2008-08-31

「ねむらん会」参加録 羽田野 令+野口 裕

「ねむらん会」参加録




羽田野 令 子供が何かで遊ぶように


今月の23日、24日と岡山の和気鵜飼谷温泉でねむらん会が開かれた。今年が四回目で私は二回目の参加。ねむらん会とは川柳人を中心に二年ごとに開かれる会で、眠らずに句を作り、言葉で遊ぼうという会である。「ねむらん」と言っても就寝時間も少しある。集まったのは16人。うち一人は参加者のお子さん、一人が夜十時前に退出。深夜に及んでの参加は14人であった。私を含む三人が俳人、あとは川柳人という構成である。

ともかく皆のパワーに感心させられる。何でもやってやろうという心意気と、事実なんでもこなされるのに圧倒される。私はついていくのに精いっぱい。ついていけてないのもある。三分間吟など二句しか出せないという有り様なのだが。

まず七月に来た会の案内に兼題の五題が書かれてあった。各二句づつ持って行かなければならない。宿題の形であるが、道中考えたり着いてから作ったりする人が多い。松本仁さんの車での京都からの四人は一時過ぎに到着。集合時間の三時までに間があるので、兼題句を考える。一つは笠付(=冠句)。石部明さんから兼題の選者を割り当てられる。この会では互選はなくて、題ごとに一人か二人の選者が決まる。全員が何かの選をすることになる。題ごとに二人づつ兼題の選者名が書かれた紙が貼られる。

広間の床の間に題を書いたA4ぐらいの封筒が並べられ、できた句はそこに入れる。「句箋ある?」「はい、句箋!」と、細長い紙が配られる。俳人三人は、これは短冊やなあ、と。俳句では短冊と言ってるものを川柳では句箋と呼ぶそうだ。選者が二人の場合は、同じ句を二枚書かなければならない。

九州からの人も到着した頃、イメージ吟の題の発表。イメージ吟とは、題が言葉以外のもので示され、それからイメージすることを詠むというもの。伏せられたガラスコップの上に醤油せんべいを乗せたもの、紺色の折畳み傘、黄色いプラスチック製の靴ベラの三つ。これも各二句。提出は食事の後。兼題句の〆切が過ぎ、兼題の作品の入った袋は各選者に渡される。選の発表は食事の後だし、このあたりの進行はゆっくりしているのだが、日頃川柳に慣れていない者は選に大いに悩む。

食事が始まりお酒も入って一段落すると誰かが尻取りをしようと言い出した。これは予定外であったらしく、どういう風にするかがその場できまる。上五を次の人が上に持ってきて繋ぐということになり、ホワイトボードに書くことになる。一番端に座っていた石田柊馬さんが最初に詠むことに。集まった私たちを巧みに詠み込んだ句を即座に発表される。皆ほんのわずかな時間で次々に付けてゆき、最後の句が最初の句に繋がって、循環する形に終わるまで30分もかからなかった。

この尻取りの形が、笠段々付(かさだんだんづけ)だと言ったのは小池正博さん。小池さんは雑俳に詳しい方である。

出来上がって、一人が三回挙手での選。写真の赤字が右の句の得票数だが、十人が選んだ最高点句は前の句からの転じ方が鮮やかである。<秋の風隣を覗く竹帚>に得票がないのが不思議だが、皆最初にどどっと上げてしまったからなのだろう。手を上げるべきだった。地味だけどこれも前の句からすっきりと転じている。

中ほどにある「夏の滝」が俳人は気になるだろうが、川柳人は季語を意識していないから自然と出てきたのだろう。滝が季語になったのも後藤夜半以来らしいし、芭蕉だって<ほろほろと山吹散るか滝の音>とあるくらいだから。

夕食後、本格的に始まる。兼題、イメージ吟の選の発表があり、三分間吟も。数字を二つ入れた句、動物と数字を入れた句、などの題が石田柊馬さんから出される。深夜の三分間吟は、全員が一つづつ出題し、出題者は作らずストップウォッチを持って計り、その後みなの句箋を集め、後でその題の選者になる。題は「本陣」「バカ」「ことば」「キ」「通過」「紫式部」など14題。句は下書きをせずに書いて出してしまうので、手もとには残らない。だから、自分の句も覚えていない。石部明さんが後でまとめて下さるのを待つことになる。今、下記掲示板に順次発表されている。
http://8418.teacup.com/akuru/bbs

選からもれた句が今こちらのブログにも少し発表されているが、いい句がある。
http://moon.ap.teacup.com/senruu/

 小鳥には小鳥のことば光あう
 あけっぱなしになった北京の鍋の蓋

散文を書くという時間もあった。これらのメニューを考えているのは石田柊馬さん。『悪魔の辞典』に倣って書けという課題。まず『悪魔の辞典』からの抜粋がプリントされた紙が一枚配られてお手本が示される。そして、出された題について、自分の『悪魔の辞典』を書いていくのだが、物事を悪魔的視点で見ることが難しい。選ばれた文章はどれも、なるほど!と感心してしまう。

今回の新しい試みに長歌があった。いきなり長歌というのではなく、行程がとてもうまく考えられていた。最初は口語現代詩や、寺山の長歌が出てきて、いくつかの言葉が四角て囲んであって、その言葉を必ず使わなければならないというルールである。それらキーになる言葉をそのまま使って、その言葉と言葉の間を考えて創作してゆくという作業。でも、出てきた現代詩も寺山もむずかしかったので私は難渋した。

その後に、人麻呂の万葉の長歌「靡けこの山」の後半部分が渡されて、この音数で長歌を作れというもの。これは使わなければならない言葉は何もなく、時間も八分と長かったのでやや書きやすかったか。同じように恋をテーマにして五七調で文語で書いた。長歌を作ったのは初めてである。

間に何度か運動会があるのもこの会の特徴である。眠気覚ましのためらしい。行く時から柊馬さんの大きな紙袋の中にはピンクのボールが見えていた。ボールを蹴ったり、プラスチックの洗面器を蹴ったりして、二つのチーム対抗で競う。句も全部チーム対抗戦である。選に入ったら点が入るということになっている。

吉澤久良さんはサッカー選手のような服装で、ボール蹴りなどのお手本を見せるのに大活躍。樋口由紀子さんは私の横でどんな題にも即座にさらさらと鉛筆を滑らせているし、柊馬さんはいつも次々に何枚も何枚も手が止まることなく書かれる。途中ふっと顔を上げると皆うつむいて必死で書いている。

二つのチームの接戦となったが、3時半頃には終わった。女子五人は別室に引き上げたが直前まで言葉と格闘していたせいか、なかなか寝付かれない。翌朝は短歌二首で〆。卵とTシャツという題で一首づつ。たんかー?!、七七はよう付けん、等と言いながらも短かい時間内でちゃんと作るすごい方ばかりである。

がむしゃらに言葉を探し、言葉を連ね、子供が何かで遊ぶように言葉で遊んだねむらん会であった。






野口 裕 未完といえども必死に


岡山県和気鵜飼谷温泉で行われた「ねむらん会」に参加。毎回愚息を連れての参加となる。実は、一度この会に連れて行ってから、愚生よりも彼の方が参加に熱心である。会場はそのたびごとに変わるが、必ず泳げるのが彼にとっての魅力となるようだ。その間、「配愚う者」は母子の関係から解放されることもあり、参加を結構歓迎している。

今回は、私鉄・JRを乗り継いで会場に向かう。相生から和気までのJRが非常に混んでいた。土曜日のせいだろうか。会場到着後、すぐに温水プールに向かう。愚息は約三時間みっちり泳いだ。こちらは夜眠らない予定なので、体力温存のため泳がずにひたすら水中歩行。

プールを切り上げて、会場に向かうと、当日の課題が出ている。と、思ったら、事前のメールに兼題として出ていたといわれる。完全に忘れていた。しばらく顔を見ていなかった珍しい人もいたのだが、挨拶もそこそこに、締め切りまでとにかく作句。愚息がテレビを見たそうなので、途中で会場を抜け出してロビーで作句を続ける。

ロビーは、大勢の人がいる。愚息はチャンネルを切り替えられないのが不満そうだが、とにかくおとなしくは見ている。たまに、奇声を発したりして思わぬ注目を浴びることもあるが、今回はそのような事態にはならない。まあ、我慢してテレビを見ていろよ、と念じながら五七五を考えているところへ、緊急連絡。句会の開始が早まったからすぐ来いとのこと。えらいこっちゃ、と思いつつ会場に戻る。

今回の場合、一題に二句提出。選者は二人。互選はやらなかったので、一句一句に対する議論は行われず進行は速い。兼題が六、当日のイメージ吟(オブジェが示されて、それからイメージされる句を作る)が三だったかと記憶する。この句会の持ち方では作句量が膨大になる。よく、「どしどし作って、どしどし捨てる」と云う言い方をされるが、必然的にそうなってしまう。

愚生も選者になっていたので、作る方はそこそこに選にまわるが、さて今になってみるとどんな句を選んだのか覚えていない。題すらも覚えていない。今、以前のメールを確認してみると、

 「素通り」「躊躇」「魔王」「タオル」 笠句「飛び立って」

と、なっていた。さきほど、兼題数が六と書いたが、やはり記憶は当てにならない。兼題はわかったが、どの題の選者だったかは記憶にない。かわりに、イメージ吟の題は覚えている。伏せたコップの上に丸い醤油煎餅が一枚載せてあるのと、折りたたみ傘、長い柄の黄色いプラスチック製靴べら、の三題だった。愚生は、現物が脇に置いてあるのを知らず、会場の鴨居にぶら下がっていた紙に書いてある絵がイメージ吟の元だと思っていた。伏せたコップの上の醤油煎餅を線画で描いてあったものから浮かんだのが、

砥石研ぐ砥石だという映写技師

これが、特選になった。現物を見ていたら、思いつかなかっただろう。他に作った句は、覚えていない。

話は前後するが、披講自体は食後にあった。食事中は、体重九六キログラムの愚息が食べ過ぎないように気は使うが、愚生自身の食が進むのであまり効果はない。たっぷり泳ぎ、たっぷり食べて満足のようだ。

兼題とイメージ吟の披講後から夜の部に入る。まず、「笠段々付け」というのをやる。五七五の最後の五を頭に持ってきて次の五七五を作るのだが、愚生には「落ちる子等」というのがまわってきた。前の句が、夏の瀧を滑り台にして遊んでいる風景なので、がらりと場面を変えて、

落ちる子等口あけたまま秋の風

とやった。困ったときの「秋の風」である。場面転換の点では、さらにあざやかな句が多かった。残念ながら記憶にございません。

地元の帰宅組が帰ってから、徹夜の本番(とは言うものの、参加メンバーにお年寄りが多くなり四時前には寝たのだが)。愚息は会場の隅に布団を敷いて就寝。

さきほどから、記憶にない、というところが多いが、すべて徹夜のせいである。レクリエーションをはさみつつ、様々の題をこなす。最後の三分間吟(出された題を元に、三分間でできるだけ多くの句を作る。慣れた人は、三分で十句以上を作る。)までは、五七五を離れて様々なパターンの文を作る。ビアスの「悪魔の辞典」を参考に、それ風の文を書いてみたり、現代詩や寺山修司の長歌の部分部分を残して、その間を埋めてみたりというようなことをやった。

いつもながら、この五七五を離れて様々なパターンの文を作るところで、「ねむらん会」のこの部分を担当している石田柊馬の情熱を感じる。参加メンバーの中にはこれらの課題に音を上げる人も結構いる。選者は交代交代にやるのだが、愚生が選を担当したところ(寺山修司の長歌)では、結局課題をこなしきれず、未完のものもあった。大げさに言えば、この課題をこなせないようでは川柳の未来は来ない、と課題提出者は考え、その考えをしっかりと受けとめているからこそ、未完になるとはいえども必死で課題に取り組むのだろう。未完のものも、推敲の跡が歴然としている。

稿起こし 一年たっても墨摺らず 五年たったら一行詩 十年後には抹消し 百年後には酸性雨 元の紙をば消し去りぬ
雨々降れ振れ雨よ触れ 雨々降れば 言葉消ゆ

このときの愚作(多少違っているかも知れない)だが、一年、五年等が元の寺山の部分。元の歌を探してくる情熱は凄いと愚作を書きながらあらためて思う。

深更にいたり、三分間吟。参加メンバー交互に題を出してタイマー係を務める。題を出した人以外は三分間ひたすらに作句。参加メンバーの平均は三分間で六、七句というところか。慣れた人は、十句以上を作り平然と提出し、またその句が良く抜ける。愚生の方は平均三、四句、多くて六句というところ。「あと三十秒」のかけ声を聞いたところで頭が働かなくなる慣れの差もあるが、よく作れるなあと、つくづく感心する。

愚生の場合、三分間吟の障害の一つに漢字を書けなくなっていることがある。途中で「墓」がどうしても出てこず、「碁」を書いたり、「基」を書いてみたりで結局「ハカ」と書いてしまったのがあった。発想段階で、この漢字思い出せないからやめておこうというのも結構あり、日頃PCの漢字変換に狎れすぎているのを痛感した場面でもあった。

ところで、どんな句が出たかは、さっぱり覚えていない。自作もそう。いまだに睡眠不足による頭痛が残っているのだから仕方がない。これは、記録が出てきた時点で確認しなければいけないだろう。

前述したように、就寝が四時前。以前はもっと粘ったような記憶もあるが、翌日のことも考えると終了時間はこんなもんだろう。七時に目が覚めたが、皆さん寝ている。もう一度寝ようとして、十分とろとろしてはまた目が覚めを何回か繰り返した。よく寝ている愚息をたたき起こして、朝食に向かったのが八時をまわっていただろうか。朝食時に、朝の課題として五七五七七が出たが、まあ付け足しの感じ。十時の解散まであまり時間もなかった。

解散後、石部明さんの車におじゃまして、愚息共々、備前焼の美術館まで送ってもらう。以前愚息の描いた「火星」という油絵が、最初に「ねむらん会」に参加したときに見学した備前焼の印象に基づいているのではないかとの疑問があった。それを確認しようとしたのだが、入った途端に油絵にそっくりの桃山時代の大きな壺が受付近くに置いてあった。疑問氷塊。やはり、火星ではなく備前焼だった。もう売れて手元にはないが、あの絵は「ねむらん会」の副産物だったのだ。もう一度あのような絵を描くかどうかは、本人が返事をしないのでわからない。ひたすら、「ねむらん会、楽しかったです」を繰り返し言っている。



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