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2021-06-27

それぞれの頂を目指して 岡田一実『光聴』インタビュー 聞き手・編集:高松霞

〔岡田一実『光聴』特集〕
それぞれの頂を目指して
岡田一実『光聴』インタビュー

聞き手・編集:高松霞


コロナ禍のなか、持病の統合失調感情障害を抱えながら俳句をつくり続ける俳人がいる。見える世界を微細に描写した新作句集『光聴』(素粒社)について、著者の岡田一実さんにインタビューした。

1976年生まれの岡田さんは、29歳から俳句を始めた。きっかけはペットの犬が亡くなったことだったという。「大学時代に母が死に父が死に、ペットまで死んでしまって、悲しかったんです。何かその悲しさを残しておけないかなあと思って俳句を始めました」2011年に私家版『小鳥』を制作。2014年『境界-border-』(マルコボ.コム)、2015年『新装丁版 小鳥』(マルコボ.コム)、2018年『記憶における沼とその他の在処』(青磁社)と次々に刊行。そして2021年に『光聴』を出版。句集をつくることは「少し良い帯を着せてもらうこと」だという岡田さん。『光聴』に収められた句を解説していただくと、ひとりの人間の人生観がかいま見えてきた。


■コロナ禍でつくられた句

ーーー雨の句がとても多いですね。〈樹に雨の重さ加はる春にして〉〈柚は黄に雨の向うは日の差して〉など、全編に渡って見られます。

雨は好きですね。雨の日に出かけて行って句を作るのが好きです。晴れている日とは光の屈折が違うので、物の見え方が変わってくるんですよね。雨って邪魔くさく感じるかもしれないですけど、その光の感じが違うのを書きたいなあと思って、出かけて行きます。

ーーー墓の句も印象的です。〈柿赤きこととは別に墓の列〉〈収骨は素手に骨割る雪催〉などがあります。 

私は浄土真宗のお寺に生まれたので、なんとなく親しい感じがあるんだと思います。原点というか。生きて死ぬことの象徴としてとてもわかりやすいアイコンに親しみを感じてしまう。「ああ、人間は必ず死ぬな」とか(笑)。面白いなあと思って、用がなくても墓地に入ってしまいますね。

ーーーコロナ禍でつくられた句もありますね。前書きが付いていて、〈我妹子が結ひて紐を解かめやも絶えは絶ゆとも直に逢ふまでに(笠金村)と応へよ紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉とあります。

夫がエッセンシャルワーカーで、いわゆるステイホームと言われた時期も出ていかなきゃいけなかったんですね。本当に怖くて。私自身も夫も、うつしてはいけないし、うつってはいけない。毎日仕事に出ていくのがつらくて、それが〈紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉になりました。前書きの万葉集の歌、この場合の紐は下帯なんですけど。万葉の世界の人たちは、それを解かれると不吉なことが起きるっていう文化があったらしくて。「絶えば絶ゆとも」は「切れてしまうことがあっても」という意味。「妻が結んでくれた着物の紐をどうして解くものか。たとえ切れることがあろうとも、直接妻に逢うまでは」という歌です。帯が解けてしまう不吉性みたいなものを、夫が仕事に行くたびに感じていたんです。


■障害を抱えながら俳句と向き合う

ーーー持病の幻聴について伺います。〈幻聴とふ痼疾と別に秋の声〉〈幻聴のこゑより近く虫のこゑ〉など「音」ではなく「声・こゑ」を使っていますね。

声以外の音は聞こえないんです。意味としての声が聞こえる、統合失調感情障害を持っています。5年ほど前から症状が悪化して、人の声が聞こえるようになって。なんていうんですかね、ヘイトスピーチみたいな。それが知人の声で再生されたりとか、今日会った人の声で再生されたりとか、昨日の句会の声を拾ってきたりとか。そういう悪質な声がずっと聞こえていまして。疑似体験できるサイトがあるので、よければご覧ください。ぜひ体調のよいときに。

ーーー障害を抱えながら、俳句とどのように向き合ってきたのでしょうか。

私は生きているという広義のキャリアの中で、病気とか服薬とか障害とか、家族の機能不全によると思われる人生のブランクがたくさんあって。俳句を始める29歳までは文芸にも携わることもほとんどなくて入院ばっかりしていたんです。けれど、本や辞書やインターネットなどのテクノロジーや、いろんな助けがあって今に至るんですよね。目が悪ければ眼鏡をかけるように、知識が足りなかったら補助テクノロジーを使う。その中で、自分の可能な詩性を磨いていけばいいのかもしれない。たぶん、知的エリートの人はこういう風には言わないかもしれないと思っているんです。いろんな補助のものを使いながら、私も含めて、多くの人が俳句を作っていくのがいいのではないかな、と思います。


■素十と誓子、『光聴』の中にあった変化

ーーー『光聴』の各章を通して読んだときに、前半と後半で書き方が変わっています。後半は前半よりも描写的ですね。なにか心境の変化があったのでしょうか。

そこを読んでいただこうと思って編年体にしました。2018年「描線」、2019年「解纜」、2020年「こゑ」と書き方が変わっていくのを楽しんでいただけないかなあと思って。前半の方が修辞に複雑さがあり、読み進めるに従って複雑さが減って、頭のなかで立ち上がる景が早くなる読み心地ではないかと自分で思いました。前半は頭のなかで景色を立ち上げようとしたときに、少し癖のある、言葉を言葉として考えてしまうようになっていると思います。「描線」のころはまだ『記憶における沼とその他の在処』と近い書き方をしていて、句集を読んだり、本を読んだりしながら、そのインスピレーションを書くのが基本でした。でも、途中で高野素十(1893-1976)に出会ったんです。第一句集の『初鴉』がものすごく面白くて。

ーーー高野素十は高浜虚子に師事した俳人ですね。代表句に〈方丈の大庇より春の蝶〉〈ひつぱれる糸まつすぐや甲虫〉などがあります。

素十は「客観写生」俳句の頂点と言われています。私も現場で書こうと思って、現場主義、吟行主義に変えたんです。素十を読んだあとに山口誓子(1901-1994)を読んで、大正客観写生の人たちを読んで。写生ってなんだろうと改めて模索しました。客観写生とは言いますが、この場合の客観というのは、実は正確ではないと思っています。客観写生とは、一般に思われる第三者的視点で書くということではなく、「主観的な直感を人間的でウエットな情の直接的叙述から距離を置いて叙することで一般性や普遍性を獲得し共通理解を拡張してみせる試み」なのではないでしょうか。素十には、そこに加えて技巧の洗練がある。核心から入るんですよね。たとえば〈翅わつててんとう虫の飛びいづる〉。常識的には「てんとうむしが翅をわって飛んでいった」という順番で書くと思うんですよ。でも素十は「翅わつて」から見せた。直感を核心として書くのがすごくスリリングで。それから、客観写生の巧みさだけではなく諧謔がある。素十には肝の底が揺れるようなおかしさがあるんですよ。

ーーー山口誓子も、高浜虚子に師事した俳人ですね。代表句に〈夏の河赤き鉄鎖のはし浸る〉〈かりかりと螳螂蜂の皃を食む〉などがあります。

今回の句集は山口誓子の影響も大きいです。一般的に生活していると認知は道具的価値、つまり、おそらく生存に役立つ価値のある概念を、点から点に移るように自然に背景化しているように思います。本当は実在は点と点の間にも続いているのに意識されない。その点と点の間を言葉によって意識化させ、現前化してみせることで、新しいという感覚を呼び覚ます。そうした試みを誓子の『激浪』などから始まる中期の作品の中に見ました。これは現代の感覚から言っても方法として光るものがあるのではないでしょうか。誓子の試みはやたらに点と点の間を埋めるのではなく、驚きという情動の到来を感受する閾値を下げて、只事すれすれにミクロの崇高を見出す、という志向だったのではないかと思います。

ーーー『光聴』には〈可笑しいと思ふそれから初笑〉〈読初や♨︎にゆじるしとルビ〉など、おかしみや驚きのある句も多いです。やはり影響を受けているんですか?

『光聴』では「この句はこの句の影響を受けています」というのは減ったんです。素十や誓子などの考え方をインストールして、自分の吟行体験を通して書いていく、というようなことをやりました。たとえば素十のおかしみみたいなもの、一回一回、「世の中ってなんなんだろう?」って立ち止まるところに変なおかしさがある。ゆじるしの句は、〈♨︎〉だけではゆじるしと読めない。その後に〈ゆじるし〉と書いてあるからゆじるしと読める。わからないものが後に示されることによってわかる不可逆性みたいなものが、出たらいいかなあと思って。


■タイトルを『光聴』にした理由

ーーーいま、俳句以外で興味のあることはありますか?

やっぱり認知が好き。認知科学とか、認知の動き。2年ほど前に、角川俳句で「俳句とは○○のようなものである」の○○を埋めなさいという宿題が出たことがあって。そのときに考えたのが、「俳句は認知の森」。『光聴』を編んでいるときに『アフォーダンス』(佐々木正人/岩波書店)っていう認知科学の本を読んだんです。私たちは目で見ながら耳で聞きながら味わいながら、複雑に絡み合いながら物を見ている。私たちの世界はマルチモーダル(多重感覚的)にできていると、この本によって知りました。私の句にもそういう部分がかなりあると思い、タイトルを『光聴』にしようと思いました。

ーーー『アフォーダンス』はジェームス・ギブソンが1960年代に完成した理論で「環境が動物に与え、提供している意味や価値」のことですね。いまも人工知能の設計原理や人と機械のコミュニケーション、プロダクトデザインや建築などのモノづくり、絵画やアニメなど、アートの領域でも注目されています。

著者の佐々木さんが後書きに「ギブソンの理論に出会うと、肩の力が抜ける思いがする。『あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、お前が発見するのをいつまでも待っている』というギブソンの声が聞こえるような気がするからだ」と書いてらっしゃって、これは俳句もそうだと一人で拍手してしまいました。「あせらなくてもいい。俳句になる詩は環境(広義)に実在して、お前が発見するのをいつまでも待っている」と思うと励みになりますよね。

それから、大塚凱さんのインタビューを興味深く拝読しました。 AI一茶くんには7万句ほどの俳句情報と画像などが学習データであるそうですね。名句を残すという享受者主体の価値観で考えたならば、近いうちに芸術的に高い句を量産できるようになるかもしれませんし、将棋や囲碁は既にAIに人類は敵わなくなっています。ただ、芸術の側面には創作者やプレーヤーの慰撫という部分もあると思います。俳句創作を名句を残すための手段と捉えるとAIに敵わなくなってしまうけれど、創作営為そのものの慰撫の部分はそれとは別の価値として残るかもしれません。では、慰撫であれば低いままでいられるかといえば、そのなかでも高いものを作りたい、目指したいという欲望は共有され続けるのではないでしょうか。


「この世は変!」

ーーー俳句だけではなく、短歌や詩や小説に転向する可能性はありますか?

たぶんあまりないですね。それぞれ読むのは好きなのですが、目指しているものが違うような気がします。俳句を作っていても思うし、読んでいても思うのは、この世は変! 俳句を通してみると、この世は全然予想通りにできてなくて驚くことに満ちています。微小な驚きは尽きることがないんです。いかに普段は固定概念で生きているか、俳句を通すととてもよくわかります。俳句の短さは、極小の驚きを書くのに向いていると思います。

俳句という創作において「みんな違ってみんないい」というのは現実把握としては少々粗いなと思っています。どのような方法をとるにせよ、そこに芸術的な高低はある。ただ、富士山のような頂点が一つの大きな山を登っていくというイメージではなく、それぞれ別々に頂がある。それぞれに方法があり、高さは開かれているというイメージが私にはフィットします。その開かれた高さを今後も模索しながら切り開いていけたら嬉しいです。



2021-03-14

芭蕉から進むために 『連句新聞』創刊のこと 高松霞

芭蕉から進むために
『連句新聞』創刊のこと

高松霞


連句には「芭蕉に帰れ」というフレーズがある。十八世紀後半、芭蕉五十回忌から百回忌にかけて起こった蕉風復興運動のスローガンである。そして時折、現代連句の座においても同様のフレーズが口にされる。「芭蕉によれば」「芭蕉に用例がある」「芭蕉に帰れ」……しかし我々は本当に芭蕉に帰るべきなのだろうか? そこで、現代連句の作品を鑑賞し、この疑問への答えを導き出してみたい。

2021年春に連句総合サイト「連句新聞」がスタートした。全国10結社の連句作品と連句内外の創作人コラム、新形式を紹介するコーナーなど、現代連句の最新情報が網羅できるサイトである。

現代の連句作品は連句界の中だけで流通しており、外部からは実体が見えない状態が続いてきた。そこで、高松霞と門野優が「連句に興味のある人なら誰でもアクセスできる場所を」というアイデアでつくったものである。年四回、四季に合わせた作品を掲載し、現代連句とはなにかを提示できる媒体を目指していく。

では実際に「連句新聞 春号」の作品を見ていこう。

花冷やメモ箱からは物語 小池正博
 猫のよこぎる闇に東帝 角谷美恵子
春雷は寝床の中で遠く聴く 蒲生智子
(半歌仙「花冷えや」の巻)

「大阪連句懇話会」の作品。第三まで引用したが、幻想的で詩性の強い流れである。発句、メモ箱からしたためられた物語が出現し、それは闇の中の猫と春の神であった。第三で「寝床」という現実へ転じている。

フクシマのデブリ鬱々月凍る 山地春眠子
 息止めて聴く神の旅立ち 岡部瑞枝
約束を守らぬと蹴飛ばしますわ 春眠子
(二十韻「瞬転の無重力」の巻)

東京の「草門会」の作品。東日本大震災直後、震災に関する語句について山地春眠子は「まだ早い」と言って採らなかった。連句には時事句が組み入れられるが、いつ、なにを、どのように詠むのかについて、捌きと連衆は見極める必要がある。

手放しの猫好きがゐて恋すてふ 志乃
 「私の罪」をほのと匂はせ  真紀
きぬぎぬの改札通る右左  祐
(歌仙「蝶の風信」の巻)

東京の「解纜」の作品。猫好きが恋を捨て、それを罪だと言って改札を抜けていく。連句では恋句は3~4句続けるとされており「ベタ付き」になりがちだが、この作品は句ごとに場を転じている。繋がっているような、いないような、現代連句らしい絶妙な距離感である。

しずしずと朱夏をつらぬく僧の列 狩野康子
 放射線にも河童軟骨 永渕丹
仮の家にとてちれしゃんと生きている 丹
(胡蝶「純心が」の巻)

「宮城県連句協会」の作品。河童軟骨とは、鳥の胸骨の先端部をいう。宮城県連句協会の作品にはたびたび震災詠が含まれる。被災者としての実感がありつつも俳諧味がある句である。

麦藁帽にせめて黒いリボン付け 鈴木漠
 噛む青林檎に問ふ実存 三木英治
夢を印刷する機械を想像 梅村光明
(糸蜻蛉「遠き春」の巻)

兵庫の「海市の会」の作品。糸蜻蛉は林空花創案「胡蝶」のヴァリエーションで、中盤が自由律になる。今回引用したのはその部分である。空想的な内容の中にある、黒、青、夢という色の展開が面白い。

現代の連句人口は減少の一途をたどっている。連句とは何かと聞かれたときに提示できるのは『芭蕉七部集』しかなく、子規の「連俳は文学にあらず」という言葉以降、近現代の連句史は停滞している。しかし、「連句新聞」にあるように連句の座は各地に点在している。連句を主に行う作家は高齢化しているが、短歌や俳句といった背景を持つ若手作家が連句を巻いたという声も聞くようになった。筆者が各地で行っている連句未経験者のためのワークショップ「連句ゆるり」も来年10周年を迎える。連句は蕉風の思想を持つ者だけのものではないし、連句の作法を知る者だけのものでもなくなってきているのだ。個の文芸が根底にある現代において、連句は個人と個人、作品と作品を繋ぎ合わせていくことを目標とすべきなのではないだろうか。それが連句史の更新に繋がるのだとしたら、いまの我々が唱えるべきは「芭蕉に帰れ」ではなく「芭蕉から進め」なのだ。