります。その一つが今回のテーマの後藤夜半に対する評価です。夜半ファンの僕としては収録数も少なく(32句、ちなみに青畝は100句収録)寂しく思っています。代表句の「金魚玉天神祭映りそむ」が入っていないことも残念です。

しかし、よく考えてみると夜半の評価がやや低く設定されているのは『現代の俳句』に限った事ではないかもしれません。名前にSが付かないのだから4Sに入らないのは仕方ないとして『俳句朝日文庫』シリーズにも入っていないし(秋桜子、風生、草田男、たかし、茅舎、立子、青畝等のホトトギス作家は入集)、総合誌における夜半の追悼号も偉大なる俳人にしては文量の物足りない印象がありました。夜半は青畝と共に関西の実力俳人として尊敬されていたはずですが、現代では人気においてやや青畝に遅れをとっているようなイメージがあるのは、高柳重信による青畝再評価の評論(阿波野青畝小論)が一つの原因ではないかと考えています。その評論以降、前衛派にまで青畝が再読、再評価され始めたように感じます。現在でも青畝論を書く人は重信の青畝論(簡単に言えば4Sの中では青畝が一番新しいと言う説)に目を通す方が多いはずです。もし重信が魅力的な夜半論も書いていたら、より幅広い層から夜半が評価されていたかもしれません。

2. 夜半らしさ

知っている夜半の句を教えて下さいと言うと、ほとんどの人は「瀧の上に水現れて落ちにけり」を挙げるでしょう。では他にいくつか挙げて下さいと頼んだ場合どうでしょうか?もちろん夜半の愛読者にはたくさんの句を挙げる事が可能です。「探梅のこころもとなき人数かな」「今日の月すこしく缺けてありと思ふ」「十五夜の雲のあそびてかぎりなし」「底紅の咲く隣にもまなむすめ」あたりが滝の句に続いて愛唱されている句でしょうか。
俳人のほとんど全員が後藤夜半を知っていて、滝の句を知っています。しかし、ほとんど全員が知っている有名俳人の後藤夜半の句を、滝の句以外に即座に暗誦出来ないと言う人は案外多いのではないでしょうか。

では夜半らしい俳句とはどんなものでしょうか?

難波橋春の夕日に染りつつ

狐火に河内の國のくらさかな

金魚玉天神祭映りそむ

櫻炭ほのぼのとある夕霧忌

傘さして都をどりの篝守

さし覗く舞子の顔や立版古

関西には粋人(すいじん)と言う言葉があります。辞書によれば、風雅を好み、世態、人情に通じ、花柳界等に通じた人物の事を指すそうです。大阪の曽根崎で生まれ育った夜半には、その粋人の血が俳句を通して濃く表れています。特に昭和4年ぐらいまでは、夜半は上方遊里の名句を量産し、虚子を始めホトトギス内で高いは評価を得ていました。これは初期の最も夜半らしい俳句と言っても良いでしょう。

瀧の上に水現れて落ちにけり

この歴史的な有名句は、箕輪の滝にて作られた作品で、水のかたまりが次から次に飛び出して来るような映像が目に浮かびます。同時にその景が永遠に続くかのような不思議な魅力もあります。写生の見本のような句だと言うような評価もあります。この句が俳句の歴史上極めて重要な一句であることに何ら依存はありませんが、しかしながらこの句が最も夜半らしい一句であるかと言えばいささか疑問に思います。この瀧の句は、作家が生涯を俳句にかかげた結果、奇跡的に神様からポロッと賜わったような、偶然の産物ではないでしょうか。後藤夜半は幸か不幸かその奇跡的な一句が、最も有名な生涯の一句となってしまいました。

昭和4年頃から夜半は遊里の句を詠まなくなります。夜半自身も俳句を変化させ幅広い作品を詠もうと決意したのかもしれません。上方遊里の句を夜半の初期作品とするならば、次に挙げる句以降を夜半の中期作品と呼んでも良いでしょう。

探梅のこころもとなき人数かな

涅槃図のまやぶにんとぞ読まれける

今日の月すこしく缺けてありと思ふ

こぼれたるかるたの歌の見えしかな

大顔をむけたままなる寝釈迦かな

瀧の上に水現れて落ちにけり

瀧水の遅るるごとく落つるあり

第二句集『青き獅子』では

ほころびてあとなき絲や古雛

秋の日に似て山櫻咲きにけり

山上憶良は鹿の顔に見き

浮御堂すこし見下ろす鴨の宿

あとの客娘が案内菌山

遊船のやね向き変り向き変り

等の作品が僕にはすぐ浮かびます。特徴としては句の姿を出来るだけシンプルに美しく整えてあること。季語の持つ働き(効果)を上手く使い、しかも少しづつ絶妙に定石からずらす(今まで詠まれなかった角度から詠む)ことにより、新しみを感じさせる俳句となっています。瀧の句や大顔の寝釈迦はシンプルで美しく、探梅の句や涅槃図、山櫻などは新しい俳句と呼んでも良いのではないでしょうか。夜半の句は、シンプルで美しく、楽しく新しい。同時に句に余白を残すように、どぎつい表現や言い尽くす事を避けてあるために、その新しさには嫌味を感じません。この辺りが後藤夜半の魅力と言って良いでしょう。瀧の句は最も夜半らしい句とは呼べないと書きましたが、中期に見られる夜半のシンプルな美しさがよく現れている作品です。

3. 夜半入門

これから夜半を読んでみようと思う方のために、僕の本棚にあってよく手にとるものをいくつか挙げておきます。

平成14年沖積舎刊行『後藤夜半全句集』
昭和59年俳人協会 後藤比奈夫著『脚註名句シリーズ1⑧ 後藤夜半集』
平成6年ふらんす堂刊行 精選句集シリーズ 後藤比奈夫編『破れ傘』
平成26年ふらんす堂刊行 後藤比奈夫著『後藤夜半の百句』

今挙げた四冊は日頃から頻繁に読み返します。他には昭和51年の「俳句」「俳句研究」の夜半追悼号(共に11月号)や『ホトトギスの俳人101』『よみものホトトギス百年史』『ホトトギス雑詠句評会抄』夜半著『入門花鳥諷詠』等を参考にする場合も多いです。全部読むのは大変ですが、この一冊だけで手軽に読んでみたい、と言う方は『脚註名句シリーズ I ⑧ 後藤夜半集』をおすすめします。もちろん全句集が一番おすすめではありますが…。

4. 課題

夜半の俳句がなぜ現代ではやや通好みに近い感じなのかを考えてみました。そのように書くと夜半の愛読者の方からは叱られるかもしれませんが、立子や素十、青畝等と比べると愛唱されている句の数が少ないように思います。先程記した通り、手に入る資料の数は決して少なくはないのになぜでしょうか。

一つには初期の夜半の句に量産された、上方遊里の句や関西の地名、行事や美意識を詠み込んだ作品が馴染みが薄く、人によっては味わいにくいのかもしれません。

國栖人の表をこがす夜振かな

合邦ヶ辻の閻魔や宵詣

いなづまの花櫛に憑く舞子かな

宝恵駕の髷がつくりと下り立ちぬ

かんばせに葦邊をどりのはねの雨

これらの初期の上方遊里や関西の固有名詞が入った句を難しく感じたり、面白さが伝わらないと考える方もいるかもしれません。

牡蠣舟へ下りる客追ひ廓者

を読んで、幇間等の廓者をイメージするのは確かに難しい時代ではあるかもしれません。一句一句の意味はどれも明快ですから、最初は固有名詞の美しさを味わうだけでも良いのではないかと思っています。

二つ目は、句集の数が少ない事が原因ではないでしょうか。夜半の生前には三冊の句集しかありません。

大正15年『翆黛』
昭和37年『青き獅子』
昭和43年『彩色』

そして昭和53年『底紅』が遺句集となり、生涯四冊の句集しか世に出ていません。八十一歳の生涯にしてはやはり少ない印象があります。名利を求めずに万事慎ましい人柄であった夜半らしい美意識が影響しているのかもしれません。

僕が注目したいのは全句集の中の『底紅時代』の作品です。その名の通り『底紅』に入集しなかった作品群です。夜半全句集には三六〇七句収録されていますが、実は『底紅時代』の句がなんと半数近くの一六五六句もあります。『底紅』も七二五句と分厚い句集です。つまり夜半存命中には「諷詠」や夜半を特別に注目していた人々を除き、その作品を半数程度しか目にする事が難しかったと考えられます。夜半の句は多くの変化、進化を遂げているのに、一般的な読者がその全仕事に目を通すことが出来るまでは平成14年まで待たなければならなかったと言っても良いでしょう。

5. 新しい魅力

『底紅』や『底紅時代』の句は、瀧の句しか知らない、あるいは初期の上方俳句に馴染めなかった方には特に読んでいただきたい。特に『底紅時代』は全句集を購入した人だけが読める知られざる宝の山のような作品群です。これら後期の夜半の句は、一句をぎりぎりまで軽く、柔らかに詠まれています。どこまで句を軽くしても一句として成り立つか、軽みの達人芸と呼びたくなるような技法を感じます。少し多いですが僕の好きな作品を挙げてみます。

『底紅』

香水やまぬがれがたく老けたまひ

底紅の咲く隣にもまなむすめ

魂棚のくはしきことは教はらで

手にお瀧足にお瀧と寒垢離女

初夢の扇ひろげしところまで

涅槃圖の繪解の竿も傳はりぬ

神農の虎ほうほうと愛でらるる

目立たざる涼しき服を夜も着て

大阪はこのへん柳散るところ

繭玉の揺るるあしたもあさつても

クリスマスカード消印までも讀む

鶯の啼き間違ひをして遊ぶ

白酒を買ひ足すといふことをして

又の名のゆうれい草と遊びけり

破れ傘一境涯と眺めやる

『底紅時代』

へなへなと醉うて見せたる花蓑忌

歌留多讀むことは上手と思ひしに

よきコリー飼はれて静か松の内

聞けばする蘇鐡の花の物語

ただ暗き寺の厠や十三夜

花茣蓙の上へなんでも運び來る

ぺろぺろと鳴る草笛を教りぬ

鈴蟲の好きなところへ壺運ぶ

パーテイの人の涼しき一つ紋

太宰府の鷽笛はこれほうと鳴く

一枚の秋の簾の上げ下ろし

食べられてしもた鈴蟲物語

白酒の白きを話相手とす

美しいユーモアと言うものがあれば、後藤夜半の句のようなものを指すのかもしれません。そんな素敵な作品群がもっと読まれるようになれば嬉しく思います。

涼しやとおもひ涼しとおもひけり

この句はもはや「涼し」そのもののような句です。一句を限界まで軽くする事で、風のような空気のような句を詠む事が出来たのでしょう。この句からは「ゆるめた」事すら感じさせないほど自然な柔らかさがあります。実は夜半の句は冒険的で、実験的な新しい俳句なのではないでしょうか。

穏やかな夜半先生の写真は、まぁそう言うことにしておきますか、と賛成も反対も、しなさそうな御顔をされています。

腰曲げしゆうれい草のふとかなし   夜半