2010-12-26

魚と鳥と  四ッ谷龍

魚と鳥と
──第三十七回俳諧時雨忌の句座にて

四ッ谷 龍



こんにちは、本日この句座で捌を務めることになりました四ッ谷龍です。

芭蕉の忌日にちなむこの会では、蕉翁の冬の句から捌が一句を選んで発句とすることになっています。私が今日用意したのは、

  魚鳥の心はしらず年わすれ

という、元禄四年の作品です。

この句は、山口素堂の家に、芭蕉と、各務支考、松倉嵐蘭が集まって、忘年会をひらいたときに制作されたものと言われています。

この句を読んで、まず「魚鳥の心」というのはいったい何かということが気になるのですが、これには典拠がいくつかありますのでそれを知る必要があります。

魚鳥を詠んだ詩として有名なものに、中国の陶淵明が書いた「歸園田居五首」があります。全体が五部構成になっている長い詩ですが、その最初の部分に魚と鳥が出てきます。

  少無適俗韻  少きより俗韻に適ふこと無く
  性本愛邱山  性 本と邱山を愛す
  誤落塵網中  誤りて塵網の中に落ち
  一去三十年  一たび去ること三十年
  羈鳥戀舊林  羈鳥 舊林を戀ひ
  池魚思故淵  池魚 故淵を思ふ
  開荒南野際  荒を開く南野の際
  守拙歸園田  拙を守りて園田に歸る

「若いころから俗世間の会話にはついていけず、もともと丘や山を愛する性格であった。誤って汚れた役人生活のしがらみに入ってしまい、そのまま故郷を去って三十年がたった。籠の鳥は昔住んでいた林を恋しがり、池に飼われた魚は育った淵のことを思うものだ。南の野の端で荒地を耕そうと、世渡り下手の本分を大事にしてふるさとの田園に帰ることにした」

陶淵明は、四十一歳で役人の仕事を辞めて故郷に戻ります。そのときに作った詩が、有名な「帰去来の辞」(帰りなんいざ、田園 將に蕪れなんとす なんぞ帰らざる)ですが、「歸園田居五首」も同時期に書かれたものなのでしょう。

淵明の言う「羈鳥 舊林を戀ひ 池魚 故淵を思ふ」とは、都市部の俗世間を厭い、田舎の生活をなつかしむ心というように、理解できると思います。

それから四百年ほどが経ち、唐の時代の詩人白楽天は、陶淵明を引用するようにして「微之を憶(おも)」という詩を作ります。微之とは、元微之という詩人のことです。この時期、白楽天も元微之も権力者に疎まれてばらばらに地方へ左遷されていたという背景があります。
  
  與君何日出屯蒙    君と何れの日か 屯蒙を出でん、
  魚戀江湖鳥厭籠    魚は江湖を戀ひ 鳥は籠を厭ふ。  
  分手各抛滄海畔    手を分ちて 各ゝ滄海の畔に抛ち、
  折腰倶老緑衫中    腰を折つて 倶に緑衫の中に老ゆ。 
  三年隔濶音塵斷    三年 隔濶して 音塵斷え、
  兩地飄零氣味同    兩地 飄零して 氣味同じ。 
  又被新年勸相憶    又た新年に相憶ふことを勸めらる、
  柳條黄軟欲春風    柳條黄軟にして 春風ならんと欲す。

「君といつの日になったら、苦難を脱出できるのだろう。魚は川や湖を恋しがり、鳥は籠を嫌う。つないだ手は離れてどちらも海際に放り出され、腰をかがめて緑の官服を着たまま老いていく。三年間遠く隔たって消息もなく、それぞれの土地でさまよう様子はどちらも同じだ。また新年がおとずれ、相手のことを憶わざるをえない、柳の枝は黄色く柔らかく、春風と一体になろうとしている」

ここで「魚は江湖を戀ひ 鳥は籠を厭ふ」と言っているのは、実は僻地を嫌い都をなつかしんでいるということなのですね。淵明が都の生活を嫌って故郷に戻ったのとは逆に、楽天は田舎を脱出して都で生活したいと言うのですね。こういう社会の交わりを求めるところが白楽天の人間くさい部分で、面白いですね。

この詩が収められた、白楽天の『白氏文集』は、日本にも輸入され、平安時代以降のわが国の文学に大きな影響を与えたということは、多少とも古典文学について知る人ならばご存知でしょう。

「微之を憶う」の詩から直接に影響を受けた文章として、鎌倉時代、鴨長明の『方丈記』があります。

今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。

「今、淋しい住居、一部屋だけの庵、これを自分から愛好している。やむをえず都に出れば乞食さながらのありさまを恥ずかしく思うけれども、帰ってきてここにいるときには、ほかの人が俗世の汚れの中をあくせくしていることをかわいそうに思う。わたしの言うことを疑うのなら、魚と鳥の様子を見てごらん。魚は水に飽きない。魚でなければ、その心は理解できない。鳥は林に住みたいと思う。鳥でなければその心はわからない。世俗を離れて住む者の心地もこれと同じだ。住んでみなければ誰にもわかるまい」

魚鳥のたとえを使っていることや、「気味」という同じ単語を用いていることから、長明が楽天の文章を引用していることがわかると思います。ただし、長明は本来の陶淵明の詩に戻って、ここでは「魚鳥の心」を「俗世を嫌って隠棲したいという気持ち」と解して使っています。

さて、松尾芭蕉の

  魚鳥の心はしらず年わすれ

ですが、やはりこれは『方丈記』の記述を踏まえた一句と解釈できるでしょう。

しかしながら、単に長明をなぞるのではなく、この句で芭蕉は二種類の意味を掛け合わせているんじゃないかと、私は考えるんですね。一つは表面の字義通り、「魚や鳥の気持ちなんか、われわれにわかるわけがない。今日は人間同士楽しく忘年会をやろうゼ」ということです。

ところがその一方で、「魚鳥の心」を「俗を好まぬ侘びの心」ととるとどうなるでしょう。「われわれ俳人は、魚鳥と同じように俗世間を厭う存在だ。そういう風雅の心は、なかなか世の人から理解されないものである。しかし今日は仲間同士だから打ち解けて年忘れの会としよう」ということになるんじゃないでしょうか。

バカになって大いに楽しもうじゃないかという呼びかけと、静かに侘びを味わおうじゃないかという、一見矛盾するような気持ちを同時に表現しているのですね。自分たちのことを茶化しながら、ウィンクして、実はただ騒ごうとしているわけじゃないんだぞ、それくらいわかるよな、と言っているような感じです。

芭蕉は、古典の教養を利用して句にダブルミーニング(二重の意味)を持たせようとするのが大好きな人でした。この句などもそうした例の一つと言えるのではないでしょうか。

芭蕉からさらに三百年が経ち、現代の俳人、田中裕明が魚と鳥をテーマとした俳句を作りました。

  春の海魚と鳥と寝るならば

『櫻姫譚』という句集に収められている作品で、彼が三十代に発表したものです。
裕明には、最晩年の句集『夜の客人』の中に収録された

  ぼうふらやつくづく我の人嫌ひ

という句があります。自分で自分を「人嫌ひ」と表現するくらいですから、彼にも「魚鳥の心」、つまり閑居を愛する心があったということでしょう。

裕明は読書家で、古典にも通じていましたから、「春の海」の句で魚鳥を取り上げるにあたって、先行作を典拠として半ば意識していた可能性は高いでしょう。直観で言えば、芭蕉ではなく鴨長明を意識していたのではないかという気がします。裕明の愛読書などを研究される方がおられましたら、いずれそうしたことも明らかになるかもしれません。

こういう句を読むと、われわれはつい「田中裕明は伝統を大切に守った人だ、古典を大事にした人だ」と言いたくなります。しかしながら、陶淵明の詩と裕明の魚鳥の句を並べて比べると、読後の「手ざわり」とでもいったものがかなり違うことに気づかれないでしょうか。また鴨長明とも違うのではないでしょうか。

陶淵明から私は、世の中を冷ややかに眺めながら悲しみの中に鬱屈するような精神を感じます。「歸園田居五首」の後半には、散歩中に家族が離散して空き家になった住居をみつけ、暗い気持ちになって帰って酒で憂さをまぎらわす場面があります。
また、鴨長明からは、仏教の無常観に影響された虚無感を感じます。

ところが、裕明の俳句が感じさせるのは、まず若々しさです。「魚と鳥と寝るならば」というのは、魚も鳥も、寝ているという意味ですけれども、まるで作者自身も魚鳥と一緒になって、同じ沿海のねぐらで寝ているような錯覚を抱かせないでしょうか。

「魚も鳥も」だったら、魚鳥のことだけを言っているということになるのですが、「魚と鳥と」と表現されると、彼自身が魚になったり、鳥になったりして遊び戯れているといった感じの、まるで童話のような雰囲気があるのではないでしょうか。童心、少年の心をもった人でなければ、このような句は作れません。もちろん、閑居にあこがれる気持ちは背景にあるのですが、それがけっして否定的なニュアンスを感じさせませんし、隠居趣味とは違う、弾むような躍動感すら覚えさせるのです。

典拠を引用しながら、その情味をまったく違うものに作り変えてしまう裕明の感受性の豊かさに、私は舌を巻きます。こういう彼の強い個性を、私は「革新的である」と呼びたいのです。

別の言いかたをすれば、「見慣れた古典の題材を引用しながら、その意味を置き換えてしまう異化効果」とでも表現できるかもしれません。ブレヒトのような攻撃的な異化効果ではなく、あくまで控えめでソフトな効果ではありますが。

さて、以上のような由来を小耳にはさんでいただいたところで、芭蕉の発句による脇起歌仙をはじめましょう。


この原稿は、平成二十二年十二月五日、東京・王子の「北とぴあ」で開催の第三十七回俳諧時雨忌席上での話にもとづくものである。実際にはこれだけ長い内容を話したわけではなく、裕明句に関する部分などは大幅な加筆を行った。 当日、四ッ谷の捌で制作した歌仙『停電の夜』は、近く連句協会報に掲載される予定である。 白楽天の詩と『方丈記』の関係については、田云明氏の論文「『方丈記』の白楽天詩文摂取に見られる中国隠逸思想の変容」(名古屋大学国際言語文化研究科研究誌「言葉と文化」第9号・9008年)を参照した。

第三十七回俳諧時雨忌
2010年12月5日 14:00~18:30
於・東京・王子 北とぴあ
主催・東京義仲寺連句会草門会

連句協会 ホームページ http://renku-kyokai.net/

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