2010-03-21

現代俳句協会青年部シンポジウム「『俳句以後』の世界」報告 ……上田信治

10.3.13 現代俳句協会青年部シンポジウム
「俳句以後」の世界

橋本直、宇井十間、池田澄子、四ッ谷龍、岸本尚毅、鴇田智哉
報告(前)……上田信治













さる3月13日、こういう催しがあって、行ってきました。

第一部:俳句のはじまり/俳句の終わり 俳句史概観
俳句のはじまり:橋本 直
俳句の終わり:宇井十間
第二部:「俳句以後」の作家たち 現代俳人によるパネルディスカッション
パネリスト:池田澄子 岸本尚毅 鴇田智哉 四ッ谷龍 
司会:宇井十間 

(総合司会:橋本 直)

以下、当日のトピックを拾いながら、考えたことなどを書きます。



第一部:俳句のはじまり/俳句の終わり 俳句史概観
俳句のはじまり:橋本 直

近代俳句史は、橋本さんの専門分野で。「俳句のはじまり」において、子規がやったことは、なんだったのか、という話です。

子規が俳句にしたことは、俳句を「文学」にすることだった。

それは、日本の文芸の世界に、学問研究の対象としての「文学」を、見出す=創造することであり、当時の「学問」の機能であった「外国の知識を学んで全国に広めていくこと」の一貫であった。

西洋文学の各ジャンルにあてはまるものとしての「散文・詩・戯曲」を見出していく中で、「詩はどうするんだ」という話になる。そこで、体系化にふさわしく、作品として自立した「詩」としての、俳句が創造された。連歌はヨーロッパ的文学の概念にそぐわない。

宗匠俳諧は文芸としての内実がひどかったというよりも、近代のはじめに行われた文学の体系化からこぼれおちた、と考えた方がよい。

新派は、新聞雑誌等の新しいメディアに依拠し、俳句とはこういうものだということを発信した。旧派は、新聞、郵便といったメディアを、興行あるいはその宣伝(かれこれの大会を催す、葉書で応募して、投句料はかれこれである等)にしか使わなかった。

「ホトトギス」は、よっぽど楽しかったらしく、各地で、それを真似た雑誌が出た。

方法としての写生以前に、見ること自体が我々に要求するものがある気がする。

子規にはなかったテーマである「純粋な」「ほんとうの」「真実の」「汚されない」=「私」「自然」というものが仮定されている作品が、大正以降、現れてくる。それは我々にはないのか。

最後の二項目は、当日配られたレジュメによると、

四、「写生」・・・見ることは方法なのか? ①「視ること、それはもうなにかなのだ」・・・内包された活字の外への通路。 五、知的大衆の勃興・・・あるはずの純粋や本当や真実の「自然」「私」 ①「よごれちまった悲しみ」の向こうにあるはずの「ほんたうのさいわひは一体何だらう。」 ②芭蕉の「風雅の誠」への欲動

という部分で、ここのところに橋本さんの言いたいことがありそうなニオイがするのだが、それがどう「俳句のはじまり」であったのかについては、時間切れでした。


俳句の終わり:宇井十間

山本健吉は俳句を語るのに「アポロ的」「ディオニュソス的」という言葉を使った。その対立は自然と歴史、安定と無と言い換えてもいいかもしれない。俳句において、世紀の変わり目以前は、アポロ的なものが優位な時代であり、2000年代以降は、ディオニュソス的なものが優位になる時代になるかもしれない。

あるとき俳句ははじまって、はじまったものは、時間と共に壊れて、終わっていくのが当たり前。

しかし俳句の世界では、俳句が終わる、俳句以後ということが、ありえないことのように思われている。変化ということを見ない。たとえば自然はつねに移り変わっているが、それを見ないことが制度的歴史的に確立されている。

しかし人口も減るし、熟年世代のお金の余裕がなくなるので、マーケットの性質が変わり、これまでに登場した作家の、評価が変わるという可能性がある。

「読む理論」「リリシズム」「暗喩」「主題」「多言語化」などに目がむけられることによって、これまでの俳句という概念がゆらいできた。

宇井さんの論は要するに「俳句が終わることが、俳句の内部にいる人には見えない」ということなのですが、話は「かもしれない」「となってもおかしくはない」「と言うこともできる」という調子でつづき、なぜそう言えるのかという根拠の提示が控えめ。「俳句が終わる」というのは宇井さんの願望? と思ってしまう。「リリシズム」「暗喩」「主題」などは、俳句の内部でおこった自己更新の問題だし、うーん。

「読む理論」という文字がプロジェクタに出たときは、おっと思いました。従来は俳句をどう作るかが議論の中心だったが、最近の新しい俳人と話をすると、どう読むか、つまり読む理論に関する関心が高まっていると感じる、という程度の話だったのですが、この論点には可能性を感じました。















第二部:「俳句以後」の作家たち
 現代俳人によるパネルディスカッション
 パネリスト:池田澄子 岸本尚毅 鴇田智哉 四ッ谷龍   司会:宇井十間 













まず、パネラーと司会者あわせて5人が、互いに1作家5句を選んで講評する、というコーナー。印象に残った発言を。

岸本尚毅
・「青嵐神社があったので拝む」(池田)青嵐会を連想した。
・「旬の…おっぱい」(同)と言われるとうれしくなってしまう。
・鴇田さんから元オリックスの星野を連想。たまに外角低めの直球があると、よりゆるい球が生きるのでは。
・「ころがって土こぼす鉢冬あらし」(四ッ谷)冬あらしという中途半端な言葉を使って、読ませる。荒れ玉。

鴇田智哉
・「さういへば吉良の茶会の日なりけり」(岸本)凝った言葉を使って読者に上手いと思わせる。この上手さがくせもので、俳句のための俳句になっていないか。「テキサスは石油を掘つて長閑なり」(同)も俳句のための俳句と言えばそうだが、どこか「開かれている感じ」がする。
・「天気雨いつか世界の終わりある」(宇井)。いい句と思った。作者はピュアな印象。

池田澄子
・「かな」の岸本尚毅。「四五人のみしみし歩く障子かな」ひじょうに自然だが、そう簡単に出る下五ではない。活断層にも似た大きな裂け目。この活断層が動く。「蟷螂のひらひら飛べる峠かな」「あけがたの蚊の飛んでゐる牡丹かな」の下五は、断絶こそしていないが「絶対」ではない。そこに艶が出る。
・四ッ谷さんの作品からは連作の強さと弱さを感じた(四ッ谷氏だけは事前に準備した自選40句が新作で連作)。この作者は、私たちの批評を待ってはいない、自分の世界を構成したいという欲求。
・「風船になつてゐる間も目をつむり」(鴇田)この人の句は川柳だな-と思わせることがあるが、そう思っている人はあまりいないようだ。切れがないからだけではないと思う。「葦枯れて車の中に人のゐる」(同)実景と思わせるおもしろさ。しかし、答がない。よい俳句。俳人に人気のあることが興味深い。

宇井十間
・自分は俳人の主題に興味がある。池田さんの場合、自己同一性からの自由。しかし、戦争が突然、出てくることには、疑問がある。
・岸本さん。純粋な叙景に成功しつつドラマを孕んでいる句を選んだ。

四ッ谷龍
・池田さん「脱ぎたてのストッキングは浮こうとする」「人生に春の夕べのハンドクリーム」といった題材が持つキッチュの美学は、俳句として重要な概念。大いにやってほしい。「目が覚めるといつも私が居て遺憾」「人が人を愛したりして青菜に虫」(同)は、自分の気持ちや感情を言って終わってしまっていないか。
・鴇田さん、暗い言葉、マイナスイメージ、影にひかれる。「見まはしてゆけばつめたい木の林」さっき岸本さんは、俳句をゆっくり読ませる表現、とこの句を評していたが、これはいくらなんでも、ゆるんでいると私には思われる。

宇井「ここまでの評言を聞いていて、言葉の効果にこだわる立場と、作品の詩的な内容に注目する立場の二つがあるように思われる」「岸本さんは、俳句のための俳句になっていないか、という感想をどう思われますか」

岸本「経済の話をすると、例えばバブルは何で起こるか、経済の外生的なもの(戦争など)に原因を求める考えと、内生的なもの(貨幣や利子率など)に原因を求める考えとがある。西洋絵画の様式の変化についても、市民階級の興隆によって絵のサイズや好まれる主題が変わったという面と、画家による表現自体の変化という側面がある。近代俳句の歴史は、風土俳句や社会性俳句のような、外生的なものによって革新されたという面と、俳句の中から新しいものが内政的に生まれてくる面がある。
さきほど池田さんは私の「先生やいま春塵に巻かれつつ」という句の「先生や」という表現を取り上げて下さいましたが、じつは『ホトトギス雑詠選集』に「院長や朝寝十分大股に」(森夢筆)という句がありまして、俳句のイノベーションというのは、そうやって俳句のための俳句を作っているうちに俳句が新しくなっていく面と、俳句の外側の刺激を受けて起こるという両面がある。実人生には俳句より大事なことがいくらでもあるわけですし、去年の夏、宇多(喜代子)先生の講演をうかがったら、俳句のことはひと言も言われずに、お米の話ばかりをされていたということがあって、そういうこともあるのかなあ、と。以上です。(笑)(拍手)

えーと、このあとのほうが面白いです。(後編に続く)

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