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2016-08-07

【真説温泉あんま芸者】「〈それ誰〉俳句」の世界 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
「〈それ誰〉俳句」の世界

西原天気


某日、某結社の句会におじゃましたときのこと、始まりを待っていると、すぐ近くでご婦人が「あんな俳句、どこがいいのか、さっぱりわからない」という話。存じ上げない方たちの会話に耳をそばだてていたわけではないが、その「あんな俳句」が、その一カ月前に同じ結社の句会で私が投句した句だったから、耳に入ってきたのだ。

それは「吉田」で終わる句

(ちなみに、このときどんな気分だったかというと、居づらいとか不快とかいったことはぜんぜんなくて、おもしろい! 貴重な経験してる! といった感じ)

ミョウチキリンな句だから、くさされて不思議はない。問題は、そういう場に居合わせてしまった作者のとるべき行動だ。

どうしたらいいんだろう?

「いやあ、すみません。それ、私の句です。ヘンな句で申し訳ありません」と明るく晴れやかに宣言する手もあるが、相手が気まずくならないような明るさ・晴れやかさをセリフに込める自信がなかったので、黙って静観した。

きっとこれが正解。

で、なんの話をしているのかというと、「〈それ誰〉俳句」の話なのです。



有名人名の入った俳句は数多い(参照≫ウラハイ「人名さん」シリーズ)。扱っているもの(人)は誰誰と特定されている。ところが、誰なのかわからない、人名の句もある。

「吉田」句もそう。この「吉田」の前に、「いのうえ」の存在がある。

≫【真説温泉あんま芸者】 それを「いのうえ」と呼ぶことにする
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/09/blog-post_21.html

「いのうえ」て、誰やねん? がこの句、《いのうえの気配なくなり猫の恋 岡村知昭》への正しい反応。

苗字だけ言い放って、誰だかわからない句は、一定頻度で登場します。

川柳では、

ササキサンを軽くあやしてから眠る  榊陽子

おかじょうき川柳社の第17回杉野十佐一賞大賞作品としてよく知られた句。

ササキさんて、誰やねん?


カミサマはヤマダジツコと名乗られた  江口ちかる

樋口由紀子さんの「金曜日の川柳」でも取り上げられた句。

フルネームですから、これまで掲げた「苗字だけ」とは異なりますが、「誰やねん?」という意味では、同じ。

この句を初めて見たときは、かなりの衝撃を受けました。

「ヤマダジツコ」が絶妙で曲者。ありそうでなさそうな、リアリティのぎりぎりの巧みな名前設定である。(樋口由起子)

じつに、そのとおりです。

川柳といえば、川柳作家のなかはられいこさんが、私のブログで巻いた歌仙で、こんな付句。

囀るやうな久保田の財布  なかはられいこ

久保田て、誰やねん?(この決め台詞、以下省略)


短歌だと、

センサーの反応しない園田さんドアの向こうでまた立ち尽くす  まぬがれてみちお

柳本々々さんのブログで見つけた歌です。

こんな短歌もあります。

百点を取りしマサルは答案の束もつ我にひたすら祈る  小早川忠義


川柳や短歌のほうが、俳句よりも、出現頻度が高いかもしれない。



「それ誰」要素は、読者を一定の印象へと誘導するのではなく(というのは、俳句において「桜」や「雨」や「柱」の語が一定のシニフィエを前提とするのと対照的という意味です)、人間〔*〕という以外、あるいは日本人という以外は、なんのヒントも与えてくれない点、読者の意識を軽く路頭に迷わせます。

「路頭に迷う」は、作者の狙った効果であり、俳句、すなわち短く、片言となりがちな俳句においてとりわけ、奇妙な味を醸すことがあります。

〈それ誰〉句は、読者が「それ誰?」と思った瞬間、それでもうじゅうぶんな成功を収めているともいえるでしょう。

なんと、安易。

〈それ誰〉俳句、バンザイ。



ところで、気づくと、俳句の例をあまり挙げていませんでした。

種痘痕吉井明子は転校生  岡野泰輔

フルネームで〈それ誰?〉な点、「ヤマダジツコ」型。実在の人なのかもしれませんが、さしあたり有名人ではない。作者の中に棲む種痘痕の少女なのでしょう。

さらに、拙作で恐縮ですが、

ペンギンと虹と山本勝之と  西原天気

山本勝之は実在の友人(物故)。けれども知らない人のほうが多いから、「誰それ」俳句の部類でしょう。



一方、「なんだかわからなく路頭に迷う」タイプとは違うものも、最近、見ました。

福田若之田中は意味しない」10句
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2016/07/10_78.html

「田中」は、小岱シオン(こぬたしおん=connotation)が暗示したのとは違い、無意味に向かった人名。人である必要さえもないようで、この3文字は「わかめ」でも「オイラ」でも代用が効きそうです。



俳句業界・俳句世間では、固有名詞を嫌い、その使用を軽蔑する傾向があります。地名はそのかぎりではありませんが、なべて、そう。そして、人名はとりわけ。

そうした規範的な考え方に対して、なにか疑義や反論を言おうというのではありません。それはそれで、尊重されるべき考え方。

しかしながら、良いとされるもののみ良いとする気が、私にはありません。規範とは別のところで、〈それ誰〉俳句をこれからも愛していこうと思います。



〔*〕以前、句の中にある「ジョンの声」を、犬の声と解したところ、作者はジョン・レノンのつもりだったことがわかりました。人間かそうでないかも曖昧なケースがあります。



2016-07-10

【真説温泉あんま芸者】ふりがなの効用 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
ふりがなの効用

西原天気



俳句においてはルビ(ふりがな)は推奨されません。なるべく振らないほうがいいとされます。

一般書籍(小説などの文芸も含め)では難読漢字に振られるようなケースでも、俳句ではルビナシのケースは多い。膕なんで読めませんて。玫瑰なんて読めませんて〔*1〕

一方、「この漢字/熟語、ふつうこうは読まないけど、こう読んでね」といった変則的なルビも、俳句には少なくない。音(ルビ)では伝わらない意味を表記(漢字)で伝えるという機能を持たせている。この手のルビ、個人的には好きではなく、抵抗感があります。「女」に「ひと」と振る演歌処理はさすがに見かけないけれど、「亡母」に「はは」のルビは見かける。これはかんべんしてほしいクチ。

私自身は俳句のルビには消極的・否定的。

ところが、『静かな場所』第16号(2016年3月)に、おもしろい使い方を見つけました。

元町高架通商店街(モトコー)を端から端へ梅雨湿り  和田 悠

元町高架通商店街」という正式名称に「モトコー」という通称がルビとして振られている。「モトコー」とだけ表記すると、五七五にはなるが、地元民以外には何のことわかりにい。それでこのルビ付き表記になったのでしょう。

私が「おもしろい」と思った理由は、ふたつ。

まず、見た目。漢字が8字並んで、高架下に小さな店が立ち並ぶ様子を連想させます。

この場所は十代の頃から何度か足を運んだことがあります(当時は「モトコー」などという読み方はなく「高架下」よ呼ばれていた)。狭くて猥雑。パッタモンを含め怪しいモノ、怪しい店がひしめいていた。いまもそれほど変わらないだろうと思います。

次に、これはやや無理筋ですが、どう声にするかが読者に任されていること。

もちろん「モトコー」と4音で読んでほしいからルビになっているのでしょうが、上句の字余りを気にしない私は、「もとまちこうかどおりしょうてんがいを/はしからはしへ/つゆじめり」と「17/7/5」と読んじゃうこともする。

音数を読者が選べる。

作者の意図にそれはないかもしれません(まず、ない)が、わがままな読者としては、この句のルビ処理を、そう解釈させてもらうことにしました。

その流れで、オソマツさまの一句。

  時間機(タイムマシーン)の中から水着美女金髪 10key

余談ですが、下の字余りを許容する読者タイプです、私は。


〔*1〕難読漢字の場合、方策として次の3つが考えられる。
1 難読のまま、ルビを振らない
2 ルビを振る
3 ひらがなで表記する
「2」が親切だけれど、膕などは親字1字の横に4字のひらがなが並び、見た目がよろしくない。
ちなみに私はほぼ「3」を選ぶ。


モトコーをめっちゃ上から目線で。



2016-07-03

【真説温泉あんま芸者】ベネズエラの油田の味するキャラメルと知覚の虚実

【真説温泉あんま芸者】
ベネズエラの油田の味するキャラメルと知覚の虚実

西原天気


友人からもらった塩バター飴。


舌に載せた瞬間、「あ、ガソリンの味」。

ガソリンを舐めたことはないから、香りの話だろう。そして、「というよりも、ベネズエラの油田の味だな」。

ベネズエラに行ったことはない。それどころか油田にも行ったことがない。

ベネズエラうんぬんは噓ということになる。ガソリンの味、ガソリンの香りは、比喩、あるいは虚の表現、あまり驚きも工夫もない表現、ということになる。いずれにせよ、「ほんとうの現実」からは遠い。

なお、この飴、第一印象ならぬ最初の味がガソリンだっただけで、次の瞬間からはとても美味しく、舌の上で転がし続けたのでした。サンキュー・マイ・ディアー!

最初感じたガソリン味、油田の味は何かの間違いで、本来は塩バターな美味だったということでしょう。いや、ガソリン味・油田味は、じつは美味なんじゃないか。……と、もう、なんだかわからない。



俳句の虚実を言うとき、噓と本当、虚と実は、はっきり分けて考えなければならないことは当然。

鴇田(智哉) 「虚-実」に関しては(…略…)表現レベル。たとえば「ガラスの皿がやわらかい」(…略…)は、実生活ではありえない。でも表現としてはありうる。(…略…)一方、「噓-本当」というのは、あくまで実生活のレベルの話。俳句を「意味」で読み、ときには作品のテキスト外の情報までも含めて読む場合の話。大阪に行ったことがないのに「大阪に行った」という句を作ったら噓という、そういう話。『オルガン』第5号(2016年5月) 座談会「虚と実」

さきほどの「ベネズエラの油田の味」は、噓であり、同時に(たぶん)虚ということになる。



「噓・本当」については、別の機会に譲る。ここでは、表現の虚実について、分野を限定してお話をしようと思います。むずかしい話じゃあありません。ごくカジュアルな話題ですので、どうぞ、膝をお崩しになって。

吉永興子句集『パンパスグラス』(2015年12月/角川文化振興財団)に、こんな句があります。

  ジーンズの乾く音する電波の日  吉永興子

洗濯物が乾くとき、音を発するのだろうか。

聞いたことがない気がします。

音がしないとしたら、虚の表現。

表現として、なかなかのものです。乾く音が聞こえる気がします。分厚いデニムなら、きっと。絹のシャツなら、しない感じ。綿のTシャツでも、しなさそう。

ところが、ちょっと待て、するのかもしれない。そう思い始めたのです。



以前、俳句雑誌の座談会で、雪には匂いがないことを前提に話が進んでいて、驚いたことがあります。

え? するよ。


いや、ベテラン俳人がこんなに自信満々で「匂いはない」と言っているのだから、きっと、ない。

雪に匂いがあると思ったのは、そんな気がしただけ。あるいは、心が匂いを感じた(詩人か?)。


いや、しかし、

誰の忌ぞ雪の匂ひがしてならぬ  八田木枯

こんな句もある。

ただし、ジーンズ句の吉永興子も八田木枯も、乾く音、雪の匂いを、「実」ではなく「虚」として扱っているフシがある。

電波という目に見えないものとの取り合わせ。「電波の日」という歴史の浅いものとの取り合わせ。「してならぬ」という言い方。

ううむ、どっちなんだ?

雪に匂いはあるのか? ないのか?

雨の匂いなら、「ペトリコール(Petrichor)」と言って、すでに1960年代、雨がなぜ匂うかの研究があるという。雨が匂うなら、雪も匂うだろう。

いや、ペトリコールは雨が濡らした地面から来る匂いなので、雪は事情が違う、という考え方もありそうだ。

ためしに、すぐ近くにいた嫁はんに、雪が匂うかを問うてみた。

「ううん、どうかなあ。雨は匂うけどね」

「雨が匂うんなら、雪にも匂いがありそうじゃない?」

「どうだろう。でもね、味はするよ」

「え? 雪を食べたのか? どんな味?」

「不味かった! 汚れた空気の味」

「塵があるからね。雪の結晶の芯には」

味の話をしているのではなかった。



閑話休題。いろいろ考えてみた結果、雪の匂いも洗濯物が乾く音も、人によって嗅ぎ分けられたり、聞き分けられたりするのではないか、と思うことにした。

例えば、ヒトの耳が聞き取れる周波数域(可聴域)には、個人差がある(検査すると、平均と比較できます)。加齢による変化もある。

嗅覚の個人差は、聴覚よりもさらに大きいそうです。

してみると、聞こえる・聞こえない、匂う・匂わないは、個人によって違うと解したほうがよいのではないか。

だらだらと寸感を並べましたが、つまり、知覚に大きな個人差がある以上、表現の虚実も、こうとは決められない。

ややこしい問題です。

俳句における虚実。これは、もう、なんだかわからない。

虚とか実とか。そこにこだわったり、議論してみたりしても、得るものはあんまりないんじゃないの?

これがとりあえずの結論です。

(結論なんて要らないんだけどね)


2016-06-19

【真説温泉あんま芸者】駅ビルという辺涯 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
駅ビルという辺涯

西原天気


駅を中心に街が発展する(広がる)欧州タイプの都市と違って、日本の駅は、街の中心にはない、といった指摘を読んだことがあるような気がします。

実際、古くからの繁華街は駅から離れていることが多かった。東京駅、京都駅、それから多くの地方都市(県庁所在地)。そういえば、比較的新しい街は、駅が中心です(新宿、渋谷etc)。

駅ビルやこの世の果のソーダ水  山田露結

この世の果て。駅ビルには、たしかに場末の感じがあります。

その地下の食料品売り場の端っこで飲むソーダ水。

不自然に赤いサクランボが沈んでいたりする〔*1〕

ああ!

…。

駅ビルにもソーダ水にも、喪失感があります。

だいたいにして駅ビルという言い方が懐かしいではないですか。いまどきはJRががばって駅中事業を展開したり、私鉄が駅周辺を再開発したり。駅ビルは建て替えられて、カタカナ(アルファベット)の名前が変わっちゃったとか。

ソーダ水はいまどき純喫茶にもなくて、コメダ珈琲店くらいしか置いてないんじゃないか、とか。

そんなわけで、地理の辺涯、記憶の辺涯に、これらの事物は、不安定に揺れているのであります。


それにしても、です。あの真っ赤なサクランボには、「この世の果て」感がみなぎっておりますよねえ。じつに。


掲句は『彼方からの手紙』第10号(2015年7月7日)より。



ところで、子どもの頃に見ていた駅ビルもすっかリリニューアルされて、往時の面影はない。日本全国どこでもそうだろうと思う。けれども、なかには、時間の止まったような駅ビルもあるはず。ちょっと探してみると、名鉄東岡崎駅の「岡ビル百貨店」が、なかなかのもの。

http://deepannai.info/higashiokazaki-station-building/



ここもやがて取り壊されてしまうだろうから、マニアは急げ、岡ビル百貨店へ。


〔*1〕ソーダ水とサクランボについては、こちら。レモンスカッシュとサクランボについては、こちら

2016-05-29

【真説温泉あんま芸者】 書かれていること・書かれていないこと、ついでに作中主体のことなど 西原天気

【真説温泉あんま芸者】 
書かれていること・書かれていないこと、ついでに作中主体のことなど

西原天気



俳句は、書いてあることだけが、そこにあるのであって、書いていないことは、そこにない。それが俳句の潔さであると、私などは信じているわけです。

(たとえば象徴作用〔*1〕を用いたと思しき句に私がピンと来ないのは上記のような信条によるものでもありましょう〔*2〕

もちろん、《書いてあること》は、読み手に連想や別のイメージ(像)を喚起したりもする。けれども、それは、《書いてあること》という現前ののちに来るものであって、ひとまず、句は、「書いてあるとおり」でしかない。just as it is。

ただし、別の事情も絡んできます。「そこにあるとおり」とはいえ、テクストは孤独に立ち尽くすわけではなくて、コンテクストは否が応にも存在する。この場合のコンテクストとは、広範に、「それが俳句である」、あるいはさらに「五七五定型である」という前提のようなものと単純に解していただいてかまいません。

また、作者に関する情報等、いわゆるパラテクストを伴ったりもします。

さて、本題。

川柳が俳句とどう違うかはさておき、こんな句と解釈が、樋口由紀子さん「金曜日の川柳」にありました。

時々は埋めた男を掘り出して  井出節

記事はこちら↓
http://hw02.blogspot.jp/2016/05/blog-post_20.html

「埋めた男」とは殺して埋めた男という、物騒な話ではないだろう。自分の分身だろう。自分でも手に負えなくなって葬ったのだ。(樋口由紀子)
この解釈を読んで、《書かれていないことは、そこにない主義》の私が、「そんなことは書かれていない」と反駁するかといえば、そうではなくて、なるほど、そう読めば、腑に落ちる感じもします。

「埋めた私」と明示するばかりが手ではない。いったん埋めた以上、私とは別の私なのだから、それを「男」と呼ぶ、突き放して「男」と呼ぶのは、妥当なことでしょう。

ところが、そこで、ひとつの問いが私の中で持ち上がりました。

この作者(あるいは作中主体〔*3〕)、男性なのか?

樋口由紀子さんにとって「井出節=男性」は自明。ところが、「節」という名、男女の区別がちょっと判然としない(「節」は男性が多いのか? 長塚節とか長沢節とか。でも、男と断定はできない)。

そして、この句、女性が書いた句として読むと、ずいぶんと「解釈」が変わってきます。

「なにもわざわざ女性が、と読むことはない。現実に作者は男性なのだから」というのはよくわかる。けれども、男女の区別をつけずに(つかずに)読むこともある。それに、この場合の「現実に」という部分、それほど盤石な現実ではありません(文芸一般に、そう)。

それでは、埋めた行為者を男性とも女性とも限定せずに読めばいいか。すると、樋口さんの言う「私」という読みはおそらく崩れるし、女が男を埋めたという三面記事的な筋立てもなくなる。だが、待て。この句で埋めたり掘り起こしたりする人、その性別にまるで頓着しないことなど、はたしてできるのか。

川柳や俳句の作者に関する情報、それにまつわる《読み》の揺れや軋みは、読み手の側に頻繁に起こるカジュアルな事柄なのだけれど、これ、いっけん単純そうでいて、否、単純だからこそ、かなり微妙な問題かもしれません。



結局、私は、最初に言った「書かれていることだけが、そこにある」に立ち返ることにしました。

この句にあるのは、この句から見えるのは、埋められたのち掘り返されたりもする男、そしてスコップだけ。

作中主体は、スコップ。

(こんなの、アリか?)(アリです)

スコップには性別はありませんから、男女の区別からくる《読み》の問題は解消されます。

で、ここが肝心なのですが、行為者(人間・作者)が消え、銀色に光りところどころ土のついたスコップと男だけになっても、感興がなくならない。じゅうぶんにおもしろい。

ほんま忙しいこっちゃで。埋められたり掘り出されたり。


〔*1〕この場合の象徴作用とは、句のなかの語句がなにかの象徴であることで成り立っていること。象徴作用は、しばしば《読み》において幅を利かせる。特定の語を脊髄反射的に、オートマチックに象徴として読み取る《読み》は少なからず存在する。極端にいえば、長いものをすべてファリックシンボルと読んでしまうような。

〔*2〕私の好みにすぎない。象徴や隠喩を呼び寄せる句(ほのめかしや寓話的表現もそれに含まれる)は、まどろっこしい。その手のまどろっこしさが、私を、俳句的愉楽から遠ざける。追伸。まどろっこしくない句=わかりやすい句、ということではありません。

〔*3〕ああ、いちいち「作中主体」などと付言しなければならないとは、ほんと、めんどうなことです。





2014-09-21

【真説温泉あんま芸者】 それを「いのうえ」と呼ぶことにする 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
それを「いのうえ」と呼ぶことにする

西原天気


とりあえず、「そう呼ぶ」ことにしたいものが、世の中にはあります。

例えば、

いのうえの気配なくなり猫の恋  岡村知昭

における「いのうえ」。


「いのうえ」が何なのかはさておき、「いのうえ」というものがあるとする。「いのうえ」が呼び寄せる概念の総体を「いのうえ性」と呼ぶ。そこがスタートです。

「これは例の〔いのうえ〕だよね」「そうそう、〔いのうえ〕成分、かなり濃い」

戯言ではなく、批評のタームとして。

※「マクガフィン」もヒッチコックがそう呼んだことから始まったようですよ(この場合、定義はしっかりあったわけですが)。


仮にここで少し考えてみると、俳句においてその語がその語である必然や理路を誰も見出だせないまま(/それだからこそ)読みのフックとなり、かつ読み手の心に留まり続ける語、それを「いのうえ」と呼ぶ、とでもしておきましょうか。どなかたが、もっといい定義・説明を考えてくださるでしょう。他力本願。ごめんね。


俳句の批評/鑑賞が、クリシェ(紋切り型)のグロテスクな塊に成り果てる前に、「いのうえ」に限らず、なんかこう、デバイスの工夫・発明のようなものが要るような気がしますですよ。マジで。


「いのうえ」の画像検索


2014-08-24

【珍説温泉あんま芸者】オヤジ成分の文芸的展開 渡辺隆夫川柳句集『六福神』その他 西原天気

珍説温泉あんま芸者】
オヤジ成分の文芸的展開
渡辺隆夫川柳句集『六福神』その他

西原天気


17歳で歌手デビューした郷ひろみも…



…来年は還暦です。

そんなことを思うのは、渡辺隆夫川柳句集『六福神』206句の冒頭を飾るのが…

キミたち曼珠沙華ミャオミャオ  渡辺隆夫(以下同)

ボクたち落玉華バウワウ

この2句なので。

句集をひらいて、のっけからこれでは吃驚する人も多いのではないでしょうか。私はちょっと吃驚しました。「男の子女の子! 1972年! 第14回日本レコード大賞新人賞!」



世に言う「オヤジ」というもの。その3大要素は次のとおりであると考えています。

A ダジャレ(語呂合わせ)、広く言えば「ことば遊び」

B シモネタ・バレネタ

C 政治諷刺・権力大好き(床屋談義)


補足説明をすれば、「シモネタ・バレネタ」は昨今は「シモネタ」で一括りにされることが多いのですが、いちおう〔排泄関係=シモネタ、性的冗談=バレネタ〕と区別しておきます。

政治諷刺は、権力の外にいる人たちの事情。権力好きで権力の近くにいるオヤジもいるので、「床屋談義」と括っておきます(ちなみに『六福神』はとりあえず前者の政治諷刺のみです)。



ふつうに暮らしていて、「オヤジ性」に遭遇すること/人によって時によって、みずからバリバリに発揮することは少なくありません。

ことわっておかねばならないのは、「オヤジ性」は、生物的社会的性別や年齢によらない、つまり中高年男性に限定されない、ということです。女子中学生にだって、やんごとなき貴婦人にだって、ハンサムボーイ(言い方が古い!)にだって、オヤジ性にまみれた人がいます。

以上をご承知いただいたうえで、さて。

『六福神』は、「オヤジ」3大要素の溢れかえった句集です。

ぶらぶらの金ン玉だから落ちました  B

君が代を素直に唄う浪花のポチ  C

巨乳とはイタリア産のデカメロン  A+B

まぐわいの後に出てくるまくわうり  A+B

政権など代ってなんぼ塀マンボ  A+C

春の家なま足なま葱なま卵  A+B

沖縄の基地基地バッタどうします  A+C

ほかにもたくさんありますが、こんなところでよろしいでしょうか。枚挙にいとまがないのですよ。句集全体が「オヤジ成分」に満ちている〔*1〕

この句集を自分なりにひとことであらわすと、「オッサンの気骨」。

昔は床屋にこういうひときわ声のでかいオッサン、下品な冗談ばかり言っているが博識のオッサンがひとりやふたりはいたんだろうなあ、と思います。



ことば遊び、シモネタ・バレネタ、政治諷刺は、かつてひとつの文化の中で渾然一体となっていました。

ざっくりいえばカウンターカルチャー。反体制/嫌・体制なスタンスの人々が、オーセンティック(正統的)な言説のカウンターとして冗談(ダジャレ・軽口)を多用し、道徳的禁忌に歯向かうようにシモネタ・バレネタを周囲に放射する。

例えば、エロ本の体裁をとりながら、ページの端々に反骨・反体制の気分がそこはかと(あるいは明白に)流れ、細かいイタズラの仕掛けが施されている、といった媒体。

しかしながら、こうした「ことば」の反体制的坩堝状態はしだいに消え去っていきました。

エロは実用へと傾く(エロ本は動画へと変わり、ロマンポルノのロマンが取り払われる)。場をわきまえないバレネタは「セクシャル・ハラスメント」と断罪される(バレネタを言っていいというのではありませんよ。為念)。

ことば遊びは、政治(広い意味)という泥臭い分野から離れて、洗練へと向かう。

政治諷刺はかろうじて残っていますが…たまに目にする政治諷刺コントのあのアナクロ感、『アエラ』の車内吊り広告のダジャレ(ことば遊びと諷刺、A+Cですね)のあのアナクロ感…、もっとスマートっぽい手段が好まれるようになりました〔一例としてインターネット上の意見集約〕。

「権力がキライなオッサン」は、かつてのカウンターカルチャーの中で確実に存在感をもっていた。でも、その手のオッサンは、絶滅に近いようにも思います。今は60代となって「全共闘の思い出」を語るのを、「生息」しているとは言い難い。種としては、やはり絶滅です。ただ、そうした気分、気持ち、例えば「お上の言うことをそのまま鵜呑みにはしねえよ」 という気骨は、まだまだ残ってもいるのです。



さて、句集『六福神』に見られるダジャレ、シモネタ・バレネタ、政治諷刺は、川柳の世界では、それほどめずらしいものではないようです〔*2〕

好例が川柳にあらわれる「オスプレイ」です。

≫夢精するオスプレイ―滋野さちの川柳
http://daenizumi.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

オスプレイからダジャレとして「オス」「メス」が導き出され、性的冗談へと展開し、全体として政治色を帯びる。こうした操作は、はじめに挙げた「オヤジ」におけるABC三要素をすべて兼ね備えているという点で好例なのです。

川柳における「オスプレイ」=ダジャレ、バレネタ、政治諷刺の交差点。

俳句では、どうなのか。同じオスプレイを、豊里友行の作品で見てみましょう。
http://sengohaiku.blogspot.jp/2014/01/haikuworks3.html

ここにダジャレや性的冗談の要素はありません。豊里友行の目の前の現実としてある「オスプレイ」は、米国製の垂直離着陸機であり、Osprey(発音はアスプリーに近い?)であります。

この違いは、豊里友行が沖縄に住むということ以外に、俳人であることにも起因しているようも思います。



句集『六福神』が川柳の世界でどのような位置にあるのか、不案内な私にはわかりませんが、川柳というのは、「オヤジのABC要素」がなんらかに絡んでくる分野のように思います。その絡み方は、俳句と比して大きく。

ところで、私は、ここまで、良いとか悪いとかをいっさい言っていません。良い悪いの話ではないので。

川柳や俳句人たちは選句に慣れすぎて(歌人も?)、良いのか悪いのかをはっきりさせないと気が済まない読み方をすることが多いようです。

でも、良い悪い、あるいは好悪ではない話がたくさんあるのですよ。

閑話休題。川柳における「オヤジのABC要素」の話でした。それがかつてのカウンターカルチャーのしっぽを引きずるものなのか、新しく更新されたエロ、ダジャレ、諷刺なのか。それはどちらでもかまわないと思いますが、どちらかといえば(ここで良否・好悪を少し出します)、後者、すなわち、少しでも更新のある扱い方のほうが、読者としてはうれしいというところがあります。

たとえていえば、政治諷刺なら、朝日新聞の横山泰三と同じ地点にいるのか、そこから現在へと突き進んだ何かがあるのか。これは大きな違いだと思います。 エロならエロで、更新されたエロがあるはず(と信じたい。そうでなければ昔のものを読んでいればいいわけですから)。ダジャレにもモードの変遷があるでしょう。

50年前のオッサンから、21世紀のオッサンへ。心意気は同じでも、装うものは新しく。

エールを送る気持ちでいっぱいです。「反骨」は、川柳に限らず、俳句にもだいじなことだと、ほんと、思ってますので。「反骨・オヤジバージョン」の句集がもっとあっていいと思いますので。



〔*1〕句集名『六福神』は七福神から弁天様が抜けて「六」という意味も色濃い。

〔*2〕俳句にもダジャレ、シモネタは多い。政治諷刺はやや少ないと思う。《姉にアネモネ一行一句の毛は成りぬ・攝津幸彦》はダジャレ(攝津幸彦は周知のようにダジャレの宝庫)。《逝く春を交尾の人と惜しみける・佐山哲郎》はダジャレとバレネタ。ダジャレはむしろ川柳よりも俳句のほうが多いかもしれません。


2014-08-17

【真説温泉あんま芸者】倫理と俳句 「人としてどうかと思う」といった反応にまつわること 西原天気

【真説温泉あんま芸者】
倫理と俳句
「人としてどうかと思う」といった反応にまつわること

西原天気



映画を観て評価・感想を書き込むサイトがあります。映画評論家ではなく一般の人による評価・感想です。以前、『キック・アス』(2010年/マシュー・ヴォーン監督)という映画に最低点・評点1が付いていて、感想を読むと、10歳かそこらの少女が人を殺しまくるのは断じて許しがたいといった内容でした。

映画をご覧になっていない方のために少し説明すると、『キック・アス』はスーパーヒーローもので冒険活劇。まちがっても「未成年者による正義の殺人の是非を問う」社会派映画でありません。

映画評価サイトのこの感想を読んで、たいそうびっくりすると同時に、この評点1の道徳家のような人まで相手にしなければならないとは、映画というものは大変だなあ、と思ったことでした。

評点1を付けた道徳家は、「少女」という部分が許しがたかったのかもしれませんが、クロエ・グレース・モレッツ演じる「ヒット・ガール」がこの映画の魅力の大きな部分を占めていますし(あどけない容姿なのに、強い強い)、「親はどういう教育をしているのだ?」と仮に怒り心頭であっても、父親によってファイターの教育が施されたことが、この映画の柱のひとつです。

「相手が悪人とはいえ殺戮のシーンを観て何も思わないのか」と仮に訊かれても、ラスト近く、悪者の居城に乗り込んでのバトルは「胸がすく」「映画史に残る名シーンと思う」としか答えられません。ただ、そう答える自分も、こうした殺人(悪者の征伐)が正当であると思っているわけではありません(というか「フィクションでしょうが!」のひとことで片付くこともであります)。

つまり私たちはたいてい、倫理と表現は別のものとして考えます。

もうひとつ例を挙げます。がらりと変わって卑近な話題で恐縮ですが、あるとき句会で、《心より見かけがだいじ扇風機》という句を投句しました(扇風機の前で切れていると、とりあえずこの場では判断してください)。選評になって、ある人が、「あら、わたし、読み違えていた」とおっしゃる。「見かけより心がだいじ」だと思ったから採った、「心より見かけがだいじ」なら採らないとのこと。

心と見かけ、どちらがだいじだと思うかのアンケートをやっているわけではなく、句会は、俳句としてどうかがテーマです(この句の良し悪しは、お願いですからひとまず横に置いておいてください)。

しかしながら、ときとして「その考え方はどうなのか」「そう考えるのは人としてどうなのか」といった(いわば道徳的な)判断基準が持ち込まれることがあります。

先の句は、作者が「心より見かけがだいじ」と考えているとは限りませんが(俳句は意見表明ではないので)、もし考えているとしても、読み手は賛否だけで反応するものでもない。そこに見て取れる倫理観と表現(俳句)は、別の路線で検討されるはずです(悪徳だから面白い、素晴らしいというケースもありますね)。

例示が適切だったかどうか少々心許ないのですが、言いたいことはわかっていただけたと思います。

「人としてどうか」(道徳・倫理)と「句としてどうか」(表現)は別物である、という前提で作品に接している(少なくとも私は)。その程度のシンプルなことです。

ところが、このシンプルで明白なはずのことが、自分の中で揺らぐ事態が起こったりもします。



例えば、次の句です。

  燎原の野火かとみれば気仙沼  長谷川櫂

『震災句集』中のこの句をどう読めばいいのか。そうとうに悩みます。

気仙沼が2011年3月11日以降、大規模火災でも大きな被害を受けたことを、私たちは報道を通して、また、なまなましい映像によって知っています。

燎原の火とは「激しい勢いで広がっていき、防ぎようがないもののたとえ」。炎は気仙沼の市街地であって野原ではありません。

掲句の意味をそのままなぞると、「見たところあれは燎原の野火かと思ったが、違っていた、気仙沼(の火災)だった」となります。そこに感じるのは、災害を見る「人間」の目とは少し違った「俳人」の目です。

俳人らしく恬淡と、また飄々とした読みぶり。一方で、(砕けて悪く言えば)高みの見物。

ただ、ここで詠まれているのは、あの震災のことなのです。

この句において、表現(句として恬淡・飄々)と道徳・倫理を切り離して読めるかというと、自分にはできそうにありません。「うまく俳句にするのはいいが、それって、人としてどうなのか」とやはり思ってしまいます。

「心と見た目」と「気仙沼の野火」とは話が違うかもしれませんが(もちろん深刻度は大きく違います)、作者の道徳的なあり方と表現というテーマで括れば同じ領域の話です。ところが、読み手である私は、一方で「句としてどうか」を問題にし、他方で「人としてどうか」が気にかかる。これはややこしい問題です。

その違いは何に起因するのか。わかりません。作品/作者ではなく、読み手に要因があるのかもしれません。つまり、読み手が基準を使い分けているという側面もあるでしょう。

結論としては、「これは思ったよりも難しい問題ですよ」ということになります。それも無責任な話ですが、このテーマが自分の中で始まったと解することにします。

このさき自分の理解が進むかもしれないし、どなたかから啓示のような解答が得られるかもしれない。だから、こういう「ちょっと引っかかっていること」「難しい問題だぞ」と思っていることは書いておいたほうがいいのです(と自分を納得させておきます)。

2014-01-19

真説温泉あんま芸者 第13回 セクシーでゴージャスなアイコン 西原天気

真説温泉あんま芸者 第13回
セクシーでゴージャスなアイコン

西原天気


この寒いのに、南の島、というのもなんですが。

tina louise: it's been a long long time



ティナ・ルイーズ(1934-)の「It's Time for Tina」というアルバム(ビニール盤)は、むかし(30歳前後?)この手のジャズボーカルをよく聴いていた頃にいわゆる「ジャケ買い」をしたのでした。



前掲の、いかにもアメリカ軽喜劇テレビ番組のシーンをつないだ動画。「なんだろう、これは」とちょっと調べてみると、『ギリガン君SOS』『もうれつギリガン君』(原題:Gilligan's Island)の断片集でした。絵ヅラにはまったく記憶がないのですが、「ギリガン」という名はうっすら憶えています。日本でも1966年から1967年まで放映、とありますので、観ていたんですね。

話がまわりくどいのですが、この番組に、ティナ・ルイーズが「女優」役で出ていたそうで(記憶にはない)、典型的に「ゴージャス」で「セクシー」な女性を演じています。それは歌うときも同じ。

さて、こういうベタに「女性女性」したものについては、好悪がはっきり分かれるようです。

そこで、男性たる私は、いかなる態度でのぞむべきか。

それはもう、「宝物」か「神の恵み」か何かのように、ありがたく、うやうやしく、おしいただくしかありません。崇め、たてまつる、アイコン(聖像)として。


ところで、「記号」という言い方も、よくします(「なつかしい!」なんて言わないでくださいね)。「セクシーでゴージャスな記号」てな具合。

記号ではなくアイコン。というのは、やはり崇拝という(宗教的な)要素が、ここでは必須だから。

あるいは、ティナ・ルイーズは、社会的(集合的)には「記号」、個人的には「アイコン」ということにもなりましょうか。

人間というのは、(広義の)宗教なしには暮らしていけないものかもしれません。

そして、信仰→アイコンという本来の順序から言えば倒錯的な、アイコン→信仰、という手順もしばしば踏んでしまうもののようです。



で、俳句の話は? って?

今回は、俳句のことはナシにしようと思っていましたが、少しだけ。

俳句は(って、ずいぶん大括り)、意味の乗り物(vehicle)でもなければ、作者に関するもろもろを伝える媒介(media)でも道具(tool)でも、はたまた記号(sign)でもない。

俳句はアイコンである、と。

素晴らしい句は、眺めて(聞いて)、ほれぼれとするもの。

俳句を通して何かを眺める/何かを聞くのではなく、俳句自体が眺めである、音である、と。

そういったところです。


最後にティアン・ルイーズでもう1曲。

あ、俳句は、必ずしもセクシーでゴージャスである必要はありません(為念)。


2013-12-15

真説温泉あんま芸者 第12回 全世界目録 西原天気

真説温泉あんま芸者 第12回
全世界目録

西原天気


この世界がもしも岩下志麻と若尾文子だけで出来ていたら、どんなにか素晴らしいだろう。

しかしながら、ご承知のとおり、世界の成り立ちは、そうではない。世界は「いろいろなもの」で出来ている〔*1〕

  突如そこに砂浜があり茄子があり  村越 敦〔*2〕

砂浜がなぜそこにあるのか。茄子はなぜああなのか。エレガントな説明、精緻で明晰で簡潔な叙述は可能で、それはそれで世界の成り立ちを美しく私たちに伝える。

けれども、〈それら〉が突如そこにあること、理由なく、体感的には偶然として、そこにあることもまた、世界の一様相にちがいない。ちがいないからこそ、この句は、説明も描写もなく、唐突に「砂浜」と「茄子」を「そこに」置く。

俳句とは、総体として「全世界目録」を成すものかもしれない〔*3〕

物語の歴史や詩的なイコノロジー(図像学)の切り口から、砂浜との邂逅(視界に砂浜や海が突如として広がる物語のシーンを私たちはいくつも知っている)、茄子の突拍子のなさ(なんなのだ? あの形状は)を指摘することで、この句を鑑賞/賞賛することもできるだろう。しかし、それよりもまえに、俳句とは、つねに「いろいろなもの」のうちのひとつ(あるいは、いくつか)を、そこ(句)に置くことだけで世界を伝えようとするものであることを、あらためて思い知るだけでよい。

描くことをやめ、理由や背景との関係を断つ。

この行為、作者の行為を「用意周到な無責任」と呼んでもさしつかえない。句が「突如」性を獲得するには、「突如」と言う/書くだけではダメなのであって、なんらかの工夫が要る〔*4〕

砂浜がなぜそこにあるのか。茄子はなぜああなのか。俳句はその問いに答えやヒントを与えることはできない。俳句ができることは、砂浜が「そこにあってしまう」こと、茄子が「ああであってしまう」こととの遭遇だけである。

この遭遇が何の役に立つのかといえば、何の役にも立たない。砂浜の美化に、茄子の品種改良に、俳句が協力することはない〔*5〕。俳句の態度は、先ほど言ったのとは少し違った意味で「無責任」なものだ。

「だって、あるんだもん」

これはそうとうに稚気を含んだ無責任、そして呆けた物言いでもある。

けれども/にもかかわらず、在るものを「在る」と言ってもらうだけで、得心できるのだから、俳句とは不思議なものだ、と思うのですよ。


追記:
目録に、余計な説明は不要、ということもよくあることだ。あることがわかれば、それでよい。それがベストのいうこともある。



〔*1〕世界の成り立ちを世界の成分と言い換えれば、上田信治の連載「成分表」は世界の成分を「ちょっと風変わりな目録」として網羅しようとする遠大なプランであることがわかる。

〔*2〕『びーぐる 詩の海へ』第21号(2013年10月20日)より。

〔*3〕「俳句」は(物理的に)きわめてコンパクトかつ(情報工学的に)しばしばきわめて効率的である。さらにその定型というスタイルを鑑みれば、これほど「目録」にふさわしいものはない。抽斗になるべく多くの記憶媒体を入れると想像してみればよい。小さくて同じかたちをしているのが好都合だ。

ただし、その目録作成は「百科全書」式の営為でも成果でもない。というのは、つまり、個々人がシャカリキに完成をめざす必要はないし、完成の期限も定められていないので、気ままに「目録のひとつ」「全世界のごく一部」を書き留めればいいのだし、そのとき常に、過去(先人たち)の豊かさと未来の(来るべき人たちによる)豊かさの双方を信じることができるはずで、もしそうなら、何にも増して楽しい仕事となる。

〔*4〕「用意周到」とは、砂浜の「物語」を茄子が台無しにし、茄子の「文脈」(その文脈には季語であることも含まれる)を砂浜が、なんだかややこしくしてしまう、という操作のこと。

〔*5〕半面、俳句は、砂浜の汚染や茄子の絶滅に手を貸すことも、おそらくない。

2013-06-16

真説温泉あんま芸者 第11回 きょう句会がない人も毎月土日がぜんぶ句会で埋め尽くされている人も 西原天気

真説温泉あんま芸者 第11回
きょう句会がない人も毎月土日がぜんぶ句会で埋め尽くされている人も

西原天気


このあいだ、ツイッターでこんなやりとりがありました。
http://togetter.com/li/518666


いかがでしたか? 短時間で終わったやりとりでしたが、こういうふうに、ざっくりと「句会」が語られることは意外に少ない。「ざっくり」というのは「根源的に」という意味でもあるのですが。

句会と俳句の関係について、例えば、「句会がなくちゃ俳句は生き延びていけない」(@micropopster)かどうか、といった問いには、私自身、それほど関心はなくて、「座」の機能、「座」の観念みたいなものを重視する人は、「イエス、句会がなくちゃね」と答えるだろうし、一方、句会にいっさい出ずに句をつくる、それも抜きん出て素晴らしい句をつくる人も、きっといる(攝津幸彦は句会に出なかったんでしたっけ?)。

俳句というものを知るきっかけとしては、どうでしょう? まず句会で知る人もいれば、句会よりもまえに「読者」として知る人もいる(卑近な例では前者が私、後者が上田信治さん)。

ま、いろいろですな、と、これでは何かを言っていることにはならないのですが、何かを言う気はあまりない。最初に上げたツイッターでのやりとり(これを「トゥギャり」と言います)を紹介するのがメインですから。

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ひとつ思うのは、「句会」とひとくちに言っても、それぞれ《体験》が違うから、違うものが想定されている可能性が高い。「そんなこと言ったら、なんでもそうじゃないか」と言われそうですが、そうでもない。

というのは、「句会」はなかなか客体化・対象化できない。俳人・俳句愛好者が「句会」というとき、それぞれが句会の成員(メンバー)としてしか語れない、というところがあります。

それはそれでいいのですが、ややもすると、発話者/論者の(ある時点での)句会観が、もっと具体的には、その人が句会に(ある時点で)どのような機能を期待しているのかが表明されるに過ぎないところがあります。結局は、ま、いろいろですな、ということになってしまうわけで(もちろんそれはそれでいいのです)。

でね、なぜ、それでいいかといえば、「句会とは?」の窮極の述部・最終的な正解を求めて句会をやったり俳句をやったりしている人はいないのですから。

だから、このクソみたいな記事(自分で言っておきます)には、結論も展開もありません。

きょうこれから句会がある人にもない人にも、何の役にも立たないようなことを、断章風に、暇そうにおしゃべりすることにします。

〔追記〕社会学者、文化人類学者、あるいは批評家が「外」から「句会」を研究すれば、別の切り口も見つかるでしょうが、そうしたものは、想像するに、ものすごくつまらなそう。

〔追記〕歴史的アプローチで相対化していく作業は、考えられますね。「子規のやってた句会の雰囲気って、うちらの句会に近くね?」とかなんとか(≫参考記事リンク)。

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いろいろな句会に出たことがあります(といっても、人に比べてどうかはわからない)。

公民館でやる句会(なかでもとりわけベテランが多い句会)では、菓子類が皿かティッシュの上にちょっとずつ載せて全テーブルに配置される。

(句会あるある)

こんな感じ(≫参考資料

煎餅をぽりぽりやりながら清記に目を通すが、通(つう)の所作。

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短冊のりっぱさと出てくる句の程度は、反比例する。つまり、短冊がりっぱな句会ほど、句がつまらない。原因はおそらく「句会に入れ込みすぎ」。

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この記事、本気で読んでいる人、まさか、いませんよね。

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俳句に興味がなかったのに句会のまっただなかに座るハメになり、それが俳句を始めるきっかけだったというのは、あっ、私の場合ね、人とはちょっと事情が違っているだろうと思います。促されるままに初めて句を作り、選句の段になり、並んだ句のなかに「四万六千日」という語を見て、選句用紙の端っこで割り算、126年かあ、長いな、と、これくらい俳句について無知(というよりも全般について無知)だったのですが、その日以来、ずっと俳句を続けているのですから、「句会」との幸運な出会いをしたとはいえるでしょう。初めての句会が、その句会でなかったら、俳句を始めることもなかったと思います。

いま思い出してみると、そのとき、何に感心したかというと、合評の際の熱気というか混沌というか妙な盛り上がりというか、「こんなもの(というとヘンですが)に、大のオトナが!」とびっくりしたですよ。そのことがたいへんおもしろくて、次の月もその句会に参加。で、その次の月も。で、気がついたら、現在です。

というようなわけで、私はとても「意識の低い」俳句愛好家です。おもしろいからなんとなく続けちょります、としか言いようがなく、「意識の高い」俳人を見ると、ちょっと恐ろしくて、距離を置くようにしています。

(概して、句会偏重な人は「意識が低い」と見られがちです)

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http://weekly-haiku.blogspot.jp/2013/06/5_659.html

 「句会浄土」「句会穢土」とここでダジャレておくこともできます。

句会は苦海?

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少し無理のある譬えかもしれないが、句集を読んだりするのがCD(アルバム)を聞くことなら、句会はジャムセッションに参加する感じか。出来上がった音楽を聞くのと音楽/俳句が生まれる現場にいることの違い。

後者は、そりゃあ興奮しますよ。人の演奏が聞けて、自分でも音を出すんだから。「句会、サイコー!」てなって不思議はない。

でもね、出来上がったものの豊かさや広さを知らずに、現場の臨場感やみずからのプレイを楽しむだけというのは、やはり何か欠けている。貧しい。

俳句を知るきっかけは句会でもなんでもいいけれど、「他にどんなんがあるんだ?」と意識を広いところへ向けないとね。それは音楽でもおんなじでしょう。

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句会は楽しいです。そんなことは句会に出たことのある人なら全員知っている。でも、句会は句会。俳句を楽しむことのほんの一部です。

 

ところで、句会での営みが、そのまま作品になるわけではありません。ここで言う作品とは、どこかに発表したり句集に収めたりする句のこと。句会の句は、作品以前、発表以前なわけです。

句会での営み→(A)→作品としての発表。この(A)は、捨てたり、いじったり(推敲)という部分。この(A)が存外大事で、負荷がかかる、しかもおもしろい作業。(A)こそがその人の良さやその人らしさ(これを「作家性」と呼んでもいい)を決める重要な成分なのではないか、と、つねづね思っているのです。

(A)を軽視する、負荷をかけないのは、手癖で楽器を演奏しているだけみたいなもので、それで相手を楽しませられるのは、よほど名人だけです。

 

大人数の句会があります。結社の句会に多いのでしょうか。何十人も(場合によっては100人以上?)参加する句会。私にはそういう句会に出る機会がないのですが、あったとしても、行きません。度を超えてたくさんの句を一度に読むのは勘弁です。しかも、ほとんどはゴミのような句でしょう?(そんなにたくさん集まる句会ですからね)。そんな目にあったら、俳句のことが嫌いになってしまいそうです。

その意味では、結社の主宰は毎月毎月膨大な句(繰り返しますがほとんどはゴミのような句)を読んで選んで、よく俳句を嫌いにならないものだと、これは冗談ではなく、本気でマジメに思います。よほど俳句のことが好きなのか、他になにか理由があるのか。そのへん一度どなたかに聞いてみたい。逆に、それができるからこそ主宰が務まるということかも、です。

 

「句評を求められたとき、なんと言っていいかわからないような句だから、選ばなかった」。これはもう本末転倒ですが、実際、句会で聞いたことのあるセリフです。

私は、モンドな句(モンド≫google)に異様なほどに惹かれる性向があり、なんと言って褒めたらいいのかわからないような句は、採ります。だって、妙な句って、貴重じゃないですか?

 ●

そういえば、昨日の土曜日は句会だったのです。個人的に「にわとりの丸焼き句会」と呼んでいるその句会は、にわとりの丸焼きが美味しい句会で、昨日の鶏さんは、肛門にレモン(脚韻、踏んでおきました)。

 ●

きょう句会がない人にも、毎月土日がぜんぶ句会で埋め尽くされている人にも、次の句会で、素晴らしい出会い、素晴らしい体験が訪れることを祈念しつつ、これで終わりにします。

2012-09-09

引用のマナー 法や規則の以前に 西原天気

真説温泉あんま芸者 第10回引用のマナー 法や規則の以前に
 

西原天気


『俳句界』2009年2月号より転載(全面的改稿・加筆)


引用の自由

「コピペ・レポート」が問題化しているというニュースが一時期さかんに流れていました。学生がインターネット上の文章をコピーして、そのまま自分のレポートや論文の材料にするものです。けれども、昔も「まるうつしレポート」はありました。盗用そのものが新しい問題として持ち上がったわけではありません。

ただ、手順の点が劇的に変化しました。引き写す元ネタを見つけるのに、昔なら例えば図書館や書店に出かけ足で探すという手間がありました。ところが、インターネットには「検索」という便利な機能があります。欲しいデータを見つけるのに大した手間も時間もかかりません。引き写しにしても、コピー&ペーストで、ほんの数秒。手軽さの点で、インターネットからの盗用は画期的です。

しかしながら、考えてみれば、レポート・論文に「引用」は必須です。ものを書くとき、参考・参照を抜きにはできません。さらにいえば、私たちの言説はいつでも、他人の考えていること、先人の残したものとの関係のなかにあります。「コピペ」や「まるうつし」のレポートが問題なのは、他人の文章を借りたから、なのではありません。借りたことを記さないのが問題なのです。

引用は、基本的に自由です。引用元の著作物(ネット上の文章も含まれる)の作者に伝える必要もありません。

引用が自由でなければ、記事(作品)紹介も意見交換も論点整理も批評もスムーズには行かず、思想・文化・政治等々あらゆる局面で大きな支障が生じます。

「引用の自由」は世界共通の約束事と言っていいでしょう。裏返せば、何かを発表するときは、それが将来どこかで引用される可能性のことを思っておかないといけないということです。

ただし、ここで押さえておかなければならないのは「引用」とは何かということです。

「何か」などと言うと難しそうに聞こえますが、ざっくりと、です。おもに法的な意味で、「適正な引用」にはいくつかの要件があります。

A 著者名・著作名が明記されていること

B 出所が明示されていること(著作権法第四十八条)

C 引用先(論文・レポート等)が量的・質的に主で、引用部分が従であること

D 本文と引用部分が見た目にはっきりと区別されていること

こうした要件が満たされれば、自由な引用が許されています。


転載と引用

あ、そうそう、「転載」。引用と転載は、ごくたまに混同されるので、こちらもいちおう押さえておきましょう。

転載は勝手にはできません。著者/制作者の許可が必要です。

例えば、週刊俳句の記事の一部を引用して、紹介する、批評する。ネット上にせよ、紙媒体にせよ、これは自由です。ところが、週刊俳句の記事がまるごと(あるいは一部が)そのまま、何の注釈・説明もなく、どこかのサイトに、あるいはどこかの雑誌に、著者や私たち運営が知らないうちに載っているとしたら、どうでしょう?  ヘンですよね。

(ある時期、自動的にコンテンツを引っ張ってきて転載するブログ、ロボット・ブログとでも言うべきブログがありましたが、このところ見なくなりました。問題になったのでしょう)

最初に挙げたコピペ・レポートはさしずめ「無断転載」の合成物です。だから、まずいのです。

まとめると…

引用は自由。(先に挙げた要件を満たした)引用は自由。

無断転載はダメ。

シンプルに、こういうことです。

ネットで「無断引用禁止」という文言を目にすることがたまにありますが、これは通用しません。引用は、断る必要もなく自由なのですから。

「無断転載禁止」という文言も、たまに目にします。これは間違ってはいませんが、不要・ムダ。この文言があってもなくても、もとより「無断転載」は「禁止」なのですから。


引用の尊重=他者の尊重

引用は自由。それはそうなのですが、その自由は、引用の要件を満たすという条件付きです。では、実際、適正な引用がおこなわれているか? といえば、そうとばかりは言えないようです。とりわけ、インターネットがらみは、いわゆるいいかげんな引用も少なくない。

インターネットが普及して10年を超えました。俳句に関するコンテンツも膨大です。玉石混淆は、従来の紙媒体と同様。引用されたり引用したりも、紙媒体と同様です。

では、インターネットと印刷物の違いは何でしょう? ひとつには、インターネットは印刷物と比べてはるかに手軽に「発表」できるという点です。敷居の高低が違います。ときとしてBBS(電子掲示板)では井戸端会議のような会話が、ブログでは日記のようなプライヴェートな些事が書き綴られています。

こうした手軽さは、ネットの長所ですが、それが災いしてか、不適切と思しき引用も数多く、とくに「出所の明示」を怠るケースが目につきます。引用の要件で挙げた「B 出所が明示されていること」、これの不備ですね。

出所は、書籍・雑誌記事もあれば、ネット上のコンテンツもあります。紙媒体であれば、著者、書籍名、雑誌名および号数の明記が必要となります。ネット上の記事を引用する場合、当該記事のURL(ネット上の情報の所在地を示す書式)によって出所を提示できます。

インターネットにはリンクという便利な機能がありますから、それを利用すれば、読者に親切です。いずれにしても、出所の明記に、さほど労力がかかりません。にもかかわらず不備、というのは、書き手が「引用」という行為について無知、というよりも、意識が希薄なせいかもしれません。引用を大切に扱おうという意識が薄いのです。

引用の尊重とは、他者の尊重です。そこをおろそかにする書き手を、私自身は、信用しません。

他者とは、まず、引用元の書き手、引用される書き手。

他方、引用にまつわる表記の整備は、読者(という他者)への配慮という面も大きいでしょう。例えば、ある記事に「だれそれがこう書いている」とあり、その一文の置かれた脈絡を確かめたくなったとしても、出所の明記がなければ、確かめようがありません。


めだつ出所不記載

出所の明示を欠いた引用は、インターネットだけの事情ではないようです。俳句の場合、書籍・雑誌記事もまた「不適切な引用」が数多いように思います。評論賞を獲得するようなりっぱな批評文にさえ、出所記載に不備のめだつものがあるのです。

つまり、引用の扱いは、紙とネットの違いではなく、書き手によるところが大きいようです。

ネットだから、紙媒体だから、というのはウソ、というか間違いで、人による、のです。

もっとも、紙媒体の記事がネット上の記事を引く場合、すこしめんどうなことも起こります。さきほど出所がネット上の記事ならリンクで明示できると書きましたが、紙媒体には当然ながらリンクという機能がありませんし、URLはたいてい長ったらしい英文なので、記載は少しめんどうです。めんどうだから、当該記事を含むブログ名、サイト名くらいを書いておけば事足りると考えてしまうかもしれません。しかし、それでは「出所の明示」という引用の要件が満たされていません。少なくとも読者には不親切です。

ブログ名、サイト名だけなら、まだしも、なかには、「だれそれがインターネットで…」といった引用さえ見たことがあります。えらく広い(笑。これだと「出所は図書館のどこか」と言っているに等しい。

「検索で特定できるはず」と考える向きもあるかもしれませんが、引用しておきながら「読者が自分で探せ」は書き手のとるべき態度ではありません。

ブログなら「日付」で、ウェブマガジンなら「号数」で、記事が特定できます。紙幅に限りがあるとはいえ、最低限それくらいの「整備」があって罰はあたりません。

なにも、出所を明示できない参照/引用はするな、と言うのではありません。場合によっては、引きたい記事の在処がわからなくなってしまうこともあるでしょう。そんなときは、最低限の処理として「出所は失念したが」などのエクスキューズが欲しい。

こうした引用にまつわる不備の背景には、インターネットという新しく誕生した「出所」の場に、私たちがまだ不慣れであることも大きいようです。

けれども、インターネットはやがて新しいものではなくなります。本や雑誌が新しいものではなくなっていったのと同様です。法以外のルールやマナーも整備されていくと、楽観的ですが、そう考えたい。

そのときにも、書き手ひとりひとりが「引用」、そしてさらに広く「参照」(他者の言説の参照)を、いかにていねいに扱うかが重要となるはずです。

法的にまずいから、規則でそうなってるみたいだから、というだけでは、心貧しい。法律や規則を言う前に、引用・参照について、どのような意識を持つのか、それが書き手の《たたずまい》だと思います。



【補記】
鑑賞の「一句」は引用?転載?

俳句作品の引用・転載という問題もあります。本稿の主旨に沿うなら、俳句の引用にも出所の明記(例えば句集名や俳誌名)が必要ということになりますが、慣習にしたがい省略が許されると考えています。

言っていることが矛盾するようですが、俳句の場合は「全文引用」であること、所載の句集から離れ一句単独で人口に膾炙する可能性があることなどをもって、散文とは区別して考えたいのです。

それより、むしろ、他人の俳句作品を取り上げる際に、「引用」ではなく「転載」と(法的に)解釈されるようになったときの不都合を憂慮すべきかもしれません。

実際、著作権の範囲と適用はその方向に向かっているようです。

例えば、一句鑑賞を例にとりましょう。引用の要件「C 引用先(論文・レポート等)が量的・質的に主で、引用部分が従であること」のうち、引用部分(一句)は、量的には「従」ですが、質的に「従」とは言えません。杓子定規に考えれば、一句鑑賞における一句は「主」であり、引用の要件を満たしていない、とも考えられます。

「引用」と解してもらえなければ、作者に逐一、「転載」の許諾をもとめる義務が生じます。そうなると、紙もネットもなく、きわめて不便なことです。

歳時記はどうでしょう。例句が並んでいます。これが「転載」扱いとなれば、編集は、気の遠くなる作業です。これを乗り越えて歳時記を作ろうなんて、誰も思わなくなるでしょう。俳句は今のところ「慣習」が優先されるべき分野なのかもしれません。

2012-08-19

真説温泉あんま芸者 第9回 俳句のなかの「私」 西原天気

真説温泉あんま芸者
第9回 俳句のなかの「私」

西原天気


1. 憑依とトランス

「統一感がまるでない」。ある日、石原ユキオ氏は友人から、自分の書いた20句ほどについてそう評されたそうです。

憑依俳句宣言:guca 2012年8月16日

作中主体が少年であったり、女子高校生であったり、ホステスであったりする。あえて作中主体を統一しようという意識はなかったのである。

前述の友人によると、わたしの俳句の統一感のなさは、文法にも及んでいるのだそうだ。「や・かな・けり」を駆使して文語で書いていたかと思えば、「してる」「ですか」と口語的な表現を使っていることもある。/しかしこれもわたしにとっては自然なことなのだ。普段話すときはアニメキャラの口真似からビジネス敬語まで、様々な言葉を使っている。俳句だっていろんな言葉で書いてもいいではないか。
俳句における「私」に関して、上の2つの引用はそれぞれ別の層の問題でしょう。前者は、ここにあるように《作中主体》、後者は《文体》。互いに無関係ではないものの(とりわけ石原氏の場合、作中主体が文体(口調)を規定するという意味で)、とりあえずは分けて考えます。

まずは《作中主体》。「主体」というと、「俳句のなかにいるその人」を示すと同時に、「俳句のなかにいるその人としてその句を書いている人」(ややこしいなあ、もう)といった入れ子めいた意味がほんわかと響いたりするので、ここでは前者の意味に限定して《作中行為者》という語で、話を進めさせてください。

で、これは生身の作者の社会属性と強く関連する。(ユキオという俳号からいまだに彼女を男性と思っている読者がいるかもしれないので念の為に言っておくと)女性である石原氏が句のなかで女子高校生っぽくあり、また別の句でホステスっぽくあることまで許容されても、少年となると、やや無理が出る(読者マターとして)。

「いや、ユキオさんの句のなかのユキオさんが少年であっても、いっこうにかまわないけど?」という人は、私が妊婦という役どころで、私の句のなかで行為した場合を考えてみればいい。「オッサンの想像妊娠かよ」と罵声が飛ぶ。これらは、無記名の句会の話ではなく、作者名が正式に明かされたのちの話です(例えば句誌・句集での発表)。

俳句においては、男女、年齢、あるいはさらに職業等といった社会的属性が、ふわっとであれかっちりとであれ一種のパラテクストとして同時に読み込まれるのが通常のパターン、俳句世間の現実と見てよい。《作中行為者》が読者の類推の範囲内にほぼ収まっているというのが、作者が最低限なすべき信用保証であり、作句上の「マナー」とされているようなのです(このあたりは、上田信治「フェイク俳句について」〔*1〕とも関連する)。さすがに私は、子を産む喜びを句にはしない。

そんななか、石原ユキオ氏は、複数の《作中行為者》(この場合は広義の《作中主体》でも齟齬が出ない)をみずからの句作のなかで生かす方途として「憑依」を発案し、提示し、宣言するのです。
わたしのなかにいつも別々の誰かが入ってきて筆を握っているのだ。/わたしは、憑依されている。/ならば、だ。一句ごとに別々の人物に憑依されるのではなく、二十句なら二十句分、同じ人物に憑き続けてもらえば、統一感のある作品が完成することになるのではないか。
複数の社会的属性(あるいは複数の文学的属性)を引き受けるに「憑依」という手法を援用する。なるほど、です。ですが、いくつかの検討事項が持ち上がります。

ひとつは、俳句一般、一人の作家の句群が一定のアイデンティに貫かれているとすれば、それは《作中行為者》のアイデンティティがその理由なのか? そうではないのではないか、という疑念です。

だって、ほら、

煙突となりて雁聴くさびしさよ  眞鍋呉夫〔*2〕

俳人は煙突になっちゃたりもする。

もちろん、この例は「憑依俳句」への反論にはなっていません。煙突になる眞鍋呉夫は眞鍋呉夫であって、テクスト内での私=煙突、パラテクストの私=眞鍋、この2つのうち、前者は自在に複数化する《私》ではあっても、パラテクストで同一性(単一性)は保たれている。ところが、石原氏は、パラテクストとして複数の属性を引き受けよう、パラテクストとして《私》とを複数化しようというのですから(しかも石原ユキオという単一の署名の下で)。

(話がややこしくなっていますが、どうせ、こんな話、読んでいる人は一人か二人なので、勝手にやらしてもらいます)

俳人は煙突にだってなる。句のためなら。

この手法、別にめずらしくもなく一般的なこの手法は、いわば「トランス」です。憑依とトランスは、傍からの見た目では似ていることがあるのですが、運動としては対照的・逆の運動です。憑依は「やってくる」、トランスは「行く」。別の《私》がやってくるのと、別の《私》へと出かけるのとでは、やはり大きく違う。ちなみに世界中に巫女文化がありますが、憑依系とトランス系にきっちり分かれるようです。


〔*1〕上田信治「フェイク俳句について」
小説のようなジャンルにおける「作者と切り離された話者」とか「信用できない話者」と同じではない。俳句の場合、短すぎて、作品内部に話者の地位を確定する「フレーム」(「私の名はイシュマエル」とか、「手記:」とか)を書きこむことが難しいから。結果、話者の地位の不確定は、作者の信用問題に発展する。
この論考、ロラン・バルトのくだりを飛ばして読むのがわかりやすいと思います。いま読んでみると、今回の「俳句のなかの《私》」というテーマと存外深く関わり、示唆深い内容です。全文必読。

〔*2〕外山一機 眞鍋呉夫の「戦後」 詩客 俳句時評 第62回 



2. 雲散霧消する《私》

さて、石原ユキオ氏による憑依俳句として5句が例示されています。

柏餅じやうずに剥いたはうが攻め   腐女子

メーデーになんの予定もない予定 _(:3 )∠ )_   事務員

ダンゴムシ用筆箱のあるらしき   家庭教師

あらゆるかたちを四角くたたんであげる   ショップ店員

ひとを吊るほそきちからや星冴ゆる   S嬢

このうち1句目、2句目、4句目、そして読みようによっては5句目に《作中行為者》として《私》が登場します。5句のうち3.5句というのは、かなり高い割合です。俳句には《作中行為者》が存在しない句も数多い。

多くの句には、対象を見ている作者としての《私》しか、《私》の影は見いだせない。上に引いた5句でいうと、3句目。石原氏は、ここにも「家庭教師」目線という設定を持ち込むわけですが、通常、ここには憑依もトランスもなく、《私》は目、目線、視点として存在するだけでいいわけです。

ただ、この場合(というのは多くの句がごく一般的に採用する作り方の場合)にも、トランスという手法が関わってきたりします。

鳥帰るところどころに寺の塔  森澄雄

鳥の視点。

梅園を歩けば女中欲しきかな  野口る理 

梅雨寒し忍者は二時に眠くなる  同

トンネルや渡り漁夫らの騒がしく  同

敵国の形してゐるオムレツよ  同

藩主の娘(お姫様)=為政者の視座(≫参考)。

ほんの一例ですが(ふさわしい例かどうか心許ないところはありますが)、どうも、俳句では、視線・視点・視座に《私》が一貫しているわけではなさそうなのです。

考えてみれば、俳句は業務報告でも現地レポートでもない。作者が、社会的属性・生物的属性に縛られる必要はありません。さらにいえば、俳人の視力は、人間的である必要さえ、ない。例えば、防犯カメラ的であってもさしつかえないところがあります。

また、さらには、視線である必要もない。

幾千代も散るは美し明日は三越  攝津幸彦(≫参考

アリモノ(レディメイド)2つを、ウツクシとミツコシの音韻上の相同でもって連結して、世にも美しい、世にも刺激的な句が出来上がる。作者は、ここで語をハンドリングする手工業者です。

手短にいえば、多くの俳句は、 句のなかの《私》へと向かうことをやめています。簡単にいえば《ことば》へと向かう。

カネのためなら人も殺す、ならぬ、ことばのためなら自分も殺す、というわけです。

ただ、そこで《私》の非在が、匿名性に結びつくかといえば、(ある部分で俳句に作者名は不要とするラディカリズムもないではないですが)そんなことはなく、署名=作者名が句ごとに烙印されるという手順です。《私》の製造責任は残り、作者名は、一種の商標となる。俳句のなかを生きる《私》ではなく、読者の指標としての作者名。それでなんら差し支えない。

作者=《私》は、雲散霧消して形をなくす。ただし、それでも「香り分子」として残り、その句その句の誂え品としての価値を保証することはするのです。

テキサスは石油を掘つて長閑なり  岸本尚毅

誰目線やねん?というこの句。観光客か経済産業省の視察団かテキサス人か。そんなことを思う読者は、いまいないでしょう。テキサスの砂漠に立っているのは誰でもかまわない。それでも、この句の馬鹿馬鹿しいまでに突き抜けた感じは、「岸本尚毅」という商標に似つかわしいものです。

石原ユキオ氏は、「石原ユキオ」のブランド戦略について試行錯誤の途中なのかもしれません。「統一感がまるでない」現状を鑑み、一種類の《私》に統一するよりも、そのときどきの憑依されたキャラで統一しようという決断。これは多くの俳人が採る方法とは違っていますが、俳句のなかの《私》と現実の《私》のあいだの無用の密着を避ける、距離をとる、という意味では同じです。

飛躍を承知でいえば、俳句とは相対化の作業です。例えば《私》が見ているという遠近法も、その遠近法を操作する/俳句にする。これは相対化の作用を駆使することです。《私》がナニナニをするという《作中行為》もまた、それを対象化する。

《私》は、俳句を書く主体である以上に、俳人がみずからの俎上、机上に載せる《対象》というわけです。


intermission

石原ユキオ氏のブランド戦略において、《作中行為者》としての(複数の)《私》が強く意識されるのは、ひとつには、みずからのact(行為する/演じる)への読者の期待を読み取ってのことかもしれません。

うら若い女性が詠む句には、うら若い女性が登場することが、とりわけ全国一千万人の爺ィ読者、もといお爺ちゃん読者に期待されているという、ウソかホントかは実証されていないマーケティング上の分析がふわっと存在する(それって回春剤に過ぎないと思いますが、それはそれとして)。それなら現実に「若くてチャーミングな石原ユキオさん(棒読みではありません。為念)」がそのまま登場するのがいいんじゃないの?という意見もありましょう。

ところがコスチュームプレイに走ってしまう石原氏。そこにはやはり含羞があると見るべきか。俳句を詠むとは、ある層の彼女たちにとって、化粧(それは一種類ではなく、昼間の仕事用、夜のお仕事用、週末用と使い分けられる)であり、コスプレであるのかもしれません。

だとすれば、これもまた、現実の《私》とは違う俳句のなかの《私》が仮構されていると見るべきでしょう。



3. 自由律俳句の《私》成分

現実の《私》と俳句のなかの《私》の関係が、こんなにも融通無碍ななか、現実の《私》と俳句のなかの《私》を(私=筆者から見れば)非常に生真面目に同一化しようとする(そのように見える)俳句もあります。

最近、ふとしたことで知った「自由律俳句」が、それです。

もともとはツイッター上で「自由律俳句は文語体を使わない」「定型は使うよね」というやりとりを眺めていたのですが、いくつかの自由律俳句(現在の作)を読み、やりとりを追っていくうち、 自由律俳句における《私》成分の濃さ、現実の《私》に貫かれた話法のことが、むしろ印象的でした。

そのあたりのことは。自分のブログに書きました。

自由律俳句・断章

自由律俳句・断章【補足】

このブログ記事を書くにあたり、ツイートとして引かせていただいた藤井雪兎さん(「層雲」所属)、矢野風狂子さん(「草原」所属)のコメントが(引用以外も含め)、たいへん示唆深かった。またクリアカットでもある。そうでなければ自由律俳句に不案内が私が今回のようなことを考えることはなかったでしょう。改めて感謝いたします。

この記事で「《自分》コンシャス」という言い方をしました。改めてもう少し説明すれば、 俳句のなかの《私》が現実の《私》との同一性を求め、なおかつそれを句で表明しようとする態度、といったことが言いたかった。

このうち「同一性を求め」というところまでは俳句全般に多く見られる(複数の《私》への志向がある一方で、やはり多いのだ)が、それをさらに俳句作品でも表明しつづけるという態度が、いわゆる定型俳句に慣れ親しんだ私には、少々驚きだった。

そのへんは、話題のきっかけになった次の部分。
定型俳句で「けり」とか使ったけど自分じゃないみたいで気持ち悪い。やっぱ普段使わない言葉を使うのはおかしいよ。定型の人は、最初はみんな慣れないとか言うのだろうけど、腑に落ちない。俳号や自愛が肥大化して気にならなくなるのかも知れない。なんかの病理だ。
「I Don't Wanna Grow Up」:自由律俳句集団 『鉄塊』のブログ
「自分じゃないみたいで気持ち悪い」は実感なのでしょう。しかし、現実の《私》が大きく後景へと身を引き、《私》が雲散霧消した多くの俳句(定型俳句)にとっては、「自分じゃないみたい」という気持ち悪さ/違和感は、かなりの唐突感があります。

多くの俳句は、《自分》コンシャスであることをやめていますから、「自愛が肥大化」は、むしろ「自分じゃないみたいで気持ち悪い」ほうにむしろ当てはまると考える「定型俳人」が多いでしょう。このあたりは、「自由律」側・「定型」側の双方が、「思ってもみなかった」ことかもしれません。

「自分じゃないみたい」なことに何の痛痒も感じない「定型」俳人は、想像以上に多いと思います。

自由律俳句は、五七五や季語に縛られることがない現実の《私》という設定が重要なのだろう、と大雑把な捉え方(で、すみません)はしてみたものの、それ以上には掘り下げることも具体化することもできなかった私ですが、そこで、格好の記事に出会いました。

橋本直さんが『鬼』誌から自分のブログに転載した「自由律俳句の近代」という記事です。
http://haiku-souken.txt-nifty.com/01/2012/08/post-cc50.html

自然主義的な思想傾向で言えば、「私」にとって表現したい言葉にわざわざ五七五の枠(韻律)をつけるのは、真実あるがまま(ほんとう)の「私」や「自然」を表現する行為とはいえない。
19世紀後半、日本に移入された文学潮流と「自由律俳句」が密接に結びついている。もちろんこれが「自由律俳句」のすべてを言い表しているはずはない。また「自然」との関係という部分で、ここで展開する話題よりもさらに広範なテーマ(近代化のなかの自然と個人等)を含むものですが、少なくとも、私が自由律俳句に感じていた《自分》コンシャス、その淵源をはっきりと見せてもらった感じです。

歴史的な「封建制」のカウンターとして「自由」があるなら、定型は軛(くびき)でしかない。軛から解き放たれた《真実あるがまま(ほんとう)の「私」》は、その創作物(自由律俳句)の主です。《複数》へと微分化されることもなく、同一性を保ったまま、句作品として表現すると同時に、句作品が、《真実あるがまま(ほんとう)の「私」》を伝える。
放哉や山頭火は(…)伝記的情報が作品とセットでメディアに流れることによって私小説的に作品が受け入れられ、アウトローであったことによって評価されている。
なるほど、私小説と捉えれば、よくわかります。評伝的事実は決定的に重要です。主婦が「山歩きの会」で何度「分け入」ろうが、読者にはアピールしない。家族平和で息子も無事東大に入学した高級官僚がたまに帰郷して、墓の裏に回っても、なんのこっちゃ?です。

それでは、いま自由律俳句を書いている人たちは、どうなのでしょう。放哉や山頭火のような評伝的事実をバックボーンにできない人がほとんどでしょう。また、荻原井泉水の説いた「自然、自我、自由、此の三つの頂点に依って支へられたる実践的思想」をそのまま俳句として実践しているわけではないとしても、軛から解放されて自由に、そして《ほんとうの自分》を《俳句のなかの私》と同一視しているように見えます。

ただし、「軛」は、もう封建制ではない。いま自由律俳人が戦っているのは、「定型俳人」から浴びせられる「俳句はやっぱり五七五でしょ?」「なんで季語がないの?」「俳句は季語の入った詩よ!」といった五月蝿い教条・教理・決めつけかもしれません。
「有季定型を否定する詩が、あくまでも「俳句」を名乗り続ける必要があるのかという素朴な疑問は、常に心にある。確固たる誇りと自負をもって現代詩という大陸へ大いなる旗印をかかげ民族大移動なさればよいではないか、と思う。(夏井いつき)」(引用:中村安伸・10年前と現在――角川「俳句」平成14年6月号
こんなこと言っている人もいらっしゃいます。手を使うサッカーがサッカー場でプレイするのは、どーなの? ラグビー場へ行けば? みたいな感じでしょうか。
「無季や自由律のものもあり、小中学校の教科書にも載せられている。しかし、これらは「俳句に似たもの」とし、「俳句」と区別する必要がある。」(俳人協会副会長・岡田日郎)
引用:神野紗希・「俳句に似たもの」のゆくえ 
「俳句に似たもの」ってw 人間モドキ(マグマ大使)とかガンモドキみたいじゃないですか。

ただ、自由定型と定型にまつわる、このような形式上の差異には、はじめからあまり興味はないのです。律(規範・決まり)からの自由という点も、律を重視する点も(それぞれ自由律俳句と定型俳句)、それほどの関心はない。

俳句のなかの《私》の様態が、自由律・定型で、というよりも自由律から有季定型までを含む俳句全体の幅のなかで、そうとう違う。現実の《私》を俳句においてどう捉えるかという点で、まったく異なる態度が存在するという事実こそが、私の関心の焦点。

《自分》コンシャスについて、自由律俳人・自由律俳句愛好者が無自覚であるとは思いません。


「ダラダラ詩を垂れ流したい自己顕示欲の強い困ったチャン」といった自己戯画化は、《自分》コンシャスの現代的な読み直しです。案外醒めています。当たり前ですが、人のアタマは明治のままではありません。


藤井雪兎さんは「自由」という観点から、「自由律俳句の存在意義を問い直す時期」と表明されていますが、これはどうなんでしょう? 歴史(100年の時間の流れ)によって変わったのは、むしろ《私》概念だと思います。

「近代化」や「自由の獲得」といった概念によって近代主義(モダニズム)が措定した《私》は、その意味や意義が揺さぶられてしまった。ポストモダンの主体概念などと、しちめんどくさいことを言わなくとも、少なくとも文学作品の内部、あるいはかたわらに《私》が前世紀のようにすっくと立つという風景はなくなった。

もっとくだけていえば、 《ほんとうの私》って、素晴らしいの? それでなんかいいことあるの? 《なにものからも自由な私》って、どんな物語だよ? といった感じでしょうか。

《私》という軛にがんじがらめになった《私》、というのでは、冗談にもなりません(自分という病)。

石原ユキオは、事務員でもS嬢でも腐女子でもない《ほんとうの私》を求めたりしない。岸本尚毅は、テキサスの油田を眺める《私》がいったい何者なのかに悩んだりしない(他人からは「いったい何者やねん?」とツッコミを入れられるかもしれないが)。



さて、とりとめのない駄文も、そろそろいい加減にしないと。

いわゆる自由律俳句といわゆる(有季)定型俳句は、《私》というきわめて厄介なものについて、ずいぶんと異なるアプローチをしている。これは見た目の違い以上に異なる。

譬えれば、肌や鼻のかたちの違う人々に出会ったとき、見た目の違いにまず驚くが、その文化は、見た目以上に異なっていたという、文化人類学的な異文化体験に似ていなくもない。私としては、文化相対主義的にそれぞれの価値を認めるという態度を保ちながら、違いは違いとして明確にしておきたい。

2つの文化に棲む人同士が一緒に暮らせるのかどうかは別にして、武器を振り上げて抗争することはない。互いに排斥し合うこともない。互いに恐れることも、軽んじることも、どちらも愚かなことです。陣営でも党派でもないでしょう。

定型俳句は、自分たちだけが俳句だなんて排他的優生学みたいなことを言うことはない。自由律俳句は、迫害された殉教者集団みたいに内側の結束ばかりに向かうこともない。

俳句は、どちらか一方しか棲めないというほど狭くはないのだから。

2011-01-16

真説温泉あんま芸者 第8回 サブカルの夜明け あるいは/しかし、映画「ヘリウッド」再見

真説温泉あんま芸者
第8回  
サブカルの夜明けあるいは/しかし映画「ヘリウッド」再見

さいばら天気



「ヘリウッド」(1982年・長嶺高文監督)という映画を宅配レンタルサービスで見つけた。欧州の昔の名画は抜け落ちが目立つ「TSUTAYAディスカス」が、なんでこんな「どマイナー」な映画を、と吃驚しつつ、借りてしまった。

私がこの映画を観たのは、封切り当時だから、もう30年近く前になる。記憶は朦朧としているが、シネマ・プラセットという風変わりな特設映画館で観たのだと思う。

はい、シネマ・プラセット(ネットで拾ってきた画像です)。


吉祥寺パルコの屋上に設営された銀色のドーム、シネマ・プラセット。いや、ここで観たのは、同じ長嶺高文監督の80年作「歌姫魔界をゆく」か。この監督のデビュー作「喜談 南海変化玉」は78年。80年開店の吉祥寺パルコはまだこの世にない。

って、なんで、長嶺高文監督というおそらく今では知る人もあまりいないであろう監督の映画を3本立て続けに観ているのだ、私は? 

それはそういう時代だったから。

という話はさておいて、このシネマ・プラセット、写真で見た感じよりも、実際にはかなり小さい。入ると、「小屋」くらいの印象だった。その後、渋谷に移設されたシネマ・プラセットでは、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」(80年)、「陽炎座」(81年)あたりも観たはずだが(いや、前者は違う館か?)。と、まあ、記憶喪失のような話をしていてもしかたがない。

そのへんはネットで調べればわかりそうなものだが、シネマ・プラセットに関する情報は多くない(≫google)。知人に「ヘリウッド」の宣伝材料の制作に関わったという人もいるのだが、わざわざ聞く気はあまりしない。80年代の初め、こんなヘンテコリンな移動映画館があったということをここに記しておくだけでいいような気がする。



さて、「ヘリウッド」。30年振りの再見。基本情報やあらすじは、こちらで済ませていただいて、どんな映画かというと、遠藤賢司演じる悪の親玉(子分は2人)対少女探偵団の戦い。当時、どんな感じで観たのかはほぼ忘れたが、ある程度ワクワクしながら観たのだろう。

で、いま、再び観て、どうかというと、なんだかとんでもなく安手。ロック・ミュージカル風のシーンが見せ場といえば見せ場。筋はこんがらがっている、というか、いいかげん、というか、ないに等しい。盛り上がりもない。そして驚いたことに、DVDではキャスト・スタッフのクレジットもない。

苔の恋愛を研究する科学者は、尾崎翠「第七官界彷徨」へのオマージュっぽいし、ヒトの内臓をいじくりまわすのは、前作「歌姫魔界をゆく」と同様。この監督の嗜好だろう。

ただ2点ほど、観るべきところがあった(当時はもっとあったのだろう)。

まず、遠藤賢司の歌のシーン。これはやはりいま観ても色褪せない。YouTubeで探したが、「ヘリウッド」の動画がないので、かわりに、1989年、テレビのスタジオライブ。



この「東京ワッショイ」が、映画「ヘリウッド」で二度ばかり演奏される。それはもうむちゃくちゃにカッコいい。

  いいときは最高、悪いときは最低♪

じつにそうですよね。東京は。

そして、もうひとつ、観るべきところ。齋藤とも子がかわいいこと(≫画像検索)。

この2点は、ああ、観て良かったな、と思いましたよ。



なんだか、まとまりがないのは、いつもどおりですが、関心のある方は、レンタルDVDで探してみてください。ただし、観て、怒らないでくださいね。

美少年がウンコを食べます。

ネズミの解剖シーンはおそらくホンモノです。

遠藤賢司の演技が「まあまあ巧く」見えるくらい、他の出演者の演技は全体に、あちゃー、です。

それをわかったうえで、観てみてください。おもしろいわけではないけれど、「こんな映画もあるんだな」という感慨のようなものが味わえるかもしれません。



1980年代の初めは、そういう時代だったような気がします。その頃の若いもん(私もかろうじて含まれる)はアンダーグラウンドなもの、マイナーなもの、エスタブリッシュメントからは忌み嫌われそうなもの、バカバカしいものに、いまから思うと異様なほど興味を持っていた。

いわゆるサブカル、日本的用語としてのサブカルは、80年代に本格的に始まっていると思います(あまり知らないのに、こんなことを言ってしまっています)。

いま、自分のまわりの世代を見渡すとき、80年代をどんな年齢で迎えたかで、大きく違うということを感じます。私は80年代を、25~34歳で過ごしました。〔80年代=青春〕とは言えない。でも、例えば、この週俳の上田信治さんは、19歳で80年代を迎えています。

信治さんと私と、違うところはたくさんありますが、何が違うって、80年代の過ごし方が違うのだと、私自身は思っています。

1980年代、このとき、いろんなもの、おもに芸術(アート)観、エンターテイメント観が大きく変わった。それを論じたものがあれば読みたいのですが、まだ発見できていません。『1Q84』じゃなくて、そんな本、そんな研究、見つけたら教えてください。当時のこと、もうすこし思い出すかもしれません。


2010-10-03

真説温泉あんま芸者 第7回 くぼまんと浅草 失われ続ける風景・その2

真説温泉あんま芸者
第7回  
くぼまんと浅草失われ続ける風景・その2

さいばら天気



浅草・雷門13:00に待ち合わせだったので小一時間早く出かけ、雷門横の三定(さんさだ)で昼食をとる。この店の天麩羅が旨いと思っているわけではない。私のなかのお約束のようなものだ。

人が混み合い数分待って座敷席へ。天丼(並)を注文。しばらくして隣に若いカップルが坐り、メニューを眺めて悩んでいる。配膳のおばちゃんに、「きつねうどんのようなものはありませんか?」

言葉で海外からの旅行者とわかった。日本語じょうず。私がソウルを観光したときは、ろくに韓国語を覚えなかった。

配膳のおばちゃんは冷たく、「ここは天麩羅」とだけ言って立ち去る。あの言い方はないなあ。差し出がましいとは思いつつ、メニュー3ページ目のいちばん上にある「天丼(並)」を奨めた。

おふたりとも笑顔がとてもキュート。かわいらしいカップルを見ていると、こちらまで幸せな気分になる。

訊くと韓国からの旅。パック旅行ではなく、ふたりで、ガイドブック片手に廻っているとのこと。オススメの名所を訊かれたので、「仲見世を歩いて浅草寺」という世界一当たり前のコースを言い、箸袋に地図を描く。ふたことみことの会話ののち(そのあいだも、ほんとキュートなおふたり)、こちらが先に食べ終えて、「旅を楽しんでください」と店を出る。

人を待つあいだ、雷門附近にたむろする観光客に、中国の人、韓国の人が多いことに、いまさらのように驚く。そのうち俳句仲間数名が揃い(つまり吟行ということ)、仲見世から浅草寺へ歩く。箸袋に描いた経路とおんなじだ。



浅草は、ながらく娯楽の中心であった。昭和初期まで東京随一の娯楽地であったのだ。

江戸時代初期、江戸城下の賑わいにともなって浅草寺境内および参道の露店が恒常化する。仲見世の誕生である。まもなく、明暦の大火(1657年)を機に人形町にあった遊郭街が浅草に程近い千束に引っ越してくる(吉原遊郭)。1842年(天保13年)には、日本橋方面から芝居町が、浅草の裏、隅田川沿いの一画に移転(猿若三座)。背後に芝居町と遊郭街をもつ浅草はいっそうの賑わいを見せる。

明治に入って、浅草寺境内は政府によって「公園」に指定され、やがて浅草公園は、江戸以来の娯楽興行に加え、多くの映画館(活動写真常設館)で賑わう。大正期には浅草オペラが人気を博し、関東大地震(1923年)以降は「レヴュウ」と呼ばれる軽演劇が隆盛をきわめた。

浅草が「東京随一の娯楽地」の座を確保するのは、この頃まで。1930年代なかばには、丸の内、日比谷、有楽町あたりが娯楽地として勃興。サラリーマン層、学生層はそちらへ足の向きを変える〔註1〕。浅草は、いわば「古く泥臭い娯楽地」として独特の地位におさまる。この時代に新旧対照の「旧」を担うという浅草の位置づけが定着し、現在に至っている。

以上が、娯楽地としての浅草小史をさらにかいつまんだ概説だが、浅草の特徴として、〈変化〉が浅草の主要な成分であったことを挙げていい。「古めかしい娯楽地」としてどんよりとした時間の流れに身を置くまでの数十年間(明治から昭和初期)、浅草は激しく変転した。

変化の背景には、娯楽地の常というか宿命といっていいのだろう、流行を追うことによって目先を変え、客足をつなぎ止めるという浅草自体の動きがあるが、それよりも外的な作用が大きく、それには2つのエポックが挙げられる。

ひとつは映画(活動写真)の移入〔註2〕、ひとつは関東大震災〔註3〕。巨大な娯楽文化の到来によって浅草は一変し、巨大災害によって浅草は一変した〔註4〕

町が一変するとは、それまで人々によって生きられた町が失われることだ。感傷的な言い方になったが、事実、町を語る人々の口吻は、しばしば感傷をともなう。

変化に対して、大まかにはふたとおりの対照的な反応をする。ひとつは「新しさ」へと傾く感情(新しい時代の称揚)、ひとつは「古さ」へと傾く感情(過ぎ去った時代への思慕)。後者が感傷の色合いを濃くするわけだが、喪失に気持ちをフォーカスさせれば、どうしたって「傷」をともなう。



さて、そこで、くぼまん。久保田万太郎(1889 – 1963)である。明治22年、浅草田原町に生まれた万太郎は、慶應義塾大学予科時代から小説・戯曲を「三田文学」に寄稿、卒業後、本格的な執筆活動に入る。

久保田万太郎は、随筆に東京ローカルな題材が多い。例えば、次に引く一文は「中央公論」昭和4年(1929年)2月号に掲載された「吉原今昔」(のち単行本収録時に「吉原附近」と改題)。活動写真の隆盛により、浅草公園のそれまでの様相が一変したことを嘆く。

玉乗だの、剣舞だの、かつぽれだの、都踊だの、浪花踊だの、さうした「見世物」の一部にすぎなかつた「活動写真」がその前後において急に勢力をえて来た。さうしてわづかの間にそれらの「見世物」のすべてを席巻し「公園」の支配権をほとんどその一手に掌握しようとした。と同時に「公園」の中は色めき立つた。新しい「気運」は随所に生生しい彩りをみせ、激しい用捨のない響きをつたえた。(久保田万太郎「吉原附近」〔*5〕
〈新しい「気運」〉は、前述の新旧対照のうち「新しさ称揚派」にとってはまさに価値。けれども、「旧派」にとっては、破壊者に過ぎない。
(…)幸龍寺のまへの溝ぞひの町も、さうなるとまたたく間に、「眠つたやうな」すがたを、「生活力を失つた」その本来の面目をたちまち捨てて、道具屋も、古鐵屋も、襤褸屋も、女髪結も、かざり工場も、溝を流れてゐた水のかげとともにいつかその存在を消した。さうして代りに洋食屋、馬肉屋、牛肉屋、小料理屋、ミルク・ホール、さうした店の怯(め)げるさまなく軒を並べ看板をつらねるにいたつた。……といふことは、勿論そのとき、その横町の、しづかな、おちついた、しめやかなその往来の、格子づくりのしもたやも、建仁寺の植木屋も「三番組」の仕事師も、いつかみんな同じやうな恰好の小さな店。……それは嘗て「公園」の常磐座の裏、でなければ観音堂の裏で念沸堂のうしろ、大きな榎の暗くしづかに枝をさし交してゐた下に限つてのみ出すことの出来た小さな店……銘酒屋あるひは新聞縦覧所……にたち直つてゐたのである。(久保田万太郎・同)
万太郎にとっては「しづかな、おちついた、しめやかな往来」こそが価値であり、〈変化〉はそれらが失われることにほかならない。

万太郎の保守主義は一貫している。次の一文は、関東大震災による〈変化〉を描き、嘆いたもの。興味深いのは、活動写真の席巻による〈変化〉を扱う前掲の一文との類似性である。新しい娯楽の移入による変化だろうが、天災による変化だろうが、万太郎にとっては、大差がない。いずれにせよ、すでにある秩序の〈喪失〉という点で共通なのだ。
田原町、北田原町、東仲町、北東仲町、馬道一丁目--両側のその、水々しい、それぞれの店舗のまへに植わつた柳は銀杏の若木に変つた。人道と車道の境界の細い溝は埋められた(秋になるとその溝に黄ばんだ柳の葉のわびしく散りしいたものである)。どこをみてももう紺の香の褪めた暖簾のかげはささない。書林浅倉屋の窓の下の大きな釜の天水桶もなくなれば鼈甲小間物松屋の軒さきの、櫛の画を描いた箱看板の目じるしもなくなつた。源水横町の提灯屋のまへに焼鳥の露店も見出せなければ、大風呂横町の、宿屋の角の空にそそる火の見梯子も見出せなくなつた。--勿論、そこに、三十年はさておき、十年まへ、五年まへの面影をさへさし示す何ものもわたしは持たなくなつた。(久保田万太郎「雷門以北」〔註6〕
引用が長くなるので、ここで小休止。以下が続く。
「澁屋」は「ペイント塗工」に、「一ぜんめし」は「和洋食堂」に、「御膳しるこ」は「アイスクリーム、曹達水」におのおのその看板を塗りかへたいま--さういつても、カフエエ、バア、喫茶店の油断なく立並んだことよ--たまたまへうきんな洋傘屋があつて赤い大きな目じるしのこうもり傘を屋上高くかかげたことが、うち晴れた空の下に、遠く雷門からこれを望見することが出来たといつても誰ももうそれを信じないであらう。しかくいまの広小路は「色彩」に埋もれてゐる。……といふことは古く存在した料理店「松田」のあとにカフエエ・アメリカ(いま改めてオリエント)の出来たばかりの謂ひではない。さうしてそこの給仕女たちの、赤、青、紫の幾組に分かたれてゐる謂ひでも勿論ない。前記書林浅倉屋の屋根のうへに「日本児童文庫」と「小学生全集」の厖大な広告を見出したとき、これも古い酒店さがみやの飾り窓に映画女優の写真の引伸しのかざられてあるのを見出したとき、さうして本願寺の、震災後まだかたちだけしかない裏門の「聖典講座」「日曜講演」の掲示に立交る「子供洋服講習会」の立札に見出したとき、わたしの感慨に背いていよいよ「時代」の潮さきに乗らうとする古いその町々をはつきりわたしは感じた。(久保田万太郎・同)
保守主義者〔註7〕・万太郎にとって、町とは、風景とは、失われ続けるものでしかない。



その日、私たちは、仲見世から浅草寺へ、世界一お決まりのコースを基本的に辿りつつも、途中、伝法院通りに廻り、六区をぶらぶらした。散策のどのコースにも、雷門あたりと同じく、外国人観光客は多かった。

そののち西浅草へと路地を抜け、句会場所たるナカジマさんの住処へと2時間近い散歩を楽しんだが、ナカジマさんの亡きご母堂の実家のブリキ屋のかつてあった路地には、焼き肉店が並び、プチ・コリアンタウンとも言うべき様相。

私たちの世代が暮らしてきた半世紀ほどのあいだにも、このあたりはずいぶん変わったのだろう(ちょっと足を伸ばした吉原付近も激変のはず。売春防止法は昭和33年・1958年の出来事だ)。

万太郎が、いまも生きていて、浅草が、例えば、東アジアからの観光客で溢れているこの景色を見たら、どのように嘆くのだろうか。

嘆いてもしかたがないという話がしたいわけでも、私自身が嘆きたいわけでもない。私たちが暮らす地理はつねに変化するというあたりまえのことを書きとめたというだけだ。

  柳散り蕎麦屋の代のかはりけり  久保田万太郎



〔註1〕新しい娯楽センターの勃興については以下の拙記事を参照。
東京スペクタクル コモエスタ三鬼・第9回

〔註2〕草創期の映画について:
映画の発明を、1989年、トマス・エジソンによる「キネトスコープ kinetoscope」とすることもできるが、これは覗き眼鏡式だったので1回に1人しか見れず(日本にあった覗きカラクリ、起し絵のようなもの)、興行的な成果は望み得なかった。その後、1895年に、アメリカのフランシス・ジェンキンスが「ヴァイタスコープ vitascope」を、同年、フランスのルイとオーギュスト・リュミエール兄弟が「シネマトグラフ cinematograph」を発表、後者を映画の祖とする説が(シネマの語が定着したことからも)一般的。

驚くべきは、「ヴァイタスコープ」「「シネマトグラフ」発表の翌年、1986年(明治29年)には日本に輸入され、翌年1987年にかけて本邦初公開。当初は芝居小屋や劇場を使っての上映だったが、1903年(明治36年)には、それまで軽演劇の小屋だった浅草の電気館が、日本最初の活動写真常設館として新装オープン。活動写真は、10年とかからずに、人気娯楽として定着した。
※筈見恒夫『映画五十年史』(鱒書房1942年)、御園京平『活辯時代』(岩波書店1990年)ほかによる。

〔註3〕関東大震災を社会史上・文化史上の分水嶺とする指摘は数多い。以下の拙記事を参照
「大好きなアメリカ」との戦争:俳句的日常

〔註4〕太平洋戦争のインパクトは、浅草の激変期(明治から昭和初期)には時代的に含まれないので、とりあえず言及しない。

〔註5〕サイデンステッカー『東京 下町 山の手』TBSブリタニカ/1986年・引用より孫引き。

〔註6〕東京日日新聞社編『大東京繁盛記・下町篇』春秋社/1928年)

〔註7〕保守主義(conservatism)の語を、政治的脈絡よりも本来的(と私が思う)用法で使っている。例えば、列島を改造した田中角栄は保守主義ではなく、革新主義(progressivism)の政治家であるという捉え方。