ただごとについて(下)
上田信治
「豆の木 no.11」(2007.4)より改稿転載。
≫ただごとについて(上)
≫ただごとについて(中)
(承前)
高濱虚子の代表的「ただごと」俳句に〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉(昭和9年)がある。この「バナナ」の「ただごと」性は強烈で、これに並べるとたいがいの句がマトモに見える。
●
虚子の必ずしも明確でない理論的変遷の中で、一貫していたのは、俳句が、虚子本人にとっては常に自明のものだった、ということだけだったように思われる。
たとえば、虚子が常に俳句論の中心に置く「季題」について、伝統的美意識をもってその価値とするのか、その素材による新しい美の発見を重視するのか。それは、どっちもであった、としかいいようがないらしい。もっとも、虚子はいろいろなことに「あれもこれも」という態度を取る人なので、それで不思議はない。
「客観写生」から「花鳥諷詠」へのスローガンの移行は、言葉面だけ見ると、伝統的価値への回帰のように見えるが、本人の実作上は全くそんなことはなく、「花鳥諷詠」を言い出した昭和3〜8年以降、虚子の季題に対する態度がいっそう自由を増していることは、どのようなアンソロジーにも現れていることだ。
季題それ自体に、価値があっても結構、なくても結構。「花鳥諷詠とは花鳥にのみ重きを置くの謂ではない。要は如何に其を諷詠するかにある」(「俳句は花鳥諷詠詩」昭和8年)のであり、その求める所としての「俳諧趣味」は、「こんなものであるときめてかかる如き事なく、進むところまで進んで、自分自身の境地を拓いて行く心掛けが必要である」(「俳諧趣味」昭和4年)。
こういうことを言う人の俳句が、平然と「ただごと」であるのは当然のことだろう。
あらかじめ範囲を定めることなく、どんどん書いて、書けたものが趣味にかなうかどうかだけが問題であり、それは、見れば分かる──というか「書けてみなければ分からない」ことなのだ。
俳句は選ばれることによって完結する。〈バナナ〉のような句は「詩」や「美」の規範性を迂回して、ディープかつプライヴェートな判断において選ばれるしかないだろう。規範を越えて一句を選びとることは、「詩」や「美」を更新する価値を自ら見出すことであり、内なる選者を更新することである。
唯一の選者たる虚子は、その更新を、自らに、そして周囲に繰返し求めた。
〈水仙の花活け会に規約なし〉と〈爛々と昼の星見え菌生え〉の間の振れ幅が、同年(昭22)中にあるのが虚子の面目というものだが、〈花活け会〉ほどの珍品は、全句集を通覧しても、そうありはしない。規範の更新は、強烈な自我や幻想の力によって、ということもあるだろうし、あまりの「ただごと」ぶりに自ら脱力して、ということもあるのだろう。
だいたい「バナナ」や「マスク」や「蠅叩き」を季題に入れている時点で、虚子の考える俳句が「ただごとを必要としていた」ことは明らかである。そのとき「ただごと」は、未生の「詩」が待つ辺境として、虚子に準備されていた。
それを「むかつく」と言う人がいることは、当然である。
しかし〈バナナ〉のような句を、見せられては。
●
ここでいったん、虚子の「写生」と「ただごと」の後継者とも呼ぶべき、波多野爽波へ話をうつす。
「俳句スポーツ説」で知られる爽波の方法は、ともかく自動書記的にどんどん書く、「瞬時に」「反射的に」書く、というものだった。
その作句の現場について、飯島晴子がエピソードを残している。
「ホトトギス派の人たちの吟行は(…)その場で見たものをたちどころに何十句と五・七・五の形にするのである」
「全くとるにたらないトリビアルな事が述べられている言葉の向うに、妙に確かに、水のような空気のような、いつまでも終わらない一つの世界の顕(た)っているのが、ホトトギス俳句の魅力である。
私の見つけた睡蓮の蕾はその可能性があるように思われて、私はドキドキするくらいであった。そしてさんざんあれこれやってみたが、出来た句は、事柄を述べるだけで、言葉の向こうには何の気配も得られなかった。
私は事の次第を、同行のホトトギス派の俳人に説明した。その人は私の俳句を見ながらやがて「そういうとき、私が成功するとしたら、見るのと言葉とが一緒に出てくるんですね」と、何でもないことのようにぽつんと言った」
(「言葉の現れるとき」1976『俳句発見』所収)
「「青」五十年十月号の座談会でも、写生は手法か態度かということが問題になっていて、結局、態度であるということに爽波氏は賛成している。」
「草田男の〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉を「これも写生です」と、端然とした口調で爽波氏に言われたときは、私もギョッとなったが、だんだん爽波氏の写生を手さぐりで当たっているうちに、納得させられるものがあるのである」
(「波多野爽波論」1978 同)
〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉が「写生」なら、爽波本人の〈診察の椅子をくるりと鴨の湖〉〈招き猫水中の藻に冬が来て〉も写生だろう。
これらの句が何かを「瞬時に」写したと言えるなら、写したものは、作家本人の意識状態だとしか言いようがない。
「写生の世界は自由闊達の世界である」とは、波多野爽波が、第一句集の冒頭にかかげた有名な言葉だ。
爽波にとって「写生」は、その意識状態のまぶしいほどの「自由」あるいは「放心」の、おすそわけであった。
●
虚子の〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉に、そのことは、そのまま当てはまる。これは、ある意識状態にある自己を、直接、写生したような句だ。
「バナナ」の句の自己は、外側から映像的に描かれたのでもなければ、内側から心理的に描かれたのでもない。ここで作者は、自分の意識上の「言葉という言葉のない」瞬間をつかまえて、内側から「心理の無い自己」を描写する、という、ややこしいことをしている。
(もともと必ずしも人間=心理ではないのだが、描写つまり言語化する以上、他人なら外形や行動の描写、本人であればべったり言語化された内面を描くしかないというありふれた限界がある。)
それが「手より落ち」た瞬間にわれに返り、バナナの皮を持っていた自分に気づく。時間を遡行するような意識の回復の描写が、その直前の「無心」をありありと指し示している。なんという離れ業であることか。
というわけで。
〈バナナ〉と〈古池〉と〈柿くへば〉を、俳句史上三大「ただごと」と呼びたい。この三句は構造的にもそっくりで、いずれも、彼方から到来する「偶然」の一打ちによって、「放心」あるいは「無我」と呼ぶべき意識状態が水の輪のように開かれていく=自覚され、玩味されていくさまが描かれている。
皮が落ち、蛙が飛び込み、鐘がゴーンと鳴った「偶然」は、爽波が、万物の中からソース瓶を選んだのと同じ「偶然」である。おおかたの俳句がうかうかと書き割りめいてしまうことと反対に、「偶然」をはらんだ俳句は、まるで現実のように油断がならない。
●
爽波の一句というなら、自分は〈秋草の中や見事に甕割れて〉(昭29)を挙げる。
爽波には〈冬来る分厚き斧の刃をまたぎ〉〈掛稲のすぐそこにある湯呑かな〉〈朱肉練る秋の藪蚊の縞はつきり〉〈壬生の鉦クリーニング屋励むなり〉など、偶然にまみれたような「ただごと」が、ざくざくとあるが(というか『骰子』『一筆』などは九割がた、そんな感じだが)、その中で〈甕割れて〉は、ちょっと毛色が違う。
この句から、自分は、虚子の〈春寒や砂より出でし松の幹〉を連想する。なんの意味も象徴もない、構図と質感だけがある景である。それでいて〈甕割れて〉も〈松の幹〉も、「ヌーッ」とした物の存在の感触、それも個物ではなく、大げさにいえば、もっと異様なものとの接触が描かれていると感じる。というか、こういう句を見て初めて、この世には「異様なものに触れる」ということがあるのかもしれない、と思わされる。
それをこそ「美」と言ってしまっても、よいのかもしれない。しかし、それは生半な「詩」や「美」を追っていては決して現れてこないものなので、やはりこれは「ただごと」より出て「美」に至った句なのだと思う。
「ただごと」は「詩」や「美」から逃げて、卑俗にいたる道ではない。
「ただごと」とは、「詩」や「美」を迂回してその外側に、もっと「アレ」な、「別の何か」を渉猟する方法である。
〈甕割れて〉の描くのは、ぱっかりと甕を割った力が「過去に」天上から(?)訪れていた、それを今知った、という事態だ。それもまた「蛙」や「バナナ」に等しい、偶然の一打であると言ってよいと思う。
「見事に-割れて」とは、遅れてそれを見る人に「正にぱっかりと割れた瞬間」を追体験させる措辞だ。生の一回性そのものであるような荒々しい「偶然」が、「遅れて」体験されるというトリックによって、「美」へと転換されている。読者は、何度でも好きなだけ初めに戻り、甕が割れる瞬間を追体験できる。
(「何度も」「遅れて」ということの中には、人間の生と表現行為の根本に関わるカラクリがあるような気がする。)
●
そもそも本稿には「ただごと」の一般原理を明らかにするという企図があった。
しかし、考えれば考えるほど、名句には、それを名句として成り立たせる一回限りの成立要件があるだけなのだ、ということが分かってきた。だから、名句の位に至らない、一見どうしようもない「ただごと」が、どう人の心をなぐさめるかについても、もっと書くべきだったと思う。
課題はあれこれ残しつつも、なお、ざっくりと「ただごと」一般の原理を述べようと試みるならば。
「ただごと」は、作品という形式によって生じる「空白」である。
俳句において、その「空白」がとりわけ有効であるのは、俳句には、「詩」や「美」がなくてもやっていけるほど、強固に洗練された形式があるからだろう。
その「空白」は、俳句が俳句になっていく過程で、何度も要請されたオルタナティブであった。「蛙」「柿」の両句は「もうひとつの美」として発見され、ほどなく、それ自体「美」の基準となった。
「ただごと」は、「詩」や「美」との緊張関係によって、その「空白」を維持する。
前提となるコードを迂回することから「なにを言い出すの?」という問いが生まれ、その問いが、読者を、「ただごと」の価値が発生する深度まで誘いこむ。そのプロセス無しには「蛙」も「柿」も本来の面目を発揮しない。なので、「蛙」や「柿」を所与の規範とみなす後世の読者は「コレが本当に名句だろうか」と首をかしげてみたりするのだろうが、素で見れば、どちらも(それ自身が基準となるだけあって)他の何ものにも寄りかからない、見事な「ただごと」であり、名句だと思う。
近年の、「平明」と言い換えられた「ただごと」がしばしば退屈なのは、それがあらかじめ虚子に許されたものとして、つまりむしろ「詩」に対する規範意識の低下によって、書かれているからではないか。
かって「ただごと」でありえたものが、すでに規範の、それも下位の一部として、登録されて久しい。
とすれば、「ただごと」は、いまや、もっとダメで、何を言い出したか分らないようで、ほとんど失敗そのものでなければ「ただごと」たりえない。
つまり、ひと言で言うならば。
●
全国のただごと者、失敗せよ。
●
≫ただごとについて(上)
≫ただごとについて(中)
(承前)
高濱虚子の代表的「ただごと」俳句に〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉(昭和9年)がある。この「バナナ」の「ただごと」性は強烈で、これに並べるとたいがいの句がマトモに見える。
●
虚子の必ずしも明確でない理論的変遷の中で、一貫していたのは、俳句が、虚子本人にとっては常に自明のものだった、ということだけだったように思われる。
たとえば、虚子が常に俳句論の中心に置く「季題」について、伝統的美意識をもってその価値とするのか、その素材による新しい美の発見を重視するのか。それは、どっちもであった、としかいいようがないらしい。もっとも、虚子はいろいろなことに「あれもこれも」という態度を取る人なので、それで不思議はない。
「客観写生」から「花鳥諷詠」へのスローガンの移行は、言葉面だけ見ると、伝統的価値への回帰のように見えるが、本人の実作上は全くそんなことはなく、「花鳥諷詠」を言い出した昭和3〜8年以降、虚子の季題に対する態度がいっそう自由を増していることは、どのようなアンソロジーにも現れていることだ。
季題それ自体に、価値があっても結構、なくても結構。「花鳥諷詠とは花鳥にのみ重きを置くの謂ではない。要は如何に其を諷詠するかにある」(「俳句は花鳥諷詠詩」昭和8年)のであり、その求める所としての「俳諧趣味」は、「こんなものであるときめてかかる如き事なく、進むところまで進んで、自分自身の境地を拓いて行く心掛けが必要である」(「俳諧趣味」昭和4年)。
こういうことを言う人の俳句が、平然と「ただごと」であるのは当然のことだろう。
あらかじめ範囲を定めることなく、どんどん書いて、書けたものが趣味にかなうかどうかだけが問題であり、それは、見れば分かる──というか「書けてみなければ分からない」ことなのだ。
俳句は選ばれることによって完結する。〈バナナ〉のような句は「詩」や「美」の規範性を迂回して、ディープかつプライヴェートな判断において選ばれるしかないだろう。規範を越えて一句を選びとることは、「詩」や「美」を更新する価値を自ら見出すことであり、内なる選者を更新することである。
唯一の選者たる虚子は、その更新を、自らに、そして周囲に繰返し求めた。
〈水仙の花活け会に規約なし〉と〈爛々と昼の星見え菌生え〉の間の振れ幅が、同年(昭22)中にあるのが虚子の面目というものだが、〈花活け会〉ほどの珍品は、全句集を通覧しても、そうありはしない。規範の更新は、強烈な自我や幻想の力によって、ということもあるだろうし、あまりの「ただごと」ぶりに自ら脱力して、ということもあるのだろう。
だいたい「バナナ」や「マスク」や「蠅叩き」を季題に入れている時点で、虚子の考える俳句が「ただごとを必要としていた」ことは明らかである。そのとき「ただごと」は、未生の「詩」が待つ辺境として、虚子に準備されていた。
それを「むかつく」と言う人がいることは、当然である。
しかし〈バナナ〉のような句を、見せられては。
●
ここでいったん、虚子の「写生」と「ただごと」の後継者とも呼ぶべき、波多野爽波へ話をうつす。
「俳句スポーツ説」で知られる爽波の方法は、ともかく自動書記的にどんどん書く、「瞬時に」「反射的に」書く、というものだった。
その作句の現場について、飯島晴子がエピソードを残している。
「ホトトギス派の人たちの吟行は(…)その場で見たものをたちどころに何十句と五・七・五の形にするのである」
「全くとるにたらないトリビアルな事が述べられている言葉の向うに、妙に確かに、水のような空気のような、いつまでも終わらない一つの世界の顕(た)っているのが、ホトトギス俳句の魅力である。
私の見つけた睡蓮の蕾はその可能性があるように思われて、私はドキドキするくらいであった。そしてさんざんあれこれやってみたが、出来た句は、事柄を述べるだけで、言葉の向こうには何の気配も得られなかった。
私は事の次第を、同行のホトトギス派の俳人に説明した。その人は私の俳句を見ながらやがて「そういうとき、私が成功するとしたら、見るのと言葉とが一緒に出てくるんですね」と、何でもないことのようにぽつんと言った」
(「言葉の現れるとき」1976『俳句発見』所収)
「「青」五十年十月号の座談会でも、写生は手法か態度かということが問題になっていて、結局、態度であるということに爽波氏は賛成している。」
「草田男の〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉を「これも写生です」と、端然とした口調で爽波氏に言われたときは、私もギョッとなったが、だんだん爽波氏の写生を手さぐりで当たっているうちに、納得させられるものがあるのである」
(「波多野爽波論」1978 同)
〈金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り〉が「写生」なら、爽波本人の〈診察の椅子をくるりと鴨の湖〉〈招き猫水中の藻に冬が来て〉も写生だろう。
これらの句が何かを「瞬時に」写したと言えるなら、写したものは、作家本人の意識状態だとしか言いようがない。
「写生の世界は自由闊達の世界である」とは、波多野爽波が、第一句集の冒頭にかかげた有名な言葉だ。
爽波にとって「写生」は、その意識状態のまぶしいほどの「自由」あるいは「放心」の、おすそわけであった。
●
虚子の〈川を見るバナナの皮は手より落ち〉に、そのことは、そのまま当てはまる。これは、ある意識状態にある自己を、直接、写生したような句だ。
「バナナ」の句の自己は、外側から映像的に描かれたのでもなければ、内側から心理的に描かれたのでもない。ここで作者は、自分の意識上の「言葉という言葉のない」瞬間をつかまえて、内側から「心理の無い自己」を描写する、という、ややこしいことをしている。
(もともと必ずしも人間=心理ではないのだが、描写つまり言語化する以上、他人なら外形や行動の描写、本人であればべったり言語化された内面を描くしかないというありふれた限界がある。)
それが「手より落ち」た瞬間にわれに返り、バナナの皮を持っていた自分に気づく。時間を遡行するような意識の回復の描写が、その直前の「無心」をありありと指し示している。なんという離れ業であることか。
というわけで。
〈バナナ〉と〈古池〉と〈柿くへば〉を、俳句史上三大「ただごと」と呼びたい。この三句は構造的にもそっくりで、いずれも、彼方から到来する「偶然」の一打ちによって、「放心」あるいは「無我」と呼ぶべき意識状態が水の輪のように開かれていく=自覚され、玩味されていくさまが描かれている。
皮が落ち、蛙が飛び込み、鐘がゴーンと鳴った「偶然」は、爽波が、万物の中からソース瓶を選んだのと同じ「偶然」である。おおかたの俳句がうかうかと書き割りめいてしまうことと反対に、「偶然」をはらんだ俳句は、まるで現実のように油断がならない。
●
爽波の一句というなら、自分は〈秋草の中や見事に甕割れて〉(昭29)を挙げる。
爽波には〈冬来る分厚き斧の刃をまたぎ〉〈掛稲のすぐそこにある湯呑かな〉〈朱肉練る秋の藪蚊の縞はつきり〉〈壬生の鉦クリーニング屋励むなり〉など、偶然にまみれたような「ただごと」が、ざくざくとあるが(というか『骰子』『一筆』などは九割がた、そんな感じだが)、その中で〈甕割れて〉は、ちょっと毛色が違う。
この句から、自分は、虚子の〈春寒や砂より出でし松の幹〉を連想する。なんの意味も象徴もない、構図と質感だけがある景である。それでいて〈甕割れて〉も〈松の幹〉も、「ヌーッ」とした物の存在の感触、それも個物ではなく、大げさにいえば、もっと異様なものとの接触が描かれていると感じる。というか、こういう句を見て初めて、この世には「異様なものに触れる」ということがあるのかもしれない、と思わされる。
それをこそ「美」と言ってしまっても、よいのかもしれない。しかし、それは生半な「詩」や「美」を追っていては決して現れてこないものなので、やはりこれは「ただごと」より出て「美」に至った句なのだと思う。
「ただごと」は「詩」や「美」から逃げて、卑俗にいたる道ではない。
「ただごと」とは、「詩」や「美」を迂回してその外側に、もっと「アレ」な、「別の何か」を渉猟する方法である。
〈甕割れて〉の描くのは、ぱっかりと甕を割った力が「過去に」天上から(?)訪れていた、それを今知った、という事態だ。それもまた「蛙」や「バナナ」に等しい、偶然の一打であると言ってよいと思う。
「見事に-割れて」とは、遅れてそれを見る人に「正にぱっかりと割れた瞬間」を追体験させる措辞だ。生の一回性そのものであるような荒々しい「偶然」が、「遅れて」体験されるというトリックによって、「美」へと転換されている。読者は、何度でも好きなだけ初めに戻り、甕が割れる瞬間を追体験できる。
(「何度も」「遅れて」ということの中には、人間の生と表現行為の根本に関わるカラクリがあるような気がする。)
●
そもそも本稿には「ただごと」の一般原理を明らかにするという企図があった。
しかし、考えれば考えるほど、名句には、それを名句として成り立たせる一回限りの成立要件があるだけなのだ、ということが分かってきた。だから、名句の位に至らない、一見どうしようもない「ただごと」が、どう人の心をなぐさめるかについても、もっと書くべきだったと思う。
課題はあれこれ残しつつも、なお、ざっくりと「ただごと」一般の原理を述べようと試みるならば。
「ただごと」は、作品という形式によって生じる「空白」である。
俳句において、その「空白」がとりわけ有効であるのは、俳句には、「詩」や「美」がなくてもやっていけるほど、強固に洗練された形式があるからだろう。
その「空白」は、俳句が俳句になっていく過程で、何度も要請されたオルタナティブであった。「蛙」「柿」の両句は「もうひとつの美」として発見され、ほどなく、それ自体「美」の基準となった。
「ただごと」は、「詩」や「美」との緊張関係によって、その「空白」を維持する。
前提となるコードを迂回することから「なにを言い出すの?」という問いが生まれ、その問いが、読者を、「ただごと」の価値が発生する深度まで誘いこむ。そのプロセス無しには「蛙」も「柿」も本来の面目を発揮しない。なので、「蛙」や「柿」を所与の規範とみなす後世の読者は「コレが本当に名句だろうか」と首をかしげてみたりするのだろうが、素で見れば、どちらも(それ自身が基準となるだけあって)他の何ものにも寄りかからない、見事な「ただごと」であり、名句だと思う。
近年の、「平明」と言い換えられた「ただごと」がしばしば退屈なのは、それがあらかじめ虚子に許されたものとして、つまりむしろ「詩」に対する規範意識の低下によって、書かれているからではないか。
かって「ただごと」でありえたものが、すでに規範の、それも下位の一部として、登録されて久しい。
とすれば、「ただごと」は、いまや、もっとダメで、何を言い出したか分らないようで、ほとんど失敗そのものでなければ「ただごと」たりえない。
つまり、ひと言で言うならば。
●
全国のただごと者、失敗せよ。
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2 comments:
「ただごと」解剖、すっごく面白かったです。
目から鱗が二三枚落ちました。ありがとう。
でも、最後の『失敗そのものでなければ』と言うのは、そうですかあ?
ちょっと安易にひねりを入れた気がした。
ここでひねっては、このせっかくの文章が何にもならん。
山盛りの失敗作が無ければ、バナナや古池や柿喰へばにならないと言うのは分かったけど、それを言うなら、失敗にひるんではならん、じゃないのかな。
わざわざGoogleアカウント作って言うほどのことでもなかったかー。
じあん様
ご高評、ありがとうございます。
>失敗そのもの
「いまや〜ほとんど〜そのもの」というあたり、失敗に似てぎりぎり失敗でないもの、という意をお汲みいただきたく・・・。
例に挙げては失礼ながら、岸本尚毅さんの〈夏暑く冬寒き町通し鴨〉は、おかしかったですね。〈大海のうしほはあれど旱かな 虚子〉のような「理に落ちて何が悪い」というあたりを、ねらわれたのではないか。
あれも「ほとんど失敗のような」しかし、まったく失敗ではない句だと思います。
>わざわざGoogleアカウント作って
いえいえ。また、ぜひ、コメント投稿を、よろしくお願いいたします。
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