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2020-04-12

僕の愛する俳人・第3回 木枯ワールド 西村麒麟

僕の愛する俳人・第3回
木枯ワールド

西村麒麟

初出:「ににん」第75号

1八田木枯

今さらながら八田木枯の紹介をごく簡単にさせていただきます。初めは長谷川素逝、橋本鶏二に師事し、後に山口誓子の「天狼」に参加。その年に厳選の遠星集でいきなり巻頭を取り(三度目の投句)周囲を驚かせる。誓子にその才能を愛されつつも家業に専念するため、昭和三十六年からい十六年の活動停止(木枯三十六歳時)。昭和五十二年にうさみとしおと二人誌「晩紅」を創刊し俳壇復帰(木枯五十二歳)、その後は独特な魅力を持つ俳人として活躍。「洗ひ髪身におぼえなき光ばかり」が塚本邦雄の『百句燦燦』で取り上げられたことも有名です。

よく知られた句をいくつか挙げます。どれも憧れの句ばかりです。

汗の馬なほ汗をかくしづかなり

春を待つこころに鳥がゐてうごく

むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ

冬ふかし柱が柱よびあふも

2僕と木枯さんと鶉

友人の太田うさぎさんが、四谷で開かれていた木枯さんを中心とした超結社句会に誘って下さったおかげで、句座をご一緒する事が出来ました。僕が初めてお目にかかってから、亡くなるまで(二〇一二年三月十九日)約一年ほどの短い期間でしたが、大事な事をたくさん教えていただきました。

唐突ですが、僕が二〇一三年に出した第一句集『鶉』の句を並べます。ちょっと多いですが我慢して見ていただけたら助かります。

へうたんの中より手紙届きけり
へうたんの中に見事な山河あり
へうたんの中へ再び帰らんと
すぐそこが見えざる夜や下り鮎
落鮎や大きな月を感じつつ
お見合ひの真つ最中や松手入
よろよろや松の手入に口出して
すぐ乾く母の怒りや大根干す
父親に力ありけり蓮根掘る
凩やうどんがぽんと明るくて
人知れず冬の淡海を飲み干さん
玉子酒持つて廊下が細長し
仏壇の大きく黒し狩の宿
鎌倉に来て不確かな夜着の中
手をついて針よと探す冬至かな
冬至の日墨で描かれし人動く
墨汁が大河のごとし蕪村の忌
ぜんざいやふくら雀がすぐそこに
草城忌水玉もまた男傘
佐保姫が寄席に入つて来たりしよ
うつかりや鶯笛を忘れたる
紙箱に鶯餅やちよんちよんと
花石榴父のお客はみな怖し
かたつむり大きくなつてゆく嘘よ
玉葱を疑つてゐる赤ん坊

二十代(当時)の句にしては、少々季語や言葉の選択(瓢箪や墨、仏壇等)が渋いとは思いませんか?実際、若いのに老人のふりをしていると言うような意見も多少は言われました。僕自身はどれも気に入っている句ばかりですが、若々しいフレッシュな句集であるという、若手の句集にありがちな感想は少なかったように思います。

実は、先ほどの僕の句は全て八田木枯さんの入選句です。僕自身が大人びていたわけでも老成していたわけでもなく、木枯さんに強く惹かれていたため、ちょっと背伸びしたような渋い季語選びや、奇想幻想に憧れたような詠み方をしていたのかもしれません。僕の句の出来というよりも、最晩年の八田木枯の選として、木枯さんの好みを探る手掛かりになればと思い、思いきってここに載せました。

3宿題

幸運な事に、句会に参加していた数人が木枯さんにファックスで句を見ていただけるようになりました。これは僕らの間では「宿題」と呼んでいました。その内容は、木枯さんがいくつか季語を選び、期日までにその季語で三句づつ作り、木枯さんへファックスで送る。しばらくすると、句の上に棒(入選)や丸棒(特選)が付き、コメントが書き足された状態で返送されるというもので、その返事が楽しみで、毎月そわそわしながらファックスを待っていました。

よく覚えているのがその宿題の一回目(確か句会の二次会)の話。木枯さんが宿題の季語を選ぶため、近くに座っていた僕が歳時記をお貸しすると、パラパラっとめくったあとに困ったようなお顔で、うーん、季語がないなぁと。いやいや、季語しか載ってないですからと思い、大変驚きました。しかもその時の歳時記は平井照敏編の割合詳しいものでした。それを季語がないって…。それから数ヶ月の間に、木枯さんが出してくれた季語が以下のものです。

冬至 空つ風 大根干す 達磨忌 冬眠 夜着 ラグビー 枯蟷螂 蕪村忌 秋湿り 冬ざれ 狩 玉子酒 石榴 夜長 松手入 落鮎 草城忌

難しいなぁと悩みながらも、珍しい季語を使う分、いつもとは違う俳句を作る事が出来、とても楽しい時間でした。僕の句集『鶉』に入れた、冬至、大根干す、夜着 、蕪村忌 、狩 、玉子酒 、石榴 、松手入 、落鮎 、草城忌は、この宿題によって出来た句でした。僕の第一句集の季語選びが渋いのはこういうわけです。あの夢のような宿題の時間は、大切な思い出です。亡くなる約三ヶ月前にいただいた年賀状には次のように書かれていました。
題詠続けられる限り、私の力の尽きるまで。
4木枯さんの句評から

木枯さんが書き込んでくれた短い句評が、実に八田木枯らしい感じがしますので、ほんの一部だけ紹介させていただきます。

以下は木枯さんの句評です。
厄介な事です。面白く拝見。ありきたり。この発想は気に入りました。どの句も今一つイメージが広がらない。理が入っているのが気になる。もう少し煮詰める。ちょっと遊び過ぎかも。もう少し巧く言えればよくなります。下句の不安定が効いている。季語平易。発想は面白い。この句、面白し。堂々とした句になりました。さり気なく。
厄介、理、遊び過ぎ、不安定が効いている、発想は良い。堂々とした句、等のコメントは短いながらも特に木枯さんらしいと感じます。

5執着

僕が木枯さんから学んだのは、言葉や題材を偏愛、執着し、自分の世界に深く潜るという事かも知れません。木枯さんが好む題材や言い回しを、密かに「木枯好み」と呼んでいます。阿波野青畝の季語別全句集を開くと、季語の選択の広さに驚かされます、青畝一人の全句集で、十分歳時記として成り立つはずです。木枯さんの場合はその逆で、好きな題材や季語を繰り返し使用するところに特徴があります。言葉や題材を絞る事で、全句集からは木枯という作家の個性が強烈に匂ってきます、とてもディープな。

6好みの季語

全句集一九八五句のうちいくつか木枯さんの好んだ季語を挙げてみます。

「踊」は十三句あります。よく知られている通り、佃の念仏踊を特に好みました。盆踊りからは、死、老い、闇というイメージを貰っていたのではないかと思います。佃の盆踊りはそれに加えて、海、波、佃、念仏踊り、舟唄という要素が加わるところがお気に入りだったのかも知れません。

盆踊佃はいまも水まみれ

盆唄は舟唄にして嗄れし

生者死者入りまじりたる踊かな

「月」は三十五句、美しい、怖ろしいような光、太古から変わらぬ姿、眩しさ、月光が走る、冷えた闇、というイメージでしょうか。

とことはに月ぶらさがる物ならむ

おほぞらがひろくて月を古びさす

月光はすばやし刃物探しあて

誰もが思い付く、木枯さんが一番好んだ題材は「鶴」です。「鶴」二十八句、「鶴渡る」五句、「引鶴」八句があります。美、愛するもの、幻想、憧れ、木枯さんは鶴を様々な象徴で詠み続けました。木枯ファンにとっては、鶴と言えば木枯というような、最も執着した題材です。

滅ぶるかわが旅鶴の手をひいて

鶴の手をひいてよこぎる奥座敷

逢坂や微熱の鶴は夜遊びに

鶴わたるみ空に合せ鏡して

変わったところだと「六月」は二十五句もあります。これは割合としてはかなり多いのではないでしょうか。そしてその二十五句全ての句は「ろくぐわつ」との表記になっています。読み方はもちろん「ろくがつ」ですが、「ろくぐわつ」の表記が生き物のように目に飛び込んできます。なぜ、「ろくぐわつ」だったのですか、と聞いておけば良かったです。

ろくぐわつや古典さながら帆を上げて

あはあはとろくぐわつがある皿小鉢

ろくぐわつのうすきてのひら素甘食べ

今回調べて驚いたのは、全句集に収録されている季語の中で最も使用されているのは「雪」であるという事です。その数は七十二句にもなります。

花は雪におよばざるもの老いにけり

夜に降る雪こそ雪と思はるる

誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ

昼に降る綺麗な雪、というよりも、暗い空、凍りつきそうな冷たさ、死等のイメージがあるのかもしれません。雪ではありませんが次のような句もあります。

貫く光さまよふ光凍死体

他にはあやめ、梅、牡丹、母、障子、鏡、光、死、戦争、手毬うた、歌留多、チンドン屋など好んだ題材がたくさんあります。光と闇、幻や淡いもの、もしくはどろりとしたもの、この世ならざるものに強く詩心が湧くように見えました。

7晩年の句から

毒消しゃあいらんかねぇと素通りす

水の上に水ちらかして鯰捕

寒中の蛇屋は壜をかがやかす

雁わたし落款滲みたるままに

どれも晩年の作品。いくつかは句会で拝見したものもあります。さすがに毒消売りはもう歩いていなかったとは思いますが、きっと題材としてお好きだったんだと思います。古い時代を思い出すという懐古趣味というよりは、その題材が「木枯好み」に合うかどうかを大事にされていたように思います。思い出、またはフィクションというよりは、木枯ワールドの中では、毒消売も歩いているし、蛇屋や鯰取もその辺で見かけるような身近な存在なのでしょう。

雁わたし落款滲みたるままに

この句は僕が特選にいただきましたが、今よりもさらに未熟だった当時の僕は、句評が大変下手でした。えー、雁わたしがよく合っていて、美しいような…、とか何とかその場を誤魔化したように思います。木枯さんは確か「この句なんかは皆の共感を得られるのではないかと」というような事を仰って、あ、この句は自信句だったんだなと強く印象に残っています。

8新年

亡くなる数ヶ月前、四谷ルノアールでの句会の話です。体調が辛そうな木枯さんが急に僕の方を向き、次のように仰いました。
君らの時代では、たとえば新年、正月の感じなんかは大分違うのだろうけれど…。
言葉はここでふっと止まりました。長く話すことは体力的辛かったのだと思います。

正月がすとんと冥し皿小鉢

ひとりでにひらくことあり歌留多函

木偶回しいまはのきはもやつてみせ

とこしへに数を捨てゆく手毬うた

木枯さんの新年の句は、おめでたいというよりは少し妖しい。古くて、美しくて妖しい、そんな楽しい世界を教えてくれようとしたのでしょうか。

9『鏡騒』以降

句会で次のように仰った事があります。
私の句なんかも、もう少し変わりそうな気がして…。
その時に、あ、木枯さんはもう『鏡騒』(第六句集)の次を考えているんだと思いました。八十六歳(当時)で作風を変化させようとしている姿は、感動的でした。

以下は『鏡騒』以降の句です。

ややこしく作つてありぬ雀の巣

酢牡蠣たべ嘘をほんまにしてしまふ

インバネス戀のていをんやけどかな

そして僕の手元にある晩年の句会報には

恋猫は夜のどん底を知りつくす

鉦を打ちそこねて空也上人忌

十二月八日パチンコ総攻撃

等があります。最後の三句は全句集未収録の句。『鏡騒』の次の句集は想像するしかないけれど、きっとさらなる変化があったはずです。木枯さんは三月一九日に亡くなりました。僕がそれを知ったのは数日経ってからで、木枯さんに見てもらうのを楽しみにして、確か鶯笛の句をたくさん作っていた頃でした。見ていただけたなら、丸に棒(特選の印)は貰えたか、やっぱり駄目だったか、もう自分で考えるしかありません。

木枯忌の前後は、毎年鶴に乗った木枯さんの事を想像します。「鶴帰る」の宿題はなかなか厄介です。

天国にもファックスはあるだろうか。

2016-12-25

【八田木枯の一句】道はみな空に靡けり年の暮 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
道はみな空に靡けり年の暮

太田うさぎ


道はみな空に靡けり年の暮     八田木枯


『鏡騒』(2010年)より。

仕事納めも無事済んで正月休みに入ったビジネス街を歩く。ふだん見慣れた景色がどことなく清浄感を漂わせている。立ち並ぶビルは念入りに清掃され、玄関には立派な門松。でも、その為ばかりではない。歩を運ぶうち、ああそうかと気づく。車も人影も頗る少ないのだ。

道路は彼方まで見渡せて、その果てに空が広がっている。まるで空から伸びて空へ吸い込まれていくようだ。一年もまたこんな道なのかもしれない。すべての道を空へ収めて、間もなく新しい年が来る。




2016-12-18

【八田木枯の一句】惜しまざるものありや年惜しみけり  角谷昌子

【八田木枯の一句】
惜しまざるものありや年惜しみけり

角谷昌子


惜しまざるものありや年惜しみけり     八田木枯

「鏡」3号より。『八田木枯全句集』所収。       

木枯最晩年のこの句、この世の中に「惜しまざるものありや」との問いかけは、読者に向けられているというより、自分自身の心の奥底に呼び掛けているようでもある。下五の畳み掛けるような「年惜しみけり」は自問自答の軽やかさではなく、己の生涯を回顧した末の重量が掛かっている。だが「けり」の詠嘆は単なる感慨に終わっていない。木枯は重篤な肺の病という、逃れようのない運命を負いながら、しみじみと来し方を振り返っている。そこには悲壮感はなく、安易な諦念もなく、淡々と事実を受け入れる創作者としての立ち位置が浮かび上がる。細りゆくいのちを客観的に見つめながら、最期まで俳句を作り続けた木枯の心の灯を手囲いで守るような、こまやかな気息がある。

この句は木枯にしては、独自の個性が淡い句と言えよう。「惜しまざるものありやなし」の余韻を曳きながら、「惜しみけり」と下五にそっと置いたところに、万感の思いが籠る。

「鏡」3号の同時発表作に〈梟や父恋へば母重なり来〉〈天啓や鶴の卵はあをびかり〉〈鶴の子を見失ひたる夜汽車かな〉〈手鞠つく数のあまたをつきにけり〉など華麗な見せ場の多い句に比べると、掲句〈惜しまざるものありや年惜しみけり〉は、ふと深く吐いた息のように地味だが読者の心にしみいってくる。

木枯は延命治療を拒み、ご長女の夕刈さんに看取られ、平成24年(2012)3月19日、枯れきって最期を自宅で迎えた。亡くなる前に書いた言葉が「白扇落ちた」だった。木枯自身が「白扇」となってすうっと谿底へ落ちてゆくイメージは、寂しいがどこか華やいでいる。闇ではなく、白扇は光を返しながら、ひらひらと宙で舞い続ける。永遠の時空で舞う扇は、白く輝く。「光」を懼れ「闇」を愛した木枯は、この世を「惜しみ」ながら、泉下でも扇をかざしながら、俳句を作っているのだろうか。

2015年3月から、長きに亘って木枯俳句に毎月お付き合いいただき、ありがとうございました。鑑賞を執筆できて誠に嬉しいことでした。これがきっかけで、木枯俳句に興味を持っていただけましたら幸いです。




【八田木枯の一句】金屏のうしろの襖あいてをり  西村麒麟

【八田木枯の一句】
金屏のうしろの襖あいてをり

西村麒麟


金屏のうしろの襖あいてをり     八田木枯

「八田木枯少年期句集」より。

 

襖がどの程度開いているのかは、書かれていない情報なので、読者次第。全開でも良いし、ほんの少しでも良い。

どちらにしても金屏の奥、襖の向こう側の空間は変わらないはずなのに、不思議と面白さが変わってくるのではないだろうか。

襖が全開なら、その前の金屏に奇妙な違和感があるだろうし、襖が少しだけあいているのなら、その隙間の暗さは異界へと繋がる扉のようにも見える。

なんでもない日常を、少し奇妙に感じることは、愉快な遊びだ。



2016-12-04

【八田木枯の一句】雪來るか星のひかりに抱かるる星 西原天気

【八田木枯の一句】
雪來るか星のひかりに抱かるる星

西原天気


雪來るか星のひかりに抱かるる星     八田木枯

恒星と惑星の関係と読むこともできるが、隣り合った星と星、夜空を眺めて感得されたものと読みたい。

空を見上げているその視線であれば、「來る」の語の選択は的確(雪は空から「来る」のだ)。

下は、五音にもできるが、六音。ここにもはからいがある。

調べ(音だけを言うのではない。意味と音の交響)をしつらえるための配慮が、句のそこここに見える。

ポッと出てくる句の愉しみも、俳句にはあるが、句の素(もと)が出てきてから一句に定着するまでを、理と情をもって、きちんと制御する。八田木枯は、つねにそれができる作家だったと思う。


掲句は『雷魚』第7号(汗馬楽鈔周辺)より。


2016-11-27

【八田木枯の一句】ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉

太田うさぎ


ふと手紙書いてみたくて枯芙蓉     八田木枯

「雷魚」40号「汗馬楽鈔補遺(壱)」より。

近所の川に架かる橋のうちで最も短い橋の袂に一本の芙蓉が自生している。すぐ目の前の寺から種が運ばれて育ったものかもしれない。長く続いた今年の残暑のせいか、つい最近まであでやかな花をつけていたが、ちょっと見ないうちにみるみる枯れ進んでしまった。

枝の先に枯れた芙蓉の実が幾つも開いている。そういえばその姿は空へ何か便りを送ろうとしているように見えなくもない。ふっと誰それの顔が心に浮かび、特別な用事があるわけではないけれどペンを執りたくなる。ほんとうに書くかどうかは分からない。誰と思い定める宛先もないかもしれない。ただ、なんとなく便箋を広げてよしなしごとを認めてみたくなる。そんなとき、きっと人は少しばかりさみしいのだろう。

2016-11-20

【八田木枯の一句】貫く光さまよふ光凍死体 西村麒麟

【八田木枯の一句】
貫く光さまよふ光凍死体

西村麒麟


『汗馬楽鈔』(1988年)より。

貫く光さまよふ光凍死体  八田木枯

死体に美醜があるかどうかは難しいが、凍死体はその五体が朽ちない点では美しいと言えなくもない。

生物の気配の無い空間で、凍死体(自分でも他者でも、或いは複数でも)が永遠の時を過ごす。鋭く走る光を眺め、うっとりする。

凍死体は羨ましくはないが、その冷たい、清潔な時間を美しいと思う、などと書いたら不謹慎だろうか。


2016-11-13

【八田木枯の一句】信子逝く湯ざめの思ひして淡し 角谷昌子

【八田木枯の一句】
信子逝く湯ざめの思ひして淡し

角谷昌子


信子逝く湯ざめの思ひして淡し  八田木枯

第六句集『鏡騒』より。



八田木枯の師山口誓子の句集『激浪』(昭和21年)の季語分類と論評を行ったのが桂信子であった。自分の師、日野草城の許しを得て、信子は果敢にこの課題に取り組み、膨大な数の季語を分類して次々と誓子作品を鑑賞する。その仕事をまとめたのが信子の『激浪ノート』である。(『山口誓子句集激浪 付「激浪ノート」』邑書林 H11 参照)

信子は『激浪ノート』に、誓子のことを最初は作家として「尊敬するが好きにはなれな」かったと記す。ところがその印象は『激浪』を読んでひっくり返った。「平易な語句、簡単な用語」を用いた作品は、それまでとは劇的に違っていた。「自己凝視」による孤独な作家の営為によって「拡がりから深さへの転換」「自己のいのちとの格闘」がなされていると深い感動を覚えるのである。

私が木枯から『山口誓子の100句を読む』の執筆を依頼され、木枯にインタビューした際、誓子の戦中・戦後の三部作とも呼ばれる『激浪』『遠星』『晩刻』をその生涯の多くの句集の中で、最も高く評価すると言っていた。また木枯は、桂信子についてある評論家に、信子が『激浪ノート』を発表した当時、俳壇で知名度があったかと問われて、『激浪ノート』によって知られるようになったと答えている。

信子は誓子俳句を研究することによって、その文体や骨法、表現力を身につけていった。『激浪ノート』執筆が女流俳人として世に出る機会となったのだ。そんな信子の俳人としての歩みを見つめてきた木枯にとって、2004年12月16日の信子の逝去はことさら感慨深いものだったに違いない。

木枯は信子の死去に際して〈信子逝く湯ざめの思ひして淡し〉と詠んだ。誓子から多くを学び、同じ関西出身の俳人として強い共感を覚えていた信子の死去は、木枯にとって大きな喪失感となり、背筋にうすら寒さを覚える「湯冷め」の実感でもあった。

木枯は同時に〈白菜の断面桂信子の死〉とも詠んでいる。白菜を真っ二つに断ち割った「断面」の見事さに、信子の俳人としての潔い生き方を象徴させている。俳壇の流れに迎合せず、己の姿勢を貫いた一人の作家に対する最高のオマージュと言えよう。11月に生まれ、12月に逝去した信子には、寒さに鍛えられた一本の背骨があり、その生涯の支柱となっていた。

2016-10-23

【八田木枯の一句】秋夕やけ西のあはれを照らすなり  西原天気

【八田木枯の一句】
秋夕やけ西のあはれを照らすなり

西原天気


『汗馬楽鈔』(1988年)より。

秋夕やけ西のあはれを照らすなり  八田木枯

伊勢に生まれ育ち、成年後、長く、東京に暮らした木枯にとって、西は、故郷の方角。夕焼けを見るたび、故郷を、過去を思うのは、いわば当然の、自然なことであったでしょう。

「あはれ」は、いうまでもありませんが、情趣といった意味。


ここから余談。

あるとき、木枯さんが、自分の俳句は「西」の俳句だ、「東」とは違う、とおっしゃったことがあります。プライベートな会話でした。宣言といったものではありません。つぶやきのようなもの。

「東の俳句」とは何をさすのか、無知な私がたずねると、たとえば寒雷系との答え。

そのとき、西のほうで生まれ育った私は、自分も「西」だ、「西」に連なりたいと、ひとり思ったのでした。


2016-10-16

【八田木枯の一句】黒傘ひろげ十月えとらんぜ 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
黒傘ひろげ十月えとらんぜ

太田うさぎ


黒傘ひろげ十月えとらんぜ  八田木枯

「雷魚」89号(2012年)より。

エトランゼ:étranger。英語に訳せばストレンジャー。日本語では、見知らぬ人、異邦人、旅人、などが相当する、という説明など要らぬ程度には知れ渡っているフランス語だろう。

十月は秋の深まりを知る月。色づく木々や水の静けさや雲の行方、あるいは頬をすり抜ける空気の冷たさがいつのまにか人を物思いに向かわせる。ちょっとした孤独感にフランス語の甘美でアンニュイな響きは良く似合う。

大きな蝙蝠傘を開いて街へ出る。傘に隔てられ、見慣れた通りの景色も雑踏も途切れ途切れに目に入り耳に届く。なんだか他郷を行く旅人になったような気分。張り巡らされた傘の黒い輪郭を内なる国境として雨の街を漂うとしようか。

外国語を平仮名で表記するとどうしても稚気や甘さが押し出される嫌いがあるけれど、この句の場合、〈黒傘〉はそれを十分引き締め、また洒落た道具立てとなっている。八田木枯晩年の一句として捨てがたい。


2016-10-09

【八田木枯の一句】胸のうち誰にもみせず紅葉山 西村麒麟

【八田木枯の一句】
胸のうち誰にもみせず紅葉山

西村麒麟


第4句集『天袋』(1998年)より。

胸のうち誰にもみせず紅葉山  八田木枯

本音であり、おそらく本当であるから哀しい。

親であろうと、兄弟であろうと、子であろうと、どれほど深く信頼していても、胸のうちは全部は見せない。ほとんどは見せても、全部は見せないものだ。そういう意味では、人はどんな環境だろうと、少しは一人だ。ましてや恋人(妻や夫でも)に対してよく言葉にする、あなただけには隠しごとはしないわ、と言うのはもちろん嘘である。なんでもかでも口に出して、人と人が一緒に居れるものではないだろう。

本当に本当のところ、心の底にある感情は、本人だけのものではないだろうか。1%も秘密が無いのは、赤子でい続けるぐらい困難だ。
 もちろんそれは、浮気であるとかヘソクリであるとか、そんなケチな話ではない。胸のうちを隠すのは優しさであり、それだけに哀しい。

秋にしみじみ味わうのに良い、大人の句である。

大紅葉わが胸を搔き挘るらむ(『天袋』)

これなんかは、ちょっと胸のうちを出してみた一句。たまには、ちょろっと出さないと、それはそれで辛いのだ。


2016-10-02

【八田木枯の一句】よく澄める水のおもては痛からむ 角谷昌子

【八田木枯の一句】
よく澄める水のおもては痛からむ

角谷昌子


第六句集『鏡騒』(2010年)より。

よく澄める水のおもては痛からむ  八田木枯

秋は大気が澄んで、遠くの山々の尾根や裾まで、よく見渡すことができる。木々の紅葉が進み、葉が落ち始めて、混み合っていた梢もすっきりしてくる。林をゆっくり歩けば、強烈だった日差しも柔らかみを増し、足元まで優しく日の斑を散らすようになる。黄鶲や大瑠璃など美しい小鳥たちも姿を見せ、愛らしい声を聞かしてくれる。

今年は台風や長雨のせいで、川の水量が一気に増し、ふだんは穏やかな暮しを保っている土地を突然に襲うという悲劇が重なった。東関東大震災以来、水の恐ろしさを目の当たりにしているが、穏やかな水は、いきなり凶器に豹変して生き物すべてのいのちを断ってしまう。いのちを支える恵みの水は、唐突に「凶器」ともなるのだ。「狂気」や「悪意」を蔵した洪水という自然災害の要因でもある。

木枯の掲句〈よく澄める水のおもては痛からむ〉には、純粋過ぎるものへの労りがある。匿しておけば傷つかずにいられたのに、秘するべきところまでさらけ出したことによって、弱みを掴まれてしまう。秘匿を守り抜けなかった哀しみがひたひたと滲む。だが深く同情しながら、純粋過ぎることの無知や無防備の危うさをそっと訴えているのかもしれない。

かつてフランス語の教師に「イノサン」(英語の「イノセント」)は、「純粋無垢」のほかに「無知」「愚かさ」の意味も含まれていて、決して良いニュアンスばかりではないと言われたことがあった。『白痴』のムイシュキン公爵ばかりではなく、文学のテーマともなる「イノセント」には悲劇を引き起こす要因があるのだ。

上田五千石に〈水といふ水澄むいまをもの狂ひ〉がある。よく澄んだ水に秘められた「狂気」の感受という点で、木枯句と通い合う。光を透過して底まで見届けることができる澄んだ水は、濁っていれば見られずに済んだものまで明らかにしてしまう。その悔いや「痛み」が憎悪や「狂気」に変わる破壊力を木枯句も、さり気なく捉えているのだろうか。

水面に映るべき木々や人々の映像は見当たらず、水底には、さまざまな影が流されぬように必死で張り付いている。その上を時の流れのように、水は無関心に過ぎ行くばかり。流れの強さにこらえ切れなかった影たちが水に巻き込まれ、つぎつぎと下流へと押し寄せてゆく。やがて海に注ぐ河口にわだかまり、しだいにどす黒い澱となって堆積してゆく。下にはマグマだまりがあって、なにが噴き出すかわからない。つもりに積もった地球の憎悪が潜んでいるかもしれないから、その断層を決して侵してはならない。


2016-09-25

【八田木枯の一句】きりぎりす繃帯よりもむずがゆき 西原天気

【八田木枯の一句】
きりぎりす繃帯よりもむずがゆき

西原天気


『夜さり』(2004年)より。

きりぎりす繃帯よりもむずがゆき  八田木枯

「きりぎりす」の後にリズム上の切れのようなもの(休符)があるものの、意味上の切れではなく、倒置。「むずがゆき」が連体形なので、一物(いちぶつ)と解するべきなのでしょう。

きりぎりすはたしかにむずがゆい。原因は語感なのか形状なのか質感なのか、あるいはそれらが相俟って、なのか。とにかく、むずがゆい。

その比較に繃帯。繃帯も長くしていると、ほんと、むずがゆい。それ以外に、きりぎりすと繃帯が似ているところはない。痒い繋がりで二物が出会った。

比較の相手と二物衝撃を為すという、俳句に伝統的な設計には、まだまだ可能性があるように思います。


2016-09-18

【八田木枯の一句】子どもには子どもが見えて秋のくれ 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
子どもには子どもが見えて秋のくれ

太田うさぎ


子どもには子どもが見えて秋のくれ  八田木枯

『夜さり』(2004年)より。

幼い時分、大人たちには何を言っているか分からない弟の言葉が一人理解できるということがあった。今はもはやそのような能力はない。

犬には犬、猫には猫が見えるように、子どもには子どもが見える。子ども同士にしか読み取れない表情がある。夕映えに照らされたお互いの顔も、だがしかし、刻々と翳り、やがて宵闇に溶け込んでしまう。そして我らは大人になってゆくのだ、子どもだったことなんかいつか忘れて。

短い残照のなかでそのことを予見していたのかもしれない、私も、あなたも。


2016-09-11

【八田木枯の一句】からすみ酢年とつてから長生きす 西村麒麟

【八田木枯の一句】
からすみ酢年とつてから長生きす

西村麒麟


からすみ酢年とつてから長生きす  八田木枯

『鏡騒』(2010年)より。

学校出るまでは色々あるけれど、あとはそんなにないわよ、四十ぐらいまではすぐ、あっという間。そのあとも、あっという間よ。

と飲み屋のお姉さんに教えていただいたことがある。

少年期や青年期と違い、一般的には老後は長い。病気をしたり、厄介ごとに巻き込まれたりしながらも、一歩一歩進んでいく。「年とってから」の意識は自分で決めることで、「長生き」は天が決めること。からすみ酢で一杯やりながら、今日の命を楽しみたい。

長ーい老後は、こわくもあり、楽しくもある。

多分。


2016-09-04

【八田木枯の一句】曼珠沙華噴き出て天をあわてさす 角谷昌子

【八田木枯の一句】
曼珠沙華噴き出て天をあわてさす

角谷昌子


曼珠沙華噴き出て天をあわてさす  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)より。

「曼珠沙華」の茎は、いきなり地下からぬっと地上へ突き出る。細長い蕾は、まるで魔女の赤い爪のようだ。開くと花弁も蘂も反らせて球形になる。その花は、茎のてっぺんに掲げられた妖しい小宇宙となる。虚空に向かって捧げられる、くれないのほむらは、この世の不条理や災禍を嘆き、訴え、怒るようでもある。なにもなかったところから突然「噴き出て」責めるような赤い色を灯すので「天をあわてさす」と作者は捉えた。「天」さえも予期しなかった事態を糾弾する花の勢いなのだ。

このほかにも、木枯は〈犬の息かかりし赤さ曼珠沙華〉〈曼珠沙華曼珠沙華胸閊へたる〉〈曼珠沙華空を流るる鞭の影〉〈曼珠沙華傷口に美は極まれる〉〈曼珠沙華溢るるや我転倒す〉〈曼珠沙華しもとは天をしゆるりしゆるり〉〈牛去つてどつと日暮れぬ曼珠沙華〉などと作っている。「の影」や「しもとは天を」などからは、やはり「責める」意識が働いているように思える。

「曼珠沙華」とはサンスクリット語の音による。仏教では天上に開く花との意があり、見る者の悪行を清浄にするという。『大和本草』によると、「夏月花を生して葉死(か)る、花葉相衛らず、此花下品也、其葉石韮(しびとばな)に似たり一類也、此花を国俗曼珠沙華と云……」と記される。この世に在る者が生前に積んだ功徳によって九品を上中下に分けて、下位のものを「下品(げぼん)」とするが、曼珠沙華は「下品」だという。日本では彼岸花、天蓋花、ほかにもこの世離れした不吉なイメージがあるので、幽霊花、死人花、捨子花、狐花などとも呼ばれる。花と葉を同時につけない様子や毒がある植物という冥さが、このような名前を連想させるのだ。

日本では飢饉のときの緊急食料とし、水によく晒して食べたという。その名残で、かつては田んぼの畔でよく見かけた。もう二十年ほど前のことだが、奈良の明日香村の稲田が実るころ、曼珠沙華が見事な赤を添えていた風景に出会ったことがある。黄金色と赤の色の対比が今でも鮮やかによみがえる。

日本の庭で、園芸種として植えるのは一般的に避けられるようだが、英語では、cluster amaryllis と呼ばれ、美しい植物として観賞される。洋の東西を問わず、好悪の感情はその人によって大きく違ってくるだろう。

木枯の師、山口誓子は「曼珠沙華」を好んでたくさん作っている。例句を挙げると、〈遥けくて眼路暗くなる曼珠沙華〉〈つきぬけて天上の紺曼珠沙華〉〈海陸の間(あひ)の鉄路の曼珠沙華〉〈曼珠沙華紅を失ふ海は何を〉〈蕊張るは物を云ふなり曼珠沙華〉など70句に至る。『激浪』だけで34句、『遠星』2句、『晩刻』10句である。木枯は誓子が伊勢で療養していた時代の戦中・戦後三部作とも呼べる『激浪』『遠星』『晩刻』の作品から多大な影響を受けている。師に例句が多いので、木枯も同様に曼珠沙華に特別な思いを寄せるようになったのかもしれない。

誓子に師事した橋本多佳子も曼珠沙華が好きだった。群れて咲きながらも、茎をすっと伸ばした孤高の冷たさがある花に惹かれていたに違いない。〈曼珠沙華忌日の入日とどまらず〉〈曼珠沙華けふは旅なる吾にもゆ〉〈曼珠沙華咲けば悲願の如く折る〉〈曼珠沙華からむ蘂より指をぬく〉などと内奥の思いと響かせて作っている。

木枯は多佳子とも深い交流があり、手紙のやり取りがあった。多佳子は木枯という才能のある青年に心情を打ち明けることもあったようだ。木枯の句〈曼珠沙華曼珠沙華胸閊へたる〉〈曼珠沙華傷口に美は極まれる〉とともに「天をあわてさす」が多佳子の言葉に動揺する木枯の心情を仮託した表現ではなかったか、などと少々艶のあることを空想するのも、ちょっと楽しい。


2016-08-28

【八田木枯の一句】禿を嘆く粉ナ屋が霧の通夜にきて 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
禿を嘆く粉屋が霧の通夜にきて

太田うさぎ



禿を嘆く粉ナ屋が霧の通夜にきて  八田木枯

「雷魚」89号 「秋のくれ」より。

なんだこりゃ。
今井聖さんでなくてもそう言いたくなる。

身体の、どちらかと言えば劣性に属すると思われる特徴を以て人物を詠むのはなかなか憚られるものだ(急いで断っておくと、私は禿頭を決して蔑視していない。むしろ毛髪が後退した広やかな額を好ましいと見る者だが、個人的な好みはともかくとして)。女性なら貧乳とか?自分で自分に突っ込むのは構わないけれど、人から指摘されるのはやはり面白くない。禿はそうしたものの筆頭に上がるだろう。

それ故、いきなり〈禿を嘆く〉と目に飛び込んでくると度肝を抜かれるわけだ(横書きより縦書きで読むとよりインパクトが増すような気がする)。何なんだ!? と読み進むと弔い客のことと分かる。分かるが、相変わらず唖然呆然とするばかり。禿、粉ナ屋、霧、通夜、と道具立てが多すぎて正しく五里霧中の迷路に放り込まれた気分。何を言いたいんだ?

例えば幼なじみの葬式。久しぶりに顔を合わせた面々と故人のことを語りながらも話題は次第にお互いの近況へと移っていく。身を粉にして働いて気が付けばこんなだよ、と製粉を商う男はつるっと頭を撫でたろうか。

粉屋が帰っていく。喪服に包まれた体はもはや見えず、毛髪のすっかり失われた後頭部が最後に霧の中に消えようとしている、チェシャ猫の笑いのように。

この句が学びの宝庫かどうかは分からない。
けれど、俳句ってつくづく自由だな、とぼんくら頭は思うのでありました。


2016-08-14

【八田木枯の一句】原爆忌折鶴に足なかりけり 角谷昌子

【八田木枯の一句】
原爆忌折鶴に足なかりけり

角谷昌子


原爆忌折鶴に足なかりけり  八田木枯

第六句集『鏡騒』(2010年)。

広島の「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木貞子さんは、12歳でこの世を去った。被爆の苦しみを負った彼女は、病床で折鶴を折り続け、千羽鶴を遺した。

平成28年5月27日、アメリカのオバマ大統領は現職大統領として初めて広島の平和記念公園の式典に参加し、歴史的な一日となった。オバマ大統領は平和記念資料館を訪れた際、貞子の折鶴に見入り、さらに自分で折ったという四羽を資料館に贈った。そのうち二羽が資料館に展示されて大いに話題となっている。大統領の折鶴を見ようと、資料館の見学者が増えたほどだ。

掲句〈原爆忌折鶴に足なかりけり〉の〈原爆〉と〈折鶴〉は作品としては近過ぎる取り合わせかもしれない。だが「足なかりけり」と描写して、読者を一瞬ぎょっとさせる。確かに折鶴は翼、胴、頭部はしっかりあるが、「足」は省略されている。足で立つことはできないので、胴を固定しないと広げた翼はどちらかに傾いてしまう。糸に通して飛行の姿で飾られればよいが、元々はとても頼りない形態なのだ。

木枯は〈足〉の喪失感を強調することによって、原爆のみならず、戦争によって失われたいのち、また身体を損なわれても過酷な生涯に耐えねばならなかった、あまたの戦争被害者への思いを表したかったのだろう。〈足〉のない痛みと哀しみを負った〈折鶴〉に心からの祈りを籠めていたのだ。

同時発表作に〈生者より死者暑がりぬ原爆忌〉がある。木枯は徴兵検査で病気のため、兵役をかろうじて免れた。いつも〈死者〉のことが頭から離れないのは、自分は戦地に行かずに済んだが、代わりに友人、知人が命を落としたという痛恨事があるからだ。長崎と広島の〈原爆忌〉のころの熱風の中、〈死者〉が生身の人間よりも暑がるというのは、身近にその存在を生々しく感じているゆえだろう。

〈足〉なき折鶴を供華として、大戦後も木枯は戦争句をひたすら詠み続けた。また今年も終戦記念日が巡ってくる。泉下で木枯は、この世の〈生者〉のために折鶴を作ってくれているかもしれない。



2016-08-07

【八田木枯の一句】風の中の銀河となりぬ誘惑へ 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
風の中の銀河となりぬ誘惑へ

太田うさぎ


風の中の銀河となりぬ誘惑へ  八田木枯

第一句集『汗馬楽鈔』(1988年)より。

黙読しながらつい中島みゆきの「地上の星」のメロディーが頭の中で鳴りもするのだが、風に瞬く星というのは詩的イメージを膨らませやすいモチーフなのだろう。

〈風の中の銀河〉。かっこいい。けれどちょっと恥ずかしい。更に〈誘惑〉である。まあ、どうしましょう、と思う。作者が真面目な分、面映ゆさは読者に受け渡されるので困ってしまうのだ。

夜空いっぱいにきらめくミルキーウェイから誘惑への展開はまるでギリシャ神話のような浪漫趣味だけれど、〈天の川〉ではなく、〈銀河〉の硬質な響きとそこを吹き渡る風が冷たい熱情を感じさせる。そして誘惑への強い意志も。心のなかに氷点下の星をあまた煌めかせて夜空を駆ける孤独な誘惑者……書きながら一人赤面する。

後年、〈しがらみと言へば戀なり冷し葛〉〈心中して祭の笛をさがしませう〉と言った遊び心を得意とした作者に、このような若書きのあったことを覚えていたい。


2016-07-31

【八田木枯の一句】帰省子に石鹼淡く減りゆきぬ 西村麒麟

【八田木枯の一句】
帰省子に石鹼淡く減りゆきぬ

西村麒麟


帰省子に石鹼淡く減りゆきぬ  八田木枯

『鏡騒』以後。

帰省子は特別可愛いものです。少しの期間実家(田舎の方がより感じが出るかもしれません)に帰って、ただごろごろしている我が子を、これを食べよ、あれも食べよ、ささ、お風呂に入れ、と年老いてゆくばかりの家族が、愛情べったりにもてなしてくれます。

帰省子は薄情でもあるので、やがて田舎は退屈だとつまらなそうに過ごすようになり、休みが終わるとまたいきいきと東京さに戻って行ってしまいます。その後田舎に残された家族は、いつも通りの静かな生活へと戻ります。

淡く、楽しく、少しかなしく、帰省とは、そんなものです。

そんな感じがこの句にはあり、見つめていると、少し切ない。