ハイクマシーン2009を回顧する
……上田信治・佐藤文香
●「今年を振り返って」
信治:ざっくりと今年を振り返ると、どんな感じでした?
私生活、俳句生活まじえて。
文香:ざっくりといえば、健康でした。
ちゃんと仕事してたし、バランスがとれていた気がします。
信治さんは、わりと地味だった?
信治:はっきり言うなあ。
ざっくりいえば、今年は後半、稼業にかまけていて、
自分の俳句にはすこし心残りありです。
年明けから春ごろまでは、角川(俳句賞)向けに作ってて。
夏は、自分としてはよく文章を書いた。週俳に「ただごと」「ポストモダン」「里」に瀬戸正洋さん論etc。
秋冬は稼業にいそしんでた。
週刊俳句と、仮名句会は、また一年続けることができました、というかんじ。
文香:私は、まず、松山の実家に住むことにした。
そして、週5日朝から夕方に働く仕事についた。
週末は高校生と俳句を作ったり、原稿依頼がポツポツくるのをこなす。
ちょっと俳句の外向きの仕事があり、(モンキービジネス、サライ)。がんばって書いた文章もあり、(角川5月号高柳重信、俳句界10月号兜太ばかりが〜、うまくいかなかったけど豈49号)。
宗左近賞をもらった。『新撰21』が出た。
そういえば、「里」に毎月短く軽い文を書いた。
角川賞応募50句は1ヶ月間で全部作ったのでした。
●「角川俳句賞」
信治:角川の話しましょう。
今年、文香さん、出すの迷ってたって言ってたじゃない。
どういう考えがあって出したの?
文香:私は去年、応募しなかった。
それは翼師匠の教えである「師匠が選者の賞には出すな」
というのを守ったからと、
句集出すのにパワー使ってたからです。
今年も、出せばいいと澄子師匠には言われていたのだが、
そのつもりはなく、
それまでのベスト60句を4月末に澄子師匠に見せていた。
(俳句研究賞に応募した30句「知らない」と、
次応募しようとしてやめた30句。)
でも、宗左近賞の審査が終わったあと
角川の人に「ぜひ出してください」と言われて、
それは、挨拶だったのかもしれないけど、
自分の中でも「この勢い!」という気がしたので、
応募することに。
信治さんは? どうやって作ってた?
信治:まず、動機な。
雄介が、シンポジウムで、
「若手の多くが、角川俳句賞に出す」
「若者がほめられたかったり、認められたかったりするのは、健康なんじゃないか」的なことを言っていて。
天気さんがツイッターで「…でも、それは、能力の低い人の行動原理。あるいは作品発表以前の動機」と書いていた。
自分の場合は「認められたい」「ほめられたい」っていうよりも、
オードリー春日ふうに言えば
「上田を「認めさせてあげたい」っていう親切心」。
文香:あはは。わかる。
認めやすいように、みんなと同じとこに出した。
たしかに、親切だ。
信治:作り方はね。
今年は、一句、気に入ったのがあって(応募作の前の方に入ってる句だけど)それに寄せていくようにして、コツコツ書いて集めた。
結果的に、ちょっと足が揃ったというか、おとなしくなりすぎて失敗したわね。
あと、動機、もういっこ。
俳句っていうのは、その場に向けて書く、という
横むきの表現=座興と、
それこそ歴史とか人類に向けて書くっていう
垂直の表現=芸術があって、
それが同時なところが面白いと思うんだけど、
その垂直向け、上に向けて書くことを、
自分に忘れさせないための確認行動。
文香:「俳句史に残る」とか、考えたことある?
信治:俳句史…それは、たまたまその場にいる人がする、横位置の評価だから、考えたことないな。
文香さんは、ミクロの目で言えば、すでに俳句史に残ったと思うけど。w
でも、すべては、俳句のためにやらされているっていうのは、いつも思ってるよ。
ある人に「俳句やるっていうのは、
世のため人のためじゃないですか」って言ったら、
その人、自分とこの主宰の名を言って
「あの人は全部自分のためだ(笑)」って言ってたけど。
でも、それにしたって、俳句に人生を捧げてるっていうだけで、むちゃくちゃ人のいいことなわけじゃない?
●「賞に出すということ」
信治:賞に出す動機の話に戻るけど、
文香さんは、句集で評価を得たあとに、敢えて、
というふうにも見えたんですよ。ある意味、貪欲だなあ、と。
賞に出して、得たかったものって何かある?
文香:うーん。私も、ある意味、親切で出したのかも。
だって、宗左近もらって、角川もらったら、物語を作りやすいじゃない?
信治:象徴的存在がほしいという気持ちは、メディア側にも受け手にもあるよね。
文香:そしたら、新しい時代がくるかなと思ったんだ。
私、結社入ってないしさ。友達多いし。
自分の中では、書きたい句がわかってきて、それが句集から離れていて、「もう次、行ってるよ」ってのも見せたかったし。
だから貪欲っていういのではない、気がする。 うん、俳句のためだ。
信治:でも、津川絵理子さんだって、あの人はすばらしいけど、別に句集と、俳句協会新人賞だけで、十分だった気がしない?
すでに評価を得ている人が
公募の新人賞を取っちゃったら、
俳句の世界は、
その年、新人を一人、損したとも言えるわけでさ。
まあ、でも、それは今後の人に向けて言ってるの。
あなたは、出しといてよかったよ。
〈紫陽花は萼でそれらは言葉なり〉の句は、句集以後のあなたを、現時点で位置づける一句として、人に記憶された。
おめでとう、ですよ。
●「お互いの作品について」
文香:信治さんの、気に入ってるのって、
〈ひとり見る水草紅葉あをぞらの〉?
信治:えーとね、〈蓮の実のあちこち向いて静かな日〉。
あ、そうだ、ブログでも書いてくれてたけど、
もういっぺん僕のについて、忌憚のないご意見を聞かせてよ。
文香:んとね、なんとなく、内容に対して語り口が
落ち着きすぎてるかんじがした。
狙い所は現代の微妙なトコ
(もしかしてこれが「無」の仲間かな)なんだけど、
古典文法のこってりしたリズム感が
透明度を削いでしまってるような。
一句一句はこけしのように
愛らしく端正に(=俳句らしく、かな)
ちょんもりと立ってるけど、
本当はもっとごそごそしたいんじゃないかなぁと思った。
具体的には1句目の「ありて」、2句目の「つくつくし」
という言い方が気になった。
新鮮さより色味を見せるような書き出しだから、
そのあとの句で色をチェックしちゃうけど、
あんまりいろんな色はなかった、ってかんじかな。
はじめをもっと「微妙なことやってます!」的にした方が、それが成功してるか否かを検査してもらいやすかった気がする。
…わかりにくいな、
微妙なトコ(信治俳句の見せポイント)
=ごそごそしたい(立ち姿立派な句にしないほうが、みたいな)
=透明度(手垢ついてないかんじ)
=新鮮さ
うーん、わかる?
信治:>古典文法のこってりしたリズム感
分かった。たしかに、よけいなこと考えてたよ。
>それが成功してるか否か
うん、自分で思ってるほど、やりたいことを、つかめて
なかったかもしんない。ありがとう。
来年、どうすっかなあ。今年後半作ってないから。
あのさ、対中いずみさん、俳句研究賞とったじゃない。
句集を見ると、応募作の核になる作品が、けっこう数年前に作った句なんだよ。だから、あの人、出すって 決めてから数年句を貯めてたんだよね。
(たぶん田中裕明も「まだですね」って言ってたんだろう)。
だから本気で賞が取りたいなら、一年休むのも選択なんだろうけど、そんなに周到かつまじめに取り組むのも、なんか、キャラに合わんという気がするのよなー。
文香:枡野浩一は、10年作り貯めたら獲れるってさ。
でもそれで獲れても、一句への愛が酸化しちまう。
私は今年25日くらいの50句だけど、
それらをすっごく愛したから、なんか、よかったよ。
信治:その前の澄子さんに見せたという30句×2は、どうですか。今思うに。
その前、口語と現代性(俳句プロパーじゃない人にとっての了解性)を押し込んで、
形式に破れ目を作るっていう実験を続けてたじゃない?
つまり、BU-819だけど。
そっち系ですか?
文香:俳句研究の予選通過した30句「知らない」は、
〈知らない町の吹雪のなかは知っている〉など、そっち系。
そのあとの結局応募しなかった「風はもう」は、
〈風はもう冷たくない乾いてもいない〉など、
私の大事な人への追悼30句。
その人に読んでほしかったことが、
今回の『新撰21』の「真昼」の多くの句に
ふりがなをふった理由です。
信治:〈風はもう冷たくない乾いてもいない〉いいですね。
あなたの角川賞応募作「まもなくかなたの」は、
そっち系から見たら、「海藻標本」への回帰とも
とれるんだけど、どう?
文香:「まもなくかなたの」は、回帰と言うよりは、
より広くなるよう更新された振れ幅のなかで
平衡感覚を取り戻した、というかんじかな。
信治:んー。ふむふむ。
このあいだ、ブログで、句集の句について、
こっち行くと閉じちゃうから、
この方向性はいったん終わりにした、
的なことを書いてたでしょう。
それは『海藻標本』編む時点での気持ちだったと思うんだけど。
「振れ幅の中で」「取り戻した」ということは、そこから変わって「BU819」的なものと「海藻標本」的なものを、同時に提示することに確信がもてた、というような理解でいいわけ?
文香:>同時に提示する
そのときによって、かな。ねじれてないですか?大丈夫かな?
「仮名遣いは主義」みたいなのに違和感があって、なんでだろうと。
それは、こんなに言葉や俳句が好きで
可能性を探してるのに、
自分のちゃちい主義みたいなもので、
降りてくる言葉を一様に変換することは、
出力機として性能がよくないっていうことじゃないかと、
思ってたんだった。
(あくまでも私の場合。
毎度おんなじ雰囲気を出すような出力機も必要だし、
性能が良いものもあるので大事。)
王朝和歌チックなものも、現代詩系も、俳諧的なのも、
書きたいときに書きたいものが書ける
一番いいやり方をチョイスできるってとこだろうか。
と言ってしまうと、なんだかめっちゃ浅はかですが
・・・とにかく海藻標本的なのを、作れなくなったり
作らなくなったわけではないと、言いたい。
信治:「メディアとしての作家」ということを考えると、
作風がないということは、弱さになる。
『新撰21』を見ると、いちばん売りどころというか本線がはっきりしないのって、意外にも紗希さんで、
それは、あれもいい句、これもいい句ってかんじで、未完の大器ってことなんでしょうけど。
読者としては、つい「自分の好きな○○さん像」を想定して、それ以外を省きつつ読んじゃうっていう感じ。
それは、作家個人の自己形成の道において、
きっと必然性があることなんで、
あくまで読む側のことなんだけど。
ただ、あなたの場合、ぼくは
里の7月号に書いた宋左近賞受賞記念作を見て、
これは、両方の傾向のものを出して、
あわせて判断を要求するってことかな、と思って。
「これ」を書いている私が、「こっちもだ」と言っている、
みたいな感じかなあ。
文香:今の紗希ちゃんは、
神野紗希らしいと言われた段階(高校時代)を
振り切ったところに立脚するのだと思うけど。
>「これ」を書いている私が、「こっちもだ」と言っている、みたいな感じかなあ。
私、そういう意味では関悦史さんと自分が似てるんじゃないかなって思うんだけど、勘違いでしょうか。
うちらは、なんでもやる。それが、うちららしさ。
その次元が、関さんと私ではだいぶ違うけど。
信治:ははあ、まあ、たしかに関さんの句の下に、
文香と名前をつけても、けっこういけるかも?
でも、二人とも「何でもやる」ことだけがアイデンティティではないね。なんかしら、ちゃんと本線がありそうなんだけど、でも、それは心理的内実とか、形ではなさそうなんだよな。俳句に立ち向かったときにあらわれる何か。
その辺が共通点かも。
文香:関さんと句集以後の私は、
それこそ<次元>を設定することが
アイデンティティのひとつのような気がする。
<次元>ってのは、うーん、知っているものの違い、
というか。あとは、世界に対しての自己の解放の仕方の違いかなぁ。
うまく言えないけど。
信治:「<次元>を設定する」は、むずかしいな。
俳句に対して、無意識でいないことを自分に課すっていうことかね。
文香:信治さんは、作品のタイプは、このままですか?
いきなり変えちゃうとかは、ない?
信治:ぼくは、なんか、一貫は、してるよねえ。
ときどき違うのも出来るけど、だいたいのけちゃうし、
いろんな作家を読むけど、同じところに反応してる気がするし。
文香:信治さんは、登場した時点で、すでに作家だったと思う。
信治:いやいや、無茶言っちゃいけません。
文香:それは、それまでに読者だった時間があるから、
自分で作って試さなくてもよかったってのがあるかも。
句集は? まだ?
信治:句集……あ、こないだ「新撰21」読んで、
自分は、どんなもんかなと思って、
自分のを100句選んでみた。
恥ずかしかったですよ、こんなもんかと思って。
文香:信治さんの100句、読みたいな。
てか、あれ読んで「自分でもまとめてみよう!」
っていうあたりが、好きっす。
(新撰21の21人以外で、40歳以下で、
それをやってみた人が果たしてどれだけいるだろう。)
信治:じゃ、100句 まだ完成してないけど、送るわ。
>それをやってみた人
いや、みんなやるべきよ。
句集単位で300まとめるのと、また、
違うきびしさがあったんじゃない、あれ?
文香:100句まとめるのをどう感じたかは、
それこそ21人にインタビュー!ってかたちで、
みんなに聞きたい。アンケートでもいいな。
●「俳句甲子園」
信治:俳句甲子園の話、しましょうか。
大人の人は、俳句甲子園から、
ぼんぼん若手が入って来てる印象が
あるかもしれないけど、そうでもないんだよね。
紗希さんに始まって、あなたと雄介さんと、
同年代に優夢さんをはじめ豊作で何人かいて
藤田さん、生駒さんがその下。
今年大学に越智さんが入って来た、と。
イヤ、こう書くと、ぼんぼん入ってるみたいだけど、
これで、ほとんど全員の名前上がってるからね。
東大俳研の飯田哲弘さんに聞いたんだけど、
高校生がなんで大学で、俳句続けないか。
月一二回の句会じゃ、サークル活動として淡泊すぎるんだって。かといって、週二三回会うには、面子の数が少ないから、飽きちゃうし。なるほどー、と。
今年出場の高校生たちは、
大学で、俳句やりそうかしら。
開成の子達は、あるていど開成っていう場に
残っていくんだろうな。
文香:うん、花のS60年生まれの私(注1)としては
1年に1人くらい、すごい子が出てくるといいなと思っています。
その1人のために、毎年俳句甲子園やってる、それでいいと思う。
信治:でも「人は1人で面白くなるわけじゃない」
って誰かが言ってたよ。これ、名言な。
大学で、東京なり関西圏なりに出てきた人たちが、
横にまとまって、句会に出て来てくれたりすると
楽しいんだけど。
ま、だれかが動けば、仕事をするチャンスはあるという話です。
文香さんは、来年も、コーチは出来そうなの?
文香:コーチは、今のところ来年もさせてもらう予定です。
俳句甲子園のOBOGには、
「俳句が好きな子」と、
「俳句甲子園が好きな子」と、
「なんでもできる子」がいて(もちろん重複する)、
結局残るのは、「俳句が好きな子」。
で、俳句が好きかどうかってのは、
俳句を読むのが好きかどうかだと思う。
俳句を作るのが好きな子の多くは、
自分が好きな子だから(思春期には極めて普通)。
信治:クリアカットな分析、ありがとう。
>俳句が好きかどうかってのは、俳句を読むのが好きかどうか
うん、好きな俳人がいたら、会いに行っていいわけだからね、新人の特権で。 好きな俳人、あこがれの俳人がいる、っていうだけで、いろいろ可能性があるわけだ。
いや、この言い方はべたべたに甘いんだけど、
そんなことにも、気がつかないと思うんだよ、意外と。
文香:>いろいろ可能性があるわけだ。 そう、そう。
今から俳句を始める人を、ある俳人のファンにすることが、俳句の未来への貢献だと思ってる。
その人が俳句を作ろうが作らなかろうが、
読み手として一人確保できるから。
だから私は、松西ハイカーズ(注2)の面々に「詠み方」を
教えたことは本当に少なくて、
「読み方」と、「読んでみたらいいかもしれない句集」を
提示してきました。
そしたら、もう、みんなすごい句を作るようになりました。
なかでも高柳克弘の大ファンである田中志保里はイチオシ。
〈来年の金魚を思ひながら掬ふ〉〈片言の鳥を欲しがる聖夜かな〉など。
信治:>今から俳句を始める人を、ある俳人のファンにすることが、俳句の未来への貢献だと思ってる。
いい言葉もらったんで、俳句甲子園の話はOK。
●「週刊俳句」
信治:週刊俳句のこと、聞いてよ。
文香:週刊俳句は、なんといっても、
大物作家が次々10句出すのが驚きで。
大丈夫?続く?続くよね。
みんな俳句好きなんだもんね。と思ってます。
あと、山口優夢が編集に加わったことが
ひとつトピックかな。
いつも編集後記から読みます。今回は誰かなって。
信治:うふふふふ。編集後記は、みんないいでしょ。
文香:てなわけで、週俳どうですか?
信治:この前、現俳協のシンポジウムの席上で、
田島健一さんから
「週俳はすでに「載った人が喜んだり、載るの大変なんでしょう」って
言われるメディアになってる、あるいは今後なるでしょう。
そのことをどう思います?」と、聞かれて
「田島さんは、やなこときくなあ」「なるべくそうならないように、やります」「権威になることを意識せず」と 返事をしたんですよ。
で、そのやりとりが、誌上にレポートされて、
それを見た猿丸さんに『新撰21』のパーティーで、
「あの発言はだめでしょう」と言われ、
句会の仲間のはるみさんにも「あれは?だ」という手紙をもらった。
文香:ん?なんでダメなの?
信治:「権威になりたくない」は、逃げと言えば逃げなんだよ。
文香:週刊俳句の在り方ではなく、その答え方がだめってこと?
そうなってしまってからじゃ遅い、みたいな?
信治:本当のことを言えばですよ。
週刊俳句のわれわれは、ただ、メディアを作ったっていうだけなんだ。
だけど、それだけで、ある権威(もっと露骨に言えば権力だね)が発生していると。
そういう実情を指摘したのが田島さん。
文香:でも、なるようになりゃしませんか。
信治:そうなんだけど、それって、もつ権利のない、正当性のない権力だと、
思う人もいるでしょう?
私たちは、権威を、誰かに付託されたわけでも、
戦い取ったわけでもないんだから。
だからといって、
だれかえらい人の意見をあおいで、正当性を求める気も、
逆に既存のメディアにケンカを売る気も
ないんだよ。
「週刊俳句」にあるのは、権威じゃなくて欲望なんだよね。
メディアは、受け手の欲望を代行することが、役割なんですよ。
文香:私はただ面白い俳句に出会いたいですよ。これからもずっと。
道に落ちてても、週刊俳句で見つけても、
権力者が権力で押し出した句でも、
自分で書いたのでも、いいから。面白いのを。
信治:でしょ。
だから、いま俳句の世界にへんまんする欲望は、
有名、無名とりまぜて、同じ土俵にのぼった、
面白い俳句や、面白い文章に
偶然のように出会うということだろう、と、
ぼくらは思ったわけ。たぶん無意識で。
そして、それは、実は、既存の権威と、
必ずしも一致しないメディアがほしい、
という欲望でもある。
でも、たまたまメディアを作った
ボランティアでしかない我々が、
編集権をふるう(ほとんど、ふるってないですけど)ことを、
人が不愉快に思い出したらいやだなあ、と。
どういう人がそう思うかっていったら、
だれよりも権威が好きな人たちだろうけどさ。
でね。
猿丸さんも、はるみさんも、権威から逃げるな、
週俳が、権威になるくらい、編集もっとがんばれ、
って言って下さってるわけ。
まあ、ウチの人たちは、
圧倒的と言っていいくらい「趣味がいい」んで、
ポリシーや価値を打ち立てなくても、
読者から、趣味に対する評価を得、ひいては
この人たちに欲望を付託してもいいだろうという
信頼を得ることは、可能だと思っています。
と、こういうことが言いたかった。
文香:ああ、権威になれってことね。納得した。
でも、そういう場にしたいんじゃないんでしょ。
それは、いいじゃん。別の人がやれば。
ただし、週刊俳句ほどの場ができるのは、ひとえに
「権威になろうとしない」「趣味がいい」からだと思うから、他の人がやるのは難しいだろうけど。
信治:ああ、うれしいよ。
いいこと言ってもらっちゃった。
●「新撰21竟宴」
文香:「新撰21竟宴」の感想をもらいたいな。
関さんがすごかったことはみんな言ってるけど。
信治:「竟宴」あのね、
シンポジウムが、会話になってたじゃない。
それは、若手ふくむパネラーたちの素質(頭の良さと
人としての品の良さ)も、もちろんだけど、
実は、いま、俳句の問題意識って、かなり共有されて
きているんじゃないかと思った。
っていうか、
澄子さん實さん磐井さんれおなさん康子さん
+若手のレベルでは、共有されてる。
それは、ひょっとしたら、
以前、自明とされていたことが、
もうあんまり自明じゃないっていう、
ことだけが、ようやく共有されたってことかも
しれないけど。
そんな中で、佐藤の立ち位置は、
個人への開き直り(自分が書ければOK)って
ことでしょうか。
文香:うん、私は主義主張があんまりないから、
あの立ち位置は苦しかった。
個への開き直りは、結局澄子師匠の言うことに
近いかもしれない。
(でも、澄子さんは他の人に気を回す余裕がないと言うけど、作家としてではないところで、よく気を遣って人のことや俳句のことを考えているから、凄いんです)。
●「今年の自選5句w」
信治:では、年鑑をまねてw、今年の自選5句、出し合いましょう。ぼくからね。
水色の空をうしろに柿の花
見えてゐる鳩の巣づくり可哀さう
目の下の羽蟻をつまむことの又
目も顔も丸き女やベランダに
絨緞に文鳥のゐてまだ午前
文香:じゃあ、私。
初恋や氷の中の鯛の鱗
脱衣所に粽の笹を残しけり
紫陽花は萼でそれらは言葉なり
手紙即愛の時代の燕かな
風はもう冷たくない乾いてもいない
えーと、こんなかんじで、よかったでしょうか。
では、私は忘年会へ行ってきます。
信治:ありがとう。おつかれさまでした。
(注1) 山口優夢・谷雄介・佐藤文香らは、(俳句甲子園出身の)花の昭和60年組だ、との谷発言から。
(注2) 愛媛県立松山西中等教育学校国際文化文芸部で、俳句を作っている子たち。
●
2009-12-27
ハイクマシーン2009を回顧する
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