第40号~第49号より
羽田野令さんのオススメ記事
●五十嵐秀彦 一遍上人論 私性の誕生と「うた」の漂泊(1) →読む 第43号 2008年2月17日
●同・(2) →読む 第44号 2008年2月24日
●同・(3) 完結 →読む 第45号 2008年3月2日
五十嵐秀彦さんの「一遍上人論」は、氏の所属誌からの転載である。普通読むことが出来ない俳句の同人誌や結社誌のこのような記事が「週刊俳句」に載せられるのはありがたい。
この文章が私に読む事をいざなったのは、副題にある「私性の誕生」という言葉である。読んでみると「序」には、文学に於ける「私性の根源が、一遍の生きた時代に誕生したのではなかろうか」とあり、そこには、文字のなかった時代に共同性を根底に口承によって始まった我々のうたが、どのような変遷を経て現代の様な私性を纏うものになったかということへの考察の軌跡を見ることができる。
歴史に登場する一人として、その名前とわずかな事しか知らない者にとっては、一遍上人の生い立ちや足取りが詳しく紹介されていて、どのような人たちを巻き込み、何を唱え、どこを動いたのかを知ることが出来、一遍という人の実体が浮かんで来そうである。今から何百年も前の時代であるのにそのような資料が残っているのにも驚く。『一遍聖絵』『遊行上人縁起絵』などの資料を元に綿密に述べられている。
一遍上人は当時の社会の辺縁にあった者たちをも加えて動いたことや教典を作らずにあくまでも遊行に徹したことを、五十嵐さんは、「一遍上人には革命家の顔がある。しかもアナーキーな革命家の顔だ」と述べて、多くの和讃を作った詩人としての顔に注目される。
和讃は七音+五音で綴られる。和讃の残っている最も古いものは、一遍生誕のおよそ100年ぐらい前のものである。一遍は和讃の隆盛期に出現したことになる。うたは五音+七音を単位として生まれてきたものであるが、それが七音+五音のかたちとなった時期のものに私性を見いだされているのも面白いことである。
自分の所属する集団への帰属意識から放たれた個として在ることに初めて直面した人が一遍であるとし、和讃の中で一遍が詠んだ「ひとり」ということが、私性へ繋がるとされている。そこから私性へは少し端折られている感があって、もう少し私性の発生については五十嵐さんの詳しい論述を見てみたいという気がする。
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2011-02-20
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