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2014-06-01

平成百人一句  選・宗田安正

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週刊俳句 第371号 2014-6-1
平成百人一句  選・宗田安正
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平成百人一句  選・宗田安正 テキスト

平成百人一句  選・宗田安正

『アナホリッシュ國文學』第5号冬・平成25年12月20日発行より転載


白梅や天没地没虚空没  永田耕衣  明33・2・21生

銀河系のとある酒場のヒヤシンス  橋 閒石  明36・3・2生

まさかと思ふ老人の泳ぎ出す  能村登四郎  明44・1・5生

他界にて裾ををろせば籾ひとつ  中村苑子  大2・3・25生

艦といふ大きな棺(ひつぎ)沖縄忌  文挟夫佐恵  大3・1・23生

草の根の蛇の眠りにとどきけり  桂 信子  大3・11・1生

われもまたむかしもののふ西行忌  森 澄雄  大8・2・28生

帰りなん春曙の胎内へ   佐藤鬼房  大8・3・20生

おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太  大8・9・23生

短夜を書きつづけ今どこにいる   鈴木六林男  大8・9・28生

死者あまた卯波より現れ上陸す   眞鍋呉夫  大9・1・25生

無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子  大9・6・25生

百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太  大9・7・10生

山に金太郎野に金次郎予は昼寝   三橋敏雄  大9・11・8生

葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子  大10・1・9生

海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉  大10・5・21生

薄氷の吹かれて端の重なれる   深見けん二  大11・3・5生

チューリップ花びら外れかけてをり   波多野爽波  大12・1・21生

全身を液体として泳ぐなり   和田悟朗  大12・6・18生

在りて遙かな〈古代緑地〉白鳥は發つ   坂戸淳夫  大13・3・4生

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯  大14・1・1生

死ぬ朝は野にあかがねの鐘鳴らむ   藤田湘子  大15・1・11生

紅梅や謠の中の死者のこゑ   宇佐美魚目  大15・9・14生

米袋ひらいて吹雪見せてあげる   澁谷 道  大15・11・1生

霜柱人柱幾百万柱   川崎展宏  昭2・1・16生

永遠のいまどのあたり蝉時雨   津沢マサ子  昭2・3・5生

子探しに似て黄落の木より木へ   岡本 眸  昭3・1・6生

いたりやのふいれんつえ遠しとんぼつり   阿部完市  昭3・1・25生

こつあげやほとにほねなきすずしさよ   柿本多映  昭3・2・10生

日輪の燃ゆる音ある蕨かな   大峯あきら  昭4・7・1生

ひざにゐて猫涅槃図に間に合はず   有馬朗人  昭5・9・13生

初凪や轟沈といふ昔あり   鷹羽狩行  昭5・10・5生

風立ちぬ//骸骨として/蹶(た)つべきや   岩片仁次  昭6・9・24生

生まざりし身を砂に刺し蜃気楼   鍵和田秞子  昭7・2・21生

虹顕つや海汲みつくさむと幼な   柚木紀子  昭8・12・2生

雲触れて膜が溶けあふペンテコステ   小島俊明   昭9・4・27生 注 ペンテコステ=聖霊降誕祭

閃光を見たる閃尖塔蝉時雨   大林信爾  昭9・5・7生

夕刊のあとにゆふぐれ立葵   友岡子郷  昭9・9・1生

船のやうに年逝く人をこぼしつつ   矢島渚男  昭10・1・24生

天皇の白髪にこそ夏の月   宇多喜代子  昭10・10・15生

万物は去りゆけどまた青物屋   安井浩司  昭11・2・29生

人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子  昭11・3・25生

はらわたの熱きを恃(たの)み鳥渡る   宮坂静生  昭12・11・4生

やすらへ花・海嘯(つなみ)・兇火(まがつひ)・諸靈(もろみたま)   高橋睦郎  昭12・12・5生

父の帯どろりと黒し雁のころ   大石悦子  昭13・4・3生

花の闇お四國の闇我の闇   黒田杏子  昭13・8・10生

鳥辺野や七竅(しちけう)を穿(うが)たれ混沌は   齋藤愼爾  昭14・8・25生

後の世に逢はば二本の氷柱かな   大木あまり  昭16・6・1生

桃の花死んでいることもう忘れ   鳴戸奈菜  昭18・4・18生

歳旦の松にきかねばならぬこと   辻 桃子  昭18・11・8生

人寰や虹架かる音響きいる   寺井谷子  昭19・1・2生

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典  昭19・4・22生

明日は野に遊ぶ母から鼠落つ   志賀 康  昭19・11・11生

肉屋に肉入れるところや夏の月   谷口愼也  昭21・5・17生

前衛に甘草の目のひとならび   攝津幸彦  昭22・1・28生

車にも仰臥という死春の月   高野ムツオ  昭22・7・14生

たくさんの舌が馬食う村祭   西川徹郎  昭22・9・29生

陽炎や母といふ字に水平線   鳥居真理子  昭23・12・13生

頭には男根生やし秋の暮   久保純夫  昭24・12・14生

もりソバのおつゆが足りぬ高濱家   筑紫磐井  昭25・1・14生

男を死を迎ふる仰臥青葉冷   山下知津子  昭25・3・15生

ずずずずと鯨の浮力で目がさめる   江里昭彦  昭25・7・12生

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや  昭25・7・16生

香水の体を脱いで夜のジムへ   今井 聖  昭25・10・12生

瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫  昭26・4・28生

地下鉄にかすかな峠ありて夏至   正木ゆう子  昭27・6・22生

命あるものは沈みて冬の水   片山由美子  昭27・7・17生

網戸より雨の森とは遠くあり   星野高士  昭27・8・17生

この母の骨色の乳ほとばしれ   鎌倉佐弓  昭28・1・24生

初雪は生まれなかった子のにおい   対馬康子  昭28・10・22生

はんこ屋という秋風に近きもの   永末恵子  昭29・2・15生

初山河一句を以て打ち開く   長谷川櫂  昭29・2・20生

たかんなにはらわた詰まりゐはせぬか   角谷昌子  昭29・2・23生

愚かさや海岸の怪獣へ津波   夏石番矢  昭30・2・23生

尾の見えてすめらみことの更衣   高橋修宏  昭30・12・27生

神護景雲元年写経生昼寝   小澤 實  昭31・8・29生

男来て出口を訊けり大枯野   恩田侑布子  昭31・9・17生

八月の橋を描く子に水渡す   水野真由美  昭32・3・23生

春の山たたいてここに坐れよと   石田郷子  昭33・5・2生

万両は幻影に色つけた実か   四ッ谷龍  昭33・6・13生

空剔(えぐ)る巨大放送局真冬   浦川聡子  昭33・12・12生

空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明  昭34・10・11生

春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子  昭35・9・3生

日沈む方へ歩きて日短   岸本尚毅  昭36・2・7生

死ぬときは箸置くやうに草の花   小川軽舟  昭36・2・7生

稲子みる稲子に貌の似てくるまで   岩田由美  昭36・10・11生

断崖に開けつぱなしの冷蔵庫   皆吉 司  昭37・5・13生

夏潮のちからもらひて生まれ来よ   千田洋子  昭37・8・3生

双子なら同じ死顔桃の花   照井 翠  昭37・9・7生

とととととととととと脈アマリリス   中岡毅雄  昭38・1・10生

顔洗う手に目玉あり原爆忌   五島高資  昭43・5・23生

秋簾撥(かか)げ見るべし降るアメリカ   高山れおな  昭43・7・7生

逃げ水を小さな人がとほりけり   鴇田智哉  昭44・5・21生

人類に空爆のある雑煮かな   関 悦史  昭44・9・21生

一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵  昭51・2・25生

気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也  昭54・4・26生

つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘  昭55・7・1生

寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希  昭58・6・3生

海開その海にゐる人々よ   佐藤文香  昭60・6・3生

あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢  昭60・12・28生
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平成百人一句  選・関 悦史

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平成百人一句  選・関 悦史 テキスト

平成百人一句  選・関 悦史

「GANYMEDE(ガニメデ)」第60号・2014年4月より全文転載


豊旗雲の上に出てよりすろうりい  阿部完市『軽のやまめ』一九九一年七月

忘年や身ほとりのものすべて塵   桂信子『樹影』一九九一年一一月

百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太『遅速』一九九一年一二月

日盛の橋に竣工年月日   波多野爽波『波多野爽波全集 第二巻』一九九二年一月

荒々と花びらを田に鋤き込んで   長谷川櫂『天球』一九九二年四月

路地裏を夜汽車と思ふ金魚かな   攝津幸彦『陸々集』一九九二年五月

みちのくは底知れぬ国大熊(おやぢ)生く   佐藤鬼房『瀬頭』一九九二年七月

霜掃きし箒しばらくして倒る   能村登四郎『長嘯』一九九二年八月

銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋閒石『微光』一九九二年八月

夏の浪中上健次大むくろ   夏石番矢『楽浪』一九九二年一一月

花の悲歌つひに国歌を奏でをり   高屋窓秋『花の悲歌』一九九三年五月

猩々に糞投げられし春の昼   岡井省二『猩々』一九九三年九月

天我を釣り揚げんとす凧   阿波野青畝『宇宙』一九九三年一一月

水(みづ)より高(たか)きに/肉(にく)を/量(はか)りて/暮春(ぼしゅん)かな   林桂『銀の蝉』一九九四年一一月

どうころがしても口中の水の秋   安東次男『花筧後』一九九五年二月

白梅や天没地没虚空没   永田耕衣『自人』一九九五年六月

筍掘るとどめの音を土の中   鷹羽狩行『十一面』一九九五年七月

そこにあるすすきが遠し檻の中   角川春樹『檻』一九九五年一〇月

八雲わけ大白鳥の行方かな   沢木欣一『白鳥』一九九五年一二月

瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫『アルデンテ』一九九六年四月

大出目錦やあ楸邨といふらしき   加藤楸邨『望岳』一九九六年七月

倒・裂・破・崩・礫の街寒雀   友岡子郷『翌』一九九六年九月

縁の下しずかに茂る鉈に鎌   鳴戸奈菜『月の花』一九九六年一〇月

みづから遺る石斧石鏃しだらでん   三橋敏雄『しだらでん』一九九六年一一月

虫の夜の星空に浮く地球かな   大峯あきら『夏の峠』一九九七年六月

南無八万三千三月火の十日   川崎展宏『秋』一九九七年一二月

賚(たまもの)のごとく小雪や朝寝して   高橋睦郎『賚』一九九八年四月

たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典『ぽぽのあたり』一九九八年七月

墨塗りの昭和史があり鉦叩   矢島渚男『翼の上に』一九九九年五月

青大将太平洋に垂れ下がり   大串章『天風』一九九九年七月

無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子『無方』一九九九年一〇月

何をしていた蛇が卵を呑み込むとき   鈴木六林男『一九九九年九月』一九九九年一二月

天の河/右岸/左岸も/瞑いなあ     岩片仁次『砂塵亭殘闕』一九九九年

海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉『遥遥』二〇〇〇年四月

水なりと突然椿のつぶやけり   宗田安正『百塔』二〇〇〇年一〇月

連翹やかがむと次元一つ消ゆ   和田悟朗『坐忘』二〇〇一年一月

火に投げし鶏頭根ごと立ちあがる   大木あまり『火球』二〇〇一年三月

おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太『東国抄』二〇〇一年三月

葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子『平日』二〇〇一年四月

山藤が山藤を吐きつづけおり   五島高資『雷光』二〇〇一年六月

白魚にをどり食ひされゐたりけり   平井照敏『夏の雨』二〇〇一年一〇月

年寄は風邪ひき易し引けば死す   草間時彦『瀧の音』二〇〇二年五月

水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子『静かな水』二〇〇二年一〇月

水温む鯨が海を選んだ日   土肥あき子『鯨が海を選んだ日』二〇〇二年七月

天空は生者に深し青鷹(もろがえり)   宇多喜代子『象』二〇〇二年一〇月

明朝活字填(つま)りて邃(ふか)し石榴なり   竹中宏『アナモルフォーズ』二〇〇三年六月

甘酒の銀泥怖るのんどかな   磯貝碧蹄館『馬頭琴』二〇〇三年七月

寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希『星の地図』二〇〇三年八月

見ゆるごと蛍袋に来てかがむ   村越化石『蛍袋』二〇〇三年一〇月

気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也『青空を欺くために雨は降る』二〇〇四年三月

空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明『夜の客人』二〇〇五年一月

万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや『縄文』二〇〇五年四月

人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子『たましいの話』二〇〇五年六月

神護景雲元年写経生昼寝   小澤實『瞬間』二〇〇五年六月

鷹柱じんるい白き火をあやし   嵯峨根鈴子『コンと鳴く』二〇〇六年五月

風が出て蝉の骸の地を退る   林田紀音夫『林田紀音夫全句集』二〇〇六年八月

をみなとて空山幽谷ふところ手   澁谷道『蘡(えび)』二〇〇八年五月

地球より出る細胞の鬨の声   高橋修宏『蜜楼』二〇〇八年七月

蝸牛やご飯残さず人殺めず   小川軽舟『手帖』二〇〇八年九月

睡蓮やあをぞらは青生みつづけ   恩田侑布子『空塵秘抄』二〇〇八年九月

「しんかい」や涅槃の浪に呑まれけり  ドゥーグル・J・リンズィー『出航』二〇〇八年一二月

ニュートリノ桃抜けて悲の塊に   石母田星人『膝蓋腱反射』二〇〇九年二月

我はなほ屍(かばね)衞兵(ゑいへい)望の夜も   眞鍋呉夫『月魄』二〇〇九年三月

つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘『未踏』二〇〇九年六月

テキサスは石油を掘つて長閑なり   岸本尚毅『感謝』二〇〇九年一〇月

目刺焼く炎の中の笑ひごゑ   男波弘志『阿字』二〇〇九年一一月

人参を並べておけば分かるなり  鴇田智哉『新撰21』二〇〇九年一二月

雪・躰・雪・躰・雪 跪く   田中亜美『新撰21』二〇〇九年一二月

一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵『新撰21』二〇〇九年一二月

手紙即愛の時代の燕かな   佐藤文香『新撰21』二〇〇九年一二月

今日は晴れトマトおいしいとか言って  越智友亮『新撰21』二〇〇九年一二月

どの眼にも 髪まつはりて 青嵐   斉木直哉『強さの探求』二〇〇九年

火の入りし岐阜提灯の花よ葉よ   宇佐美魚目『松下童子』二〇一〇年二月

氷(ひょう)握る拳で夢野を照らすのか   安井浩司『空なる芭蕉』二〇一〇年九月

黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯『鏡騒(かがみざい)』二〇一〇年一〇月

春暁の母たち乳をふるまうよ   金原まさ子『遊戯の家』二〇一〇年一〇月

燃ゆる手に包まるる手よ語りつづけ   四ッ谷龍『大いなる項目』二〇一〇年一一月

ダンススクール西日の窓に一字づつ   榮猿丸『超新撰21』二〇一〇年一二月

白鳥定食いつまでも聲かがやくよ  田島健一『超新撰21』二〇一〇年一二月

じきに死ぬくらげをどりながら上陸
御中虫『おまへの倫理崩すためなら何度(なんぼ)でも車椅子奪ふぜ』二〇一一年四月

あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢『残像』二〇一一年七月

コレラコレラと回廊を声はしる   青山茂根『BABYLON』二〇一一年八月

長雨や人のたまごか野に青む   中村光三郎『春の距離』二〇一一年一一月

君はセカイの外へ帰省し無色の街   福田若之『俳コレ』二〇一一年一二月

ゆく雁やひたすら言語(ラング)たらんとして   小川双々子『非在集』二〇一二年一月

薬湯のような紅茶にただ飛雪   江里昭彦 ウェブマガジン「詩客」二〇一二年一月二〇日号

棺一基四顧茫々と霞みけり   大道寺将司『棺一基』二〇一二年四月

げんぱつ は おとな の あそび ぜんゑい も   高山れおな『俳諧曾我』二〇一二年一〇月

双子なら同じ死顔桃の花   照井翠『龍宮』二〇一二年一一月

とびおりと巻き添え非対称性雁ゆく   大沼正明『異執』二〇一三年四月

侘助に朝の光やロゴスとは   長澤奏子『うつつ丸』二〇一三年六月

永遠に絶叫している白い皿   西川徹郎『幻想詩篇 天使の悪夢 九千句』二〇一三年六月

厠から九月の滝は淋しけれ   澤 好摩『光源』二〇一三年七月

吾(あ)と無   筑紫磐井「GANYMEDE」第五八号、二〇一三年八月

相打ちのつもりで摘むや花菫   志賀 康『幺(いとがしら)』二〇一三年八月

かたつむり刃を渡りきりこちら向く   萩澤克子『母系の眉』二〇一三年八月

魂魄はスカイツリーにゐるらしい   柿本多映『仮生』二〇一三年九月

膨れ這い捲れ攫えり大津波   高野ムツオ『萬の翅』二〇一三年一一月

雪熄みし月の高野の初櫻   黒田杏子『銀河山河』二〇一三年一二月

梅園を歩けば女中欲しきかな   野口る理『しやりり』二〇一三年一二月

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平成百人一句  選後所感 宗田安正

平成百人一句 
選後所感

宗田安正

『アナホリッシュ國文學』第5号冬・平成25年12月20日発行より全文転載




与題は「百人一句」。四半世紀に達した平成年間の作品を対象に何かを表現しようとしている作品を中心に選んだ。

近代俳句は、子規の俳句革新以来、常に近代化、つまり近代的主体の表現をめざしてきたが、昭和末期の経済至上主義、情報社会の進展による社会構造の変化により絶対だったその近代的主体が溶解、俳句にも前代のような文学運動は皆無になり、俳句自体も表現する器から表現できるものを探す器に変質した。

また高度経済成長による余裕とカルチャーブームで、女性の俳句人口が激増。作品自体も、日常生活での共感、頷き合い、表現の洗練のレベルで満足するものが支配的になる。

平成に入り、バプル景気も破綻したがその俳句の趨勢は変わらず、〈情緒安定産業〉(江里昭彦)として俳壇に或る種の経済的繁栄をさえもたらすことになる。

ところが近年、或る新人達のアンソロジーをきっかけに、にわかに若手中心に新しい〈表現〉を求める動きが出てきた。

たとえばかつての高柳重信、夏石番矢なども句集ごとにテーマと表現方法を変えたが、関悦史句集『六十億本の回転する曲がつた棒』(平23)は、現代風俗詠、或る館をめぐる高踏派的幻想的作品、介護俳句、『百人一首』パロディー、震災俳句など七テーマを、テーマごとに一般的表記、総ルビ・正漢字、カタカナ表記など表現方法を変え、一冊に収める。

この多元性が関の内面の現実から発せられているため、全く分裂感がない。

先輩格の高山れおな句集『俳諧曾我』(平24)も、『曾我物語』やシャルル・ペローの童話に基く連作、フィレンツェ印象詠、『詩経』の俳句化、「原発前衛歌」などの有季俳句、多行俳句、横組俳句、平仮名俳句等を一巻に収める。

関句集よりもテーマの設定と作者との関係が自由で、それだけより自由にテーマ、俳句形式及び言語そのものの多元的可能性に挑むことになる。

高橋修宏句集『虚器』(平25)も、九・一一同時多発テロや東日本大震災と原発事故など、近代の人間中心主義の崩壊により露出した〈虚〉に注目、俳句による壮大な〈虚の人類史〉〈虚の叙事詩〉を展開する。

これらの句集からも各一句を抄出したが、その成果は句集を読んで戴くしかない。

世界文学の一ジャンルとしての俳句運動を海外で展開する夏石番矢、実存俳句九千句を書下ろす西川徹郎ともども、近代にはなかった新しい時代の表現主体の登場と言ってよい。

従来の方法による俳句の展開、大震災の俳句への影響の深まり(中世の『方丈記』が対峙した地震などの天災、社会運動によって露出する無常は、『平家物語』や『徒然草』、更に後の能や石庭などを生み出すことになる)ともども、その今後に期待したい。 

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平成百人一句 無風であったはずの時期の百句 関悦史

平成百人一句 
無風であったはずの時期の百句

関 悦史

「GANYMEDE(ガニメデ)」第60号・2014年4月より全文転載


今回の「平成百人一句」を選出するにあたり、参考にした百句選が三種類ある。

まず髙柳克弘選の「ゼロ年代の俳句一〇〇選」。これは『現代詩手帖』二〇一〇年六月号「特集・短詩型新時代――詩はどこに向かうのか」に、黒瀬珂瀾選「ゼロ年代の短歌一〇〇選」と並んで掲載された。

この髙柳克弘の選句に対して上田信治が「この一〇〇句、短歌の隣におくと、ゆるくないですか?」とウェブマガジン「週刊俳句」二〇一〇年五月三十日号「『現代詩手帖六月号 短詩型新時代』を読む」で疑義を呈し、これを受けて、二番目に高山れおなが「「ゼロ年代の俳句一〇〇選」をチューンナップする」をウェブマガジン「豈weekly」二〇一〇年六月六日号に発表した。

そして疑義を呈した上田信治自身も三番目に「テン年代の俳句はこうなる──私家版「ゼロ年代の俳句一〇〇句」」を発表(「週刊俳句」二〇一〇年六月二七日号)し、都合三種類のアンソロジーが出来た。

これらは皆ゼロ年代の十年間に絞ってのアンソロジーだったが、「平成」年間は一九八九年一月八日から始まるため、これらのアンソロジーが対象とした時期に比べて、今回は前に約十一年、後ろに約三年、対象期間が伸びることとなる。

八九年の冷戦崩壊で二十世紀の世界構造が終わったとする見方もあることを思えば、実質「二一世紀の一〇〇句」を編むことになるが、この「前に約十一年」伸びたというのが曲者で、九〇年代まで入ってきてしまうと対象期間のキャラクターがかなり変わってくるのだ。

九〇年代=平成初頭には、山口誓子、阿波野青畝、加藤楸邨、飯田龍太、波多野爽波、永田耕衣、能村登四郎、上田五千石、攝津幸彦といった濃厚に「昭和」のにおいをまとった作者たちがみな存命なのである。当然、有名句が目白押しとなる。また「後ろに約三年」の間に東日本大震災が起こる。

序盤はバブル期にもあたり、夏石番矢、林桂、西川徹郎らの非伝統的な作家たちの絢爛たる活動も目立ったが、バブル崩壊後の大不況、さらに九五年、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が続けて発生すると、社会に息詰まるような閉塞感が立ち込め、前衛性や観念性は社会の雰囲気と乖離してリアリティを得にくくなり、おのおの独自の島宇宙のような位置へと遷移してゆくことになる。

九〇年代以後というのは単に経済的に不景気に陥っただけではなく、冷戦崩壊を境に人類規模で思想的、芸術的産出力が目に見えて落ちた時期でもあり、以後新しいものたちが綺羅星の如く登場して時代を画していくという動きは芸術・文化の全領域でなくなっていった。

これは俳壇規模では、いわゆる「平成無風」となる(この時期、ずっと「最若手」として俳壇を担ってきたのが岸本尚毅ら、小川軽舟いうところの「昭和三十年世代」であり、「型」や「伝統」が中心的な価値観とされることとなった)。

そして、最近数年間まで時代を下ってくると、ようやく俳句甲子園、芝不器男俳句新人賞、アンソロジー『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』等、従来の評価システムとは別の回路から新人がまとまって登場するが、その直後に東日本大震災及び東電福島第一原発の過酷事故が発生し、季語を半ば自然そのものと同一視してきた少なからぬ俳人たちが深い困惑に陥った。

その前に、九五年のウィンドウズ95の発売を機にインターネットが突如普及し、パソコン、ケータイが社会的インフラとして一般化していったという生活習慣レベル(むしろ文明レベルというべきか)での一大変化もあり、この基礎条件の変動なしには結社システム以外からの新人登場はあり得なかった(アンソロジー『新撰21』もネットを通して若手俳人の句集制作資金不足を知った篤志家からの出資の申し出があって初めて刊行し得た書籍だった)。

とはいえ、最近出てきた若手の多くも、概ね有季定型での句作りを中心としている。とそういったあたりが平成俳句の大まかな土台となる。

選句中はそうした社会的文脈は一応視野の外に置いて、名句、有名句を淡々と拾っていったのだが、九割八分ほど選句を終えた本稿締切の三日前、季刊誌『アナホリッシュ國文學』第五号「特集Ⅰ・俳句の近代は汲みつくされたか/特集Ⅱ・そして蕪村、世界のハイクへ」というのが届いて、そちらで宗田安正が同じ「平成百人一句」を編んで発表しているのを目にすることになった。

互いに全く知らずに作業を進めていたのだが、これを自分の選句と見比べると、偶然合致している句がかなりある。先行アンソロジーとの重複を避けるために入れ替えるというのも本稿の主旨からして変なので、宗田版アンソロジーを受けての変更はあえてせずにおいた。

合致していたのは以下の二十句である(なお宗田版は、収録句集刊行順ではなく、作者の生年順に句が配列されている)。

  白梅や天没地没虚空没   永田耕衣
  銀河系のとある酒場のヒヤシンス   橋 閒石
  おおかみに蛍がひとつ付いていた   金子兜太(克・れ・信)
  無方無時無距離砂漠の夜が明けて   津田清子
  百千鳥雄蕊雌蕊を囃すなり   飯田龍太
  葛の花来るなと言つたではないか   飯島晴子(克・れ)
  海鼠切りもとの形に寄せてある   小原啄葉(れ・信)
  黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒   八田木枯
  人類の旬の土偶のおっぱいよ   池田澄子(克・れ)
  たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ   坪内稔典
  万有引力あり馬鈴薯にくぼみあり   奥坂まや(克・れ)
  瀧壺に瀧活けてある眺めかな   中原道夫
  神護景雲元年写経生昼寝   小澤 實(克・れ)
  空へゆく階段のなし稲の花   田中裕明(れ・信)
  双子なら同じ死顔桃の花   照井 翠
  一滴の我一瀑を落ちにけり   相子智恵(れ)
  気絶して千年氷る鯨かな   冨田拓也(克)
  つまみたる夏蝶トランプの厚さ   高柳克弘
  寂しいと言い私を蔦にせよ   神野紗希(克・れ)
  あぢさゐはすべて残像ではないか   山口優夢(克・れ)

 カッコ内の「克」「れ」「信」はそれぞれ髙柳克弘、高山れおな、上田信治のゼロ年代一〇〇句選でも選ばれていたことを示している。このあたりは既に平成俳句のスタンダードの地位を占めつつある句といえるだろう。

他にこちらが有力候補として残しながら、宗田選とは同じ作者の別の句を取ってしまったケースも三句ある。

宗田選で採られた《天皇の白髪にこそ夏の月》宇多喜代子は、こちらでは《天空は生者に深し青鷹》に差し替えられた。認知度という点からいえば前者が圧倒的なのだが、「こそ夏の月」にかかる句意がやや不分明で採りきれなかったためである。

また《万物は去りゆけどまた青物屋》安井浩司は、私が安井浩司論を書いた際にも最初に据えた句で、安井世界に特徴的な構造(「万物」から「青物屋」が除外されている)が明瞭であり、しかも無限の安らかさもある。名句は繰り返し言及されることで名句になっていくものであり、ここで再度とも考えたが、今回は安井俳句にはやや珍しいような立ち姿と湧出感が魅力的な《氷握る拳で夢野を照らすのか》を挙げた。

それから《車にも仰臥という死春の月》高野ムツオは、東日本大震災に際して詠まれたものとしては最も知られた句のひとつだが、季語「春の月」による救済が早過ぎるようにも感じ、津波描写に特化した無季句《膨れ這い捲れ攫えり大津波》の不気味さを取った。この辺の季語に対する対応の違い、一見些細なようだが、ここで無季に踏み切れるかどうかは、その作家にとって大きな岐路ともなりうる。

今回の百句選は、俳句表現が概ね無風と見られてきた時期のそれであり、二度の大震災に直接材を取った句などを別にすると、社会や暮らしのファンダメンタル上の変化はさほど顕著に反映されていない。パソコン・ケータイ普及後の作と一目でわかるのは《君はセカイの外へ帰省し無色の街》福田若之くらいではないか(なお福田若之の場合も《ヒヤシンスしあわせがどうしても要る》という、より人口に膾炙した句が既にある)。

そうした中で先の大戦を反芻した句が妙に多くなっているのは、現在の状況が選者(関)の無意識を大きく侵食しているためだろう。宗田版と比べると若い作家の比率が多く、「老人と子供の百句」のような趣きになっている。その分こちらの方が、間に挟まる無風・伝統回帰の時期の、壮年作家たちの官僚的ともいえるような秀句を多く採り逃している。

なお宗田選、関選ともそれぞれ自作は除外しているが、互いの句《人類に空爆のある雑煮かな》関悦史と、《水なりと突然椿のつぶやけり》宗田安正を結果的に採りあっていた。

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なお筑紫磐井句は、のち句集『我が時代 ―二〇〇四~二〇一三―〈第一部・第二部〉』に収録された。

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