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2025-05-11

岸田祐子〔ビール俳句〕瓶ビールではなく缶ビール

〔ビール俳句〕
瓶ビールではなく缶ビール
★BAEREN/レモンラードラー/ラードラー/アルコール度数2.5%

岸田祐子

缶ビール飲む大寺のその一間  波多野爽波

豪徳寺の受付のある建物は、奥に座敷があって、窓から中が少し見えた。喪服姿の人が集まって、会食していたことがあったので、この句はそういうときのビールかなと思った。でも、葬儀や法事の時に出てくるビールは瓶のことが多い。少なくとも、私が参列したことのある法事で缶ビールがあったことはなく、ビールどころかジュースやウーロン茶も瓶だった。

もう一つ、「その一間」という言葉にどことなく広々とした余白があって、人が大勢いるような感じがしない。葬儀や法事でないのなら、習い事など趣味の何かだろうか。ヨガ教室を寺のスペースで開催するというのはよく聞くし、句会が開かれることもある。

句歴が長くなるにつれ、お酒を飲みながらの句会に驚かなくなった。なにしろ、実際に会ったことのある俳人のほとんどがお酒好きで、句会の後はだいたい飲み会となる。もちろん、飲まない人もいるけれど、体感的な割合は9対1くらいで、飲まない人の方が少ないし、飲みながら作句するという人も知っている。

早めに会場に来て、飲みながら俳句を考えるならば、レモンラードラーが軽やかだ。「ラードラー」とは「自転車乗り」を意味するドイツ語で、ビールをレモネードで割った飲み物。夏のドイツで飲まれたのが始まりと聞く。障子や襖を開け放し、草木を眺めて飲む味は、ときどき通る涼しい風だ。酔っ払っていなくても、寝転がってしまいたい。



2022-10-16

対中いずみ【空へゆく階段】№78 解題

【空へゆく階段】№78 解題

対中いずみ

「青」314号の「選後に」に波多野爽波の次のようなことばがある。
 常識または通俗の域を抜け切れないでいる人の句には圧倒的に「身辺句」が多いことに気が付く。もっと具体的に云えば家の中での句、ほんの庭先程度の句、街中での句ということになろうか。身辺句が一概に悪いというのではない。しかし残念乍ら、常識を越え、通俗を脱した身辺句を作るには並々ならぬ力量が要るのであって、初心の段階での身辺句には百に一つのマグレ当りも有り得ないことを肝に銘じて貰いたいものだ。俳句は屋内で作ったり街の雑踏の中で作るものではなくて、「自然」の中へ我が身を運んで、自分のすぐ目の前にあるもの、足元のそこにあるものに熱いまなざしを送って、謙虚な気持で自然と肌を接するところからすべてが始まるのだ、という位に割り切ってかかることが第一の要件であろう。
「自然に対する謙虚な気持」は、爽波・裕明に師事した山口昭男が、主宰誌「秋草」の創刊理念として掲げ、連衆に呼びかけている。

314号の裕明6句は以下の通り。

雪舟は多くのこらず秋螢

鯊の潮曇つてゐてもひとつ星

鯔を食ひけふは踊見にもゆかず

蜘蛛の糸よく目について水澄めり

悉く全集にあり衣被

野分雲悼みてことばうつくしく

(太字は『花間一壺』に収められている)

2021-10-10

【空へゆく階段】№53 『湯呑』の一句 田中裕明

【空へゆく階段】№53

『湯呑』の一句

田中裕明

「青」1981年・第12号

本あけしほどのまぶしさ花八つ手  爽波

昭和二十九年作。

この句については三年近く前にがきの会の「東雲」で感動の一句として短文を書いたことがある。実はこの文をひととおり書いたところでそれを思い出して「東雲」六号を取り出してみた。その文の一部を引けば『本のまぶしさとは、黒い表紙を開けた白い頁のまぶしさといった表層的なものばかりではあるまい。かえって文字の黒いインクの部分が明るいほどの、書物のもつ深い感覚のまぶしさである。八つ手の、目立ちはしないがうすみどり色をした花がそのまぶしさと同じだというのだ。かよいあう細い流れの糸に触れることは、その感覚は並大抵ではない。それが一句を成した時に光を放つのである。』とある。

読んでみて三年たってもほとんど自分の考え方の進歩せぬことにがっかりした。しかし、いまはこの句がわたしの胸のなかで少しも色褪せることなくかがやいていたことに驚けばよいのかもしれない。非常に壊れやすい、あえて言えば青春性の残照のようなものをこの句に感じるけれども、それは実はしっかりした言葉にささえられている。
この句は「湯呑」の巻頭の句である。

この時代には

秋草の中や見事に甕割れて

帆のかげに立つ秋風の人見ゆる

一片言蕣に拾ひ家に入る

というような句が並んでいる。いずれも、三年前に立風書房の現代俳句全集ではじめて読んだときに、印象のなかに深く沈んだ句である。

主宰の作品については近代性であるとか、モダニズムなどの標語が以前はあてられたが、どうもそれは的はずれの評言であったようだ。もちろん近代というものにまったく背をむけての作り方ではないが、そんなものとはすこし位相のずれたところで爽波作品は作られていたし、これからも作られるのではないかと思う。

主宰の冒険宣言以降の最近の作品が「湯呑」の句と変わってきているのか、わたしはまだその端緒を見つけられないでいる。


2019-05-26

俳句とアニミズム 波多野爽波 ── 原始彫刻と怪人の笑い ……上田信治

俳句とアニミズム
波多野爽波──原始彫刻と怪人の笑い  

上田信治

『澤』2018年7月号「特集/俳句とアニミズム」より転載


  甜瓜握りて鶏舎の前通る  『一筆』

波多野爽波の、この句にはアフリカを感じる。「アヴィニョンの娘たち」のパブロ・ピカソに決定的な影響を与えた、原始彫刻のアフリカだ。

ピカソ自身は、こんなことを言っている。

 それら(原始美術)の仮面や文物は、彼らを取り巻く恐ろしい力との間の調停として、形と力を与えられ、恐れと畏怖を乗り越えるために、神聖な魔力的目的で制作されたのだ。この瞬間、私は絵画とは何であるかを悟った。絵画は美的操作ではない。それは、(…)我々の欲望だけではなく、恐怖に対して与える形であり、つまり力の形なのである。(『ピカソとの生活』F・ジロー/他 一九六四年)

アニミズムと呼ばれる思考は、人間がまだ弱く、自然や世界に圧倒的に負けていた時代に生まれた。彼らの彫刻の激しくデフォルメされた形象が、恐怖に充ちた世界と闘い、また和解するためのものであることを、ピカソは直感したのだ。

甜瓜の句。農家の庭先を通る人の無意識の行為が言葉に置き換えられるとき、その人と世界の間にずれが生じる。自分は何をしているのか。

その意識のずれに現場の全てが照応している。甜瓜の手応え。小屋の中の鶏。外は明るく中は暗い。鶏は自分を見ているかもしれない。

意味は無い。しかし、これがピカソの言う「力の形」でなくて何だろう。

彼の記述は、虚子なき世にあって、すでに届けるべき宛先がない。あるとすれば、その記述を強いる世界そのものが宛先だ。だから、この句は、まるで世界のように無意味で馬鹿馬鹿しいのだ。
 
人間を圧倒する諸力を打ち返すために、あの仮面を造形したアフリカの人の心と、同じ孤立無援のタマシイがこの句には露呈している。

世界とつり合うほどの無意味さを、世界にそのままお返しする。それが爽波の写生だった。

関西前衛派との交流以降、句集でいえば第二句集『湯呑』以降の爽波の二物配合には、異様な迫力と不気味さが加わる。それは、無意味な世界の一部としての生きることの、苛烈さの報告である。
 
  葵咲きのぼり石鹸箱が空ら  『湯呑』時代

世界は馬鹿馬鹿しく苛烈で、それなのに呆れるほど美しい。咲きのぼる花の運動の先にある夏空。その宇宙的空虚につり合うものとして、空の石鹸箱がある。アニミズム的には、石鹸の泡立つ白い力が植物の運動へ貫入し消失したと言えるだろうし、その全体が季節の力に駆動されているのだとも言える。

  掛稲のすぐそこにある湯呑かな 『湯呑』 

「すぐそこにある」と記述した主体であり中心であるはずの人間の存在はほぼ消えて、主人の位置には湯呑がある。二つの「もの」の関係が、中心のない危ういバランスを保ちつつ、まるで永遠のようにそこにある。そして、その空間を秋の空気が満たしている。

ここに至って、爽波の写生は、視覚像の言語化でもなければ、自然美や生活感情の肯定的確認でもない。「自然」や「もの」の、ただナマナマとした姿、動的関係や力の相のもとにあるそれを現出させることに、価値の中心はある。そのとき、十七音の言葉の塊は、無意味な世界を無意味なまま、美として、あるいは驚きとして統合する。

爽波にアニミズムがあるとしたら、それは、彼が日常意識を離れ、ひどく深い次元で「自然」がその姿をあらわすことを待っていたということの帰結に他ならない。そこは蛇笏のような自ら「霊的」表現を企図する作者とは異なるところだけれど、しかし、爽波が写生を突きつめ打ち開いたのは、例の、人間を圧倒する諸力が行き交う場であった。

西アフリカのサバンナに暮らす部族に認められ、シャーマンの修行を経験した日本人画家の言葉を引く。

(シャーマンが)自らの内的野性に触れながらこれと官能的に一体化することは、人間が内的空間において野性的な自然を人間の自然としての文化に転位させることであり、結果的にこれを統べる力を得ることを意味するのです。(『文化のなかの野生』中島智 二〇〇〇年)

つまりシャーマンは一種の「狩人」だと考えていただきたいわけです。狩人というものに求められている感覚とは何でしょうか。それは一言で言えば自らを消滅させる能力です。(同)

世界を取り込むとも世界に移入するとも表現できる一種の「熱情的忘却」によって大量の情報が「他者的世界」から流れ込んでくる。(同)

ここでシャーマンの技法、あるいはシャーマン体験として語られている内容は、爽波の写生論そのものだ。

どんどん書いていって身体じゅうのアクを抜いていって、だんだん「モノ」に近づいていって、そこで漸くハッとするような「もの」との出遭いに到達する。(波多野爽波全集第三巻「対談・座談」より)

究極のところは向こうから来るものを「待つ」という、謂わば対象を深く見つめながら徐々に自分の心をとぎすまして、自分の「心の鏡」に向こうから映ってくるものを待つ(…)「追う」という意識は写生の過程で強く働いているが、句が制作されるその瞬間においては結局完全に打ち消されているわけですね。(同)

僕は今、何かしら非常に目の前が明るいわけですよ。長いブランクみたいな期間を経てきてね、本当に自然と言うものに対して自分がこう、分け入っていけばきっと驚きに出会うんだと、出会えるんだという確信めいたものがだんだん培われてきてね。(同)

シャーマンがダイブする最も深い心的領域と、爽波が分け入っていくそこが、おそらく同じ場所なのだ。

爽波自身は理屈が嫌いで、日常においてはおそらくガチガチの現実主義者(そうでなければ〈凍鶴に立ちて出世の胸算用〉〈雲の峰小型タクシーよく稼ぐ〉〈理屈などどうでもつくよ立葵〉とは書かない)。モチーフも、目に入るものを何でも書けばいいという考えに違いなく、アニミズムの象徴理論などには、耳を貸してくれそうにない。

  たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん 『一筆』時代

しかし自分は、たとえばこのような句に、アニミズム的思考が働いていないとは思わない。

たんぽぽもヨーグルトもシンボル事典の類には立項されていないけれど、たんぽぽという幼さを思わせる植物と「ヤクルトのおばさん」という女性像を二重写しにすると、イメージの別次元が動き始める。その制服は幼稚園のスモックめいているのだし、この人は労働から解放されて自由で明るく、そして何より、こちらに向かって「くる」彼女は、これまで何をしていたのか、たんぽぽの野のむこうで? 

彼女は、幼女とおばさんをつなぐ時間を越えてきたのだ。

複雑に隠蔽されているけれど、この句には艶笑性と呼ぶべきユーモアがある。これは没価値的に見える爽波の「ただごと」が、あらゆる深層の思考とイメージの通底を駆使して、構造を成立させていることの一例である。

箴言に「汝が深淵を覗き込む時、深淵もまた汝を覗き込んでいる」と言うけれど、世界を交通し貫通し続ける力に、自らが貫かれる(それこそが爽波にとって写生の実践ではなかったかと思われる)そのとき、人はどうなるか。

たぶん、その人は笑う。

「笑い」は、爽波俳句のアイコンだ。ものすごく目立つ上、ほとんど誰にも似ていない。たとえば、その「笑い」は、山本健吉の「会得の微笑」とはほど遠く、知的操作も自己憐憫も価値紊乱もその本質とは思えない。

(変性意識状態にあっても)消去しえない一点が私の「玄」だとすれば、それは恍惚と死を同居させた一種の内なるカーニバルでもあり、私を彼岸の笑いに包み込むものです。この時、私の意識は既に私のものではなく、この笑いそのものであり、笑いの波によって激しく明滅しているのがわかるだけです。(中島前掲書)

爽波の「笑い」は、子供番組のヒーローや怪人のわははははははははというけたたましい高笑いに似ている。それは、大きな力と一体化や、自我の爆発的拡大にともなっておとずれる、禅僧の呵々大笑のような笑いだ。

  春暁のダイヤモンドでも落ちてをらぬか 『舗道の花』
  秋草の中や見事に甕割れて 『湯呑』
  親切な心であればさつき散る 『湯呑』
  福笑鉄橋斜め前方に 『骰子』
  いろいろな泳ぎ方してプールにひとり 『一筆』
  裂かれたる穴子のみんな目が澄んで 『一筆』

第一句集のエピグラフに「写生の世界とは自由闊達の世界である」と記した爽波は、自分があまりに自由なので、きっと生涯笑いが止まらなかったのだ。



俳句のライトヴァース 波多野爽波──速度がもたらす直接性 上田信治

俳句のライトヴァース
波多野爽波──速度がもたらす直接性    

上田信治

『傘』2号「特集・ライトヴァース」(2011年)より転載
「速度がもたらす「世界」」改題

波多野爽波(1923ー1991)の晩年には、軽いと言うのもばかばかしいような、いくつかの句がある。

だから縕袍はいやよ家ぢゆうをぶらぶら  『一筆』時代
月今宵犬猫病院急患あり
たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん
お昼頃ラクダのシャツの干されけり    『一筆』以後
肝つ玉母さん賀状書きに書く

これは、いったい何なのか。

爽波の俳句の言葉は、同じく大正十年前後の生まれである、龍太、澄雄、兜太、晴子、湘子、敏雄、六林男らと比べて、とても「軽い」。

同年代の彼らにしばしば、戦後詩に並走するような熱気や重さ、晦渋さや生真面目さが見出せることを踏まえれば、爽波を、昭和俳句におけるライトヴァースと呼ぶことは、あながち間違いではない。

爽波の持つ軽さは、彼が育った昭和十年代の「ホトトギス」誌上に、例えば風生、杞陽、左右らの作風として既に開花していたもので、とすれば、爽波、泰、零、秋をといったモダンボーイ達は、戦前の都市文化・大衆文化の拡大の、戦後への延長を生きたのだろう。

そして、その系譜は、いったん途絶える。

爽波の後期の二句集『骰子』(1986)『一筆』(1991)は、「他結社の若手がこぞって読んだ」という証言もあり、一部で熱狂的に支持されたらしい。しかし、その二句集とそれ以前の『舗道の花』『湯呑』の、代表句を比較してみれば、爽波は全く変わっていないことが分かる。

作家の関心は一貫して、感情を排した物、人、それらの関係から生じる、サムシングの追求にあった。

要は、時代思潮の方が変わったということで、軽さが価値として語られるのは、常に、重さに対する反動としてなのだ。



冒頭の「軽いと言うのもばかばかしい」いくつかの句に戻るが、。「俳句スポーツ説」と「多作多捨」で名高い爽波のこれらの句が、その自動筆記的作句スタイルから生まれたことは想像しやすい。

〈だから縕袍はいやよ〉は〈脱いである縕袍いくたび踏まれけり〉〈縕袍着て鏡にぶつかりさうになる〉〈縕袍着て一人息子はアメリカに〉他計六句の縕袍の句と共に「青」昭和六二年一月号に掲載されている。

田中裕明が「爽波のヒューマンインタレストの句」と呼んだのは、〈おでん煮えさまざまの顔通りけり〉〈巻尺を伸ばしてゆけば源五郎〉〈大金をもちて茅の輪をくぐりけり〉(『骰子』)〈壺焼が運ばれてなほ浮かぬ顔〉〈黄あやめや紙幣のやりとり盆の上〉(『一筆』)のような句のことと思われるが、これらの句も冒頭の句も、いわゆる「ヒューマン」な内容ではない。

そして、アンチヒューマニズムといえば虚子だけれど、虚子句の気宇壮大さ、対人的な非情さといった特徴は、爽波には見られない。

言わば虚子の場合、自分が大きすぎて他に対して非道い人になってしまうのだが、爽波の場合は、逆に、句中にあまり自分というものがないために、ヒューマニズムが発生しないように見える。

というか、爽波の句には、心理や感情のようなものを書いていても「何か」がない。何か大事なものを書かずに済ませているという感触がある。

だから、鳥の巣に鳥が入っていくように、おでんの向こうを顔が通っていくのだし、ソース瓶と野分の無関係が、茅の輪と大金の、黄あやめと紙幣の無関係に延長される。

その「何か」を書かないことが、爽波にとっての写生だったのだ──と考えてみる。



かなしみの我ら兄弟夏休〉(『舗道の花』)は、爽波二十三歳、母の急逝に際しての句だが、ここには明確に、その「何か」が書き込まれていて、爽波句としては例外に属する。

誰だかさっぱり分からないものに巻尺を引っぱらせるか、作中主体を〈かなしみの我ら兄弟〉と念入りに輪郭づけるかの違いである。

主体を輪郭づけることは、意識の二重化を伴う。

主体に移入する自分と、それを「書きつつある」自分が生じてしまうわけで、写生の徒として爽波は、それを許し難い遅れであると断じるだろう(〈壺焼〉の句には、書く自分と主人公としての自分の分裂が現れかけている)。

しかし、意識を、生きて動いている主体のモニタリングであると考えれば、物を考えることも言葉を使うことも、それ自体、生の二重化に他ならない。

爽波が写生として実践したことは、その二重化を回避しつつ、直接性への接触を希求することだった、と言えないか。

それは、あらかじめ不可能なことのように思えるが「もの」とナマに直面しているかの如き錯覚」「強度の手応え」「見て見て見尽くすことによって、その場所に於ける己が見えてくる」といった彼の写生論の言葉は、正に作家がそれを志向していたことを伝えている。



それをいきなり書くために、爽波が専らに使った「道具」は、筆記の「速度」であった。

書くことは「ほぼ」意識に追いつかれてはならないので、その速度は、ときに季題や文語や、その他の形式的なものを抜き去って置き去りにしてしまう。

その結果が、ぱっと見、アウトサイダーアートのようであったとしても、それは俳句の一つの究極であると言えるだろう。

だから縕袍はいやよ家ぢゆうをぶらぶら〉〈縕袍着て一人息子はアメリカに〉のような句においては、発生しかけた主体の輪郭が速度に振り切られ崩壊し、結果として、新しい人間像と危うさの漂う日常が描出されている。

たんぽぽをくるくるとヤクルトのおばさん〉は、自己意識をはるか後ろに置き去りにした、生の直接性の記録だろう。

生の直接性とは、自分はなぜ、こんなにおばさんの句ばかり書くのか、ということでもある。

「写生の世界は自由闊達の世界である」波多野爽波  




2019-04-28

【空へゆく階段】№10 冷静さを欠きつつ 田中裕明

【空へゆく階段】№10
冷静さを欠きつつ

田中裕明
「俳句」1986年6月号・掲載

繃帯の喉にゆるやか卯波寄せ  波多野爽波

先生の句集というのは不思議なものだ。

読んでみると知っている句ばかりが並んでいる。この句は京都の句会で、この句は大阪の句会で出たもの、と思い出しながら読んでいると、だんだん冷静なところが少なくなってくる。

その点では自分の句集を読むのに似ていて、ただその読後感がずっと爽やかである。

たとえば前にあげた繃帯の句は、同じ句会で、

  手に軽く握りて鱚といふ魚

という作品が出されて、こちらのほうは書きとめたけれども、繃帯の句は見逃してしまった。それがいまは気にかかる。

自分の句集がある期間の自分の経験の記録であるのと同じように、骰子という書名のこの句集もわたしにとって昭和五十五年から五十九年までの記録である。文藝とのそんなかかわり方が正しいのか間違っているのかよくわからない。そういう判断ができるほど、冷静にこの句集にむかうことができない。

句集はたぶん歴史にはなりえないのだろう。句集にはたしかに昨日の自分がいるけれども、昨日の自分は今日の自分と同じ顔をしているのだ。歴史はそんなものではない。

繃帯の句は表現にやや破綻に近いものがある。しかも崩れそうでいて崩れない。かたちの整った作品の多い『骰子』の中ではやや趣をかえた句ということになるのだろう。

言葉と長い間つきあってきた人間が、言葉にたいしてたちむかうというのではなしに、言葉と仲が良くなってしまった。そういう気配がある。

風俗俳句という造語を『骰子』について考えてみる。風俗小説といえばどうも表面的な現象という局面でとらえられがちで、丸谷才一さんが以前その風俗蔑視をただしていた。同じように風俗俳句というのも、それは精神風俗すなわち倫理までをふくむひろい領域において風俗という言葉を考えている。風俗小説が近代的な市民社会を前提としていたのと同じことで、『骰子』の作品もまた市民社会を背景としているのだろう。ただわたしたちはまだ成熟した市民社会をもちあわせていないので、作品はかつてあった洗練あるいは日向にややかたむくことになる。

どうも冷静でいられなくなる。先生の句集というのは不思議なものだ。


≫解題:対中いずみ

2014-02-23

朝の爽波105 (最終回) 小川春休



小川春休



105 (最終回)



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の秋から初冬にかけての句。この年の十月から、角川「俳句」の連載座談会のために一年間毎月上京をしています。そうした仕事の疲労もあってか、十月から十二月にかけて風邪で体調を崩しがちの日々が続いています。折しも昭和天皇の御病状の思わしくない時期と重なったため、いよいよ落ち込み気味で過ごし、十一月はほとんどの句会を休まざるを得ないほどだったそうです。そういう背景と考え合わせると、爽波にしては〈鉦叩その音も湿りがちの夜ぞ〉〈立つてゐることに疲れて末枯るる〉などマイナートーンの句が多いような気もしますね。

思い起こせば二年前の一月、爽波作品の一日一句鑑賞を開始しましたが、今回で爽波の最後の句集『一筆』の最後まで鑑賞したということになります。当初は一年ぐらいで終わるかなぁ、と思っていたのですが、いざ鑑賞を進めてみると、これまで自分が見落としていた佳句が予想以上に多くて。長々と連載させていただき、週刊俳句の中の人の皆様、お付き合いくださった読者の皆様に心から感謝申し上げます。

芭蕉破れすすみ家訓は掲げられ  『一筆』(以下同)

芭蕉の葉の破れるのにも程度があり、秋風に吹かれて裂けていた葉が、強風によってさらにその裂け目を深くしてゆく。この家訓も、長い年月を経たものであろう、芭蕉に吹く風が家訓の下も吹き抜ける。この一時、屋外の自然と屋内の生活とが同調している。

悲鳴にも似たり夜食の食べこぼし

言うまでもなく悲鳴は聴覚が捉えるものだが、受ける印象は聴覚のみにとどまらず、様々な要素を内包している。食べこぼされた夜食も視覚的なものだが、その印象が悲鳴の印象と重なる。そうした作者の個人的な印象が、生々しい臨場感を持って体感される。

鉦叩その音も湿りがちの夜ぞ


「昭和天皇」との前書のある句。昭和天皇が崩御されたのは昭和六十四年一月七日。掲句は昭和六十三年の秋の句で、日々その病状が報道され、国内が自粛ムードに包まれた頃の作である。爽波の作としては素朴、平明な部類の句であるが、率直な感慨が窺われる。

あるときは引く蔓に身を委ねつつ

伸びていた豆などの蔓も、収穫が終わると取り払われる。蔓性植物は弾力を持ち、力任せに引っ張ったのでは蔓が絡まり合って、余計に引きにくくなってしまう。蔓に身を委ねるとは、瞬間の不思議な動作であるが、その方がすんなり蔓が抜けるのかも知れない。

立つてゐることに疲れて末枯るる

秋も深まると、草木の先の方から色づいて枯れ始める。さて掲句、「立つてゐることに疲れ」たのは人であろうが、草や木のことのようにも思える。いずれにせよ、かなり長い時間「立つてゐ」たようだ。草木と人とが同調して、人までも末枯れてしまいそうな。

猟犬はあるじのベレー帽が好き

地方によっても異なるが、十一月ぐらいからが猟のシーズン。お決まりのベレー帽を被った主人の出で立ちに、いよいよ猟のシーズンが到来し、自らの活躍の場がやってきたと嬉しそうに主人を見上げる猟犬の様子が目に浮かぶ。飾りの無い率直な表現が微笑ましい。

2014-02-16

朝の爽波104 小川春休



小川春休



104



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の秋の句。この年の九月、渡米する息子に付き添って妻が日本を離れたため、二週間ほど一人暮らしを経験しています。「夜になっても戻らない猫のことを心配する日が続き、心身疲労」と年譜にありますが、精神的な疲労はともかく、身体の方も疲労するとは、夜間に猫の行方を捜索でもしたのでしょうか。

若者らどやどやと湯に稲の花  『一筆』(以下同)

秋の日差しの下、稲の茎の先に白く小さな花が穂のように群がり咲く。この花からイメージされるのは日差しの明るさであり、日中から大挙して入浴している若者らは、朝からの農作業の後か、それとも何かのスポーツの合宿であろうか。活気に満ちた健康的な句だ。

葉鶏頭鶏頭土は固けれど

秋になると、葉鶏頭の直立した茎の頂上部から出た大柄な葉が、鮮やかな紅色に色づく。鶏頭がビロードのような紅の花を咲かせるのもこの頃だ。畑や花壇で育てられているのではなく、乾いた固い野の土に自生しているようだが、その生命力は周囲の草々を圧している。

夜業人帽子きつちり被りたる

秋の夜長に昼間できなかった仕事の続きをすることから「夜なべ」を秋季とするが、会社や工場などでの残業という色合いの濃い「夜業」も併せて秋季としている。きっちり被った帽子は、その職場で定められた制服であろう。整然とした工場の様子まで想像される。

渦潮を夢にまた見むちんちろりん


「鳴門」と前書のある句。春、鳴門海峡の無数の岩礁と潮の流れの速さは、渦潮を生じさせる。しかし今は秋、渦潮も見当たらず、さして波音も高からず、ちんちろりんの聞こえる夜である。中七と下五のリズムが呼応しており、どことなく軽快なイメージの句。

2014-02-09

朝の爽波103 小川春休



小川春休



103



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の盛夏から初秋にかけての句。この年の八月十五日、京都黒谷の真如堂で掃苔風景を見ていますが、そのものずばり、という句は見当たりません。

徳用マッチ置きたるそんな舟遊び  『一筆』(以下同)

夏になると納涼のため、海や川に船を出して遊ぶ。船の大小は様々あろうが、掲句は「舟」の字から、小型の船のようだ。置いてあるマッチは、簡易の喫煙所でも拵えてあったのだろう。それが徳用であったところも、いかにもざっくばらんな舟遊びという趣。

曝す書の石のはざまに落込みて

梅雨明けの時期や土用の頃に、書物を陰干しして湿気を取り、黴や虫の害を防ぐ。掲句、縁側に干していた本が、沓脱ぎ石の間に落ちたのか。陰干しとは言っても盛夏のこと、強い日差しに照らされた周囲の庭と、沓脱ぎ石の間の暗がりとの明暗の対比が印象的。

瓜冷しあること思ふ二階かな


夏の暑い時期、よく冷やした甜瓜(まくわうり)の瑞々しい涼味を楽しむ。特に時間帯は示されていないが、やはり暑い時間帯、午後二時か三時ぐらいを思う。気温が上がってくると、ふと冷やしてあった瓜のことを思い出すのである。ゆったりとした夏の一日だ。

花となく葉となく蓼を蟻走り

秋に入ると路傍などに、すらりとした茎の先に小さな花をぽつぽつと付けた蓼をよく見かける。酷暑の過ぎた頃の蟻が蓼の花を登り切っては降りてゆく。それほど丈の高くない蓼の、茎、花、葉までもが、素早い蟻の動きによってくっきりと輪郭を描き出されている。

野分禍のまづ御手洗に水通ず

野分とは、野の草を吹き分けるほどの風という意。古来から詩歌に用いられた野分と台風とではイメージが異なるが、人間の生活に支障をきたすものという点では同じ。水も電気も止まってしまい、今やっと水道が復旧したところ。とぼけた俳の味わいのある句だ。

2014-02-02

朝の爽波102 小川春休



小川春休




102



さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の夏の句。今回鑑賞した中に〈とうすみのこの愼しき訪ひは〉という句がありますが、爽波さんはとうすみが好きだったんでしょうねぇ、としみじみ。『骰子』に収録された〈煙草盆までとうすみの来ることも〉にもとうすみ愛をひしひしと感じます。ちなみにこの時期、年譜上は特にこれと言った記載がありません。

とうすみのこの愼しき訪ひは  『一筆』(以下同)

身体が糸のように細いとうすみとんぼは、初夏の水辺に生まれ、弱々しく飛ぶ。爽波はこのとうすみを好んだようだ。こちらへ飛来するとうすみの速度や佇まいまでもが、「愼しき訪ひ」から想像される。句末の「は」は、親愛の情の籠もった感嘆と読むべきだろう。

金亀子とび続けをりいま何時

夜更けに目覚めると、金亀子(こがねむし)が飛び続けている。飛び続けると言っても、街灯の周りを飛んでは止まり飛んでは止まり、断続的に飛んでいるのであろう。人通りも無くなり、他に物音とてない中、金亀子の羽音と、街灯にぶつかって止まる音とが続く。

夏館廊下長きを舞ふごとく


夏館とは、夏の趣のある館のこと。かなり幅のある言葉だが、掲句の夏館は長い廊下を備えた、立派な館だと分かる。「舞ふごとく」から、足取りの軽やかさ、そのスピード感、風通しの良い衣服が揺れる様子などが、様々に想像される。恐らくは若い女性であろう。

老人よどこも網戸にしてひとり

どちらかと言えば質素な住居、窓という窓を網戸にして、寛いでいる老人が一人。掲句は偶然それを外から見た場面か。網戸から風を入れて寛ぐのは気分が良いが、そうしている時の姿は緊張感の欠片も無く、普段にも増して、老いを感じさせるものであったろう。

辻と言へば言へるところの噴井かな


噴井とは、山麓などで清水が湧き出ているところを井戸としたもののこと。言われてみればここが辻か、というような、あまり密でない集落の辻。貴重な水を求めて集落の人々が集まる、集落の中心であったのは昔のことだが、今も噴井の水は湧き続けている。

2014-01-26

朝の爽波101 小川春休



小川春休




101



そう言えば先週の一月二十一日は爽波の誕生日でした。爽波は大正十二年(一九二三年)の生まれ、もし今も存命であれば九十一歳の誕生日となります。同じ年生まれの著名人としては、三波春夫、三國連太郎、鈴木清順、リチャード・アッテンボロー、池波正太郎、遠藤周作、司馬遼太郎、田村隆一、大山康晴、大山倍達、岸朝子、忠犬ハチ公など。さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の夏の句。今回鑑賞した〈舟虫のアロエの鉢の蔭へみな〉〈蠅取紙蠅みな潰れゐたりけり〉の二句が続けて「みな」を用いていますが、もしかすると兼題か席題だったのでしょうか。ちなみにこの時期、年譜上は特にこれと言った記載がありません。

舟虫のアロエの鉢の蔭へみな  『一筆』(以下同)

海の近くで目にする舟虫は、人の気配を敏感に察し、群れで一斉に動く。掲句、舟虫の数は十か二十かそれ以上か、人の気配を察して一斉にアロエの鉢の陰に避難しているが、このアロエも大きな鉢に植えられ、海辺の強い日差しに大きく育ったものが目に浮かぶ。

蠅取紙蠅みな潰れゐたりけり

「みな」を用いた句が続く。誘引材が付いた粘着テープを天井や鴨居などから吊し、寄ってくる蝿を捕獲する蝿取紙。「みな」とは何匹ぐらいの蝿であろうか、長い蝿取紙にびっしりと蝿が付いた様子が目に浮かぶ。蝿が付いてからかなりの時が経過しているようだ。

くらんぼ食べゐし女いつか下車

ある程度長距離の移動、たまたま列車に乗り合わせた女性が、さくらんぼを食べている。さくらんぼの鮮やかな赤が次々に女性の口へと消えて行くのを、見るともなく見る。気付くと女性は下車してしまっているが、その色彩だけがぼんやり印象に残っている。

花茣蓙の我を覗きに雀くる

藺を種々の色に染め、様々な模様に織り出す花茣蓙。その色彩と藺の清々しい香の涼感を楽しむ夏の調度である。掲句では大きな窓近くか縁側に敷かれているのか、雀も物珍しげに寄って来る。夏の明るい日差しと、ゆったりとした明るい心持ちとが自然と窺われる。

明易の濡れ雑巾を踏み出づる

夏の夜は短く、たちまち朝になるように感じる。掲句は夏の早朝、家から出発する場面だが、それより早く拭き掃除が始まっていたようで、濡れ雑巾を踏んでしまう。出発を焦っていたのかも知れない。古来詠まれてきた明易の情緒に負けない生活感が窺われる句。

2014-01-19

朝の爽波100 小川春休



小川春休




100



今回で本稿も百回目と思うと感慨深いです…。さて、今回は第四句集『一筆』に収録された最後の年「昭和六十三年」から。今回鑑賞した句は昭和六十三年の晩春から初夏にかけての時期の句。今回鑑賞した句に〈花御堂女三人縺れつつ〉がありますが、花祭の催される四月八日は虚子忌でもあります。昭和六十三年の四月八日は虚子三十回忌の日、爽波も東山の鹿ケ谷で虚子を偲んでいます。法然院の松尾いはほの墓、その隣のミューラー初子の墓に詣で、その後在世中の虚子にたびたびまみえた思い出の地でもあるミューラー初子邸を訪れています。年譜によれば〈虚子の忌に声を嗄らして鹿ケ谷〉という句を詠んでいるようですが、『一筆』にはこの時の虚子忌の際の句と分かる句は収録されていません。

花御堂女三人縺れつつ  『一筆』(以下同)

釈迦生誕の日、四月八日にその降誕を祝って行われる灌仏会(花祭とも)。境内にいろいろな花で飾った花御堂をしつらえ、水盤に安置された誕生仏に参拝者が甘茶を灌ぐ。春らしい華やぎのある仏事だ。この女三人、甘茶を灌ぐ順番でも譲り合っているのかも知れない。

こけしの目杉菜に雨のしとど降る

春先、土筆が伸びた後に杉菜が生え出る。高いものでは四〇センチ程までになる杉菜が、雨に濡れて一層鮮やかな緑色となっている。掲句で何より印象的なのは上五。屋外に広がる雨の野の景をあの独特の表情で見やる、こけしの質感、存在感が際立っている。

ゴールデンウイークの霊柩車が行くよ

この霊柩車には、遺体を納めた柩が載せられているのであろう。世間が浮き立っている連休の時期に亡くなるとは少し皮肉にも感じるが、句の調子、特に句末の言い回しは明るさを感じさせる。折しも新緑の時期、鮮やかな霊柩車に、目と心を奪われる一瞬。

別居中なる鉄線花咲きにけり

五・六月頃に花を咲かせる鉄線。中心に蕊が密集する、大ぶりな六弁の花が印象的だ。花に対して「咲きにけり」とは当然のようだが、花を開く前の鉄線や去年の鉄線など、別居中の現在と同居していた時期とを対比したことも相俟って、自然な感慨が窺われる。

2014-01-12

醍醐会レポート1 波多野爽波の現代性について 飯島雄太郎

醍醐会レポート1
波多野爽波の現代性について

飯島雄太郎


−第154回醍醐会『波多野爽波を読む~読者として/作者として』レポート−



9月29日、京都市国際交流会館にて第154回醍醐会が行われた。醍醐会は関西の俳人を中心に年に数回の頻度で(第五日曜日…醍醐会の名はここからきている)開かれている研究会である。

今回のテーマは、『波多野爽波を読む~読者として/作者として』。出席者はベテランから若手までおよそ三〇人ほどはいただろうか。基調報告は「杉」同人の岩井英雅氏と「いつき組」の黒岩徳将氏が行った。ベテランと若手という対照的な二人である。

黒岩氏は「ただごと俳句」をテーマに話した。「ただごと俳句」とは、俳句形式にその内容をおさめたことによって、ただごとに終わらない魅力を発揮すると述べ、「巻尺を伸ばしてゆけば源五郎」「蓑虫にうすうす目鼻ありにけり」の二句をただごとの名句として挙げた。

もっとも黒岩氏は爽波俳句にさほどの魅力を感じなかったようである。読み手にどういう感情をもってもらいたがっているかが分かりにくいとし、爽波俳句は言葉足らずであると指摘した。

「杉」同人の岩井英雅氏は「私の爽波体験」と題して、自らの来歴を絡めつつ報告された。氏は森澄雄門下として爽波の写生に関心を持ち、評論でも俳諧自由の俳人として爽波を取り上げたが、やがて生理的な嫌悪感を抱くようになった。氏が俳句に求めるのは心の安らぎであり、爽波にはそれがないのだと氏は語る。

氏が繰り返し強調するのは爽波的世界の無思想性の凄みである。それを秋桜子に始まる系譜と対比してみせる。森澄雄が秋桜子の師系に属することを思えば、そもそもこの離別は必然的な帰結であったとも言えるのだろうか。とするならば、氏は俳句史上の一つの裂け目を、身を以て生きたということになる。

「帚木」問題

岩井氏の爽波俳句への嫌悪を考察する上で、興味深い題材がある。それは『湯吞』に収拾されている二句、「帚木のつぶさに枝に岐れをり」と「帚木が帚木を押し傾けて」の優劣に関する問題だ。二句とも『湯吞』を代表する句として、度々引かれる句である。

前者からは対象に没入するような臨場感を、後者の句からは、帚木の生命力に対する驚きを看取することが出来る。この二句に関して、爽波は次のように語っている。

その斜面には私の丈を抽くほどの帚木が何本かあった。帚木というその言葉そのもののような木曽の帚木はまことに見事であった。斜面のその辺に散らばっていた同行の人たちもみんな何処かへ消えてしまったあとも、ひとりこの帚木の前に跼みこんでペンを走らせた。

また、同じ季節にあの場所へさえ行けば、きっとあの帚木と再び対面できる筈だ。あの辺の地理には詳しい魚目君も居ることだから、来年と云わず、今年にでも何とかあの場所へ連れて行って貰って再び帚木との対面を果たしたいものだ。(「青」昭五六年七月号)

この句に読まれている帚木とは長身の爽波をしのぐような、巨大で猛々しい帚木だったのである。「つぶさに」の句もまた目の細かさを感じさせる写生句ではあるが、その場でなければ詠めないといった性質の句ではない。それに比して、「押し傾けて」の句には自然との一期一会の驚きがある。

次に引用するのは「写生と私 その態度と方法について」と題された対談における爽波のコメントである。

今の帚木の句でもね、「つぶさに枝の岐れをり」というのは、仮にどこの場所でもね、一本の帚木にじっと対しておれば見えてくるわけでね。だけど二本の帚木が押し合うようにしてね、片方が片方を押し傾けているというのは、おそらくあの場所でなけりゃ、そういう出会いはなかったろうと思うんですよね。そういう不思議な姿が、自然そのものとしてそこに顕在してた訳ですよ。これの方が僕にははるかに驚きが会ったわけだ。そういう意味で、僕の考えている写生ということからすると、「押し傾けて」の方が上だし、「つぶさに」の方をよしとする人とは写生というものの捉え方にちょっとズレがあるように感じますね。(「青」昭五八年八月号)

爽波は驚きという観点から、「押し傾けて」の方が優れているとしていた。しかし、誰もがこれに同意するわけではない。例えば同じ対談で山上樹実雄氏は次のように発言している。

僕なんか考えますとね、「押し傾けて」の方は、まだすこし自分と距離を置いて、帚木を言っておられる感じがする。ところが「つぶさに」の方はもう帚木の中に入ってね。(同上、傍線引用者)

自然への没入の度合いから、山上氏は「つぶさに」の句を評価している。写生が眼前の自然への集中を意味するものと解する限り、山上氏の見解は常識的なものであると思われる。

ここに現れている写生観の違いは自然を人間にとって親和的なものとして捉えるのか、それとも人間に驚きを与える異質なものとして捉えるのかという対立である。爽波は異質性を見出すための方法として写生を捉えている。それは作句によって自己を更新するための手段なのだ。

僕には自分の世界をなんて意識なんか何もないわけですわ。もしあるとすれば、現場へ行ってそれを消すわけです。写生というのはそういうものでね。頭の作用をともかく排除していって、そして、予期もしていなかったものにいかにして出会えるかということですよ。自分の世界というのはそういうものの累積の中に結果として出てくるものでしょ。(同上)

予期しないものを求める傾向はまた、爽波における新しさへの要請と結びついているだろう。爽波はしきりに態度としての写生ということを言うが、それは驚きを求める手法としての写生を自らの作家性にまで高めることに他ならない。爽波にとって写生とは、有季定型を更新するという作家的な意欲と根深く絡み合っていたのではないか。

ここには自然の中に入っていくことと、新しさを求めるということの二つの相反するかに思えるベクトルがある。後述するように、これが爽波という作家にねじれを内包させることとなる。

グロテスクなもの、卑俗なもの

爽波の驚きを求める傾向は、晩年になるにつれ、グロテスクであったり、卑俗であったりする要素を強めていくように思われる。岩井氏はとりわけ最後の句集『一筆』に嫌悪感を示しておられた。句集は手に入れることが出来なかったので、『再読 波多野爽波』(邑書林 平25)から引いてみよう。

籐椅子の一つ紛るる舟溜り
裂かれたる穴子のみんな目が澄んで
泰山木の花に怒りの相を見し

ゴミ捨て場と化した舟溜まりを描くことで、一句は使い捨てを旨とする社会のあり方をスナップショットよろしく切り取ってみせる。

目を輝かせたまま裂かれる穴子は、美食文化の背後にあるものを示すのみならず、無垢でありながら殺されていくものの象徴となっていよう。爽波は明らかに穴子に感情移入している。

泰山木の花の怒りが人間に対して向けられていないとしたら一体なんなのか。爽波俳句の抵抗精神は次のより卑俗さを強めた句においては、笑いという形をとって、より深く読者に纏わりつく。

だから褞袍は嫌よ家ぢゆうをぶらぶら
避寒して直ちに厠紙つかふ

卑俗な句は人を二度立ち止まらせる。一度目は笑いを齎し、二度目はぞっとするようなリアリティをもって読者を慄然とさせる。

褞袍を着て、もはや伊達男を決めることも、家族から相手してもらうことも出来ず、孤独に家を徘徊する老人の姿はどこか人間のわびしさの根本を捉えている。旅先で直ちに便所に駆け込んでしまう情けなさもまた多くの人にとって決して無縁なものではないだろう。

通俗的な句のうちに読者は自分たち自身の戯画をもまた見るのである。

爽波の肉体

岩井氏が嫌悪を示した爽波俳句の異質性に後半の議論は集中した。

口火を切ったのは中田剛氏である。氏は、爽波とは何よりも風景を構成するレトリシャンなのだと指摘する。氏は「山吹の黄を挟みゐる障子かな」は不自然であるし、「福笑鉄橋斜め前方に」は、福笑という季語によって鉄橋が自分の見たい位置にない違和感を語っているのだと解釈された。

さらに、「掛稲のすぐそこにある湯吞かな」を取り上げ、現実にはこの掛稲は湯吞みのそばにはなく、掛稲を見ている「私」が湯吞みを持っているという状況があり、レトリカルに掛稲のすぐそばに湯吞みがあるかのように構成しているのだと主張し、最終的に爽波とは自分の位置を提示したい作家なのだと結論づけた。

「掛稲」の句は不思議な句である。

「すぐそこにある」は一見切れていない。切れていないことで、稲と湯吞の距離が近いと錯覚させるのだが、切れがあると考えないと読めないのだ。「掛稲」の句が読みの二重性を孕む危うさは当時の「青」でも物議を醸したらしい。

竹中宏氏は、掛稲と湯吞の質感の取り合わせに主眼があると解釈する。「すぐそこにある」ことで、稲の乾いた表面がクローズアップされ、琺瑯質の湯吞のてらてらした感触と一句の上で出会う。「爽波とは触覚的な人間であり、目玉から手が出るように物を見ているのだ」と氏は話す。この解釈によってようやく私は「掛稲」の句の魅力を理解することが出来た。

その他会場からは爽波俳句の異質性を指摘する発言が多く出た。

かいつまんで紹介すると、「対象を書くのが一般的な写生だが、爽波は対象を見ている私を書いている。そのことに爽波の可能性がある。」「爽波は句作によって自分がどう変化するかに関心がある。」また、「炬燵出て歩いてゆけば嵐山」の句を指して、「現実の構図が歪んでいる。」「クラクラする。」などの意見が出た。

総じて爽波句のメタ俳句とでも言うべき特性と、それ故の眩惑感に意見が集中していたように思う。

爽波の場合、そのメタ性は一句の中に織り込まれている作者の肉体性から生じている。通常であれば、作句現場に作者の肉体が介在することは、ごく当たり前のこととして、一句の背後に退く。しかし「湯吞」のような句においては、作者が肉体を持って現場にいることが奇妙な形で前景化するのだ。

それはまた作中主体の存在を隠さないということでもある。その意味で肉体性を持ち込んだ一句とは、無作為をよしとする俳句から、むしろ自己表現としての俳句へと、期せずして近づいているとも言える。

同様の事情は先述の『一筆』の句においても同様である。読まれる対象がごく平凡なものであれば読者は作品の意味内容を素直に享受するが、対象がグロテスクさや卑俗さを備えている場合、そのような対象を詠むという行為自体が、パフォーマティブな意味を有する。ここにあるのも同様に作者の作家意識である。

爽波のメタ俳句としての特性は晩年に至るまで一貫している。そもそも「態度としての写生」という言葉自体が奇妙さを有する。方法概念である写生が態度と言われているからだけではない。写生という自己消去を旨とするかに思われる概念が、作家性そのものに関連づけられているからである。

爽波は「自作ノート」(『現代俳句集成四』立風書房 昭52)と題されたエッセイにおいて、作句とは「有りの儘の自己をそこに現出させるかが最大の眼目である」と述べている。これは『湯呑』時代に書かれたものだが、『骰子』刊行直後の茨木和生氏との対談(「俳句」昭61年9月号「季語の力」)においても「人に帰する」という形で、微妙に言葉を変えながら、しかし同じ趣旨の発言を行っている。

ここには自己抹消の手法としての写生が、それ自体のあり方によって自己表出となるというねじれがある。

事実、爽波は写生を唱えながらも、あくまで自己表現への傾きを手放さなかったように思える。爽波においては作家としてのエゴが一句の肉体性として顕在化しているのではないか。

高野素十

この点を高野素十の「掛稲をひたと落ちしは青蛙」を較べてみるとより明らかになる。

素十的主体には読者を惑わせるようなところは何もない。掛稲を滑り落ちる青蛙に目を止める完成はごく常識的なものである。

爽波の句からは掛稲を凝視せんとする能動性を感じさせるのに対し、素十の句はふっと青蛙が目に留まったんですよ、とでも言いたいかのようだ。この違いが素十俳句の肉体性の希薄さに結びついている。

素十との出会いに関して、爽波は後年次のように語っている。

僕は東京生れの東京育ち、まったくの都会人ですからね。農の暮らしなんか、まったく無関係のところにいた。だから素十を介してそっちの方に邁進したというものがあるんですよね。僕が地方の出身だったら、そんなことはなかったと思う。都会で生まれ都会のことしか知らない。田植えも稲刈りも見たことがないという環境の中から句作りをはじめて、素十の句に急速に魅かれた。僕としたら、必然的にそういうところに身をすり寄せていって、それが非常に新鮮であり、なおかつ重かったわけですよね。(「青」昭53年1月号)

爽波にとって、歳時記に代表される「農のくらし」は決して所与のものではなかった。そして所与のものではないからこその興味を持ち、貪欲に俳句を吸収していった。

爽波は俳句によって自然を知ったのである。彼が自然に向ける眼差しは、あくまでも俳人としての面白さを求めるそれである。この点において素十とは自然詠のあり方を大きく隔てている。

素十の方が眼前の自然に対して受動的であり、また常識的でもある。それに対して爽波の視線はねばっこく、時として異様だ。これは作家意識の濃淡と比例しているのではないか。

ところで、戦前の都会に暮らす若者にとって、農民の世界とはどのような意味を持っていたのだろうか。農本主義は当時の改革的な社会思潮でもあった。五•一五事件に参画した農本主義者、橘孝三郎はその代表格である。どれほどの重みを持つかは量りかねるとはいえ、学習院の学生だった爽波が素十の書く農本主義的な世界に魅せられる時、そこには単なる表現上の問題にとどまらない意識があったのではないか。引用文中の「重かった」とはこの点を指しているように思われる。

新しさを求めて

爽波は「青」の三〇周年記念大会の講演において爽波は初学時代のエピソードを紹介している。

僕が「ホトトギス」に投句しだす前に、今の東京新聞、当時は都新聞と言っていましたがそれに虚子選の俳句欄があって、それに入選した。すると親父がいろいろな人に、息子の発句が新聞に載っとるんだと言っているんです。僕はたいへん反発心を感じまして、発句なんてものをやっているんじゃなくて俳句という詩をやっているんですと、親父とものすごい言い合いをしたことがある。いやしくも今後一切、発句なんてことを言わないでくれというようないきさつもありました。ともかく古くさいものは駄目だ、だから俳句の中でどれだけ新しいことができるのか、ということから僕の俳句生活ははじまっています。(「青」 昭59年1月号)

俳句に新しさを求める意欲と、都会人でありながらの素十への傾倒、この二つの傾向は、新旧という異なる方向性を有するようでありながらも、同時代への不満を根っこに持つという点では共通している。そして、現状への批判意識というひとつの根っこが、写生という爽波の方法論にねじれをもたらしている。

爽波の句が時として不穏さを漂わせているとしたら、それは彼が都会人としての自らのデラシネ性に忠実であったことの何よりの証である。

弱々しさとしぶとさと

私が爽波を好むのは、季語を現代社会においてなおリアルなものとして甦らせてくれるからである。

というと、それはあるレベル以上の伝統派俳人には当て嵌まることではないか、と言われるかもしれない。しかし爽波が人として頭一つ抜けていると思うのは、自分自身が世俗的な人間であると言うことを隠さない点である。そこに爽波の抵抗精神がある。爽波の句では人間界の風俗と季語とが実に巧みに組み合わされている。それゆえ一句の季語を肉体的な情趣を備えたものとして受けとることが出来るのだ。

骰子の一の目赤し春の山

この句を見るまで、骰子が春の山と結びつくなど思いもしなかった。しかし一句はどんな句よりも雄弁に春の華やいだ気分を伝えてくれる。骰子という日常的な形象を通して読者は季題の世界に触れる。この句の与える意外性が古びることはないだろう。骰子の目と山の取り合わせが一句を成すなどとは誰にでも思いつけることではないからだ。まさしく俳句の世界を古びさせないための爽波の手管である。

それはまた有季定型句を作り続けるために何としてでも必要な営為だったのだ。

どんなに美しい言葉も、読まれ、書かれなければそれは化石でしかない。歳時記的な世界がますますもって失われていく時代にあるならばなおさらである。もはや自然は人間のナルシシズムを保証する鏡ではない。

爽波はショック療法にも見紛う「驚き」によって、俳句に息を吹き込み、現代の風物のうちに季題の情趣を甦らせた。ここに爽波を読み直すことの何よりの現代的意義がある。

では何故爽波の句には驚きがあるのだろうか。一句に驚きを与えるためには季題という共同体的な価値観を知るとともに、それをはぐらかし、相対化する目線が必要とされるだろう。私見ではここに爽波がデラシネであることの積極性がある。デラシネとはまたひとつの価値観に落ち着けないことを意味するのだから。

様々な流儀の俳句と接触を持ちながらも、爽波は生涯を通して特定の俳壇的イデオロギーは持たなかったように思える。爽波にはただ写生だけがあった。

そのこともあってか、爽波にはいつも孤独の影がつきまとう。

いろいろな泳ぎ方してプールにひとり」爽波の句が「薄味のよろしさ」とも評される弱々しさを持つ一方で、現代にまで生き延びるしぶとさを備えている由縁であろう。

朝の爽波99 小川春休



小川春休




99



本年一回目の「朝の爽波」、どうぞ今年もごひいきに。さて、今回で第四句集『一筆』の「昭和六十二年」が終わり、「昭和六十三年」に入ります。『一筆』は「昭和六十三年」をもって終わり、収録された最後の年です。今回鑑賞した句は昭和六十二年の年末から、六十三年の三月にかけての時期の句。「青」の昭和六十三年一月号は四〇〇号記念号。二月には新潟の瓢湖へ白鳥を見に行ってますが、句集収録句には白鳥の句は見当たりません。


賞与出て奢りいささか嵐山  『一筆』(以下同)

年末賞与も冬の季語。この時期爽波は既に俳句専業だったはずで、同行の誰かのことか。冬の嵐山でどのような贅沢をしたのか、しかしそれも普段と比べて「いささか」、僅かばかりというところににやりとさせられる。調子も良く、ボーナスの時期にふと思い出す句。

晦日蕎麦もぐらの話出でにけり

大晦日の夜に食べる年越し蕎麦。そこに唐突に現れたもぐらの話。その取り合わせの唐突さから来るナンセンスな面白さもさることながら、気の置けない間柄で畑仕事の話でもしているのだろうか、リラックスしたその場の雰囲気が臨場感を持って想像される。

ここから「昭和六十三年」に入ります。

この年や破魔矢の鈴の鳴り過ぎよ

正月の縁起物として神社で破魔矢を授ける。今年は例年に比べて殊更に破魔矢の鈴が鳴る。それも鳴り過ぎと言って良いレベル。破魔矢は厄除けとも、一年の好運を射止める縁起物とも言われるが、果たしてこの鈴は、吉兆を伝えているのか、それとも凶兆か。

男山よりぞ破魔矢のちりぢりに

男山八幡宮は、京都府八幡市にある石清水八幡宮の旧称。日本三社の一であり、日本三大八幡宮の一でもある由緒ある男山八幡宮、さて新年の破魔矢は何本ぐらい用意されるのであろうか。それらが一本一本各家庭に分散していく様は、想像するだに壮観な光景である。

繕ひし垣膨れむと力かな

春になると、冬の間の霜や風雪に傷められた竹垣・柴垣などを繕う。繕ったばかりの垣は整然として美しいが、それは植物という自然物を整え、抑制して作られた美でもある。間も無く芽吹きを迎えようかという季節、整えられた垣も、膨れようとする力を秘めている。

沈丁の憎つくき家に満開に

そもそも憎んでいるのは住人の方であったはずだが、憎悪の感情が高じれば、その家までも憎くて仕方がなくなる。その家から、気付きたくなくとも気付かざるを得ない、沈丁の強い香。満開の花が甘ったるい香を周囲に放っていることさえ、腹立たしく感じられてしまう。

老いぬれば脳みそ減るとお白酒

歳とともに脳細胞は死滅し、その数を減ずる。その事自体はネガティブなイメージだが、折しも家族揃っての雛祭の席。脳味噌が減ったのを口実に、都合の悪いことを忘れた振りしているだけかも知れない。なだらかな詠みぶりがどことなくユーモラスでもある。

朝寝せしことより話し始めたる

朝寝を春の朝のことに限って季語とするのには、孟浩然の「春眠暁を覚えず」という詩句の影響もあろう。掲句、出会うや否や、朝よく寝たことから話し始めているが、余程気心の知れた間柄でなければこうは行くまい。何とものんびりとしたのどかな気分の句。

炉塞いで使はぬ櫛が家ぢゆうに

昔ながらの炉を備えた住居では、春になると使わなくなった炉に蓋をして塞ぐ。炉を塞いだ部屋は広々と感じられる。「使はぬ櫛」が誰の物かは明示されていないが、成長して家を出て行った子供や、既に鬼籍に入った年長者などの不在が改めて思い起こされる。

2013-12-29

朝の爽波98 小川春休



小川春休




98



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の冬、初冬から年末の頃。〈伐りし竹積んで餅箱その上に〉という句に登場する竹は、時期的に考えると正月用の門松などを作ろうと積んであったのかもしれないと後から思い当たりました。「青」の昭和六十二年十二月号の「枚方から」は「休載の弁」、二年近く連載を続けていましたがこれにて一旦おしまい(ちなみに五年ほど後にまた「続・枚方から」が連載されます)。「枚方から」で作句法などの理念や思想を述べるよりも、「選後に」で「青」会員の作品に沿った解説をしていく方向へシフトしたようです。
(前略)月に百句と書いたが、私はいやしくも俳句を勉強して、身体で俳句なるものを覚え、自分なりにこれを噛み砕いて自分の血肉とし、将来への糧とするためには、月に百句ぐらいのことはまず最低限の線と考えている。
 「枚方から」の第一回にまず「瞬時の詩」と題して私の俳句観の一番基本にあるものを書いたのは、それなりの目論見あってのことである。
 いまそれをここに引用しようとは思わない。
 心ある方は昭和六十一年二月号を取り出してもう一度じっくりと読み返して貰いたい。
 ただ一言で言うとすれば、「もの」に対して瞬時に且つ反射的に対応できるような体質づくりを着々と勧めて貰いたいということになろうか。
 第二回以降に書き連ねてきたことは大ざっぱに言って、すべてそうある為には何を如何にやればよいかについて、私なりのポイントを示してきたものと受け止めて貰ったらよいかと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・休載の弁」)
目の醒めるやうな黄の蝶大根引  『一筆』(以下同)

大根の収穫時期は冬、地中深くまで埋まっている大根を引き抜くのにはそれなりに技術を要する。冬に入ってからの蝶は、暖かな日にしかあまり飛ばない。その黄の鮮やかさも日差しがあればこそ。一瞬の鮮明な映像が、周囲の景まで臨場感のあるものにしている。

啼き立つる鵯の頭のへこみをり

秋になると、山に棲息する鵯は人里近くへ降り、民家の庭の南天や八手の実を啄ばみ、山茶花や椿の蜜を吸う。あまり人を恐れぬ性質なのだろうか。必死で鳴く鵯をまじまじと見入ると、嘴の動きに合わせて頭が凹む。どこか人間の赤子を思わせる不思議な生態だ。

伐りし竹積んで餅箱その上に

竹伐り自体は秋に行うが、掲句では伐った竹がそのままに積んである、農家の庭先などが想像される。餅搗きのほとんどの工程を屋外で行い、綺麗に丸められた餅が次々と餅箱に収められる。青々とした竹と餅箱の木の色と搗き立ての餅とのコントラストが鮮やか。

2013-12-22

朝の爽波97 小川春休



小川春休




97



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、晩秋の頃。朝日文庫として復刻された『ホトトギス雑詠選集』について、「青」の昭和六十二年十一月号の「枚方から」では、春夏秋冬の部を揃いで二冊買いするよう強く勧めております。
(前略)私は長年に亘ってこの選集を「写経」と称して月が替わるごとにその月の分を読み返して、好きな句はノートに書き出すことを続けてきた。
 毎年やるのだから、書き出した句は昨年の、或いは一昨年のものと全体的に見たら大差はない。
 しかし書き出す私の心が年々改まっているので、今迄どうしてこんな良い句がスッと胸に入ってこなかったのだろうかと自分自身おどろくような句が年々幾つかずつは現れてくる。
 今度また新しく選集が廉価で再版されたのだから、これを大いに汚して、また一から「写経」をやり直そうと思っている。
 いま本屋で選集がたやすく手に入るうちに春夏秋冬の部一揃いをもう一揃い求めておくことをお勧めする。
 印をつけて、それも印をつけた上に更に別の印をつけるようにして毎月「私の十句」にまで絞り込んで読んでゆくとすれば、三年ぐらい経ったらいろいろな印が入り混ってややこしくもあり、また大いに汚れてくる。
 その汚れが、読んでゆくのに目障りになった頃にもう一組の方へ手をつければよい。
 その頃になって果たして選集が簡単に手に入るような状況にあるかどうかは、全く保証がないからだ。(後略)
(波多野爽波「枚方から・汚して読む」)

仲秋の長身を蟻のぼりくる
  『一筆』(以下同)

「長身」と言うからにはやはり、座っているのではなく直立している姿が想像される。さてこの蟻、どこまで登ってきたか。優に膝ぐらいは越えて、まだまだ登って来そうな気配だ。爽波には〈仲秋の金蠅にしてパッと散る〉という句もあり、仲秋は虫の俊敏な季節。

懸崖菊華奢な男の手が恐し

まず、「華奢な男」とその人物の大まかな全体像が提示される。そして視点はクローズアップして行き、手へとたどり着く。「恐し」とは直接的な描写というより印象であるが、華奢な男にそぐわぬ手に気付いた衝撃と、季語の働きとにより、説得力を持ち得ている。

ポプラ樹下紐のやうなる穴惑ひ

冬眠の時期が近づいても穴に入らずにいる蛇を穴惑いと言うが、寓意を帯び易く中々に扱いの難しい季語だ。掲句ではそれを、あっけらかんと物のように描いている。街路樹として一般的なポプラの樹下であることも、景に余計な意味を持たせぬ効果があるようだ。

田仕舞のとびとびにある野菊かな

田仕舞とは、その年の収穫が無事終わったことを祝う宴のこと。その集落の誰かの家か、集会所のような場所か、窓外には飛び飛びに野菊が見える。この野菊も、ついこの間まで稲に隠れてよく見えなかったものかも知れず、収穫後の田畑はぽっかりと寂しい。

2013-12-15

朝の爽波96 小川春休



小川春休




96



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、中秋の名月から少し過ぎた頃でしょうか。この年の初夏から秋にかけて朝日文庫で『ホトトギス雑詠選集』の復刻版が刊行され、これを大いに喜んだ爽波さん。「青」の昭和六十二年十月号の「枚方から」にて、いかにこの選集が偉大なものであるか、力説しておられます。
(前略)明治四十一年から昭和十二年までの「ホトトギス」の「雑詠」からの選抜と一口に言うが、その元をなすこの期間中の「ホトトギス」の雑詠とは如何なる存在だったのかを正しく認識しておく必要があろう。
 八月号の「後記」にも触れたように、この期間は「俳壇」即「ホトトギス」の時代であって、鬼城・蛇笏・石鼎・普羅・水巴など大正時代を代表する作家、そしてこれに続く四Sと称せられた作家、即ち、誓子・青畝・素十・秋櫻子ら、更には茅舎・たかし・草田男など虚子の生み出した俊英が続々と輩出した時代であり、また俳句を学ぶ者の殆どが全国の津々浦々から虚子選の「ホトトギス」雑詠への「入選」を目指して懸命に投句し、雑詠選が高レベルであった為に、一句入選を赤飯を炊いて祝ったなどのエピソードも沢山残っているくらいであった。
 ましてや毎月の「ホトトギス」の「巻頭」など衆目注視の的であって、「ホトトギス」の生んだ有名作家とは、激烈な競争を勝ち抜いて「巻頭」という輝かしい勲章を幾つか胸に飾ったエリートたちとも言える。
 この選集の掲載句、九千六百余句とは、この期間中の入選句十六万六千余句からの選抜であり、そしてその入選そのものがどれだけ多くの人たちの骨身を削るような思いをし、その習練の果てのものであったかを考えれば、襟を正し、膝を正してうち向かうべき一書であることが先ず銘記されて然るべきと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・『ホトトギス雑詠選集』」)

犬入院猫退院の月夜かな
  『一筆』(以下同)

一般家庭でもあり得ない景ではないが、やはり動物病院などを思い浮かべた方がすんなりと読める。入退院する犬猫には当然、それに付き添う飼い主やその家族があり、入院する犬への心配や退院が叶った猫への安堵など、月の下での群像劇と言った様相を呈している。

箸の先噛んで見てゐる野分かな

突然窓硝子をガタガタと鳴らす強い風に目を奪われる。句中に記載はないが、思い浮かぶのは昼。強風に雲がどんどん押し寄せ、日も届かず薄暗い。ささやかな昼食のほんの一瞬、そんな窓外の様子に目を奪われるのも、箸を噛んでしまうのも、無意識の行動。

金策に夫婦頭を寄せすいつちよん

掲句は恐らく夜の景、灯をあかあかと灯すでもなく、堂々巡りで結論の出ぬ金策案を話し合っている。言葉が途切れてしまうと、馬追が「すいーっちょん」と鳴く声がよく聞こえる。金策に悩む人々を見る目には、爽波の銀行員としての経験が影響しているか。

鉦叩虚子の世さして遠からず

鉦を叩くように、澄んだ声で鳴く鉦叩。そのかすかな声が聴こえるということは、辺りが静寂に包まれていることでもある。虚子の没年は昭和三十四年、掲句の詠まれたのは六十二年。師の逝去から二十八年の時を経て、未だに巨大な師の存在を強く心に宿している。

2013-12-08

朝の爽波95 小川春休



小川春休




95



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、中秋の名月の頃を含む時期かと思われます。「青」の昭和六十三年一月号が四百号記念号に当たることから、準備万端、この時期から編集に取り組み始めていた模様です。

もろこしの髭をたくさん見て訪ひぬ  『一筆』(以下同)

たくさんのとうもろこしの髭は、大きな畑で育てられているのか。それとも辺りの農家がそれぞれに育てているものか。歩を進めれば目の前に広がる、光に満ちた景。訪う人と訪われる人という関係が、景を自然に展開させ、また景を温かなものにしている。

お習字の濡れてゐる間のゑのころよ

「お習字」との言い方から、子供の手習いの景と思われる。何枚もの半紙に書き上げた中から、一番出来の良いものを選び出す。墨をたっぷり付けて書いた元気の良い字が、まだ濡れている。窓外には揺れる猫じゃらしも見え、明るい充実感に満ちた句だ。

養鰻の見廻りの灯の露けしや

「浜名湖 四句」と前書のある句の内の一句。温暖を好むため、ビニールハウス内で養殖される鰻。秋の時期にビニールハウスに居るのは、来年の出荷に向けて育てられているまだ幼い鰻であろうか。夜の闇を行く見回りの灯の露けさと、ひしめき合う小さな鰻たちと。

月白や下草刈の被り解く

月白とは、月の出頃に東の空が白んで明るくなりかかっていること。空気も澄んで、月の光も強く感じられる秋ならではの季語だ。被りをしているところから、まだ日のある内に草刈りを始めたのだろう。地の草の方ばかりを見ていたら、気付けば空はもう月白に。

月祀る薬いろいろ飲みてより

こういう句を読むと、既に爽波も齢六十を超えているということをしみじみと感じる。しかし掲句は、決して湿っぽくなることなく、「こんだけ薬飲んどいたら月見酒なんぼ呑んでも大丈夫やろ」とでも言うような、月見を楽しむ軽やかさを感じさせる一句となっている。

2013-12-01

朝の爽波94 小川春休



小川春休




94



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初秋、九月に入るか入らないかという時期かと思われます。ただ、前回鑑賞した句に〈この瀧に水戻りたる子規忌かな〉がありまして、子規忌は九月十七日、五山の送り火は八月十六日、必ずしも時系列で並んでいる訳ではないようです。

捕虫網その他何でもある教会  『一筆』(以下同)

倉庫か勝手口でもあろうか、様々な物がまとめて置かれている中に、一本抜きん出て高いのが捕虫網。教会に馴染みのない者には想像しにくい面もあるが、教会もまた牧師などが家族で暮らす生活の場。元気な子供のいる家庭としての側面がありありと窺われる句。

朝顔や良き句に大き二重丸

掲句、丸を付ける側とも貰う側とも読めるが、作中主体を爽波その人と読めば、自然と丸を付ける側の姿が見えてくる。朝の日差しに朝顔が鮮やかな朝の内から選句に取り組む。弟子の苦心を知っていればこそ、「でかした」という思いで大きな二重丸を付けるのだ。

五山の火燃ゆるグランドピアノかな

八月十六日の夜、京都東山如意ヶ嶽の「大文字」の他、「左大文字」「妙法」「船形」「鳥居形」が相前後して点火される五山送り火。五山の火が見えていれば、たっぷりと広い夜空も見え、グランドピアノの艶やかな黒との質感の差異も鮮やかに感じられる。

尚毅居る裕明も居る大文字

爽波の弟子・岸本尚毅と田中裕明。裕明は関西の人だが、尚毅は関東。その三人が揃って大文字を見るのは、珍しいことだったのではないか。俳句に打ち込み、門人の育成に力を注いだ爽波にとって、尚毅・裕明という有望な若手の存在はこの上ない喜びであったろう。

もろこしを抛るつぎつぎ受止める

もいだとうもろこしを放り、もう一方で次々受け止める。矢継ぎ早の連携プレイだ。とうもろこしの収穫適期は三日程度と短く、収穫の日は朝早くから一気呵成に収穫する。留まることなくスピーディに進む収穫作業を、二つの動詞の連携によって描写している。

2013-11-24

朝の爽波93 小川春休



小川春休




93



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初秋から中秋、八・九月頃かと思われます。鑑賞句数が少なめなのは、単に私の体調不良によるものです。あしからず。

野分して伏見稲荷の駅に居る  『一筆』(以下同)

伏見稲荷駅は、京阪電車における伏見稲荷大社最寄りの駅であり、朱塗りの柱に狐の装飾など、大社を模した独特の駅舎となっている。掲句、決して強風で飛ばされて来た訳ではなく、直接の因果関係はないが、気付くとその駅にいた、という気分が感じられる。

障子貼るお狐さまの風通ひ

来るべき冬に備えて、障子の貼り替えをする。庭先などで水をかけ、ごしごしこすって洗いながら紙を剥がし、新しい紙を貼り直す。お狐さまとは伏見稲荷のことか。御社からの風に冬の訪れの近いことを感じ、実感を持ってその地域の暮らしを思い描くことができる。

この瀧に水戻りたる子規忌かな

降雨の少ない年でもあったのであろうか、水が無くなり、瀧とは言えなくなってしまっていた瀧。それが水勢を取り戻し、再び瀧としての姿を見せている。子規忌を毎年気に掛ける句中の人物の存在が、こうした時間的な奥行きを実感のあるものへと肉付けしている。