2011-02-06

〔週俳1月の俳句を読む〕藤 幹子

〔週俳1月の俳句を読む〕
老若男女の大鍋小鍋
幹子


年越し蕎麦の蕎麦湯暗渠に合流す  池田澄子

大晦日の、蕎麦屋で、飲食店で、家庭で、ゆでにゆでられた蕎麦。その蕎麦が落ちていく胃の腑の事を想像する者は居ても、それをゆでる為に炊かれ、蕎麦の滋養を幾ばくか吸い取りながらもじゃあじゃあと流されていった蕎麦湯の事を思う者は少なかろう。いや、それが「蕎麦湯」である、という事にすら思い至るまい。

掲句、生活排水が暗渠に流れ入る事と思えば何ら不思議はない。にもかかわらず、見てはいけないものを見てしまったような不穏な気持ちにさせられる。新しい年を迎えるという、ハレの気分に充ち満ちているその足の下、音をたてて蕎麦湯が流れている。各家庭の支流から続々ぶつかりあって合流し、ごうごうと落ちていく。日本中が蕎麦をゆでるこの日のこの下水に渦巻くエネルギー、真っ暗闇の中を駆け抜けていく濁流と、茹で汁の大鍋小鍋が老若男女の手で次々と傾けられていく映像が交互に脳裏に点滅して、目眩をおぼえた。


元旦を素うどんすゝられては縦に  山田耕司

そもそも、うどん(に限らず麺類)がすすられているその時、器から口へまっすぐ向かっていくものだろうか。おそらく違う。違うけれども、その情景を思うとき、簡略化された何本もの線が口から丼をつないでいる絵を、ほんのりと想像する。いったい何の絵だ、それは。

ラーメン大好き小池さんだ。

ラーメン大好き小池さんは、ひとり下宿で素うどんをすする。せめて正月ぐらいはラーメンから離れようと思ったのだろう。しかし悲しいかな、ラーメン以外の選択肢を彼はほとんど持っていない。年越しにはがんばって蕎麦を食った。昨日食った蕎麦を又食うのもなんだかしゃくである。それに、と彼は思う。蕎麦は大晦日に食うものであって元旦に食うものではない。他人には理解しがたい頑固さをもって、彼はラーメンと蕎麦以外のものを食べる事を決意し、けれど麺類から離れることはできなかったのだ。

小池さんは額にしわを寄せながら、丼にわだかまる素うどんをすする。ラーメンよりも数倍太くまっすぐな線が、彼の口から延びている。

小池さんの話に熱くなってしまった。

その他、新年詠で好きだった句を。


はつすゞめ水散らばつて戻るかに  上田信治

初雪のやうにちやほやされており  上野葉月

死兎抱きをるボイスの写真読初に   関 悦史

しづかなるひとのうばへる歌留多かな  野口る理

母方の鼻集まりて御慶かな  矢野玲奈

わが浮力信じてをりぬ初御空  田中亜美

姫はじめ人に尾骨のありにけり  山田露結


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