2008-02-10

【週俳1月の俳句を読む】中村安伸

週俳1月の俳句を読む】
淑気のように雑煮のように
中村安伸


新年の句に有ってほしいのはゆったりとした遊び心と上品な華やかさである。

年が替わるということの厳粛な気分は、薄らいできてはいるものの今なお存在している。古い農村にあるわが実家では、ずいぶん簡略化されたとはいえ、年末から年始にかけていくつものしきたりや行事を行う。そうした手続きを経ることによって、元日の朝にはたしかに「淑気」というものを感じることができる。この「淑気」というものを表現して間然としない一句を、いつかは作りたいと思う。

神棚に柏手を打ち、縁起がよいとされるおせち料理を食したあとは、働かず怠けることが美徳だということになる。福笑いや歌留多、テレビのお笑い番組などで時間を千代紙みたいに浪費しても、それこそがお正月だということで済ませることができる。そのようなお正月ならではの、つるつるでほかほかの雑煮餅のような空気をうまく掬いとった句を愛する。

ちなみに我が家では雑煮の餅はいったん取り出し、黄な粉をまぶしてから食べるのである。


正月のビーチをとんで雀かな     上田信治

海外のリゾート地などで年末年始を過ごす人も珍しくなくなった。常夏のビーチで過ごしていてもやはり「正月」であるという気分はあるのだろう。それは作者が俳人であるからかどうか。

「雀」からは稲を連想し、農耕神事としての正月ともつながっている。現代日本人の精神世界の多層性などというと硬いが、ただユーモラスな景というだけではなく、そこに批評性のようなものがあるからこそ、この句がことさら印象深いのだと思う。


書初の妊の一字の緊(し)まりけり   戒波羅蜜多 麟

書初といっても、思いつくままいろんな文字を毛筆で紙に書き散らしたものであろうか。もしくは、たまたまそのあたりにあった雑誌や新聞から、目についた文字を書いてみたのかもしれない。
「妊」という文字を書いた瞬間、生命誕生への神秘的で厳粛な思いと、エロティックな行為へのはしたない連想が同時に浮かんだろうか。いづれにしても正月にエロスは似合いのように思われる。より深読みすれば「一年の計は元旦にあり」といい、新たな一年がここからはじまるという気持ちは、生命のはじまりである「妊」の一字とつながってくるともいえなくはない。
ともかく「妊」という文字は単純ながら斜線がバランスよく構成され、緊まっていると思う。


娵が君テレビの耳を落としけり    敬愚(ロビン・ギル)

ネズミに耳を齧り取られたドラえもん。そのときの恐怖からネズミ嫌いとなり、身体も青くなったという。テレビにけもののような耳がついていて、それを娵が君が齧り落としたというような空想をすると、滑稽でかわいらしく、ものがなしくもある。ただ、より現実味のある読みをするなら、室内アンテナか何かを「テレビの耳」に見立てたものということだろうか。それはそれで正月らしい鷹揚な気分のあふれた、諧謔味のある一句ということができるだろう。


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