2008-01-13

田中亜美 オマージュ

【週俳12月の俳句を読む】
田中亜美オマージュ



鏡中のこがらし妻のなかを雲   田島健一

「鏡中」「こがらし」という冷たく澄んだものと、「妻」「雲」という茫洋としたものを、大胆に対比させた一句。鏡中にこがらしが吹きわたるとは、どこか現実と乖離した思念、観念の領域に属することがらの暗示かもしれない。それに対して、リアルな存在である「妻」、そして「雲」にはやわらかく、かすかなぬくもりまで感じられる。

「中の」「なかを」の措辞も印象的だった。鏡の世界のできごとは、私たちの現実の虚なる<鏡像>に過ぎない。もしかしたら「雲」もまた、妻そのひとの曖昧な何か、とらえきれないなにものかの比喩であるかもしれない。

うつろいゆくもの。とらえがたいもの。しかしたしかにそこに感受された、愛おしい<他者>として。


一葉忌句点ほろりとぶらさがる   笠井亞子

pageと題された一連の作品には、書物、行間、頁といった、書字にかかわるモチーフが、ちりばめられている。メタ言語というか、書物そのものを題材にした書物といおうか。文学ではむかしから繰り返されてきた仕掛けではあるが、あらためて俳句になると、やはり面白い。

掲句、「ぶらさがる」に惹かれた。「読点(、)」などと較べると、文と文の切れ目に打つ「句点(。)」は、きっぱりとした記号という気がする。それを「ほろりとぶらさがる」としたところが、面白い。句点を打つ作家の、呼吸のようなものまで、つい意識してしまう。痩身で偏頭痛もちだったという樋口一葉そのひとを、想像してしまう(たぶん冷え性でもあったのでしょう。熱燗がおすすめです。足湯もよいそうです)。

<書く>という営為。そのなかでふとかいま見せる女性の情感、弱さのようなものが、「ほろりと」に感じられる。テクストと作家、両方へのオマージュ。


地に雪嶺生れ雪嶺に雲うまれ   相子智恵

対句的表現を巧みに生かしたスケールの大きい句である。「地に雪嶺生れ」で、地平線から空へとむすばれる壮大な景色がたちあがり、「雪嶺に雲うまれ」でさらに天へと空間がひらかれる。「あめつち」の時空。視点が下から上、地から天へ向かっているところに、なんともいえない臨場感がある。「雪嶺」の語の持つきっぱりとした清潔感も、とても心地良い。

一読、大きな「空間」を詠んでいるようで、悠々とした「時間」をつよく感じさせる。対句表現にかくされた力なのだろうか。

同じ作者に<深海に幻魚どろりとクリスマス>があるのも面白かった。



浜いぶき 「冬の匂ひ」10句 →読む
小池康生 「起伏」10句    →読む
田島健一 「白鳥定食」10句  →読む
太田うさぎ 「胸のかたち」 10句  →読む
冨田拓也 「冬の日」 10句  → 読む
相子智恵 「幻魚」 10句  →読む
笠井亞子 「page」 10句  →読む 中原徳子 「朱欒ざぼん」 10句 →読む
矢羽野智津子 「四〇二号室」 10句 →読む
仲 寒蝉 「間抜け顔」 10句 →読む

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