本の署名を考える
四ッ谷 龍
1. 署名は公開されうるものと考える
自分の著書をはじめて出版した人にとって、読者や知人から「本にサインして~」と言われるのは、鼻がぴくぴくするうれしい出来事だろう。それは相手が自分を尊重してくれている、少なくとも悪意は持っていないということの何よりの証拠なのだから。
世の中には本に署名するのもされるのも好きではないという人がいる。たとえば、
これはこれで一つの見識であるが、この文章は署名をするのもされるのも嫌いではないという人のための原稿である。
さて、では署名はどんなことを書けばいいのだろうか。自分の名前だけ? 相手の名前を書いたほうがいい? 句集だったら自句を一句書いてあげようか?
それについて、正解はありません。自分が好きなように書けばいい。
だけど、何をどう書いてもいいのか、と言われれば、待った、そこはちょっと慎重に考えたほうがいい、と申し上げます。
たとえば本の扉に
てんきさま はあと ゆみこ
と書いたとする。このサインに相手が喜んでくれたとしても、本というものはリサイクルされて古本として流通する可能性があるということを、よくよく考えなければいけない。のちに古書店でこの本を手に執った人は、「てんきさんとゆみこさんはいったいどういう関係にあったのだろう」と妄想をふくらませることになる。
「尊敬するあの人に限って、私の本を古本屋で処分したりするはずがない」と思うかもしれない。しかし人間には寿命というものがある。その人が亡くなったら、家族が古本屋に蔵書をまとめて売るというのはよくあることなのである。あるいは、その人が認知症になったら、周囲の人が蔵書の整理をやり始める。そうなると、本がオークションなどに出されて署名までネット上で晒される可能性がある。だから本の署名というのは、社会になかば公開されるものと覚悟して行う必要があるのだ。
私自身、贈呈した著書がサインとともにオークションサイトに上げられ、しかもこちらが添えた手紙の画像までサイト上に載せられているのを見て、非常に嫌な思いをしたことがある。この場合は、ご当人が高齢のためにお世話した人間が見境なく本を処分したもののようだが。
2. 謹呈カード? 恵存? 挿架?
私の俳句の師匠である藤田湘子から、いちどこう言われたことがある。
今の奴らは物を知らないから、句集を贈るときに「謹呈」のカードを挟むだけで済ませてしまっている。本を贈るときは、一冊一冊に相手の名前を書いて、「恵存」と添えて署名して送らなければいけない。
いろいろな方から句集を贈っていただくけれども、それらはほとんどすべてが謹呈カードで処理されていて、いまどきサイン本をいただくのは稀である。自費出版の場合、印刷所に宛先ラベルと謹呈カードを預けて、寄贈本は工場から直接一括発送してもらうというシステムを採用することが普通になってきているから、そういう傾向になる。
これには本を何人に寄贈するかということも関わってくる。数十冊しか送らないのなら全部に署名することも可能だろうが、何百冊も寄贈しまくるという人には、それは無理というものだ。湘子先生は何冊ぐらい寄贈していたのだろう。本当に全部に署名していたのかな?
社会的儀礼に関しては、飯島晴子さんほど間違いのない人はいない。句集『寒晴』を出版されたときには私にも一冊贈ってくださり、そこには写真のように立派な署名がされていた。どう署名したらいいか迷っている人は、これを真似して書いておけばとりあえず大過はあるまい。
ところが、贈呈する本に「恵存」と書くのは失礼である、と言い出す人がいた。国文学の泰斗、池田弥三郎先生(1914-1982)である。
後輩の一人がわたしに自分の著書をくれて、扉に「池田弥三郎先生・恵存」と書いた。この後輩にも言ってやった。
――君。「恵存」というのは先輩が後輩に贈るときに使うんだ。「おい、とっとけよ」ぐらいの語だ。君がわたしに贈るのなら「挿架」とでも書きたまえ。「書棚の片隅にでも、おさしはさみおきください」ということになる。(池田弥三郎『郷愁の日本語――市井のくらし――』)
この文章は「文藝春秋」の昭和54年7月号に掲載されたのだが、読者からの反響が大きかったようで、その中におそらく異論もあったのであろう、翌月号で池田自身が釈明することになった。
恵存という語は、もともとは謙辞ではなく、「とっておけよ」といったような意味だということは、だいぶ以前のこと、中国文学に造詣の深かった、なくなった私の叔父、池田大伍から聴きました。その後、五、六年前だったと思いますが、吉川幸次郎先生のお説として、土岐善麿先生からうかがいました。そのとき、やはり土岐先生が、「挿架」という語があることを、吉川先生のお説として、教えてくださいました。(中略)わたしの小文は、もちろんああした戯文ですから、ことばの慣用や通用をことさらに無視して、わざとペダンティックに、語原説を持ち出して、話を効果的にいたしたわけであります。言うまでもなく、ことばは、その慣用や通用は無視できません。近代・現代のことばの辞典は、その慣用・通用を主として、説明いたしますし、それで十分に現代語の辞書として役立ちます。恵存が、かりにもとはどうであれ、今日、謙辞として通用し、慣用していれば、それはその限りにおいて、あやまりではありません。(中略)ざれぶみで、とんだおさわがせをいたしました。(同書)
ことば遣いというのは時代とともに変わっていくもので、語源に過度に拘泥する必要はないと、泰斗も保証してくださっていますね。「恵存」の代わりに「挿架」と書いておくと、学のある人と思われるでしょうが、「知識をひけらかしやがって」と逆に顰蹙を買うかもしれません。
世の中にはさらにうるさい人がいて、署名するときは相手の姓だけを書くべきで、名を書いてはいけないという説があるらしい。「四ッ谷龍樣」と書くのは失礼で、「四ッ谷樣」としなければいけない。これは、「この世界で四ッ谷樣と言えば龍様のことに決まっております。わざわざ下の名など書くのは、あなたはそれほど知られておりませんと言っていることになってしまいます」という意らしい(≫こちら)。
しかし名字帯刀がサムライにしか許されていなかった時代とか、本を出版したり受け取ったりするのが数少ない知識人の特権だった時代ならいざ知らず、これだけ出版事業が大衆化した今の時代、「鈴木様」「山田様」などと書いてもいったいどこの鈴木さんやら山田さんやらサッパリわからないことになってしまうだろう。こういうルールはもはや賞味期限切れということにしておきたいものだ。
3. 名刺への署名
さて、世の中にはもらった本をろくに読まずに古本屋に売ってしまう人がいる。その結果、刊行後日を経ずして古本屋に自著が並ぶことがあるのは、著者としてはあまり喜ばしくないものである。しかもそこに署名がしてあると、送り主は安く見られた感じがしてしまうし、受け取り主はいかにも情の無い人のように思われてしまうだろう。そこで、署名は本には直接せず、名刺を挟んでそこにサインするという手を考える人もいる。古本屋に売る時にはこの名刺は捨ててくださいね、そうすればお互い嫌な思いをしなくてもすみますから、と暗にお願いしているわけだ。ところが、中にはそれを捨てることすらサボって、名刺ごと古本屋に売ってしまうものぐさ太郎も存在するから、厄介である。石垣りんの詩「へんなオルゴール」は、そうした事例について語ったものだ。
ところは銚子ある年 海に近い国民宿舎で歴程夏のセミナーが開かれた。二日目遅れてかけつけた私が夕食を終えたころ玄関ロビーに見知らぬ紳士の来訪あり古本屋で買ったアナタの詩集『表札など』にサインせよ とはかたじけない。そのとき本の間にはさんであったのも捨てずにおきましたと。捨てないばかりかひらいて見せた扉の上にぴったりはりつけてあった一枚の名刺丸山薫様 石垣りんおお 帆・ランプ・鷗!(「へんなオルゴール」より――詩集『略歴』所収)
この件を石垣はエッセイにも書いていて、その中でなぜ丸山薫は名刺一枚捨てる手間すら省いたのかと恨み節を綴っていた。
人から頂戴した本を処分するときには相手の感情を害さないようによくよく配慮しないと、後から無念の思いを詩や文章に書かれかねませんよという、いわばマナーに関する教訓譚としてこの詩をときどき思い出す。
4. 人にサインを求められたら
以上が献呈本に自分からサインする場合の話。
続いては、本を買ってくれた人から「サインして~」と頼まれたとき、どうするかである。
有名人のサインがほしいというのは、時代や国を問わない人間の欲望のようで、『おくのほそ道』には、全昌寺に泊まったときに若い僧たちが紙と硯を持ってきて「サインしてぇ~」と芭蕉に追いすがる場面が描かれている(私も小学生の時にはサッカーの杉山選手のサインをもらったし、大学生の時には、ピアニストのマルタ・アルゲリッチにサインをもらいに、楽屋出口へ押しかけたっけ)。
せっかく本を買ってくれた人には、できれば機嫌よくサインに応じてあげたいものである。私の場合は通常、相手の名前、句集の中の一句(散文集の場合は一文)、自分の名前、日付というのをセットにして署名している。日付も入れるのは、後で触れるが西洋風のやりかたを真似たもの。このへんはいろいろで、高名な作家がサイン会で次々サインしなければならないときには、自分の名前を書くだけで精一杯だろう。あれこれ情報を書き込むのは本を汚すから、サインは著者名だけでよいと考える向きもあるに違いない。
以前ネットで読んだ話だが、タダで手に入れた本に著者のサインをねだり、それを古本屋に叩き売った人物がいるという。つまりサインをねだったのは、本の売値を少しでも上げてやろうという下心によるものだったわけだ。心からの厚意がしばしば裏切られて逆用されるのは、残念ながらサインに限らず世の中によくあることのようだ。
5. いろいろなサイン
さて、最後にいろいろなサイン本の実例を見てもらおう。
●塚本邦雄『増補改訂版 薔薇色のゴリラ――名作シャンソン百花譜』(北沢図書出版)
塚本先生は万年筆を使うとき、ペン先の表裏をさかさまにして字を書かれていた。「専門家はこういうペンの持ち方を嫌うんですけどね」と言いながらサインしてくださった。さかさまに持つせいで、字に鋭角的な造形が生まれ、そこに先生の個性がよく表現されている。
ところで余談だが、「今日はサインを求められるかもしれないな」と予感したら、サイン用の自分のお気に入りのペンを持ち歩くようにしたい。好きなペンでサインすると、気合も乗るというものである。ペンの持ち合わせがなくて相手の筆記具を借りてサインするのは、他人のパンツを穿いて歩いているような気がして、私はどうにも落ち着かない。
●鴇田智哉『エレメンツ』(素粒社)
画像は素粒社のツイートより。
この本は見返しが黒い紙だったので、いったいどうやってサインするのだろう、と考えていた。もう2枚めくって白い扉にサインするのかな、と思ったら、黒地の上に銀ペンを使って署名している。銀ペンのせいで金属的な印象が生まれた。普通の万年筆でこういう崩した絵画的な署名をするとちぐはぐになってしまうのだが、筆記具をくふうすることで変格的なサインも可能になってくる。
個性を表現するために独自にカラーペンを使用する人もいるが、そうしたインクは変色したり褪色したりする可能性があることは想定しておいたほうがいい。墨や大手万年筆メーカーのインクは、そうした変化が少ないことがすでに確認されている薬品なので、普遍的に利用されるのだ。
●亜樹直『神の雫』(講談社)
亜樹直は『金田一少年の事件簿』『サイコドクター』など数多くのヒット漫画の原作者として知られている。『神の雫』はワインをテーマとした大河漫画で、神咲雫と遠峰一青の二人が究極のワイン「神の雫」とは何かを求めて競うという物語である。この漫画は日本だけではなく韓国でも大ヒットし、さらにはワインに関する知識教養を広めた功績によって作者がフランスにおいて芸術文化勲章など数々の顕彰を受けている。
実は亜樹直というのは2人の共同ペンネームで、姉と弟が共同で執筆している。お姉さんのほうと私は小中学校の同窓で友人であることから、飲み会ではよくとっておきのワインをご馳走になっている仲である。
わが家のトイレには『神の雫』全44巻と続編の『マリアージュ ~神の雫 最終章~』全26巻が山積みになっていて、それを引っ張り出して読み返すのがトイレに行く楽しみである。(汗)
このサインもそうした飲み会の席でお願いして書いてもらったもの。さすがに漫画本のサインということになると、堅苦しい署名は似合わない。性格としては色紙とか、野球選手のサインボールとかに近いものになるので、亜樹のサインもやわらかい崩し字になっている。サインとはある意味デザインの一部であるから、本の性格と署名の字体・内容は一致している必要があるだろう。まさに「字は人なり」である。
●小津夜景『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版)
白いページの中央にリチャード・ブローティガンの文章が印刷されている。
言葉とはなにもないところに咲く花々。あなたを愛している。
サインを小津さんに頼んだら、この引用句を輪で囲みながら、自画像(?)とローマ字の署名を書き加えてくれた。サインの入れかたがとてもうまく決まっているので、「最初からここにこういうサインをしようと思って文章を一行入れるレイアウトにしたの?」と本人に聞いたら、うなずいていた。造本にあたって署名のことまで想定するとは、よくそこまで考えるなあ。小津さんは策士ですね。
●ガストン・ルルー『オペラ座の怪人』(ピエール・ラフィット社)
ネットで外国語の署名の例を探していたら、ある古物商のサイトでガストン・ルルーの署名が見つかったので、紹介したい。
フランス人はこのように、扉の隅に斜めにサインするということをわりと好んでやる。この本では左上に書いているが、右下に書いたりとか場合によりいろいろである。ルルーは次のように署名している。
モード・パテ、わがミキとちびのマドレーヌの大事なともだちへ楽しかった怪人の車の思い出をこめてガストン・ルルー ニース、1921年1月1日
フランス人は「××の思い出に」というような言いかたを好みますね。それから、署名した土地の名前と日付を入れる。
人名について補足しておくと、モード・パテは有名な映画会社「パテ社」の創業者であるシャルル・パテの娘。ミキとマドレーヌは、ルルーの息子および娘である。
版元のピエール・ラフィット社は、モーリス・ルブランの「怪盗紳士ルパン」シリーズを刊行した出版社でもあるが、ルルーは自分の「黄色い部屋の秘密」を「ルパン」がパクったと思ったため、二人の作家の仲は険悪だったという。
●吉岡実『ムーンドロップ』(書肆山田)
おしまいに、ひとつ自慢をさせていただこう。詩人の吉岡実さんが、生前最後の詩集『ムーンドロップ』に妻の冬野虹と私のために書いてくださった献辞である。妻の名前のほうを先に書いてくださっているのは、吉岡さんらしいレディファーストの細やかな心遣いだ。
版元の書肆山田の事務所で、出来上がった本に署名しながら吉岡さんは「僕はこの二人の名前を並べて書くのが大好きなんだ」とおっしゃっていたそうである。
塚本邦雄先生も「虹というのは龍さんに合わせて考えたペンネームなんですか? ほお、違うんですか。とてもいい組み合わせですねえ」とおっしゃってくださったものである。虹というのは、古代中国では龍が空に横たわった姿だとみなされていたので、(龍を暗示するため)虫偏になっている。だから「龍」と「虹」はうまいペアになっているわけだ。私の名前は本名であるし、虹のペンネームも私と出会う前から使っていたものなので、示し合わせたわけでもなくこれは偶然の符合であるが。
『ムーンドロップ』を取り出し、表紙をめくって献辞を眺める。吉岡さんのひとことひとことが、思い出によみがえる。やがて目を閉じると、吉岡さんやあの世に行った人たちの姿が脳裏にありありと浮かぶ。心は在りし日へと飛んでゆき、すでに私はあの世の住人たちと語らっているのである。
(石垣りんの詩の所収探索にあたって、永島靖子さんのご協力をいただきました。記して感謝します)
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