2007-08-05

高校生らしさ? 「俳句甲子園」に思うこと 五十嵐秀彦

高校生らしさ? 「俳句甲子園」に思うこと ……五十嵐秀彦




松山の青年会議所が主催している俳句甲子園というイベントをご存知だろうか。全国の高校生が学校対抗で俳句のトーナメント戦を行うというイベントで、今年で10回を数える。

偶然の縁で私が北海道大会の審査員を勤めさせてもらっている。北海道は参加校が少ないのだが、旭川東高という常連校があり、今年で5年連続の松山本選出場を決めている。いまどき珍しく、しっかりとした文芸部があり、部員も多く、俳句にかける思いも熱い学校だ。

今年も含めて4年続けて審査員をしてきた。審査員は3名構成で、俳句作品と両チームによるディベートとをそれぞれ採点し、その合計点で勝敗を決める方式であり、進め方はおおむね柔道の団体戦を思い浮かべてもらえれば良いだろう。

今年の予選結果は、北海道から旭川東高と札幌国際情報高の2校が本選に出ることになった。俳句甲子園も10年になり、どうやら過去最多の参加校となったと聞いている。その隆盛ぶりは実にうれしいことである。

ところで私がいつも思い悩むことがひとつある。それは「高校生らしさ」ということだ。

どうしても大人の立場から見ると、「高校生らしい俳句」を期待する傾向があるようなのだ。しかし、それは大人の勝手であって、高校生であろうとなかろうと、作者はひとりひとり違う個性の持ち主なのだから、「高校生らしさ」などという括りは幻想のようなものである。そのことは十分に理解し審査にのぞんでいるつもりなのではあるが……。

「おい、そんなんでいいのか」
「こんなおとなしい、まとまった句じゃぁ……」
「もっと、あばれろよ」
「自分をさらけだせよ」
 ……
「高校生らしくさ」

あれれ?

別に私は「さわやかさ」とか、「明るさ」とか、「友情、恋」とか、「青春の苦悩」だとかを彼らに求めるつもりはない。好きなように作ってくれればよいのだけれど、そうは言っても、私たちおじさんが作るような句を彼らが作っているのを見ると、「おい。それは違うんじゃないのか」と言いたくなる。

私たちはいつもどんな思いで句を作っているのか。句がおとなしくまとまってしまうことを嫌い、いつも七転八倒しながら、なにか新しいものを探し求めて作句しているのではないか。そんな感受性の鈍磨した大人たちとは違って、どんどんイメージが湧いてくる世代である彼らが、中年(老人?)臭い句を作るのは見るに耐えないものがあるのだ。

俳句甲子園も回を重ね、レベルは年々上がっている。また、このイベント出身の俳人も少しずつ俳壇に登場している。だから私はこれからも俳句甲子園に注目したいし、大いに期待もしている。だけれど、どうか既成の俳壇のミニチュアにはなってくれるな、と言いたい。上手になることが君たちの目的であってはならない、と彼らに言いたいのだ。

今年は松山の本選でどのような句が出てくるのか、とても楽しみにしている。本選は、8月17日~19日、愛媛県松山市で開催される。
http://www.haikukoushien.com/
最後に、私が4年間、北海道で地方大会の審査をしてきて、最も印象に残っている句を挙げておきたい。これは一昨年の、函館西高の生徒の作品だ。

 てるてるの鳥雲に入るキリコの手

残念ながら、彼らのグループは本選には出場できなかった。

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