2007-08-05

週俳7月の俳句を読む(上)1/2

週俳7月の俳句を読む(上) 1/2

媚 庵 「三 汀」10句   →読む 菊田一平 「オペラグラス」10  →読む
田中亜美 「白 蝶」10句  →読む 鴇田智哉 「てがかり」10  →読む
佐山哲郎 「みづぐるま」10  →読む
寺澤一雄 「銀蜻蜒」50句  →読む
村田 篠 「窓がある」10句  →読む 山口東人 「週 末」10  →読む
遠藤 治 「海の日」10  →読む


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中山宙虫 



蛇 を 見 て ひ と り に な つ て し ま ひ け り    村田 篠

小学生の頃、田舎育ちの僕は、良く蛇に出会った。僕らの集落にはなぜか男の子しかいなくて、蛇にいたずらして遊ぶこともしばしば。道路に出ている蛇を捕まえて振り回したり。穴に逃げ込もうとする蛇を引きずり出したり。蛇は怖い存在ではなかったのだ。蛇にとっては災いかもしれなかった。僕らは、ちょっとした勇気を見せつけることで胸を張っていた。

まだその頃は、僕らの同級生に兄さんがいて、けっこう一緒に遊んでいた記憶がある。田んぼの中を、縦横無尽に走り回ったり。めんこやビー球で遊んだり。川で泳いだり。そこにはその兄さんたちから受け継がれた遊びがたくさんあった。昭和30年代なかばのことだ。

やがて、その兄さんたちも中学生になり、僕らと遊ぶことも少なくなる。そして、僕らの生活にテレビが登場する。テレビは、友達と遊ぶ時間を奪った。僕の家は、友達の家まで歩いて10分以上かかるし、当時電話もなかったので、出かけてみなければいるかどうかわからなかった。「○○君、いる?」問いかけても家から返事がないこともしばしばだ。そうなるとますます足が遠のく。みるみる友達と遊ぶ時間は少なくなっていった。

大人になって、帰省をする。僕らの集落に当時の同級生はほとんどいない。一旦都会へ出ていった兄さんたちが帰ってきたという話を耳にする。けれど、それはけっして明るい話と一緒には聞けない。体を悪くして両親の元に帰って来ただの。借金を抱えているだの。女に騙されただの。そんな話を聞かされるのだ。彼らの帰郷はけっして明るいものではない。一度は都会で何かを目指したのかもしれないが。

帰省しても、もう誰とも会うことはなくなった。実際、そういった兄さんたちや同級生の話も聞くことが少なくなった。自分たちの集落で、いつも遊んでいた仲間たちに会うことはない。

蛇を振り回して「お前、なかなかやるあー。」。そう言って仲間に迎えられた日。それは遥か遠い日。




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羽田野 令

肌 脱 ぎ て 久 米 三 汀 の 書 な る と ぞ    媚庵

三汀とは久米正雄の俳号。郡山で育った人である。昨年郡山で時間があって町を歩いた時、句碑を見つけた。それは小学校に建っていて明朝体で彫られていた。この句では三汀の書のことが言われているが、どんな字だったのだろうか。

肌脱ぎの人が軸か何かを見せているのだろう。肌脱ぎは暑い時のくつろぐ格好だが、何かことに向かう時の「もろ肌脱ぐ」や「一肌脱ぐ」を連想するからか、書を持っていることを誇る人の勢い込んだものを感じる。肌脱ぎも着物の場合のことなので最近はあまり見ることもない。一連はそのような一時代前を彷佛させる道具立ての中に作家の名や猫町が登場する。往事の文人たちへの作者の思いを思う。


さ み だ る る わ け て そ ね さ き あ た り は も    菊田一平

「そねさき」と濁らないで言うとなんと優しい響きだろう。どこかはかなげでもある。昔は濁らないで言ったそうだ。曾根崎村は今の大阪駅前のビル群の辺りまでを含んだらしい。さみだるる、本当にあの辺りはそうだなあとこの句を読んで思う。お初徳兵衛の頃は草深い湿地だったことを思うと隔世の感がある。それに今の駅前ビルの以前の町、戦後すぐからあったという密集した町が全くなくなってしまったことも私にはさみだるることである。場所への思いは個々に違うが、「そねさき」はやはり近松で読んで、お初天神界隈の様相にさみだるるのがよいのかもしれない。


あ  橋 の 風 夏 内 耳 み づ ぐ る ま    佐山哲郎

空白があるので切って読むと、それで時間的経過を読んでいくことになる。一文字、スペース、二文字、スペース、という小さな切り方は訥々とした感じだが、声に出しでみるととてもリズムがよい。言葉の頭の音にあ段の音が続き、夏、内耳と「な」が重なっているのも心地よい。外界の風景である橋から体に感じる風へ、そして自分の内側へ入る。最後の「みづぐるま」はその回る音を余韻として残す。さっと風が吹いてきた、おそらく一瞬の間のことだろう。川のさわやかな風とともに自分の中の音を聞いた作者が、その時を反芻しているような感が伝わる。


万 物 に 石 を 見 立 て る 夏 休 み    寺澤一雄

石を様々に見立てることは原初よりあったに違いなく、何かの形だとするとそこに霊(たま)が宿ることになる。そのようにして注連縄が巻かれたり、祠に入れられたりして人の祈りのよりどころとなってきた石がたくさんある。掲句ではアニミズムに行かず、現代の夏休みの景を浮かばせる。子供が工作で石に色を塗って動物を描いている場面でもいいし、山や川を歩いて面白い形の石を見つける家族でもよい。季語できまった句である。


信 号 を 待 つ て ゐ る 間 の 揚 羽 か な   村田 篠

信号の変わるのを待つ人の前にどこからか現れる揚羽蝶。垂直に立つ人達と蝶の縫う曲線の軌跡。皆ちょっと目で追う。その小さな出来事の主人公は“あ!”と言われたり、句に書かれたり、そのまま忘れられたりするのである。


あ い の 風 映 画 の ビ ラ の 白 と 黒    山口東人

多色刷りでないビラは、小さな自主上映会を思わせる。60年代後半から70年代のガリ版刷りのビラではないだろうか。そうでなくてもやはり、商業主義に則ったものではないだろう。

あいの風とは、「あゆ」「あい」と呼ばれて様々の漂流物をもたらし入船を容易にする海からの風。古来よりこの国は海から様々な文物がやってきたが、流木などの海に寄りくるものも生活にいろいろ役立った。あいの風はそんな幸いを与えてくれるものであった。小さなビラをあいの風が大きく包んで守ってくれているようである。



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吉田悦花 


音 楽 の 流 る る ま ま に 浮 い て こ い       村田 篠
蛇 を 見 て ひ と り に な つ て し ま ひ け り
ハ モ ニ カ に 息 の 音 あ り 夏 の 暮

今回、拝見した9作品の作者のうち、初めて作品に接する機会を得た方もいらっしゃいました。九人九色の作品集の最初、「窓 がある」は、繊細で、どこか内省的な世界を感じさせる10句。「浮いてこい」季語に力強さがあります。いつのまにか「ひとりになつてしまいけり」。「ハモニ カ」からもれる、ためいきのような音。たしかに「夏の暮」に通じています。


芝 を 刈 る ボ タ ン ダ ウ ン の 男 か な       山口東人
土 用 凪 木 の 電 柱 に 蓋 が あ る
メ ロ ン パ ン 喰 へ ば 火 葬 の 終 り け り

「週末」というタイトルのように、気負いのない10句。「ボタンダウン」から、アイビー・ルックとかスノッブという言葉も彷彿として、妙に面白い。「木の 電柱」も懐かしい。しかも、「葢」があるとは。納得させられます。「メロンパン」の質感に似て、乾いた感覚に軽く驚きました。忘れられない一句になりそ う。


波 乗 り の 波 に 乗 る と き 陸 を 向 き       遠藤 治
波 乗 り の 姿 勢 の ま ま に 呑 ま れ け り
焼 き そ ば を 重 ね 持 ち た る ビ キ ニ か な

「海の日」の連作中、「波乗り」2句に好感を持ちました。「焼きそば」は、一読したとき、「重ね打ちたる」と勝手に読んでしまい、「ビキニ」姿の日焼け ギャル(死語)が、屋台の鉄板で豪快に焼いている様子かな、と思ってしまいました。透明の容器の「焼きそば」を持って砂浜をくる健康的なイメージ、でしょ うか。


草 刈 機 な れ ば な ん で も 刈 つ て を り     寺澤一雄
水 流 れ 落 ち れ ば 滝 と 感 嘆 す
船 虫 の た く さ ん 出 て た く さ ん 去 る
夏 祭 毎 年 常 の こ と を な す
竹 婦 人 竹 を 編 ん だ る だ け の も の
仕 方 な く 水 争 に 混 ざ り け り
心 臓 が 止 れ ば 死 体 サ ク ラ ン ボ
扇 風 機 売 り 場 か ら い ろ い ろ な 風
虎 が 雨 株 主 総 会 集 中 日
燃 え 尽 き て 蚊 取 線 香 渦 残 す
大 蚯 蚓 伸 び 切 つ て を り 進 ま ざ る
日 本 に ゐ る ア メ リ カ の 兵 士 か な
虫 の 名 も 人 の 名 前 も 疎 覚 え
風 鈴 は 吊 さ れ な が ら 鳴 り に け り

「なれば」「落ちれば」「常のこと」「だけのもの」「仕方なく」など、いっちゃった感というか、よくぞいってくれたという感じ。この、身も蓋もない感じ、 いいなあ。だからなんなのと突っ込んだり、ホントホントと共感したり、なんだか愉快になる。大雑把なようで、良質な詩性に支えられ、なんとなく考えさせら れてしまう。とくに、「船虫の」「扇風機」「虫の名も」が好き。淡々としているように見えて、微妙なところで変化する。読み手を煙に巻くような50句。


帆 船 は 祈 り の 位 置 に 夕 薄 暑         田中亜美
し づ か な る 拳 緑 蔭 過 ぎ る 鳥
白 日 傘 真 空 管 と し て あ ゆ む

白い帆、それは「祈りの位置」という断定に魅かれます。ダイナミックな広がりのある構成だけに、「夕薄暑」という季語は、すこし情感に傾いてしまって、 もったいない気がします。「真空管としてあゆむ」は、「白日傘」を傾かせている身が、真空になったかのような、透明で繊細な、どこか虚ろな心情を表現。


う す う す と 電 気 の な か を 羽 蟻 来 る      鴇田智哉
蚊 の と ほ り 抜 け た る あ と の 背 中 か な
が が ん ぼ の ぐ ら つ き な が ら ゐ る ば か り

なんでもないような、意識の空白をくぐりぬけたことば。だれもが目にしているけれども、視ていない、そんな表層をすくい上げている感じ。とくに「ぐらつき ながらゐるばかり」のひらがな表記にはあやうさも。淡淡としているけれども真顔過ぎて、もう少し茶目っ気漂う句も見たいなあ。そんな気もします。


半 夏 生 魚 は 鱗 を 脱 ぎ に け り           佐山哲郎
鯵 と し て 熱 く 激 し く 皮 膚 匂 ふ
籐 椅 子 の を ん な 魚 の 卵 抱 く

「鱗」「皮膚」「卵」と、かなり生々しい。でも、幾重にも塗りこめられた絵画を観るようで、納得させられます。とくに「半夏生」の句は季語も効いていて、 するりと脱皮する「魚」の「鱗」のきらめきが見えてきます。「籐椅子」は、「魚の卵」をすでに孕んでいるようなイメージ。ドキッとさせられます。


年 金 を 確 か め に 行 く 夏 帽 子            媚庵 
画 面 か ら ビ リ ー の 叱 咤 川 開 き
箱 庭 の フ ィ ギ ュ ア 置 き 変 へ 太 宰 の 忌

「年金」「ビリー」「フィギュア」で三題噺ができそうですね。「確かめに行く」にリアリティ。ビリーズブートキャンプの「ビリーの叱咤」でしょうか? 隅 田川花火大会の打ち上げ花火の最中、黙々とエクササイズに励んでいる風景は、一種凄みがあるような。「置き換へ」としたところにこだわりが感じられます。


青 水 無 月 鯉 に 大 き な 鼻 の 穴           菊田一平
豆 ご は ん 厨 揺 ら し て 噴 き 上 が る
夏 至 の 日 の オ ペ ラ グ ラ ス に 嘆 き の 場

池の面をせり上がってくる「鯉に大きな鼻の穴」が面白い。「厨揺らして」のインパクト。「炊き上がる」香り、ふっくらとした「豆」まで見える、幸福な夕 餉。歌舞伎の舞台は一気に盛り上がり、愁嘆の場に雪崩れ込む。身を乗り出すようにして「オペラグラス」に見入っている作者。熱中している姿が目に浮かびま す。



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猫 髭


 麦 粉 菓 子 林 房 雄 を 再 読 し   媚庵

【画面からビリーの叱咤川開き】を除けば、みなレトロな句で、特に【明治時代の死語「帰省子」】(飯田龍太曰く)を使った【帰省子の渡り廊下を渡りけり】などは恍惚としているが、明治生まれが週俳に句を掲げることはないから、ヘルマン・ブロッホ×色川武大的に言うと「老境に入りつつある懐古趣味の男」の手遊びという趣きになる。だから、そのつもりでつきあうことになるが、まあ、週俳始まって以来の珍句がある。揚句である。
麦粉菓子?「麦焦がし」だっぺよ。

  麦焦がし林房雄を再読し

が正しい。と言っても、「麦焦がし」など今の人たちにはなじみがないだろう。

【麦焦がし:大麦を炒って粉にひいたもの。砂糖を混ぜ水で練って食べたり、菓子の原料にしたりする。はったい。香煎。麦炒り粉。[季]夏。】(大辞林)。戦時中の食料難で、水団が主食で「麦焦がし」がお八つという時代もあったので、戦争が終わっても親父がよく作って、相伴させられたが、まあ、うまいものではない。ただ、切迫した中にも楽しい団欒の思い出もあったのか、あんときはひどかったと戦時中の暮しを語りながら、やっぱりまずいなあと笑いながら食べる父の記憶は、貧乏を香ばしくしたようなねちょねちょした甘味を蘇らせて、懐かしい味ではある。水団と「麦焦がし」はおやじの味なのかもしれない。

取り合わせは林房雄。投獄中にプロレタリア文学から転向(平凡社の思想の科学研究会編『共同研究 転向』参照)した作家で(この時の小林秀雄の友情は彼の『林房雄の「青年」』によくあらわれている)、『大東亜戦争肯定論』で物議を醸し、三島由紀夫が非常に尊敬し、その対談『対話・日本人論』と三島の『林房雄論』は70年代当時話題になったが、彼の書くいわゆる中間小説との落差が腑に落ちなかった。しかし、揚句で彼の小説は「麦焦がし」の味だと言われたようで、四十年来腑に落ちなかった気持にストンと来たので、実に絶妙と感心した。くどいようだが「麦粉菓子」といったビスケットのような洒落た味ではない。冬に食う蕎麦湯の夏の大麦ヴァージョンといったところか。

余談ながら、マキノ正博の戦前の映画に『鴛鴦歌合戦』という抱腹絶倒のオペレッタ映画の大傑作がある。何と片岡千恵蔵、志村喬が歌い踊るのである。ディック・ミネの♪ぼっくはお洒落な殿様~♪のバカ殿役なぞ絶品で、志村喬がこれがまた歌がうまい!♪さ~て、さてさてこの茶碗♪なんぞと、実に軽妙にしてなかなか。貧乏長屋の落ちぶれた浪人役で、毎日麦焦がしを食べている。しかし、その麦焦がしを入れている壺が、実は驚くなかれ、という物語で、こんな馬鹿馬鹿しいほど楽しい映画を見ないで、みんな死ぬなよ。


 夏 至 の 日 の オ ペ ラ グ ラ ス に 嘆 き の 場   菊田一平

まるで、ルキノ・ヴィスコンティの絢爛豪華な映画の一シーンのような豪華な句である。『夏の嵐』で、アリダ・ヴァリが地を縫うようなドレスに身をつつみ、若い恋人の元へ訪れんと嵐の予感をはらんだ黒雲の下の道を横切る姿すら見えてきそうだ。まさしく『オペラグラス』十句は恋の連作であり、揚句を題に掲げたことで、この恋が「嘆きの場」に終わる夏の嵐のような予兆を告げている。

初句【青水無月鯉に大きな鼻の穴】のどこが恋かと言われれば、鯉が詠まれているからと言えば読者は笑うだろうか。この句は「青水無月恋に大きな落し穴」とも読める。続いて【ニッケルの灰皿重ね太宰の忌】と、玉川上水における愛人山崎富栄との入水心中で死んだ太宰治が詠まれている。「桜桃忌」ではなく「太宰の忌」なのは、「桜桃忌」だと攝津幸彦も【国家よりワタクシ大事さくらんぼ】で下敷きにした『桜桃』の【子供より親が大事、と思いたい】がちらついて邪魔だからだ。「ニッケルの灰皿重ね」てある場所は、ざっかけない銀座の裏の飲屋であり、【家庭の幸福は諸悪の本】(『家庭の幸福』)と吐き捨てることができる場所であり、【人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ】(『ヴィヨンの妻』)と片隅でつぶやける場所でもある。間違っても女房子供と行く店ではない。

【つゆ寒の引けばかたかた厠紙】は、恋とは無縁な、恋の墓場でもある【家庭の幸福】という場所であり、一読、便座に座れば誰もが口ずさみたくなるようなリズムをもっているのが妙味というものだが、繰り返しにたるものだけが生き延びることができる生活の場で、恋は生き延びる事はできない。それが「つゆ寒」の寒さである。リラダンのように【生活、そういうものは召使にくれてやれ】と恋に命をかけるわけにはまいらない。
【さみだるるわけてそねさきあたりはも】は、大阪は曽根崎新地に場を移す。と来れば近松浄瑠璃『曽根崎心中』、【色で導き、情けで教え、恋を菩提の橋となし、渡して救う観世音】で始まる徳兵衛お初道行の【此の世のなごり、夜もなごり、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づゝに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ】の義太夫が響く、一の糸が鳴る。

舞台は一転、【東京の恋はつれなしうつぼ草】。弓を入れる靫に似ているから靫草。しかし、恋の矢はおさまらなかったようだ。忸怩たる「つれなし」だが、巧妙に前句で浄瑠璃の【まばたきて人を戀せる傀儡かな 加藤三七子】という人形の仕種で生身の生臭さを隠しているから、重くは見えないが、実は心情はこの一句で吐露されている。【啜りたる枇杷の滴が枇杷の上】。この枇杷は涙の形をしている。

【豆ごはん厨揺らして噴き上がる】。厠にあらず、今度は厨。恋など役立たずなものは微塵も生き延びる余地のないこのたくましさはどうだ。蒸気機関車が轟くような台所だ。
そして、【夏至の日のオペラグラスに嘆きの場】。日本の心中を太宰、近松とたどれば、ここはさしずめ、竹本座を空前の大入りにした近松半二の時代物浄瑠璃『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」を置く。親の不和から死に至る悲恋の清舟、雛鳥の、これは和製『ロミオとジュリエット』、その雛鳥の【また逢ふこともあらうとは、別るる時の捨て言葉、たとへあの世のとと様に御勘当受くるとも、わしやお前の女房ぢや。とても叶はぬ浮世なら、私は冥土へ参じます。千年も万年も御無事で長生き遊ばして、未来で添うて下さんせ】と、吉野川へと見得切れば、加賀屋高砂屋と大向こうから飛ぶ声も、桟敷の涙にかき消され、丈夫も汗を拭うふりして涙をぬぐう嘆きの場。女には見せぬ涙も、歌舞伎とあれば思う存分涙川、嘆きせきとむるすべもなければ、今日もまた俳句を詠みて遊び暮しつ。【ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ。たれかは殺すとするものぞ。抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ】(萩原朔太郎『純情小曲集』)。

しかし、未練は残るもの。【南風鯉にかまけてゐるらしく】。この句を「南風恋にかまけてゐるらしく」と風に心を託すのは、【冬来たりなば、春遠からじ】で知られるシェリーの『西風に寄す』に見るように、古今東西詩人の習いで、しかし、そこは湿度の高い大和の国、【月見草おーいおーいと手を振れり】と、それでもつとめて明るく手を振る男がここにいる。【忘れねばこそ思ひいださず候】とは名妓高尾が恋の手管なれど、春水『梅暦』では稀代の色男丹次郎【おもひ出す所か、わすれる間があるものか】と二兎を追って二兎を得る珠玉のくどき言葉、女房に吐けば、比翼連理の契り間違いなし、帰る場所があるのは嬉しいと You’d be so nice to come home toが流れる都会のBARへ寄り道してゆく男心よ。




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