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2017-05-21

伝書鳩3 杉山久子×佐藤文香

伝書鳩
杉山久子×佐藤文香による往復書簡
第3回





久子さま

句集『泉』をありがとうございました! おもろかったです。ふらんす堂のシリーズの綺麗系な装幀なのがもったいないくらい「おもろい」と思いました(これ、褒め言葉のつもりで言ってます)。

上手なイイ句については、もう他の方がたくさんお書きでしょうから、わたしは『泉』おもろイイ十句を挙げますね。

星涼しトナカイの肉切り分けて
  捨てられしバナナの皮と本の帯
  人悼む白シャツにかすかなフリル

「トナカイ」が肉として食べられること、ゴミ箱のなかではバナナの皮と同列な「本の帯」、礼服の「フリル」。これらは、本来はどちらかといえば「素敵」な素材なのですが、あれれっと思うタイミングについて書かれているのがおもしろい。

秋の日に静止画像のごとくゐる
  露の世にボーカロイドのうたふ愛

動画を停止させたときみたいな妙な姿勢で、今「ゐる」と、客観的に自分の姿を認識している。シンプルでありながら、現代的な句だなと思いました。現代的といえば、あの高いピーっとした切ない声、「露の世」感ハンパない。今せっかくなんで「SPiCa」ってボカロ名曲聴いてるんですけど(@荻窪のスタバ。もちろんイヤフォンで)

ため息で 落ち込んでいた午後
   想うだけ 君の名を一人つぶやくわ
   あさはかな愛じゃ 届かないよね
   会いたくて ピアノ奏でた音
   苦しくて 溢れ出す
   余韻嫋々 君に届け
        (作詞:kentax vs とくP 作・編曲:とくP)

余韻嫋嫋って・・・・・・ちょっと感動していたら、隣の人が盛大にスターバックスラテ(ホット)をぶちまけて、店員さんが拭きに来て、恥ずかしかったので、一旦パソコンを閉じました。

  いにしへのパンクロックや月見草

これは、パンクロックというものの古い時代の曲を指すのか、それとも縄文時代におけるパンクロック的なものなのか(笑)。わたしは、銛を振り回しながら毛皮の人たちが火のまわりで歌うのを想像したので、後者であってほしいです。月見草が凛としてる(笑)。

  たよりなきファンひとりゐる冷奴

もちろん久子ファンのことですよね? でも、一人じゃなくて何人か思い浮かびますよ、俳句系中年男性。ま、そうじゃなかったとしても、たよりないファンが一人しかいないような人というのは存在として哀れなわけで、おかずとしても大変心許ない冷奴みたいな奴なのでしょう。

  珈琲におぼるゝ蟻の光かな

いやいや、かわいそうやし、蟻入ったらあかんし! あぁあ、その珈琲もう飲めへんし、久子さん見とらんと、どうにかし・・・・・・「蟻の光」とかカッコイイこと言ってる場合ちゃいますやん! なぜか関西弁で突っ込み。

  入金をたしかめてゐる生身魂

いますよねー、ATM。店の人に後ろから教えてもらってるから遅いんですよね。だいたいこういうときに限って小さい店舗で、機械が二台とかしかない。列に並んでると、その人のことばっかり見てしまう。こういう人が振り込め詐欺にひっかかるんじゃないかと不安に思ったりする。季語「生身魂」が最高ですね。「入金をたしかめてゐるおぢいさん」では、ここまでの味わいが出ない。もしかしたら、ATMが次の世につながってるかもしれません。

ここまでで九句紹介しました。「フリル」の句は句またがりですけど、すべてバッチリ十七音、有季定型。それがいいんだと思います。

人を笑わすときに自分が笑ったらいけない、笑わそうという意図が少しでも感じられたらいけない、なんなら真面目に言ってるつもりの人こそが、人を爆笑させられる。

有季定型というのは、その「真面目」ぶりなわけですから、そんなちゃんとした俳句から久子さんらしさ(「伝書鳩」は久子さんが面白いと評判)が滲み出てしまったときに最も輝くのです。そして、一番笑ったのは次の句。

  セーターの毛玉を取れと神の声

「神の声」て! 友達でも親でも自分でもない「神」。この声を聞いてしまったときの久子さん、もしかすると静止画像のごとし、かも。もさもさになったセーター着てる久子さん。もうなんて言えばいいのか。久子音頭? 最高ですよ。
てなわけで、「そんなつもりじゃない!」や句集裏話など、ございましたらぜひ。

文香



文香さま

『泉』の評をありがとうございました。大笑いしながら読みました。文香ちゃんが取り上げてくれた句はほとんどが句集の中ではマイナーだけど、自分では気に入っているもので嬉しかったです。

「珈琲におぼるゝ蟻」実際は紅茶に溺れていたような気もするけれど(どうでもいい情報)、勿論眺めた後は助け出し、飲みました。蟻くらいなら大丈夫なのよ。カメムシとかオタマジャクシとかだったら飲まない。

「いにしへのパンクロック」はいまだかつて誰にも取り上げてもらってないけれど、自分では「月見草がいい仕事してるわ」と思っていたので特別嬉しいです。

最初は古い時代のパンク曲の意味で作ったのだけれど、だんだんもっと古い時代の、出始めたころは衝撃的だったのに中途半端に時間が経って居心地悪くなってしまったもののイメージも自分で重ね合わせるようになってきました。わたしの「いにしへ」はせいぜい平安時代くらいまでですね。縄文時代まで遡ったのにはびっくり、大受け。

「神の声」、私にはこれくらいの啓示をくれる神様がいいかなと思ってます。あまり恐いこと言われても困るので。

毛玉の事を考える時、よく思い出すのが皇室の方々のこと。

いや、逆でした。冬に皇室の方々をテレビで見ると、つい毛玉の事を考えてしまうのです。この人たちは毛玉を見たことあるのかな? と。あるかもしれないけれど、毛玉のついたコートとかセーターを着ることはないだろうなと。別に普通のセレブの洋服沢山持っている人でもそうかもしれないけれど。あ~、毛玉って枝毛と一緒で取れば取るほど気になりだしてキリがないんだよね。

…て、またどうでもいい話に。

でもこの書簡は基本どうでもいい話で進んでゆくのであった、と気を取り直して。

今回の句稿を送った後気づいたのですが、前回

  筍とタウンページをもてあます

という句を出していたのをすっかり忘れていて、また今回「もてあます」句を出してしまっていた。内容は違うけれど同じ発想。入れ替えを頼むのもご迷惑だろうと思い、こうなったら「もてあますシリーズ」で色々作ってしまえと思い(乱暴な!)、そのままにしました。

「クプラス2号」を読んで下さったある女性の俳人の方から「伝書鳩」への感想をいただきました。

「パソコンゲームの話題には思わずうなづいてしまいました。私の気に入りはウィンドウズ本体ではなく無料のパズルサイトで「ケーキソリティア」というものです。とても可愛く一度解けてもしばらくすると忘れてしまい又楽しめるというもので密かにお勧めです」

一度解けてもしばらくすると忘れてしまうという一文に痺れ、これはやらねば!と探してみたのですが上手くいかず、イラッと来たので、昔やっていたフリーセルでもするかとあちこちのサイトをめくってみるも、私が知る過去のフリーセルと違う。カードがめくれていないではないか。益々イラッとしたまま時間だけが過ぎてゆくのであった。こんなことしてる暇はないのに。

…というように、気づけば私がもてあましているのは、筍よりもタウンページよりもモアイよりも赤い羽根よりも何よりも、そう、この私自身なのでした。

  もてあます恋猫ぶらさがり健康器 久子

文香ちゃんは自分のことをもてあますことありませんか?私ほどではないにしても。
お願い、あるって言って(笑)。
久子












久子さま

私も自分自身のこと、超絶もてあましてます。だいたい、一人で家にいると何していいんだかわからない(勤めていないのに。これでは何もできない)。テレビも見ないしガーデニングもしないし、本は読まなきゃだけどエイッと力を入れないと読めず、気がつくとツイッターとフェイスブックとメールの画面を交互に見ているだけの時間が過ぎていることがよくあります。

料理以外の家事はわりと積極的にこなすタイプなので、というより体を動かしていないと不安で、洗濯やクイックルワイパーをしてると気持ちが落ち着く。最近は断捨離と言うんですか、いらない服や本を捨てたり売ったり、何しろ体を動かして達成感を得る、というのが好きみたい。しかしそれは置いておいて、一人で一箇所に座っているのが苦手というのは、本当に仕事が進まなくて困ります。大して多くもない仕事が、いつまで経っても完成しない。

人に見られていると思うとまだマシ。だからノマド的にスタバに行ったりしてるわけですがそれも飽きてきて。こないだ「新宿 カフェ 勉強」で調べたら(我ながらヒドい検索ワード)、「Wifi完備・電源完備・三時間千円ドリンク飲み放題」というところを発見したので行ってみました。

オシャレだし店員のお姉さんは美人だし、居心地は大変よくて(隣はイケメンだった)良かったんですが、ブログとメールを何通か書いて満足してしまい、仕事は一向に進まず。

なんなんでしょう、書き仕事向いてないのかな……。でも家にいるよりはいい気がして、これはいっそシェアオフィスとか借りるべきなのかと思って検索し始めて、いやいやそんなするほど仕事ないだろ! と思っては、週三でカフェ行くのとどっちが安いかな、でも借りたら借りたでまた仕事できなくて落ち込んだりするんだろうな、と、考えは堂々巡り。

できるだけ人前に立つ機会を減らして、書き仕事を増やしていきたいという思いとは裏腹に、自分が一人で何もできない人すぎて、家にいても焦るばかりではかどらず、室内を歩いている。もうそんなに動きたいならむしろ? ということでランニングを始めました。続くといいですけど。

あと、何かひとつのことに集中するのが大変苦手で、気が散ってないと仕事がはかどらない。友達とメッセージでやりとりしながらとか、彼氏と電話を繋いでいる状態で一番仕事ができるという、なんとも迷惑な人間です。俳句を考えるときは一人でもいいのですが、別に誰かいたっていいという有様で。この前なんか、だらだら電話で喋ったり喋らなかったりしながら仕事をやり遂げたら、通話時間が異例の六時間超え。通話料定額じゃなければ絶対ありえません。はー、一人で仕事して一人で住んでる意味がわからない。

今これは自宅の炬燵で、大音量で音楽を聴きながら、ツイッターでカピバラの写真を見ながら、子宮頸がん検診の予約を入れたりしながら、どうにか書いています。久子さんはお勤めしてらっしゃるからこんなことはないと思いますが、どうやって集中力保ってます?

はぁ。

話は変わって、わたしはこの「クプラス」の他に「里」と「鏡」という同人誌に参加していまして、その「里」の若手八人で「しばかぶれ」という作品集を作ったので、お送りします。編集長の堀下翔は筑波大学の二年生。よく一緒に俳句の話をしたり、俳句の仕事を手伝ってもらったりしています。有能。

特集は中山奈々で、彼女も「しばかぶれ」の一員です。高校時代から俳句を書いていて、現在二十九歳なのですが、若手アンソロジーに入集しなかったので、私が今までの彼女のほとんど全部の作品を見て、百句選んでみました。

 腹痛の弱ささびしさ綿虫呼ぶ  奈々
 春寒の無礼を別の人が詫びる

情けなくてバカで面白くてほっとけない、かわいいヤツです。他のメンツもなかなか面白いので、ご笑覧いただければ幸い。
文香



超絶自分持て余しの文香さま

嬉しいです。持て余し仲間がいて。カピバラは和むよね。カピバラがお湯に浸かって目を細めている画像なんか見ると「こやつはなんでこんな幸せな目に遭ってるんだ」とほこほこします。今年の冬も柚子湯に入るのかな。

そしてこの人も仲間では?と思う人が。(違ってたらごめんなさい)。中山奈々さん。

「しばかぶれ」送っていただきありがとうございました。その奈々さんが特集されている!以前からこの人の句をまとめて読んでみたいと思っていた私にもタイムリーな発行でした。

とにかく句がおもしろい。選べないくらいどの句も面白い。意表をつかれるものばかりです。

 メロディーと名付けし春の雲崩れ   奈々
 バンダナで縛るカーテンほととぎす
 後輩の快挙文化の日の暮るる
 畳むたびずれる新聞桜桃忌
 母さんが優しく健康に産んでくれたので飛蝗捕る
 やることがすべて大げさ菖蒲風呂
 保育器に差し込む腕や小鳥来る

疾走感とほんわり感が奈々さん特有のリズムで繰り出される句の数々。時々作品の下に自分の名前を書き込んでしまいたい衝動にかられる作家さんがいるのだけれど、奈々さんもそんな一人。

 帰路持たぬ精子春一番か二番
 鳥雲に帰りの電車賃残す

帰路があってもなくてもなぜか寂しい。寂しいのに可笑しい。

 春寒の無礼を別の人が詫びる

可笑しくってかわいい。文香ちゃんがほっておけないという、多分他の皆さんもほっておけないのだろうという気持ちよく解ります。

田中惣一郎さんによるグラビアもいいね。

さくっとこんな颯爽とした雑誌を作った後の七人の皆さんの句を一句づつ。

 夕照を川は流さず実むらさき 堀下翔
 嘴のぶつかつてゐるプールかな 喪字男
 秋さびしなかやまななになが三つ 小鳥遊栄樹
 トンネルが長くて虹を覚えてゐる 青本柚紀
 流れゆく元親友の挙式かな 佐藤文香
  (注:原句横書き)
 生身魂小豆洗ひに似てゐたり 青本瑞季
 手袋外すはマスク外すため 田中惣一郎

第二号からも楽しみにしています。

ところでご質問のどうやって集中力を保つか?集中力は私もないほうで。これ書きながら、ついフェイスブック見てみたり、昨日友人が読み方が判らないと言っていた字を突然思い出して調べてみたり(「ひちりき」でした)、ついその辺の雑誌を読んでみたり、そうそう、文香ちゃんも書いていた断捨離というか、掃除してからとりかかると割に何かの原稿書くときはかどる気がするんだった…。と、思い出して、掃除を始め、やり始めるとあちこち汚れが気になりだし、疲れてお茶に。

昨日行きたくて行けなかった着物イベントを思い出して、別の機会にと着物コーデを考え出したら止まらなくなり、次の二胡ボランティアで手品をしようと仲間と話していたことを思い出してネットで手品グッズを調べたり…。基本俳句より他の事しているほうが好きで、特に文章書くのは嫌いなので逃避したくなり、ついそっちへ気が行ってしまう、という。

誰か集中力ある人を探しましょう!

ランニング続いてますか?人がやっていると楽しそうでやりたくなる私。文香ちゃんはフットサルしてるから走るのは慣れてるよね。いまどきは格好がかわいいじゃないですか。私もああいう格好したさに、また山口県内にはなかなか魅力的なマラソン大会などもあって(大人気の下関海峡マラソンをはじめ、萩城下町マラソンなどなど)走ってみようとしたのだけど、じゃいつ走る?と考えると、夜はご飯食べたら動きたくないし、おばさんといえども田舎と言えども怖いし。

となると朝早く起きて?第一関門「布団から出る」というところで挫折したのでした。

挫折も得意な久子

作品 杉山久子 穴 14句

作品20句

杉山久子














穴   杉山久子

もてあますものにモアイと赤い羽根
水洟や他の星の人おもふとき
穴といふ穴の凍れる日の来たり
オリオンやたたみてとがるオブラート
すれ違ふ蛍光色に着ぶくれて
足裏に懐炉かたまりつつ歩く
同時代生きてくれたる海鼠に酢
猫つつくための孫の手春を待つ
ささみ裂く指先白し春の雪
位牌置くトランクルーム鳥帰る
船酔ひののこるからだに蝶の影
朝寝してクリームパンのやうな人
恋猫と健康器具のごろごろす
うららかや賞状の筒トカゲ柄

2015-12-20

【句集を読む】捨てられる直前の記憶 杉山久子句集『泉』の一句 西原天気

【句集を読む】
捨てられる直前の記憶
杉山久子句集『』の一句

西原天気


捨てられしバナナの皮と本の帯  杉山久子

バナナの皮は捨てられる。本の帯も、人によるが、捨てる人もいる。どちらも捨てるもの、という仕組みだけで成立する句もあるが、この句はそうではなくて、場面がしっかりと見えてくる。これは読者にうれしい。

本の帯を捨てる人は、きっと読書家ではあっても蒐集家ではない。「読むこと」を実質的に楽しむ人です。本を丁重にあつかうことはしませんが、読み慣れてはいます。

だから、読みながらバナナをほおばるなんてことも(つまり、左手だけで本を支えて、右手にバナナ)、自然な所作でやりとげる。段落ひとつを読んでは、ぱくりとバナナを口へ。

いや、バナナの皮はすでに捨てられているのだから、食べている最中ではないだろう、って? もちろんそうなのですが、捨て置かれたものは、すべて、少し遡った過去の影をともなっているのですから、それほど無理筋の連想ではないでしょう。

それに、本を読む人の姿を思い浮かべるほうが、句が、ぐんと楽しくなります。




2014-04-13

特集・「ku+」第1号 読み合う 「ku+」の句を読んでみた 杉山久子

特集 「ku+」第1号 読み合う
ku+の句を読んでみた

杉山久子


 一葉づつ鰡の跳びたる光かな  依光陽子

巻頭50句「柱石」より。鰡の魚体から発せられた光を受け取ったその背景は、集合体としてぼんやりとあったのだが、「一葉づつ」と細かくアップされることで、俄然いきいきと存在感を増してくる。葉と鰡のお互いの生命力が照射し合って、一瞬の時間がとどめ置かれたような句になっている。

 穴惑ひ海の砂曳きくさむらへ  〃

一旦浜辺を彷徨った蛇か。海の砂で重くなった何処かかかなしげな体の動きが続く平仮名表記に表れている。

 去年やある裏返したるポケットに  〃

ポケットは半分閉鎖された空間。そこに過ぎ去った時間(わりとぼんやりとした時間)の痕跡を確かめようとする可愛らしさに共感。

 音を送るね草の実入れて封をして  〃

可愛らしいと言えばこんな句も。大きさや形状によって微妙に振った時の音は違うだろう。何の実か想像する愉しさも。

 やっていることは昨日と同じだが汗が凍りはじめた  福田若之

「悲しくもない大蛇でもない口が苦い」より。汗が凍るとは尋常ではない。単調な繰り返しと思っていた日常に違和が生じる瞬間は、恐ろしくもあり滑稽でもある。「唾がつめたい灰色している」も単純で静かで怖い。

 菫すみれいつも走つてゐるわたし  阪西敦子

「ひらひら」より。菫の花を認めたことで、同時に自分の姿を認めた人。地面近くに咲く小さな花と始終動き回っている自分。走っていると言いながら騒々しい感じはしない。平仮名の配分がその動きをふわりと柔らかくしている。自分に向って「くすっ」と言っているような。

 セクシーに投票箱は冷えてゐる  関悦史

「梨」より。「投票用紙の書き味に秋澄みにけり」と、秋の空気の変化を繊細に感じ取った句の後にこの句。およそ無味乾燥な箱としか感じられなかった物だが、これから投票にいく度にこの箱はセクシーか?と考えそう。票を入れる器としての箱に対する「セクシー」と「冷え」の齟齬。票というものの生々しさが顕ち現われてきて愉快。

 黄身すする許可をたまはり卒業す  山田耕司
 
「あなの数」より。どんなシチュエーションの卒業か興味をそそられる。「たまはり」の仰々しさも品のいい笑いを誘う。黄身は君かも、などと思うとなにやら春愁の気配も漂ってくる。

 何か言う秋のTシャツから腕が  佐藤文香

「あたらしい音楽をおしえて」より。やや肌寒さを感じ始めた時期、Tシャツに着替えながら喋っている。何を言っているのかよく聞き取れない。Tシャツを潜って出てきた腕。今ここにある確かな肉体の勁さと可笑しさ。

 秋草の不意に相寄るこゑなりき  生駒大祐

「渚/煙」より。秋草の中をゆく人たちの声か。秋草同士の声かとも。声が相寄る時、物体同士も相寄るのだろうが、そこに薄い光の膜を差し入れることで柔らかな触れ具合が生み出された。ア音とイ音のリフレインが明るさと優しさを添えて。 

 丸顔の人丸顔の人を見る   谷雄介

「父の爆発」より。そんな光景を見ている人は丸顔ではないんだろうな。丸顔同士だから見ていても憎めない。丸顔が動かない。別の形だったら喧嘩になりそう。一読笑え、読み返しても笑える。・・・て、こんなに絶賛するのは自分が丸顔だからかもしれない。

 清長は細くて長しこゑも夜も  高山れおな
 
「ロンドン秋天」より。色々な事に疎い私は、清長も前書きの「袖の巻」もググってみて初めて知った。

一つ前に艶本の句があるが、その様子を長々と描写したのかなと。細々と長く続く声という音と、夜(一夜?)という時間の長さ。儚さと図太さが同居した感じにぐっと来る。

 木犀や水をもらつて白い犬  上田信治
 
「野兎」より。清潔感漂う句なのだが、「水をもらつて」と繰り返す内に、だんだん白さが増してゆくようでなんとなく恐い。この犬はいきいきはしていない。静かに水を貰い、静かに飲んでは静かに眠りにつく。

スケーターワルツいきな り とまる」は一字空けが効いている。


 挑発的な(?)特集に挑発的な(?)皆さんの句に、おしゃれなデザインでいい創刊号になったと思います。

作に論に元気なメンバーの中で、ぼんやり狭いところで句を作っていただけの、紙媒体にもウェブにも疎い私が何故入れてもらっているのか大いに謎ですが、深く追及はすまいと思ったことでした。
 

2013-03-03

杉山久子 明日蒔く種 10句

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週刊俳句 第306号 2013-3-3
杉山久子 明日蒔く種
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2010-10-24

杉山久子 露の玉 10句

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週刊俳句 第183号 2010-10-24 杉山久子 露の玉
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2010-08-08

週刊俳句時評 第5回 『花束』『鳥と歩く』を読む 神野紗希

週刊俳句時評第5回 
『花束』『鳥と歩く』を読む

神野紗希


今週は、ふらんす堂の精鋭俳句叢書から、読み応えのある、2つの句集が届いた。

岩田由美氏の『花束』と、杉山久子氏の『鳥と歩く』だ。

二人とも俳誌「藍生」の作家で、ともに第3句集。どちらの句集も、定型の中で整えながら言葉をつないでゆく丁寧さが、自在な文体を可能にしている。さらには扱う内容も幅広く、華美な装飾もないため、読みすすめても飽きることなく食傷することなく、どちらも一気に読み下した。

1.

岩田由美氏は、1961年岡山県生。第35回角川俳句賞の受賞者でもあり、句集に『春望』『夏安』がある。句集名、春・夏と続いていたので、秋が来るのかなと想像していたけれど、少し趣向を変えて『花束』という題名。ちなみに、夫の岸本尚毅氏が昨年出版した句集のタイトルが『感謝』。並べてみると『花束』という題がしっくりくるのが面白い。

二度となき雲のかたちよ冬の空
枯芝に塩のごとくに雪残る
目をつむるたび暗くなる秋の暮
椎の実の穴より太し椎の虫
寒卵昼のひかりにかざしけり


1句目、変幻自在に形を変えてゆく雲の、今この一瞬の形のはかなさと、しかし確かに目の前にあるというその存在の確かさを、同時に言いとめている。「冬の空」という季語は、雲のある場所だから、取り合わせの衝撃はほとんどなく、上5中7のフレーズに、出来る限り意味を与えないような配合だといえる(今、歳時記をぱらぱらとめくって目に留まった、たとえば「捕虫網」という少しレトロな季語が入ったとしたら「二度となき」というフレーズが、時代への思いも引き受けてしまうことになる)。「二度となき」のフレーズが、あくまで雲に対しての形容にとどまっていることで、むしろ私は、一度きりしかない、今しかないものが、この世には確かにあるということを実感する。

2句目、雪を「塩」という変わったものでたとえたところが面白い。小さい粒で、きらきらと光っている様子が思い浮かぶ。細い枯芝に宿る雪ということなら、なおさら納得だ。「~のごとくに雪残る」というフレーズは、「一枚の餅のごとくに雪残る 川端茅舎」を思い出すが、あるいはオマージュとして考えても、餅に対して塩という、同じく口に入れるもので返しているあたり、巧みだといえる。

3句目は、目をつむったときのくらやみが、秋の暮のくらやみだとしたら、本当に恐ろしいし、4句目は、椎に開いた穴からむにむにと体をよじらせはみ出させながら出て来る虫をコミカルに想像する。

5句目、「寒卵」という、重心のあるものを、ひかりにかざせる高い位置にもっていったところが新しい。昼のひかりにかざした寒卵は、少し透けているかもしれない。落としたら割れるという存在の危うさが、高いところへかざすことで、より切迫して感じられるのも、冬のこころもとなさを思い出させてくれる。

今回の句集の特徴は、何よりもまず、季重なりも厭わない季語の扱いかたにある。

季語が2つ以上入っている句の割合もかなり高く、これはおそらく意識的に行っているのだろう。〈食べこぼし蟻に与へて昼寝人〉〈瓜葉虫桔梗の花を食ひ破る〉〈朝顔の蕾ゆるみて月白し〉〈空蝉が杉に薊にどこにでも〉〈萍の中なる蛙またたかず〉〈合歓に蝶一度は閉ぢし翅広げ〉〈軒雫氷りて止まる春夕〉〈寒林に八つ手の花の咲くところ〉といった句は、自然や人間のリアルな姿を、季重なりともとれる表現を厭わずに捉えようとしているし、〈夏芝居終りは雪となりにけり〉〈その人のキャベツの色のワンピース〉〈葛餅の白さに似たる肌かな〉〈パソコンの画面の京都涼しさう〉といった句は、季語・季題・季感とは何かを、我々に問いかける、メタ的な味わいもある。

もう一つ、目についたのは、二つ以上のものを並べた句だ。〈行くは蝶来るは蜂なる秋日和〉〈庭に椅子空の手前に梅の花〉〈咲く花は茄子と薔薇と佃島〉〈昼寝して息の豊かに夫と犬〉〈ビル高し花火終はれば月出づる〉〈薔薇を見て坂の上なる雲を見て〉〈我が町にあけびある道栗ある道〉などは、どれも、二つのものを提示して、その二つが両方存在する、少し大きな景色を書こうとしている。

季重なりではありながら、萍の中の蛙や合歓にとまった蝶を詠むという先述の季語の問題も、二つのものが同じ景色の中に存在する状態を詠みたいという点で共通しているから、この二つの特徴は、案外、地続きなのかもしれない。

まとめ。読み物として、愛すべき句の集積として、すでに優れた一冊であるのに加えて、季語という俳句の牙城に切り込む、意欲的な句集だ。栞を寄せている深見けん二氏は「季題の力で一句一句が見事に立ち上ってくる。この季題の無限の力に托した一句一句こそ、由美さんのこの句集にこめた花束なのだと思う」とその文を締めくくっているが、私自身は、季重なりや季語を比喩的に扱った句などを見通して、むしろ「季題の無限の力」よりも「本当の自然のリアル」を信じて書くほうに、岩田氏の作品は舵を切っているのではないかと思った。

ちなみに、

手拭ひに似ても似つかぬ花菖蒲

という、夫の句(*)を踏まえる茶目っ気もある。


「てぬぐひの如く大きく花菖蒲 岸本尚毅」第一句集『鶏頭』


2.

杉山久子氏は、1966年山口県生。富田拓也氏に続き、第2回芝不器男俳句新人賞を受賞している。

第1句集『春の柩』は、不器男賞の副賞として編まれた句集で、応募作品100句をまとめたもの。第2句集『猫の句も借りたい』は、翌年出版。猫を詠んだ句ばかりを108句(煩悩の数だという)集めた、ユニークなコンセプトの句集だ。集中の〈百合の実のつめたさに猫とむらひぬ〉は、現代詩手帖6月号のゼロ年代100句選にもひかれていた句。百合の実を介して、猫をかき抱いたときのつめたさがひやひやと感じられるところ、かなしみが触感を通じて、じんわりと伝わってくる句である。

傘の柄のつめたしと世にゐつづける
手まねきの猿おそろし夕桜
なきがらをかこむ老人天の川
雛納め雛より鼓とりあげて
朝日さす土筆の頭つめたかり
うぐひすの喉のてざはり死のてざはり


1句目、雨の日、握っている傘の柄が冷たいことに、ふと生きていることの手触りを重ねている。「つめたしと」と「と」でつないであるから、「傘の柄のつめたし」というフレーズは、ふとこぼれた、何気ない言葉であると考えられる。すこし厭世的な気分になっている視界には、降り続く雨。その景色にあまり色を感じないことが、「世にゐつづける」ことの意味を、私に問いかけてくる。

2句目、猿には「ましら」とルビ。当の猿は、手招きのような動きをしているだけで、手招きをしているわけではないのだろうけれど、その行動を手招きと見てしまう主体の心象が「おそろし」の感慨につながる。猿というのは、とても人間に似ていて、しかし、決定的に違うものという、不思議な存在でもある。その、猿という存在の「似ていて違う」おそろしさを感じる句だ。夕桜の華やかなほの明りが、不気味に世界を彩る。

3句目、なきがらを囲む老人たちも、遠からぬ未来、同じ立場になって見下ろされる運命にある。そんな老人たちを見下ろす天の川。見下ろすもの/見下ろされるものの関係性が面白い。くりかえし反芻するたびに切なくなる、大好きな句だ。

4句目、「とりあげて」の措辞が秀逸。奪われる存在としての雛が描き出されていて、心なしか、雛がかなしそうな表情をしているように思えてくる。

5句目、「頭」といいなしたところに、つんと立つ土筆の様子と、その土筆に対する愛情が表れている。しかし、ことさらに甘くならないのは「つめたかり」と、土筆を幸せな存在としては描かなかったところによるのだろう。朝日のまぶしさと、まだ朝露に濡れている土筆を吹く風まで、感じられる1句。

6句目、「うぐひすの喉」という、頼りないものに触れたとき、力を入れれば死んでしまうことに思い至った、ということだろう。それを「てざはり」というリフレインで表すことで、普段五感では感じることのない「死」の存在が、何か明るみに晒されたような感じがする。

他にも、注目すべき句は多い。〈毛虫くる背にびつしりと水の玉〉〈ゆふがたのトタンに跳ねて秋の蝉〉〈凍鶴でありしがふいに喰らひけり〉といった句は、命の力がふいに現れる驚きを、さらりとものしている。

そうかと思えば、〈初燕告げたきことを箇条書〉〈薄氷やちかくの人に書く手紙〉〈マフラーにしづめし口のとがりゐる〉といった、生活の一断片を適量切り取った、好感の持てる句もある。

あるいは、〈星満ちて白鳥の首かたくあり〉〈水仙やふるへとまらぬ星ひとつ〉〈ガラスペン光をとほす鳥の恋〉といった句に代表される、星や月、花といった美しい存在に思いを寄せたロマンチックな句が、久子の愛する世界ではあるかもしれない。しかし〈薔薇の芽に雨といふ音楽の降る〉〈額に享く花びらはましろきひかり〉といった句は、そのうっとりとした気分が昂じすぎて、表現に意図が表れすぎているように思った。

このように幅が広いのに、一冊として、ばらばらな印象がない。それはどの句にも、生きているという出来事に対する立ち止まりのようなものが感じられるからかもしれない。

卵割る春夕焼のただなかに

料理をしているのだろう。キッチンの窓には、春の夕焼の景色が広がっている。夕焼の光は、部屋の中までも満たす。だから「ただなか」。その夕焼の色の中、割り落とされる卵の色のかがやき、つややかさ、豊穣さといったら。食べるという行為の一抹のさびしさを潜ませながら、割り落とされる卵の美しさが、余すことなく書かれている。

(了)

2008-05-11

10句作品 杉山久子 芯


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週刊俳句第55号2008-5-11 杉山久子 芯
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