2009-06-14

〔週俳5月の俳句を読む〕鈴木茂雄 その女性のうなじまで生々しく

〔週俳5月の俳句を読む〕
鈴木茂雄
その女性のうなじまで生々しく


鳥帰る弓型に張る伸子張  下村志津子

一読、「しんしばり」というコトバが耳の奥で残響のように懐かしく蘇る。「伸子張」とは洗濯した布や染めた綿布を伸子と呼ばれる道具を使ってその皺を伸ばして乾かす方法のことだが、遠い昔、伸子張りした布に米で作った糊を塗って干してあった隣家の庭の「伸子張」の光景がありありと思い浮んだ。伸子張りをしていたその女性のうなじまで生々しく思い浮かぶのは、季語「鳥帰る」がわが胸の奥の暗い彼方にある郷愁を呼び覚ますからだろう。ことに、米で作った糊の匂いと伸子張りする若い人妻の後姿は、思春期の感覚のひとつとしていまも記憶の隅に残っている。

メトロにも青空の駅つばくらめ  下村志津子

この「メトロ」は「地下鉄」のことだろうか、それとも メトロポリス(首都、大都市)の略語「メトロ」だろうか。 「地下鉄にも青空の駅」とも「都会にも青空の駅」とも受け取れるが、一句のリズムは作者がそのことを新鮮に感じたこころの表れに満ちているので、当然、この「メトロ」は前者のことに違いない。突然地上に出た明るさを「青空の駅」と作者は詠う。平仮名で表記した季語「つばくらめ」にも作者の心の躍動感がよく出ている。実際にこんな感覚を味わったことがあるが、「青空の駅」とは言い得て妙、まるで宙に浮かぶ駅のようだ。

蝶二頭乾いた街に流れつく  下村志津子

まるで西部劇に出てくる町のようだ。馬のように大きな蝶に跨って現代の「乾いた街」に流れ着いたのは一体何者だろう。それとも蝶二頭そのものが「流れつく」ところを描いたものだろうか。いずれにしても山口晢子の乾いた抒情を思わせる不思議な雰囲気を持った作品だ。

野遊びやをんないくつも袋持つ  下村志津子

「野遊び」とは、春の一日、花を見たり草を摘んだりして野外で遊ぶことだが、この野遊びはまた夜遊びに通じているように思われる。「をんな」という平仮名表記は特定の女ではなく、女という習性を持った生き物を表す記号になっていて、もしそんなオンナに、いくつもの袋を持っているんですよ、なんて言われたらどうしようと、また妄想している自分に気がついた。オトコはいくつものポケットを持っている、三読するうちに、いつの間にか自分も野遊びのなかのひとりになっていた。

雲雀野やひとりぼつちが遠くにも  下村志津子 

「雲雀野」と「ひとりぼつち」の自分との対比の構図。この「雲雀野」は作者の心象風景だろう。切字「や」はその感情を表白したもの。「遠くにも」が孤独な自分を修飾する副詞的役割を果たしていて、さらにその「ひとりぼつち」感を増幅する。


鉄骨の静かに組まれ春の昼  星野高士

「春の昼」は不思議な時空だ。ある日ふと気がつくと、そこは更地になっていて、もう次の日には「鉄骨」が「静かに組まれ」始める。そうすると昨日まで更地だった場所が、その前までは何があったのかもう記憶の彼方へと消え去っていて、不思議というより恐怖をさえ感じる。


つぎの作品も印象に残りました。

痒くて痒くていっそ杉菜になってやる  夏井いつき

百年の恋は椿を踏んでから  渡部州麻子

鉛ぽたぽた鉱石ラジオは夏へぴー  加根兼光

まひるまのひたひの暗さ藤の花  山下知津子

みどりの日猫はしずくのように降り  こしのゆみこ

まつりから覚めて祭へ出でゆけり  しなだしん




下村志津子 メトロ 10句  ≫読む
星野高士 鳥の巣 10句  ≫読む
夏井いつき 仏陀の目 30句 ≫読む
十亀わら むくげむくげ 10句 ≫読む
渡部州麻子 百年の恋 10句 ≫読む
加根兼光 指間(しかん)10句 ≫読む
山下知津子 影光らざる 10句  ≫読む
こしのゆみこ 天 辺 10句  ≫読む
しなだしん はさむほど 10句  ≫読む
日原 傳 朝 曇 10句  ≫読む


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