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2021-01-24

本の署名を考える 四ッ谷龍

本の署名を考える

四ッ谷 龍


1. 署名は公開されうるものと考える

自分の著書をはじめて出版した人にとって、読者や知人から「本にサインして~」と言われるのは、鼻がぴくぴくするうれしい出来事だろう。それは相手が自分を尊重してくれている、少なくとも悪意は持っていないということの何よりの証拠なのだから。

世の中には本に署名するのもされるのも好きではないという人がいる。たとえば、


これはこれで一つの見識であるが、この文章は署名をするのもされるのも嫌いではないという人のための原稿である。

さて、では署名はどんなことを書けばいいのだろうか。自分の名前だけ? 相手の名前を書いたほうがいい? 句集だったら自句を一句書いてあげようか? 

それについて、正解はありません。自分が好きなように書けばいい。

だけど、何をどう書いてもいいのか、と言われれば、待った、そこはちょっと慎重に考えたほうがいい、と申し上げます。

たとえば本の扉に

 てんきさま はあと ゆみこ

と書いたとする。このサインに相手が喜んでくれたとしても、本というものはリサイクルされて古本として流通する可能性があるということを、よくよく考えなければいけない。のちに古書店でこの本を手に執った人は、「てんきさんとゆみこさんはいったいどういう関係にあったのだろう」と妄想をふくらませることになる。

「尊敬するあの人に限って、私の本を古本屋で処分したりするはずがない」と思うかもしれない。しかし人間には寿命というものがある。その人が亡くなったら、家族が古本屋に蔵書をまとめて売るというのはよくあることなのである。あるいは、その人が認知症になったら、周囲の人が蔵書の整理をやり始める。そうなると、本がオークションなどに出されて署名までネット上で晒される可能性がある。だから本の署名というのは、社会になかば公開されるものと覚悟して行う必要があるのだ。

私自身、贈呈した著書がサインとともにオークションサイトに上げられ、しかもこちらが添えた手紙の画像までサイト上に載せられているのを見て、非常に嫌な思いをしたことがある。この場合は、ご当人が高齢のためにお世話した人間が見境なく本を処分したもののようだが。

2. 謹呈カード? 恵存? 挿架?

私の俳句の師匠である藤田湘子から、いちどこう言われたことがある。
今の奴らは物を知らないから、句集を贈るときに「謹呈」のカードを挟むだけで済ませてしまっている。本を贈るときは、一冊一冊に相手の名前を書いて、「恵存」と添えて署名して送らなければいけない。
いろいろな方から句集を贈っていただくけれども、それらはほとんどすべてが謹呈カードで処理されていて、いまどきサイン本をいただくのは稀である。自費出版の場合、印刷所に宛先ラベルと謹呈カードを預けて、寄贈本は工場から直接一括発送してもらうというシステムを採用することが普通になってきているから、そういう傾向になる。

これには本を何人に寄贈するかということも関わってくる。数十冊しか送らないのなら全部に署名することも可能だろうが、何百冊も寄贈しまくるという人には、それは無理というものだ。湘子先生は何冊ぐらい寄贈していたのだろう。本当に全部に署名していたのかな?

社会的儀礼に関しては、飯島晴子さんほど間違いのない人はいない。句集『寒晴』を出版されたときには私にも一冊贈ってくださり、そこには写真のように立派な署名がされていた。どう署名したらいいか迷っている人は、これを真似して書いておけばとりあえず大過はあるまい。



ところが、贈呈する本に「恵存」と書くのは失礼である、と言い出す人がいた。国文学の泰斗、池田弥三郎先生(1914-1982)である。
後輩の一人がわたしに自分の著書をくれて、扉に「池田弥三郎先生・恵存」と書いた。この後輩にも言ってやった。
――君。「恵存」というのは先輩が後輩に贈るときに使うんだ。「おい、とっとけよ」ぐらいの語だ。君がわたしに贈るのなら「挿架」とでも書きたまえ。「書棚の片隅にでも、おさしはさみおきください」ということになる。(池田弥三郎『郷愁の日本語――市井のくらし――』)
この文章は「文藝春秋」の昭和54年7月号に掲載されたのだが、読者からの反響が大きかったようで、その中におそらく異論もあったのであろう、翌月号で池田自身が釈明することになった。
恵存という語は、もともとは謙辞ではなく、「とっておけよ」といったような意味だということは、だいぶ以前のこと、中国文学に造詣の深かった、なくなった私の叔父、池田大伍から聴きました。その後、五、六年前だったと思いますが、吉川幸次郎先生のお説として、土岐善麿先生からうかがいました。そのとき、やはり土岐先生が、「挿架」という語があることを、吉川先生のお説として、教えてくださいました。(中略)
わたしの小文は、もちろんああした戯文ですから、ことばの慣用や通用をことさらに無視して、わざとペダンティックに、語原説を持ち出して、話を効果的にいたしたわけであります。
言うまでもなく、ことばは、その慣用や通用は無視できません。近代・現代のことばの辞典は、その慣用・通用を主として、説明いたしますし、それで十分に現代語の辞書として役立ちます。恵存が、かりにもとはどうであれ、今日、謙辞として通用し、慣用していれば、それはその限りにおいて、あやまりではありません。(中略)
ざれぶみで、とんだおさわがせをいたしました。(同書)
ことば遣いというのは時代とともに変わっていくもので、語源に過度に拘泥する必要はないと、泰斗も保証してくださっていますね。「恵存」の代わりに「挿架」と書いておくと、学のある人と思われるでしょうが、「知識をひけらかしやがって」と逆に顰蹙を買うかもしれません。

世の中にはさらにうるさい人がいて、署名するときは相手の姓だけを書くべきで、名を書いてはいけないという説があるらしい。「四ッ谷龍樣」と書くのは失礼で、「四ッ谷樣」としなければいけない。これは、「この世界で四ッ谷樣と言えば龍様のことに決まっております。わざわざ下の名など書くのは、あなたはそれほど知られておりませんと言っていることになってしまいます」という意らしい(≫こちら)。

しかし名字帯刀がサムライにしか許されていなかった時代とか、本を出版したり受け取ったりするのが数少ない知識人の特権だった時代ならいざ知らず、これだけ出版事業が大衆化した今の時代、「鈴木様」「山田様」などと書いてもいったいどこの鈴木さんやら山田さんやらサッパリわからないことになってしまうだろう。こういうルールはもはや賞味期限切れということにしておきたいものだ。

3. 名刺への署名

さて、世の中にはもらった本をろくに読まずに古本屋に売ってしまう人がいる。その結果、刊行後日を経ずして古本屋に自著が並ぶことがあるのは、著者としてはあまり喜ばしくないものである。しかもそこに署名がしてあると、送り主は安く見られた感じがしてしまうし、受け取り主はいかにも情の無い人のように思われてしまうだろう。そこで、署名は本には直接せず、名刺を挟んでそこにサインするという手を考える人もいる。古本屋に売る時にはこの名刺は捨ててくださいね、そうすればお互い嫌な思いをしなくてもすみますから、と暗にお願いしているわけだ。ところが、中にはそれを捨てることすらサボって、名刺ごと古本屋に売ってしまうものぐさ太郎も存在するから、厄介である。石垣りんの詩「へんなオルゴール」は、そうした事例について語ったものだ。
ところは銚子
ある年 海に近い国民宿舎で
歴程夏のセミナーが開かれた。
二日目遅れてかけつけた私が夕食を終えたころ
玄関ロビーに見知らぬ紳士の来訪あり
古本屋で買ったアナタの詩集『表札など』に
サインせよ とはかたじけない。
そのとき本の間にはさんであったのも
捨てずにおきましたと。
捨てないばかりか
ひらいて見せた扉の上にぴったりはりつけてあった
一枚の名刺
丸山薫様 石垣りん
おお 帆・ランプ・鷗!
(「へんなオルゴール」より――詩集『略歴』所収)
この件を石垣はエッセイにも書いていて、その中でなぜ丸山薫は名刺一枚捨てる手間すら省いたのかと恨み節を綴っていた。

人から頂戴した本を処分するときには相手の感情を害さないようによくよく配慮しないと、後から無念の思いを詩や文章に書かれかねませんよという、いわばマナーに関する教訓譚としてこの詩をときどき思い出す。

4. 人にサインを求められたら

以上が献呈本に自分からサインする場合の話。

続いては、本を買ってくれた人から「サインして~」と頼まれたとき、どうするかである。

有名人のサインがほしいというのは、時代や国を問わない人間の欲望のようで、『おくのほそ道』には、全昌寺に泊まったときに若い僧たちが紙と硯を持ってきて「サインしてぇ~」と芭蕉に追いすがる場面が描かれている(私も小学生の時にはサッカーの杉山選手のサインをもらったし、大学生の時には、ピアニストのマルタ・アルゲリッチにサインをもらいに、楽屋出口へ押しかけたっけ)。

せっかく本を買ってくれた人には、できれば機嫌よくサインに応じてあげたいものである。私の場合は通常、相手の名前、句集の中の一句(散文集の場合は一文)、自分の名前、日付というのをセットにして署名している。日付も入れるのは、後で触れるが西洋風のやりかたを真似たもの。このへんはいろいろで、高名な作家がサイン会で次々サインしなければならないときには、自分の名前を書くだけで精一杯だろう。あれこれ情報を書き込むのは本を汚すから、サインは著者名だけでよいと考える向きもあるに違いない。

以前ネットで読んだ話だが、タダで手に入れた本に著者のサインをねだり、それを古本屋に叩き売った人物がいるという。つまりサインをねだったのは、本の売値を少しでも上げてやろうという下心によるものだったわけだ。心からの厚意がしばしば裏切られて逆用されるのは、残念ながらサインに限らず世の中によくあることのようだ。

5. いろいろなサイン

さて、最後にいろいろなサイン本の実例を見てもらおう。

塚本邦雄『増補改訂版 薔薇色のゴリラ――名作シャンソン百花譜』(北沢図書出版)


塚本先生は万年筆を使うとき、ペン先の表裏をさかさまにして字を書かれていた。「専門家はこういうペンの持ち方を嫌うんですけどね」と言いながらサインしてくださった。さかさまに持つせいで、字に鋭角的な造形が生まれ、そこに先生の個性がよく表現されている。

ところで余談だが、「今日はサインを求められるかもしれないな」と予感したら、サイン用の自分のお気に入りのペンを持ち歩くようにしたい。好きなペンでサインすると、気合も乗るというものである。ペンの持ち合わせがなくて相手の筆記具を借りてサインするのは、他人のパンツを穿いて歩いているような気がして、私はどうにも落ち着かない。

鴇田智哉『エレメンツ』(素粒社)


画像は素粒社のツイートより。

この本は見返しが黒い紙だったので、いったいどうやってサインするのだろう、と考えていた。もう2枚めくって白い扉にサインするのかな、と思ったら、黒地の上に銀ペンを使って署名している。銀ペンのせいで金属的な印象が生まれた。普通の万年筆でこういう崩した絵画的な署名をするとちぐはぐになってしまうのだが、筆記具をくふうすることで変格的なサインも可能になってくる。

個性を表現するために独自にカラーペンを使用する人もいるが、そうしたインクは変色したり褪色したりする可能性があることは想定しておいたほうがいい。墨や大手万年筆メーカーのインクは、そうした変化が少ないことがすでに確認されている薬品なので、普遍的に利用されるのだ。

亜樹直『神の雫』(講談社)


亜樹直は『金田一少年の事件簿』『サイコドクター』など数多くのヒット漫画の原作者として知られている。『神の雫』はワインをテーマとした大河漫画で、神咲雫と遠峰一青の二人が究極のワイン「神の雫」とは何かを求めて競うという物語である。この漫画は日本だけではなく韓国でも大ヒットし、さらにはワインに関する知識教養を広めた功績によって作者がフランスにおいて芸術文化勲章など数々の顕彰を受けている。

実は亜樹直というのは2人の共同ペンネームで、姉と弟が共同で執筆している。お姉さんのほうと私は小中学校の同窓で友人であることから、飲み会ではよくとっておきのワインをご馳走になっている仲である。

わが家のトイレには『神の雫』全44巻と続編の『マリアージュ ~神の雫 最終章~』全26巻が山積みになっていて、それを引っ張り出して読み返すのがトイレに行く楽しみである。(汗)

このサインもそうした飲み会の席でお願いして書いてもらったもの。さすがに漫画本のサインということになると、堅苦しい署名は似合わない。性格としては色紙とか、野球選手のサインボールとかに近いものになるので、亜樹のサインもやわらかい崩し字になっている。サインとはある意味デザインの一部であるから、本の性格と署名の字体・内容は一致している必要があるだろう。まさに「字は人なり」である。

小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)


白いページの中央にリチャード・ブローティガンの文章が印刷されている。
言葉とはなにもないところに咲く花々。あなたを愛している。
サインを小津さんに頼んだら、この引用句を輪で囲みながら、自画像(?)とローマ字の署名を書き加えてくれた。サインの入れかたがとてもうまく決まっているので、「最初からここにこういうサインをしようと思って文章を一行入れるレイアウトにしたの?」と本人に聞いたら、うなずいていた。造本にあたって署名のことまで想定するとは、よくそこまで考えるなあ。小津さんは策士ですね。

ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』(ピエール・ラフィット社)

ネットで外国語の署名の例を探していたら、ある古物商のサイトでガストン・ルルーの署名が見つかったので、紹介したい。


フランス人はこのように、扉の隅に斜めにサインするということをわりと好んでやる。この本では左上に書いているが、右下に書いたりとか場合によりいろいろである。ルルーは次のように署名している。
モード・パテ、わがミキとちびのマドレーヌの大事なともだちへ
楽しかった怪人の車の思い出をこめて
ガストン・ルルー ニース、1921年1月1日
フランス人は「××の思い出に」というような言いかたを好みますね。それから、署名した土地の名前と日付を入れる。

人名について補足しておくと、モード・パテは有名な映画会社「パテ社」の創業者であるシャルル・パテの娘。ミキとマドレーヌは、ルルーの息子および娘である。

版元のピエール・ラフィット社は、モーリス・ルブランの「怪盗紳士ルパン」シリーズを刊行した出版社でもあるが、ルルーは自分の「黄色い部屋の秘密」を「ルパン」がパクったと思ったため、二人の作家の仲は険悪だったという。

吉岡実『ムーンドロップ』(書肆山田)


おしまいに、ひとつ自慢をさせていただこう。詩人の吉岡実さんが、生前最後の詩集『ムーンドロップ』に妻の冬野虹と私のために書いてくださった献辞である。妻の名前のほうを先に書いてくださっているのは、吉岡さんらしいレディファーストの細やかな心遣いだ。

版元の書肆山田の事務所で、出来上がった本に署名しながら吉岡さんは「僕はこの二人の名前を並べて書くのが大好きなんだ」とおっしゃっていたそうである。

塚本邦雄先生も「虹というのは龍さんに合わせて考えたペンネームなんですか? ほお、違うんですか。とてもいい組み合わせですねえ」とおっしゃってくださったものである。虹というのは、古代中国では龍が空に横たわった姿だとみなされていたので、(龍を暗示するため)虫偏になっている。だから「龍」と「虹」はうまいペアになっているわけだ。私の名前は本名であるし、虹のペンネームも私と出会う前から使っていたものなので、示し合わせたわけでもなくこれは偶然の符合であるが。

『ムーンドロップ』を取り出し、表紙をめくって献辞を眺める。吉岡さんのひとことひとことが、思い出によみがえる。やがて目を閉じると、吉岡さんやあの世に行った人たちの姿が脳裏にありありと浮かぶ。心は在りし日へと飛んでゆき、すでに私はあの世の住人たちと語らっているのである。

(石垣りんの詩の所収探索にあたって、永島靖子さんのご協力をいただきました。記して感謝します)

2012-12-16

第129回現代俳句協会青年部勉強会 四ッ谷龍講演会 俳句は音韻をどう利用してきたか

第129回現代俳句協会青年部勉強会
四ッ谷龍講演会
俳句は音韻をどう利用してきたか
静塔・虚子・誓子・草田男をコンピュータ解析する


鶏頭はなぜ「十四五本」なのか? 大根の葉はなぜ「早く」流れるのか?

音韻という側面からこれらの句を見ると、従来の解釈とはまったく違った理解が見えてきます。大量の俳句をコンピュータ解析することで、俳句の中にはどのような音の形が隠れていたかがくっきりと浮かび上がります。スライドや音楽を使用して、俳句の音韻とはどのようなものかをわかりやすく説明する、これまでの俳句の解釈法を根底から問い直す新研究です。2012年9月に宇都宮で行われ、大好評を博した講演を、その後の成果を加えて再演します。

日 時 平成25年1月26日(土)18時30分~21時(予定)
会 場 豊島区立舞台芸術交流センター あうるすぽっと会議室B
      170-0013 東京都豊島区東池袋4-5-2 ライズアリーナビル3F
      TEL.03-5391-0751 
参加費 1,500円(学生1,000円)

お申し込み、お問い合わせなどは、現代俳句協会青年部まで
(お申し込みは、Eメール・FAX・はがきでお願いいたします)
E-mail:genhaiseinenbu@yahoo.co.jp
〒101-0021 東京都千代田区外神田6-5-4 偕楽ビル7階
TEL 03-3839-8190 FAX 03-3839-8191(当日のお問合せは不可)

2010-12-26

魚と鳥と  四ッ谷龍

魚と鳥と
──第三十七回俳諧時雨忌の句座にて

四ッ谷 龍



こんにちは、本日この句座で捌を務めることになりました四ッ谷龍です。

芭蕉の忌日にちなむこの会では、蕉翁の冬の句から捌が一句を選んで発句とすることになっています。私が今日用意したのは、

  魚鳥の心はしらず年わすれ

という、元禄四年の作品です。

この句は、山口素堂の家に、芭蕉と、各務支考、松倉嵐蘭が集まって、忘年会をひらいたときに制作されたものと言われています。

この句を読んで、まず「魚鳥の心」というのはいったい何かということが気になるのですが、これには典拠がいくつかありますのでそれを知る必要があります。

魚鳥を詠んだ詩として有名なものに、中国の陶淵明が書いた「歸園田居五首」があります。全体が五部構成になっている長い詩ですが、その最初の部分に魚と鳥が出てきます。

  少無適俗韻  少きより俗韻に適ふこと無く
  性本愛邱山  性 本と邱山を愛す
  誤落塵網中  誤りて塵網の中に落ち
  一去三十年  一たび去ること三十年
  羈鳥戀舊林  羈鳥 舊林を戀ひ
  池魚思故淵  池魚 故淵を思ふ
  開荒南野際  荒を開く南野の際
  守拙歸園田  拙を守りて園田に歸る

「若いころから俗世間の会話にはついていけず、もともと丘や山を愛する性格であった。誤って汚れた役人生活のしがらみに入ってしまい、そのまま故郷を去って三十年がたった。籠の鳥は昔住んでいた林を恋しがり、池に飼われた魚は育った淵のことを思うものだ。南の野の端で荒地を耕そうと、世渡り下手の本分を大事にしてふるさとの田園に帰ることにした」

陶淵明は、四十一歳で役人の仕事を辞めて故郷に戻ります。そのときに作った詩が、有名な「帰去来の辞」(帰りなんいざ、田園 將に蕪れなんとす なんぞ帰らざる)ですが、「歸園田居五首」も同時期に書かれたものなのでしょう。

淵明の言う「羈鳥 舊林を戀ひ 池魚 故淵を思ふ」とは、都市部の俗世間を厭い、田舎の生活をなつかしむ心というように、理解できると思います。

それから四百年ほどが経ち、唐の時代の詩人白楽天は、陶淵明を引用するようにして「微之を憶(おも)」という詩を作ります。微之とは、元微之という詩人のことです。この時期、白楽天も元微之も権力者に疎まれてばらばらに地方へ左遷されていたという背景があります。
  
  與君何日出屯蒙    君と何れの日か 屯蒙を出でん、
  魚戀江湖鳥厭籠    魚は江湖を戀ひ 鳥は籠を厭ふ。  
  分手各抛滄海畔    手を分ちて 各ゝ滄海の畔に抛ち、
  折腰倶老緑衫中    腰を折つて 倶に緑衫の中に老ゆ。 
  三年隔濶音塵斷    三年 隔濶して 音塵斷え、
  兩地飄零氣味同    兩地 飄零して 氣味同じ。 
  又被新年勸相憶    又た新年に相憶ふことを勸めらる、
  柳條黄軟欲春風    柳條黄軟にして 春風ならんと欲す。

「君といつの日になったら、苦難を脱出できるのだろう。魚は川や湖を恋しがり、鳥は籠を嫌う。つないだ手は離れてどちらも海際に放り出され、腰をかがめて緑の官服を着たまま老いていく。三年間遠く隔たって消息もなく、それぞれの土地でさまよう様子はどちらも同じだ。また新年がおとずれ、相手のことを憶わざるをえない、柳の枝は黄色く柔らかく、春風と一体になろうとしている」

ここで「魚は江湖を戀ひ 鳥は籠を厭ふ」と言っているのは、実は僻地を嫌い都をなつかしんでいるということなのですね。淵明が都の生活を嫌って故郷に戻ったのとは逆に、楽天は田舎を脱出して都で生活したいと言うのですね。こういう社会の交わりを求めるところが白楽天の人間くさい部分で、面白いですね。

この詩が収められた、白楽天の『白氏文集』は、日本にも輸入され、平安時代以降のわが国の文学に大きな影響を与えたということは、多少とも古典文学について知る人ならばご存知でしょう。

「微之を憶う」の詩から直接に影響を受けた文章として、鎌倉時代、鴨長明の『方丈記』があります。

今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。

「今、淋しい住居、一部屋だけの庵、これを自分から愛好している。やむをえず都に出れば乞食さながらのありさまを恥ずかしく思うけれども、帰ってきてここにいるときには、ほかの人が俗世の汚れの中をあくせくしていることをかわいそうに思う。わたしの言うことを疑うのなら、魚と鳥の様子を見てごらん。魚は水に飽きない。魚でなければ、その心は理解できない。鳥は林に住みたいと思う。鳥でなければその心はわからない。世俗を離れて住む者の心地もこれと同じだ。住んでみなければ誰にもわかるまい」

魚鳥のたとえを使っていることや、「気味」という同じ単語を用いていることから、長明が楽天の文章を引用していることがわかると思います。ただし、長明は本来の陶淵明の詩に戻って、ここでは「魚鳥の心」を「俗世を嫌って隠棲したいという気持ち」と解して使っています。

さて、松尾芭蕉の

  魚鳥の心はしらず年わすれ

ですが、やはりこれは『方丈記』の記述を踏まえた一句と解釈できるでしょう。

しかしながら、単に長明をなぞるのではなく、この句で芭蕉は二種類の意味を掛け合わせているんじゃないかと、私は考えるんですね。一つは表面の字義通り、「魚や鳥の気持ちなんか、われわれにわかるわけがない。今日は人間同士楽しく忘年会をやろうゼ」ということです。

ところがその一方で、「魚鳥の心」を「俗を好まぬ侘びの心」ととるとどうなるでしょう。「われわれ俳人は、魚鳥と同じように俗世間を厭う存在だ。そういう風雅の心は、なかなか世の人から理解されないものである。しかし今日は仲間同士だから打ち解けて年忘れの会としよう」ということになるんじゃないでしょうか。

バカになって大いに楽しもうじゃないかという呼びかけと、静かに侘びを味わおうじゃないかという、一見矛盾するような気持ちを同時に表現しているのですね。自分たちのことを茶化しながら、ウィンクして、実はただ騒ごうとしているわけじゃないんだぞ、それくらいわかるよな、と言っているような感じです。

芭蕉は、古典の教養を利用して句にダブルミーニング(二重の意味)を持たせようとするのが大好きな人でした。この句などもそうした例の一つと言えるのではないでしょうか。

芭蕉からさらに三百年が経ち、現代の俳人、田中裕明が魚と鳥をテーマとした俳句を作りました。

  春の海魚と鳥と寝るならば

『櫻姫譚』という句集に収められている作品で、彼が三十代に発表したものです。
裕明には、最晩年の句集『夜の客人』の中に収録された

  ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ

という句があります。自分で自分を「人嫌ひ」と表現するくらいですから、彼にも「魚鳥の心」、つまり閑居を愛する心があったということでしょう。

裕明は読書家で、古典にも通じていましたから、「春の海」の句で魚鳥を取り上げるにあたって、先行作を典拠として半ば意識していた可能性は高いでしょう。直観で言えば、芭蕉ではなく鴨長明を意識していたのではないかという気がします。裕明の愛読書などを研究される方がおられましたら、いずれそうしたことも明らかになるかもしれません。

こういう句を読むと、われわれはつい「田中裕明は伝統を大切に守った人だ、古典を大事にした人だ」と言いたくなります。しかしながら、陶淵明の詩と裕明の魚鳥の句を並べて比べると、読後の「手ざわり」とでもいったものがかなり違うことに気づかれないでしょうか。また鴨長明とも違うのではないでしょうか。

陶淵明から私は、世の中を冷ややかに眺めながら悲しみの中に鬱屈するような精神を感じます。「歸園田居五首」の後半には、散歩中に家族が離散して空き家になった住居をみつけ、暗い気持ちになって帰って酒で憂さをまぎらわす場面があります。
また、鴨長明からは、仏教の無常観に影響された虚無感を感じます。

ところが、裕明の俳句が感じさせるのは、まず若々しさです。「魚と鳥と寝るならば」というのは、魚も鳥も、寝ているという意味ですけれども、まるで作者自身も魚鳥と一緒になって、同じ沿海のねぐらで寝ているような錯覚を抱かせないでしょうか。

「魚も鳥も」だったら、魚鳥のことだけを言っているということになるのですが、「魚と鳥と」と表現されると、彼自身が魚になったり、鳥になったりして遊び戯れているといった感じの、まるで童話のような雰囲気があるのではないでしょうか。童心、少年の心をもった人でなければ、このような句は作れません。もちろん、閑居にあこがれる気持ちは背景にあるのですが、それがけっして否定的なニュアンスを感じさせませんし、隠居趣味とは違う、弾むような躍動感すら覚えさせるのです。

典拠を引用しながら、その情味をまったく違うものに作り変えてしまう裕明の感受性の豊かさに、私は舌を巻きます。こういう彼の強い個性を、私は「革新的である」と呼びたいのです。

別の言いかたをすれば、「見慣れた古典の題材を引用しながら、その意味を置き換えてしまう異化効果」とでも表現できるかもしれません。ブレヒトのような攻撃的な異化効果ではなく、あくまで控えめでソフトな効果ではありますが。

さて、以上のような由来を小耳にはさんでいただいたところで、芭蕉の発句による脇起歌仙をはじめましょう。


この原稿は、平成二十二年十二月五日、東京・王子の「北とぴあ」で開催の第三十七回俳諧時雨忌席上での話にもとづくものである。実際にはこれだけ長い内容を話したわけではなく、裕明句に関する部分などは大幅な加筆を行った。 当日、四ッ谷の捌で制作した歌仙『停電の夜』は、近く連句協会報に掲載される予定である。 白楽天の詩と『方丈記』の関係については、田云明氏の論文「『方丈記』の白楽天詩文摂取に見られる中国隠逸思想の変容」(名古屋大学国際言語文化研究科研究誌「言葉と文化」第9号・9008年)を参照した。

第三十七回俳諧時雨忌
2010年12月5日 14:00~18:30
於・東京・王子 北とぴあ
主催・東京義仲寺連句会草門会

連句協会 ホームページ http://renku-kyokai.net/

2010-06-20

四ッ谷龍 掌中 10句

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週刊俳句 第165号 2010-6-20 四ッ谷龍 掌中
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