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2014-02-23

朝の爽波105 (最終回) 小川春休



小川春休



105 (最終回)



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の秋から初冬にかけての句。この年の十月から、角川「俳句」の連載座談会のために一年間毎月上京をしています。そうした仕事の疲労もあってか、十月から十二月にかけて風邪で体調を崩しがちの日々が続いています。折しも昭和天皇の御病状の思わしくない時期と重なったため、いよいよ落ち込み気味で過ごし、十一月はほとんどの句会を休まざるを得ないほどだったそうです。そういう背景と考え合わせると、爽波にしては〈鉦叩その音も湿りがちの夜ぞ〉〈立つてゐることに疲れて末枯るる〉などマイナートーンの句が多いような気もしますね。

思い起こせば二年前の一月、爽波作品の一日一句鑑賞を開始しましたが、今回で爽波の最後の句集『一筆』の最後まで鑑賞したということになります。当初は一年ぐらいで終わるかなぁ、と思っていたのですが、いざ鑑賞を進めてみると、これまで自分が見落としていた佳句が予想以上に多くて。長々と連載させていただき、週刊俳句の中の人の皆様、お付き合いくださった読者の皆様に心から感謝申し上げます。

芭蕉破れすすみ家訓は掲げられ  『一筆』(以下同)

芭蕉の葉の破れるのにも程度があり、秋風に吹かれて裂けていた葉が、強風によってさらにその裂け目を深くしてゆく。この家訓も、長い年月を経たものであろう、芭蕉に吹く風が家訓の下も吹き抜ける。この一時、屋外の自然と屋内の生活とが同調している。

悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし

言うまでもなく悲鳴は聴覚が捉えるものだが、受ける印象は聴覚のみにとどまらず、様々な要素を内包している。食べこぼされた夜食も視覚的なものだが、その印象が悲鳴の印象と重なる。そうした作者の個人的な印象が、生々しい臨場感を持って体感される。

鉦叩その音も湿りがちの夜ぞ


「昭和天皇」との前書のある句。昭和天皇が崩御されたのは昭和六十四年一月七日。掲句は昭和六十三年の秋の句で、日々その病状が報道され、国内が自粛ムードに包まれた頃の作である。爽波の作としては素朴、平明な部類の句であるが、率直な感慨が窺われる。

あるときは引く蔓に身を委ねつつ

伸びていた豆などの蔓も、収穫が終わると取り払われる。蔓性植物は弾力を持ち、力任せに引っ張ったのでは蔓が絡まり合って、余計に引きにくくなってしまう。蔓に身を委ねるとは、瞬間の不思議な動作であるが、その方がすんなり蔓が抜けるのかも知れない。

立つてゐることに疲れて末枯るる

秋も深まると、草木の先の方から色づいて枯れ始める。さて掲句、「立つてゐることに疲れ」たのは人であろうが、草や木のことのようにも思える。いずれにせよ、かなり長い時間「立つてゐ」たようだ。草木と人とが同調して、人までも末枯れてしまいそうな。

猟犬はあるじのベレー帽が好き

地方によっても異なるが、十一月ぐらいからが猟のシーズン。お決まりのベレー帽を被った主人の出で立ちに、いよいよ猟のシーズンが到来し、自らの活躍の場がやってきたと嬉しそうに主人を見上げる猟犬の様子が目に浮かぶ。飾りの無い率直な表現が微笑ましい。

2014-02-16

朝の爽波104 小川春休



小川春休



104



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の秋の句。この年の九月、渡米する息子に付き添って妻が日本を離れたため、二週間ほど一人暮らしを経験しています。「夜になっても戻らない猫のことを心配する日が続き、心身疲労」と年譜にありますが、精神的な疲労はともかく、身体の方も疲労するとは、夜間に猫の行方を捜索でもしたのでしょうか。

若者らどやどやと湯に稲の花  『一筆』(以下同)

秋の日差しの下、稲の茎の先に白く小さな花が穂のように群がり咲く。この花からイメージされるのは日差しの明るさであり、日中から大挙して入浴している若者らは、朝からの農作業の後か、それとも何かのスポーツの合宿であろうか。活気に満ちた健康的な句だ。

葉鶏頭鶏頭土は固けれど

秋になると、葉鶏頭の直立した茎の頂上部から出た大柄な葉が、鮮やかな紅色に色づく。鶏頭がビロードのような紅の花を咲かせるのもこの頃だ。畑や花壇で育てられているのではなく、乾いた固い野の土に自生しているようだが、その生命力は周囲の草々を圧している。

夜業人帽子きつちり被りたる

秋の夜長に昼間できなかった仕事の続きをすることから「夜なべ」を秋季とするが、会社や工場などでの残業という色合いの濃い「夜業」も併せて秋季としている。きっちり被った帽子は、その職場で定められた制服であろう。整然とした工場の様子まで想像される。

渦潮を夢にまた見むちんちろりん


「鳴門」と前書のある句。春、鳴門海峡の無数の岩礁と潮の流れの速さは、渦潮を生じさせる。しかし今は秋、渦潮も見当たらず、さして波音も高からず、ちんちろりんの聞こえる夜である。中七と下五のリズムが呼応しており、どことなく軽快なイメージの句。

2014-02-09

朝の爽波103 小川春休



小川春休



103



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の盛夏から初秋にかけての句。この年の八月十五日、京都黒谷の真如堂で掃苔風景を見ていますが、そのものずばり、という句は見当たりません。

徳用マッチ置きたるそんな舟遊び  『一筆』(以下同)

夏になると納涼のため、海や川に船を出して遊ぶ。船の大小は様々あろうが、掲句は「舟」の字から、小型の船のようだ。置いてあるマッチは、簡易の喫煙所でも拵えてあったのだろう。それが徳用であったところも、いかにもざっくばらんな舟遊びという趣。

曝す書の石のはざまに落込みて

梅雨明けの時期や土用の頃に、書物を陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐ。掲句、縁側に干していた本が、沓脱ぎ石の間に落ちたのか。陰干しとは言っても盛夏のこと、強い日差しに照らされた周囲の庭と、沓脱ぎ石の間の暗がりとの明暗の対比が印象的。

瓜冷しあること思ふ二階かな


夏の暑い時期、よく冷やした甜瓜(まくわうり)の瑞々しい涼味を楽しむ。特に時間帯は示されていないが、やはり暑い時間帯、午後二時か三時ぐらいを思う。気温が上がってくると、ふと冷やしてあった瓜のことを思い出すのである。ゆったりとした夏の一日だ。

花となく葉となく蓼を蟻走り

秋に入ると路傍などに、すらりとした茎の先に小さな花をぽつぽつと付けた蓼をよく見かける。酷暑の過ぎた頃の蟻が蓼の花を登り切っては降りてゆく。それほど丈の高くない蓼の、茎、花、葉までもが、素早い蟻の動きによってくっきりと輪郭を描き出されている。

野分禍のまづ御手洗に水通ず

野分とは、野の草を吹き分けるほどの風という意。古来から詩歌に用いられた野分と台風とではイメージが異なるが、人間の生活に支障をきたすものという点では同じ。水も電気も止まってしまい、今やっと水道が復旧したところ。とぼけた俳の味わいのある句だ。

2014-02-02

朝の爽波102 小川春休



小川春休




102



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の夏の句。今回鑑賞した中に〈とうすみのこの愼しき訪ひは〉という句がありますが、爽波さんはとうすみが好きだったんでしょうねぇ、としみじみ。『骰子』に収録された〈煙草盆までとうすみの来ることも〉にもとうすみ愛をひしひしと感じます。ちなみにこの時期、年譜上は特にこれと言った記載がありません。

とうすみのこの愼しき訪ひは  『一筆』(以下同)

身体が糸のように細いとうすみとんぼは、初夏の水辺に生まれ、弱々しく飛ぶ。爽波はこのとうすみを好んだようだ。こちらへ飛来するとうすみの速度や佇まいまでもが、「愼しき訪ひ」から想像される。句末の「は」は、親愛の情の籠もった感嘆と読むべきだろう。

金亀子とび続けをりいま何時

夜更けに目覚めると、金亀子(こがねむし)が飛び続けている。飛び続けると言っても、街灯の周りを飛んでは止まり飛んでは止まり、断続的に飛んでいるのであろう。人通りも無くなり、他に物音とてない中、金亀子の羽音と、街灯にぶつかって止まる音とが続く。

夏館廊下長きを舞ふごとく


夏館とは、夏の趣のある館のこと。かなり幅のある言葉だが、掲句の夏館は長い廊下を備えた、立派な館だと分かる。「舞ふごとく」から、足取りの軽やかさ、そのスピード感、風通しの良い衣服が揺れる様子などが、様々に想像される。恐らくは若い女性であろう。

老人よどこも網戸にしてひとり

どちらかと言えば質素な住居、窓という窓を網戸にして、寛いでいる老人が一人。掲句は偶然それを外から見た場面か。網戸から風を入れて寛ぐのは気分が良いが、そうしている時の姿は緊張感の欠片も無く、普段にも増して、老いを感じさせるものであったろう。

辻と言へば言へるところの噴井かな


噴井とは、山麓などで清水が湧き出ているところを井戸としたもののこと。言われてみればここが辻か、というような、あまり密でない集落の辻。貴重な水を求めて集落の人々が集まる、集落の中心であったのは昔のことだが、今も噴井の水は湧き続けている。

2014-01-26

朝の爽波101 小川春休



小川春休




101



そう言えば先週の一月二十一日は爽波の誕生日でした。爽波は大正十二年(一九二三年)の生まれ、もし今も存命であれば九十一歳の誕生日となります。同じ年生まれの著名人としては、三波春夫、三國連太郎、鈴木清順、リチャード・アッテンボロー、池波正太郎、遠藤周作、司馬遼太郎、田村隆一、大山康晴、大山倍達、岸朝子、忠犬ハチ公など。さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の夏の句。今回鑑賞した〈舟虫のアロエの鉢の蔭へみな〉〈蠅取紙蠅みな潰れゐたりけり〉の二句が続けて「みな」を用いていますが、もしかすると兼題か席題だったのでしょうか。ちなみにこの時期、年譜上は特にこれと言った記載がありません。

舟虫のアロエの鉢の蔭へみな  『一筆』(以下同)

海の近くで目にする舟虫は、人の気配を敏感に察し、群れで一斉に動く。掲句、舟虫の数は十か二十かそれ以上か、人の気配を察して一斉にアロエの鉢の陰に避難しているが、このアロエも大きな鉢に植えられ、海辺の強い日差しに大きく育ったものが目に浮かぶ。

蠅取紙蠅みな潰れゐたりけり

「みな」を用いた句が続く。誘引材が付いた粘着テープを天井や鴨居などから吊し、寄ってくる蝿を捕獲する蝿取紙。「みな」とは何匹ぐらいの蝿であろうか、長い蝿取紙にびっしりと蝿が付いた様子が目に浮かぶ。蝿が付いてからかなりの時が経過しているようだ。

くらんぼ食べゐし女いつか下車

ある程度長距離の移動、たまたま列車に乗り合わせた女性が、さくらんぼを食べている。さくらんぼの鮮やかな赤が次々に女性の口へと消えて行くのを、見るともなく見る。気付くと女性は下車してしまっているが、その色彩だけがぼんやり印象に残っている。

花茣蓙の我を覗きに雀くる

藺を種々の色に染め、様々な模様に織り出す花茣蓙。その色彩と藺の清々しい香の涼感を楽しむ夏の調度である。掲句では大きな窓近くか縁側に敷かれているのか、雀も物珍しげに寄って来る。夏の明るい日差しと、ゆったりとした明るい心持ちとが自然と窺われる。

明易の濡れ雑巾を踏み出づる

夏の夜は短く、たちまち朝になるように感じる。掲句は夏の早朝、家から出発する場面だが、それより早く拭き掃除が始まっていたようで、濡れ雑巾を踏んでしまう。出発を焦っていたのかも知れない。古来詠まれてきた明易の情緒に負けない生活感が窺われる句。

2014-01-19

朝の爽波100 小川春休



小川春休




100



今回で本稿も百回目と思うと感慨深いです…。さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の晩春から初夏にかけての時期の句。今回鑑賞した句に〈花御堂女三人縺れつつ〉がありますが、花祭の催される四月八日は虚子忌でもあります。昭和六十三年の四月八日は虚子三十回忌の日、爽波も東山の鹿ケ谷で虚子を偲んでいます。法然院の松尾いはほの墓、その隣のミューラー初子の墓に詣で、その後在世中の虚子にたびたびまみえた思い出の地でもあるミューラー初子邸を訪れています。年譜によれば〈虚子の忌に声を嗄らして鹿ケ谷〉という句を詠んでいるようですが、『一筆』にはこの時の虚子忌の際の句と分かる句は収録されていません。

花御堂女三人縺れつつ  『一筆』(以下同)

釈迦生誕の日、四月八日にその降誕を祝って行われる灌仏会(花祭とも)。境内にいろいろな花で飾った花御堂をしつらえ、水盤に安置された誕生仏に参拝者が甘茶を灌ぐ。春らしい華やぎのある仏事だ。この女三人、甘茶を灌ぐ順番でも譲り合っているのかも知れない。

こけしの目杉菜に雨のしとど降る

春先、土筆が伸びた後に杉菜が生え出る。高いものでは四〇センチ程までになる杉菜が、雨に濡れて一層鮮やかな緑色となっている。掲句で何より印象的なのは上五。屋外に広がる雨の野の景をあの独特の表情で見やる、こけしの質感、存在感が際立っている。

ゴールデンウイークの霊柩車が行くよ

この霊柩車には、遺体を納めた柩が載せられているのであろう。世間が浮き立っている連休の時期に亡くなるとは少し皮肉にも感じるが、句の調子、特に句末の言い回しは明るさを感じさせる。折しも新緑の時期、鮮やかな霊柩車に、目と心を奪われる一瞬。

別居中なる鉄線花咲きにけり

五・六月頃に花を咲かせる鉄線。中心に蕊が密集する、大ぶりな六弁の花が印象的だ。花に対して「咲きにけり」とは当然のようだが、花を開く前の鉄線や去年の鉄線など、別居中の現在と同居していた時期とを対比したことも相俟って、自然な感慨が窺われる。

2014-01-12

朝の爽波99 小川春休



小川春休




99



本年一回目の「朝の爽波」、どうぞ今年もごひいきに。さて、今回で第四句集『一筆』の「昭和六十二年」が終わり、「昭和六十三年」に入ります。『一筆』は「昭和六十三年」をもって終わり、収録された最後の年です。今回鑑賞した句は昭和六十二年の年末から、六十三年の三月にかけての時期の句。「青」の昭和六十三年一月号は四〇〇号記念号。二月には新潟の瓢湖へ白鳥を見に行ってますが、句集収録句には白鳥の句は見当たりません。


賞与出て奢りいささか嵐山  『一筆』(以下同)

年末賞与も冬の季語。この時期爽波は既に俳句専業だったはずで、同行の誰かのことか。冬の嵐山でどのような贅沢をしたのか、しかしそれも普段と比べて「いささか」、僅かばかりというところににやりとさせられる。調子も良く、ボーナスの時期にふと思い出す句。

晦日蕎麦もぐらの話出でにけり

大晦日の夜に食べる年越し蕎麦。そこに唐突に現れたもぐらの話。その取り合わせの唐突さから来るナンセンスな面白さもさることながら、気の置けない間柄で畑仕事の話でもしているのだろうか、リラックスしたその場の雰囲気が臨場感を持って想像される。

ここから「昭和六十三年」に入ります。

この年や破魔矢の鈴の鳴り過ぎよ

正月の縁起物として神社で破魔矢を授ける。今年は例年に比べて殊更に破魔矢の鈴が鳴る。それも鳴り過ぎと言って良いレベル。破魔矢は厄除けとも、一年の好運を射止める縁起物とも言われるが、果たしてこの鈴は、吉兆を伝えているのか、それとも凶兆か。

男山よりぞ破魔矢のちりぢりに

男山八幡宮は、京都府八幡市にある石清水八幡宮の旧称。日本三社の一であり、日本三大八幡宮の一でもある由緒ある男山八幡宮、さて新年の破魔矢は何本ぐらい用意されるのであろうか。それらが一本一本各家庭に分散していく様は、想像するだに壮観な光景である。

繕ひし垣膨れむと力かな

春になると、冬の間の霜や風雪に傷められた竹垣・柴垣などを繕う。繕ったばかりの垣は整然として美しいが、それは植物という自然物を整え、抑制して作られた美でもある。間も無く芽吹きを迎えようかという季節、整えられた垣も、膨れようとする力を秘めている。

沈丁の憎つくき家に満開に

そもそも憎んでいるのは住人の方であったはずだが、憎悪の感情が高じれば、その家までも憎くて仕方がなくなる。その家から、気付きたくなくとも気付かざるを得ない、沈丁の強い香。満開の花が甘ったるい香を周囲に放っていることさえ、腹立たしく感じられてしまう。

老いぬれば脳みそ減るとお白酒

歳とともに脳細胞は死滅し、その数を減ずる。その事自体はネガティブなイメージだが、折しも家族揃っての雛祭の席。脳味噌が減ったのを口実に、都合の悪いことを忘れた振りしているだけかも知れない。なだらかな詠みぶりがどことなくユーモラスでもある。

朝寝せしことより話し始めたる

朝寝を春の朝のことに限って季語とするのには、孟浩然の「春眠暁を覚えず」という詩句の影響もあろう。掲句、出会うや否や、朝よく寝たことから話し始めているが、余程気心の知れた間柄でなければこうは行くまい。何とものんびりとしたのどかな気分の句。

炉塞いで使はぬ櫛が家ぢゆうに

昔ながらの炉を備えた住居では、春になると使わなくなった炉に蓋をして塞ぐ。炉を塞いだ部屋は広々と感じられる。「使はぬ櫛」が誰の物かは明示されていないが、成長して家を出て行った子供や、既に鬼籍に入った年長者などの不在が改めて思い起こされる。

2013-12-29

朝の爽波98 小川春休



小川春休




98



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の冬、初冬から年末の頃。〈伐りし竹積んで餅箱その上に〉という句に登場する竹は、時期的に考えると正月用の門松などを作ろうと積んであったのかもしれないと後から思い当たりました。「青」の昭和六十二年十二月号の「枚方から」は「休載の弁」、二年近く連載を続けていましたがこれにて一旦おしまい(ちなみに五年ほど後にまた「続・枚方から」が連載されます)。「枚方から」で作句法などの理念や思想を述べるよりも、「選後に」で「青」会員の作品に沿った解説をしていく方向へシフトしたようです。
(前略)月に百句と書いたが、私はいやしくも俳句を勉強して、身体で俳句なるものを覚え、自分なりにこれを噛み砕いて自分の血肉とし、将来への糧とするためには、月に百句ぐらいのことはまず最低限の線と考えている。
 「枚方から」の第一回にまず「瞬時の詩」と題して私の俳句観の一番基本にあるものを書いたのは、それなりの目論見あってのことである。
 いまそれをここに引用しようとは思わない。
 心ある方は昭和六十一年二月号を取り出してもう一度じっくりと読み返して貰いたい。
 ただ一言で言うとすれば、「もの」に対して瞬時に且つ反射的に対応できるような体質づくりを着々と勧めて貰いたいということになろうか。
 第二回以降に書き連ねてきたことは大ざっぱに言って、すべてそうある為には何を如何にやればよいかについて、私なりのポイントを示してきたものと受け止めて貰ったらよいかと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・休載の弁」)
目の醒めるやうな黄の蝶大根引  『一筆』(以下同)

大根の収穫時期は冬、地中深くまで埋まっている大根を引き抜くのにはそれなりに技術を要する。冬に入ってからの蝶は、暖かな日にしかあまり飛ばない。その黄の鮮やかさも日差しがあればこそ。一瞬の鮮明な映像が、周囲の景まで臨場感のあるものにしている。

啼き立つる鵯の頭のへこみをり

秋になると、山に棲息する鵯は人里近くへ降り、民家の庭の南天や八手の実を啄ばみ、山茶花や椿の蜜を吸う。あまり人を恐れぬ性質なのだろうか。必死で鳴く鵯をまじまじと見入ると、嘴の動きに合わせて頭が凹む。どこか人間の赤子を思わせる不思議な生態だ。

伐りし竹積んで餅箱その上に

竹伐り自体は秋に行うが、掲句では伐った竹がそのままに積んである、農家の庭先などが想像される。餅搗きのほとんどの工程を屋外で行い、綺麗に丸められた餅が次々と餅箱に収められる。青々とした竹と餅箱の木の色と搗き立ての餅とのコントラストが鮮やか。

2013-12-22

朝の爽波97 小川春休



小川春休




97



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、晩秋の頃。朝日文庫として復刻された『ホトトギス雑詠選集』について、「青」の昭和六十二年十一月号の「枚方から」では、春夏秋冬の部を揃いで二冊買いするよう強く勧めております。
(前略)私は長年に亘ってこの選集を「写経」と称して月が替わるごとにその月の分を読み返して、好きな句はノートに書き出すことを続けてきた。
 毎年やるのだから、書き出した句は昨年の、或いは一昨年のものと全体的に見たら大差はない。
 しかし書き出す私の心が年々改まっているので、今迄どうしてこんな良い句がスッと胸に入ってこなかったのだろうかと自分自身おどろくような句が年々幾つかずつは現れてくる。
 今度また新しく選集が廉価で再版されたのだから、これを大いに汚して、また一から「写経」をやり直そうと思っている。
 いま本屋で選集がたやすく手に入るうちに春夏秋冬の部一揃いをもう一揃い求めておくことをお勧めする。
 印をつけて、それも印をつけた上に更に別の印をつけるようにして毎月「私の十句」にまで絞り込んで読んでゆくとすれば、三年ぐらい経ったらいろいろな印が入り混ってややこしくもあり、また大いに汚れてくる。
 その汚れが、読んでゆくのに目障りになった頃にもう一組の方へ手をつければよい。
 その頃になって果たして選集が簡単に手に入るような状況にあるかどうかは、全く保証がないからだ。(後略)
(波多野爽波「枚方から・汚して読む」)

仲秋の長身を蟻のぼりくる
  『一筆』(以下同)

「長身」と言うからにはやはり、座っているのではなく直立している姿が想像される。さてこの蟻、どこまで登ってきたか。優に膝ぐらいは越えて、まだまだ登って来そうな気配だ。爽波には〈仲秋の金蠅にしてパッと散る〉という句もあり、仲秋は虫の俊敏な季節。

懸崖菊華奢な男の手が恐し

まず、「華奢な男」とその人物の大まかな全体像が提示される。そして視点はクローズアップして行き、手へとたどり着く。「恐し」とは直接的な描写というより印象であるが、華奢な男にそぐわぬ手に気付いた衝撃と、季語の働きとにより、説得力を持ち得ている。

ポプラ樹下紐のやうなる穴惑ひ

冬眠の時期が近づいても穴に入らずにいる蛇を穴惑いと言うが、寓意を帯び易く中々に扱いの難しい季語だ。掲句ではそれを、あっけらかんと物のように描いている。街路樹として一般的なポプラの樹下であることも、景に余計な意味を持たせぬ効果があるようだ。

田仕舞のとびとびにある野菊かな

田仕舞とは、その年の収穫が無事終わったことを祝う宴のこと。その集落の誰かの家か、集会所のような場所か、窓外には飛び飛びに野菊が見える。この野菊も、ついこの間まで稲に隠れてよく見えなかったものかも知れず、収穫後の田畑はぽっかりと寂しい。

2013-12-15

朝の爽波96 小川春休



小川春休




96



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、中秋の名月から少し過ぎた頃でしょうか。この年の初夏から秋にかけて朝日文庫で『ホトトギス雑詠選集』の復刻版が刊行され、これを大いに喜んだ爽波さん。「青」の昭和六十二年十月号の「枚方から」にて、いかにこの選集が偉大なものであるか、力説しておられます。
(前略)明治四十一年から昭和十二年までの「ホトトギス」の「雑詠」からの選抜と一口に言うが、その元をなすこの期間中の「ホトトギス」の雑詠とは如何なる存在だったのかを正しく認識しておく必要があろう。
 八月号の「後記」にも触れたように、この期間は「俳壇」即「ホトトギス」の時代であって、鬼城・蛇笏・石鼎・普羅・水巴など大正時代を代表する作家、そしてこれに続く四Sと称せられた作家、即ち、誓子・青畝・素十・秋櫻子ら、更には茅舎・たかし・草田男など虚子の生み出した俊英が続々と輩出した時代であり、また俳句を学ぶ者の殆どが全国の津々浦々から虚子選の「ホトトギス」雑詠への「入選」を目指して懸命に投句し、雑詠選が高レベルであった為に、一句入選を赤飯を炊いて祝ったなどのエピソードも沢山残っているくらいであった。
 ましてや毎月の「ホトトギス」の「巻頭」など衆目注視の的であって、「ホトトギス」の生んだ有名作家とは、激烈な競争を勝ち抜いて「巻頭」という輝かしい勲章を幾つか胸に飾ったエリートたちとも言える。
 この選集の掲載句、九千六百余句とは、この期間中の入選句十六万六千余句からの選抜であり、そしてその入選そのものがどれだけ多くの人たちの骨身を削るような思いをし、その習練の果てのものであったかを考えれば、襟を正し、膝を正してうち向かうべき一書であることが先ず銘記されて然るべきと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・『ホトトギス雑詠選集』」)

犬入院猫退院の月夜かな
  『一筆』(以下同)

一般家庭でもあり得ない景ではないが、やはり動物病院などを思い浮かべた方がすんなりと読める。入退院する犬猫には当然、それに付き添う飼い主やその家族があり、入院する犬への心配や退院が叶った猫への安堵など、月の下での群像劇と言った様相を呈している。

箸の先噛んで見てゐる野分かな

突然窓硝子をガタガタと鳴らす強い風に目を奪われる。句中に記載はないが、思い浮かぶのは昼。強風に雲がどんどん押し寄せ、日も届かず薄暗い。ささやかな昼食のほんの一瞬、そんな窓外の様子に目を奪われるのも、箸を噛んでしまうのも、無意識の行動。

金策に夫婦頭を寄せすいつちよん

掲句は恐らく夜の景、灯をあかあかと灯すでもなく、堂々巡りで結論の出ぬ金策案を話し合っている。言葉が途切れてしまうと、馬追が「すいーっちょん」と鳴く声がよく聞こえる。金策に悩む人々を見る目には、爽波の銀行員としての経験が影響しているか。

鉦叩虚子の世さして遠からず

鉦を叩くように、澄んだ声で鳴く鉦叩。そのかすかな声が聴こえるということは、辺りが静寂に包まれていることでもある。虚子の没年は昭和三十四年、掲句の詠まれたのは六十二年。師の逝去から二十八年の時を経て、未だに巨大な師の存在を強く心に宿している。

2013-12-08

朝の爽波95 小川春休



小川春休




95



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、中秋の名月の頃を含む時期かと思われます。「青」の昭和六十三年一月号が四百号記念号に当たることから、準備万端、この時期から編集に取り組み始めていた模様です。

もろこしの髭をたくさん見て訪ひぬ  『一筆』(以下同)

たくさんのとうもろこしの髭は、大きな畑で育てられているのか。それとも辺りの農家がそれぞれに育てているものか。歩を進めれば目の前に広がる、光に満ちた景。訪う人と訪われる人という関係が、景を自然に展開させ、また景を温かなものにしている。

お習字の濡れてゐる間のゑのころよ

「お習字」との言い方から、子供の手習いの景と思われる。何枚もの半紙に書き上げた中から、一番出来の良いものを選び出す。墨をたっぷり付けて書いた元気の良い字が、まだ濡れている。窓外には揺れる猫じゃらしも見え、明るい充実感に満ちた句だ。

養鰻の見廻りの灯の露けしや

「浜名湖 四句」と前書のある句の内の一句。温暖を好むため、ビニールハウス内で養殖される鰻。秋の時期にビニールハウスに居るのは、来年の出荷に向けて育てられているまだ幼い鰻であろうか。夜の闇を行く見回りの灯の露けさと、ひしめき合う小さな鰻たちと。

月白や下草刈の被り解く

月白とは、月の出頃に東の空が白んで明るくなりかかっていること。空気も澄んで、月の光も強く感じられる秋ならではの季語だ。被りをしているところから、まだ日のある内に草刈りを始めたのだろう。地の草の方ばかりを見ていたら、気付けば空はもう月白に。

月祀る薬いろいろ飲みてより

こういう句を読むと、既に爽波も齢六十を超えているということをしみじみと感じる。しかし掲句は、決して湿っぽくなることなく、「こんだけ薬飲んどいたら月見酒なんぼ呑んでも大丈夫やろ」とでも言うような、月見を楽しむ軽やかさを感じさせる一句となっている。

2013-12-01

朝の爽波94 小川春休



小川春休




94



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初秋、九月に入るか入らないかという時期かと思われます。ただ、前回鑑賞した句に〈この瀧に水戻りたる子規忌かな〉がありまして、子規忌は九月十七日、五山の送り火は八月十六日、必ずしも時系列で並んでいる訳ではないようです。

捕虫網その他何でもある教会  『一筆』(以下同)

倉庫か勝手口でもあろうか、様々な物がまとめて置かれている中に、一本抜きん出て高いのが捕虫網。教会に馴染みのない者には想像しにくい面もあるが、教会もまた牧師などが家族で暮らす生活の場。元気な子供のいる家庭としての側面がありありと窺われる句。

朝顔や良き句に大き二重丸

掲句、丸を付ける側とも貰う側とも読めるが、作中主体を爽波その人と読めば、自然と丸を付ける側の姿が見えてくる。朝の日差しに朝顔が鮮やかな朝の内から選句に取り組む。弟子の苦心を知っていればこそ、「でかした」という思いで大きな二重丸を付けるのだ。

五山の火燃ゆるグランドピアノかな

八月十六日の夜、京都東山如意ヶ嶽の「大文字」の他、「左大文字」「妙法」「船形」「鳥居形」が相前後して点火される五山送り火。五山の火が見えていれば、たっぷりと広い夜空も見え、グランドピアノの艶やかな黒との質感の差異も鮮やかに感じられる。

尚毅居る裕明も居る大文字

爽波の弟子・岸本尚毅と田中裕明。裕明は関西の人だが、尚毅は関東。その三人が揃って大文字を見るのは、珍しいことだったのではないか。俳句に打ち込み、門人の育成に力を注いだ爽波にとって、尚毅・裕明という有望な若手の存在はこの上ない喜びであったろう。

もろこしを抛るつぎつぎ受止める

もいだとうもろこしを放り、もう一方で次々受け止める。矢継ぎ早の連携プレイだ。とうもろこしの収穫適期は三日程度と短く、収穫の日は朝早くから一気呵成に収穫する。留まることなくスピーディに進む収穫作業を、二つの動詞の連携によって描写している。

2013-11-24

朝の爽波93 小川春休



小川春休




93



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初秋から中秋、八・九月頃かと思われます。鑑賞句数が少なめなのは、単に私の体調不良によるものです。あしからず。

野分して伏見稲荷の駅に居る  『一筆』(以下同)

伏見稲荷駅は、京阪電車における伏見稲荷大社最寄りの駅であり、朱塗りの柱に狐の装飾など、大社を模した独特の駅舎となっている。掲句、決して強風で飛ばされて来た訳ではなく、直接の因果関係はないが、気付くとその駅にいた、という気分が感じられる。

障子貼るお狐さまの風通ひ

来るべき冬に備えて、障子の貼り替えをする。庭先などで水をかけ、ごしごしこすって洗いながら紙を剥がし、新しい紙を貼り直す。お狐さまとは伏見稲荷のことか。御社からの風に冬の訪れの近いことを感じ、実感を持ってその地域の暮らしを思い描くことができる。

この瀧に水戻りたる子規忌かな

降雨の少ない年でもあったのであろうか、水が無くなり、瀧とは言えなくなってしまっていた瀧。それが水勢を取り戻し、再び瀧としての姿を見せている。子規忌を毎年気に掛ける句中の人物の存在が、こうした時間的な奥行きを実感のあるものへと肉付けしている。

2013-11-17

朝の爽波92 小川春休



小川春休




92



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の盛夏の頃かと思われます。ここのところ昭和六十二年の夏の句をずっと鑑賞してますね。爽波さんも「わが詩多産の夏」だったのでしょうか。「青」に連載の「枚方から」、前回、七月号掲載分としてご紹介した「枚方から・吟行の心得(その二)」が実は八月号掲載分で、一月分ずれておりました。失礼いたしました。

帰省してその夜月の出遅くあり  『一筆』(以下同)

学生か、それとも就職して社会人となったか、久々の帰省の際にはいろいろと積もる話もあろう。食卓の上もいつもより賑やかに、遅くまで四方山話に花を咲かせたことだろう。句には月の出の遅さが述べられているばかりだが、様々に想像を遊ばせてくれる句だ。

贈とある金文字賤し日の盛

贈り物というものは、ささやかな物でも、贈る気持ちが一番肝心。しかるにわざわざ贈り物であると主張し続ける「贈」の金文字は、何とも鬱陶しく感じられる。『骰子』所収の〈冬ざるるリボンかければ贈り物〉と併せて読むと、作者の贈答への意識が見えてくる。

校正の済みて糸蜻蛉と遊ぶ

意識を原稿に集中させ、表記や意味内容まで吟味する校正。大抵長時間に渡る、骨の折れる作業である。その作業を終えた目に飛び込んできたのは糸蜻蛉。指を出したか、それともふっと吹いたか、「遊ぶ」という部分に、緊張から解き放たれた心の状態が窺われる。

川床遊び戸惑ひ顔のうつくしや

納涼のため川に突き出して設けた桟敷を川床と言う。元々遊興の色合いの濃い川床であるが、殊更「遊び」と言うことで、浮き立つような気分も伝わってくる。さて、一体何に戸惑っているのか知らないが、もう少し困らせてみたいようないたずら心を誘われる。

灯の下へ桃色日焼もちて来る

炎天下で働く労働者や練習に励むスポーツ選手の日焼けに比べれば、「桃色」の日焼けなど可愛いもの。わざわざ見せに来ているところからも、それが子供の行動であると読み取れる。「もちて来る」という言い回しからは、二の腕の袖の境目の日焼けが想像される。

2013-11-10

朝の爽波91 小川春休



小川春休




91



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初夏から盛夏、六・七月頃かと思われます。昭和六十二年の初夏から秋にかけて朝日文庫で『ホトトギス雑詠選集』が復刻。爽波さんも大いに喜んだそうです。「青」に連載の「枚方から」、六月号はこんな感じでした。
(前略)
  人殺す吾かも知らず飛ぶ螢    普羅(大・2)
  己が庵に火かけて見むや秋の風  石鼎(大・4)

 今の時代から見れば随分と大らかな時代であった大正初期の時代ですら、このような句が生まれるように、人間とはいつ、どこで、どのような事を考えているのか分からない不思議な存在なのである。
 ましてやストレス社会と言われ、不確実性の時代とも言われる今の時代を何とか生き抜いている我々なのである。このような状況の下にあって、自然とのさまざまの出会いがあり、人間社会でのさまざまの邂逅があり、葛藤がある。
 その当然の結果として一人の俳人の作る俳句が「多様性」に満ち満ちているのは当然の帰結であって、むしろそうでない方がおかしいのだと言わざるを得ない。(後略)

(波多野爽波「枚方から・多様性について(その二)」)

二階へ運ぶサイダーの泡見つつ  『一筆』(以下同)

細長く、背の高いコップに注いだサイダーを、盆に載せて運ぶ。一階に厨房があり、二階が子供部屋になっているような住宅であろうか。少し暗い階段は静かで、足音とサイダーの泡の弾ける音だけが聞こえる。揺らさぬようこぼさぬよう、息を詰めて上ってゆく。

葭戸入れぎざぎざの葉に雨雫

葭戸とは、葭簀をはめ込んだ戸または障子。夏の間、襖や障子の代用として用い、その涼を楽しむ。特に、掲句のように葭戸を入れたばかりの時など、見慣れた屋内の景が一変し、新鮮に感じられる。ぎざぎざの葉の先端に雨雫が光って、いかにも明るく瑞々しい。

そのむかし書生部屋とか釣荵

書生自体、遠い昔の存在となった今、かつて書生部屋を備えた家の古さも自ずと思われる。元は書生部屋であった一室、今は特に用途もない、さっぱりとした空き部屋になっていようか。開け放した窓から、軒下の釣荵が見え、古い日本家屋ならではの涼を感じる。

噴井辺に根で連つて盛る花

山麓などに湧き出る清水を井戸としたものが噴井。それ自体の涼味は勿論のこと、周囲に青々とした草木も見えてくる、拡がりのある季語だ。目に見えぬ地下水が、片や噴井として湧き出し、片や花の根へと吸い込まれて今を盛りと花を咲かせる。活気に満ちた景だ。

籐椅子の鱗払ひて坐りけり

「室津 四句」と前書のある句のうちの一句。室津は播磨灘に面する、兵庫県の港町。様々な人が使える場所に置かれた籐椅子、衣服に鱗が付いたままの漁師らが座った後には、鱗が残る。次の者はそれを払って座る。そうして長く港町で使われてきた籐椅子の佇まい。

 

さて、引き続き、第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の夏の句。「青」に連載の「枚方から」、七月号はこんな感じでした。今回の〈裂かれたる穴子のみんな目が澄んで〉など、心の方も澄みわたっていないと書き得ない句、という印象を受けます。
(前略)私はかねがね吟行には「一物集中方式」を繰り返し提唱しているのだが、これを身を以て実行する人はまだ殆ど見かけないのが現況である。
 「もの」を見ると言っても、当然のことながら心を通して見ているのだから、その肝腎の心の方が雑念をうち払い、落ち着きを得、そして澄みわたる状況にまで至らないことには、本当に「もn」など見えてくる筈がない。
 こんな分かり切ったことを僅かな持ち時間の範囲の中で遂行しようとするのだから、句作りは真の一物集中方式かまたはそれに近いやり方にならざるを得ない。
 また心が落ち着きを得て、更に澄みわたる状況にまで立ち至るためには、物理的に言っても、どこか一カ所にしっかりと腰を落ち着けることが必須の要件だろう。
 歩いてばかりいて、おりおりあちこちで一寸立ち止まって句帖を開くのでは、心の落ち着きなど得ようとする方が無理というものだろう。(後略)

(波多野爽波「枚方から・吟行の心得(その二)」)

裂かれたる穴子のみんな目が澄んで  『一筆』(以下同)

「室津 四句」と前書のあるうちの一句。室津という港町での句でもあり、水揚げされたばかりの穴子であろう。鰻に似た長い身を裂かれた穴子が揃って目を見開いている。残酷だとか可哀想だとか、そういう感情以前の現実を、鮮度を持って提示している。

二十頭ほどの斑の牛冷しある

夏、農耕などで疲れた牛の汗を水辺で洗い流す。「斑の牛」と言うと、素人目には乳牛のように思えるが、乳牛も冷すのだろうか。牛は元々大きい動物だが、それが二十頭ほどとなるとかなりのボリューム。それぞれに斑も異なるのだろうが、今は水辺で一塊りだ。

いろいろな泳ぎ方してプールにひとり

クロール、バタフライ、背泳、平泳ぎ、等々。いずれにせよ、いろいろな泳ぎ方をしながら泳ぎ続けるのは泳ぎにかなり熟練した者でなければ難しいだろう。自分の世界に入り込んでいるようだが、殊更「ひとり」と述べるのは、少し引いた視点とも感じる。

席替へてここはふつくら夏座布団


夏座布団は、麻などの薄い布地を用いたものや、藺や革のひんやりとした感触のものが多い。気にも止めずに薄い座布団に座っていたが、偶然席を替えて初めて、この座布団はふっくらしている、さっきまでの座布団は何だったのか、と気付かされた時の驚き。

2013-10-27

朝の爽波90 小川春休



小川春休




90



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の春から初夏、四・五月頃かと思われます。昭和六十二年五月には、四月の健康診断に続いて、胃カメラを飲んでいますが、結果は古い潰瘍の痕で一安心。「青」に連載の「枚方から」、四月号はこんな感じでした。
(前略)本当の句作りなるものは決して「頭」とか「心」だけで為し得るものではなくて、五感を総動員して身体全体で作るものなのだから、普段そういう作り方をしていない人、その事自体すらよく飲み込めない人を相手にもの言いしてみても始まらないのである。
 私はよく季題のもつ「手ざわり」「肌ざわり」とか、また「皮膚感覚」で、などと言うが、一句を作るに当たって一つの季題を歳時記的にと言うか、単に色とか形ぐらいの表面的なところでしか把握していない人には、この言葉だって実感としては決して通じてはいないのだと思う。
 だから「手応え」を言う前に、このような身体全体で作るのだということを辛棒づよく説いて、例え僅かでもいいからそういう共通体験を作り上げることに専心すれば、あとは改めて何も言わなくても、各人各様に私の言わんとしているところのものを受け取って貰えるのだと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・すべては手応え(その二)」)
玩具から電池とび出て蘖ゆる  『一筆』(以下同)

車や電車などの乗り物系の玩具から、シンバルを鳴らしたり喋ったりするぬいぐるみまで、電池を用いる玩具は多い。掲句では結構乱暴な遊び方をされたようで、内蔵する電池が飛び出してしまっている。時候は春、蘖の頃、子供もまた少し逞しくなったような。

屋根替の最後の梯子外されし

春になると、冬の間の雪や強風で傷んだ茅葺や藁葺の屋根の葺き替えを行う。掲句では、その中の最後の梯子が外される瞬間が描かれているが、読み手の想像はその梯子の本数から、葺き替えられる屋根の大きさへと及んでゆく。空間的、時間的奥行を備えた句だ。

桜しべ潜る着物の奥へ奥へ

自宅ではほとんど着物を着てくつろいだという爽波。掲句は女性の着物と読むと少し着方がゆる過ぎる感じがするので、男性の着物と読みたい。桜の花が散った後、赤い蘂が散り落ちる。それが、少しゆるく着こなした着物の奥へと滑り込むのだ。色彩も印象的な句。

新茶の荷急ぎ届くよ字が撥ねて

その年の新芽で製した茶の中でも、最も早い芽で作ったものを一番茶と呼ぶ。掲句の荷も恐らく一番茶、「急ぎ届く」とはなかなかに含みのある言い方だが、予想した日より早く届いたか、いかにも急いだ様子の梱包だったか。字の撥ねぶりからも活気が伝わる。

竹皮を脱ぐ鳥唄ひ獣寝(い)

伸びるにつれて、下の方の節から順に皮を脱いでいく筍。一日一日、季節の進む速さを感じさせてくれる景だ。周囲の竹林からは盛んに鳥の鳴き声が届く。獣の眠る姿は直接見えたか、それとも獣の気配を感じたのか。野生の動物・植物のエネルギーに満ちた句。


2013-10-20

朝の爽波89 小川春休



小川春休




89



さて、今回から第四句集『一筆』の「昭和六十二年」に入ります。今回鑑賞した句は昭和六十二年の春、三月、四月頃かと思われます。昭和六十二年四月には、五年ぶりの健康診断を受けてますが、この年齢で健康診断の間隔が五年も空くのはどうなんでしょうか。毎年、少なくとも一年置きぐらいで受診しといた方が良かったんではないでしょうかねぇ…。「青」に連載の「枚方から」、三月号はこんな感じでした。
 一体、誰々に就て俳句を学ぶ、そして懸命に努めて作家として自立できるようになるとは、具体的に言ってどのような過程を辿り、どのような体験を修得することなのだろうか。
 これは句を学ぶ誰にとっても大変重要な命題である筈だ。
(中略)私は高濱虚子を師と仰ぎ、多分に恵まれた環境の中でひたすらこの事のみに終始した期間を長く持ち得た幸いを、今もなお深く噛みしめている。
 自分の手応えのあった句に殆ど丸か二重丸が付いて句稿が戻ってくる迄には、何年の努力を要したことであったろうか。
 どこやらの句会で沢山点が入ったとか、先輩に賞めて貰ったとか、そんな事には全く関係なく、唯だひたすら一句生成の際の己の手応えのみに頼って、幾多の肩すかしにもめげずにその事を貫き通した。
 確かにこれという手応えのあった句は殆ど師の選に入る。斯くあってこそ、その人を師と選び、師との間隔を少しずつでも詰めて行ったと言えるのである。
 「手応え」とはさて一体どういうものなのか。これは到底、言葉や文字を以っては伝え得ない。
 ただ一言、言い得るとすれば、私がこの欄で執拗に言及してきたようなやり方での「写生」を通過せねば永久にその手応えは体得できぬ、ということである。

(波多野爽波「枚方から・すべては手応え(その一)」)

墓原に出でたる地虫同志かな  『一筆』(以下同)

気温等の影響か、地虫が穴から出て来るのは申し合わせたように啓蟄の頃である。掲句でも、それぞれ違う穴から別の虫が出て、地下には死者の眠る墓原という場所で再会(もしくは初対面)を果たしている。「同志」がどことなくユーモラスで親しみを感じさせる。

卒業のまつすぐ馬場に来てゐたり

三月は卒業の季節。卒業と言うと、将来への希望や同窓生との別れに感傷を抱いたりするのがパターンであるが、掲句はそうした感傷とは無縁だ。馬の背にあって凛とした姿が目に浮かぶが、どこか感傷とは無縁であろうと気を張っているようにも感じられる。

磯遊びがてらに僧の顔を見に

春、暖かくなった磯辺で過ごす磯遊び。掲句では、海近くに馴染みの寺があるのか、磯遊びのついでにその寺を訪れている。そこから、久々に訪れた昔馴染みの懐かしい磯辺であることも窺われる。句中では触れられていない、僧の温顔も不思議と目に浮かんでくる。

草芳し伝書鳩にて交信し

高い飛翔能力と帰巣本能を利用して通信を行った伝書鳩も、電話等の発展により通信手段としての役目を終え、レース鳩として飼育されている。春が訪れ、草芳しくなる頃は、鳩を飛ばすのにも適した時期であろう。同好の士同志の、鳩を介した穏やかな交流。


2013-10-13

朝の爽波88 小川春休



小川春休




88



さて、今回から第四句集『一筆』の「昭和六十二年」に入ります。今回鑑賞した句は昭和六十二年の新年から春にかけて、一月から三月頃であろうと思われます。この時期、昭和六十二年から創設された「俳壇賞」の選者となっています。「青」に連載の「枚方から」、一月号はこんな感じでした。
 写生を説き写生を実行している私であるが、さりとて自然の只中に身を置き、「もの」に直面して写生に専念する機会、即ち吟行会のたぐいとなるが、そういう機会は昨今でもせいぜいひと月に二、三回というところである。
 あとの句会の場合は当然のことながら季題から入って、あれこれと模索しながら何とかして奥へ奥へともぐり込んで、「もの」との良き出会いに恵まれんと必死になって作る訳である。
 こういう作り方はと言えば、題で作っていて写生などとは全く関わりのない作り方だと人は言うかも知れない。
 しかし私に言わせたら作り手として手順、実感、手応え、いずれの面から言っても全く写生そのものなのである。
 この辺りの機微に細かく触れるとなると随分と多岐に亘って、とても一回や二回では書き切れないと思うから、一言に要約して言えば、如何にして確かな「臨場感」を獲得するかということになろうかと思う。
(中略)私にとっては吟行会であろうと普通の持ち寄りの句会であろうと、渾身の力を籠めてただただ写生をしているのだと人前でハッキリ言い切れるのである。
(波多野爽波「枚方から・臨場感」)

病篤しと竹馬の子の曰く  『一筆』(以下同)

その家の人の病状を、家の前の竹馬の子供に尋ねるが、子供の返答は「病篤し」と簡潔。ずっと屋内にいるのも気塞ぎだから、と家のすぐ前で竹馬に乗っているのかもしれないが、あまり楽しそうには感じられない。子供は子供なりに、病状を心配してもいるのだろう。

忌籠の家の竹馬見えてをり

忌籠りとは、葬儀などの際に一つの場所に籠って外部との接触を断つこと。先日「病篤し」と答えた竹馬の子も、さすがに今日は姿が見えない。塀の外からそれとなく様子を窺えば、立て掛けられた竹馬が見えるばかり。しーんと静まり返って、空気は寒々としている。

配膳の成りて椿を一と眺め

参会者が揃わない、または飲み物の手配が済んでいないなど、配膳が済んでいる状態でしばらく待たされることはままある。そうしたぽっかりと空いた時間を、椿を眺めるのに良しとする悠然たる態度が好ましい。さまざまな椿が美しく整えられた庭園も想像される。

地虫出て古毛氈は焼かれけり

春、啓蟄の頃ともなると、冬の間用いた防寒用の物は一旦用済みとなる。その中には、仕舞われる物もあれば、役目を終えて処分される物もある。冬眠から覚め、巣穴から出て来た虫が初めて目にしたのが燃え盛る古毛氈だったとは、何とも印象的な偶然の景だ。

2013-10-06

朝の爽波87 小川春休



小川春休




87



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の冬、煤払の句が見られるので、十二月頃であろうと思われます。「青」二月号から連載開始の「枚方から」、十二月号はこんな感じ。
(前略)「景」を描くより先ず「人」を描け。人の「動き」を徹底して描いて、「何を描いて何を捨てる」のかを身体で覚えて、先ず写生への入口を突破して貰いたいのだ。
 いつも第一に強調している「多作多捨」など、この入口を身を以て突破するには必須の条件である。
 従って多作多捨の出来ない人は、遂には写生とは無縁の人に終わる訳である。
(中略)いま一つ、最後に付け足すとすれば、写生とは気力であり粘りであるということ。
 一つの対象を相手に、一時間や二時間ぐらい粘れないで何とする。
 気力、そして粘りの中からフッと予期もしなかった物が見えてくる。「授かりもの」である。
 そのとき思わずドキリとする。これこそ私がいつも言う「手応え」であり、この手応えの積み重ねの中から、自から「写生の力」が備わってくるのだ。

(波多野爽波「枚方から・写生とは(その四)」)

脱いである褞袍いくたび踏まれけり  『一筆』(以下同)

家庭や、旅館で浴衣の上に羽織る、広袖で綿の入った褞袍。綿を入れずウール地で作ってあるものも。やや厚手で嵩張るため、脱いで畳まれずに投げてあるのは非常に邪魔。踏まれた部位が窪んだままになっているのも、ボリューム感のある褞袍ならでは。

申し訳ほどの鏡台浮寝鳥

水に浮いたまま眠っている鴨・百合鴎・鴛鴦などを浮寝鳥と呼ぶ。掲句の申し訳ほどの鏡台が置かれている景は、様々な場面と読み得るが、どうも私には旅の途中の、旅館のささやかな一間のように思えてならない。窓外の浮寝鳥と境遇を重ねてしまうからであろうか。

赤ん坊の尻持ち上ぐる冬座敷

まだ背丈の低い赤ん坊の尻周りのボリューム感、それがおむつでより一層強調されている。まだ立つことにも慣れていないのであろう、うんしょ、と力を入れて大きな尻を持ち上げるようにして立つ。冬座敷の静寂の中、力を振り絞る赤ん坊の姿に、見守る方も息を飲む。

手が冷た頬に当てれば頬冷た

当然、師・虚子の〈手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ〉が念頭にあっての作であろう。味読すれば、虚子句の方は、我が身をもってしみじみと寒さを噛み締めるような趣の句だが、掲句には、その冬初めての本格的な寒さの到来に驚くかのような初々しさが感じられる。

闘牛士の如くに煤を払ひけり

赤い布をはためかせ、軽やかな身のこなしで猛牛の突進をかわす闘牛士。年末に家屋・調度の塵埃を掃き清める煤払の動作と、闘牛士の動きとの類似から、煤払をする人の様子が見えてくる。それは単に動作だけに止まらず、煤払にかける意気込みまでも伝わってくる。

2013-09-29

朝の爽波86 小川春休



小川春休




86



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の初冬の句。十一月頃であろうと思われます。昭和六十一年十一月には、「青」の東京句会鍛錬会のため七沢温泉へ。なお、「青」二月号から連載開始の「枚方から」、十一月号はこんな感じの回想を主とした文章の後、「素十俳句抄」として新潟時代の句から八十句抄出しています。
(前略)高等学校時代の終わり頃、京極杞陽さんのお宅を屡々訪れて素十俳句の面白さを教えられ、兄弟に来て田畑比古、粟津松彩子の良き先達二人に伴われて京都の周辺や近江などへ足を伸ばして、俳句とは「何々を見に行って作る」ものという考え方に、急速に傾いて行った訳である。
 勿論、そうしているうちに素十俳句が面白くて堪らぬ、そして素十俳句を学ぶことが即ち写生を勉強すること、という確信が一本身裡を貫くようになったのである。
 「猟夫」のくらし、「炉」のあるくらしを写生しにと雪深い洛北の雲ケ畑や花脊へ連れて行って貰ったり、「黐流し」の一部仔細を見るために、厳寒の琵琶湖の夜半や早暁を舟の上で過ごしたり、とても一人では行けない所、見られない物などに引っ張って行って呉れた比古、松彩子のお二人には、今以て感謝の念で一杯である。
 それもこれも「ホトトギス」に続々と発表される素十の新潟俳句、そして戦後間もなく待望の句集『初鴉』が出て、改めて素十俳句の全貌に触れ得て益々この道に勇気づけられてのことであった。
 そして「歳時記」とは日本の「農耕文化の所産」なりとの確信もまた深まったのである。
(後略)
(波多野爽波「枚方から・写生とは(その三)」)

髭剃りしあとに血の粒簗崩れ  『一筆』(以下同)

秋、産卵のために川を下る鮎を獲る仕掛けが下り簗。晩秋にはその簗も役目を終え、崩れかかっているのを目にする。上五中七、非常に個人的な事柄が詠み込まれているが、この時期特有の冷え冷えと乾いた朝の空気を、読み手にも体感的に感じさせる描写である。

多すぎるとおでんの種を叱りけり

蒟蒻・大根・はんぺん・竹輪などの種を煮込むおでん。その作り方は、地域毎、家庭毎にも差異がある。掲句では罪のないおでんの種が叱られているが、これもひとえに叱った人とおでんを作る人とが異なるおでん文化の中で育ったことに起因するものであろう。

鉄階を下りきて枯るるもの高き

建物の側面の鉄階段を下り、地に足が着いた時に初めて、枯草の高さに気付かされる。野の枯草の丈が高いというのは継続的な状況であるが、その事に作中主体が気付く瞬間に焦点が絞られていることがこの句の眼目であろう。枯野に響く鉄階段の響きも印象的。

芭蕉堂庵主外套黒眼鏡

この芭蕉堂は恐らく、江戸時代中期に加賀の俳人・高桑闌更が芭蕉翁を偲ぶため、芭蕉にゆかりの深い京都東山の地に営んだことに始まる芭蕉堂か。 掲句は何代目の庵主か、堂からの外出か堂へと帰着したのか、外套に黒眼鏡でビシッと決めた姿にぎょっとさせられる。