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2024-12-22

石田波郷『鶴の眼』の挑戦 ──拾遺との比較を交え 岡田一実

 石田波郷『鶴の眼』の挑戦
──拾遺との比較を交え

岡田一実

(「南風」2021年11月号より転載



石田波郷『鶴の眼』(昭十四年、沙羅書店)は昭和六年から昭和十四年までの作品が収録されている第二句集であるが、波郷の後記には「厳しい意味では第一句集と敢て言へなくもない」とあり、

バスを待ち大路の春をうたがはず
あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
吹きおこる秋風鶴をあゆましむ


など現代でも人口に膾炙する句を多く収めている。

同時期の拾遺が『石田波郷全集 第一巻』(昭和四十五年、角川書店)で確認することが出来るが、拾遺にある初期作品を読めば波郷が早い時期から格の高い俳句を志し、レベルの高い実践を残していたことがわかる。そこから更に大きな意図と野望と挑戦を持って『鶴の眼』を世に問うたのではなかろうか。

両者を比較しながら、どういった特徴の句を残し、或いは落したかを眺め、どのような試みを世に問うたか見ていきたい。


一、人物

人物を直接的に特定して書いた句の数の比較によって、拾遺と『鶴の眼』の興味の方向性の違いを知ることができる。

拾遺においては第一位「子(または『をさな』)」(24%)、第二位「ひと」(19%)、第三位「我」「友」(6%)である。

『鶴の眼』においては第一位「ひと」(24%)、第二位「子」(12%)、第三位「我」(8%)である(パーセンテージは「人物を直接的に特定して書いた句」の総数を母数とする)。

この中で明らかに句の内容に差があるのが「子」である。

をさならと服脱ぎそろへ渚邊に 「拾遺」
潮に入る罵りさそふ子らの中に 〃
兒等の髪すゞしき雨のつぶに濡れ 〃

靑蛙兒等が掌ひらき跳ばし競ふ
 〃

連作において特定の語彙の使用率が上がることを考えても、拾遺には若齢者への眩しみを叙景的に描きつつ読者の情動に訴えかける句が多い。若齢者は主体的に生きる者としていきいきと描かれている。

『鶴の眼』ではどうか。

靑林檎子が食ひ終る母の前 『鶴の眼』
かなかなに母子の幮のすきとほり 〃
髪結ひが子を抱きはしる大旱 〃
初鰹ひとの母子を身の邊 〃


多くの「子」は親とセットで描かれ、個性は乏しい。

代わりに増えるのは「ひと」である。

拾遺では「雷とゞろき人は待ちしに輕雨なり」などに例があるが、「ひと」という大きな概念を積極的に打ち出す方法は『鶴の眼』の方が意識的と思われる。

片影やひとみごもりて市の裡 『鶴の眼』
ひとの家に頽れたりし芥子を思ひ寢る 〃
ひとゝゐて落暉榮あり避暑期去る 〃
靑林檎ひとの夏痩きはまりぬ 〃
梅雨の空ひとが遺せし手鏡に 〃


属性を剥いで単純化されることによって他者は普遍性を帯び、さらに他者性を深める。そこに作中主体の孤独を垣間見ることも可能であろう。


二、私性

自らの像を作中主人公として意図的に描くような書きぶりを「私性」と捉えるならば、拾遺よりも『鶴の眼』に色濃くある。拾遺では「秋山のこのまなびやに讀むこゑす」などに試作的風合いを感じるが、

春の街馬を恍惚と見つゝゆけり 『鶴の眼』
朝刊を大きくひらき葡萄食ふ 〃
路次照れり葡萄の種を吐きて恥づ 〃
夜も汗し獨り袴を敷いて寢る 〃
直歸る秋日の艫にうづくまり 〃
人幼く木に名を刻む我は無花果に 〃
ジヤズ寒しそれをきゝ麺麭を焼かせをり 〃


など、その方法に恃むところは大きかったように思われ、後年の「俳句私小説論」の原型と見られる。

自らに起こる一回だけの偶然を描くことによって誰にでも起こり得るという可能性の中に普遍性を浮き上がらせる手法と思われる。


三、具体と肉薄

拾遺の句をより肉薄化させ『鶴の眼』に至らしめた思われる句が数句ある。

朝さくら主もわれもくちすゝぎ 「拾遺」
①' 嗽霞を見つゝ冷たかりき 『鶴の眼」
臥て讀む書寒し手足は寢をもとむ 「拾遺」
②' 雪霏々とわれをうづむるわが睡 『鶴の眼』


①②は具体的ではあるがやや緩い報告である。一歩踏み込んだ把握により①'はアクチュアリティを②'は理知的詩性を得た。


四、詩的誇張

拾遺には薄く、『鶴の眼』に際立つ方法の一つが詩的誇張である。

寝し町の涼しさ盡きず月明り 『鶴の眼』
兜虫漆黑なし吾汗ばめる 〃
昆蟲類あまねくみたり指をみる 〃
ひとの家の金魚赤からず汗滂沱 〃
靑林檎ひとの夏痩きはまりぬ 〃


現実の景色から考えると言い過ぎとも解されるような大胆な詩的誇張により、「今ココ」の狭隘さを抜け、イデアに迫らんとする試みであろう。一歩間違えれば陳腐になりやすい方法であるが、濃い叙情性を獲得している。


おわりに

若齢者への眩しみを描写すると詩に瑞々しさが加わりやすくなる。しかし波郷はそれを過去の詩とうち沈め、孤高へと乗り出した。

代って恃んだ方法は、私性の一回性による普遍性の湧出や把握の深化、詩的誇張による理想世界への接近であったと考えられる。

序に横光利一は「この書はただ單に未来の問題の露頭を潜ませてゐるのみならず、古への美と競ひ立たうと希ふ靑春の美が沈着な豊かさで然も柔らぎを含み、微妙繊細な華やかさの中に幽情をさへ失はず、近代の浮薄と品位に轉質せしめてゐる高弧な抒情をもつて巻き立ち昇つてゐる。殊にここに露れたこの開花の放つ光鋩の特長は、われわれが詩形の單位の何ものかを探るに好個の典型となつてゐる明快な垂直性である。この垂直性こそ古典へ通じる唯一の道だと思ふ」と記した。

波郷の古典への挑戦の表現は現代の我々にとっても学ぶべき点が多い。


2024-06-30

田中泥炭【句集を読む】岡田一実句集『醒睡』を読む 『醒睡』ノート

 【句集を読む】

『醒睡』ノート
岡田一実句集『醒睡』を読む
 
田中泥炭


0.楸咲く現いづこも日に傷み 

楸は秋の季語として歳時記に採集されている。諸説ある曖昧な言葉だが、基本的には葉に関係する事柄から秋季と定まったようだ。一方で楸は夏に開花する植物でもある。しかしその現実は歳時記に載っていない。歳時記というものは共同体的認知の集積であり、物事の美しい側面を保存してくれる。だが一方で、代表的な側面が定着すればするほど、他の側面を見え難くするのだ。共同体的認知として言葉の表皮に築かれた既知、その明るさの裏側で認知の影へと追いやられる物事の傷み。現実社会にも相通じる物事の関係性を象徴的に表した一句と言えよう。

 掲句は岡田一実の第5句集『醒睡』その巻頭句である。物事のあるが儘を仔細に叙述することで、生生しい現実の諸相を言語芸術へと昇華させる。また、写生の王道をゆく筆致の裏側に控える作者独特の思想的深まり、その実践度の高さをも窺わせる句集と言えよう。様々な角度から語られるべき句集だと思うが、本稿においては一句単位の価値判断ではなく、岡田が『醒睡』に込めたであろう思想の轍を、言語化可能な範囲で探っていきたい。


 1.模倣による再認識

岡田は写生俳句の名手である。少なくとも筆者はその様に思っている。だが「写生」とは一体何であろう。この問いに精神的な側面が絡むと、その答えは複雑多岐な物となり、枝葉を数えるが如きとなる。だがより単純な行為性から捉えれば、幾つかある最低限度の共通項として”言葉による対象の模倣”という要素を挙げる事ができる。そして筆者は、”模倣の意義”に関して十分な説明をなすだけの言葉に既に出会っている。それは小田部胤久の著書『西洋美学史』に引用された、ドイツの哲学者ハンス・ゲオルグ・ガダマーの言葉だ。ガダマーは「模倣の認識上の意味は再認識である」とした上で、次のように主張している。

再認識においては、われわれの知っているものが、それを引き起こすもろもろの状況の持つあらゆる偶然性や可変性を脱して、いわば照明されたかのように現れ出て、その本質において捉えられる。‥‥‥「既知のもの」は再認識されることによって初めてその真の存在(sein wahres Sein)に到達し、存在するがままに自己を示す(小田部胤久『西洋美学史』より引用)

著者である小田部はこの言葉に続いて次のように述べる。

われわれにとって世界における多くの事柄は「既知のもの」であり、われわれはそれを知っている(と思いなしている)。だが、こうした事柄を描写する芸術作品と出会うとき、われわれはその事柄とあたかも初めて出会い、それを初めて見知ったかのように感じることがあろう(同上より引用)

岡田が写生した対象物は、一見明らかな既知であっても不思議な鮮やかさを宿している。それは岡田がガダマーの再認識に近い方法で対象を捉え、我々の凝り固まった認知に心地よい一撃を与えるからと言えるだろう。

 靴下のうへ膝頭アッパッパ
 脇見せて天を差しをり甘茶仏 

アッパッパという言葉に包摂され、認識されなかった肉体の奇妙さ、甘茶仏という信仰の対象物に包摂された人間味ある卑属さ。岡田は季語という共同体的認知、つまり”既知”に包摂された物事を言葉によって照射し、鮮やかな未知として掬い出しているのだ。それは「読初や繪にほほゑめる子を挿繪」「秋風や蛸の繪のゑむたこ焼き屋」「書きし字を折りて手紙や秋深き」「歯に圧しオクラの種の舌に出づ」「考へてゐて考へと蚊の痒み」「読む文字のまはりの文字や秋灯」等にも見て取れるように、季語に限定されることなく日常的な出来事に対して広く敷衍されている。


 2.価値判断の停止

既知に対する照射という意味において、「楸咲く現いづこも日に傷み」も再認識の句と捉えてよい。寧ろ、この句は波郷の「霜柱俳句は切字響きけり」の様に、作者の理念を象徴した特別な一句だと言えよう。だが、岡田俳句の大部分を占めるのは、理念を先行させた俳句ではなく(結果的に理念に結び付くとはいえ)「読初や繪にほほゑめる子を挿繪」の様に、通常は句材から零れ落ちそうな物事を異様なほど実直に見据えた写生句である。

  眼鏡取り春セーターに頭を通す

掲句は日常を簡素な言葉で切り取ったものである。その”一見の”些末さは、例えば相子智恵の「群青世界セーターを頭の抜くるまで」との比較、更に深入りすれば、そこから連想される水原秋櫻子の「滝落ちて群青世界とどろけり」により構築される言語的理想美の世界を前に明白になると言えよう。だが岡田は”仔細な叙述“によって些末さを乗り越えている。掲句であれば〈眼鏡取り〉という一見有効成分の低い措辞に、微かな時間の撓みが織り込まれているのだ。この仔細さが生み出す措辞の過剰性は「買ひし土筆を手づからに煮たりけり」「借りて読む雪岱図録たまに咳」「読める頭にふと白菜の全き画」「落ち来たるむらさきの実の弾け飛び」「思ひ出して舌打ちひとつ春の風」等にも共通するものであり、岡田の修辞的特徴の一つだと言える。
 
 闇高き天や秋星つどひ這ふ

集中に多数現れる”複合動詞”も、対象を仔細に叙述するという岡田の修辞学、その一面と言えよう。動詞を仔細に表現する、動詞を細分化する事により、読者の認知を開いてゆくのだ。岡田の複合動詞は掲句以外にも「指に紙魚潰し引きしや筋に跡」「萍の根やみづげぢが揺らし食ひ」「橋桁に流れ分かれて靫草」「その花粉選り食ふ虻や銀梅草」「曼殊沙華揚羽は吻を伸べ挿しぬ」など枚挙に暇がない。加えて、動詞に関しては「柵越えて他の木を巻いて糸瓜垂る」のような重用、「凍天や逆ほどばしる鐘のこえ」「雲二筋その間黄濁る月の暈」「紺青の海を深敷く山や冬」等の動詞に属性を付与するような方法も駆使されている。

このように、岡田は些末さに接しながらも、物事の生な在り方を仔細に叙述することよって、それらを言語芸術の高みへと引き上げていく。その過程で用いられる言語表現の新味も岡田俳句の魅力ではあるが、そういった修辞的側面にも増して魅力的なのが「眼鏡取り春セーターに頭を通す」「読める頭にふと白菜の全き画」のように、通常は句材から零れおちそうな出来事を確実に捉えている部分だ。何故この様な事が可能なのだろうか。

 首赤き鳥や何鳥枯木山

掲句には些事以前の混沌とした状態、認識が構成される前段階が捉えられている。この様な認識を宙吊りにした句は「煤逃のひと何ゆゑか歩み止み」「嗅ぎこれは枯れしシソ科のを何かとふ」「椿見て薔薇の如きと思ひ言ふ」「花びらを呉れ何の花蓮の花」「花の名をググり確かに甘野老」など集中に多数存在しているが、この傾向自体が先程の疑問の答えと言えるだろう。つまり岡田は書く前に”対象の価値”を問うていないのだ。認識の立脚点が非常にプレーンなのである。筆者はこれを”価値判断の停止”と呼びたい。岡田の観察眼を支える屋台骨は、この価値判断の停止なのではないだろうか。


3.定石という既知

さて、再三の言及となり恐縮だが”些末さ”とは初学の罠と言われる。筆者自身も句会等で「ただ事」「あるある」など、紋切型に両断される句を数多く見てきた。だが、岡田はこの様な定石をこそ閲しているように思われる。巻頭句でも言及した様に、定石もまた季語と同じく言葉の上に既知を構築し、言語表現を抑圧している可能性があるのだ。実際に、岡田は定石の代表格といえる”季重なり”にも検討を加えている。

 花虻の二つ上れる藤の空
 熊ん蜂乗り溝蕎麦の花下がる
 黄なる蝶すり抜け枝垂櫻かな

実作者なら誰しも「一句に季語はひとつ」、複数の季語を用いる場合は「季語に主従を」等と指導された経験があるはずだ。だが熟達者であるはずの岡田の『醒睡』には季重なり、それも大胆なものが見られる。上記の句群は”季重なり”かつ”季語間の主従”に計らわない句である、教義ある場所では不遜と見做されるものかもしれない。だがこの瑞々しい命の輝きを見よ。季語と季語が季語という軛を越え、相互に関係しながら生々しい現実の美を開示している。 

なお、誤解がないように付言するが、筆者は岡田が共同体的な価値観を否定する作家である等と主張したい訳ではない。句集の最終版の内容(後述)からして寧ろ逆であり、岡田は俳句の敬虔なる徒とすら言える。だがそれ故に、岡田は”あたりまえ”とされる事柄の本質を見極めようとする。動詞の多用にしても言語効率的からすればセオリーとは言えない。詳細な叙述は「些末を避ける」という定石に対応していた。考えてみれば、前述した価値観の停止も「多作多捨」という理念を本質論的に深めた物と言えるかもしれない。“経済効率性””タイパ“等という言葉が跋扈する社会において、詩型の理念や定石を検討するという営為は、その正着の無さから言って正に無用の無用であろう。だが、そこを乗り越え「何故○○なのか」という本質を言語化できた者にとって、その定理はハウツー的・便宜的な理解に基づく実践よりも、遥かに本質的な物として日常に敷衍されるのだ。筆者は岡田の句群にそのような凄味を感じている。


4.異質なる句群

これまで『醒睡』のある種”俳句的”な側面について語ってきた。だがこの句集には、語る上で避けて通れない異質な句群が存在する。それは連作として銘打たれた「非想天」「十方罪」「早春遊望讃」「深轍」「とこしなへ」「青海波」「常詩品」「喜劇」(旅吟を除く)及びP84-85の三文字俳句である。

凪の穢と哪吒の遊戯と冬日向    「非想天」より抜粋(以下同じ)
他が岸の博徒を蒸して気密の慮 「十方罪」
濁点の余寒のドグマ旗のうへ  「早春遊望讃」
日々祝日たましひを緋の深轍  「深轍」
話者滅し非読のこゑの詩かな   「とこしなへ」
又烏瓜の末路の熟知の朱    「青海波」
果は川うすき皮其を梳る    「常詩品」
コロス溶け飽き日が鳥世界   「喜劇」
無を陽             (P84) 

便宜上これら句群を『醒睡』のB面と呼ぼう。B面の句群にある異質さは、例えばP42-45において展開される七七句、そして同じく七七句でありながら「喜劇」と銘された連作を比較すれば解りやすい。筆者は前者の句群をB面に数えなかったが、それは連作銘有無の問題でなく、韻律としての共通項はあれど内容が全く異なるからである。前者は内容として具象的であり、A面の俳句(前項までに紹介した句群)と同じベクトルにあると言えよう。だが「喜劇」は作句の契機となった対象物(具体的事物または概念)の存在は感じさせるものの、表現の面では具体性が明らかに後退しており、抽象度の高い言葉優先の作品群となっているのだ。ここでは伝達性(読者)は余り重要視されていない。B面の句群には、言語嚢を自由に解放し、積極的に言葉に溺れようとする筆致がある。

だが、このような言葉優先の作品に対して、その賛否は別れる事が普通であろう。かくいう筆者も「日々祝日たましひを緋の深轍」「又烏瓜の末路の熟知の朱」など感銘を受けた句がある一方で、言葉優位の過剰さを受け止めきれない部分もあった。だが、言葉優位の書き方とは本来その様な物である。そして、こうも思う。言葉の沼に自ら溺することでしか書けないもの、開かれない領域が確かに存在すると。そしてB面の句群における言語的試行の到達点こそが、『醒睡』中における奇書的部分であり最早C面とでも言うべき「世瀬 幻景韻詩論」の句群なのではないのか、と。

みちのをしの

みりむに

なは  「世より


(週刊俳句スタッフ註:WEB掲載時、原句の視覚効果を正確に再現できませんでした)


「世瀬」は視覚効果が施された句群であり、横文字での転載は作者の本意には添わないと思われる。従って引用は掲句のみとするが、この一句だけでも「世瀬」の作品が意味伝達を目的としていない事が十分に理解されるであろう。それはB面の句群よりも徹底された物であり、換言すれば”読者”に向けられた言葉ではない。そして更に言えば”俳句”に向けられた言葉でもない。俳句よりも更に根源的な”何か”へと宛てられた作品群なのだ。その何かに言及することは、推論に推論を重ねる所業に他ならないが、一つの思考実験として、国文学者である折口信夫の言葉を引用しつつその正体を探っていきたい。 

日本文学が、出発点からして既に、今ある儘の本質と目的を持って居たと考へるのは、単純な空想である。其ばかりか、極微かな文学意識が含まれて居たと見る事さへ、真実を離れた考へと言はねばならぬ。古代生活の一様式として、極めて縁遠い原因から出たものが、次第に目的を展開して、偶然、文学の規範に入つて来たに過ぎないのである。

似た事は、文章の形式の上にもある。散文が、権威ある表現の力を持つて来る時代は、遥かに遅れて居る。散文は、口の上の語としては、使ひ馴らされて居ても、対話以外に、文章として存在の理由がなかつた。記憶の方便と伝ふ、大事な要件に不足があった為である。記録に憑ることの出来ぬ古代の文章が、散文の形をとるのは、時間的持続を考へない、当座用の日常会話の場合だけである。繰り返しの必要のない文章に限られて居た。ところが古代生活に見えた文章の、繰り返しに憑つて、成文と同じ効果を持つたものが多いのは、事実である。律文を保存し、発達させた力は、此処にある。けれども、其は単に要求だけであつた。律文発生の原動力と言ふ事は出来ぬ。もつと自然な動機が、律分の発生を促したのである。私は、其を「かみごと」(神語)にあると信じて居る。/折口信夫『国文学の発生(第一稿)』より

 ここで折口は、言葉が文学(表現)への歩みをはじめたその原点を、巫師の神がかりにおいて表出される律文「かみごと」に求めている。勿論、日本文学の最古として遡れるものが、既に文芸として高度に構築された記紀歌謡である以上、折口の説は永遠なる推論である。だが、韻文が世界中の言語において存在する事に鑑みれば、表現の原初が人類に広く存在する祭式にあるという結論は、非常に説得力のある推論に思われるのだ。 

翻って「世瀬」の言葉であるが、テクスト上この連作の韻律性は明確ではない。だが、その構成には韻律的な萌芽があるし、岡田自身の肉声(『醒睡』は作者による朗読音声を聴くことができる)を参照すれば、そこには確かな韻律性を確認できる。この様な韻律の上に意味が構築されない、ある種の“呪言”のような言葉の在り方に、折口が言及する「かみうた」への回路を幻想するのは突き抜け過ぎだろうか。だが、筆者はこの言葉の在り方に、かつて聴いた宮古島の神歌を連想する。普段我々が伝達の便に用いる言葉とは全く異なる、明らかに人間以上の存在に向かって捧げられる言葉の質感。そういった言葉の在り方を「世瀬」と想い並べるとき、その様な推論にも一筋の芯が通るような気がするのだ。勿論、宮古の神歌が古くて土着的なものとは言え、「かみうた」と比べれば高度に構築された音楽的表現である。従って「かみうた→神歌→世瀬」等と一足飛びに主張することはできない。だが「世瀬」の副題たる「幻景韻詩論」という言葉の意味を考え、こと律文という要素に限定すれば、「世瀬」と神歌における近似値の先に、原初の律文たる「かみうた」の在り方、その可能性の一つへと触れる回路が発生するように思われるのだ。混沌から誕生した喃語的律文、表現の構築へ至ろうとする未分化な声。「世瀬」は”読者”でもなく”神”でもなく”俳句”でもなく、表現の原初をこそ宛先とする言葉として、律文の”源始“が”幻視”された句群なのではないだろうか。


5.日の当たる櫻の花や影を裡

岡田は句集末の数ページを季語の代表格とでも言うべき桜(及び関連季語)の句群で占めている。このエピローグ的展開が桜の季語によって為されているという外形的な要因だけで捉えれば、岡田が俳句の歴史が培ってきた共同体的価値観へ無条件に立ち戻るように見えるかもしれない。だが、この句群には「ぼんやりと山に日の入る桜餅」「花むしり嗅ぎそこそこで川に捨つ」「花の刃は諸手の法を南より」「擬人の死寄進の花の骨まつり」「俤の花は胡乱の由を巻く」「兄のなか滅多櫻の気を結ひき」など、『醒睡』において展開されたきた作風が通覧的に納められている。そして掲句は、桜の句群の最終句(巻末句)として、その意味を象徴的に引き受ける作品であると同時に、恐らくは巻頭の一句「楸咲く現いづこも日に傷み」と対になる俳句である。岡田は“楸咲く”において、既知に覆われた物事(未知)の傷みにより添う事を作句上の姿勢として宣言した(と筆者は解した)。それは俳句形式を閲し、負荷をかけてゆく旅の始まりでもあった。だが一方で、その終着点である「日の当たる櫻の花や影を裡」においては、物の陰陽たる未知と既知が同等の存在として、傷めあうことなく花弁に納まっているのだ。

つまり、掲句及び桜の連作がなす調和的な世界観は、一実作者が俳句の歴史性へと還流する姿を、エピローグ的に示した句群には違いない。だが同時に、それは試行錯誤の終りを意味するものではなく、寧ろこれまでの試行錯誤を俳句の歴史へと捧げ、さらに豊かな表現を“共に”目指さんとする心の現れなのだ。俳句形式にお礼肥を施すが如く、自身の句業を俳句へと還していく。そんな一俳人の姿がテクストを越えて浮かび上がってはこないだろうか。

岡田は写生という俳句の王道を進みながらも、季語や理念の内側に対して思想による検討を加えてきた。そして連作俳句において写生的表現を離れ、「世瀬」に至っては俳句そのものを離れたのである。しかし最後の最後、岡田は桜の句群によって句集を閉じた。この往還的かつ美しい終焉に、筆者は最大限の賞賛を送りたい。『醒睡』は一冊の句集でありながら、岡田の思索が刻まれた思想書でもある。筆者は岡田の句群からその外形を推論的に探ったに過ぎないが、本稿が誰かの参考となれば幸いである。



岡田一実句集『醒睡』 2024年5月/青磁社


2024-05-05

靴音頭に来る 小笠原鳥類

靴音頭に来る

小笠原鳥類


岡田一実『篠原梵の百句』(ふらんす堂、2024)から、いくつかの俳句を「」、そして思ったこと。数字はページ

ドアにわれ青葉と映り廻りけり」6

緑色のガラスがあれば、妖怪のような布と踊っている。回転する豆腐を持っている妖怪だ

葉のみどりかたちうしなひ窓を過ぐ」28

レタスを食べているレストランが、四角い建物である透明だ。くだものの破壊

紙の網あやふくたのし金魚追ふ」32

テレビは、ワニのような、ものだろう(木と宇宙から来ている砂)。動物と鳥

カーテンのレースの薔薇が空に白し」42

粘土を見ている恐竜が象である、のではないだろうかと思っているエビ。あのエビ

葉桜の中の無数の空さわぐ」50

エイ(軟骨の魚)それは軟骨の魚だ、水族館をペンギンになって見ています絵本

脚をつたひ凍てし靴音頭に来る」62

怒っているんだろうなあ。あるいは音頭(靴を歌って、踊っている喜び)

空の奥みつめてをればとんぼゐる」116

現実のアメーバが虹のような、怪獣だ怪獣だ、いつまでも廊下とオルガンと悪

泳ぎ着き光りつつ岩をよぢのぼる」186

肺魚のようなキノボリウオであると、翼竜は電気を出すウナギのように思うスポーツ。鱈

欅から枯れて形のいい葉降る」198

イカのように、ウミウシが、写真で見ることができる、鳩だ




2023-02-26

三島ゆかり【句集を読む】岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む

【句集を読む】
岡田一実『記憶における沼とその他の在処』を読む

三島ゆかり


本稿は最初『らん』第八四号(二〇一九年一月二〇日発行)に紙幅が限られたかたちで掲載され、のち『ウラハイ=裏「週刊俳句」』(二〇一九年四月一六日)に全文が掲載された。今回転載にあたり多少の改稿を行った。

『記憶における沼とその他の在処』(青磁社、二〇一八年)は、岡田一実の第三句集。四章からなり、章ごとにしかけがあるようである。頭から見ていこう。

1.暗渠

暗渠とはいうまでもなく、川を治水、衛生、交通などの観点から上にふたをして見えなくしたもの。川としてなくなった訳ではなく、暗いところで脈々と流れているところが眼目である。普段気にかけることはないが確実に存在するものへのまなざしは、岡田一実にとってのテーマであろう。 

火蛾は火に裸婦は素描に影となる  岡田一実

巻頭の句である。「火蛾は火に」で切れるという読みもあり得るが、「火蛾は火に」と「裸婦は素描に」とが助詞を揃えた対句で、両方が下五の「影となる」にかかると見るのが順当だろう。しかしながら「火蛾は火に/影となる」と「裸婦は素描に/影となる」は「影となる」のありようが全然違う。前者は単に火という光源に対し火蛾が光源を遮ることを言っているのに対し、後者は光源を遮るという意味ではあり得ず、芸術作品の完成度に関わる内面的な描写のことを言っている。次元の異なるものをあえて対句とすることにより、この句自体が曰く言い難い影をまとっている。その曰く言い難い影とある種の水分が、まさに「記憶における沼」のように、句集を読み進めるにつれ繰り返し現れるのに読者はやがて直面する。巻頭の句にふさわしい一句であろう。

眠い沼を汽車とほりたる扇風機

二句目で「記憶における沼」の核たる「沼」が出現する。「眠い沼」とは現実界の沼に対する措辞なのか、それとも心象なのか。そのあたりはっきりしない茫洋とした感じこそがこの句の味なのだろう。ノスタルジックに汽車が通り、人がいるのかいないのかも定かでない世界で扇風機が回っている。

蟻の上をのぼりて蟻や百合の中

全句鑑賞になってしまいそうな勢いで恐縮だが、三句目も押さえておこう。この句では句集全体を通じて見られる外形的な特徴がはっきり見てとれる。ひとつはリフレインである。以前『ロボットが俳句を詠む』の連載で後藤比奈夫について書いたことがあったが(『みしみし』第五号参照)、そこで触れたリフレイン技法のすべてを岡田一実はマスターしている。巻頭の「火蛾は火に」など、むしろリフレインの新たな領域を開拓している感もある。もうひとつの特徴を言えば、十七音の調べの中で岡田一実のいくつかは、短い単位をこれでもかと詰め込んだ感がある。とりわけ下五への詰め込み効果については別の句を例にあらためて触れたい。

暗渠より開渠へ落葉浮き届く

治水行政が進んでしまったので、暗渠から開渠に転じる場面はそうあるわけではないが、あるところにはある。流れ出た落葉を見て、暗渠区間の様子に思いを馳せている。「浮き」「届く」と動詞を畳みかけることにより、着地を決めている。とりわけ「届く」が絶妙である。

喉に沿ひ食道に沿ひ水澄めり

水を飲んだときの快感を詠んでいるが、詠みようは暗渠の句と同じで、体内の見えない器官に思いを馳せている。「水澄む」は伝統的には地理の季語であるが、もはやなんでもありである。ちなみに章に六十句ほどあるうち、二十句近くはリフレインや対句を使用している。いかにその技法にかけているかが偲ばれる。

馬の鼻闇動くごと動く冷ゆ

馬にぎりぎりまで迫って詠んでいる。馬に慣れ親しんだ人ならこうは詠まないだろう「闇動くごと動く」の違和感、下五に押し込めた「冷ゆ」が喚起する鼻息の温度差、湿度差がよい。下五の残り二音で切れを入れて来る、この危ういバランス感覚はリフレインへの信頼があるからできることなのかも知れない。「闇動くごと動く」に律動的に現れるgo音がなんとも不気味である。

2. 三千世界

現代国語例解辞典(小学館)から引く。①「三千大千世界」の略。仏教の想像上の世界。須弥山を中心とする一小世界の千倍を小千世界、その千倍を中千世界といい、更にそれを千倍した大きな世界をいう。大千世界。②世界。世間。「三千世界に頼る者なし」

①の説明によれば、三千というより、千の三乗、ギガワールドである。章中「三千世界にレタスサラダの盛り上がる」という句がある。外食業界で一時期、大盛りの極端なのを「メガ盛り」とか「ギガ盛り」とか言っていたような気もするが、それはさておき「三千世界」、どんなバラエティの世界なのか見て行こう。

夢に見る雨も卯の花腐しかな

甘美である。夢と現実とが「卯の花腐し」という古い季語によって融けあっている。「夢に見る雨も」に現れるm音の連鎖と「夢」「卯の花」「腐し」で頭韻的に現れる母音u音によって、やわらかな雨のなかにとろけてゆくようである。

早苗饗や匙に逆さの山河見ゆ

こちらは徹底的に頭韻にsa音を置いて調べを作っている。早苗饗は田植えが終わった祝い。ほんとうに匙に逆さの山河が見えたのかはどうでもいいことだろう。音韻的な美意識によって句集に彩りを添えている。

あぢさゐの頭があぢさゐの濃きを忌む

リフレインの句である。「あぢさゐの頭」は植物としてのアジサイの意思なのか、七変化する作者の意識のことをそう呼んでいるのか。もはや区別する必要もないのが、作者にとっての「三千世界」なのではないか。

夕立の水面を打ちて湖となる

湖に降る夕立は、ただちにそのまま湖水となる。明らかなことがらをあえて俳句に仕立てているわけだが、このように書かれると、夕立と湖が一体となる不思議を思う。ここでも「夕立」「打ちて」「湖」と母音u音を畳みかけて調べを作っている。

母と海もしくは梅を夜毎見る

三好達治「郷愁」の一節に「――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。/そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。」があるせいで、後から来た私たちは類想を封じられてしまった感もあるのだが、岡田一実はさらにこれでもかと「梅」「毎」を重ね、あっさりとハードルを越えてしまった。

どうだろう。なにかしら言い止めるべき現実があって俳句をものしていると思っていると、岡田一実の表現しようとしていることは、捉えられないのではないか。岡田一実の「三千世界」は俳句としての調べや表記の純度を追求した、架空の世界のような気がする。

3.空洞

この章では何句かごとに鳥が飛び、ひとところに留まらない。

麺麭が吸ふハムの湿りや休暇果つ

岡田一実の食べ物の句は必ずしも美味しそうでない。つきまとうノイズのようなものを正確に捉えている。朝作ってもらったお弁当のパンを昼食べるときの情けないようなだらしないような感じ。その通りなんだけど、それ、詠みますか。

口中のちりめんじやこに目が沢山

すでに口のなかに入っているのにちりめんじやこの目の気持ち悪さに言及してやまない、この感じ。「栄養なんだから食べなさい」と叱られる子どもの恨みのようである。

かたつむり焼けば水焼く音すなり

これは食べ物の句なのか。エスカルゴとは書いていない。あえてかたつむりと書きたかったのではないかという気もする。食べ物の句だとしたら、いかにも不味そうである。ちなみに俳句にとってはどうでもいいことだが、ネットによれば、自分で採ってきたカタツムリを食べるには、二三日絶食させるか清浄な餌を食べさせ続ける必要があるらしい。

火を点けて小雨や夜店築くとき

「水焼く」といえば、こんな句もある。また最終章には「雨脚を球に灯せる門火かな」というあまりにもうつくしい句がある。なにかしら煩悩のように、気がつくとまたしても水がある感じ。それが記憶の沼につながって行くのかも知れない。

煩悩や地平を月の暮れまどひ

「くれまどう」は通常「暗惑う」「眩惑う」と書き、悲しみなどのために心がまどう、どうしたらよいか、わからなくなる、といった意味だが、ここでは敢えて「暮れまどひ」と書き、月が暮れることができないというシュールな情景を重ねている。

室外機月見の酒を置きにけり

かと思うとこんな句も。こんなふうに風流に詠まれた室外機を私は知らない。

ちりぢりにありしが不意に鴨の陣

ここまで挙げたような日常些事から心象まで多岐にわたる対象世界を、いちいちご破算にするかのように数句ごとにさまざまな鳥が飛ぶ。掲句以外にも「常闇を巨きな鳥の渡りけり」「飛ぶ鴨に首あり空を平らかに」「歩きつつ声あざやかに初鴉」など。句集におけるこういう鳥の使われ方は、見たことがなかったような気がする。

揚花火しばらく空の匂ひかな

この章の最後を飾る句である。「火薬の匂ひ」ではない。「空に匂ひ」でもない。書かれた通り「しばらく」、「空の匂ひ」と置かれた六音を書かれた通り玩味する。そして記憶の中をさまよう。幼年期の記憶は理路整然と分析できない渾然一体の「空の匂ひ」としか言いようのないものだ。そして詠嘆する。

4.水の音

最終章では特に章頭の句「海を浮く破墨の島や梅実る」と句集全体の最後を飾る「白藤や此の世を続く水の音」に見られる「を」について注目したい。これらの「を」は岡田一実にとって万感の「を」であり畢生の「を」であるはずだが、現代日本語としてはいささか尋常ではない。『岩波古語辞典』の巻末の基本助詞解説によれば、格助詞の「を」は本来、感動詞だったものがやがて間投助詞として強調の意を表すようになったらしい。そこからさらに目的格となるくだりを少し長くなるが引用する。

こうした用法(ゆかり註。間投助詞として「楽しくをあらな」のように使われていたことを指す)から、動作の対象の下において、それを意識するためにこの語が投入された。そこからいわゆる目的格の用法が生じたものと思われる。しかし、本来の日本語は目的格には助詞を要しなかったので、「を」が目的格の助詞として定着するにあたっては、漢文訓読における目的格表示に「を」が必ず用いられたという事情が与っていると思われる。

対象を確認する用法から、「を」は場合によっては助詞「に」と同じような箇所に使われる。たとえば、「別る」「離る」「問ふ」などの助詞の上について、その動作の対象を示すのにも用いる。また、移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示すことがある。

後者の例としては以下が挙げられている。「天ざかる鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ」〈万三六〇八〉「長き夜を独りや寝むと君が言へばすぎにしひとの思ほゆらくに」〈万四六三〉

違和感ゆえに詩語として絶妙に意識させられる岡田一実の「を」は、作者の意図はさておき、日本語の用法としては万葉集由来のものだということらしい。「移動や持続を表す動詞の、動作全体にわたる経由の場所・時間を示す」という用法を頭に叩き込んでおこう。

海を浮く破墨の島や梅実る

破墨は水墨画の技法だから、一幅の作品に対峙していると見るのが順当だろう。描かれたときから作品の中でそうあり続けている海と島の玄妙な関係に思いを馳せる。そんな時の流れを想起させもする「梅実る」がよい。モノクロームの世界に取り合わせられるふくよかな緑。

白藤や此の世を続く水の音

過去から未来までの長大なスケールの中での自分が今生きているこの一瞬。水がある限り白藤を愛でることができる生命体が長らえる。句集の最後を飾る、そんな万感の「を」だと思う。

2023-02-19

三島ゆかり【句集を読む】岡田一実『光聴』を読む

 【句集を読む】

岡田一実『光聴』を読む

『みしみし』第9号(2021年夏至)より転載

三島ゆかり

『光聴』(素粒社、二〇二一年)は、岡田一実の第四句集。ツイッターを見ていると、岡田一実がものすごいいきおいで後藤比奈夫や山口誓子の全句を読破している様子がリアルタイムに伝わってくるのだが、それらは自身の句作にどのように反映しているのだろうか。頭から見ていこう。

描線

本章には二〇一八年の句が収められている。一頁に三句ずつ配置された句集の最初のページを見よう。

疎に椿咲かせて暗き木なりけり  岡田一実

いきなり意表をつかれる。現実には椿の木に花が咲いている訳だが、まるで花と木が別物であるかのような書きっぷりである。でも認識の仕方としてじつに正しい。私たちは花が咲くことによって「椿が咲いた」とか「山茶花が咲いた」と認識するのであって、花以外の部分は名もない「暗い木」でしかない。この大胆な書きっぷりこそが、科学ではない俳句の方法である。

空に日の移るを怖れ石鹼玉

直接的には石鹼玉をなんら形容していないのに、石鹼玉が石鹼玉として漂う刹那を詠み上げ、油膜のぎらぎらさえ見えるようである。擬人化の手法で対比的な大景を取り込み、擬人化にありがちな陳腐さをも回避して巧みである。

白梅の影這ふ月の山路かな

渋い。花そのものでも香りでもなく、月光によって地に生じた梅の影を詠んでいる。影でありながら「白梅」と明示することにより、モノクロームな世界を描くとともに季感をも持たせている。

最初のページから、俳句の素材になりそうもないありふれた景が、熟練した俳句の方法により次々、句としてスリリングにせり上がってくる。私は最後まで読み通せるか。

雨の中賑はふ川よ菜の花よ

雨によって川は勢いを増し、菜の花は生気を取り戻す。そのことを一語で「賑はふ」と言い止めている。ちなみに雨の句は多いかもしれない。ここまですでに「かんばせに雨のかかるも梅の花」「樹に雨の重さ加はる春にして」がある。また「賑はふ」については後で「虹立ちて市をにぎはふ銭の音」という句もある。

唾もて濡るる氷菓かなしも海を見る

霜状になった表面を舌で舐めるとそこだけ霜が溶ける。ソーダ味のシャーベットなら青が濃くなる。それだけのことを擬古典で句に仕立てている。家持の「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」や虚子の「川を見るバナナの皮は手より落ち」を呼び込み、かなしい。「かなしも」の「も」は詠嘆の係助詞。

描線を略さず烏瓜の花

夜に咲く烏瓜の花は、星形の花弁の回りに無数の糸状のものがレース編みのように広がっている。その糸状のものは一本一本が夜目にくっきりとしており、決してもやもやではない。その自然界のありようを「描線を略さず」と言い止めている。「描線」は本章のタイトルともなっており、作者にとって二〇一八年中の会心の句だったに違いない。

金魚田に空映る日の金魚かな

出荷され金魚売りに揺られたり金魚掬いに追われたり小さな金魚鉢に閉じ込められる苦難を思うと、金魚田にいる時期は金魚にとっていちばん平安な時期なのだろう。後藤比奈夫風のリフレインで詠嘆しているが、「空映る日の」が心憎い。リフレインの句では他に「鶏のまへ鶏の影ある西日かな」「送火の烟とものを炊く烟」「縄跳の吾をはなれて吾の影」などがあり、舌を巻くばかりである。

火の上の秋刀魚の眼沸きにけり

いわゆる台所俳句であるが、それ俳句にしますか、というなんでもないものをみごとに仕立てている。

数へ日や重ねて玻璃の青く澄む

年末の大掃除で窓を全開にしていて、重なった部分が光の加減で青く見えるのだろう。古くからある家の、木枠のガラス窓に違いない。  

解纜

続いて二〇一九年の句である。

書初の墨を遁るるみづの跡

ひらたく言えばにじみのことだろうが、「跡」となる前の刻々と紙の繊維を伝わり広がる水の様子を思い起こさせる。

狐火にけもの心や跳ねて飛ぶ

一転して諧謔の句である。なんだか楽しい。

ものの芽や空かたぶくと風あふれ

この一句だけ見ると科学的知識の欠如のようにも見えるが、前句「渦潮のうづ巻く前の盛り上がり」からページをめくるとこの句で、エネルギーの詩的イメージが推移している。また大地に視点を落とした「ものの芽」から一気に空に視点を転じているので、立ちくらみにも似て「かたぶく」が効いている。

雨は灯に乱れて夏の欅かな

灯火に照らし出された雨がひときわ激しく見えるのはおなじみの光景だが、背後に暗く欅がそびえている。どこか原風景のようでもある。ちなみに「雨は灯に」とか先に見た「疎に椿」「空に日の」「火の上の」など、上五で短い単語を畳み掛けてリズムを作るのが、一実は憎たらしいほど巧い。

水流を逃しながらに蛇泳ぐ

蛇自身が流されないように水流と接する面積が最小になるように棒状を保ちながら泳ぐ訳だが、「水流を逃しながらに」が巧い。失われつつある見なれた田園風景の句としては他に「沢音のごと蟬のこゑ湧き揃ふ」「照りまさりたり夕方の雲の峰」「冬雲うごく明るきところ変へながら」などがある。詠み尽くされたはずの景と対峙し、今なお格調ある調べとともに新たな句が生み出されるのは驚くばかりである。

駆けて来る夏の帽子を手づかみに

「おっと、危ないよ」といったところか。つばが広いので顔も姿さえも見えないのである。近所の子だろうか。他に「流れくる浮輪に子ども挿してあり」「吾
を見て縄跳のまま横へ逸(そ)る」などがあるが、人間関係の距離がクールで、ありがちな吾子俳句やお孫俳句とは一線を画している。

こゑ

二〇二〇年の句である。この句集には三年分が収められているが、厚さにして三分の二ほどは二〇二〇年の句にあてられている。この年人類はコロナ禍というスペイン風邪以来の災厄に直面した訳だが、誓子が太平洋戦争で失われ行く人々の暮らしを俳句で書きとめるべく『激浪』を残したのと同じことを岡田一実はやろうとしたのではないか。手当たり次第に書きとめようとしたのだろう。興が乗ると、同じ題材が何句も続く。それは蟭螟であったりバナナであったり枯れた向日葵であったり滝であったり背子であったりする。全体を浴びるべきものであるが、泣く泣く切りとって何句か見てみよう。

初旅や脚を交互に前に出し

あまり歩くことのない日常生活なのだろうか。ことさらにいう「脚を交互に前に出し」が可笑しい。たまさかの歩ける喜びと若干の負荷をひしと感じているのだろう。

松明のあと一月の依然とある

松明のあとの一月の長さは、一般人よりも俳人にとってより長く感じられるのではないか。太陽暦が採用されたあと、歳時記には春夏秋冬の他に新年が追加され、新年によって冬が二分された。立春までの残りの冬はなんだか収まりの悪い期間なのである。

昼よりの雪を灯しの中に見る

降雪の少ない地方であれば、まだ降り続いていることにそれなりの感慨があるだろう。

梅まつり幟の裏の鏡文字

寒々とした梅林を盛り上げるためか、梅まつりにはやたら幟が目につく。簡素な幟なので、逆方向から見れば字は裏返り、ますます寒々とする。山口誓子は連作を構成する際に、フィクションとして美的空間のみを描くのではなく、それをぶち壊しにするような題材を敢えて加えた。例えば「天守眺望」に「桐咲けり天守に靴の音あゆむ」を加えたり、「枯園」に「部屋の鍵ズボンに匿(かく)れ枯園に」を加えたりする、露悪趣味と言ってもいいやり方だ。岡田一実があえて触れなくてもよい負の題材をも詠まずにいられないのは、誓子の影響もあろう。「密に糞あり鳥の巣とわかりけり」のような句にも、それは感じられる。

半袖を長袖に替へ袖を折る

ちょっと肌寒いなと感じて長袖に替え、結局袖を折っている景のようでもあるが、エアコンが苦手とか蚊が苦手とか日焼けが苦手とか、いろいろな理由で外出時に半袖を選ばない人は少なくない。

雨後そのまま明るくならずソーダ水

ソーダ水が似合うのは行楽とかデートなので、本来浮き浮きするべき場面で心が晴れないのだろう。季語の選択だけでドラマを感じさせる。

水馬の水輪の芯を捨て進む

水馬の一歩ごとに水輪が広がる訳だが、広がりに着目するのではなく「水輪の芯を捨て」と捉えたところに俳人ならではの目を感じる。

裸寝の醒めデバイスに顔灯す

スマホ画面の明るさを詠んでいる。「西鶴忌Bluetoothに歌を聴き」という句もあったが、岡田一実が詠んでいるのは現代の今である。

草刈の歩むに障るところのみ

三鬼に「雪ちらほら古電柱は抜かず切る」があるが、それに通じるものを感じる。割り切った業者の仕事は限定的であるが、それを批判することは俳句の役割ではない。事実を記録するばかりである。「蜘蛛の囲を撮る其を払ひ他を撮る」も。もっとも、草刈も撮影も自分がやっているのかも知れないが…。

藤万緑日を洩らしつつ日を断ちつつ

葉の茂る藤棚だろう。日覆いとして下にベンチが置かれたりもするが、人工物ではないので差し込む日もある。「日を洩らしつつ日を断ちつつ」のリフレインに夏の午後の静寂を感じる。

水着著て水着素材の上着著る

ボレロのようなものが組み合わされた水着だろう。「ああ、あれ」としか言いようのないものを持って回って「水着素材の上着」と表現していてなんとも可笑しい。

繋がつてゆく人影と片蔭と

片蔭の始まりのようなところで、暑を逃れ炎天から人が集まってくるのだろう。次々と人影は片蔭と一体化する。あるいは、片蔭を行くのだが人影がはみ出しているのかもしれない。いずれにしてもシルエットだけに着目して詠んでいて面白い。

吾がキャンプ他家のキャンプと関はらず

現代というのは家族単位で孤独なのかも知れない。誓子流の吐いて捨てるような否定形を用いている。家族については、「行く秋の余所の家族と昇降機」という句もある。

麦茶沸かす傍に冷たき麦茶飲む

昨今は水出しのティーバッグとかペットボトルの麦茶もあるが、美味しさから言ったらきちんと沸かしたものが格別だろう。玉の汗を流して麦茶を沸かしていると、横では冷蔵庫から冷えた麦茶を出して飲んでいる。家族って楽しい。

一ト時の間を片蔭のひた伸び来

昼下がりのちょっとした時間にも太陽は回り片蔭が伸びている。たっぷり詠んだ「一ト時の間を」と対比的に詰め込んだ「ひた伸び来」の塩梅がよい。

光を引く宙の万緑地の万緑

「白猪 六句」と前書きのある一句目である。滝の上にも下にも万緑があり、それを下から見上げている構図だろう。「光を引く宙の万緑」の措辞が神々しい。

顔弾く滝の風なる水の粒

同じ句群の一句である。滝壺あたりの空気感を捉えて余すところがない。

蜻蛉つかふ空そのうへの空高し

蜻蛉はそんな高いところは飛ばない。蜻蛉にとっての交通機関かなにかのような「つかふ」がよく出てきたものだ。その上にははるかな秋の空があるのだ。

ゑのころの翠も金も一叢に

気がつけばすっかり枯れている猫じゃらしだが、過渡期には一叢に枯れていないものと枯れたものが混在することもあるのだろう。「翠も金も」の措辞が雅である。

読んでゐる字の脳に鳴る榠樝の実

「かりん」と鳴ったのである。

栗飯や食卓のほか灯を滅し

この句を読みながら、自分の行いを振り返った。確かに食卓に座る前にキッチンを消灯する。節電もあるけれど、そうではなくて、ここまでは調理モード、これからは食事モードないし団欒モードという切替のために消灯しているような気がする。

一切のせせらぎが夜や冷まじく

句集全体の掉尾を飾る句である。「小田深山 六句」と前書きがある句群の最後でもある。かなり賑やかだった一日もすっかり寝静まり、せせらぎの音ばかりが聞こえるのだろう。災厄に見舞われた二〇二〇年を締めくくることばが「冷まじく」であるが、そこには祈りにも似た明日への希望が込められているのではなかろうか。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」の「一切のせせらぎが夜」である。

2023-01-22

岡田一実氏の問題提起 第42回現代俳句評論賞受賞のことばから 夜來風雨

岡田一実の問題提起
第42回現代俳句評論賞受賞のことばから

夜來風雨


11月12日、北九州市・JR九州ステーションホテル小倉にて第59回現代俳句全国大会および、各賞受賞式が行われた。

第22回現代俳句大賞は川名大、第77回現代俳句協会賞を林桂、堀田季何、第42回現代俳句評論賞を岡田一実、第23回現代俳句協会年度作品賞を松王かをりの各氏が受賞した。中村和弘会長は川名氏の功績として「新興俳句を体系づけて、しかるべき俳壇的な位置に置き、かつ、作家を発掘したこと」と称賛した、とある。特に、僕が注目したのは、岡田一実氏の受賞だった。

2022年現代俳句10月号で、岡田一実氏は、自らが、統合失調感情障害という障害を持っていると述べる。そして、杉田久女も晩年は精神病院で過ごしたと述べる。岡田一実氏は、杉田久女は、何重もの偏見に満ちた眼差しを受けることになる。さらに、強固な男尊女卑社会で女性俳人として読まれる困難さもあったと述べる。彼女の「伝説」が俗情を駆り立ててきた。しかし、久女自身のテクストを少しずつ読むうちに、私には彼女の一般に考えられているものとは別の像が見えてきたと岡田一実氏は述べている。久女は優秀で、努力家で、センスが良く、他者に完璧を求めるきらいがあった。彼女には深い共感と感銘を覚えながら、今回の評論を書いたと岡田一実氏は述べている。

現代は、久女の頃よりは、男尊女卑社会がいくぶんか改善されてきたが、依然として深く女性差別が残っている。…久女も優れた評論を数多く残した。現代俳句協会には審査員のジェンダーバランスの是正を求めるとも述べている。久女のテクストそのものが広範に読まれるようになれば幸いと述べている。以上、2022年現代俳句評論賞受賞のことばを2022年現代俳句より引用した。

第42回現代俳句評論賞受賞の岡田一実氏の受賞は、差別や偏見に苦しむ俳人の契機に変わっていく。社会的なマイノリティー差別や、女性差別、そういったものを岡田一実氏の受賞は、俳壇に問題提起している。

2022-09-24

ガイノクリティックスってなんだろう 小林苑を

特集「女性」と俳句

ガイノクリティックスってなんだろう

小林苑を


岡田一実さんが現代俳句評論賞を受賞したというので早速拝読した直後、たまたま松本に出かけることになった。久女の代表句の場所であり、季節なのだ。

紫陽花に秋冷いたる信濃かな

少し青を残した枯れ紫陽花かもしれない。乾いた空気と山に囲まれた信濃という響き、久女の生理的感受性とそれを表す言葉選びの鋭さを実感した。

杉田久女ほどさまざまに書かれた俳人はいないのではと思う。評論だけではなく、小説にも幾度となく取り上げられている。ひとつには俳句作品がそれだけ魅力的なのであり、もうひとつはその言動が俳句界にとって枠を外れたものとして受け止められたから、なのだろう。

加えて言えば、その枠を超えて突進する相手が「大悪党」を名乗って見せる虚子だったから。この評論を読むまでは殊更に久女に向き合うことはなかったのに、手元の伊藤敬子『久女の百句』を読み返し、『鑑賞 女性俳句の世界』の坂本宮尾「美と格調 杉田久女」や田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる…』を開き、すっかり久女句に嵌ってしまった。

久女の俳句をガイノクリティックス(女性の文脈から捉える女性文学の分析)の視点から読み直すことは、「女性性」に拘りすぎる男性ジェンダー化した批評の相を眺め直し、新たな側面を見出す方法となり得よう、と岡田さんは「はじめに」で言う。

なぜ久女なのかについても、①彼女が自ら「女性性」をテーマとして打ち出した俳句は有名であるが、それ以外の視点から俳句芸術の高さを志向したと見られる珠玉の佳句があまり知られていないのではないか、②山本健吉をはじめ、特に男性評者が、久女の「情の濃さ」を主軸に照らしながら、「男をたじたじとさせる息吹」を賞めつつ評価を下位に置いたり、その真摯な姿を茶化して評したりするところがあった。それは正当性に欠け、俳句表現の味わいを貧しくする可能性が高いのではないか、というふたつの懸念を挙げる。

人口に膾炙した久女の句は女性ならではのものに集中し、さらに男性目線で低めに評価されてやしませんか、というのだ。確かに、久女伝説に相応しい句が取り上げられやすく印象的ということはあると思う。さらに、低めと言うより「女性とはこうだ」の男性目線で解釈され、それが定着している感も否めないが、低くはどうだろう。「いま」も、そうなのだろうか。

久女に嵌りつつ、フェミニズムやジェンダーやガイノクリティシズムの意味を考えてみる。ウーマン・リブ(女性解放運動)なんて言葉をいまの人は知らないかもしれないが、1970年前後、それは(少なくとも日本では)からかいをもって使われたりした。それでも国連が1975年を国際婦人(女性)年としたときには変化の兆しを感じたけれど、半世紀たって、あまり変わってない気がする(ことに日本では)。

足袋つぐやノラともならず教師妻

1975年のそのまた半世紀前に『ホトトギス』に掲載された句。百年経ってもこの気分は伝わってくる。まさに「女性性をテーマとした」句であり、かつ、いかにも「男性ジェンダー化した批評」者のバッシングを受けそうな句だ。「出来不出来はともかく、こういう女は面倒なんだよな」という冷笑が聞こえそう。しかし、そんなことには頓着せず直球を投げる久女、その表現力の確かさは読み手にはズシンとくる。忘れられなくなる。

花衣脱ぐやまつわる紐いろ〳〵

初期の代表作であり、「女の句として男子の模倣を許さぬ特別の位置」と虚子の評価を受けることになったに掲句について、山本健吉は「閨情と言ってもよい本然的な女の匂いが濃厚である」と書いた、と岡田さんは記す。その後の評者も着目するのは女性ならでのところで、田辺聖子も「ナルシシズム」と指摘する。俳壇とは縁のない読者である私は、よく言えば先入観なしなので、この句に出会ったとき閨情など浮かびもしなかった。もちろん花衣の華やぎや疲労感を伴う陶酔はあるけれども、「まつわる」紐のリアリティに感嘆し、それらを脱いだホッとする感覚やそれでも「まつわる」面倒な紐のリアリティ、さらに「脱ぐや」の切れのスピード感ときたら。

評論の最後には、久女の俳句作品そのものの丈の高さは正当に再評価されるべきと「英彦山六句」が置かれている。これらは次の有名句で始まり、いずれも背筋のピンと立った句である。

谺して山ほととぎすほしいまゝ

この六句は…、語り出したらキリがなくなりそう。この稿に求められているものを逸脱していくようなので筆を止めよう。まっさらで読む、俳句の楽しみはそこよね、と岡田さんに語りかけながら。


 

2021-06-27

若林哲哉 『光聴』選句譚 〔岡田一実『光聴』特集〕

〔岡田一実『光聴』特集〕
『光聴』選句譚

若林哲哉


「新しく句集を出すので、選句をお手伝い頂けませんか」というメッセージが一実さんから届いたのは、昨年9月の終わり頃だった。一実さんとは、かねてから連作を見せ合ったり、句座を囲んだりしており、その度に、言葉の微妙なニュアンスに拘る僕のことを、「言葉というものに繊細」と称して下さっていた。そうした視点から意見が欲しいとのことで、お声掛けを頂いたのである。当時の僕はと言えば、大学4年生で、丁度教育実習が終わり、これから卒論に本腰を入れようかという時。そのことは一実さんもご存知だったので、「忙しければ断って下さい」と頻りに言われたのだが、断ればきっと後悔すると思い、殆ど二つ返事でお引き受けした。

 *

それからすぐに、一実さんから、句集を編むにあたっての問題意識を伺った。一言で言えば、「『報告』の可能性を問い直す」こと。言い換えれば、「写生を基本としながら、『単なる報告』を超える」ことだ。COVID-19 を挟んだ期間の句を纏める上で、「記録の報告」という面を削ぐことなく、「表現」として俳句を見せたい、そして、原石鼎に代表される大正主観写生と、その流れを汲む客観写生を踏まえつつ、些末を恐れずに理想化前の事物を書き留めることが、その方法になるのではないか――このお話を伺った次の週に、一実さんからお送り頂いたのが、山口誓子の『遠星』。誓子が伊勢湾の近くで療養していた時期の句を纏めた『遠星』には、〈海に出て木枯し帰るところなし〉のような有名句の一方で、読んでいて手を止めないような句も多数収録されている。思い返せば、些末だと吐き捨てられるかも知れないが、それでも俳句として面白い俳句の追究が、『光聴』という句集だったのだと思う。

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選句の話し合いは、主に zoom を使用して行った。選句前の段階で、候補となる句が3000句ほどあり、選句をしながらも新作が増えていったので、母数は全部で4000句ほどだろうか。昼の13時から始めて、夜まで続く話し合いを何度も重ねた。収録するか否かは勿論、推敲もした。上手く言葉になれば絶対に面白くなると言って、一句の推敲に2時間ほど掛けたこともある。そういうときには一実さんも僕も疲労困憊だが、「選句が終わったらオンライン飲み会をしましょう」と励まし合って、一句ずつじっくり進めていった。また、一実さんが岸本尚毅さんに私淑されていることもあって、どうしても迷った時には、「心の中の全き岸本尚毅」に語りかけ、岸本さんだったらどう書かれるだろうかと頭を捻った。

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句稿が纏まってきた頃に、句集のタイトルについて話し合った。初案は「聴光」で、僕も賛成したのだが、書いた時の見た目や、口にした時の響きを考えて、最終的に「光聴」に決まった。悩ましかったのは熟語としての構成で、「光を聴く」と読み下すならば、目的語にあたる「光」は二文字目に配するのが一般的である。しかし、敢えて「光聴」とすることで、解釈の余白を多く残すことにしたのだ。そのまま「光を聴く」と読んでも良いし、「光が聴こえる」などと読んでも良いかも知れない。何にせよ、共感覚を喚起するようなこのタイトルが、一実さんと一実さんの俳句の魅力を伝えてくれるような気がして、これから完成する句集のことが、もっと大好きになった。そうして、12月の初め頃に、句稿が纏まった。

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句稿を纏めて一安心と言いたいところだが、句稿を纏めた後の方が、一実さんは悩まれていた。何事も、生み出す時には苦しみを伴うものだが、僕は『光聴』の最初の読者として、一実さんと一緒に悩み、励ますつもりでいた。とはいえ、悩みは尽きないものだ。

第一に、何度も何度も読んで、本当に句が面白いのか分からなくなる。僕でも少なからずそう感じたのだから、作者である一実さんは、尚のことそう思われたに違いない。

第二に、折しも刊行された鴇田智哉さんの『エレメンツ』が面白い句集で、一実さんが自信を失くされたことがあった。「やりたいことをロードローラーで均されてしまった気分」と仰る一実さんを、「鴇田さんは抽象画で一実さんは具象画、どっちも面白いです」、「一実さんは一実さんの俳句の山を登ってください」と励ました。

第三に、読者がどのような反応をするか悩んだ。例えば、〈紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉などは、恐らくヘテロセクシャルの女性と思われる作中主体が、男性の連れ合いを描いた句である。また、〈句を残すため中断の姫始〉は女性の性的主体性を描いた句である。これらの句を、例えばヘテロセクシャルではないセクシャリティに属する読者が読んだ時、あるいは、フェミニズムの視座から読まれた時、どのような反応が返ってくるだろうかと、一実さんは特に深く悩まれていた――実に悩ましいが、僕自身は、これは答えがすぐに出せるものではなく、何度も問い直して、考えを高めていくべきものだと思っている。

悩みながらも、「心の中の全き岸本尚毅」ではなく、本物の岸本尚毅さんに総合的な御意見を伺うと、「俳句がちゃんとわかっている人にはきっと注目される」との御返事があり、また、岸本さんがお書きになった帯文を読んで、良い句集になったと確信した。

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句集を出したことのない人間が、選句のお手伝いをするということで、どれほどお力になれるだろうかという不安もあったが、今、一実さんの元に届く反響の一つひとつが、自分のことであるかのように嬉しい。まだ『光聴』をお読みでない方は、是非お手に取っていただければ幸いである。

素粒社 北野太一 『光聴』版元後記 〔岡田一実『光聴』特集〕

〔岡田一実『光聴』特集〕
『光聴』版元後記

素粒社 北野太一


岡田一実さんから句集出版のご相談を受けたのは2020年11月25日。その年の7月に素粒社を立ち上げて、11月初めに小津夜景さんの『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』と鴇田智哉さんの『エレメンツ』をつづけて刊行したところで、岡田さんは『エレメンツ』にかなりの衝撃を受けたとのことだった。

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『光聴』の判型は天地175ミリ・左右110ミリと、句集などでよくある四六判(天地188ミリ・左右128ミリ)よりかなり小ぶりな新書サイズで(ちなみに、俳句にとって四六判の天地は広すぎるんじゃないだろうかと前から思っている)、サイズ感については岡田さんにあらかじめ心づもりがあったということは最初期のメールから確認できる。句のフォントについても、事前に原石鼎『花影』の字体に似せてほしいという要望があったので、モリサワのA1明朝を提案した。

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装丁案は3パターン7案がデザイナーより送られてきた。著者にお見せしていまの装丁に決まったわけだが、じつを言うと個人的には別案が推しではあった。押しつぶされた枯れ草のような模様が金の箔押しとなっているカバーに、ピンクに近い上品な朱色の帯。見るとなんとなくチカチカする感じが、「光聴」という書名にふさわしい気がした(ときどきこうして採用されなかった装丁案のことを考えてしまう)。とはいえ現行の、半透明のクリアファイル様の素材によって表紙とカバーの図像が二重化される意匠もやはり捨てがたく、SNSなどで読者や書店の方がアップしてくれた写真を見かけるたび、ああ、これが『光聴』の装丁だな、と思う。

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『光聴』のカバーに印刷されている、植物の汁で描かれたような絵柄はUVインキで印刷されていて、これがけっこう高額で予算的に校正を取ることがむずかしかったため、印刷所での現場立ち会いとなった。ところが当日、デザイナーは出産間近で検診の予約が入っていたためどうしても来られず、朝の9時に埼玉の八潮駅で印刷会社の担当のMさんと待ち合わせ、そこから車で10分ほどの印刷所へ向かった。こぢんまりした受付のある印刷所に着くとさっそく、Mさんにスーツ姿の男性を紹介され名刺交換をしたが、いまだにあの人が何者だったのか、どういう経緯でそこにいたのかわかっていない(印刷所の人ではなかった)。しばらく待っていると、作業着姿の若い男性が刷りたてのカバーを持ってきてくれたので、色見本を見ながら確認し、写真に撮ってそれをデザイナーに送り、2回ほどインキの量を調整してもらって校了となった。

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昼前に八潮駅でMさんとわかれたあと、帰りのつくばエクスプレスに揺られながら、さきほど校了となった『光聴』の一句を思い出しつつ、午後にやるべき仕事のことを考えていた。

空に日の移るを怖れ石鹼玉  岡田一実


佐々木紺 変化への意思 〔岡田一実『光聴』特集〕

〔岡田一実『光聴』特集〕
変化への意思

佐々木紺


生きているだけで人間は変化する。

一日一日だと変化に気づかないかもしれない。しかしたとえば30日後、3か月後、半年後1年2年…とフォローしていると、臓器も含む肉体も考え方も感じ方も、それぞれ前後でまったく同一であることは少ない。停滞し、一部は進化し、そして幾分はもしかすると標準から逸脱しながら変化しつづけている。

同一でない人間が変わり続ける環境に曝されながら書くものも、当然ながら同じではいられない。多くの俳人の句も前期・後期では異なり、時期ごとに変化する。わかってはいるのだが、それでも岡田一実の句の変化の速さには圧倒されてしまう。

3年前に出版された第三句集の「記憶における沼とその他の在処(以下、記憶沼と略)」と今回上梓された第四句集「光聴」は明らかに印象が異なる。物語のように編まれた「記憶沼」には虚の句が多く、過去や自分の内面に沈潜してゆくような構成だったのに対して、光聴はより「実」、具体に寄り、かつ表現の軽妙さを増している。変化は第三・第四句集の間で突然起こったものではない。編年体で書かれたこの句集の、第一章(2018年の句)と第三章(2020年の句)の間で、作者が徐々に新しい書き方を獲得してゆくことに多くの方は気づかれただろう。この変化については本書の後書きでも触れられており、「光聴」読書会(2021年5月3日、オンライン)の中でも繰り返し指摘されていた。本句集は、変化を隠すことなく見せてくれた一冊であるように思う。


まず前半から好きな句をいくつか引用する。

疎に椿咲かせて昏き木なりけり(P7,第一章)

句集の最初の句。疎に椿、という上5だけでも語順と助詞に目が奪われる。読者の眼にまず入るものはまばらに咲いた椿であり、次に背後にある椿の木全体を意識することになる。昏い木を背景にして色のある椿が浮かび上がってくるように感じられる。

菊吸や茎に微塵のひかり入れ(P27、第一章)

菊吸という虫を見たことがあるだろうか。ちなみに自分はなく、Googleで画像検索してしまった。この虫が菊やその他の草を齧りとり、穴をあけてゆくことはどちらかというと(少なくとも自分にとっては)軽い不快感を伴う光景であるにも関わらず、微塵のひかりを入れるという表現はどうにも美しく、不思議な読後感だ。

化粧ひして夏みじかさよ男の童(P16、第1章)

少年が化粧をしている(「男の童」なのでおそらく祭りのような場であることが想像される)、その中性的、刹那的な美しさが夏の短さに重ねられている。その夏の光の、もしくはその少年の、ほとんど暴力的なまでの輝き。化粧しているのは男の童なのにその二語は分断され、間に「夏みじかさよ」を挿入されている。語順の変更により、「短さ」が夏と男の童の双方にかかり、また化粧をしたことで少年と夏の輝きが増したかのように感じられる。

まづこゑに次に鶲に意識向く(P55、第二章)

第一章から三章への変化は、たとえばこの句に顕著だが、自分の意識や認識を細かく刻み、それを時系列で一つ一つ書き下したようなやり方である。この句では最初に声を聴覚で認識し、これは何の声だろうという一瞬が意識のなかにあり、次にそれが鳥のものであることがわかり、さらに鶲の声であると認識したときに、初めて鶲をその目に探しはじめる(もしくは視覚的に認識する)という、この認識の移り変わりの一瞬をこのように描いている。

可笑しいと思ふそれから初笑(P66,第三章)

も同様で、可笑しいと思う認識が自己のうちに兆し、そのあと実際に肉体的な笑いとして表出される、その瞬間までを刻んでいる。

この認識を刻んで表す方法は自分以外の事物への観察にも生かされており、たとえば

寒鴉まづ足に飛び羽に飛ぶ(P70,第三章)

ゑのころの風過ぎ行けば揺れもどり(P138,第三章))

のような句がそれであると思う。

新しい書き方に移行するだけでなく、後半においても

膳の酒の酔の尾ほのと梨を食む(P135,第三章)

のような言葉のフェティシズムを感じる句も残されている。句の前半が交互に漢字・ひらがなで表され、視覚的に楽しい。前半「の」の連続にいかにも酔いがうすく尾をひくようなほのかに鈍な感覚があり、それが下5の「梨を食む」のしゃりっとした爽やかさにかき消されていく。また、

薬眠の切れて白磁のごと寝待(P145,第三章)

一切のせせらぎが夜や冷まじく(P161,第三章)

のようなふっと澄んだ感覚の句もしっかりと芯にある。

初学者でなくキャリアが長く作品も評価されている人が、わずか数年の間にこれだけ書き方を変えられるのを見ると、勇気づけられる。自分も、そして誰もが、受動的に変わるのではなく自分の好きな方向に能動的に変わって行って良いのだと改めて思う。(同じ3年で自分は何を積み上げられたのだろうと愕然とするところもあるが。)

時を経てみるみるアップデートしていくこの人の句を、句集で追いかけられるのはなんて贅沢なことだろう。もしまだこの句集を未読の方がいらっしゃれば、ぜひ。

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本文内容は、佐々木紺の note より一部引用・改変しています。

また、「光聴」読書会(2021年5月3日、オンライン)の内容、特に主にクロストーク(生駒大祐、小川楓子、山岸由佳、岸本尚毅)の内容を一部参考にしています。アーカイブの書き起こしは2021年6月19日時点で無し。

大塚凱 あぢは不明ぞ、ゆめ溺るな 〔岡田一実『光聴』特集〕

〔岡田一実『光聴』特集〕
あぢは不明ぞ、ゆめ溺るな

大塚凱


岡田の作品における文体は、語による情報量が多さをどのように五七五の韻律に畳み込むかという要請から規定されているような風情がある。特に前句集『記憶における沼とその他の在処』においてはその傾向が顕著であった。巻頭の〈火蛾は火に裸婦は素描に影となる〉や〈枝を移る鳥も一樹の柳かな〉など、音数の少ない名詞や格助詞・副助詞の多用、その他リフレインの活用に見られるそれは、ジャブのような言葉数の多さをかつての前衛俳句的な名詞優位の字余りではない方法でどのように俳句型式に落とし込むかという論点での、工学的なソリューションと見做してよいと思う。他方で、それはおかずで充たされた弁当箱さながら、「軋み」をもたらす。その「軋み」を声高に指摘したひとつの例が、堀下翔「文彩は快楽ぞ、ゆめ溺るな」(週刊俳句第599号・2018年10月14日)であっただろう。

柚子は黄に雨の向うは日の指して

仮初に涼しと詠みて徐々に情

どう枯るるか見たく向日葵枯るるを瓶

『光聴』から3句を抽く。確かに前句集のような「畳み込む」文体の残滓を感じる。しかし、堀下が前句集の評論時点で「文彩は快楽だと述べたが、その文彩が成功したとき、快楽は読者にまで及ぶ。その精度を高めることが岡田の進む道なのではないか」と期待していた方向とは、些か異なる方向に転がったような趣がある。

堀下の議論が象徴しているように、第三句集時点の岡田の作品は多くの読者にテクスト面での(堀下にとって過剰に感じられるほどの)フェティシズム的傾向を旨として読まれていただろう。言葉に呼び込まれ連なってしまった言葉をどのように折り畳むかという、時には強引にも見えるその手捌きをひとつの手法として提示した句集であったと思う。評でも取り沙汰された〈淑気満つ球と接する一点に〉という句おいても、問題は「淑気」という言葉が「満つ」という言葉を直線的に呼び込んでしまったことに端を発しているように見受けられたが、岡田の文体は、モノとそれに伴うイメージの塗り重ねをテクスト上でどのように構成するかという関心を核にしていたと顧みる。しかしながら、『光聴』においてはテクスト優位なその構成を前景化するというよりは、文体上の傾向をなすに留め、やや説明過多とも捉えられかねない危険を冒しながらも主情をベースに書き進めはじめたのではないか。例えば、前掲の〈仮初に涼しと詠みて徐々に晴〉〈どう枯るるか見たく向日葵枯るるを瓶〉がそれだ。「枯るるを瓶」などに「畳み込み」の癖を帯びつつもあくまでその快楽は主眼ではない。むしろ「どう枯るるか見たく」というような直截な切り込み方こそが、特に句集後半に現れてくる。このあたりは、明らかに岡田の作風の転換と見てとって差し支えないだろう。句集中でも隣接する2句、〈熊蜂の花摑み花揺らし吸ふ〉と対照すれば、〈タレ甘すぎて白魚のあぢ不明〉のぬーっとした異様さが感じられるはずだ。そのような試みの延長線上にあって、岡田の主情的な無防備さがナンセンスの方向に転じた好例が〈書を写す胡瓜のあぢを口中に〉であると評したい。それが「岡田の進む道」だったのかと思い至ると、本句集の「あぢはひ」もまた一層深まってくるだろう。

それぞれの頂を目指して 岡田一実『光聴』インタビュー 聞き手・編集:高松霞

〔岡田一実『光聴』特集〕
それぞれの頂を目指して
岡田一実『光聴』インタビュー

聞き手・編集:高松霞


コロナ禍のなか、持病の統合失調感情障害を抱えながら俳句をつくり続ける俳人がいる。見える世界を微細に描写した新作句集『光聴』(素粒社)について、著者の岡田一実さんにインタビューした。

1976年生まれの岡田さんは、29歳から俳句を始めた。きっかけはペットの犬が亡くなったことだったという。「大学時代に母が死に父が死に、ペットまで死んでしまって、悲しかったんです。何かその悲しさを残しておけないかなあと思って俳句を始めました」2011年に私家版『小鳥』を制作。2014年『境界-border-』(マルコボ.コム)、2015年『新装丁版 小鳥』(マルコボ.コム)、2018年『記憶における沼とその他の在処』(青磁社)と次々に刊行。そして2021年に『光聴』を出版。句集をつくることは「少し良い帯を着せてもらうこと」だという岡田さん。『光聴』に収められた句を解説していただくと、ひとりの人間の人生観がかいま見えてきた。


■コロナ禍でつくられた句

ーーー雨の句がとても多いですね。〈樹に雨の重さ加はる春にして〉〈柚は黄に雨の向うは日の差して〉など、全編に渡って見られます。

雨は好きですね。雨の日に出かけて行って句を作るのが好きです。晴れている日とは光の屈折が違うので、物の見え方が変わってくるんですよね。雨って邪魔くさく感じるかもしれないですけど、その光の感じが違うのを書きたいなあと思って、出かけて行きます。

ーーー墓の句も印象的です。〈柿赤きこととは別に墓の列〉〈収骨は素手に骨割る雪催〉などがあります。 

私は浄土真宗のお寺に生まれたので、なんとなく親しい感じがあるんだと思います。原点というか。生きて死ぬことの象徴としてとてもわかりやすいアイコンに親しみを感じてしまう。「ああ、人間は必ず死ぬな」とか(笑)。面白いなあと思って、用がなくても墓地に入ってしまいますね。

ーーーコロナ禍でつくられた句もありますね。前書きが付いていて、〈我妹子が結ひて紐を解かめやも絶えは絶ゆとも直に逢ふまでに(笠金村)と応へよ紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉とあります。

夫がエッセンシャルワーカーで、いわゆるステイホームと言われた時期も出ていかなきゃいけなかったんですね。本当に怖くて。私自身も夫も、うつしてはいけないし、うつってはいけない。毎日仕事に出ていくのがつらくて、それが〈紐きつく結ひやる背子が夏帽子〉になりました。前書きの万葉集の歌、この場合の紐は下帯なんですけど。万葉の世界の人たちは、それを解かれると不吉なことが起きるっていう文化があったらしくて。「絶えば絶ゆとも」は「切れてしまうことがあっても」という意味。「妻が結んでくれた着物の紐をどうして解くものか。たとえ切れることがあろうとも、直接妻に逢うまでは」という歌です。帯が解けてしまう不吉性みたいなものを、夫が仕事に行くたびに感じていたんです。


■障害を抱えながら俳句と向き合う

ーーー持病の幻聴について伺います。〈幻聴とふ痼疾と別に秋の声〉〈幻聴のこゑより近く虫のこゑ〉など「音」ではなく「声・こゑ」を使っていますね。

声以外の音は聞こえないんです。意味としての声が聞こえる、統合失調感情障害を持っています。5年ほど前から症状が悪化して、人の声が聞こえるようになって。なんていうんですかね、ヘイトスピーチみたいな。それが知人の声で再生されたりとか、今日会った人の声で再生されたりとか、昨日の句会の声を拾ってきたりとか。そういう悪質な声がずっと聞こえていまして。疑似体験できるサイトがあるので、よければご覧ください。ぜひ体調のよいときに。

ーーー障害を抱えながら、俳句とどのように向き合ってきたのでしょうか。

私は生きているという広義のキャリアの中で、病気とか服薬とか障害とか、家族の機能不全によると思われる人生のブランクがたくさんあって。俳句を始める29歳までは文芸にも携わることもほとんどなくて入院ばっかりしていたんです。けれど、本や辞書やインターネットなどのテクノロジーや、いろんな助けがあって今に至るんですよね。目が悪ければ眼鏡をかけるように、知識が足りなかったら補助テクノロジーを使う。その中で、自分の可能な詩性を磨いていけばいいのかもしれない。たぶん、知的エリートの人はこういう風には言わないかもしれないと思っているんです。いろんな補助のものを使いながら、私も含めて、多くの人が俳句を作っていくのがいいのではないかな、と思います。


■素十と誓子、『光聴』の中にあった変化

ーーー『光聴』の各章を通して読んだときに、前半と後半で書き方が変わっています。後半は前半よりも描写的ですね。なにか心境の変化があったのでしょうか。

そこを読んでいただこうと思って編年体にしました。2018年「描線」、2019年「解纜」、2020年「こゑ」と書き方が変わっていくのを楽しんでいただけないかなあと思って。前半の方が修辞に複雑さがあり、読み進めるに従って複雑さが減って、頭のなかで立ち上がる景が早くなる読み心地ではないかと自分で思いました。前半は頭のなかで景色を立ち上げようとしたときに、少し癖のある、言葉を言葉として考えてしまうようになっていると思います。「描線」のころはまだ『記憶における沼とその他の在処』と近い書き方をしていて、句集を読んだり、本を読んだりしながら、そのインスピレーションを書くのが基本でした。でも、途中で高野素十(1893-1976)に出会ったんです。第一句集の『初鴉』がものすごく面白くて。

ーーー高野素十は高浜虚子に師事した俳人ですね。代表句に〈方丈の大庇より春の蝶〉〈ひつぱれる糸まつすぐや甲虫〉などがあります。

素十は「客観写生」俳句の頂点と言われています。私も現場で書こうと思って、現場主義、吟行主義に変えたんです。素十を読んだあとに山口誓子(1901-1994)を読んで、大正客観写生の人たちを読んで。写生ってなんだろうと改めて模索しました。客観写生とは言いますが、この場合の客観というのは、実は正確ではないと思っています。客観写生とは、一般に思われる第三者的視点で書くということではなく、「主観的な直感を人間的でウエットな情の直接的叙述から距離を置いて叙することで一般性や普遍性を獲得し共通理解を拡張してみせる試み」なのではないでしょうか。素十には、そこに加えて技巧の洗練がある。核心から入るんですよね。たとえば〈翅わつててんとう虫の飛びいづる〉。常識的には「てんとうむしが翅をわって飛んでいった」という順番で書くと思うんですよ。でも素十は「翅わつて」から見せた。直感を核心として書くのがすごくスリリングで。それから、客観写生の巧みさだけではなく諧謔がある。素十には肝の底が揺れるようなおかしさがあるんですよ。

ーーー山口誓子も、高浜虚子に師事した俳人ですね。代表句に〈夏の河赤き鉄鎖のはし浸る〉〈かりかりと螳螂蜂の皃を食む〉などがあります。

今回の句集は山口誓子の影響も大きいです。一般的に生活していると認知は道具的価値、つまり、おそらく生存に役立つ価値のある概念を、点から点に移るように自然に背景化しているように思います。本当は実在は点と点の間にも続いているのに意識されない。その点と点の間を言葉によって意識化させ、現前化してみせることで、新しいという感覚を呼び覚ます。そうした試みを誓子の『激浪』などから始まる中期の作品の中に見ました。これは現代の感覚から言っても方法として光るものがあるのではないでしょうか。誓子の試みはやたらに点と点の間を埋めるのではなく、驚きという情動の到来を感受する閾値を下げて、只事すれすれにミクロの崇高を見出す、という志向だったのではないかと思います。

ーーー『光聴』には〈可笑しいと思ふそれから初笑〉〈読初や♨︎にゆじるしとルビ〉など、おかしみや驚きのある句も多いです。やはり影響を受けているんですか?

『光聴』では「この句はこの句の影響を受けています」というのは減ったんです。素十や誓子などの考え方をインストールして、自分の吟行体験を通して書いていく、というようなことをやりました。たとえば素十のおかしみみたいなもの、一回一回、「世の中ってなんなんだろう?」って立ち止まるところに変なおかしさがある。ゆじるしの句は、〈♨︎〉だけではゆじるしと読めない。その後に〈ゆじるし〉と書いてあるからゆじるしと読める。わからないものが後に示されることによってわかる不可逆性みたいなものが、出たらいいかなあと思って。


■タイトルを『光聴』にした理由

ーーーいま、俳句以外で興味のあることはありますか?

やっぱり認知が好き。認知科学とか、認知の動き。2年ほど前に、角川俳句で「俳句とは○○のようなものである」の○○を埋めなさいという宿題が出たことがあって。そのときに考えたのが、「俳句は認知の森」。『光聴』を編んでいるときに『アフォーダンス』(佐々木正人/岩波書店)っていう認知科学の本を読んだんです。私たちは目で見ながら耳で聞きながら味わいながら、複雑に絡み合いながら物を見ている。私たちの世界はマルチモーダル(多重感覚的)にできていると、この本によって知りました。私の句にもそういう部分がかなりあると思い、タイトルを『光聴』にしようと思いました。

ーーー『アフォーダンス』はジェームス・ギブソンが1960年代に完成した理論で「環境が動物に与え、提供している意味や価値」のことですね。いまも人工知能の設計原理や人と機械のコミュニケーション、プロダクトデザインや建築などのモノづくり、絵画やアニメなど、アートの領域でも注目されています。

著者の佐々木さんが後書きに「ギブソンの理論に出会うと、肩の力が抜ける思いがする。『あせらなくてもいい。情報は環境に実在して、お前が発見するのをいつまでも待っている』というギブソンの声が聞こえるような気がするからだ」と書いてらっしゃって、これは俳句もそうだと一人で拍手してしまいました。「あせらなくてもいい。俳句になる詩は環境(広義)に実在して、お前が発見するのをいつまでも待っている」と思うと励みになりますよね。

それから、大塚凱さんのインタビューを興味深く拝読しました。 AI一茶くんには7万句ほどの俳句情報と画像などが学習データであるそうですね。名句を残すという享受者主体の価値観で考えたならば、近いうちに芸術的に高い句を量産できるようになるかもしれませんし、将棋や囲碁は既にAIに人類は敵わなくなっています。ただ、芸術の側面には創作者やプレーヤーの慰撫という部分もあると思います。俳句創作を名句を残すための手段と捉えるとAIに敵わなくなってしまうけれど、創作営為そのものの慰撫の部分はそれとは別の価値として残るかもしれません。では、慰撫であれば低いままでいられるかといえば、そのなかでも高いものを作りたい、目指したいという欲望は共有され続けるのではないでしょうか。


「この世は変!」

ーーー俳句だけではなく、短歌や詩や小説に転向する可能性はありますか?

たぶんあまりないですね。それぞれ読むのは好きなのですが、目指しているものが違うような気がします。俳句を作っていても思うし、読んでいても思うのは、この世は変! 俳句を通してみると、この世は全然予想通りにできてなくて驚くことに満ちています。微小な驚きは尽きることがないんです。いかに普段は固定概念で生きているか、俳句を通すととてもよくわかります。俳句の短さは、極小の驚きを書くのに向いていると思います。

俳句という創作において「みんな違ってみんないい」というのは現実把握としては少々粗いなと思っています。どのような方法をとるにせよ、そこに芸術的な高低はある。ただ、富士山のような頂点が一つの大きな山を登っていくというイメージではなく、それぞれ別々に頂がある。それぞれに方法があり、高さは開かれているというイメージが私にはフィットします。その開かれた高さを今後も模索しながら切り開いていけたら嬉しいです。



2021-04-25

美味しさと明るさについて〜岡田一実『光聴』読書会へのお誘い〜  松本てふこ

 美味しさと明るさについて
〜岡田一実『光聴』読書会へのお誘い〜

松本てふこ

 

  梅に東風うどんに軽き器かな

岡田一実の第四句集『光聴』で、私が一番愛着を感じる句である。うどんが本当に本当に美味しそうに詠まれているだからだ。

この句を読むと私はいつも、柔らかく白く太い九州のうどんを思い浮かべる。句に描かれているのは花の梅だが、大きな梅干しをしっかりしたとろろ昆布が囲んでいるうどんのイメージだ。以前、友人を訪ねて福岡を旅した際、安くて美味しいうどん店の多さに感動したことも思い出される。

今年の一月に私の第一句集『汗の果実』の読書会を開いていただいた際、中山奈々氏が私の句に登場する食べ物がどれも美味しくなさそう、という発言をされて、会の参加者からかなり支持を集めていたが、作者としては驚き、今後の作句に関わるレベルで衝撃を受けた。

食いしん坊であらゆる食べ物は美味しく食べたいと思っているし、師匠の辻桃子も俳句で食べ物を詠む時は美味しそうに描かなければダメよ、と言っている。美味しく食べている人間は都度書いてきたつもりだが、この「つもり」がほぼ否定された形になった。どうすればいいのか。私はこの三ヶ月、この件に関して常に心のどこかで途方に暮れている。

この句に話を戻そう。

このうどんが美味しそうに見えるのはなぜか。うどんの味や量などには全く触れず、肌寒さと春の訪れを同等に感じさせる上五と、うどんの器の軽さだけを伝えた中七下五、この余裕ではないだろうか。うどんの軽い器と言われたらマルちゃんの「赤いきつね」の容器だって軽いし、プラスチックでできた器を使っていても軽いだろう。

そういうチープな方向性に解釈しても愛おしい句である、でもうどんが一番美味しそうに読める解釈を取るならば、最新の技術で軽さを追求したお洒落な陶磁器でいただいている、と読みたい。この「器に凝ってます」感が出せれば美味しそうに見えるのだろうか。

いや、そんな浅い見解ではダメだ。もっと、もっと本質的な学ぶべき何かがこの句にあるような気がする。今はまだ、言葉にできない。

この文章は、そもそも岡田一実の第四句集『光聴』読書会の宣伝のつもりで書き始めた。

自分の文章で読書会の参加人数が増えるかは正直疑わしいのだが、自分がやれることをやろうと思い筆を執った、はずだった。気がつくと自分のことばかり書いていた。

ついでにもう少し自分の話をする。二年半前、彼女の前の句集である『記憶における沼とその他の在処』略して『記憶沼』の出版記念パーテイーが松山で行われた際、恐縮なことにお招きいただいた。アットホームで楽しい会で、彼女が松山の俳句仲間に支えられていることが伝わり、こちらも明るい気持ちになった。

その席で、私は失言をした。挨拶を求められた際に、彼女の句を「明るい」と評してしまったのだ。なぜ私がそこまで自らの発言を責めているかというと、私の挨拶の後も様々な人が挨拶をしたのだが、うろ覚えで恐縮だがその合間に彼女が「明るくなくたっていいじゃないと思っている」とぽろりと漏らしていたからだ。

自分の句が意にそぐわない読み方をされて失望しているのではないか?私は怯えた。第一句集や第二句集の頃の軽やかな詠みぶりから印象をアップデートしていない怠惰な読み手と思われたかもしれない。

私は人にがっかりされることが何よりも怖い。「がっかり」は人の間に溝を生む。とんちんかんな読み手として彼女に見られている可能性に、私は現在進行形で冷や汗をかきながら彼女と接している。

だがしかし同時に、自分の読みが間違っているわけではない、とも思っている。彼女が厭っているであろう「明るさ」と私が彼女の句に感じる「明るさ」は違う、と改めてここで主張したい。

彼女が厭う「明るさ」は闇雲なポジティブさ、鈍感さとイコールかと思われるが、私が彼女の句に感じる「明るさ」とはもっと多面的で流動的なものだ。ポジティブ/ネガティブを超えた強さ、柔軟さ、強いこだわり、そしてそのこだわりを深く慈しむ優しさ。今まで上手く言語化できなかったが、『光聴』を読んで気づき、そしてようやく人に伝えられるようになった。

  白藤や此の世を続く水の音 『記憶における沼とその他の在処』  
  一切のせせらぎが夜や冷まじく  『光聴』

『記憶沼』でも『光聴』でも、句集を締めくくったのは水にまつわる句だった。水という深いやすらぎへ還り、今後更なる進化を遂げるであろう彼女の句の世界。

豪華パネリスト陣と共に彼女の句の世界に大いに耽溺する『光聴』読書会、ご興味を持たれた方はぜひ下記にアクセスし、お申し込みいただければと思う。

ゴールデンウィーク中の5月2日に開催される。参加申し込みの締め切りは2021年4月25日いっぱい。すなわち、この記事が公開される今日である。

どんだけギリギリでこれ書いてるんだよという感じだが、ひとりでも多くの人に最後のお願いが届けばいいなと思う。

『光聴』読書会の詳細 >>
https://twitter.com/kocho_read/status/1375016065462198279



2021-02-07

【週俳12月・1月の俳句を読む】レディ・メイド 岡田一実

【週俳12月・1月の俳句を読む】
レディ・メイド

岡田一実


手袋のままで証明写真撮る  藤田俊

スーパーなどの入口にある狭い個室タイプの証明写真撮影室ではないかと思った。〈撮る〉という措辞から言っても「自分で撮る(に近い)」感覚で、プロのカメラマンに撮ってもらうのではなかろう。一般的な証明写真で映る身体は長めに撮ってもせいぜい胸上くらいまでで、手は映らない。なので、本当は〈手袋のまま〉であるかどうかは用という意味では関係ないのであるが、ひとつ丁寧さを欠いたような、礼儀を欠いたようなちょっとした罪悪感にも似た意識が作中主体にのぼったのかもしれない。撮影室の仮初めに外と遮断されていて外気に近い寒さがある感じ、寸刻のうちに目的が果たされる感じ、略式である感じが手袋一つの為しようによって描かれている。


山眠るクッキーの真ん中にジャム  箱森裕美

プレーンの(あるいはココア色ということもあろうが)クッキーの真ん中の窪みに彩りとしてジャムが載っている。ほろりと崩れる香ばしいクッキーの食感やクッキーとは違う甘さや酸味のとろりとしたジャムの食感はそれを見ただけでもつぶさに想像される。小さな美と喜びの発見。それに対し、山は寒々と「眠って」いる。モノトーンに近いような彩度が低く動きの乏しい「眠り」だ。その大いなる「眠り」と「起きている」作中主体に起こるクッキーといういわば余剰の食べ物に対しての僅かな感興。それが対比的に隣り合わされることで、山にも人間にも共通してある欲求(睡眠欲、食欲など)をマクロコスモス的に感じさせる。


丼と丼の間の枯野かな  同上

〈丼と丼〉は並んで書かれているが、「枯野」の「野」を重んじて考えるとその空間を挟んで、作中主体の二つの視野で把握されているのではなかろうかと思った。〈菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村〉という人口に膾炙した句の〈月〉と〈日〉の関係に近く、広大な「枯野」に立って一つの〈丼〉を見遣れば、他方の〈丼〉に背を向けるような印象だ。〈丼〉はうどん、牛丼、親子丼……中身は何かわからないが、熱く汁っぽい食べ物が中に入っていても良いし、器だけでも良い。デュシャンのレディ・メイド的な「視覚的無関心(visual indifference)」に基づいて〈丼〉がモノとして置かれているところに諧謔味がある。


赤いひと赤いマスクを選びけり  木田智美

〈赤いひと〉の〈赤い〉とは皮膚に差す赤みが強い人ということだろうか。そうではなくて全身タイツのような「赤色(#FF0000)」なのだろうか。顔や身体とマスクの同化を目指しているのか何の目的なのかわからないところがナンセンスコントのようで面白い。〈選びけり〉と生真面目に詠嘆しているところも笑いを誘う。虚子の〈春の浜大いなる輪が画いてある〉〈唄ひつつ笑まひつつ行く春の人〉などのふてぶてしいナンセンスさに通じるところもうっすらと感じられる。

スリッパもこもこ踵の透けて黒タイツ  同上

足の前方部分は〈もこもこ〉とまるで着ぐるみのように厚く柔らかく膨らんだ生地で包まれ、足の生々とした部分は見えない。それに対して、立体的に編んでいないタイプの黒タイツは、足の部分によって黒が濃い部分と薄い部分が出来やすく、踵の部分は他の部分と較べても特に薄くなり、肌が透ける。おどけたようなスリッパから出た踵部分は黒タイツという緩衝があることでより一層に人間の生の身体性を感じさせ、どきりとさせる。


【対象作品】  
藤田俊 はく 10句 ≫読む
第713号 2020年12月20日
箱森裕美 天から手 10句 ≫読む
木田智美 ひろく凍つ 10句 ≫読む

2020-12-20

ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート 〔3〕佐藤念腹100句

ブラジル移民佐藤念腹読書会レポート


〔3〕佐藤念腹100句


中矢温◆それでは100句抄に移ろうと思います。句集全体は移民文庫に電子化されています。1953年に暮しの手帳社から出ていて、どれも虚子の再選を受けた選りすぐりの俳句たちです。渡伯してからの俳句なので、最初の方の前書きありの俳句は行きの船で詠まれたものですが、それ以降の舞台はブラジルと考えていただいてよいかなと思います。皆さんに選をしていただいた句一覧と違う点といたしましては、それぞれの句の前に詠まれた年号を振りました。


1927年(念腹渡伯)

01 強東風のわが乗る船を見て来たり 小川楓子選

中矢温◆早速1句目お取りの楓子さん、いかがですか。

小川楓子◆「強東風のわが乗る船を見て来たり」はこれからブラジルに向かう意気込みみたいものがぱっと分かりやすく詠まれていていいなと。全体として移民とわかる句はあまりなかったように思いますが、その中でもこれから出港するぞという気持ちがみえていて、いいなと思いました。

中矢温◆ありがとうございました。たしか百句抄出をする上で、最初と最後の2句は削らずに載せたので、この句からこの句集は確かスタートしています。

小川楓子◆これから強東風が逆風となっても頑張っていくよという意気込みみたいなものを感じました。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。ちょっと話変わっちゃうんですけど、3月出発で6月到着の移民船は、移民俳句の中ではほぼ季語のように使われています。多分コーヒーの収穫期に合わせて移民してたっていう初期移民の名残があって、どの時代になっても3月出発だったのかしらと推測します。

(註:念腹は渡伯時に虚子から以下の3句を餞別として贈られていました。東風の船着きしところに国造り/鍬取って国常立の尊か/畑打って俳諧国を拓くべし この中では特に3句目が有名だが、この句は1句目への返句なのかもしれませんね。)

02 シンガポール
日曜や扉に凭れ昼寝人

03 印度洋
むらさきの流星垂れて消えにけり 木塚夏水選

中矢温◆次はその道中のインド洋での俳句です。こちら木塚さん、いかがでしたか。あ、自己紹介をお願いするのを忘れていました。併せてお願いします。

木塚夏水◆木塚夏水と申します。現在は特に結社などには所属せず活動しています。句会は中矢さんが幹事をしていらっしゃる東大俳句会の方にお邪魔させていただいています。句歴は2年弱で、皆さんと比べるとまだまだ初学者ですが、本日はどうぞよろしくお願いいたします。この句は「むらさき」という言葉が効いているなと思いました。俳句の入門書で「むらさき」は句に使いづらい色とされていたのをふっと思い出しましたが上手い使い方だと思います。船上の星々の輝きと波の音があるだけの静寂が想起されます。実際の流れ星の色はむらさきではないんでしょうけれど、あえてこの色を持ってくることで美しいだけでなく、無事船が到着するんだろうかといった作者の不安も見えてくるようでした。

中矢温◆ありがとうございます。私や外山さんが前半いっぱい念腹や移民俳句について話しましたけど、念腹の句はあまり背景を踏まえなくても良くも悪くも読めちゃうなと思いました。あまりブラジルらしさを自分の句の強みとして詠んでいないなと。この句も船乗りや船の旅行の句として詠めますもんね。

04 土くれに蝋燭立てぬ草の露 小川楓子選

小川楓子◆ただ「地面に」とかではなくて、 「土くれに」とあるのが効いていると思いました。「土くれに」と言われると、ちょっと手触りのある感じがして、そこに白い蝋燭が立ててある。ブラジルだっていう意識があるのかもしれないけど、なんとなく乾いた土のような感じがする。そんなに湿っていない気がするけれど、それを「立てぬ」と切ってそこに「草の露」を持ってくる。乾いた土に露が湿るのか、もう濡れていた土くれなのかはわからないけれど。私の中では乾いたところにしみこんでいくようなのが見える気がしてよいなと思いました。

中矢温◆この句は弟の彰吾が到着直後の列車事故で亡くなったときに詠んだ句だそうです。それを言われると「露」が和歌でいう「涙」のようにも読める気がしました。

小川楓子◆最初読んだとき蝋燭を置いてきたという印象を受けたので、何か意図があるのかなと思っていたんですが、そうだったんですね…。

中矢温◆「弟彰吾死す」とか前書はないんですけど、そのようです。

05 八方に流るる星や天の川

〔参考〕1928年3月号
雷や四方の樹海の子雷 伯國 佐藤念腹
八方に流るゝ星や天の川 同
井鏡やかんばせゆがむ晝寝起 同
食卓をとりわけ父母の日燒たる 同
八方に假の戸口や夕立中 同

06 井鏡やかんばせゆがむ昼寝起 三世川浩司選

中矢温◆では六句目にまいります。ちょっと調べても読み方がわからなかったのですが、「井鏡」は「いかがみ」かしら。三世川さんこの句いかがでしょうか。

三世川浩司◆三世川と申します。現在「海原」に所属しております。この句ですが、井戸水に映った映像と同時に、昼寝から目覚めた時の生理感の写生でもあるのが面白くて頂きました。

中矢温◆私も井戸に映った水面を鏡と呼んでいるのかなと思いました。隣の句も1928年の巻頭五句の一つなんですが、「流るゝ」が「流るる」になっていたりと表記は揺れがありますね。

07 雷や四方の樹海の子雷 木塚夏水・ぐりえぶらん・黒岩徳将・西生ゆかり選

中矢温◆では7番の大人気句に移ります。ゆかりさんお願いします。

西生ゆかり◆西生ゆかりです。よろしくお願いします。この句は旅をしているとか、ブラジルとかを差し引いて単体で読んでよい句だなと。「雷や」と切ってからもう一回「子雷」と畳みかけるような句のつくりは寡聞にして知らないので。でも奇をてらっているとかではなくて、景のイメージもありありと見えてきていい句だなと思いました。以上です。

ぐりえぶらん◆はい、とてもスケールの大きな句だなと思いました。「雷」って言うと雷を集中して見ちゃいますけれど、これだけ広い視野の中にいっぱい雷が落ちている様子って向こうらしいと言えば向こうらしいし凄いなあと思いました。以上です。

黒岩徳将◆黒岩です、よろしくお願いします。「雷」が鳴ってから、「子雷」もなるという連続的な動きの強さとかざわめきとかちょっと不安になる感じとかが出ていて。「子雷」という言葉は初めて聞いたと言うか、オリジナルの言葉なのかもしれないなと思って独創的かつ雄大だなと思いました。以上です。

木塚夏水◆「子雷」という独自の表現と、「子雷」が樹海に広がっていくスケールの大きいブラジルらしい景がよいと思いました。

中矢温◆皆さんありがとうございます。少し蒲原さんの本を読みますね。
「ホトトギス」四月の雑詠句評会(第二十九回)に念腹の巻頭句「雷や四方の樹海の子雷」が取り上げられた。評者は虚子・素十・秋櫻子の三人。
 各人の評価は次のようであった。
秋櫻子「念腹君が近来しきりにつくりつゝある南米開拓事に関する句の中でも特にこの句は優れてゐると思ふ。大森林の中の僅かな土地が墾かれたのみで四方は悉く樹海と稱してもよい程の木立である。南米のことだから気像は今が夏にあるらしい。大きな雷が一つ鳴りはためくとその谺が四方の樹海にこもって多くの雷がいつまでも喚いてゐる様な気がするといふ句である。雷の谺を子雷と云って小雷と云はなかった処など非常に面白い。一句を全体としても誠に雄渾な叙法で頭から強い力で押しつけられるやうな気がする。他の四句の内「父母」の句や、「夕立中」の句などは多少生活に対する同情によって牽き付けられる処もあるが、此句に到っては眞向から文句なく芸の力で押される。」
素十「秋櫻子君の説で十分だと思ひますが、一言付け加へて置きます。大きな雷が凄まじい勢で鳴った。それにつゞいてしばらくの間四方でごろゝと鳴り渡ってゐる有様が南米の大きな天地を背景としてよく描き出されてゐる。南米の天地はかくもあらうかと思はれるほど雄大によく景色が出てゐる。その他のどの句も日本のこせゝした景色とは全然違った大きな所が見える。かういふ句を見せられると私達も南米へ行ってかゝる自然に接したいといふやうな気が頻りに起る。」
秋櫻子「いよゝ行くか。」
素十「行かんともかぎらんね。」
虚子「秋櫻子君の言の如く、子雷とはよく言った。実際の景色は大きな雷がなって、それが四方の樹海に反響するのであるか、または大きな雷が頭上に鳴って、それから小さい雷が四方の樹海でごろゝと鳴るのであるか、どちらであるかはわからないが、然しいづれにしても子雷といふ言葉を捻出したのは念腹君の作句の技倆が著しく進歩したことを證明する。」
皆さんの読みは素十寄りでしたが、秋櫻子の読みもありそうですね。あと「南米のことだから気像は今が夏にあるらしい。(秋櫻子)」とあるように、「ホトトギス」3月号に夏の句が載っていて、しかもそれは船便で送るので2-3ヶ月ぐらい遅れているというのが面白い。雑詠欄には「伯國 佐藤 念腹」と載っているようですね。巻頭五句の中で「四方」が1句、「八方」が2句あるので好きなワードだったのかもしれないですね。

1928~29年

08 渡り鳥わが一生の野良仕事 ゆう鈴選

中矢温◆欠席評のゆう鈴さんがお選びです。評を代読します。「空の渡り鳥を見上げて、空を飛んで行ける自由に想いをはせ、「わが一生」は「野良仕事」で終わるのか…と想う。その一方で自分自身で何か夢も持ちたい、持たねば、と思っていると感じて選びました。」との選評をいただきました。この句に限らず、お取りでない方もどうぞコメントお願いします。

外山一機◆では一言だけいいですか。さりげない句ですけど、「野良仕事」から自分の忸怩たる思いがちょっと感じられますよね。弟さんが亡くなって、自分も働かなきゃいけなくなってしまうという予想外のことがあったんだけども、それを引き受けようとしているというところ。「渡り鳥」というところで自分が移民であって、永住への意識がこの句からはどこまであったのかなというところを感じます。

中矢温◆ありがとうございます。地面に留まる自分と、空をゆく渡り鳥の対比があるように思いました。そうだ、どんな風に百句抄出をしたかお伝えそびれていたのですが、とりあえず虚子が序で引用しているものは全部入れました。あと念腹の生涯を調べる前に私が好きな句を入れて、残りは調べてから入れてという風にバランスをとったつもりです…笑。では九句目まいります。

1930年

09 湯浴みして今日の日焼の加はりぬ 西生ゆかり選

西生ゆかり◆すごく実感のこもっている句だと思いました。この句もさっきの「雷や」の句とちょっとだけ似ていると思うのは、「加はりぬ」として、例えば「雷」を提示して「子雷」を畳みかけるところが構造的に似ていると思いました。もともと「日焼」をしていることを提示して「今日の日焼」がそこに加わるという少ししつこい感じの把握が面白いなと思いました。

中矢温◆ありがとうございました。「今日」とあると、昨日や明日の日焼のことも思いますよね。このころはいろんなことをやって失敗しながらの毎日を暮らしてた年代ですね。農業のこと詠んでいるか、牛のこと詠んでいるかで念腹の生活の安定度合も少しは測れるかもしれませんね。あんまりそういうの匂わせる人ではないんですけど。

1931年

10 霜害や起伏かなしき珈琲園 ゆう鈴選

中矢温◆では、ゆう鈴さんの選評に参ります。「自分が育てている珈琲の木が霜害にあうが、自然を相手ではどうすることもできない。「起伏かなしき」に害を受けた珈琲園の様子と念腹自身のやりきれないこみ上げる悲しみが表れていると思います。園を目の前に肩を震わせて泣いている様子が浮かびます。」との評をいただきました。私いまいちこの「起伏」が読めていなくて、「珈琲園」そのものの起伏なのか、「霜」の起伏なのか…。お取りではないですが、生駒さんいかがですか。

生駒大祐◆はい、この句に関しては「起伏悲しき」はその「霜」の起伏というよりは「珈琲園」自体に起伏があって、その起伏を見ていると「霜害」であることが悲しいという感じだと受け取りました。冒頭に言いかけたんですけど、念腹の句を読んだときにその三つぐらい面白がり方があるなと思っていて、一つは句自体の客観的テキストを見たときの面白さと、二つ目にその生涯性を反映させて加味した上での面白さと、三つ目に異国情緒の物珍しさにとどまっているもの。この句は最後の三つ目に当たってるような気がしちゃって、例えばこれ日本の茶畑だとしたらあんまり面白くないなーとか思ったりするので、そういう意味では僕の中で面白がりのステージがちょっと低かったので取らなかったという感じです。

中矢温◆ありがとうございます。なるほど、句自体と人生を反映させたものと異国情緒があるわけですね。私がさっき「土くれ」の句でしたコメントとかは2つ目の人生を反映させると、下五の「草の露」の重みが変わってくるんですね。

1932年
11 瓜盗人野獣ならめとうそぶきぬ

中矢温◆これは特に誰もお取りではなかったですが、瓜を盗んだ奴が知らんぷりして野獣だと嘯いているぜ、という句ですね。他の人が句に出てくるのは念腹の句では少し珍しいかもしれない。

12 野良煙草してひまな手の虻を打つ

1933年
13 雨期あけや地面の黴びの大模様

14 森暑し花仙人掌に雨降れど 

15 又丘の現れて月低くなる 岡田一実選

岡田一実◆はい、「又丘の現れて月低くなる」ということで、生駒さんが先ほどおっしゃった面白がり方3ポイントは私もかなり賛成しています。向こうの雰囲気がよくわかる点で生涯性と異国情緒に惹かれる点はありましたが、個人的には句の面白さで今回選出しました。念腹の句はあまり意味のわからないような句はなくて、順番に読んでいけば意味が順番に通じてくる句が多いんですけど、この句の場合は詩的な逆転があるように思います。月が見えて丘が現れたというのが常識的ですが、丘が現れてから月が低くなるという逆転の発想が不思議だと思いました。「また」ということは再度ですよね。そして月が低くなるという。不思議な展開だなと思ってそこに詩心を感じました。

中矢温◆ありがとうございます。列車とかでいいんですけど移動しているときに、低い丘だと月は低く見えるけれど、高い丘があると相対的に月が低く見えるということかなあと個人的には想像しておりました。先ほど岡田さんが言ってくださったように、何か選句ポイントがある方は教えていただけると、私も楽しいのでよろしくお願いします。

16 豚の群追ひ立て移民列車着く 外山一機選

外山一機◆向こうの雰囲気がよくわかるなというところが一つあります。「移民列車」ってあんまり聞かない言葉ですけれど、あちらは基本的には鉄道で移動する。先ほど中矢さんの方で念腹行脚地の地図がありましたけれど、あれも鉄道の路線沿いに普及していくような動きをしていくわけです。そしてその路線それぞれに日本人のコミュニティがあって、そこでいろいろ活動をしている。その「移民列車」が着きました、そしてそこに「豚の群」がいるって本当にいろんな意味で開拓がまだな部分というのがあるんですよね。また1933年、昭和でいうと8年の「ホトトギス」を念腹が読んでいたということを同時代的に考えたとき、山口誓子の句も読んでいたわけです。誓子にはなれないが自分は何になれるだろうということはもしかして考えたんではないんだろうかというような想像もしました。「移民列車」という機械的で少し古びたものとその動きに注目していくというような眼差しもあり方っていうのは、誓子と全然違う句のように見えますけど確かに同時代の書き手らしいなと思います。(註:夏草に汽罐車の車輪来て止る/山口誓子・初出昭和8年「かつらぎ」誌)

中矢温◆ありがとうございます。移民船で来てからでどうやってコロニア(コロニー・植民地)まで移動するかというと、列車で移動していたんですね。なのでその新しい移民の移動の道中の句かもしれないし、外山さんが言ってくださった普段の移動かもしれません。

17 汽車へ来て菓子購へる枯野かな
 
1934年

18 木蔭より人躍り出ぬ野路夕立

19 投槍に飛びつく犬や蜥蜴狩

20 蜥蜴狩びつこの犬も勢子のうち

中矢温◆事前の質問で、「蜥蜴を狩る目的は害獣から畑を守るためなのか後で食べるためなのかが気になりました。」といただいていました。蜥蜴は害獣ではなくて、むしろ畑の虫とかを食べてくれる存在だそうで、おそらく犬が蜥蜴を追うのが好きで捕まえて遊んでいるのを詠んだのかなと思いました。私の伝え方も悪かったのですが、「蜥蜴食べる?」と聞いたら「まさか!」と言われました…笑。

21 秋蚕飼うて俳書久しく借りにけり 樫本由貴・三世川浩司選

樫本由貴◆よろしくお願いします。私はむしろ全部異国情緒があるような、ブラジルでのことを強調して書いていたり、そう読み取れるような句をあえて取りました。なぜかと言うとその俳句としての良さみたいなのももちろん大事なんですけれど、移民の文学としてみたときに俳句形式では一体何が記録されているのかなというのが私自身の研究の関心事でもあったからです。俳句としてはイマイチだけれども、この言葉が使われていたりこの情景が書かれていたりするということはどういうことなのかが気になるような句を取りました。なのでそういうのを選ぶと詠んでいる人のオリエンタリズムであったり、念腹自身のオリエンタリズムであったり、私たちが読むときに出ているオリエンタリズムであったり作用の作用のようなものが見えると思います。で、21番についてですが最初に取った時は日本人コミュニティの中で「俳書」の貸し借りできる場所、例えば定例句会があってというのを思いました。季語の「秋蚕飼うて」の労働は、開拓とはまた別のもう一つ持っている仕事ですよね。その農業の休耕期にも働かなければならない、暇がない感じかと思いました。でも「俳誌」を借りるってもしかして日本から借りてきたり、送ってもらったりしたものを返すのが久しぶりになっているとも読めるなと思いました。どういう風に本がブラジルでや日本で流通していたのか、本だったり「ホトトギス」をどうやって手に入れていたか、回し読みだったかもしれないですよね。そこらへんが気になって話したいなと思ってとりました。以上です。

三世川浩司◆生活に忙しくて、本を返しそびれているのですね。でも生活の感慨にふけっていながら、どこか余裕のある心情みたいなものが感じられて、それで頂きました。

中矢温◆ありがとございます。圭石と念腹が住んでいたアリアンサ植民地はかなり特殊で悪口とも羨望とも取れるんですけれど、「銀ブラ移民」 と言われていたそうです。銀座でブラジルのコーヒーを飲む、でしたっけ。ピアノを持ち込んだ人がいたり、多数の蔵書を持ち込んだ人がいたりとか、日本人の中でも資産や教養があっていう人が住む傾向にあったようです。なのでコミュニティ内での貸し借りも十分ありえるなと。彫刻や絵画や演劇の指導があったり。アリアンサ内にある弓場農場という自給自足の日本人だけのコミュニティもあるそうです。「秋蚕」についてですが、養蚕をしようと思って持っていったら、税関でかなりお金を取られたという話をどこかで読みましたね。なので、蚕も俳書も日本から持ち込んだとも十分読めそうです。

22 顔のせて芭蕉葉食めり親子山羊 岡田一実選

岡田一実◆先ほど外山さんが誓子を読んでどうだったのかという話がありましたが、私もこの当時の「ホトトギス」にあっての念腹というのがすごく気になっています。この時代は大正13年ぐらいから高浜虚子が「客観写生」を言い始めた頃で、俳句を勤めた人は「写生」をどういう風に受け取っていたんだろうというのは読んでいて興味があるところでした。どのあたりで写生として極めたのかなと思うと、この「顔のせて」という特殊化、特定化、具体化みたいなところに、この異国情緒や記録とは違う技を感じました。具体性を帯びさせて俳句を作るという気配がかなりあります。「親子山羊」に若干の異国情緒もあるかもしれないですけれど、当時の素十もそうですが「顔のせて」が写生を目指した人たちの句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。そこらへんの文脈をわたしがまったく押さえていないので、コメントいただけると大変助かります。あちらで芭蕉葉というかバナナはよくあるのでそれを食べているんだなあと私は思っていただけでした…。

23 日雇いの乗り来る馬も肥えにけり

24 雨来とて犬すり寄れど棉を摘む

25 処女林の紅葉の下に耕せる

26 豚の親春霜の藁くはへ居り 生駒大祐・小川楓子選

生駒大祐◆先ほど言った分類の中では、普通に句として面白かったですね。「親」が若干ノイズというか、「子」を出す中で「親」を出すんだったらわかるんですけれど、この句の中で豚の子は登場しないので、ノイジーに働くとはいえちょっと大きめのまるまるとした豚が想像されました。「春霜の藁」もうまいというか、春の寒さを描出するのに藁を持ってくるのもどこかブラジルらしさもあり、「くはへ居り」という収め方も全うで上手いなと思いました。後はウの段の頭韻も響きが綺麗だなというところで頂きました。

小川楓子◆そうですね、「豚の親」ってやっぱり面白い言い方だなと思いました。「親豚の」にはしないんだとか思って笑。「豚の親」とくると、その豚の顔がよく見えてくるような効果があるのかなと思いました。親と言うからには周りに子供がいるんだなと思って、賑やかな感じなのですが、「春霜の藁くはへ居り」にはちょっと寂しいような感じもありました。豚の鳴き声が聞こえるような賑やかで、でもちょっと儚くて、あえかな感じがそこにあるという。4番の「草の露」のような日本的な情緒を加えたかったのかなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。豚は肉という意味もあったり、それ以上にオリーブオイルなどもなかった時代は、風味付けというか食用油としての役割も大いにあったとか、何かの本で読みました。

27 春の風耕馬を叱る口中へ 岡田一実・小川楓子選

岡田一実◆偶然の発見への感動を感じました。耕馬を叱っている場面に「春の風」が差し挟む余地を感じたというか、自分が耕馬を激している中に、「春の風」という詩が突然挟まったみたいな感じがして、その偶然を書き留める思考が良かったと思いました。

小川楓子◆この句も「春風や」じゃなくて「春の風」なんだなというところにこの人の書き方を感じました。農耕馬を口汚くは叱っていたのかもしれないんですけど、それを「春の風」で浄化してくる。さっきの句の豚ももしかしたら汚れた泥んこの豚かもしれないんですけど、それを「春霜」でプラマイゼロにするのと似た思考かもしれません。面白いのが「口中へ」って叱っている言葉ってそんなに長くないはずなんですけど、少しだけ開いた口の中にひゅっと入ってきた春風の具合みたいな短さ、延々と叱ったとは思えないので、その短さに春の風が来たよっていう感じなのかなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。そうか、叱っていた作中主体の口に入ってきたんですね。叱っているのに穏やかな句で私も好きでした。

小川楓子◆馬の口もぱくぱくしている感じがしますよね。

28 夫婦して稼き餓鬼なり野良遅日

中矢温◆これも誰もお取りではないですが、あくせく働くことを「稼ぎ餓鬼」という自虐性を思いますよね。
 
1935年

29 足裏を砥め去る豚や庭昼寝

30 切株に木菟ゐて耕馬不機嫌な 黒岩徳将・西生ゆかり・ゆう鈴選

黒岩徳将◆動物が二つ出てきていて賑やかな感じがしました。「木菟」が木の上ではなく「切株」にいるんだと思って。「耕馬」を耕すところに連れて行こうとしたときにちょっと予想外の出来事として見つけたのかなと思いました。「不機嫌な」という言葉が無造作に入っていて、「耕馬」だけじゃなくて「木菟」も「不機嫌」だろうというところがユニークで、不思議な句でした。

西生ゆかり◆なんだかとにかくかわいいなという印象でした。「木菟」がいることによって「耕馬」が「不機嫌」になったとも読めるんだけれど、「耕馬」は何にも考えていないかもしれない、ほかのことで「不機嫌」かもしれないし、因果関係をにおわせつつもこちらでいろいろ想像できました。「不機嫌な」で止めるのも余韻が豊かでいいなと思いました。

中矢温◆ゆう鈴さんより、「荒れ果てた農園での仕事なんて馬にとっても大変で、最初から不機嫌だったに違いない。木菟がいて更に不機嫌だと感じるという、念腹の気持ちの面白さと仲間のような馬に対する優しい想いを感じました。」との選評をいただきました。この句が詠まれた1935年あたりに念腹は農耕から牧畜に転向して、生活が安定したそうです。牧畜すなわち生活の安定にはならないと思うのですが、出来不出来がすくなったり、市場での価格がこちらの方が安定していたりしたのかもしれませんね。

31 煉瓦工みな少年や春の風 生駒大祐選

生駒大祐◆全体的に大人の自虐が多いように感じた中で、若々しいと言うかそんなに嫌味がないような。少年時代への憧憬みたいなものはあるかもしれないですけれど、ただ賑やかに少年の煉瓦工たちが働いている所に春の風が吹くという清々しい句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。外山さんいかがですか。

外山一機◆確かに叙情的な感じもあって、ただその抒情の方向性がさっき言われたような大人な感じでもなくって、もうちょっと別の方向にいっているのが面白いかなと。念腹に限らず移民俳句が自虐的という傾向はある気はしてるんですよね。「煉瓦工」がみんな少年だったところに悲しさはあるんですけれど、最後に「春の風」という風に流してるところに、ちょっと違う歌い方を感じて、これはこれでありなのかなと思います。

中矢温◆ありがとうございます。キラーパスすみません…。確かこの句は虚子が序文で引用はしていなくて、私が最初に念腹句集を読んだときにいいなと思った句だった気がします。

32 春雷や二人乗ったる馬に鞭 小川楓子選

小川楓子◆ 「二人乗ったる馬に鞭」の韻律が気持ちいいなと思って頂きました。「二人」というのが絶妙で、のどかな感じを思いました。これ一人だとかなり急いで頑張って鞭を入れていて雷が鳴っていてっていう感じになりますし、四五人だったらまた別の意味で何かせわしない印象になるのかなと思ったり。「二人」だからそんなにシリアスな状況じゃないと思って、それも「春雷」に似合ってるのかなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。これは先ほどの耕馬ではなく移動の馬の句ですね。面白い。

1936年

33 野路夕立乙女に走り越されつゝ 三世川浩司選

三世川浩司◆野道で夕立に遭って慌てているのでしょうか。偶然出会った少女たちの、キラキラした青春性みたいなものがとても魅力的でした。

中矢温◆ありがとうございます。「野路夕立」という言葉の縮め方も面白いなと思いました。

34 瓜盗むみちはるばるとつけてあり

中矢温◆これも誰もお取りではないですが、「みちはるばると」にブラジルらしさも思って私は百句抄出に入れたんだろうと思います。

35 日雇いと短き昼寝覚めにけり 黒岩徳将選

黒岩徳将◆中矢さんが句を読み上げるときにちょっと悩まれたように私も最初「いと短き」かと思いました。日雇い労働者の人と自分が短い昼寝を覚めたよということを一人称的に言っているのかなと思います。確信はないんですけれど。先ほど牧畜に転向したという話があったので、たまたまちょっと昼寝をして休憩するかみたいな時に日雇い労働者の人が近くにいて、一緒に寝て起きて自分たちの仕事にそれぞれ向かうという。これからのことが目覚めたところだけ切り取られていて、ぽっかりした気持ちになりました。少し物寂しい感じもあるかなという気がしたんですけれど、「日雇いと」の「と」の読みがそれでいいかどうかちょっとわかんないです。

中矢温◆念腹が雇用していたのかなと思いますが、近くにいた日雇いとも読めますよね。日本人の可能性もありますし、37番も関係しますが「異人」の可能性もあるのかなと。ここらへん外山さんいかがでしょうか。

外山一機◆雇っている人種がどうこうということではなくて、多分見るべきは37番もそうですけど、経済的に下の方にいる人たちに対する共感の意識ではないかなという気がするんですね。日本人かどうかっていうところはあまりこの句に関してそんなに重要じゃないのかなと。その下層の人たちに対する眼差しを感じます。「短き」とわざわざ言うのはしつこいんですよね。「短き昼寝」ってすごくメッセージ性が強くて、また働かなきゃいけないっていうような。ここで貧しい人たち共に生きている自分というものを句の中で打ち出しているような感じがあります 。

中矢温◆ありがとうございます。少しすっきりしました。「昼寝」についてもう少し言うと、あっちの昼はすごく暑くて、場合によったらスコールも降るような感じでして。「昼寝」の意味も少しブラジルと日本では違うのかなという気がしました。

36 開墾もその日暮しよ秋の風

37 雇ひたる異人も移民棉の秋 樫本由貴・ぐりえぶらん・ゆう鈴選

ぐりえぶらん◆「異人も移民」というリズムも良かったと思いますし、労働のためだけに集まってきた人たちという人間関係だと思うんです。それを念腹がどう思ってたか分かりませんけれど、本当は使う側で楽しかったのかもしれません。それでもやっぱり働かなくては仕方ないわという潔さみたいなのもあると思いました。以上です。

樫本由貴◆そうですね、「雇ひたる異人」に階層性が見えますよね。外山さんが仰ったように、言わなくていいじゃんみたいなことも言いますよね笑。現代から読み取る私にとってはありがたいことなんですけれど。「わた」の秋と読むと思うんですが、異人と念腹にとっては少しずつ意味合いが違うと思うんです。念腹は単に豊作を喜べばいいんですけど、雇われ側にとってはあればあるだけお給金はでるけど労働は厳しくなるというのとで。季語の受け取り方に多層性があるなと思っていただきました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。棉を雨に濡らさないように手早く摘むための日雇いでしょうね。これも事前質問でいただいていました。

「異人」ということは、日本人ではなかったはず。日本人コミュニティとその他の人種のコミュニティの関係性は? また、階級の差がある。」これについて、この異人が何人かは断定できないが、代表的なブラジルへの移民というとドイツ、イタリア、ポルトガルなどでしょうか。また『移民七十年俳句集』に掲載されていたのですが、サンパウロの羽瀬記代さんの俳句に「韓国の新移民とて葡語達者」という句がありました。「葡語」はポルトガル語という意味ですね。韓国からの移民もいたようです。これが詠まれた年を手元に控えていないのであれなんですが、日本の統治下というか侵略下にあったものかもしれないので、現在の韓国とはまた違うかもしれません。あとは、念腹がどうかはわかりませんが日本人移民は少なくともブラジル人を、また黒人を下に位置づける傾向にあったことはいえると思います。(※もちろんブラジル人=黒人ではありません。)

ゆう鈴さんから、「異人は開墾に来た日本ではない国の人だと思うけれど、どこの国の人が来ていたか知識にはない。ただ、「棉の秋」からはその人達へ寒くなるからお互いに身体に気をつけて、過ごそうというようなことを感じるのは私だけでしょうか。雇い雇われるだけの、主従関係だけよりも温かいものを感じました」との評をいただきました。他にこの句にコメントある方いらっしゃいますか?

外山一機◆黒人に対しては移民の俳句では「ニグロ」という表現を使うことが多いので、この「偉人」が黒人でないことはわかる。おそらくイタリア系かもしれません。あとは「異人「も」移民」という表現ですよね。

中矢温◆さっき35番の句を話すなかで「日雇いと」の「と」に仲間意識を感じるというような話ありましたよね。「偉人も移民」の「も」に共通性や仲間意識があるのかもと、読みすぎかもしれませんが、読めるかもしれませんね。

38 森の雲なくなりしより朝寒し 中矢温選

中矢温◆これは生駒さんのお言葉を借りると、句の巧さでとったつもりです。ただ、この「森」がどういうものかを考える中で異国情緒もあるかもしれません。ブラジルの熱帯の森という感じがするので。森にかかる雲が「朝寒し」の合図だとわかるのは、この地域にずっと暮らして何周も何周も季節が巡った人だからだろうと思います。

39 冬蝿や乞食よぎる汽車の窓

中矢温◆これも誰もおとりではないですが、「乞食」が自分には乞うことなく窓辺をよぎったというプラットフォームの様子が描かれています。

40 四方より攻むるが如く樹海焼く

41 少し降る雨あたゝかし珈琲畑 生駒大祐・木塚夏水・ぐりえぶらん選

生駒大祐◆はい、この句は正岡子規の「あたゝかな雨がふるなり枯葎」のような雨が暖かいっていう発想、この辺りを踏まえているかと思います。「少し降る」というのはすごく長雨だと寒くて冷たいけれど、少し降る場合は暖かいんだよってところでちょっと差が出ています、またコーヒー畑にとってはその恵みの雨であり、珈琲が水はけがいい方が育つ気もするからその辺はどうか判別つかないんですけれど、ともあれ畑にとっては雨は悪いものではないと思うので、その辺のところも「あたゝかし」にちゃんとついているなと思い、異国情緒だけでないと思っていただきました。

木塚夏水◆私も「あたゝかな雨がふるなり枯葎」を思いました。ちゃんと調べていないので曖昧ですが、ブラジルには雨期があって、雨期の間はブラジルでも寒くなるようです。その寒い雨期が明けた後の少し降る雨に対して、日本の春に感じるような「あたたか」を見出したものだと思いました。

42 汲み終へし深井にもたれ春惜む 木塚夏水選

木塚夏水◆ブラジルという日本とはまったく違う気候のなかで、日本の繊細な季節感を感じ取った句だなと思いました。井戸から水を汲むという重労働による疲れの中、鋭敏になった感覚でブラジルにいながら日本の春の空気感を感じ取ったのだと思います。

1937年

43 ブラジルは世界の田舎むかご飯 樫本由貴選

中矢温◆念腹の句の中では一番著名かなと思うのですが、「ブラジルは世界の田舎むかご飯」。樫本さん、いかがでしょうか。

樫本由貴◆私がこれを取ったのは著名だからであって、この句の何が俳句的によいかとかはさっぱり分からなくて、なんでこれを当時の人は取り上げたんだろうと思って取ったんですよね。「ブラジルは世界の田舎」といったときにそれを受け取った読者自体は分かる!分かる!というワンダーとシンパシーがあったはずで、そのワンダーとシンパシーは危ないけれど当時のブラジルはどういうものだったのかが気になりました。かつ「むかご飯」っていうものを手元に見ながらこれを言うのはどういう意識があるのかがあんまり分からなくて議論に乗せたくて。逆にコメントある方いたら伺いたいです。奴隷がいて、開拓されてという場所だったことはわかるんですけど、それを日本の側からいうことにどういう意義があったのかが疑問です。

中矢温◆ありがとうございました。私の方でこの句に対する素十の評を読みます。これが答え合わせではないのですが、議論の参考になれば幸いです。
このむかごの句は早速「ホトトギス」の雑詠句評会(一三七回)にとり上げられた。担当評者は素十。
素十は次のように評している。
「―世界の田舎といふ言葉は勿論世界中の未開なところ、世界中で一番文化に遅れ遠ざかってをる所といふのであるが、「ブラジル」となると益々面白い。世界の田舎といふ言葉に対しても、又逆にブラジルといふ言葉に対してもこの位適切なつながりは外に見当らぬやうな気がする。―(中畧)こゝではいつかの句にあつたやうに稼ぎ餓鬼といふやうな日本特産の人達も住んでゐやうし、又、近頃は日本の田舎でも餘り食べさうにないむかご飯といふやうなものも時には食べるのであらう。成程世界の田舎に違ひない。(中畧)然しこの句は貧しい移民生活を送つてをる念腹の単なるセンチメントではない。
 又、単なる旨い句といふのでもない。
 之等の句に籠つてをる念腹の精神力といふものは全く凄まじいものであるといふものを見逃してはならない。念腹ははる〴ブラジルから、来年ホトトギス五百号祝賀会には何とかして列席して唱へたいと云つて来てをる。―念腹の境遇では或は実現せぬかも知れぬ。実現せんでもいゝ。ブラジルでも東京よりも盛大なのをやればいゝ。とに角私はかういふ念腹の旺んなる心意気を尊敬して衷心から君の健闘を祈る次第だ。」
(「ホトトギス」四十巻十一号34-35頁 1938年8月)
最初の「―世界の田舎といふ言葉は勿論世界中の未開なところ、世界中で一番文化に遅れ遠ざかってをる所といふのであるが」くらいで既にひっかかりがありました。「こゝではいつかの句にあつたやうに稼ぎ餓鬼」は28番の「夫婦して稼き餓鬼なり野良遅日」の句のことだろうと思います。

外山一機◆今そうやって聞くとすごいコロニアリズムとも、すごい美しい友情の話とも捉えられますね。でも真ん中の方をよく読むと、ブラジルへの見方にやっぱり差別的なものを感じる。でそんな中で頑張っている念腹君という、そういう見方もできるのかなと思います。念腹の方もそのことに自覚的であえてこういう風に振舞って見せているところにお互いの幸福な関係が出来上がっている。でもそこで誰かを抑圧してないんだろうかということはちょっと思いましたね。

樫本由貴◆「世界」という意識があるのが面白いなと思っていて、ブラジルに俳諧国を築きたいというのは「ホトトギス」の念腹や圭石の中で虚子とのやり取りの中で出てくる。虚子は戦前も戦後も一貫してこういう意識があって戦略的に生きていると思うんですけど、戦争にかかわらず虚子の中ではこの意識が途切れていないとわかりますね。戦後に虚子や立子があちこち出かけるのも、ソ連とアメリカの間の文化戦争に加担して、海外に行くお金が出ているわけですから。虚子って一貫した態度をとっているんだなと、そして念腹がそれに忠誠を誓う様子も興味深いなと思うんです。俳句の出来も、抑圧されている人のことも置いておいてですが、その意識は面白いなと思いました。以上です。

中矢温◆61番の「虚子門に無学第一灯取虫」でも話そうと思っていましたが、日本の俳壇とブラジルで頑張る念腹君とブラジルという土地に三段階の格差に似たものがあるのかなという気がしていて、そこらへんをしっかり見ていきたいなと思っています。

(註:これは果たして昔の話と言い切ることはできるのだろうかと内省しました。俳句は日本の文化であり、日本の俳句こそ正統という価値観は、現在も漂っている気がしています。)

生駒大祐◆さっき冒頭の方で異国情緒だけの句の完成度は少し落ちるねみたいな話をしたと思うんですけれど、この43番に僕の違和感が凝縮されています。単純に差別意識というかブラジルを下に見るっていうものもあるとともに、日本の情緒みたいなもの、つまり「むかご飯」みたいなものでブラジルを言いおおせてしまうとするところに非常に侵略的な思想を感じました。日本の言葉でブラジルというものを全て言い表せるんだよという、日本語でブラジルという土地を矮小化というか同質化するぞという意識が非常に感じられました。この辺がやっぱりその戦争というものの前後の侵略的な意識に近しいのかもしれません。

中矢温◆ありがとうございます。どなたかが事前質問でこの「むかご飯」は本当のむかご飯かな、別の何かをむかごに見立てているのかしらという質問があったのですが、恐らく本物のむかごだと思います。ただ大きさとかはもしかしたら違うかもしれませんね。で、その日本的なむかご飯を目の前にした上での上五中七ということなんだろうと思います。

44 陽炎へる線路へ汽車を降りにけり 

45 深井汲む女かはりし蝶々かな
 
1938年

46 稲妻や隠れ家に似て移民小屋

47 日雇も天下の職や月の秋

中矢温◆これはどなたも取られていないんですけど、「日雇」もひとつの立派な仕事なんだよということは逆にいうと一般にうしろめたさのある仕事だということなんだろうなと。念腹はこの句を詠んだときにはきっと「日雇」ではなくて、雇用側から詠んだ句としたときに、励ましなのかもしれないんですけど何だか微妙にもやっとしました。

48 彼の背我を睨める焚火かな 

49 毛布背負ひ目覚時計さげてゆく

50 誤字多き移民の投句瓢骨忌 樫本由貴・外山一機選

樫本由貴◆43番とかなり似ているのですが、上手い俳句の中にこういうのが紛れているのが大事で、上手い俳句を書いているときも選句しているときもこういうことを思いながらしてるんだよねと思うんです。この「移民」も「異人」なのかなとも思うし、92番には「新移民」も出てきて、92番は戦後の俳句だから朝鮮の人かはわかりません。でも俳句を学び始めてすぐだとか、日本人でも学がない人間の投句は「誤字」が多いなあと、わざわざ「瓢骨」の忌日を持ってきていうという。この念腹の意識のありようは、念腹を読む上では捨てたらだめだよなと思う。時代背景というか、この意識のありようにうーんと引っかかるものがあったから取りました。

外山一機◆これを見て思ったのは正岡子規の「三千の俳句を閲し柿二つ」でした。この時点で念腹はブラジルにおいてこうやって投句を見るような立場になっているという意識がある。これは句の良し悪しとは別の問題になりますけどね。それと同時になんで「瓢骨忌」なんだろうことは思いました。瓢骨というと本名は上塚周平で、 移民にとっては恨みもあるような人物なんですよね。笠戸丸に乗っていった移民会社の重要人物で、(待遇も奴隷同然で、稼げもせず、現地の病気が流行った)初期移民にとっては話が違うじゃないかと、ひどい人としての評判もあると思うんですよ。それと同時に(移民のために東奔西走した人として)尊敬もされている立場である。この句を見たときに念腹は瓢骨側に立っているのだなと思いました。自分は瓢骨側にいて、「誤字」の多い「移民の投句」を見ているのだという自意識がそこはかとなく見える。私は鼻持ちならないなという気もしました。でも本当にそれだけかなとも思うんですよ。そういうただ馬鹿にするみたいな意識だけだろうか、いやそうじゃないとも思う。瓢骨が死んでもう何年も、何年もという程ではないんでしょうけれど(註:瓢骨は1935年没)、移民たちは初期移民の意識や苦労みたいなものからどんどんどんどん離れていく。けれど念腹はその頃のことも知っているという中で、そこらへんを背負っていこうとする「瓢骨忌」なのかなっていう気がします。だから「誤字」が多い「移民」というもののだらしなさみたいなものが気になるという。日本人なのに振り仮名を振らないと読めないのかみたいな、そういうナショナリズムとも繋がってくるような気もします。一方では、自分は昔からのものも知っているのだし、そのあたりを自分か背負わねばというような、ただの差別意識ではない悲しみや使命感もある気がします。

中矢温◆ありがとうございます。これも事前に質問をいただいていました。「何故誤字が多いのか。ブラジル移民2世ならば第一言語がポルトガル語だから? 念腹が句会指導していたコミュニティの広さが伺える。」との質問でした。たしかに1908年に最初の移民が来て、これが1938年の句であることを思うとたしかに2世の投句の可能性も十分あると思いました。ただ私の考えとしては移民1世という日本語を正しく書けて使えて当たり前の人たちの「投句」に「誤字」があって、普段使わないから・学がないからもあるかもしれませんが、念腹含めての謙遜というか卑下いうか自虐としての表現かと思いました。念腹自身が「誤字」をした訳ではないでしょうけど、自分たちを下げて日本俳壇に見せてみるというポーズかなと。で、瓢骨先生ならそんなことないのになあという。今がこういう現状ですというのを嘆くような。

1939年

51 日焼子の日臭き頬よ頬擦りす 西生ゆかり選

西生ゆかり◆しつこい言い方で、もともと日焼をしているんだろうけど、またその日も日に当たっていたから「日臭」いという臭いになっている。また「日」という字も重なっている。「頬」と言ったあとに「頬」擦りが来る。このしつこい言い方が子どもへの愛情。余りある愛情が出ている感じでよいなと思いました。

52 凶作や此処いらいつもバス迅し

中矢温◆凶作の句が3つ並んでいたのですが、この年は本当にひどい凶作だったようです。1句引いてきました。

53 耳削ぐも風邪の牛の手当てとや

54 移住して東西わかず道落葉

55 犬居りて牛喜ばず牧焚火

56 息白く言葉短かに気むづかし

57 夜逃せる教師に延びし冬休

中矢温◆このように子どもたちにとっての教育体制が不安定であることも、念腹がアリアンサからバウルー市に引っ越しをする一因でもあったそうです。勿論俳句行脚の交通の利便性もあったんですけれど。さっくり書いている割には深刻な内容ですよね。

58 どやしたる耕馬かなしく鼻取りぬ
 
1940年

59 夏草や投縄牛を獲つつ行く

60 旱魃や牧馬も斃れはじめしと

61 虚子門に無学第一灯取虫 生駒大祐・外山一機選

生駒大祐◆『念腹句集』の序文で虚子が引いているように、この「無学」の者は誰なのかという議論は多分あると思う。基本的には念腹自身の事を言ってるんだろうなと思いつつ、虚子門の「ホトトギス」に載る句としてはメタ的な要素を含む気がします。さらに「灯取虫」というところで気後れの意識みたいなものも出しつつ、しかし逆にそれを誇るみたいなところもあるんじゃないかなと思いつつ。これも含めないと上手い句だけ取っていたら念腹らしさというものは出ないと思って、こういう句も鑑賞しようと思いました。

外山一機◆これはもう既に自分がある程度名前が知られているという前提で作っている感じがしますね。内輪ウケじゃないですけれど、それを狙っているような感じがありました。自分はブラジルに行っていろいろ苦労が多いので、勉強ができない、勉強をする暇ないキャラなんだろうなと。それをあえて言ってみせるという。「虚子門に無学第一」って開けっ広げですよね。もうちょっと幅広く俳句の歴史を知っていたら虚子もだいぶ無学じゃないのという気もしますけれど、そういうのはナシなんでしょうね。本当に幸せな感じですよ。作った方も幸せだし、読む方も幸せという、「ホトトギス」の内部で流通する幸せな句じゃないかなという感じ。だからこの人はそういう形で日本と繋がっていたんだなという気もして、ちょっと面白いと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。念腹が渡伯前に虚子や素十やみづほや圭石と関係があったのは本当に幸福なことで、それがブラジルで俳諧国を作ることにも繋がるんですけれど。念腹には確かに師系は必要だったし、信じていくべきものだったんだろうなと。上塚も素十もみづほも圭石も皆今でいう東大出身なんですよね。これも自虐的だなと、あの天下の「虚子門」に「無学」の者がいるんだぞという。周りのいわゆるエリート層の人々に対する学歴への引け目はきっとあって、でも同等に俳句をやれているという矜持もあって。

62 汗寒く恐怖なしつゝ争へり

63 開拓のはてが籠編む夜なべとは 外山一機選

外山一機◆これってどこで編んでいるんだろうなというのがちょっと気になったんですよね。家で編んでいるんでしょうけど、どういう家なんだろうと。移民俳句で「夜なべ」の句って時々見るんですけれど、結構夜空を取り合わせることが多いんですよね。そして思いを馳せていくような。このようにイメージの膨らませる定型はあるんですけれど、この句はそういう風にもなっていないよなという。ただ、これまでの来し方に思いを馳せているのは分かる。「夜なべとは」の「とは」には大見得を切っている感じもありますけれど、こういう想像力の方向性は念腹を念腹らしくしているのかなと思います。変にロマンチックになりすぎない、そういう方向の典型を求めないというか。そうじゃなくって「夜なべとは」なんて言っちゃうそういう言い回しで諧謔味に触れてみるというか。そのような舵の切り方が念腹なのかなという風にも思ったんですよね。

1941年

64 馬にのる拍車結へし跣足かな

65 枯野より犬這入り来ぬ汽車の中 三世川浩司選

三世川浩司◆まるでモノクロ映画のオープニングシーンを見るかのようです。何とも乾いたドラマ性に注目させられました。

中矢温◆停車中の汽車に犬が駆け込んできたようなドラマチックさはよくわかります。いい句ですよね、ありがとうございます。

66 花珈琲門入りてなほ馬に鞭 中矢温選

中矢温◆門に入ってあともう少しだけ馬を歩かせたいときに「なほ馬に鞭」をするという。句の出来だと一番上手い気がしていただきました。この「花珈琲」というのもあちらだと珈琲の収穫に向けて最初の時期なんだろうなという感じがして美しいと思いました。

67 野焼人沼をわたりて集ひけり
 
1942~44年

68 騎初を追ふ子伜の裸馬

69 信あれば文は短し秋灯下 黒岩徳将・中矢温選

黒岩徳将◆さっきの61番の「無学第一」と繋がるところがあると思いました。この「信」は虚子門にいてブラジルで、虚子の教えを追いかけながら、俳句を写生しながら作っているというものかなと。そんな「信」があるので誰かに、あるいは虚子に出す手紙を書くときも短くていいんだみたいなんか自分での中での決意があるのかなという風に読みました。そして、『念腹句集』の虚子序文の最後はこれで締めくくられていることからも、虚子は念腹のこの思いに答えているところはあったのではと。でも句の中でそれは言っていないので、「秋灯下」を使って普遍性をもたせるようにして、懸命に文を書いてる人みたいなのを思わせるつくりかなと思いますね。「無学第一」よりはもう少し幅のある句ではないかなと。どうなんでしょうか。

中矢温◆黒岩さんありがとうございます。この時代の「文」って日本と繋がる唯一の手段だったと思いますが、それでもわざわざ文字にしなくて通じ合う「信」用や「信」頼が、この句の「信」なのかなと。だから短くていいんだっていう強い気概に心打たれた次第です。

(註:移民俳句で手紙の句もたくさんあって、これと逆の内容で例えば「なほなほが裏に返って続くなり」とか、「無心より外には用のない手紙」とか。かなり川柳チックですね。)

1945~46年

70 朝酒のあとの腹減る喜雨休

71 乳しぼる牛にさし来し初日かな

72 蛇蜥蜴からみ搏つなり草の中 黒岩徳将選

黒岩徳将◆「搏つ」は戦うという意味だと思うんですけど、そうすると「蛇」と「蜥蜴」が戦っているという風に読みました。これも虚子序文にあったかな。「蜥蜴」がブラジルのものだと思うと我々の蜥蜴とちょっと違うというようなことを書いていたかと思います。本当に蛇と戦っているんだったら「蜥蜴」すごいなと思って。最後「草の中」でワイドになるのもいいんじゃないかなと。

中矢温◆ありがとうございます。日本で古くから季語だけれど、ブラジルにも存在していて、少し日本とはサイズなど含め想起されるイメージが異なる場合はたくさんあると思います。蛇の暮らす環境の野趣性とか、蜥蜴の大きさとか。移民俳句に限らず海外で詠まれた俳句は、もしかしたら季語に限らず、〇〇という土地で詠まれたと思うと××な印象を受けるとかはある気がします。

73 腹這うて犬も飽きたり蜥蜴狩
 
1947年

74 汽車に会ひ牡蠣飯に叉日本人

75 毛糸編んで昨日の如しベンチ人 中矢温選

中矢温◆この句は一番不思議だなと思ってとりました。ベンチで毛糸を編む人の佇まいが昨日と同じだから、この光景が昨日のように思えるよという句かしら…?ベンチに人がいることを、「ベンチ人」というなんて、無理やり過ぎないかと思うんですけれど、その縮め方も独特でちょっと面白かったです。

76 クリストの弟子の祠や冬木立

中矢温◆アリアンサには僧侶がいたなんて記録もありますけど、教会もあったそうで。圭石は日本にいるときからクリスチャンだったそうです。実際ブラジルは今は福音派も増えていますけれど、カトリックが多数を占めます。実施あにアリアンサ内に祠があったんでしょうね。異国情緒に分類される句かしら。

77 投かけて四方の窓に布團干す

78 酔うて脱ぐ大きな靴や春灯 岡田一実選

岡田一実◆念腹は記録としての俳句を書いてきた方だなと思いました。俳句は記録の側面も多くあると思ったときに、何を記録するかということになってくると思うのですが、この句の場合は自分の驚きを記録して写生しているな、と。この「大きな」に念腹の感動を感じる。この「おっ」という見過ごしそうな驚きを記録することに成功しているなというのがいただいた大きな理由の一つです。季語の「春灯」というものが、ちょっと理屈っぽさもあるのですが、その「春灯」のちょっと潤んだような明かりが「大きな靴」にも影を作るような雰囲気があって、「大きな」という感動をちゃんと書き留められていると思いました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。ちなみに念腹は酒豪だったそうです。

79 移民妻わらびを干して気品あり ゆう鈴選

中矢温◆ゆう鈴さんより、「わらびを干して気品があるなんて、その人はとってもステキな人だという印象。ただ美人とかではなく、自分自身の生き方をしっかり持っている気がする。その人への尊敬を感じるので少し年配の所作の美しい人だと思う。」との評をいただきました。この「移民妻」が念腹の妻のキヨとは言い切れませんね。せっかくですので、キヨの人柄を話そうかと思います。念腹が俳句にかまけて新婚の自分を放って、東京やらあちこちに出かけていても、きちんと家を守っていたそうです。この言い方はあまり好きではないですが、本当に古き良き妻だったとか。キヨはブラジルに渡ってから俳句を始めたそうなんですが、そこからはより深く念腹を、そして俳句の面白さを理解して添い遂げたといえるのかななどと思います。
 
1948年

80 没収を免れし和書曝しけり 西生ゆかり選

西生ゆかり◆気持ちは何も書かずただ事実を書いているだけなんですけれども、「免れし和書曝しけり」そこに読者の方で色々とその背景の事情とか気持ちとかを察することができて、このドライな書き方がいいなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。これはゆかりさんが言ってくださったように事実として、ブラジル政府が外国語新聞の発行を禁止したりする中で日本語で書かれた「和書」も「没収」の対象になっていくんですけれど、家のあちこちに隠したりだとかで「免れし和書」を今日のもとに晒すよという。虫食いを防止するものでしたっけ。この句の発表自体もタイムリーに行うことはできず1948年と遅れるんですよね。もしかしたらこの「晒されし和書」は念腹自身の比喩でもあるのかなとか。戦争中に逮捕もされずおとなしく籠って、今はまた無事に外に出て俳句の行脚ができるようになったよという。

81 ブラジル陋巷はなし新豆腐

82 襟巻きや神父と競ふ拓士髯

83 墓参して和語を話さぬ移民の子 ぐりえぶらん選

ぐりえぶらん◆今回を念腹のどの句をを取るかでいろいろ見ていたんですけれど、多分異国情緒に一番惹かれたのかなと。これが句としてどうなのかっていうのはよく分かりませんけれど、この絵葉書のようなブラジルでしか読めない句って面白いなと思いました。これは2世がもう出てきてるんでしょうね、1948年だから。2世となると日本語を喋らないのねという話なんだろうなと思いながら、これも彼の地でなければ読めないだろうと思って取りました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。皆さんお分かりだと思いますが、「和語」は日本語で「葡語」はポルトガル語のことです。外山さん、日本語の継承において何かコメントいただけますか?

外山一機◆これはあまりにもメッセージ性が強すぎる感じがして、それ以上のことはなかなかなかったんですけれど、ただこれが戦後のものだったと考えるとちょっと感慨深いものもあるかと思います。戦時中に日本が公的の場で使うのは禁じられていたけれど、そもそももう子どもたちは話さなくなりつつあったよねという。蓋を開けてみたら苦しんでいたのは自分達だけじゃんみたいな、そういう辛さみたいものもちょっと感じるかなと。「墓参」の墓の中に埋まっている人に肩入れしてるんじゃないかなと思いました。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。

生駒大祐◆少しいいですか。移民だから先祖代々の墓はないわけですよね。だから子供がいて「墓参して」ということは、わかりませんが、親が早くに亡くなっていて、だから「墓参」しうるというか。あまり上手く言えないけれど、あまり普通の「墓参」じゃないよなと思って、ドラマチックに作られている感じがしました。

中矢温◆ありがとうございます。一時の出稼ぎだと思っていた暮らしが、永遠にこの地に眠ることを受け入れていくということですかね。出稼ぎだと思っていたら、なかなか稼げなくて、いざ稼ぐことができるようになったら、手放しがたい生活基盤がそこにあるという。あるいは子どもがもうポルトガル語の方が上手に話して、帰りたくはないと言っているという。時を経れば経るほど経済的要因や子どもが自分をブラジルに引きとどめる絆しとなるわけですよね。もう少し2世について話すと、自分たちに必要なのは日本語教育ではなくてポルトガル語をちゃんと話せるようになって、現地の大学を出て弁護士や医者や技術になって、親の面倒を見ていくし、稼いでいくし生きていくんだということを親に主張するんですよね。この話は俳句についてではないところで見たんですけれど。子と親にはやっぱりいつの時代も何かあるなと、確執というか衝突というか。

(註:たしかに「墓参」する、「墓参」できるというのはなかなかに条件が必要で。ます出稼ぎでなくて永住を決めて墓を建てたということ。そしてあちこちで職を求めるのではなく、ブラジル内で定住する安定した稼ぎ口があって、墓守ができているということ。また、冒頭で話した出稼ぎが永住になるのはトルコからドイツへのガストアルバイターとか、世界各地の移民でみられる現象ともいえますよね。)

1949年

84 瓜漬を食ひ結飯食ひ珈琲飲む

85 ズボンの娘モンペの母と井戸端に

86 肉馬車を追うて地を翔つ秋の蠅

87 干布団野飼の牛の戻り初む

88 病人も腹減りしとぞ草の餅

89 貰ひ水朝寝の窓に声かけず ぐりえぶらん選

ぐりえぶらん◆はいさっき異国情緒と言ったんですが、これが異国情緒なのかどうかはよくわからないところも実はあるんですけれど、でもすごく明るい光のある国というか地域の一コマだろうなと思いました。何だかここら辺からすごく穏やかな句が並びますよね。それで不思議な感じがして取りました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。加賀千代女の「朝顔やつるべ取られてもらひ水」以外に「貰ひ水」の句を見たのが初めてでつい百区抄出に入れてしまいました。

90 老いてゆく夫に朝寝の妻若し 中矢温選

中矢温◆この句は念腹自身のことなのかなと思いました。念腹とキヨは5歳差なので、めちゃめちゃ歳の差があるというわけでもないんですよね。こう自分のことを「老いてゆく」と自嘲するのは自虐的でなんとなくわかるんですが、妻のことは身内だからと照れることもなく朝眠る妻の若々しさを詠むという。念腹の方が先に起きたんですよね。若い=美しいなんて言ったらただの問題発言ですが、なんというか慈しみのような愛を思ったんですよ。子どもとか妻をあまり詠まなかった念腹の、自分にずっとついてきてくれたキヨへの挨拶句のようにも思いました。

1950年

91 柿の影さして障子といふものぞ 岡田一実選

岡田一実◆ずっとブラジルらしい句を取らずにここに来て、一番ブラジルらしくない句かもと思っていたのですが、さっき温さんや外山さんのお話を聞いて、あ、そうか、ブラジル移民にとって「柿」は大切だったんだなと今思いました。頂いたときはこれも先ほどの15番の「丘」の句と同じような逆転として描いているなと思っていました。「障子」があって「柿の影」が「さして」いるけれど。その「柿の影」が「さして」いることによって「障子」を発見するという詩心だと思いました。虚子の「帚木に影といふものありにけり」をもしかしたら押さえてあるのかもしれないなと。「障子といふものぞ」の持って回った言い方が、詩を作っているなあと思います。ずっと何で念腹は俳句だったんだろうなと思いながら読んできたんですけれど、記録以上の詩が書けるから俳句だったのかな、などとも思いました。以上です。

中矢温◆ありがとうございます。「障子」はそこにあるだけじゃだめで、「影」が「さして」こそだというのは、ブラジルにもう一つの小さな日本を見出そうとしていた、人数が多いからこそそれが可能だったブラジル移民らしさが出ているような気がします。

1951年

92 井戸掘つてゐるを見に来し新移民 樫本由貴選

樫本由貴◆「新移民」に対しては、ちょっと今までの句で見てきた他の移民に対する眼差しとちょっと違うなと思いました。「井戸」を「掘つてゐる」のを見に来た「新移民」に恐らく堀り方を見せながら掘っているんじゃないかなと思って。淡い期待をこめてなんですけど。戦後になって移民に対して、例えば1世2世の断絶であったり敗戦であったりによって思うところあって意地悪をしなくなったとうか。やり方がわからなかったら見せながらするというようなところが、少し視点が変わったかなと思っていただきました。

中矢温◆これも事前質問いただいておりました。「新移民」は自分より後に来た移民のことを指す語だと私は思っていて、相対的な言葉かなと理解しています。「見に来し」は物珍しそうにしているとも取れるし、樫本さんの言ってくださった教えている・示しているという感じもしますね。

93 移民船隈なき月に沖がゝり

中矢温◆『移民70周年俳句集』では「移民船」もひとつの季題としてワンセクション設けられていました。これは「月」が季語かと思いますけれど。

94 倖せとは世知らぬことか木の葉髪

中矢温◆うーん、でも「世」を多くの日本人移民が「知らぬ」状態だったから、戦後勝ち組・負け組闘争は起きたよねとか思っちゃったんですよね。そういう「世」ではなく、もっと一般性が高いのかもしれませんが。虚子が亡くなってからの俳壇の混乱みたいなものを知らずに済んで、虚子としっかりと話を交わせた時代だけを知っている「倖せ」なのかなとか。…あ、すみません、51年は虚子はご存命ですね…。

95 糸瓜忌を明日に俳句の旅終る

中矢温◆この「俳句の旅」は線路沿いに幅広く長年行われた俳句普及の行脚の旅のことでしょうね。

96 春夜行くポ語を知らねば聞ながし 外山一機選

外山一機◆ドラマチックな感じがあるなというのがひとつ。あとはそういう資質っていうのもあるんだろうなっていう気はするんですよね。7番の「子雷」のなんかは空間的に上手く構成していく力が力みたいなものがありますけれど、「子雷」の句で評価されてるポイントって、句評とか見ていると当時の秋櫻子だったかが、小さいの「小」ではなく、子どもの「子」にしたのが上手いと書いてあったんですけれど、そこに空間的に構成すればよいというのではなく、ドラマチックというか。「雷」にも家族的なニュアンスをつけてみるみたいな。そういうドラマ性を求める人だったのかなと思います。加えて、この人は結局ポルトガル語がわからなかった、あるいはわからないという風に自分は思ったということですよね。「聞ながし」てなんとか暮らしていくという。自分の愚かさに対する言い訳ではないですが、だいぶ歳をとってきて、そこは自分なりに自分の生き方として、なんとか受け流していくようなそういうような言い方をしている気はしますね。罪深いような気もしますけれど。でもそういうような意味ではなくって、もっと自分の中のこれまでの生き方をなんとか肯定しようとしているような気がします。もう一点。確か念腹は戦後に「パウリスタ新聞」の選者をしますよね。「サンパウロ新聞」だったかしら…。それは負け組の側の新聞という風に言われてるはずです。当時の日系社会の人たちはやっぱり多くが勝ち組に回ってしまった。その理由の一つとしてはポルトガル語がほとんど分からなくて、日本から情報があまり来ない中で混乱してしまった。一部のインテリ層が負けだということが総合的に分かっていて、それで勝ち組負け組抗争が起きていくと。念腹はポルトガル語がよくわからないながらも、負け組の方に足を踏み入れていて。微妙な立ち位置ですよね。この状況がこういう自意識を生んだのかなとも思いました。

中矢温◆ありがとうございます。「パウリスタ」は「サンパウロの人」という意味ですね。この前横浜のJICAでしていた熊本移民展にいったときに「パウリスタ新聞」の紹介があった気がするんですよね。どこにメモしたかしら…。このメモだと「サンパウロ新聞」になっていますね…。ちなみに負け組派は認識派、勝ち組は信念派という別称もあります。で、はい、「サンパウロ新聞」は負け組派が作ったとも言えますが、この勝ち組負け組闘争の混乱の終息を願って作ったものであったと思います。創業者の水元光任さんは熊本出身だから、先の移民展で紹介があったんですね。ちなみに読者の減少により2019年に「サンパウロ新聞」は終刊しました。

97 転耕を見迭るや馬とばしつゝ

98 馬の脊の籠にあたりて燕来る 木塚夏水・三世川浩司選

木塚夏水◆まずブラジルに「燕」は「来る」のかなとは思ったんですが、いずれにせよ「馬の脊」に「籠」が当たっているリズムや触覚という所に「燕来る」を感じとるのが日本人の繊細な情緒が現れている気がしていただきました。

三世川浩司◆日常のなにげない出来事の中での、まるで春の神に祝福されているかのような情感が、とても好ましいです。

99 耕や廿五年の切株と 生駒大祐選

生駒大祐◆最後の方の句としてはかなりシンプルな構成で、ただ年表によれば1927年にブラジルに移民していると考えると、自分が最初に切り倒した木の「切株」と共にこの「廿五年」を過ごしてきたよ。そして相変わらず耕しているよ、という風に考えると境涯詠としては嫌味がなく質が高いように思いました。歴史の自分の人生の「廿五年」がこの「切株」には詰まっているんだという。有り体に言えばそういう考えをシンプルに呼んでるなと思ってすっきりとした句だなと思っていただきました。

中矢温◆ありがとうございます。たしかに1927+25ってここらの年ですよね。この「耕」は念腹が現在も自分で鍬をふるっているかどうかというリアリティはおそらく必要なくて、昔の記憶とかも入れてのものなんでしょうね。

虚子が序文で引いているが句集に掲載はないもの

100 蚊食鳥ニグロ嫁とる灯の軒に

中矢温◆最後の句は虚子が序文で引いているが句集に掲載はなくって。すっごい探したのになくって、もう!という感じなんですが笑。この句は正確には女性なので「ニグラ」となるかとは思うんですけど、黒人という意味ですよね。息子たちが結婚するときに日本人と結婚するかそれともブラジル人と結婚するかという問題は、特に一世からするとかなり大きな問題で、でも二世からすれば自由な結婚を認めてくれよというところだと思うんですよね。多分この句が言いたいのは、あの家は黒人の女性を「嫁」に「とる」んだ、とったんだというのはコロニア中で周知の事実、もしかしたら噂の的かもしれませんよね。コロニアの閉そく性というか、結婚、血筋ってなんだろうと思わず考えました。

当初の予定時間を大幅に超えて、大変遅くなりました。最後に皆さんから一言ずつ感想をいただければと思います。では五十音順でお願いします。

生駒大祐◆僕の普段の好みから言えばあんまり読まないタイプの句が多かったんですけれど。とはいえ最近俳句を純粋なテキストとして読むことの限界も思っていたところでした。俳句のポテンシャルを考えたときに、その辺も加味しないとどうしても拾えない部分があるなと常々、特に最近感じていたので、ほぼそれから成っているような句を今のタイミングで詠めたことは僕は非常に面白く感じましたし、勉強になりました。あと準備がすごくされていて、貴重なお話もうかがえました。ありがとうございました。

岡田一実◆俳句を読むとは、俳句を書くとは何なんだろうと思いながら読んでいました。私も多分普段の俳句を読む傾向としては避けがちなところかもしれないけれど、人生の記録的俳句から私は何を読んでいるのだろうとずっと考えながら読みました。あと温さんが送ってくださった事前資料(※https://www.ndl.go.jp/brasil/ ブラジル移民の100年 国会図書館)もすごく興味深く拝読しまして、ブラジル人移民に対する先入観があったことも気づいて、事実はこっちだったんだと。しっかりその辺りは背景として興味深く拝読して、それをどのくらい俳句に反映させて読んだらいいのかを考えながら読みました。貴重な体験をありがとうございました。

中矢温◆ありがとうございます。差支えなかったらで構わないんですが、ブラジル移民に対してどんな先入観があったのか教えていただいてもよろしいですか?

岡田一実◆国が最初から移民に対して積極的だと思っていたのですが、日本は最初は移民の出稼ぎに対して奨励しない態度をとっていたというのが私の中では勉強不足でした。日本はもっと積極的に移民を送り出していたのだと思い込んでたのでちょっと送っていただいた資料では意外でした。

中矢温◆なるほど、ありがとうございます。そうです、年代やどの国かなどによっても少しずつ態度を変えていますよね。私もまだまだ勉強不足です。

岡田一実◆途中から国が積極性を帯びてくる、そのあたりの歴史性も今回学ばせていただきました。

小川楓子◆貴重なお話をありがとうございました。移民についての勉強会をアルゼンチン移民の崎原風子についてやったのが今年の5月でしたっけ。
それと比較してだいぶ違うなという印象を受けました。勿論個人個人によって違うかとは思うんですけれど、その比較としても面白かったなと思います。やっぱり私はテキストで読みたいなというのはありましたかね。歴史的なものはむしろ好きな方なんですけれど、必ずしもそれを踏まえて読むのはしたくないなというところがあって。あくまでテキスト派なのかなと思いました。念腹の句に現れている日本やブラジルは本当の日本でも本当のブラジルでもないのではと思います。俳句がそもそもどこにもない何かを書くものなのかもしれないけれど、より移民の俳句だと日本でもブラジルでもないどこかを描くのかなという風に思いました。あとは日本の「ホトトギス」に対して見せたい姿というのがすごいはっきりしていて、その世界を提示してくる書き方があるのかな。でも垣間見える素朴さはとても好きでした。

中矢温◆テキストとして読むか、生涯性を加味するかは難しい問題ですよね。でも一回生涯の方にいってテキストに戻るのと、最初からテキストなのはやっぱり深みが違うと思うんです。

樫本由貴◆私は今回は実作者としてではなく、俳句を勉強している院生枠で来たと思っています。普段俳句としてよいかどうかで読んでいる方たちが、念腹などの移民の俳句をどう読むかを聞けてすごく面白かったです。私はこういう俳句を読むときに俳句としてよいかどうかを抜きにして基本的に読んでいるので、すり合わせのよい機会となりました。ありがとうございました。

木塚夏水◆貴重なお話をありがとうございました。皆さんの鑑賞も興味深く拝聴しました。今回念腹の俳句を読んで、ブラジルという日本とはまったく異なる環境の中においても、花鳥諷詠の教えにしたがって、最期まで季語を捨てずに俳句を読み続けたところが面白いなと思いました。季語をいれなくてはならないということは、ブラジルのような環境では縛りのようなものにもなるのかなと思うんですよね。その中でブラジルにも季節があるんだというアンテナを立て続けたという姿勢が、同時代には新興俳句などの無季俳句もあった中で、おそらくそういった情報も入ってきたのではと思いますが、そのあたりに左右されずに貫いていったところにこの人の個性があるのかなという風に思いました。以上です。

ぐりえぶらん◆私はまだ俳句を始めて4、5年で、句集もそんなにたくさんは読んでいないんですけれども、読むたびにこんな俳句があるんだ、こんなのもありなんだと驚いたり面白がったりしています。そういった意味では佐藤念腹の俳句はとっても面白かったです。ちょうど季語の種類が増え始めた初心者にこういう俳句があるんだよって紹介するのは刺激になるような気がしました。個人的にもとても面白かったです。ありがとうございました。

中矢温◆多分テキストとして読める句は単体で十分に面白いから独り立ちして読めるんですよね。「やっぱりテキストとして私は読みたいな」という感想を楓子さんからいただいて、今ぐりえぶらんさんにも面白かったといっていただいて、それは念腹の俳句の「巧さ」を裏付けているような気もしました。

黒岩徳将◆貴重な機会をありがとうございました。純粋に百句を読みあうということで、自分が持っていなかった視点、移民の立場あるいは人を見る立場みたいな視点を捉えながら読んでいくっていうことの発見をたくさん感じられたかなという風に思います。私は69番の「秋灯下」の句から意固地で頑固な念腹を想像して読みました。何かを守るというか、何かにしたがって読むというか極めるんだというか。その意志があるということは逆にそれ以外のものにはNOを突きつけながら戦っていくんだと思って。岸本尚毅さんが『畑打って俳諧国を拓くべし』の蒲原さんの著書を『角川俳句』11月号の「新刊サロン」のコーナーで書いているんですけど、虚子について「自分は公平な立場に立つという人は公平という二字を振りかざして安心しているが、畢竟何もわからないという自分の不明を表明している。」と念腹を擁護しているという一文があって、虚子怖いなと思ったんですね。何がいいたいかというと今回念腹を取り上げてみたところで、一体新興俳句とどう対立していったのか、史実としてメンバーを抜けたみたいなところはわかるんですけど、念腹が自分を守るために許せなかった俳句的価値観は何かってことを具体化・言語化していきたいなと思って。次は木村圭石の俳句を見てみたいなと思いました。

中矢温◆ありがとうございます。この前の東大俳句会で岸本さんが念腹の「ブラジルは」の句を引用されて、すごくびっくりしたのですが、今合点が行きました。11月号またじっくり拝読します。

西生ゆかり◆改めて「季語って何だろう」と考えました。例えば「雷」という季語を見て、我々の多くは日本の雷を想像すると思うのですが、ブラジル移民の句だと知った上で「雷や四方の樹海の子雷」という句を読むと、特に違和感なくブラジルの雷が想像される。日本の雷とは全然スケールの違うものかもしれないのに、「雷」という季語が使われ、作品として成立している。季語って不思議だなあ、言葉って不思議だなあ、と思いました。

外山一機◆ありがとうございました。自分が移民俳句に興味を持ったのも、もう10年くらい前なので、だいぶこの10年間で色々変わってきているなというのを感じています。事前質問にも新興俳句との絡みがあって、自分も興味のある分野ですので少しここで話させていただければと思います。新興俳句を移民の人たちは知らなかったのかというとそんなことはないんです。勝ち組雑誌の「旭号」というのがあって、昭和も終わりの29年に西東三鬼や石田波郷の句が紹介としてばーっと載っているんです。これを読んでいくと、選者をしていた石井青泉という人が結構俳句に詳しいことがわかります。1つ謎があって、これが分かったらすごいんですけど、昭和23年の「光輝」の細谷源三って誰?ということです。あと同じく「光輝」に載っている神屋洋史って誰?細谷源二、神生彩史ではなくって?ここらへんは謎でして、本当にわからないんです。それから、「馬酔木」を新興俳句に入れるんだったら、読んでいたと思います。ただ向こうの本の流通の仕方を考えると、大衆雑誌『キング』などは買えたでしょうが、俳句雑誌を本屋で買えたかというとなかなか難しいと思います。新興俳句の雑誌を読める人は稀だっただろうとは思いますね。そんなところです。本日はありがとうございました。

三世川浩司◆自分が普段触れない俳句に触れることができまして、どうもありがとうございました。新鮮であって興味深くもあって勉強になりました。ついでなんですが、ブラジルの俳句についてネットで探すなかで、こういった力作の論がありまして、児島豊 氏著:「勝ち組」雑誌にみるブラジル日系俳句--日本力行会資料調査から--です。ご興味のある方はぜひ読んでいただければと思います。

中矢温◆ありがとうございました。私も1年生の頃にサイニーの存在を知ったとき、知り合いの俳人の名前をどんどん検索欄に入れてみるという狂気じみたことをやっていたのですが、そのときにこの論を見つけて、拝読した次第です。今回一人で読書会を開くのは知識不足など不安でしたが、外山さんが補強や修正をしてくださるだろういう安心感から無事読書会開催にこぎつけました。私から最後に一言挨拶します。まずブラジル俳壇が一枚岩でなかったことを知れたのはよかったなと。じゃあ二枚かといわれたらそうでもなくて、なんだかずれてしまっている。念腹の強い光の下では見えないものも多いだろうと思って、もっと調べたいなという次第です。次に私が結社に入っていないこともあるかとは思いますが、また、師匠がいる人の中でも濃淡はあるでしょうが、何かを信じることの強さと恐ろしさは、俳句に限ったものでもないですが、とても感じました。3つ目はもし念腹が日本に残っていたらどんな句を詠んだのだろうと思いました。でも実はそんなに変わらないものを残したかもなとか。念腹にとって大事なのは「ホトトギス」の教えであって、荒っぽい言い方をすればブラジルは舞台装置だったのだろうなとことです。こんなところかな。

小川楓子◆一つ気になっていることがあってよいですか。景気のいいときに前衛俳句は絶頂を迎えて、景気の後退とともに保守的になるという傾向があると思うんです。それは美術の方でもあって、民藝という古い柳宗悦の価値観が不景気のときには流行って、景気がよくなると下火になって、また不景気になると流行るらしくて。こういうことは移民の世界の中でも同じような傾向はあったんでしょうか。そこらへんを教えてほしくて。あるいは、景気もそうだし、前衛俳句もそれほど貧しい人はいなかった。ある程度インテリ層だったイメージがあるので、自分の財産のあるなしは作品の保守的か自由的かの違いがあったのかが気になりました。高度経済成長期にばーんと自由なものが出て、今景気が落ち込んでいる中であまりそういうものは見ないなと。移民の世界でも、国が違ってもそういうのはあるのかな。

外山一機◆あまり考えたことがなかった話なのですが、そもそも俳句形式に携わるということ自体保守的なんですよ。何故向こう側においてはわざわざ一般的でない日本語を、失われゆくはずの日本語を、半ばなくなってしまうことが決定づけられている日本語を使うというのは、過去を振り返ってそこに自分の居場所を見つけるためですよね。どうしたって保守的なふるまいになる。中には「海程」に投句している人もいますけれども、それは珍しいというか、金子兜太が好きなんでしょうね。でも金子兜太のあり方にしたってそれを郷愁と結びつけることもできると思うんです。もし前衛というものがあるとしたら、おそらくhaicaiのポルトガル語の方です。そっちに行くならまだあり得るかなと思います。ただ増田恒河みたいに、「ホトトギス」からhaicaiに抜けていくという方向性だとそこまでは突き抜けられないのかなという風には思いますね。例えば完全にポルトガル語を使っているような人が、最初からhaicaistaたちと交わる中で、日本の俳句とは縁を切るかたちで作っていくならば伸びしろはあるような気がします。

小川楓子◆二世以降の人がポルトガル語で俳句を作ることはなかったんですか。

中矢温◆どうなんでしょうね…。ポルトガル語で俳句を書いている人たちは、俳句に興味があるというよりも、まずは漠然と日本文化への興味があってそこから俳句に行きつくのかなという印象があります。

外山一機◆私もそういうイメージです。よくのど自慢the worldみたいなのをテレビでやっているじゃないですか。で移民の子孫が出てきて、おばあちゃんが聞いていた演歌を歌うとみんなが喜ぶので、私も好きになっていって私も演歌を歌うようになります、歌謡曲歌っちゃいますという方いますよね。そういう感じのものとして日本語の俳句は共有されているのかなと思います。

小川楓子◆ありがとうございます。だから日本のありかたとは全然違うということなんですかね。

中矢温◆次回の課題ということで、持ち帰らせていただきたく思います。俳句というか作品と景気の関係はすごく興味深いですね。はい、では最後になりますが、私はポルトガル語だと同級生の中でもあまり成績も振るわず、俳句でも何かを成し遂げたわけでもなく。けれどこのようにかけ合わせることで自分が大事に調べたいと思うことを見つけられた気がします。ここらへんをこれからも掘り下げたいなと思います。では皆様、大変長丁場となりましたが、本日はありがとうございました。また何か機会ありましたら、誘ったり誘われたりで句会や読書会でお会いできたらと思います。

註は中矢温による。

〔 了 〕